※人間の世界で同居設定


てのひらに、歌をのせて



 我が家には、3匹の猫が同居している。
 同居という表現は奇異に思われるかもしれない。が、我が家の場合はあくまで『飼育』ではなく『同居』なのだ。
 どうしてそういう表現になるかという理由は、猫たちの姿にある。彼らは耳の形と尻尾以外は完全に人間と変わらない姿をしているのだ。これで『飼っている』とは、失礼なのでちょっと言えない。
 猫たちによると、彼らは<リビカ>という種族なのだそうだ。私としては種族は何でも構わないが、人型をした彼らを『猫』と呼ぶのは何だか気が引けるところだ。けれど、彼らは『人』と言われると戸惑うようなので、『猫』と呼ぶことにしている。人類が自分たちのことを表すのに『人』というのと同様に、<リビカ>は自分たちを『猫』という――そういう習慣らしい。
 ともかく、世間一般にいう動物のネコではないにしろ、我が家には猫が同居している。



***



 その同居猫の1匹が、こちらを見ている。台所兼食堂にあるテーブルの前の椅子に腰を下ろし、部屋続きの居間にいる私の方を見ている。
 猫は、名をコノエという。他の同居猫2匹に比べて年下で、尻尾が少し曲がっているのが特徴だ。
 そういう少し曲がった尾のことを“鉤尻尾”というのだけれど、ネコを飼った経験のない私は初め折れているのかとひどく心配した。それはただでさえ鉤尻尾を苦にしていたコノエを傷つけたようで、いまだに彼は私に対してぎこちない。私自身あまり器用に人付き合いをする方でないので、上手く打ち解けられない。だから、コノエがこんな風に私と二人のときに用を見つけて出て行こうとしないのは、珍しいことだ。
 私はといえば、居間のこたつの前に座って本を開いている。
 本を開いて活字を追っているが、コノエの視線に気付いてから、どうも内容が頭の中に入ってこない。読んでいるというよりは読む “ふり”をしている。そして読書のふりをしながら、
 (何か話をした方がいいのかな…)
 などとひとり迷っていた。
 鉤尻尾のことでコノエを傷つけたことを申し訳なく思っているし、そのことで打ち解けられないというのは、日々生活を共にしていることもあって悲しい。彼が逃げていく素振りのない今なら、少しはちゃんと話ができるかもしれない。

 「コノエ」

 とうとう意を決して、私は本から顔を上げて名を呼んだ。
 「何を見てるの?」
 「え?」
 驚いた声が返ってくる。それを聞いた途端、唐突すぎたのではないかという後悔が押し寄せてきた。
 「あ、ごめんなさい。驚かせた、よね。コノエが何かじっと見てるみたいだったから…」
 取り繕うように言った。
すると、コノエは決まり悪そうに視線をそらしてしまう。今回も、席を立って行ってしまうのかも、と私は予感した。けれど、そうではなくて。
 「アンタを見てたんだ。――別に変な意味じゃなくて、その、アンタは<二つ杖>だから…今更だけど、<リビカ>とは違うんだなと思って…」
 時折言葉を探すようにつっかえながらも、コノエはそう説明した。
 ただ返事が返ってきただけ。けれど、それだけのことにひどく嬉しい気分になってくる。
 「耳の形とか尻尾とか?」
 「ああ――それに、耳動かないだろ?」
 「多分。自分で意図して動かすことはできないよ」
 「尻尾もないから動かせないし。それって何だか――変な感じだ」
 コノエが言うのと同時に、鉤尻尾が大きくゆらりと揺れる。
 尻尾の動きで感情を読めるのか私は分からない。けれども今の動きは明らかに好奇心によるもの、のような気がする。それが分かったことがやはり嬉しくて、気がつけば私は尋ねていた。

 「尻尾はないけど、耳だけでも触ってみる?」

 これには言った私自身驚いたが、言われたコノエはもっと驚いた様子だった。綺麗な琥珀色をした瞳を丸く見開いて、口が何か言いかけたまま半開きで止まっている。呆然のお手本のような表情だ。あまりにコノエが驚くものだから、私は何か非常識なことを言ったのだろうかと落ち着かない気分になる。
 「だけど――耳や尾は急所だから…」
 数秒後にやっと、コノエはそれだけを言った。
 「そう、だったの…えぇと、でも人間は別にそんなことはないから大丈夫なんだけど」
 やや硬くなった雰囲気を打開するために会話を続けようとして、私は言う。その内容は興味を引かれるものだったらしく、コノエはぱっと顔を上げた。
 「じゃぁ、ニンゲンは耳を触られても何も感じないのか?」
 「感覚はあるよ。でも、急所という程じゃないと思う――気になるなら、触ってみる?」
 重ねて言えば、やはり興味を引かれるらしくコノエの尾がはたはたと揺れている。それが、思い切るように一際大きくはたりと振られた。
 「耳、触ってもいいか…?」
 いいよ、と私は頷いた。



***



 コノエは食堂から居間まで来ると、こたつに座っている私の背後に跪いた。すぐにその手がおずおずと私の右耳にかかる髪に触れる。髪を少し掬うようにしたところで、コノエははたと手を止めた。
 「俺だけ触って不公平だから、後で触るか?」
 目を閉じて待っていると、少し緊張した声が降ってきた。何となく気を緩めかけたところだったので話についていけず、私は目を開けてのけぞるような姿勢になってコノエの顔を見た。
 「触る??」
 「俺の耳。尾でも構わないけど、」
 そう言うコノエの表情は少し硬い。
 <リビカ>にとって耳や尾は急所なのだから、進んで触って欲しい場所なはずはない。尾にコンプレックスのあるコノエは特にそうだろう。それでも尋ねてくれたのは、少しは親しみを感じてくれたから――だったら嬉しいのだけれど。
 私は少し笑って、空中で静止していたコノエの右手をとった。そのままその手を右耳のあたりに導きながら、前を向いて目を閉じる。コノエの手は一瞬ぎくりと強張ったが、結局されるがままになっていた。
 「私は別にいいよ。触られたら、嫌な感じがするんでしょう?」
 「でも不公平だ」
 「なら、代わりに女神リビカの話をしてくれる?」
 女神リビカ――彼女がネコの身体に入り、人と交わり世界とコノエたちの種族を生み出したという神話は、以前聞かされたことがある。この話は詩のように作られていて、単に声に乗せるだけで歌のように聞こえるので、密かにもう一度聞いてみたいと思っていたのだ。
 「は…リビカの話、好きなのか?」
 「好きというのかな…もう一度聴きたくて」
 「――分かったよ」
 答えたコノエの声は、笑みさえ含んでいてひどく柔らかい。――あぁ、彼もリビカの話が好きなのだろう。ごく自然にそう思った。
 不意にふわりとコノエの手が動き、私の横髪を掬ってその下にある耳に触れる。元気の良い普段に似合わぬ慎重な仕草で指先が軽く耳の形を確かめ、すぐに離れていく。それで終わるかと思っていると、今度は頭の上の方、コノエたちならば耳がある辺りにコノエの手のひらが触れた。

 ゆっくりと髪を梳くように手を動かしながら、コノエは歌うように語りはじめた。



***



 くらり、と。
 女神リビカの話を終えて間もなく、の身体が傾ぐ。コノエは慌てての髪を撫でていた手を離し、肩を掴んで引きとめた。それほど長く話していたわけではないのだが、は眠ってしまったらしい。
 ふと気がつくと、彼女の肩を支える自分の手のあたりから、彼女の肩先から、見えるか見えないかという程の淡い光が空気の中に消えていくところだった。
 (――しまった、)
 無意識のうちに讃牙の力を使っていたらしいことに気付く。

 コノエは、実を言うとのことが苦手だった。
 嫌い、ではなく、苦手なのだ。もともと祇沙では雌――ニンゲンでいうなら女は厳重に保護されていて、コノエはほとんど顔を合わせたことも言葉を交わしたこともないのだ。いきなり一緒に住むことになっても、どう接したらよいのか分からない。
 そういう戸惑いが、何よりも上手く打ち解けられない原因だった。そのことをが気にしているのは何となく感じて申し訳なく思ったけれど、それでもどうにか出来ることではなくて。
 今日のように普通に話せたことが嬉しくて――多分、自分は気を緩めていたのだ。だから、うっかり讃牙の力が発動しているのに気付かなかった。
 女神リビカの話は幼い頃に母親が子守唄代わりに聞かせてくれたもので、それを懐かしく思い出しながら話していたから、コノエの歌は子守唄のような効果を持ってしまったのかもしれない。

 コノエは少し後悔した。が、讃牙の歌の効果は有害でもないし、気持ちよさそうに眠っているところを起こすのは申し訳ないので、結局このままを起こさないことに決める。
 そして、の身体を支えるために隣へと移動して座った。



***



 居間の入り口にアサトが立ち尽くしている。
 夕飯の支度でもするかと台所へ向かいかけたライは、その姿に眉をひそめた。
 「何をしている」
 声を掛ければ、アサトが振り返り、視線だけで居間の中を示した。一体何だと不審に思い、アサトと同じく居間を覗き込めば――家主とコノエがふたり仲良く仔猫のように眠りこけている。

 互いに打ち解けられないことを悩んでいたのはどうした、とか。
 、お前は一応雌――というか女だろう、とか。

 「まったく、これだから仔猫は」
 さまざまな突っ込みが一瞬のうちにライの頭の中を駆け巡ったが、結局一言呟くだけにしてその場を後にする。台所へ向かおうとすると、アサトが声を掛けてきた。
 「起こさないのか?」
 「どうせコノエが起きれば夕飯の催促をするだろうからな。寝ている方が静かでいい」
 「素直に起こすのがかわいそうだと言えばいいんだ」
 背中をアサトの呟きが追いかけてくる。ライは一瞬強く反論したい欲求に駆られたが、大人としての自制心で敢えて黙殺するに留めた。




End.




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