大人になるために





 私は子どもになってしまった。
 だが、中身まで子どもになったわけではない――と思う。多分。


 トシマを出てしばらく経ったこのところ、シキの生命を狙う追っ手は少なくなってきた。それをいいことに、私たちは小さな町に身を落ち着けて平和な暮らしを始めた。が、いくらもしないうちに、何の冗談か私もシキも若返ってしまったのだった。
 シキは、辛うじて成人しているかいないかという年頃に。私はまだ13、4といった姿に。こうなると、シキは今までのように裏の仕事が請負えないし、私も今まで通りに働くわけにもいかない。アルバイトの求人は、大抵が若くとも16歳以上だ。今更学校に行くわけもないから、私は家で過ごす時間が長くなった。
 それにしても、驚いたのはシキのことだ。さすがに退屈したのか動いていないと気が済まないのか、彼はどこからともなくアルバイトを見つけてきた。深夜営業のバーのような店のウェイターらしいが、シキが言うには半分くらい用心棒のようなものなのだそうだ。ウェイターよりは用心棒の方が、まだシキに似合っていると言えるだろう。が、いくらシキとはいえ今は辛うじて成人するかという外見、用心棒などが要るようなバーで働いて大丈夫だろうか。私は不安に思ったが、シキは意に介さず、それでも、心配ならいつか時間の早いうちに店に連れて行ってやると約束してくれた。
 ともあれ、私ばかり家にいる時間が長いので、家事は主に私の仕事になった。基本的に、食事は私が作る。決して得意とは言えないが、親元を離れて紆余曲折を経て、このところは料理を作ることにも慣れてきた気がする。


 それは、シキのアルバイトが休みの日だった。久しぶりに、私たちは向き合ってテーブルにつき、夕飯を食べることになった。その日の夕飯は、オムレツ。基本的にシキは好き嫌いがない――というより、あるとしても口にしないのかもしれないが――ので、私がオムレツにしようと決めて、私が作った。子どもっぽいと嫌な顔をされるかとも思ったが、シキは特に文句を言うでもなく、オムレツを食べていた。
 そのうち、ふとこちらを見たシキが、眉をひそめた。
 「好き嫌いをするな」
 「え…?」
 「わざわざ選り分けるほど、お前はピーマンが嫌いだったか。今まで気付かなかったが」
 言われてようやく気がついた。母親が作るオムレツは具にひき肉や玉葱、人参などの他にピーマンが入っていた。その記憶を頼りに作ったので、今回のオムレツの中にも具の一種としてピーマンが入っている。そして、私は食べながら何となく、自分で入れたはずのピーマンを取り除いて食べているのだった。気がつけば、いつの間にか皿の隅にピーマンが数本弾き出されている。
 しかし、子どもの頃ならピーマンを嫌がりもしたが、大人になってからは普通に食べていた。それなのに、どうして。
 「…味覚も子どもに戻ったか」
 「まさか。そんなことないよ」
 興味深そうな顔をするシキに意地を張って、何とかピーマンを食べようとする。けれど…何だか食べたくなくて、箸をつける気になれない。そんなことない、と否定した手前後にも退けず、ピーマンを睨んだままで固まってしまう。
 「好き嫌いをしていると、成長できんぞ」
 「っ…成長なんかしないよ。そのうち元の大人の姿に戻るんだから」
 「さて、それはどうだろうな。もう2ヶ月、お前も俺も元に戻らないままだ。このままずっと、戻らんかもしれん。その場合に備えて、好き嫌いはしない方がいい」
 「戻らないかもって…そんなあっさりと。シキはそれでいいの?」
 尋ねると、シキは薄く笑って「別に構わん」と答えた。
 「今の生活も、そう悪くはない。お前が子どもなのは、俺にはむしろ好都合だ。お前は意外に我が強い。自分がこうと決めたら、必要とあれば俺に逆らうことも、俺から離れることも平気でする。――だが、今お前は未成年だ。その頭で何を考えようと、子どもである以上行動は制限される。少なくとも、俺の手を離れては行きにくい。これが好都合でなくて、何と言う」
 シキの思わぬ言葉に、考え込んでしまった。私が逆らわず、ただ言うことを聞いていれば、シキは満足なのだろうか。それは――私という人間が必要とされていると言えるのだろうか。そう思いながら、皿の上のピーマンを見つめていた。
 と、ふっと笑うような吐息が聞こえた。
 「心配するな、俺はお前の意思を奪いたいわけではない。意思があってこそ、俺の望むお前だと言えるだろう。ただ、目の届かないところに行ってしまうかもしれないのが、不安なだけだ。子どもなら、その心配は少ない。――とはいえ、子どももじきに大人になる」
 「そういうのを、分かりやすく言うと、独占欲って言う?」おずおずと尋ねると、
 「あぁ」ごくあっさりとシキは頷く。「俺が怖くなったか?」
 「怖くない…けど、どう反応していいのか分からない」
 「感じたままでいい。どう思ったか言ってみろ」
 言ってみろというが、それはどうしても言わなければならないことなのだろうか。考えているうちに、頬が熱くなってくる。今、感じているのは、どうしようもなく――。

 「恥ずかしい」

 そう言うと、シキは微かに笑みのようなものを浮かべながら「そうか」と頷いた。
 「さて、話は戻るが、子どもはじきに大人になる。元の姿に戻らないまま、もう2ヶ月が過ぎた。3年などあっという間だ。お前は以前“もう少し身長が欲しかった”と言っていたな。今、もう一度成長期が与えられるとしたら、最善を尽くすべきだと思うが――どうする?」
 唐突に、シキは手にした箸で私の皿のピーマンを拾い上げた。そして、目の前に突きつける。
 「食べるっ」
 とっさに叫んで、私は目の前に差し出されたピーマンに食らいついた。






End.


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