・主人公以外の、男性同士の性描写を含みます。
・月経ネタあり注意。




せをむけてはいけません



 女の身体は、何かと不都合が多いものだ。

 アキラは、身体を丸めて呻くの背中を見ながらそう思った。
 <ヴィスキオ>の<王>である彼女は、本日体調不良のために休暇をとった。そして、朝からこうして同時に訪れた頭痛と生理痛に耐えている。本人には申し訳ないことだが、普段アキラと共有している大き目のベッドで、痛みを堪えて仔猫のように丸くなった様子は少し滑稽で可愛らしかった。
 もちろん、アキラはそんな感想は口に出さない。が鎮痛剤を呑むために使ったグラスを受け取って手近にあるテーブルの上に置いて、彼女が背を向けた側のベッドの端に静かに腰を掛けた。
 その振動を感じ取って、が肩越しに振り返った。アキラの姿を確認するだけで、その姿勢すら辛いのかすぐに背を向けてさらに丸くなってしまう。
 「まだ痛い?」アキラは彼女の背に尋ねた。
 「…まだ、薬が効いてきてないから…いたい…」
 返事する声には張りが無く、アキラは“重症だな”と思う。同時に、素直に自分に痛みを訴えてくれることを嬉しく思った。

 基本的に、は弱音を吐かない。
 痛みに強いのか性格なのか、休める時間が無いときには身体の方が音を上げるまで体調不良を耐えていることもあるようだ。“ようだ”というのは、そういうとき彼女は誰にも訴えないのでアキラの推量の結果である。
 また、彼女は弱音を吐けない状況でもある。
 <ヴィスキオ>は伝統ある組織らしいが、はその中で初めて女で<王>となった。そのため、出来る限り男と同じように在ろうとしたし、周囲もそれを望んでいた。そうでなければ、<ヴィスキオ>を率いていくことができないのだ。
 そんな事情から、今回の体調不良についてもは部下や側近には月経と言わずに風邪だと説明している。アキラにのみ事実を明かしてくれたのは、彼女なりにアキラに気を許している証拠だった。

 アキラは<ヴィスキオ>の中では、<王>の愛人という位置づけになっている。
 今のところがアキラ以外の誰とも情交をしないことからすれば、その位置づけは間違いではないのかもしれない。ともかく、そういう身分であるために、アキラはの私室で共に寝起きしている。自然と、彼女が<王>としての立場のために隠している部分も知るようになった。
 <ヴィスキオ>の部下や側近も知らない部分を知る度に、アキラは密かに彼女が少しずつ自分のものになっていくような満足を覚えた。
 自分がそうであるように、も自分だけを見るようになればいい、とアキラは思う。
 それ程に、彼女を渇望している。


***


 との出会いは、鮮烈だった。

 <ヴィスキオ>には、その首領である<王>の地位を世襲する慣習があった。
 ニコルウィルスを持つ者の血を原料に麻薬であるラインを生産する。生産したラインを<ヴィスキオ>が独占して流通させる。そのために、ニコルウィルスを持つ血は<王>という地位への正当性の証とされた。
 は、妾腹ながらも<王>を出す血筋の娘だった。
 アキラは、彼女の父親が<王>であった末期の頃に<ヴィスキオ>に拘束された。何をどのように調べて結論に至ったかは不明だが、拘束の原因は突然変異してニコルウィルスの中和作用を持つアキラの血だった。そのために、当初アキラは<ヴィスキオ>内の研究所でモルモットとして扱われた。
 それが変化したのは、<王>が代替わりしたせいだ。
 の父が急死した後、そのままなら跡目は彼女の腹違いの兄が継ぐはずだった。しかし、その兄は失踪してしまい、ドサクサのうちに<王>の側近であった男が継いだ。
 この男が曲者だった。
 男は“そちらの趣味”があったらしく、なぜかアキラに目を付けて犯すようになった。それも、通常の行為の他に度々無体なことさえも要求してくる。もちろん、初めはアキラも抵抗した。が、アキラをモルモット程度にしか見ていない<ヴィスキオ>の連中は誰も手を差し伸べず、やがてはアキラ自身も望みを捨てた。
 あとは従順に従い、男が無体を言わないように願うことしかできなかった。

 そんなある日、男が突然アキラの下を訪れた。
 本来ならば執務中の時間帯のことだ。しかも、男はひどく怯えて、アキラには理解できない言葉を絶えず呟いていた。そうして、急にアキラを押し倒し、犯し始めた。
 「――あれは、生まれつきニコルを持たなかったはずだ…それが、保菌者だと?…そんな馬鹿な…」
 男はアキラを犯しながら、呟き続けていた。
 当時、アキラは囚われの状況が続くなら死にたいとぼんやり願っていたが、死を望んでいてさえ男の様子は恐ろしかった。死にたいと願ったことも忘れ、抱かれながら男が何事もなく自分から離れることをひたすら念じていた。
 けれど、そんなときでも無体な行為に慣らされた身体は快楽を拾い上げる。行為に没頭する男の背後でドアが開いたときには、アキラの思考は恐怖と痛みと快楽と嫌悪とで殆ど機能していなかった。

 「最低ね――最後の最後に執着するのがこんなことだなんて」

 冷ややかな声がして、次の瞬間アキラの身体に暖かな液体が降りかかる。そのきつい臭いとべたつく感触に意識を引き戻され、アキラは自分に覆いかぶさる男の身体から頭が消えている様子を目にした。
 「あ…あ…、」
 死んでいる。――理解した瞬間、恐怖が競りあがってくる。けれども、恐怖のあまり身体が動かず声も出ず、アキラはただ目を見開いて男の死体を見つめることしかできない。
 そのうち、死体が動いた。男の首をはねた何者かが死体を掴んでアキラから引き剥がしたようだ。その拍子にいまだ内部に留まっていた男のものが抜けていき、快楽よりは不気味さと嫌悪感にアキラは喘いだ。
 そして、乱れた息のままアキラは自分の正面に立った人物を見上げた。

 それが、だった。

 彼女は<王>の地位を得るために、<王>であったあの男とその一派を粛清した。そのような手段を取ったのは、いくらニコルウィルスを持つ血筋とはいえ女である彼女が<王>になるには反対も多く、それを抑えるには力でその正当性を証明しなければならなかったからだ。
 そして、力があることを証明できれば、<ヴィスキオ>はどんな人間であろうと<王>として認めた。
 あの日、彼女は男の取り巻きを殺し、男を追い詰めたが取り逃がした。それを追って直接来たので、アキラが初めて見たとき彼女は返り血に全身を染め、血刀を引っ下げて鬼気迫る様子だった。けれど、外見の凄まじさならアキラも同じだ。半裸で汗と唾液と精液に汚れ、その上に男の血を浴びている。
 お互いに、そんな凄惨な姿で見つめ合った。目を離すことができなかった。

 「――大丈夫」

 唐突に、彼女が口を開く。その声で、我に返った。気付けばちょうど彼女が害意のないことを告げながらゆっくり近付き、床に膝を付いてアキラと視線の高さを合わせたところだった。
 彼女はすぐ傍にある低い寝台からシーツを引き剥がした。そのシーツの端でアキラの頬を拭おうとすると、その手とアキラの頬が触れて微弱な電流がった。
 「…」彼女は驚いて目を丸くしてから、納得したように頷く。「そうか、あなたの血は非ニコルですものね。私の中にあるニコルウィルスと反発するんだわ」
 「…反発?」
 掠れた声で問い返す。けれど彼女は「ごめんなさい」と断ってアキラの顔の汚れを拭い、しばらく答えなかった。
 答えの無いことは少し残念だったが、アキラは催促しなかった。拘束されて以来、問いかけても嫌がっても聞き入れられることは殆ど無かったので、慣れている。そして、それ以上に彼女が頬を拭う手が優しく、少しでもいいから黙ってその手つきを感じていたかった。
 「…機密だから、詳しいことは言えないの。でも、もう誰にもあなたをこんな扱いをさせない」
 彼女はそう言うと、ふわりとアキラにシーツを被せて立ち上がる。

 「様!」

 不意にばたばたと数人分の足音がして、そう広くない部屋の入り口に人だかりができた。部屋の外の方が明るいために逆光になり、アキラは入り口に立っている人間の人数や顔を見ることができない。彼女がその人影を振り返る様子だけが分かった。
 「すぐに彼をここから出して下さい」彼女はアキラに掛けた声の優しさが嘘のように、冷たい声で言った。
 「しかし、様――いえ、<王>…それでは研究が、」
 「研究は、彼を常にここに監禁しなくとも出来るはずです。彼をこのように扱うことは、今後一切なしにしましょう。部下や研究員たちにも徹底して下さい。彼は、」

 非ニコル――私と対になる血を持つのですから。


***


 結局、自分との血が引き合うことが問題なのだとアキラは思う。

 あの強烈な出会いの後、は言葉通り(拘束したままではあるが)アキラを丁重に扱った。それまでと比べれば格段に、アキラは人間らしい扱いを受けるようになった。勿論は倒錯した性癖の持ち主では無かったので、前任者のようにアキラを犯すこともなかった。
 それが今のような愛人関係になったのは、傷の治療に似ていた。
 あの男によって過度の行為に慣らされたアキラは、時折身体が疼くことがあった。恥じて抑えてはいたが、そのうちどうしようもなくなった。それに気付いての方から、情を交わすことを提案したのだ。当時彼女はまだ情交の経験がなく、初めての行為はぎこちないものとなった。それでも、不思議なことにとの行為でアキラの身体の疼きは嘘のように治まった。
 そうしてなった今の関係だが、結局は同情から始まったものだ。そうして今も、の優しさで続いている。彼女は愛人を持つほどアキラにも恋愛にも行為にも執着がない。“愛人関係”と言うが、普段は家族か友人のように穏やかな関係だし、情交のときも(倒錯した行為を身を以って知るアキラからすれば)じゃれているようなものだ。はいつでもあっさりとこの関係を終わらせることができる。
 それが、アキラは嫌だった。あの日から自分がしか見えていないように、彼女も自分を渇望すればいい。
 そう思うと、身体の内側で血が熱くなるのを感じた。

 喰らえ。
 喰らって、取り込んで、全てを我が物にしてしまえ。
 そうして一つになれば、相手は余すところなく自分のものだ。

 奥深いところで血が叫んでいるのが分かる。
 それにつられるように、今すぐ彼女を押さえつけて犯したいという獣じみた衝動がこみ上げてくる。いつものじゃれあいのような軽い行為でなく、無体なこともして、泣かせて、悦ばせたい。そうして、正気なんて全て溶かしさって、血が求めるままにアキラだけを欲しがるようになればいい。
 とアキラの血は反発する作用があるせいか、時折こうして相手を喰らい尽くそうとするかのような欲求をもたらすのだ。特に、相手が弱っているときには。
 もっとも、女であるが同様にこういう欲求を感じるのか、アキラには分からなかった。彼女も同様だと分かれば少しは胸が空くのだろうけれど。

 操られるように、アキラはの肩に手を伸ばす。そして、触れる寸前で、

 『大丈夫?』
 『ごめんなさい』

 初めて会ったときのの優しい手を、声を、表情を思い出した。アキラは、とっさに手を止めた。
 (――危なかった…)
 中途半端に手を伸ばしたまま、アキラは小さく息を吐いた。
 彼女を犯したい喰らいたいという欲求は、常に身のうちに潜んでいる。その一方で、彼女との何気ない時間や優しい関係を失くしたくないと思う自分がいる。少なくとも、今はまだ、彼女が作り出す陽だまりの中にいたい、とアキラは思うのだ。

 だから、まだ自分の中の獣の好きにさせるつもりはない。


***


 「…アキラ?」

 背後の気配に不審を感じたのか、がアキラの名を呼んで寝返りを打つ。あ、とアキラが思ったときは既に遅かった。中途半端に差し伸べたアキラの手と彼女の頬が触れてしまった。
 ぱちっ。
 触れ合った箇所から微弱な電流が走る。
 ニコルと非ニコルの反発作用なのか、アキラとが皮膚を接触させると、こんな電流が流れることがある。毎回というわけではなく、気が昂ぶっているときにそうなることが多い。行為の最中は仕方ないし刺激の一つにもなるが、日常生活では不便なので、アキラもも互いに触れるときは気を静めてからにする癖がついていた。
 ただ、今回は不可抗力だった。アキラの先程の衝動がまだ収まりきらないところへ、が突然身動きしたのだから。
 「ごめん、大丈夫?」
 電流が走った部分が部分であっただけに、は鳩が豆鉄砲を喰らったようなでアキラを見ている。その表情が滑稽で、アキラは言いながら笑いを堪えた。
 「――びっくりした。でも、大丈夫。…アキラ、どうかした?」
 「どうもしない。少し、いろいろ考えただけだから」
 「そう」
 はやや心配そうな表情でアキラを見たが、それ以上聞かない。アキラに思い出したくない過去や話したくない出来事があったことを知っているからだろう。けれど、心配されるほど殊勝なことを考えていたわけでないので、アキラは申し訳なくなった。
 「大したことじゃないから」
 そう言って、の額に手を伸ばした。は電流が走るのを予測して、目を瞑る。そのあどけない仕草を微笑ましく思いながら、アキラは壊れ物に触れる慎重さで額に手を置いて前髪を梳いた。
 今度は、電流は感じなかった。



 「少し眠った方がいいよ」
 髪を梳きながらアキラが言うと、は素直に頷いた。
 「晩ご飯には起こしてね」
 「…食べられる?」
 「詰め込んででも吐いてでも食べる。でないと、明日身体がもたないもの」
 返答を聞いてアキラは目を丸くした。
 何というか、彼女は妙なところで根性がある。そんな風だから<ヴィスキオ>を率いていられるのだろうが、年頃の娘としてはどうなのだろう。とりあえず内心突っ込んではみるが、それでもアキラはのそういうところも気に入っているのだ。
 「了解」
 少し笑って言うと、アキラはベッドから腰を上げて部屋を後にした。




End.
配布元:『rewrite』“猛獣の飼い方10の基本”より
「せをむけてはいけません」


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