“甘えた”
二年ろ組の鉢屋三郎はいけすかないヤツだ。い組の級長・尾浜勘右衛門は心からそう思っている。 普段にこりとも笑わない。話しかけたって、勘右衛門のことを『つまらないことを言うヤツだ』とでも言いたげな目で見る。何より、三郎は常に他人の変装をしていて、素顔を見せないのだ。そんな風なのだから、とてもではないが好きになりようがない。 だが、ある日、勘右衛門は不運にも同じ委員会の先輩に呼び止められ、三郎への用事を言い付けられてしまった。 「悪いけど、この資料を三郎に届けておくれ。あの子、風邪で寝込んでいるようだから、資料は元気になってから目を通せばいいと伝えておいて」 「あ、はい」 素直に資料を受け取った勘右衛門は、ほんの少し後悔した。あのいけ好かない三郎の部屋を訪ねなければならないなんて。それにしても、彼が風邪だという話は初耳だった。同学年とはいっても組が違うのだから、伝わってこなくとも不思議ではない。 ツンとして、いつでも澄ました様子の三郎が寝込んでいるところは、想像できなかった。なんというか、そういう不調は誰にも見せなさそうな奴に思える。はてさて、いったいどんな様子なのか――? ほんの少しの意地悪い好奇心を抱きながら、勘右衛門は長屋の三郎の部屋に向かった。 「……鉢屋、鉢屋。起きてるか?」ふすまの外から声を掛ければ、 「だぁれ?」と三郎のものではない、柔らかな声音が返事をする。 どうやら三郎の同室――確か、不破雷蔵といったか? ――が答えたらしい。 「二年い組、尾浜勘右衛門だよ。学級委員長委員会の先輩から、三郎にって資料を預かって来たんだけど」 「ありがとう。三郎は今、出られないんだ。入ってきて」 「え? あ、じゃあ……おじゃましまーす……」 おずおずと襖を開けて、中に入る。そこには目を疑うような光景があった。 ふわふわした髪の少年が、同じ顔をした少年の膝に懐いている。ぱっと見、混乱するような図だ。もっとも、三郎が日常的に同室の不破雷蔵に変装しているということは学園中では有名な話だったから、勘右衛門も声を上げるほどではなかったけれど。それでも、三郎が風邪を引いているという話を知らなければ、さすがに勘右衛門でもどちらが三郎なのか分からなかっただろう。 「えっと、不破……?」 「うん、そうだよ」 膝に懐かれている少年――不破雷蔵はにっこり笑って頷いた。 一年生の頃から、三郎が同室の雷蔵の顔を借りているというのは、学園では有名な事実である。雷蔵はろ組の中で目立たない生徒で、勘右衛門が彼について知っているのはそれだけだった。 だが、初めて見る雷蔵は三郎の変装とはまるで違っていた。ふわふわとした柔らかな雰囲気に優しい笑顔。同じ作りの顔でも、浮かべる表情が違うとがらりと印象が変わってしまう。三郎はいけ好かないヤツだが、雷蔵なら友達になれるかも、と勘右衛門は考えた。 「三郎は……?」勘右衛門は尋ねた。 「今、眠ったところ」雷蔵は正座した自分の膝にぴったりくっついている同じ顔の少年――三郎の頭をそっと撫でた。「一人だと、ひどくうなされるらしくてね。僕が部屋に戻って来るまで、あまりよく眠れなかったようなんだ。眠ってくれて、ほっとしたよ。睡眠を捕らなきゃ、治るものも治らないもんね」 「ん……んん……らいぞ……」 夢でも見ているのか、三郎がむにゃむにゃと雷蔵の名を呟いて膝に頭をすり寄せた。よしよしと雷蔵は今度は布団の上から三郎の背中を撫で始める。その姿は、同級生というよりは三郎の母親みたいだった。 ――なんだこれ? なんなんだ、この二人? 同級生のはずなのに、この雰囲気は何か変だ。しかし、それ以上に普段は冷たい表情しか見せない三郎が雷蔵には二つ三つの童のように甘えてみせるなんて。 「……勘右衛門、びっくりしてる?」 沈黙する勘右衛門に気付いた雷蔵が、顔を上げて困った顔で尋ねた。気味悪く思われていたらどうしよう、と心配しているらしい。勘右衛門は優しい雷蔵を困らせたくなくて、ふるふると首を横に振った。 「ううん。大丈夫」 「そっか」安心したように雷蔵は微笑した。「勘右衛門が、甘えたの三郎を見て変な奴だって思ったら困るから、ちょっと心配しちゃった。……あのね、三郎はよく委員会での勘右衛門の話をしてるんだよ。明るくて、真面目で、だけど堅くなくて。二年い組の雰囲気をよくして引っ張って行ってる勘右衛門はすごいヤツだって」 「え? 三郎がそんなことを……?」 「うん。三郎はさ、人見知りっていうか……勘右衛門みたいにいつもニコニコ元気に振る舞える性格じゃないでしょ? だから、勘右衛門のこと尊敬してるんだよ。自分も級長だけど、勘右衛門みたいなやり方で組を引っ張って行くことはできないって」 ――なんだそれ。本当に? 俺は三郎のこと、いけ好かないヤツだって思ってたのに? 勘右衛門はびっくりして目を丸くした。 本当に三郎は自分のことをそんな風に評価しているのだろうか? 彼はそんな態度、一度も見せなかった。もしかしたら、『尊敬している』という言葉は大好きな雷蔵に他人の悪口を聞かせたくなくて言っただけで、本当は三郎は自分のことを馬鹿にしているのかも。素直に信じたら、馬鹿を見るんじゃないだろうか? 様々な思考が勘右衛門の頭の中で回る。裏の裏まで読もうとするのは、成績優秀ない組の常だ。けれど、雷蔵に懐く三郎と、優しい笑みを絶やさない雷蔵を見ていたら、ふっとそんなことはどうでもよくなってしまった。 ――三郎が俺のことをどんな風に思っていようが、どうでもいいじゃないか。 病で心細くなって、同室の雷蔵にくっついている三郎はいじらしくて、可愛げがあるのは確かだ。意外に憎めないヤツだと思う。だったら、それで十分だという気がした。裏の裏がどうであれ、自分は三郎のことを憎めないと感じたのだから、そのように接すればいいのだ。 そう割り切ったら、なんだか胸がすぅっとした。 「雷蔵。あんまり長居したら悪いから、俺、帰るね。この資料、三郎に渡しておいて」勘右衛門は資料を雷蔵に預けて、戸口へ向かった。部屋を去り際に、振り返って言う。「そうだ、雷蔵。三郎がよくなったら、三人で町にお団子食べに行かない? 快気祝い!」 「そういえば、勘右衛門って甘いもの好きなんだね。三郎の言ってた通り。いいよ、三人で行こうね」 ふわっと笑って見せる雷蔵に手を振って、勘右衛門は襖を閉める。廊下を歩き出しながら、頭の中ではすでに二人と行く甘味処を検討しはじめていた。 サイト掲載2013/09/15 |