あなたが神さまになってくれればよかった 2



 男は玄関先に駐めてあったエアカーに私を放り込んだ。
 シートの上に無造作に投げ出され、衝撃が肩にまで伝わる。左肩の撃たれた痛みは馴れたせいか少しマシになっていたのだけれど、肩に伝わった衝撃のせいで一瞬強い痛みが走りぬけ、私は顔をしかめた。
 「痛むか」
 掛けられた声に顔を上げれば、黒衣の男が無表情で見下ろしている。その顔を見ながら、私はどう答えたものかと迷った。男がどういう意図でこちらを気遣うような言葉を掛けているのかが理解できなかった。
 「答えろ」
 「…少し、痛いです」
 本当は、少しどころの痛みではない。それでも、とっさに面識もない他人に弱みを見せたくないという気持ちが強く働いて、私は強がりを言った。多分、顔は半泣きだっただろうけれど。
 すると男は一瞬目を閉じてから溜め息を吐き、「大人しくしていろ」と言い残して先程の建物の中へ引き返していく。その背を見ながら、私は逃げるのに絶好の機会が訪れたことを知る。が。
 (逃げるって言っても、この傷じゃちょっと…)
 銃創など負うのは初めてだが、普通に考えて動き回ることが可能だとは思えない。結局諦めて小さく息を吐いて、大人しくすることに決める。エアカーのシートに座っていると、辺りはとても静かだ。先程、争いがあったことなど嘘のようだった。
 私は何度も目を閉じて痛みを無視しようとした。けれど、痛みは確かにあるもので、忘れようとして忘れられるものではない。いっそのこと、傷の状態を見ればここまで気にもならないかもと思い、私は左肩を露にしてから息を呑んだ。

 傷口から染み出し続ける血。
 肩を掠めた銃弾に抉り取られた皮膚と肉。
 そして、その下に見えるのは――骨ではなく――金属の、表面。

 “買い手に恵まれないアンドロイド程悲惨なものはない”

 アンドロイド――私が?
 人間である記憶があるのに、こんなこと現実であるはずがない…。
 (嘘だ…こんなの、間違いだ…!)


 「自分で自分を壊す気か?」
 不意にあの男の声が聞こえたかと思った途端、右手を痛いほどに掴まれ引き上げられる。その急な動作で左肩に激痛が走り、私は声にならない悲鳴を上げた。
 「お前は少しの間も大人しくしていられないのか」
 「っ、いた…」
 「痛みが好きなのだろう?でなければ、自ら傷を広げるような真似はしないはずだ」
 男は私をシートに押し付け、掴んだ私の右手を目の前に示した。
 その示された自分の手を見て、私は呆然とする。――赤く染まった指先に、血の入り込んだ爪。目にした途端、肩の傷がじくじくと思い出したように痛み始める。

 「人であることがそんなに大事か?ならば今ここで殺してやろう。死ねれば人間、壊れれば機械だと照明できる」

 不意にぞっとするような凄みのある笑みを浮かべて男は言い、腰の光剣のホルダーに手を掛ける。決して冗談ではない。頭がそう理解した途端恐ろしくなって、気付けば声も出せないまま首を横に振った。
 たっぷり数秒間私たちは見合っていたが、やがて男は息を吐いた。そのまま、無言で光剣から手を離し、あの建物に取りに戻ったらしいものを取り出す。それは、注射器のようだった。
 唐突すぎてついていけずに黙って見ていると、男は注射器の針の先を私の左手に持っていく。一体何を打つ気か、と怖くなって逃げようとすると、さらに強い力で押さえつけられた。と、同時に針の先端が皮膚の内側に入っていく。
 「っ、これ、何ですか…!?」
 「自分の傷を平気で掻きむしる癖に、打たれる薬は心配か?」男は嘲笑を浮かべた。「アンドロイド用の麻酔のようなものだ。これで出血と痛みは止まる。身体機能も多少麻痺するがな」
 その言葉は本当だった。注射針が体内から抜き取られるころには、痛みは殆どなくなっていた。ついでに身体機能の麻痺というか、緩やかな眠気まで訪れてくる。ぼんやりした頭で、私の傷の応急処置を終えた男がエアカーの運転席に乗り込むのを見ていた。
 (手当て、してくれた?…私が痛いって言ったから…?でも、どうして)
 尋ねようとしたけれど、何となく言い出せない。
 私はしばらく隣に座る男を盗み見たりしたが、程なくしてエアカーが走り出す振動が身体に伝わると眠りに引き込まれていった。


***


 それから、エアカーの助手席でうつらうつらと眠ったり起きたりを繰り返すうちに、私はまた夢を見た。
 今度は子供の頃の夢だ。
 両親がいて、兄弟がいて、友達が家に遊びに来る夢だった。夢の中の私は楽しそうにしているのに、一方で、現在の私も別の場所にいてその様子を見ていた。
 ここにいる私は本物ではない。あの家族は、友人は、ここにいる私のものではない。
 ――私は彼らを好きだった記憶を持つのに、彼らからすればこの私は不要なのだ。
 眠りの中で何となくそんなことを考える。いつも泣くときのはっきりとこみ上げる悲しさではなく、ぼんやりとした寂しさが緩やかに拡がって、私は泣いていた。


 ふと目を覚ますと、エアカーは停止していた。
 辺りはすっかり暗くなっていて、建物のようすははっきりとは見えない。街灯やネオンの明かりが闇の中に浮かび上がっている様は、見知らぬ街も私の記憶にある街もさほど違いはなかった。
 私は涙に濡れた頬を拭いながら、隣の男の様子を伺う。男は全身黒衣ということもあって、殆ど闇に紛れるようにしてそこにいた。ネオンの光が照らし出すその容貌は、ほとんど血の気が見えず私などより余程造り物めいて綺麗だった。
 「…ここは?」尋ねる私の声は、思ったより掠れている。
 「まだ着いたわけではない。検問だ。アンドロイドが逃亡したらしいな」
 「私のことですか?」
 「違う。お前はまだ未登録で所有者もいない。これは逃亡にはならない。…だが、厄介だな。所有者のないアンドロイドは国が没収する決まりだ」
 没収?そうしたらどうなるのだろう?
 ぼんやりとした頭で疑問に思ったが、問いかける時間は無い。前方から警官らしい制服の人物が、こちらへ歩いてくるのが見える。その肩の周囲には赤い目のようなカメラを持つ小型ロボットがふよふよと浮遊しながら付き従っている。
 「普通に…いや、大人しくしていろ。反抗的な態度は取るな」
 言い直した男の言葉は、失礼にも手の付けられない乱暴者に言って聞かせるかのようだ。が、ここで言い返してはさらに“手が付けられない”と思われそうなので、黙って頷く。
 そこへ、丁度警官が到着した。


 警官は、一瞬舐めるような目つきでこちら見てから、男に話しかけた。その目つきに嫌なものを感じて、私はコートの裾を握りながら視線を避けて俯く。
 先程私は警官に保護してもらった方がいいかもしれないなどと密かに考えていた。けれど、あの舐めるような目つきは思い出しても不快で、保護どころか余計危険そうなので諦めることにする。そして、俯いたまま男と警官の話し声に耳を澄ませた。
 「…そちらはアンドロイドですね?負傷しているようですが」
 「ああ。稼動した途端逃げようとしたので、少々仕置きをしたまでだ」
 何の感情もこもらない男の声。言っている内容は犯罪に近い。
 警官の前でそんなこと言って大丈夫なのか、と私は頭の隅で気を揉んだが、
 「そうですか」嫌らしい笑みを含んだ警官の声が相槌を打った。「アンドロイドに躾は大切ですからね。誰が主人かきちんと理解させておかなければ。――それでは、念のためシリアルと所有者の確認をさせて下さい」
 「所有者は俺だが、登録はまだだ。コレは出来上がって間もないからな」
 「分かりました。登録しますので、IDを」
 頷いて男はカードを取り出した。すると、警官の周りを浮遊していた小型のロボットが、その目に当たる部分から赤い光線を出してカードの表面を読み取っていく。

 『ID13268−R−3211、レクター・ハミルトン』

 ロボットが機械そのものの音声で読み上げる。それを聞きながらあまり似合わない名前だと思っていると、警官が私に顔を上げるように言う。前もって男に注意を受けていたので、私は素直に顔を上げた。
 と、ロボットの発する光線が私に向けられた。
 まぶしい。
 そう思ったのは一瞬で、その直後様々な情報が勝手に頭の中に流れ込んでくる。見知らぬ街の風景、知らない人の顔、様々な事件に関する情報、幾枚もの写真――これは、あのロボットの記憶なのだろうか?まるで、他人の走馬灯を見ているかのような情報の洪水だ。
 情報が流れ込んでくると同時に、何かが頭の中を探っているような感覚がある。きっと、あのロボットにも私の情報が流れ込んでいるのだろう。根拠もなく、そう確信した。

 『シリアルn−0023、、所有者ヲ登録シマシタ』

 ゆっくりと引いていく情報の洪水に呆然としながら、私は遠く機械の声を聞いた。



***



 「あの…レクター・ハミルトン、さん…?」

 再び走り出したエアカーの中、私はそっと男に声を掛けた。すると男はあっさりと「それは偽名だ」と言う。
 「…いいんですか、警察相手に偽名を使って」
 「構わん。“レクター・ハミルトン”はそのために用意した偽名だ」
 ということは、他にも別の用途の偽名があるのだろうか。それはつまり、真っ当な人生を歩んでいない証拠じゃないのか。一瞬思ったが、別に尋ねる必要もないのでそれに関しては黙っておくことにする。
 「あの、とにかく…これからどこへ向かうんですか?」
 「俺の家だ。お前の製作者からお前のことを押し付けられた。奴が戻るまでは保護してやる」
 「保護って…そんなご迷惑を掛けるわけには」
 私は思わず言った。今の私には行くあてもない。知る人もない。けれど、“保護”ということはこの初対面の男に迷惑を掛けることに他ならず、気が引けた。
 しかし、私の言葉に男は鼻で笑った。
 「アンドロイドが一人で生きていけると思うのか?何故人工生命のアンドロイドが生身に近い身体を持つと思う?」
 そうして、男が語った内容は衝撃的だった。


 アンドロイドが生身の身体を持つのは、人が玩具にするためだという。
 人間の女性と違って、合意を得る必要もない。強姦も罪にならない。さらに身体のパーツ交換も可能で、多少手荒に扱ったところで修復できる。四肢切断などの嗜好を持つ者がその欲望を満たすためにアンドロイドを使うこともあるらしい。
 また、アンドロイドが感覚や感情を持つのも、同じ理由だ。人はアンドロイドが嘆き、苦痛を感じ、快楽を覚える様を鑑賞して楽しむのだという。


 私はそんなものになってしまったのか――驚くと同時に怒りを覚えていると、男がちらりとこちらを一瞥した。
 「その左腕」
 「え?」
 「それではアンドロイドとして価値が下がる。いずれは交換することになるだろう。――その方が痕も残らず、治癒する時間も省ける」
 言われた内容に驚いて、私はぎくりと動きを止めた。
 この腕を、取り替える?そんなことは――嫌だ。こみ上げてくる強い反撥心に動かされて、男を見据える。
 「その方が痛くなくて傷跡が残らないとしても、嫌です。たとえ役に立たなかったとしても、結構怖がりなのにあのとき銃を持った男に跳び掛っていけた自分を、誇りに思います。だから、この傷は痛いけど、無かったことにしたくない。――ちょっと怪我したくらいで下がる価値なんか、私は要りません」
 一気に言い終えて、しばらく男の横顔を睨んだ。
 たとえアンドロイドだろうと、記憶の中にある自分の在り方を変えたくはない。
 だから、このまま放り出されてもいいと思う。そうして結局生きていけないなら、死ねば(壊れれば)いいのだ。
 と。
 唐突に男が唇を撓らせるようしにて、笑みを作った。同時に、低い笑い声が耳に届く。
 「外見も思考も、お前は規格外だな。――面白い。俺がその身柄、引き受けてやる」
 「え?でも…」男が楽しそうな理由が分からないまま、私は曖昧な返事をする。「さっきも言ったように、あなたのご迷惑になってしまいますし、」
 「何を言っている。これは提案ではなく命令だ。俺がお前を所有する」
 「は???」
 今度こそ、私は目を丸くした。
 男の言うことは滅茶苦茶だ。そもそも、私のことは製作者から預かるように頼まれていると言っていなかったか。それを自分が所有するなど、製作者の依頼を無視することになる。
 その点を指摘すると、男は事も無げに「頼む方が悪い」と断定してしまった。
 (本当に、いいのかな…)
 そう思いはするのだが、アンドロイドとして知らない誰かに売られるくらいなら、見知ったこの男に所有される方がいい気がしたのも事実だ。迷いを振り切るように小さな息を一つ吐いて、私は尋ねる。
 「これから、少なくともしばらく、私はあなたのお世話になるのですよね?――なら、私はあなたを何とお呼びしたらいいですか?」
 「俺の名はシキだ」男は真っ直ぐにこちらを視線で射抜いて言った。



 「お前の主の名だ――忘れるな、







前項/次項
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