輝きだけ抱いて逃げるお前に解らない事




 薄闇の中、すぐ傍らにある身体に手を伸ばす。肩に手を掛け、寝返りを打って身体をこちらへ向けようとするのを押し留めて、覆い被さっていく。
 「――シキ?」
 問いかける声。間近に見る丸く見開かれた瞳がひどくあどけない。こんな行為に及ぶに至ってもまるで子どものようだと思いながら、シキはトシマ以来自分と共にいる娘を見下ろした。
 娘――そう、シキにとって彼女は“娘”としか形容のしようがない。
 “子どものよう”ではあるが、子どもそのものではない。少女というにはもう少し大人らしいものの見方をする。けれど、女というには色気も自覚も足りず、もっと無邪気で軽やかで硬質で。少女でもなく女でもなくその真ん中辺り、となると“娘”という言葉でその成熟の度合いを曖昧にすることになる。
 彼女のそんな無邪気さや硬質な部分を守っているのは結局のところシキなのだ、と以前源泉に指摘されたことがある。けれどシキにそのような自覚はない。いつまでも少女と女の中間で留まり続けているとしたらそれは娘自身の意思だろう、と指摘されたときに思ったものだ。
 一見穏やかな娘は、だが実はかなり頑固で負けん気が強く、大抵のことは従順に従うものの、これと決めたことに関しては必ず己の意思を通す。何度もシキは娘に自分から離れるようにと言ったのだが、それでも未だ共にあるというのは、まさに娘の意志の固さに押し切られてここまできたようなものだ――ここまできては、最早こちらとて手放す気にもならないが。
 娘の寝間着の釦を2つ3つ外し、襟元を寛げて露わになった胸元に顔を埋める。頬に触れた肌は柔らかく、冬の室内の冷えた空気に晒されてなお穏やかに温かい。はっきりとある意図をもってした行為ではあったが、頬から伝わる温もりと鼓動に身を委ねるように、そのままシキはしばらく動きを止めた。
 情欲に転がり落ちる前の穏やかな接触は、シキを安堵させると同時に密やかに駆り立てる。このままいつまでも触れていたいという思いと、その身体を貪りたいという欲求との間で意識が揺れ動きながらゆっくりと情欲へ傾いていく。つい最近までセックスとはもっと何かに駆り立てられるようなものだった。それがじわじわと穏やかに欲情していくような感覚を覚えるようになったのは、こうして身を落ち着けてゆったりとした時間を持つようになってからだ。
 ふと、娘の手がシキの背に触れた。宥めあやすように、或いは、シキの行為を受け入れるとでも言うように背を撫でる掌。ゆっくりと上下に2度それが往復するのを待って顔を上げ、シキは娘の唇に口付けた。初めは触れ合わせるだけで、一度離れて今度は舌を差し入れる。娘は大人しく口付けを受け入れて、羞恥や遠慮に縛られた様子ではあるものの口内に滑り込んできた舌におずおずと応じた。
 「…いつまでもこういうことに慣れないのだな、お前は」唇を離して言えば、娘は恨めしげにシキを見上げる。
 「それは…自分ではなくなるような気がして居たたまれないというか…」
 もう何度も身体を重ねてはいるのに、未だに理性を手放し情欲に支配される自分をシキの目の前に晒したくないらしい。だが、だからといって娘がシキを嫌っているわけでも求めていないわけでもないことは、シキも理解していた。
 娘は情欲に任せて身体を重ねるよりも、ただ温もりを分け合うような穏やかな接触を好む。だから抱き締めれば抵抗することはないし、娘の方からそれとなくシキに擦り寄ってくることもある。そのような接触はそれはそれで悪くないものだったが、シキのほうはそればかりでは物足りなくなる。
 それは、男女の差であるのかもしれなかった。




 シキは娘の首筋に顔を埋め、舌と唇で肌を辿りながらゆっくりと降りていく。以前の自分から比べれば丁寧すぎるような愛撫に、思わず苦笑が浮かんでくる。現在の自分のいっそ臆病なほどの手つきがひどく滑稽で、けれども、昔のようなやり方はもう出来ないだろうと確信めいて思う。
 かつて、トシマを出て二人で刺客を避ける生活を初めて間もない頃、シキは娘をそれこそ強姦紛いに抱いたことがある。
 当時はまだ碌に闘う術を知らなかった娘にそれを仕込むことが唯一欠かせない日課で、その日も容赦なく打ち据えた後に――堪え切れなくなった苛立ちに任せて抱いた、否、犯した。今にして思えば、あれは足手まといができたことに対する苛立ちではなく、娘への恐怖だった。迷いなく差し出される信頼を戸惑いながらもどこか快く思うことに愕然として、それまでの自分を崩されることを恐れ、娘が自分を見限って去ればいいと願ったのだ。
 陵辱の最中、娘は啼いていた。それは快楽に染まった喘ぎではなく、悲嘆の声だった。
 終わると娘はシキから逃れるように物陰で衣服を整えた。そうしてしばらくすると、傍に戻ってきた。泣いた痕の残る顔を見て、シキは内心思わず娘を憐れんだ。

 ――最早家族の元には帰れず、唯一戻れる場所が自分を犯した男の傍だけとは。

 娘は怯えた様子で、けれど懸命にそれを隠しながらシキにもう一度闘えと強請った。そのことにはシキもさすがに呆然とさせられた。稽古だというなら、消耗しきった娘の体力では今は意味がない。シキに復讐したいのだとしても、敵うはずがない。
 『…何のつもりだ』
 『だから、もう一度私と立ち合いをしてほしいの。私はあなたに惹かれて後を追ってきたけど、だからって女として扱って欲しいわけじゃないし、愛されたいとも思わない。そうじゃなくて、私は共に生きる者として認められたい。そのために必要なのはセックスなんかじゃなくて強さでしょう?今の私ではあなたに勝つことなんてできないけど――叩きのめされても足掻くことだけはできる』
 答えた娘は、もう怯えていなかった。
 辱められて、それでも共にいたいがために立ち合いをする。そんな話は聞いたことがない。けれど、娘の奇妙な勢いに押される形でシキは立ち合いをして――取りあえず、いつも通り手加減なしに返り討ちにした。
 案の定すぐに消耗し切って立ち上がることもできなくなった娘は、力なく、けれど満足そうにシキに笑って見せた。たとえ辱めを与えようと何者も自分を変えることはできない、自分が受け入れない限り自分は変わらない、と示すように。それから、不意に手を伸ばして間近にいたシキのコートの裾を掴み、顔を歪めた。

 『きっと…あなたの、足手まといになるけど…私を、置いていかないでっ…』

 あのときの娘の表情と声音ばかりは、今でもはっきりと覚えている。




 当時のような苛立ちも激情も、いくらかはシキの中から失われていって最早戻ることがない。否、戻ってきたとしても今更受け入れる気にもならないが。
 それにしても、かって苛立ちに任せて犯した相手に、今は壊れ物にするようにしか触れることができないというのは一体どうしたことか。娘自身は共に死線を潜り抜けただけあって、今では決してひ弱ではない。下手をするとその辺の雑魚などより余程肝も据わっている。およそ壊れ物などという繊細な性質ではないのだが、いつからか触れる際にはひどく慎重になっている。出来うる限り傷付けないように触れたいと思ってしまう。そんな自分自身がいっそ嗤笑したくなるくらいだ。

 「待って」

 下肢にまとう寝間着に手を掛けたところで、娘はやんわりと制止してシキの下から抜け出そうとした。シキは身を起こしてしたいようにさせる。すると娘は起き上がって、シキに向かい合うようにして座った。裸の上半身が今は遮るものもなく冷えた空気に晒されて、僅かに身を竦めている。
 「…こういうこと苦手だけど、あなたとするのは嫌じゃないよ」
 伏せた気な眼差しを、それでも何とかシキに向けて告げてくる。それが先程の会話の補足であると気付いたのは、言い終えた娘がシキに抱きついて首筋に顔を埋めたときだった。言葉では足りないとばかりに行動で示すつもりらしい。
 「知っている」
 シキはそう言ったが娘は止まらず、思い切ったように身体を離すと、シキの下衣に手を掛けて雄を取り出した。そのまま娘は制止も聞かずに身を屈め、それを口に含んで舌を絡ませる。色気も手管も伴わなくとも、その行為は確実にシキを煽った。舌先が熱を辿るにつれて腰の辺りに衝動が降り積もるが、それとは裏腹に、片手で子どもにするかのように娘の頭を撫でて髪を梳いた。
 かつて娘にセックスを教えたのはシキ自身だ。
 何度も触れるうちに初めは慣れなかった娘が行為に慣れ、快楽を覚え、やがては自分から触ようとするまでになった。その変化していく様を知るのが自分だけなのだという認識は、いつだって相手へのいじらしさと同時に喰らい尽くしたい衝動を掻き立てる。
 それらを全て押さえ込みながら、熱を孕む吐息に代えて、「お前に娼婦の真似事をしろとは言っていない」とあえて突き放した口調で言った。娘は顔を離し、真っ直ぐにシキを見る。口内に育ち切った熱を含んでいた苦しさからか、別の理由なのか、娘の双眸は少し潤んでいるようだった。
 「私は…したいから、してる」
 「ならば、もう気も済んだだろう」
 「気が済むとかじゃなくて、あなたに伝えたいだけ。いつもちゃんと言えないけど、私はあなたに触れたいし、こういうこともしたいんだって、」
 「もう黙れ」
 娘の肩を掴んでベッドに押し倒す。最早理性や余裕は溶かされて、ぐずぐずと爛れたような情欲が意識を支配しようとしていた。早く交わってしまいたいという欲求を抑え付け、シキは口付けながら娘の下衣と下着を引き下げ、その奥に触れた。既にいくらか潤みを持っていたそこを辿り、徐々に更に奥深い箇所へと指を挿し入れる。指の動きに合わせて時折水音が立つまで――娘の内側が傷つかないまでに十分に潤うのを待って、シキはゆっくりと娘の身体の奥へと熱を沈める。そうして、他者の一部を受け入れる感覚に身を震わせる娘を掻き抱き、再び口付ける間際に囁いた。
 「――知っている、そう言ったはずだ」






End.
配布元:模倣坂心中“カーニバルの瞑想録”より
「輝きだけ抱いて逃げるお前に解らない事 」





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