愛おしい君(卒業五年後)
夏が終わろうとしている。 三郎は川の流れに足を浸しながら、夕焼けに染まりだした空を見上げた。カナカナカナと森の方から蜩の声か聞こえてくる。とはいえ、まだまだ暑い。袴を着けない着流し姿でいるが、変装用の面で顔が覆われているのだからなおのことだ。 「暑い……」 ぽつりと呟いて、三郎は面を外した。かもじも取り払って、自分自身の姿に戻る。 学園を卒業して五年経った今も、三郎は日常の中で他人に素顔をさらさないでいる。別にそういう掟があるわけではないし、素顔といったところで特別な容貌なわけでもない。ただ、今では変装名人と言われることに誇りが芽生えている。それに、何より変装をして雷蔵と同じ顔でいることは――ある種の愛情表現のようなものだから、やめられなかった。 その想い人である不破雷蔵は、卒業と同時に家を捨てて三郎の実家である鉢屋衆に入った。その三年後、一族の総意で三郎が独立して新たな忍衆を立ち上げることになったときも、彼は付いてきて支えてくれたものだ。今では、三郎を頭領とする忍衆の組織も安定し、しばらくの間なら留守にすることができるようになった。だから、今年、初めて三郎は雷蔵と共に数日の休みを取ることができたのだ。 普段は双忍としてほとんど行動を共にしているとはいえ、忍衆の頭領である三郎と雷蔵が二人きりになれる機会は少ない。そこで、二人は休みの数日間を森の奥の小屋で過ごすことに決めた。今日はその初日である。朝の間に小屋に到着した三郎と雷蔵は、日中を小屋の掃除をして過ごした。ようやく掃除が終わってひと心地着いたのが、つい先ほどのことだ。 雷蔵は三郎に川で涼んでくるといい、と勧めた。どちらかといえば彼よりも体力のない三郎を気遣ってくれたのだろう。三郎は素直にその言葉に甘えることにした。休みはまだ数日あるのだ、見栄を張って寝込むことになってはつまらない。 久々に顔をさらした三郎は川の水を掬って顔や頭に被った。冷たい水が皮膚に心地いい。滴る水滴を拭いもせずに、目を閉じて深呼吸する。と、そのとき、馴染みのある気配が近づいてくるのが意識に触れた。 雷蔵だ。 三郎が振り返ったとき、木の茂みをかき分けて現れた雷蔵は丸い目を更に見張った。本職の忍として凛とした風情でいることが多い最近では、彼のそんな無防備な表情は久しぶりだ。 「どうしたんだい?」 声を掛ければ、雷蔵はわずかに視線を泳がせた。いつもならためらいなく目を合わせるのに、今はそうしてこない。戸惑っているのだろうか? 三郎が考えていると、雷蔵はやっと口を開いた。 「三郎、さっき留守居役から鷹文が来たよ。今のところ問題ないって」 「そうか、よかった。……って、すまない。君は素顔より変装した私の方が好きだったな。今、君の顔に戻すから……」 「別にいいよ」 「え?」雷蔵の言葉を三郎は意外に思った。 「え?」意外そうな三郎に驚いたのか、雷蔵も目を丸くする。が、すぐに取り繕うように言葉を続けた。「だ、だって……面は暑いだろ。せめてここにいる間だけでも、好きなときに変装を解いていればいいよ。ここには僕しかいないんだから」 「雷蔵がいいなら、しばらくこの姿でいようかな。……ごめんね、先に休んでしまって。君も少しここで涼んでいったらどうだい?」 「だけど、夕飯の支度もあるし」 雷蔵はためらう素振りを見せた。おおらかで、決して神経質ではない彼にしては珍しい反応だ。三郎は内心、首を傾げながら更に勧めた。 「少しくらい、いいじゃないか。それに、もし夕飯を作りそびれたって、忍者食も持ってきてるし」 「えー。忍務じゃないのに忍者食なんて、潮江先輩みたいじゃないか。僕たちそこまでギンギンに忍者してないと思うんだけど」 苦笑しながら、雷蔵は三郎の誘いに心惹かれたのか着流しの裾を持ち上げてざぶざぶと川に入っていった。きもちいー、と楽しげな声を上げる。けれど、彼は一度も三郎を振り返らなかった。意図的に見ないようにしているらしい。 ――面が暑いのを気遣ってくれたけれど、やはり雷蔵は私が素顔でいるのを好ましく思っていないんだろうか……。 不安になった三郎は、雷蔵に言った。 「――……ねぇ、雷蔵。どうしてさっきから私と目を合わせてくれないの? やっぱり、君、私の素顔が嫌なんじゃ……」 「そ、そんなこと……!」 慌てて振り返った雷蔵は、しかし、水中で足を取られたのか大きく体勢を崩した。わぁっと声を上げて、川に倒れこんでいく。三郎はとっさに雷蔵を助けようと、手を伸ばして彼の手をつかんだ。が、つるつるする水苔に足を滑らせて、雷蔵と共に転んでしまう。 幸い、川は浅かった。三郎は尻餅をついた雷蔵に覆い被さる形で、川底に手を突いた。そうすると、先ほどまで合わなかった視線がかち合う。途端、なぜか雷蔵は真っ赤になった。 ――??? なぜ雷蔵が照れるのか。三郎には見当もつかなかった。 「ど、どうしたの? 雷蔵……」 「こ、れは……」雷蔵は困りきった顔をした。が、隠しておけないと悟ったのか、おずおずと口を開く。「お前の素顔、昔から格好よかったけど……久しぶりに見たら、すごくいい男になってるから、何か目を合わせられなくて」 「もしかして、さっきのは照れてたから?」 「そうだよっ」 三郎の問いに雷蔵は拗ねたように唇を尖らせた。が、その頬はまだ赤い。照れ隠しであることは明らかだった。 「雷蔵、かわいい」 思わず笑みを浮かべた三郎は、目の前の雷蔵に顔を寄せた。交わす視線だけで、口を吸っていいかと尋ねる。雷蔵の眼差しは応ではなかったが、拒む風でもないようだった。迷っているのかもしれない。彼の答えが曖昧なのをいいことに、三郎は残りわずかな距離を詰めて唇を重ねた。唇を啄んで、歯列をなぞる。舌を差し入れ、雷蔵の上顎をなぞる。そうするうちに、雷蔵も三郎に応え始めた。舌を絡め合って、ゆっくりと高め合う口づけをする。 やがて互いの皮膚の間に存在する水を吸った着物が邪魔に思えて、三郎は雷蔵の着物をはだけた。自分のそれもはだけて、素肌の胸と胸をぴたりと重ねて抱き合う。川の水につかっているというのに、雷蔵の肌は熱を帯びていた。とくんとくんと常より早い鼓動も伝わってくる。けれど、そうした変化は彼だけでなく自分も同じだったろう。 そう思ったとき、抱き合っていた雷蔵がふっと笑みを浮かべた。早い鼓動を刻む胸に掌を這わせて、笑みを浮かべる。 「三郎もかわいいよ」 その声音を聞いた瞬間、かっと腹の底から衝動がこみ上げてきた。早く雷蔵の繋がりたいと思う。その思いを視線から読みとったのか、雷蔵はちょっと待ってと言い自分の手を水中に差し入れた。 「んっ……! ぅん……ふ……ぁ……」 雷蔵が水中の手を動かす度に、彼の唇から艶めく吐息が漏れる。どうやら雷蔵は自分で身体を馴らしているらしい。 「らいぞ……私がするのに」 「……だって、早くしたいだろ? ……ここには油がないから……僕の方が、自分の身体のこと分かるから……っ……」 「でもっ」 三郎は反論しかけた。それを見て、雷蔵が苦笑する。 「ね、さぶろ……そんな情けない顔、しないで? 男前が台無しだよ……。お前の手が気持ちいいのはよく分かってる……だから、次のときはお前がしてよ……ね?」 普段は見ることのない艶めいた笑みを浮かべて諭される。三郎はもはや何も言えなくなってしまった。ただ、雷蔵に促されるままにその場から立ち上がり、川縁へついていく。柔らかな草に覆われた土手に腰を下ろすと、雷蔵が身体の上に身を乗り上げてきた。 彼は三郎の下帯を解いて、すでに反応していた性器を取り出した。そこを口に含んでしばらく愛撫した後、自ら後孔をあてがって腰を下ろす。もう数えきれぬほど交合をしてきたので、雷蔵は少し苦しげながらも馴れた仕草で三郎のすべてを受け入れた。彼がゆらりと腰を揺らす度、快楽の波が押し寄せてくる。 「ん……らいぞ……っ……」 「三郎、三郎……かわいい……!」 雷蔵は恍惚としながら、しきりに三郎の名を呼んだ。普段は行為の最中には快楽と羞恥で堅く閉ざされるる目蓋が、今は開いて三郎を見下ろしていた。その目元には、生理的な涙が溜まっている。 紅に染まった空を背に、肌を伝う水滴も溢れる涙も拭わずに懸命に腰を揺らす雷蔵の姿は――美しかった。淫らとか艶っぽいというよりも、美しかったのだ。 不意に胸に愛おしさがこみ上げてきて、三郎は雷蔵を抱きしめた。身体の上下を入れ替えて、仰向けになった雷蔵の咽喉に吸いつく。 あぁ、と雷蔵の高い声が耳に響いた。 *** 二人が事を終えたとき、とっぷりと日は暮れていた。 雷蔵を抱えて小屋に戻った三郎は、身支度をして雷蔵の顔を模したいつもの姿をして竈で夕飯を炊いている。とはいえ、すっかり夜になってしまったのでろくな料理はできない。冗談で話していた通り、忍者食のみそうずに干し米を放り込んだ味噌雑炊になってしまった。これでは忍務中とあまり変わらない。 「すまない……雷蔵」 「いいじゃないか。僕たち忍なんだし」 しょんぼりする三郎に、疲れきって寝床に寝そべったままの雷蔵はからからと笑った。川縁では忍者食を食べることに難色をしめしていたのだが、いざとなるとそうこだわりはないらしい。しかし、それでは三郎の気が済まない。 「明日の朝は私が早く起きて、もっといい料理を作るからな」 「あぁ、期待してるよ」 「任せておけ」 胸を張って答えた三郎は、できあがった二人分の味噌雑炊を器に入れて土間から上がった。寝床に身を起こした雷蔵と向き合って、遅い夕食にする。 うまそうに味噌雑炊を口に運ぶ雷蔵を観察していた三郎は、ふと気になって口を開いた。 「そういえば、雷蔵、さっき私が昔より男前になったから目を合わせられなかったって言ったよね? ……もしかして、私の素顔に惚れた?」 すると、雷蔵はあきれ顔になった。 「何を言ってるんだ。僕たち、あと二三年経てば恋仲になって十年経つんだぞ? お前になんて、とっくの昔に惚れてるんだよ」 「でも、私の素顔の方が気に入ったとか、あるんじゃないの?」 「そりゃ、お前の素顔は本当に格好いいけどね、僕は僕の顔をしているお前がいちばん好きなんだよ。だって、僕の変装をしていたら、お前が誰のものが一目で分かるだろ?」 迷いのない言葉に、三郎は思わず微笑した。それこそ、自分の方が雷蔵に惚れ直しそうだと思いながら、澄ました顔を取り繕って言う。 「君がそう言ってくれて助かるよ。だって、私も素顔より君の顔でいる方が好きだからね」 pixiv投下2013/08/28 |