当然ながら、避けた運命には必ず出会う 第三次世界大戦――その後一時的にニホンを統治下においた国連は公式には“The 3rd division”と称した戦争が終結したのは、私が15になった年のことだ。 軍事国家と化したニホンでは、国民に幼少時からの軍国教育を行っていた。大戦開始の数年前からはそれが特に徹底されるようになる。子どもたちはある程度の年齢になれば親元から離され、1ヵ所に集められて軍国教育を受けさせられた。勿論、私も当時に生まれ育ったから、他の子と同様にその教育を受けている。 どちらかといえば、私は落ちこぼれだった。 (戦場になんか出たら、絶対死ぬ) かなり早期に自分の能力に見切りを付けた私は常々そう思ったものである。が、幸いというべきか、定められた課程を修了して戦場に出るよりも先に、戦争が終わった。 万が一に備えて押し込められたシェルターから解放されて外に出た私たちを待っていたのは、一面瓦礫と化した街だった。時刻はちょうど夕方が近付くころで、赤味を帯びた陽の光を受けて、辺りは飴色に染まっていた。 それはひどく穏やかな光景で、私は悲しんだり途方に暮れたりするより、むしろ、「仕方ないなぁ」と嘆息したい気分だった気がする。というのも、戦場に出るからと色々と覚悟していたのに、そういう気負いは全て意味の無いものだったのだ。何だか肩透かしを食らった気分だった。 これからどうすればいいのか分からない。けれど、先行きが見えないからといって今更死ぬのは嫌だった。それでは、何か――具体的なものではなく、運命というような抽象的な何かに負けてしまうような気がする。それは癪にさわるので、今生命がある以上は大変でも生きていかなくてはならない。 だから、「仕方ないなぁ」ということになる。 (取りあえず、生きられるところまでは生きないとね) 15歳の私は、飴色の空を見上げながら、生意気にもそんなことを考えていたのだった。 *** ニホンを実質的に支配するといわれる麻薬組織<ヴィスキオ>。 その頂点たる<王>には、溺愛と表現してもいい程に寵愛している愛妾が存在する。折に触れては身近に仕える男を寝所に引き込んでは、怒り狂った<王>に斬り殺させているということで悪名高いその愛妾の名を、アキラという。 私は使用人としてヴィスキオに雇われた身だが、誰が何を血迷ったのか、はたまた明確な悪意からか、突如この愛妾の世話係を命じられた。アキラは、あまりに悪名高い上、個人的にも因縁のある相手である。側近くに仕えることに躊躇いがなかったわけではない。 それでも結局従ったのは、他に選べる道がなかったからだ。 <ヴィスキオ>の使用人というのは、実はかなり実入りのいい仕事である。また、他に職を求めたとしても、このご時勢では見つからない可能性の方が高い。その上、<王>の愛妾と一度関係を持った私が<ヴィスキオ>を離れた場合の身の安全は保証できないという脅しめいた忠告までもらってしまった。 自分を好き勝手に弄んだ男に仕えることに、抵抗がなかったわけではない。 これは私が必死で避けてきたこと――身体を売るのと同じことではないのかと思いもした。 それでも、結局私は従うことにした。 最後の最後、生きられなくなるまでは生きていようと思ったから。 *** 世話係となることが正式に決定してから、上司である執事に連れられ、アキラの元へ挨拶に行った。私の新たな主人は、私たちを寝床の中で迎えた。 午後2時ごろのことである。単なる昼寝か、それとも昨夜から眠り続けているのか。もし昨夜からなら、さすがに眠りすぎではないのだろうか。どうしても楽しくない記憶の蘇る場所であったから、気を紛らわそうとどうでもいいようなことを考えていると、アキラは私だけを寝室の内へと呼び寄せた。 普段からアキラの起居する<王>の寝室。出来ることなら入りたくなかったが、執事に促されたので、私はその扉を開けて中へ入った。 アキラはベッドの上に起き上がり、私を待っていた。 素肌の上に羽織ったシャツは乱れ、釦も2つほどしか掛かっていない。胸元や首筋が露わになった様がひどく艶めかしい。そんな寝乱れた姿であるのに、彼の翡翠色の瞳は少しも眠りに霞んではいなかった。 私が部屋の奥に進みながらもベッドからは十分な距離を取って立ち止まると、アキラは僅かに苦笑した。それから、口を開く。 「――あの話、受けたんだ?」 その声には意外そうな響きが含まれている。世話係のことは元はアキラの希望であったのだと聞いていたから、私はその口調にひどく理不尽だと感じた。意外に思うくらいなら、最初からそんな無理な願いを通そうとするのがおかしいのだ――そう思うものの、まさか自分の主相手に言うわけにもいかない。 文句の一つでも言いたいところを抑えて、私は深く一礼した。 「今後、世話係としてアキラ様にお仕えいたします。至らぬところも多々あるとは思いますが、よろしくご指導ください」 「“世話係として”か…」アキラは可笑しそうに喉の奥でくつくつと笑う。「そういう風に聞いてるんだ」 「何が、ですか…?」 何だか嫌な予感がする。思わず顔を上げて問いかけると、アキラは答えずにするりとしなやかな動作でベッドを降りた。一歩、こちらへと近付く。私はいっそ逃げ出したいという衝動に駆られたが、ここで逃げ出すのはいかにも無礼だ、仕方なく自分を制してその場に留まった。 「今回の話、俺の希望だって知ってる?」 「はい。上司から聞いています」 「そう。――具体的には、俺がシキにねだったんだ」 ゆっくりとアキラがこちらへ近付いてくる。 急に怖くなって、私は思わずじりじりと後退した。寝室の扉の外には執事がいるから、アキラも滅多なことはしないだろう。そうと分かっていても、未だいいように弄ばれたことは記憶に新しく、警戒せずにはいられない。 「――シキ様は、お許しになったのですか」 あの<王>が愛妾と通じた女をその愛妾の側近くに仕えさせるとは思えない。現に私は一度<王>に殺されかけているのだ。あのシキが、そんなことを、 「許してくれたよ」 アキラが平然と頷く。 「シキが俺を所有するのと同じように、俺も自分の“玩具”が欲しい。そう言ったら、許してくれた」 いっそ無邪気なほどの言葉を聞きながら、私は唐突に理解した。 ここには私の味方は一人もいない。かつて知りながら私をアキラの部屋に行かせた執事、アキラに私という“玩具”を与えたシキ――この<城>には、誰一人としてアキラの意図を阻む者はいないのだ。 ガタン。 不意に私の背がぶつかり、窓ガラスが音を立てる。私はとうとう窓際に追い詰められ、後退すべき場所はどこにもなかった。 「嘘です。シキ様がそんなことをお許しになるはずありません。だって、あの方はあなたと通じた者を悉く斬ってきた…それ程あなたを愛しておられるのに、」 「愛している?だから他の男を斬った?…ちがうよ。あれは俺とシキの遊び、暗黙の了解――ただそれだけのことだ。嫉妬ではないし、愛だなんてとんでもない」 ふっとアキラはその顔の上から柔らかな微笑を消し去った。普段浮かれ女か狂人の類のように見られている雰囲気は、そこにはない。物思いに沈んだ表情で、私を見ているはずの目は、どこか遠くを透かし見るかのようだ。 どこを見ている? 何を考えている? 深い淵のような双眸の翡翠色に引き込まれるかのようにそう思ったとき、不意にアキラの手がするりと私の頬に触れた。いつしか私たちの距離は、手を伸ばせば触れられる程に縮まっている。そのことに、今更のように気付かされた。 「が受けたのは、結局、俺の“玩具”になるっていう話なんだよ?」 愛撫するような優しさで頬を撫で下ろしたアキラの手は、次いで私の顎を捉えようとする。顔を背けることでそれを振り払ってから、私は真っ直ぐにアキラを見据えた。 「もし、私を辱めようとするのであれば、私は今度こそ本気であなたを拒絶します。たとえ、それであなたに怪我をさせることになっても。そのために私が処分されるとしても。――私がこの話を受けたのは、あなたの愛人になるためでも身売りの真似ごとをするためでもありません。そのことだけは、お伝えしておきます」 無礼だといって処分されることを覚悟で告げた私の決意だが、アキラの反応は私の予想とは異なるものだった。彼は一瞬目を丸くしてから、やがて上機嫌な笑みを浮かべたのだ。 「言うと思った。君は今時珍しいくらい“お堅い”から」 「は?かたい…??」 「そんなに身構えなくてもいいよ。特にを抱きたいわけじゃないから、が俺のものになるならそれで構わない」 「え??」 事の成り行きが分からず呆然としていると、アキラは少し笑って指先で軽く私の額を弾く。本当に、ごく軽く弾かれただけだったのだが、私の方が過剰反応をしてしまったせいで背後のガラスに思い切り後頭部を打ち付ける羽目になった。 ガンッ。 何だかもの凄い音がした。 もしかして割ったのか、と恐る恐る肩越しに振り返ってガラスを確認してみると、 「防弾ガラスだから、それ。いくらが頭をぶつけたところで割れたりしないから大丈夫」 ベッドへ戻りかけていたアキラが振り返って笑った。 End. 配布元:『模倣坂心中』“カーニバルの瞑想録 ”より 「当然ながら、避けた運命には必ず出会う 」 |