僕らが別個のものだとして







 灯りを落とした部屋の中に、微かな吐息が響く。
「んっ……。……ふっ……ぁ……」
 冬も終わりに近づき、少しばかり寒さが緩んできたその日も、雷蔵は布団の中で三郎と身を寄せあっていた。湯上がりにまとった夜着はすでに脱ぎ捨てられ、布団の外に蹴り出されてしまっている。
 一糸まとわぬ素肌をぴたりとくっつけて、二人は互いの身体をまさぐりあった。口を吸って舌を絡める。硬く張りつめた性器を擦りあう。興奮のままに幾度となく体勢の上下を入れ替えながら、互いに愛撫を施していく。ぴたりと隙間なく抱き合って、お互いの張りつめたものを擦りつけあっていると、互いの身体の境目がなくなっていきそうだった。
 ――溶けてしまいそう……。
 ふわふわと拡散する意識の片隅で、そんな風に思う。と、そのときだった。上になっていた三郎が手を伸ばし、雷蔵の腿の間に触れた。後孔の表面を指先で撫でる。途端、拡散していた意識が戻ってきて、雷蔵は身を固くした。その反応は、身体をくっつけあっている三郎にも伝わったらしい。
 三郎は顔を上げ、気遣うように雷蔵を見た。
「……ごめん、雷蔵……。嫌だった……?」
「だい、じょうぶ……」
 ふるふると首を横に振って、雷蔵は言った。けれど、身体の強ばりは解けないままだ。
 舌足らずな雷蔵の返答に、三郎はへにゃりと笑った。安心させようとしたらしいその笑みは、けれど、困っているようにも、今にも泣き出しそうにも見える。
「さぶろ……。あの、……僕……」
「いいんだ、雷蔵。こういうことは、無理する必要はないんだよ。私が抱かれるのもいいし、いつか君がしたくなるまで待っていてもいい。……でも、今日のところはお互いの熱を鎮めてしまおうね」
 三郎は雷蔵を抱きしめ直し、再び動き出した。腰を重ねるようにして、互いの性器をまとめて手で擦り立てる。
 自分の手でするのとは桁違いの快感に、雷蔵は小さくあえぎ声を漏らした。けれど、さきほどのように自分と三郎の境界線がなくなるような、あの感覚はもはや訪れない。頭の片隅に理性の残るまま、押し上げられるようにして達する。
 ほぼ同時に、三郎も精を放ったようだった。温かな液体が下腹部を濡らす感覚。その直後に三郎の身体が崩れ落ちてくる。雷蔵は乱れた呼吸を整えながら、彼の身体を受け止めた。


 行為の後始末を終えた雷蔵と三郎は、少々気まずいながらも一つのしとねに入っていた。互いに向き合って手をつなぎ、足を絡めたりして、眠りに落ちるまでの間ゆるゆると戯れる。雷蔵が三郎とこうした関係になったのは、ごく最近のことだった。
 一年生の頃から、雷蔵にとって三郎は特別な相手だった。座学でも実技でも上を行く彼に憧れていたのだ。そんな三郎がなぜか雷蔵の姿を模するようになってきたときも、嫌な気分には少しもならなかった。むしろ、三郎とより親しくなった気がして、嬉しかったくらいである。
 時が経つにつれて三郎が雷蔵の変装をする頻度は増えていき――三年に上がる頃には、四六時中になった。それこそ、雷蔵以外の変装は悪戯か授業のためにする、というぐらいに。そうするうちに、いつしか雷蔵と三郎は『ろ組の名物コンビ』とか『双忍』とか、何かと二人組で呼ばれるようになっていた。
 そんな二人が恋仲になったのは、四年に上がったばかりの頃だ。ふとした拍子に雷蔵が三郎に親友として『好きだ』と言ったのを、彼は恋愛のそれと受け取った。三郎に『私も愛してる』と返されて、雷蔵はひどく驚いたものだった。けれど、よくよく考えてみれば自分の三郎への感情も恋心のようなものではないか――。
 結局、同じ“ろ”組の竹谷や“い”組の久々知、尾浜ら親しい友人に迷惑を掛けたものの、紆余曲折の末に雷蔵と三郎は恋仲になった。恋仲といっても、最初は親友の頃とほとんど変わりなかったけれど。それでもこの一年足らずの間にゆっくりと、手を繋ぐようになり、口吸いをするようになり。春休みに入った頃――多くの生徒が帰省する中、長屋に残った雷蔵と三郎はひっそりと息をひそめて互いの熱を散らしあうようになった。
 けれど、その行為はまだ最後まで至っていない。
 男同士であっても、熱を散らすだけでなく、身体を繋げることもできるのだということは雷蔵も知識として持っていた。三郎もまた知っているのだろう。時折、先ほどのように雷蔵を抱きたそうにするときがある。そういうとき、雷蔵はいつも身が竦んでしまい――三郎は苦笑して諦めるのだった。
 熱を散らしあうだけなら、ごく自然に互いの境界が溶けてなくなるような心地になれる。それなのに、抱く抱かれるという立場が生じると、一気に自分と三郎が個々の存在になってしまう。その感覚にどうにも違和感を覚えるのだ。
 三郎は先に進みたがっている。それなのに、追いつくことができない。そんな現状に、雷蔵はどうしても焦ってしまう。抱かれることに抵抗があるのなら抱く側になるか、とも三郎は言ってくれるのだが――それも何だか違う気がしていた。もっと自然にしっくりくる在り方があるのではないか――そんな風に感じる。
 これは自分の迷い癖のせいなのだろうか。そうだったとしたら、三郎に申し訳ない……。
「……らいぞ……?」
 囁くような三郎の声で、雷蔵は我に返った。闇の中で光る三郎の目と視線が合う。
「えっと……三郎……?」
「何、悩んでるの? ……さっきのこと……?」
「うん……。ごめんね、すぐに決められなくて……」
「さっきも気にしないでって言ったのに」
「……僕だって三郎と抱き合いたい気持ちは一緒だよ。でも、抱くのも抱かれるのも、何だかぴんと来なくて……。触りあってるときはまるで自分と三郎が溶けて一つになった気がするのに、そこから先に進もうとすると我に返ってしまって……」
「らいぞ。焦らないで」三郎の腕が伸びてきて、雷蔵の身体を腕の中に抱き込んだ。ゆるゆると背中を撫でながら、優しい声で囁く。「君がそんなに私のことを想ってくれているだけで、私は満足なんだから」
「でも、こんなんじゃ……」
 こんなんじゃ、いつかお前は僕に飽きてしまうよ――その言葉を雷蔵は飲み込んだ。甘えるように三郎の胸元に顔を寄せる。
 三郎は穏やかに雷蔵の背を撫で続けた。
「あのね、雷蔵、私は一年の頃から君が好きで恋仲になりたいと思っていたんだよ?」
「マセた子だね」
「まぁね。今みたいに不埒なことをしたくなったのは最近のことだけど、それでも恋心を自覚していた期間は君より長い。だからね、君よりも気持ちが先に行ってるのかも」
「じゃあ、僕が立ち止まってるのを見るのはじれったいだろ?」
「ところがそうじゃないんだよ。むしろ、楽しいんだ。君の気持ちがゆっくりと、それでも私が通ったのと似た課程を経て追かけてくるのを見るのは、すごく楽しい。……だからね、ゆっくり追いついておいで」
 聞いたこともない、溶けそうに優しい声を三郎が耳元に吹き込んできた。その声の響きに雷蔵は勝手に鼓動が跳ね上がるのを感じた。
 ――狡い。三郎のそんな声聞いたら、ドキドキして眠れない。
 そう思うものの、三郎の腕の中から出ていく気にはなれない。いっそ三郎の睡眠も妨害してやれ、とばかりに雷蔵はぎゅっと三郎の腰に抱きつく。けれど、そうしてじゃれあっているうちに、いつしか二人は眠りに落ちていった。


***


 やがて、忍術学園にも帰省していた生徒たちが戻ってきた。同じ組の竹谷もその一人だ。
 夕方、三郎が廊下を歩いていると、竹谷が部屋から顔を出す。ちょいちょいと手招きされて、三郎は彼の部屋の中に足を踏み入れた。
「どうした? ハチ、宿題が終わらないのか?」
「終わったさ。馬鹿にすんなよ。……って、そーじゃなくてだな。雷蔵は何か悩んでるのか?」
 唐突に尋ねられて、三郎は目をぱちくりさせた。
「どうしてそう思った?」
「いや、何となく、朝の食堂で会ったときにそんな気がしたんだよ。で、雷蔵に悩みがあるのかって聞いてみたんだ」
「雷蔵は何て?」
「何か言いかけて、でもやっぱりやめとくってさ。言えないってことは忍務関係か? ……どうも気になって。お前、知らないか?」
「あぁ……それはたぶん、閨のことだろうな」
「はぁっ!?」
 三郎の言葉に竹谷は大声を上げた。それから、慌てて両手で口を覆う。短い間の後にそろりと掌を下げた竹谷は、うかがうように三郎の顔をのぞき込んだ。
「閨のことって……」
「雷蔵はまだ最後までする決心がつかないでいて、そのことで悩んでる。ただ、お前にそんな話をするのは気が引けたんだろう」
「じゃあ、雷蔵がためらった話をお前が打ち明けるのはよくないんじゃないか」
「そうかもしれない。だが、ハチ、お前は優しいから、私が打ち明けなければずっと雷蔵を心配し続けるだろう?」
 まぁな、と竹谷は頭を掻いた。それから、ふと何かに気づいたような表情になる。
「三郎、お前は焦らないのか? 雷蔵のことが好きすぎるお前なら、少々強引にでも最後まで事を進めたいだろうに」
 竹谷の言葉に、三郎は苦笑した。自分も男だ。確かに竹谷の言葉を実行したい気持ちもないわけではない。
 だが。
「もったいなくて、できないな。雷蔵が私を好いてくれているというだけでも、奇跡みたいなのに」
「……お前、ほんとに雷蔵のこと大好きなのな」
 小さく笑った竹谷は、下級生にするように三郎の頭を撫でたのだった。


***


 始業式を翌日に控えたその日の昼下がり、雷蔵たちは裏山でちょっとした花見の会を開いた。花見といっても本来なら桜ですべきなのだが、桜の開花にはまだ早い。代わりに、梅の花の下での宴である。
 どのみち桜が咲けば、委員会やら組やらで花見をすることになる。それでも気の早い花見を行うことにしたのは、仲のいい“い”組の尾浜や久々知が学園に戻ってきたからだった。
 仲良し五人組の中でも、尾浜と久々知は実家が比較的近い。長期の休みともなれば、二人が登校してくるのは始業式の日の朝ということも珍しくなかった。だが、滅多にないことに、今回はそれぞれ委員会の用事などで早めに登校してきている。そこで、お祭り好きの尾浜が、皆で少し早い花見をしようと言い出したのだった。
 だが、学園を出ようかというとき、運悪く三郎は教師に呼び止められてしまった。そこで、彼以外の四人で菓子などを用意して、目的の場所に向かっている。
 先に立つのは尾浜と久々知だ。彼らは並んで歩きながら、明日から始まる五年生の授業について楽しそうに話している。さすがに真面目で優秀な“い”組というところだろうか。後からついていく雷蔵や竹谷は、授業を受けないうちから教科書の内容について語り合いたいはずもなかった。尾浜たちの後ろで苦笑を交わして、取りとめもない話をする。
 最初、雷蔵は竹谷が世話している虫や獣たちの話を聞いていた。春先で冬眠していた生き物たちが目覚めてくるので忙しい、などという愚痴に相づちを打つ。そのうち、どこをどうしたものか、会話は三郎の話題になっていた。
「そういえばさ、一昨日、あいつから雷蔵が悩んでることを聞いたんだ」
「え!?」雷蔵はぎょっとして竹谷の顔を凝視した。「三郎の奴、竹谷に言っちゃったの? ……ごめん。聞きたくなかったよね……友だちのそういう話」
「え? あ、いや……。聞きたくないとか、聞きたいとか、そういうことは別に……」
 竹谷は困った顔をした。その表情に、雷蔵はしゅんと項垂れる。
「ごめんね……。だって、気持ち悪いでしょ……?」
「気持ち悪いなんて思わねぇよ。あのな、雷蔵、俺も勘右衛門も兵助も、お前と三郎のことは心配してるんだ。危なっかしいとかそういうんじゃなくて……男同士の関係は珍しくないけど、かといって男と女みたいに当たり前というわけでもないだろ。ずっと昔、貴族が世を治めててた頃には、男が男と関係を持つのは出世の手段の一つでもあったらしいし」
「あぁ……。今でもそういうところ、あるよね」
 歯切れの悪い竹谷の言葉を理解して、雷蔵は頷いた。
 大名らの間では、今でもあることだ。力ある者の娘を妻とすれば、実家の援助が期待できる。また、複数の側室を持つ大名の城では、家臣らが主の気に入りの側室に取り入って推挙してもらおうと閨閥を形成する。それは女の話だが、男であっても事情は同じ。主と閨を共にして気に入られれば、出世の道が開けるのは確かだ。
 もちろん、男同士で心から想い合う者もないではない。とはいえ、家と血筋を存続させるのが第一とされる世間である。子はかすがいとはよく言ったもので、子を成すことのできぬ男と男が男女のように永く続いていくことは、やはり稀だった。
「お前と三郎は本当に好き合ってるけど……世間じゃそういう関係がずっと続いていくのって珍しい方だろ。でも、俺はお前と三郎が一緒にいるのを見るのが、好きなんだよ。何て言うか、それがいちばんしっくりくる感じで」
「ふふふ、ありがとう」
「いや……。だからさ、好奇心でお前らの間のことを根堀り葉堀り聞く気はないけどさ、悩みがあるなら相談には乗るから。俺が気持ち悪がるだろう、とか気にせずに話してくれよ」
「うん。……三郎は、ハチがそういう風に想ってるって分かったから、僕の悩みを話したんだね」
「たぶんな。……でさ、そのとき、俺、三郎に聞いたんだよ。実際のところ、早く手を出してしまいたいのか、って。そしたらあいつ、何て言ったと思う?」
 竹谷の言葉に雷蔵は首を傾げた。
「えぇっと……うん、って言った?」
「いや。雷蔵が自分を好いてくれるだけでも夢みたいだから、先を急ぐのはもったいない、なんて言うんだぜ、あいつ」
「なっ……!」
 雷蔵は言葉を失った。
 以前から、三郎は殊更に雷蔵を好きだと言って回っていたし、雷蔵自身にも何度告げていた。それこそ、告白が頻繁すぎて日常会話の感覚になってしまうくらいに。だから、普段は三郎に好きだと言われても、落ち着いて「僕も」と返すことができる。
 けれど、竹谷から聞かされた三郎の言葉は不意打ち過ぎた。知らぬ間に頬に血が上ってきて、耳が熱くなる。なんだか、もう、だめだと思った。何がだめなのか分からないが、とりあえず三郎が後から花見に来たときに、ちゃんと顔を見られるかどうか心配だ。たぶん、大丈夫だろうけれど。それでも、胸がどきどきしていることには変わりない。
 雷蔵は赤面した顔を隠したくて、そっとうつむいた。その頭に、ぽんと竹谷の手が乗せられる。
「三郎の奴、ほんとにお前のこと好きすぎるよな。焦んなくても三郎はお前に飽きたりしないよ。だって、あいつ、お前が昼に何食べるか迷ってる間、嬉しそうに待ってるくらいなんだから」
 ぽんぽんとごく軽く頭をたたく竹谷の手の下で、雷蔵は小さく頷いた。


***


 五人そろっての花見を終えて長屋に帰ったとき、雷蔵の心は決まっていた。今夜、自分から三郎を閨事に誘って、事の最後まで至るつもりだった。無理をするなとも、焦る必要はないとも言われている。それでも、雷蔵自身がそうしたいと思ったのだ。
 夕食の後、明日に控えた一年生の入学式のことで三郎は教師に呼ばれていってしまった。学級委員長は何かと忙しいのだ。雷蔵は三郎が不在の間に入浴を済ませて、部屋に戻ってきた。
 と、ちょうどそこへ三郎も帰ってくる。
「ただいま、雷蔵」
「三郎、お帰り。帰ってきて早々で申し訳ないんだけど、頼みがあるんだ」
「何だい?」
「今夜、僕と床を共にしてほしい」
 雷蔵がきっぱり言うと、三郎はぽかんとした表情になった。
 それもそうだろう。
 どちらかというと雷蔵は奥手な性質で、普段の閨事もほぼ三郎からの誘いである。その三郎にしたって、今の雷蔵のように相手の顔を見つめて真正面から、まるで果たし合いを申し込むように誘ったりはしない。三郎はいつも、艶めいた雰囲気を作って自然に事に持ち込むのが常である。
 自分が妙な誘い方をしてしまったのは雷蔵も分かった。だが、必死だった。どの道自分には、雰囲気を作るなんて器用なことができるはずもない。遊び女のように色っぽい微笑も、生娘のように初々しい仕草もしてみせることができず、ただ三郎を見据える。
「明日は座学ばかりだし。ねぇ、駄目かな?」
「い、いや……駄目なわけがないよ」三郎は我に返った様子で、やっと口を開いた。「駄目じゃないけど、君からの誘いなんて珍しくて……」
「僕が誘うのは変かな」
「いや。嬉しいよ……すっごく」
 三郎は優しい笑みを浮かべた。これまで何度の最後まで至ろうとしたところを寸止めになって、気まずい思いをしたはずだ。今日だって、雷蔵がひそかに最後まですると決心しているものの、最後まで至ることはできない可能性だってあるのに――それでも閨への誘いが嬉しいと彼は微笑するのだ。
 どうしよう、と雷蔵は思った。泣きたいほどに、三郎が愛おしい。けれど、涙を流せば彼が驚くことは目に見えているから、唇を噛んで我慢する。
「ね、三郎。布団を敷いておくから、湯を使っておいでよ」
「あぁ、そうだね。頼むよ」
 三郎は素直に頷き、風呂の用意をして出ていった。
 その姿を見届けた後、雷蔵は大急ぎで布団を敷く。三郎が戻って来るまで、あまり時間の余裕がない。雷蔵は自分の文机に隠していた本を取り出し、ぱらぱらと項をめくった。これまで幾度か知識を得ようと呼んだことのあるその箇所。そこに書かれていることを実行するのにはまだためらいがあるが――迷っているわけにはいかなかった。


***



 やがて、三郎が戻って来ると、二人は部屋の灯りを消してから向かい合ってしとねに腰を下ろした。すでに馴染みになった手順で夜着をはだけ、相手の肌を唇や指先でたどっていく。愛撫で昂ぶりきった性器を擦り合い、互いの手の中に精を吐き出したところで、三郎がゆっくりと身を起こした。
 まだ息の整わない雷蔵の頬を撫でながら、三郎はそっと顔を近づけてきた。
「……ね、らいぞう。今夜……わたしを抱いてみない……?」
 その囁きに、雷蔵は思わず身を震わせた。内容云々よりも、三郎の声の優しく甘い響きにまで肌を愛撫されているような心地になる。一度は精を放ったというのに、まだ腰の辺りがふわふわしていた。雷蔵は三郎の言葉に答えないまま、身を起こした。やんわりと三郎の肩を押す。彼は心得たようにしとねに身を横たえた。
 おぼつかない動作で、雷蔵は三郎の身体の上に覆いかぶさった。自分がしようとしていること、したいことがそれで合っているのかは分からない。急に不安が湧いてくる。次の行動に移りかねていると、三郎が手を伸ばして雷蔵の身体を引き寄せた。誘われるままに、口吸いをする。
 そうやって唇を重ねていると、とりあえず行動したためか、自分がすべきことが分かった気がしてくる。雷蔵はそろそろと手を伸ばして、三郎の下肢に触れた。先ほど精を放ったけれど、まだゆるく芯を持っている。雷蔵が口吸いを続けながら擦ると、そこはじきに硬度を取り戻した。
 そろそろだろうか。
 雷蔵は唇を離すと、三郎の上で上体を起こして腰を浮かせた。
「……らいぞ……?」
 どうしたの? というように三郎が目を開ける。そんな彼に微笑してみせて、雷蔵は勃ち上がった三郎の性器を自分の後孔にあてがった。ようやく事態に気づいた三郎が慌てて起きあがろうとする。
 だが、遅い。
「雷蔵っ、無茶は……っつ……」
「くっ……!」
 雷蔵は三郎の性器の上に腰を落とした。自重で切っ先がどんどん奥へ進んでくる。今まで受け入れたことのない質量に身体の奥深くを拓かれる痛みと違和感に、雷蔵は喘いだ。
「いっ……た…………」
 実習や忍務で受ける傷の痛みとはまったく違う。外傷なら慣れているし、我慢もできる。だが、無防備な体内から生じる痛みは別だ。三郎に辛そうな顔を見せたくないのに、勝手に顔が歪む。涙が溢れてくる。
 頑張って自分で挿入したものの、とうとう途中でそれ以上は押しても引いても腰が動かなくなる。中途半端に三郎の性器を半ば受け入れたまま、雷蔵は途方に暮れた。
「さぶろ……ごめん……。お前も……痛い、だろうに……動けない……」
「っ……いいから……」
 局部を締め付けられて痛いのだろう。三郎は顔をしかめながらも、雷蔵の右手を取った。挿入の苦痛で握りしめられたままの拳を、ゆっくりと撫で始める。
「大丈夫? 雷蔵、そのまま動かなくていいよ。ゆっくり息をして、身体の力を抜いてみて……」
 雷蔵は言われた通りに深呼吸を繰り返した。そうすると、痛みはあるものの、身体が半端に受け入れた三郎の性器にゆっくりと馴染み始めるのが分かる。
「落ち着いた?」三郎が尋ねた。
「少し……」
「何でこんな無茶したの? 焦らなくていいって言ったのに」
「焦ったんじゃない……。僕がしたかったんだ」
「私に気を遣ってそんな風に言わなくていいよ」
「違う。本当に本当のことだ。僕がしたかったんだ……」
 どうして三郎は信じてくれないのだろう。急に雷蔵は悲しくなって、いまだ体内にある痛みも重なって、ぼろぼろと涙をこぼした。
「ら、雷蔵……。ごめん、信じてないわけじゃなくて……」
「――今日ね、ハチからお前の話を聞いたんだ。お前が僕と急いで最後までするのはもったいないから、僕の気持ちが追いつくのを待ってるって言ったって。それを聞いたら、僕、何だかいてもたってもいられなくて。どうしても最後までしようと思って……三郎がお風呂に行っている間に、自分で後ろを馴らしておいたんだ」
「君、いきなり無茶しすぎだよ」
 言いながら、三郎は雷蔵の腰を持ち上げた。その動作に合わせて腰を上げれば、呆気なく三郎の性器が体内から抜けていく。今日はここまで、と起き上がりかけた三郎の腕を、雷蔵はとっさに捕まえた。
「だめ、だめ。止めないで」
「だめって言うのがだめ。君に無茶はさせられない」
「やだっ。お願いだから、抱いて」
「だって、君、この前まで抱かれるのを怖がってたくせに」
「怖がってたんじゃない。触れ合って気持ちよくなってる間はお前と一つになれる気がするのに、抱く側と抱かれる側に分かれてしまうとまるでお前と自分が別個のものだって思い知らされる気がして……それで嫌だったんだよ。でも、今日、分かったんだ。お前と僕は別の存在で、だけど、それでいいんだって」
「どういう、こと……?」
「お前は僕と全然違う考え方をする。だから、いつもお前にはびっくりさせられるし、お前を愛しいし……それに、全然違うからこそお前の全部がほしいって思うんだ」
 信じられないというように目を丸くして、三郎は雷蔵を見つめていた。そんな彼に微笑してみせる。
「ねぇ、続きをしようよ。僕らは別々の人間で、交わることに痛みが伴うのだとしても……その痛みも含めて全部、お前が欲しいよ」
 三郎は小さな小さな声で「分かった」と応じて、雷蔵の上に覆い被さってきた。慎重に指を挿しいれて後孔の状態を確かめる。やがて、彼は指を引き抜くと、自身をあてがって挿入した。そうしながらも、雷蔵の性器に手を伸ばして刺激する。
 後孔の痛みと性器から伝わる快感と。まったく別の感覚に混乱して力が抜けたのがよかったのだろうか。今度こそ、雷蔵は三郎のすべてを受け入れきることができた。
 思わずほぅっと息を吐く。
「よく頑張ったね」
 三郎が小さく笑って、雷蔵の頭を撫でた。そんな彼に微笑を返して、そっと促す。
「さぶろ、動いて」
「でも……」
「でも、じゃないよ。動いて。痛くてもいいから。痛いのも全部、お前がくれるものは何でも欲しいから」
「まったく君は」三郎は渋い顔を作ってみせたものの、それも長続きしなかった。結局、笑みが堪えきれなかったのか、嬉しそうな表情になる。「どこまで私を甘やかすつもり?」
「そんなのもちろん、お前が僕から離れられなくなるまでだよ」
 三郎の首に腕を投げかけながら、雷蔵は答えた。痛みも圧迫感もいまだにあるはずなのに、自然と笑みが浮かんだ。










***


 翌日の昼下がり。竹谷は“い”組の二人の部屋に呼び出されていた。
 本日の議題は、『ろ組の名物コンビ』と名高い三郎と雷蔵のことである。二人は冬頃からどうも微妙な関係にあったようだのだが、昨夜、とうとう最後まで事に及んでしまったらしい。なぜそんなことが分かるかというと、普段は健康で風邪一つ引かない雷蔵が寝込んでしまったためである。これまでの経緯と今日の三郎の素振りを見ると、行為が原因で雷蔵は熱を出してしまったようなのだ。
「……しかし、何でまた新学期早々に。俺は昨日、あれだけ焦らなくていいって雷蔵に言ったのにさ。それとも、三郎が無理強いする気はないって言ったのは、嘘だったのか?」
 竹谷は、少し寂しい気分で呟いた。が、文机に向かっていた久々知は「甘いな」と断言した。
「ハチは甘いのだ。三郎は絶対に雷蔵に無理強いはしない。だけど、焦らなくていいと言われたって、雷蔵は聞かない」
「そーそー」団子を頬張りながら、尾浜も頷く。
「雷蔵が? 何でだよ。焦らなくていいって言われたら、普通は安心するもんだろ。俺に分かるように解説しろよ」
「いいよー。まず、三郎は雷蔵に無理強いする意思はない。ここまではいいとして、ハチがそれを雷蔵に言っちゃったのがまずかったね」尾浜はにっこり笑った。
「だから何でだ?」
「だって、雷蔵は三郎のこと大好きなんだよ? 三郎が健気に自分のことを想ってるって知ったら、そりゃあ、甘やかしたくなっちゃうだろうね」
 尾浜の説明に、竹谷は首を傾げた。何だか分かるような、分からないような。もともと竹谷は色恋には疎い方であったし、雷蔵と三郎の関係は一般より特殊で――理解しがたい部分があるのは確かだった。
「分かりにくいから、一言で解説してくれ」
 そう頼んでみると、書物を読んでいた久々知が振り返ってぴしりと言った。
「つまり、あの二人はどっちもどっちということだ。



pixiv投下2013/08/13

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