あなたが神さまになってくれればよかった 3 午前0時15分。 シキは自宅の居間で調べものをしている。 調べているのは仕事に必要な情報で、本来なら昨日のうちに終えてしまうはずだった。けれども、知り合いから突然頼み事をされ、その頼み事が予想以上に厄介で、挙句の果てにアンドロイド一体を拾ってしまったので手が付けられなかったのだ。 カタカタと音を立ててキーボードを叩いていると、テーブルの上で通信端末が小さな音を立て始める。手を止めて通信端末に触れると、端末はシュンと音を立てて空中にとある人物の立体映像を映し出す。 『――おはよう』空中に投影された男は言う。 「こちらは深夜だ」 ひどく不機嫌な表情になって、シキは立体映像の男――nを睨んだ。 *** 友人というわけではないが、ただ知ってはいる。 自分たちの関係はその一言に尽きる。 頼み事をされるほど親しい間柄では、決してないはずだ。 シキはとある小国の出身で、以前はその国の軍に属していた。 機械工学を専門とする技術者で、軍の研究施設で兵器や兵士の代替品としての機械型アンドロイドの研究に関わっていた。とはいえ、研究ばかりしていたわけではない。度々前線に従軍して、戦火の中で整備や修理を行うこともあった。 同じくnも軍の研究施設の所属であったが、知り会ったのは研究所内ではなく戦場だった。nは諜報に使う半有機体アンドロイドの開発に携わっていて、自ら製作したアンドロイドの諜報活動のサポートのために前線に来ていた。結局、そのときは知り合ったとは言っても、顔を見た程度で親しくなることはなかった。 程なくして、祖国は無理な戦費の支出がたたって破綻した。 そして、国連の統治下に置かれることになる。 当時の混乱に紛れて、シキは祖国を出た。亡命などという立派なものではない。ただ単に“枷”が多くなったので祖国を出て、他の土地に居ついたというだけの話だ。そこで、技術者ということを見込まれて職を得た。 ただ、考えることは皆同じらしい。 同じ土地に流れてきた者の中に、知り合いが混じっていた。それが、アンドロイド製作者――いわゆる<人形師>――となったnだった。 その気になれば他の研究機関でもやっていけるのに、なぜ<人形師>なのか。 いま一つアンドロイドを好きになれないシキには、それは理解しがたい選択だ。 しかも、今回は押し付けるように頼み事をされたのだ――不機嫌にもなる。 *** 「厄介なモノを押し付けてくれたな。人工羊水のカプセルを自ら壊す、銃を持つ人間に跳びかかる…アンドロイドとしては規格外のじゃじゃ馬だ」 『というと、もう目覚めたのか?』シキの不機嫌も意に介さず、nはのんびりと目を丸くして見せる。『予定よりかなり早いな』 「どういう予定か知らんが、聞きたいことがある。――アレに植えつけたのは誰の記憶だ?実在の人間の記憶を焼き付けたアンドロイドなど造って、あれは確実にコストオーバーだろう。一体何の得がある?」 『――“見た”のか』 「あぁ」 アンドロイドに人間の記憶を焼き付けることは、本来禁止されている。 通常のアンドロイドと扱いを区別すべきか等の倫理的な事柄がクリアされていないのがその理由だ。それに加えて幼少時からの記憶を全てデータ化している人間など殆どいないため、完全に同じ人格を持つアンドロイドが作り出せないという問題もある。 ただ、今回nの作ったアンドロイド――の反応はどう見ても製作段階で誰かの記憶を植え付けたとしか思えない。 そこで、シキは傷の手当が終わると眠り込んでしまったの記憶を解析した。彼女の記憶は複雑に暗号化されていて解析はできなかったが、シキとしては実在する人間の記憶を植え付けたことが分かればそれで良かった。 『誰の記憶かは、言えない。――に焼き付けたのは80年前までの記憶だ。完成したら、本人に引き渡すことになっていた』 「引き渡す?本人はまだ生きているのか?」シキは思わず驚きの声を上げる。 の外見は20代初め。焼き付けられた記憶の分量も、大方そのくらいだろう。 そこから80年といえば、本人は100歳程度になる。長寿とはいっても有り得ない年齢ではない。けれども、100年分の記憶をデータ化して保存してきたなど、本人は一体どんな人間だというのだ。 驚きはしたが、シキはすぐに詮索を止めた。裏の世界では情報は生命にも等しいが、無用な好奇心はただの害にしかならない。そこで気分を変えるように目を閉じ、息を吐くとnに告げた。 「本人に引き渡すのはやめておけ。アレはアンドロイドにしては我が強すぎる。同じ記憶を持つ自分のオリジナルと対面しようものなら、確実に壊れるぞ。その上、アレは既に傷物だ」 『傷物?…お前のアンドロイド嫌いは有名だったはずだが、まさか、』 「違う。そちらではない」全く無実の疑惑を掛けられて、シキは不機嫌に遮る。「お前の留守中に<人形>を盗みに来た“客”に刃向かって、肩を撃たれた。その上、本人が傷跡が残ろうと腕の交換など嫌だと我が儘を言った」 あの後、シキの自宅に着いてからが大仕事だった。 交換でなくあの銃創を治癒するとなると、専門家の手当てが要る。けれどもはアンドロイドとしては規格外であるため、気安く医師に診せるわけにもいかない。 結局、同郷でシキやnと同様にこの地域に住み着いた源泉という男の手を借りた。源泉は、nのかつての上司にあたる。軍ではnと同じように有機体アンドロイドの研究をしていたが、今は製薬会社に努めている。 突然呼び出された源泉は、嫌な顔をしながらも来て、「俺は医者じゃない」と文句を言いつつ、の手当ては丁寧にしたが――悪ふざけの好きな男だから後で何を言われるか分かったものではない。 なぜ製作者よりも自分の方が面倒を負っているのか、今一つ納得がいかないところだ。 『我が強い、か。確かに、本人への引渡しは止めた方がいいようだ。――それならはお前が引き取るか?』 「あぁ、並みのアンドロイドと違ってアレは面白いからな。もとより貰い受けるつもりだった」 『ずいぶん気に入ったようだな』滅多にないことに、nは微かに笑みを浮かべる。『こちらが片付いたら俺もに会いたい。…あの人の記憶を持つ娘がどんな風なのか見てみたい』 プツン。 小さな音を立てて、通信はそこで途切れる。 シキは沈黙した通信機を一瞥すると、何事も無かったかのようにキーボードに向かった。 End. お題配布サイト『is』より 「あなたが神さまになってくれればよかった」 目次 |