ぽた、ぽた、ぽた


*鉢雷鉢注意。鉢雷でも雷鉢でも性描写があります。
*戦闘描写・暴力表現多めです。






 とろとろに溶けて、ひとつになる。
 抱かれているのは自分なのだけれど、抱いているのは彼なのだけれど、そんな役割の意識もどうでもよくなる。気持ちいい。たしかに快楽を覚えているのだけれど、そんな快感さえ超えて互いの意識を混ぜ合わせるような不思議な感覚のなかでたゆたう。
 と、そのときだ。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 温い水滴が頬や胸に降り注ぐ感触で、雷蔵は意識を引き戻された。閉ざしていた目蓋をゆっくりと開く。窓の隙間から細く差し込む月明かりの中、見上げれば自分を抱く三郎の顔があった。普段通り雷蔵の姿に扮した三郎は――おそらく雷蔵もそうであるように――熱に浮かされた表情でこちらを見下ろしている。けれど、一つだけ雷蔵と違うところがあった。彼はその両目からほとほとと涙を流していたのだ。
「さ、ぶろ……?」
 ――どうしたの?
 尋ねようとしたけれど、三郎自身を深く身の内に受け入れている雷蔵は、声を発そうとしてもまともに言葉にならない。熱っぽい吐息が吐き出されるだけだ。
 普段の三郎なら、言葉にしなくとも雷蔵の言わんとすることを察して答えてくれることもある。しかし、今このときの彼は、雷蔵の言葉にならない言葉に気づいているのかいないのか、「雷蔵、雷蔵……」と名を呼ぶばかり。
 ――何が悲しいの? 泣かないで……。
 雷蔵は三郎の首に腕を回して、自分の方に引き寄せた。甘やかすように彼の肩を撫でる。三郎はまだ潤んだ瞳で、けれど、噛みつくように雷蔵に口づけてきた。深く舌を絡めあいながら、再び動き出す。再開された行為に、一度は浮上した雷蔵の意識はふたたび溶けていった。


 ――また、だ。
 行為の後、布団の中で三郎と身を寄せあいながら、雷蔵は思った。少し前まで熱に浮かされていた意識は、いまだに少しぼんやりとしている。
 ――また、三郎が泣いてた……。
 さきほどのように、抱き合っている最中に三郎が涙を流すのはこれが初めてではなかった。かといって、いつもというわけでもない。大ざっぱに勘定してみると、五回に一回くらいの割合になるだろう。
 なぜ三郎が涙を流すのか。泣かないときと泣くときと、どんな違いがあるのか。考えてみても分からない。
「うーん……どうしてだろう……」
「らいぞう。なに、悩んでるの?」
 考え込んでいる雷蔵に気づいた三郎が、囁くような声で問うた。雷蔵は彼の胸に顔を埋める格好で横たわっているため、彼の吐息が額に掛かって少しだけくすぐったかった。思わず肩を竦め、小さく笑ってしまう。
「笑ってないで、教えてよ。それとも、私には言えないようなこと?」
 三郎は問い詰めるような言い方をした。けれど、笑みを含んだその声音は悪戯っぽい。追及の真似事をしただけのようだ。
「ごめん、ごめん。お前のこと、考えてた」
「私のこと?」
「お前、ときどき、まぐわう最中に涙を流すだろう? あれって、何でなのかなぁって……」
 雷蔵の言葉に、三郎は意表を突かれたかのように目を見張った。が、すぐに笑顔になる。閨の中でしか見せない、雷蔵を甘やかすかのような優しい笑みだった。
「君にも、いずれ分かるよ。いつか、きっと分かってくれると思う……」
 慈しむように言って、三郎は雷蔵の背中を夜着ごしにゆるゆると撫でた。まぐわうときの愛撫とはまた異なる、優しい感触。はぐらかされている、と思う。それでも、雷蔵は三郎から与えられる穏やかな温もりにあらがえず、するすると眠りの淵に引き込まれていった。


***


 数日後、夜更け。雷蔵は夜の山林の中にいた。空を見上げても月はない。忍ぶには絶好の新月の夜である。
 雷蔵は高い木の幹に立ち、眼下に広がる平野を眺めていた。平野には、ぽつぽつとところどころ明かりが見える。昼間ならばそこにある村々と、そこを占領する軍勢の姿を見て取ることができただろう。しかし、今は夜の闇に覆い隠されてしまっている。平野の少し先の小高い丘には、篝火を明々と燃やす城が見て取れた。城は村々を占領した軍勢に包囲され、城主以下が籠城しているのだ。
 今回、忍術学園の五年生はこの籠城戦における印を取ること――すなわち、両軍の兵力その他を見極めることが課題とされていた。これは、簡単なようでいて、危険な忍務であった。何しろ、籠城側が落城寸前なのだ。攻める方はやたらに志気が上がっているし、守る方は自棄になっているはずである。何が起こってもおかしくはない。
 不吉な予感を含んで、ひょうひょうと夜風が悲鳴のような音を立てて吹き抜けていく。ざわざわざわ、と木々がざわめく。夜の林のざわめきが、雷蔵の不安を煽るかのようだ。雷蔵は籠城側の印を取るために、竹谷ら数名の仲間と共に変装して城に紛れ込んでいる三郎のことを思った。
 ――三郎もみんなも、何事もないといいのだけれど……。
 そんな雷蔵の傍らに立ち、同じく城を見つめていた尾浜がぽつりと呟いた。
「この陣の構成、もうかなり“傾いて”るよ。あと少し偏ったら、ひっくり返るかも……」
 それは尾浜独自の感覚だった。
 雷蔵は地形や国力、兵力などの情報を脳内で囲碁盤に変換して捉える図書委員会秘伝の情報制御術を用いる。それに対して、雷蔵がいつか聞いた話では、尾浜は独自に戦の戦況を地図と駒で簡略化した戦略図として脳内で構成するらしい。その戦略図を用いて、尾浜は相手方の戦術を読みとったり、相手方に仕掛けたりする。そのきっかけを読みとるのに、尾浜は自分を天秤として戦略図上の偏りを感じ取っているのだという。この辺りは、雷蔵が脳内で形成される囲碁盤について説明するのが難しいのと同様、ひどく個人的な感覚の域になってくる。
 しかし、かなり個人的な感覚の産物とはいえ、尾浜が戦略図によって読みとる“傾き”は非常に正確だ。彼がじきに合戦になると言えば、その予言は当たるのだった。
「三郎やハチたち……大丈夫かな……」
 雷蔵が呟いた、そのとき。
 別の幹に立っていた久々知がシッと鋭い声を発した。それに被さるように、バサバサと羽音が聞こえてくる。見れば、梟が久々知の肩に舞い降りるところだった。すぐに梟が飛び立つと、彼は梟の足から外したばかりの文を手に雷蔵と尾浜を振り返った。
「あの梟は、ハチからの連絡?」尾浜が尋ねる。
「あぁ……。まずいことになった。城の奴ら、最期の戦のつもりで夜襲を仕掛けるそうだ。もちろん、包囲側に勝てるはずはない……」久々知は厳しい面もちで答えた。
「いちばん悪い落城の仕方だね……」不安が的中した雷蔵は、沈んだ声で言った。
「仕方ないさ。さぁ、兵助、雷蔵。城の潜入組の脱出を助けなきゃ。包囲側の印を取りにいった奴らも動かして、突破口を開くよ」
 急展開にもかかわらず、尾浜はてきぱきと指示を出した。五年生が学年単位で忍務に赴くとき、指揮をするのはたいてい三郎か彼だ。それほどに全体を冷静に見極める力を持っている。
「雷蔵」尾浜は雷蔵を振り返って言った。「情報を。城の周辺の地形から考えて、主な戦場はどの辺りになる? それと、籠城側の兵力が尽きて落城するまでに、どれくらい余裕がある?」
 尾浜に問われて、雷蔵ははっとした。三郎たちのことは心配だが、彼らのためを思うならばしっかり援護しなければならない。そう自分に言い聞かせて、集中する。今回の合戦の情報と地形を元に脳内にできあがっている囲碁盤を読みとって、尾浜の問いに答えた。
「……主戦場は城の正門から出た南側の可能性が高い。籠城側は食糧乏しく弱っているから、勢いが保つのは今から……明け方までだと思う。――僕の予想では、三郎たちは攻撃に出る兵に紛れて正門から出て来る。援護するなら、その周辺を重点的にすべきだ」
「――雷蔵の読みを疑って申し訳ないが……三郎たちは本当に正門を選ぶか? 危険度がいちばん高いというのに。無難に裏門や抜け道を使うのではないか?」
 久々知の問いに、雷蔵は頭を振った。
「おそらく、今の城の状況では裏口や抜け道は使えないだろう……。誰かに見咎められてしまう。戦場に出る兵に紛れるのがいちばんだ」
「雷蔵の予想の線で行こう。もちろん、他の道にも援護は配置するけど……城の正門の辺りを集中的にしてみるよ。――かならず、三郎やハチたちを助け出すんだ」
「「了解」」
 尾浜の言葉に雷蔵と久々知は声を合わせて返事をした。


***


 ――同時刻、城内。三郎たちは足軽に紛れていた。
「――兵どもが打って出るのに紛れて、私たちも外へ出るぞ。皆、先に陣へ行っていろ」
 三郎は共に潜入している仲間たちに命じた。
 総指揮にあたっている尾浜や雷蔵、包囲側の印を取る班の久々知らはこの場にはいない。けれど、その三人をのぞいて城内に潜入しているのは、学年の中でも総じて手練れと評される者たちである。しかし、そんな彼らも城が落城寸前という情報を得てからは、かなり浮き足だった様子を見せていた。それもそうだろう。籠城戦においてもっとも危険と言われるのが、落城の局面だからだ。
 落ち着かない様子の仲間らを宥めながらも、三郎は天守閣内の気配を感じ取ろうと意識を研ぎ済ませていた。この度の実習、三郎や尾浜ら学級委員長委員会には特別に学園長から極秘の“おつかい”という名の忍務が科せられている。その“おつかい”があったがために、総指揮を尾浜に任せ、本来ならば総指揮にあたるはずの三郎が城に潜入にすることになったのだ。
「さぁ、皆、陣へ行くんだ」
「鉢屋は? どうするんだ?」
「私はもう少し様子を探ってから合流する。大丈夫だ。先に行っていろ」
 心配そうな仲間を宥めて陣へ向かわせてから、三郎は踵を返した。いざ、天守閣へ忍び込まんとしたとき、不意に声が掛かる。
「どこへ行くんだよ?」
 振り返れば、他の仲間らと行ったはずの竹谷が立っていた。獣遁の上手である彼は、ときに山野の獣並の能力を発揮する。今も獣の本能に似た直感で三郎の隠し事に気づき、獣のごとく気配を消して動向を見守っていたのだろう。
「ハチ、お前も皆と先に行け」
「嫌だ。三郎、一人で何かしようとしてるだろう?」
「忍務は他言すべからず、だ。お前も忍のたまごならば、くだらない詮索は止せ」
「ばか三郎。この状況で秘密なんか隠し通せるかよ。俺も連れていけ。一人より二人の方がいいだろ」
「駄目だと言っている」
「言い争ってる暇、あんのかよ? 俺は絶対、折れないからな。万が一、お前に何かあったとき、俺だけのうのうと帰ったら雷蔵に合わせる顔がねぇ」
 竹谷の言うとおり、議論している暇はなかった。ため息を一つついた三郎は、「付いて来い」と竹谷を促して天守閣へ向かった。兵士たちが慌ただしく行き交う下層を抜けて、城主らの住まう上層へ向かう。三郎は真っ直ぐに城の見取り図で覚えた城主の居室へと向かった。
 ことりとも音のしないその部屋の戸を引いて中に入る。そこには、壮年の城主が衣を血に染めて端座していた。彼の膝の前には、抜き身の血塗れの刀が置かれている。三郎にとっては、半ば予想していた通りの光景だった。しかし、何の予備知識もなくついてきた竹谷はぎくりとして身を強ばらせている。
 竹谷は獣遁に習熟するために己を獣に近づけているためか、血のケガレがあまり得意ではなかった。獣の意識で考えるならば、餌と縄張りを守る以外の争いは無用だからだろう。そういう意味では、竹谷は忍に向かぬ男だった。
 ――だが、ハチよ。本当の修羅場はここからだぞ。
 内心で呟いて、三郎は城主の前にひざまづいた。
「――そちらは何者か? 我が城の者ではないだろう」
「我らは忍術学園から遣わされし者にございます、殿」三郎は恭しく応じた。
「忍術学園が儂に何用じゃ? 見ての通り、城は間もなく落ちる。兵どもは最期の戦に向かう。儂は先ほど妻子を手に掛けて来たし、間もなく自害するであろう」
 城主の言葉に竹谷が息を呑んだ。今更ながらに城主の返り血が、彼の妻子のものであると気づいたらしい。女子ども相手に惨い仕打ちだが、それも情けの一種ではあった。落城の際、妻子が辱めを受けぬようにという最期の思いやりなのだ。
 家族を手に掛けたばかりの城主は、虚ろな目で話を続けた。
「……儂はもはやすべてを失ったも同然。そちらの望むようなものは、何も持っておらぬ」
「そんなことはありますまい。……この城に秘伝の巻物が伝わると聞いております。その秘伝書、学園にお譲りくださいませぬか」
「秘伝書か……あんなもの、持ち去っていかがする?」
「学園が、未来のために役立ててみせましょう」
「未来のため、か……」城主は虚ろな目をしたまま、笑った。「確かに、そこらの大名にやるよりは幾分かマシかもしれぬ。そこの箱の中じゃ。持っていけ」
「謹んで承ります」
 三郎は恭しく頭を下げながら、竹谷に目配せした。それに気づいた竹谷は、ぎこちなく立ち上がって床の間に置かれた箱を開いた。中にある巻物を取り上げて示す。三郎は彼に頷いてみせた。
「では、我らはこれにて」
 もはや武運を祈る言葉も告げずに、三郎は竹谷を促して素早く部屋を後にした。直後、部屋の中から低いうめき声が聞こえてくる。城主が自害したらしい。
「……血の臭いだ」竹谷は顔をしかめた。
「城主が自害したからには、もう落城まで間がない。急ぐぞ」
 鋭く言って、三郎は天守閣を降りる足を早めた。


***


 陣に戻ると、竹谷や三郎を見つけた仲間たちが寄ってきた。けれど、彼らと再会を喜ぶ言葉を交わす間もなく、侍大将が開門を告げる。いよいよ最期の戦が始まったのだ。
 わぁっと兵たちが自棄のように熱狂した声を上げる中、竹谷は傍らにいる三郎を気にしていた。彼はいつも落ち着き払って見える。しかし、落城寸前のこのとき――“何でもあり”になってしまった今の状況は三郎のもっとも苦手とする局面のはずだということを、竹谷は知っていた。
 以前、何かの折りに雷蔵から聞いたことがある。三郎の才とは即ち、相手のわずかな動作や表情、行動から瞬時にその人物のものの考え方をある程度、読みとることができる観察眼なのだ、と。この優れた観察眼は、主に変装に生かされているように見える。しかし、そればかりではない。三郎はその観察眼をもとに相手の思考の道筋を読みとり、戦術を立てることができる。相手の思考の流れが予想できるということは、つまり、その裏を掻くことも簡単だということ。逆に言えば、三郎が把握できるのは他者の論理的な思考であり、今のように本能と感情だけで皆が突っ走っているような状況では彼の読みはあまり期待できないということだった。
 それでも、戦において論理的思考がまったく無視される局面というのはさほど多くない。だからこそ、変装名人という以上に実は三郎は優れた戦術家であり得る。この事実は、三郎がいざというとき学園の生徒の総指揮にあたる役割の、学級委員長委員会・委員長代理たる所以なのだ、ということだった。
『ていうか、雷蔵。そんなこと、俺に打ち明けてもいいのかよ?』竹谷は慌てたものだった。
 しかし、雷蔵は暢気な顔で首を傾げる。
『んー。いいと思うよ? だって、三郎は別にそれを秘密にしてるわけじゃないもの。ほら、五年の組対抗の演習とか、あいつ奇策使いまくるじゃない? 奇策っていえば、勘右衛門も大概だけどねぇ』
 雷蔵はのんびりと言った。けれど、そういう彼自身も書庫一つ――とまではいかなくとも、書架の一つ分くらいの資料を架空の囲碁盤の形で頭に納めることができるらしいのだから、“大概”である。
 雷蔵、尾浜、久々知……彼らがここにいてくれたら、と竹谷は切実に思った。彼らと自分がいれば、三郎に苦手なこの局面も難なく切り抜けられるのだが。そうはいっても、いないものは仕方ない。竹谷の獣なみの五感は戦場の狂気と臭気に怯みかけていたが、己を叱咤してキッと顔を上げた。
 ――今、三郎を、仲間を救うには、俺の“直感”がいちばん役立つはずだ。
 竹谷は懸命に戦の流れを読もうと集中している三郎に、低く矢羽音を飛ばした。
《三郎。外にでたら、俺が俺たちの行くべき道を見つける。……苦手だろ、こういう状況は》
《ハチ……。だが、お前の五感にも血生臭い戦場はキツいだろう》
《まぁな。だが、この合戦はもう“何でもあり”だ。皆、狂ったようになっちまってて、理屈は通用しない。“何でもあり”なら、俺の直感の方が危険を察知しやすい》
《だが――》少し迷うような素振りを見せて、しかし、三郎は最終的に頷いた。《……辛い思いをさせることになるだろうが、頼む》
《構わねぇよ。俺らは仲間だろうが》
 にっと竹谷が笑ってみせたとき、「ゆけ!」と侍大将の絶叫が響きわたった。隊の前方はすでに敵とぶつかり始めているらしい。途端に濃くなる血と火薬の臭いに顔をしかめながら、竹谷は自分の五感に意識を集中した。


***


 尾浜は雑兵に扮して、城の前で始まった戦の最中にいた。久々知や雷蔵も一緒だ。
 数刻前、竹谷から落城が近いという知らせを受けた尾浜は、それぞれの仕事を終えて合流してきた仲間たちを潜入班の救出組と援護組に分けた。救出組には各組から武術の手練れを選び抜いてある。尾浜自身も救出組に入り、援護組と全体の指揮は五年は組の級長に任せてきた。忍術学園の五年まで進級したとあっては、皆、それぞれに生半可な実力ではない。しかし、その中からさらに選り抜かねばならないほど、夜に起こる合戦の戦場は危険なのだ。
 この時代、本来、合戦は日中の明るいときに行うものである。満足な照明がないため、敵味方の区別が付きにくいからだ。夜襲もあり得るが、その場合はよほど兵の士気も修練度が高くなければならない。未熟な兵では夜襲は失敗するというのが常識だった。夜明けを待たずに始まってしまった、この最期の戦。もちろん、戦術的な夜襲ではない。攻撃を受ける包囲側もまた、混乱している。いくら上手く雑兵に扮したところで、味方の側の兵から切りつけられる危険性さえあるのだ。
 混戦となった合戦場の中を、戦う兵らの間を縫うようにして三郎たちの姿を探す。雷蔵が読み解いて予想した三郎たちの脱出の道筋を辿ろうとするが、戦の激しさに思うように動けない。尾浜は焦燥に歯噛みした。
 そのときだ。
「――三郎がいる……!」
 気配を察知したのか、雷蔵が走り出す。尾浜も慌ててそれに続いた。いくらか進んだ前方に、確かに三郎や竹谷ら潜入班五名の姿が見える。彼らは戦闘に巻き込まれかけているようだった。
 先頭にいる竹谷に兵の一人が斬りかかる。しかし、竹谷は他のことに集中しているのか、とっさに動けないらしい。彼を押し退けた三郎が、腰に差していた刀を抜いて兵と竹谷の間に割って入った。兵と互角に切り結びながら、仲間たちを叱咤している。
 それを目の前にした途端、先を行く雷蔵が即座に駆けだした。迷い癖のある雷蔵だが、仲間の危機にだけは決して迷わないのだ。武器を選ぼうとするでもなく、雷蔵は雑兵に扮して手にしていた棒を振りかざし、三郎に迫る兵に襲いかかった。その間に、尾浜は竹谷らと合流する。
 雷蔵は見る間に雑兵を殴り倒し、三郎の手を取った。手を引いて尾浜の元に戻ってこようとする。と、そのときだった。
「っ……火縄の臭いだ! 皆、伏せろ!」
 竹谷が叫ぶ。しかし、距離のある雷蔵と三郎には喧噪のせいもあって、届かない。
 ――パァン!
 二丁の火縄銃の音が、重なって聞こえた。
 その直後、金属同士がぶつかるような音が鈍く響く。雷蔵が驚いたように足下から何かを拾い上げるのを見て、尾浜はようやく火縄銃の銃弾が“撃ち落とされた”のだと気づいた。
 ピィィィ。
 笛の音に振り返れば、鉄砲隊に扮した久々知が立っていた。学園の用具委員特製の呼び子をくわえ、撤退を意味する音を発する。そうかと思うと、久々知は呆然としている皆の前で踵を返してさっさと走り始めた。白み始めた空の下、彼の手にした火縄銃の銃口からはいまだ微かに煙が立ち上っている。
 ――兵助がさっきの銃弾を銃弾で撃ち落としたのか……。また腕を上げたな。
 そうと気づいた尾浜は、思わず微笑んでいた。
 天才の名高い三郎に対して、久々知は学年一の秀才と呼ばれている。確かに、彼は三郎や自分のように奇策で他者を煙に巻く性質ではない。竹谷や雷蔵のように、何か一芸に秀でているというわけでもない。しかし、久々知の記憶力と正確性は誰も真似ができないものだ。生真面目で少しばかり融通が利かないところはある。だが、誰もが頭に血が上るような状況でも常に冷静でいて、型どおりに正確に術を使うことで『教科書通り』がいかに絶大な効果を発揮するか皆に思い知らせるのが久々知という男だった。
 先ほどの銃弾で銃弾を撃ち落とすという芸当も、火縄銃に対する豊富な知識と技の正確性がなければできはしないのだ。
 やがて、潜入班と救出組は密やかに戦場を抜けた。援護組に助けられながら、辛うじて薄い闇の残る野を駆けて山林に入る。尾浜が見渡したところ、実習に出た五年生は誰一人脱落していないようだった。ほぅっと息を吐いたとき、ぽんと肩をたたかれる。振り返れば、は組の級長と三郎がいた。
「お疲れさん、尾浜」は組の級長がにかっと笑った。
「指揮を全部任せきりにして、負担をかけたな」三郎が言う。
「大丈夫。…それより、皆、無事でよかったよ。誰一人欠けずに学園に戻れるのは……幸せなことだもん」
 朝の光の中で、尾浜は思い思いに帰り支度をしている仲間たちを見ながら微笑した。


***


 実習を終えたその日。学園に帰った雷蔵は、湯を使ってから長屋の自室に向かった。時は夜半。同室の三郎も級長として実習報告を済ませたら、じきに部屋に戻って来るだろう。疲れているだろう三郎のために、雷蔵は自分と彼の分の布団を敷いた。
 過酷な実習を終えた五年生は、明日は一日、授業がないことになっている。これなら心おきなく一日中、寝倒せるというものだ。明日は昼前まで布団から出るまい。雷蔵が他愛もない決意をしたとき、微かに三郎の足音が聞こえた。
「お疲れさま、三郎」さっと戸を開けた三郎に、雷蔵は笑顔で言った。
「うん。疲れた、疲れたー」
 それまでぴんと背筋を張っていた三郎は、部屋に入った途端、くたりと萎れてボヤいた。
「今回の実習、けっこう大変だったね。三郎は潜入してたから、余計にしんどかったよね」
「確かにしんどかったけど、雷蔵だって疲れただろう」
 へにゃりと三郎は微笑してみせた。互いの疲れを労うような笑みだった。雷蔵は何か言葉を返そうとして――そこで、ふと口を噤んだ。
 今日、目にしたばかりの合戦場の悲惨な光景が浮かんでくる。一年の頃から見学に行っていて合戦場に慣れている。綺麗な戦場などありはしないとは承知の上だ。しかし、籠城側が自棄になって狂気に駆られた今回の合戦場は、とりわけ悲惨な光景が多かったと言える。身体は芯まで疲れきって休息を求めているのに、頭は恐怖と興奮の名残で覚醒しきっていて、なかなか眠れそうになかった。
 今回、何よりヒヤリとしたのは、合戦場で竹谷を庇った三郎が斬られそうになった瞬間だ。あのときの恐怖が今更よみがえってきて、雷蔵は言葉もなく三郎を見つめることしかできなかった。
「らいぞう……?」
 三郎は心配そうな表情をした。近づいて、屈んで視線を合わせてくる。雷蔵は思わずその身体を抱きしめていた。「三郎……」名を呼んだだけであとは言葉にならず、ぐりぐりと甘えるように肩口に顔を押しつける。そうしていると、湯上がりの芳香と肌の温もりが伝わってきて、三郎がここにいるのだと実感することができた。その実感だけで、胸がいっぱいになる。
「らいぞう、らいぞう……。どうしたの?」甘やかすように柔らかな声で三郎は尋ねた。「もしかして、急に怖いのを思い出した?」
「そうだよ。お前が危なかったことを思い出したら、怖くて、怖くて……」
「私はここにいるよ」とんとんと背中を叩いて、穏やかに三郎は言った。「らいぞう、そんなに興奮してたら眠れないよね? ……だったら、今日は君が私を抱いてみるかい?」
「僕が、お前を……?」
 意外な三郎の申し出に、雷蔵は顔を上げて目を丸くした。向かい合う三郎の表情は、あくまでも優しい。
「たまにはいいんじゃないか? 君の手で触れて、私がここにいるのだと確かめてごらんよ」
「え? えっと、でも……」
 雷蔵は困惑した。自分も男なのだし、受け入れる側だけというのには抵抗がある。だが、いざ三郎を抱けといわれると、戸惑ってしまうのも確かだ。
 どうしよう。
 迷う雷蔵を見透かすかのように、三郎はにやっと悪戯っぽく微笑した。
「抱く側になってみれば、雷蔵もきっと分かるよ」
「分かるって何が……?」
「君を抱いているときに、私が涙を流す理由」
 ……そう言われてしまっては、雷蔵も決心せざるを得なかった。


 しとねの上に横たわる三郎の素肌を、手や唇で辿って下りる。ときどき、唇や胸の突起に寄り道しながら、やがて雷蔵は三郎の下帯にまでたどり着いた。
 すでに下帯を押し上げて反応しているそこに触れると、三郎がほぅっと艶めいた息を吐く。その様にどきどきしながら、雷蔵はそっと三郎の下帯を解いた。そこから現れた性器に、少しだけ迷ってから唇を寄せる。
「ら、らいぞう……!」
 三郎が慌てた声を上げる。が、雷蔵は無視して舌で勃ち上がった性器を辿った。口淫というのは色の教科書で知ってはいたが、三郎に施されたことはあったが、実際にするのは初めてのことだ。普段は三郎が遠慮して、させてくれないのである。
 ――でも、やってみると、けっこう楽しいかも……?
 口に含んだ三郎のものは、イく直前まで余裕の顔をしてみせる本人とは違って正直だった。雷蔵が舐めあげ、吸いつき、舌先でくすぐる愛撫に素直に反応して、先走りを流し出す。
「んっ……! らいぞ……やっ……ダメだ……」
 切れ切れに喘ぐ三郎の声に、理性が吹き飛びそうになる。抱くことにためらいがあったはずなのに、早く彼と繋がりたくて仕方なかった。
 雷蔵は口淫を施しながら、三郎の後孔に触れた。普段は雷蔵が使っている軟膏をそこに塗り付け、ぬめりの助けを借りて指を差し入れる。そこを解しながら前立腺を探そうと指を動かすと、三郎は「もう少し手前、右の方かも……」と切れ切れにいいところを伝えてきた。普段、雷蔵の身体を馴らしているだけに、手際がよく分かっている。
 しばらく探るうちに、三郎の反応が変わった。
「あっ……! そこ……っつ……!」
 とろりと性器の先端からあふれだした先走りを舐めとって、雷蔵は指を増やす。やがて、三本の指がなめらかに動くようになる頃、三郎がそっと雷蔵の夜着の袖を引いた。
「らいぞ……。もう……いいから、来て……」
「だけど……本当にこれぐらいでいいの? 三郎、後ろは初めてでしょ? もっとゆっくりな方が……」
「いいから……早く……」
 急かすように、延びてきた三郎の手が雷蔵の夜着の裾を割って股間に触れる。触れられて初めて気づいたが、そこははっきりと下帯を押し上げて張りつめていた。
 ――触れてもいないのに、三郎に触ってるだけでこんなに興奮してたんだ……。
 自分の身体の反応ながら、少し恥ずかしい。雷蔵は赤面しながら、素早く夜着と下帯を脱ぎ捨てて、裸になった。勃ち上がった性器に軟膏を塗り付け、ゆっくりと三郎の中に入っていく。 
 自分自身を収めきってぴたりと肌を合わせた刹那、雷蔵は温かな液体が頬を伝うのを感じた。勝手にあふれてくる。止められない。
 三郎を抱くのは、抱かれるのとはまったく別の感覚だった。抱かれている最中には、自分というものがなくなって相手と混じりあうような気分になる。けれど、抱いている今、はっきり感じているのは己と相手の魂を分かつ肉体の存在だった。いとおしい三郎の身体が、そんざいがこの腕の中にある――彼と繋がっているその感覚に胸がいっぱいになる。

『――らいぞうも、いつか分かるよ』

「……分かったよ、三郎。お前が僕を抱きながら、何を感じているのかが分かった」
 ぽた、ぽた、ぽた。溢れる涙も拭わぬまま、雷蔵は囁いた。三郎はその言葉に、穏やかに雷蔵を見上げて微笑する。甘やかすように腕を差し伸べ、雷蔵を抱きしめた。
「わかって……くれた、かい……」
「うん、うん……」
「わたしも……抱かれながら、君がかんじていること……分かったよ。こんな幸せな気分なんだね……」
「お前こそ。こんな幸せな気分で、僕を抱いてくれてるんだね」
 雷蔵は三郎と視線を合わせた。どちらからともなく、唇を重ねる。
「ね……らいぞ、動いて……。大丈夫だから」
「うん」
 誘われるままに、雷蔵は三郎を気遣いながら動き出す。残っていた理性は、じきに熱に溶けて消えた。



「――ねぇ、雷蔵。どうだった? 私は」
 熱の引かない身体を寄せ合っていると、三郎が尋ねた。その言葉に、雷蔵は眉を下げる。
「そりゃ、お前を抱けて良かったと思うけど。聞き方がなんかおやじっぽいよ、三郎」
「むむっ。そうだろうか? 私としては気になるところなんだが。もっとかわいく言えばいいのか……?」
 考え込む三郎に、雷蔵は苦笑した。それから、秘密を打ち明けるように声をひそめる。
「……ほんと言うとね、お前を抱くのもすごくいいけれど、僕はやっぱり普段はお前に抱かれたいかな」
「え? 君、それでいいの?」
「だって、お前を受け入れているとさ、お前を甘やかしているような気がするんだもの。三郎は天才と言われているし、級長だしで、普段はぴんと張りつめてるところがあるから……そんなお前を甘やかすのが、僕は好きなんだよ」
「おや、これは奇遇だ。私も、君に甘やかしてもらうのが好きだよ」
 眉を上げた三郎が、取り澄ました顔を作って言う。次の瞬間、言った三郎も聞いていた雷蔵も、おかしくなってくすくすと笑いだしていた。そのまま唇を重ね、口づけをしながらなおも笑い続ける。
 やがて顔を離した雷蔵は、やっと笑いを収めて言った。
「ねぇ、三郎。まだ動ける?」
「君が丁寧に抱いてくれたからね。少し痛むが、まだ大丈夫だよ」
「じゃ、今度は僕を抱いてくれる? ……お前を甘やかしたいから」
「喜んで」
 囁いた三郎の唇が、もう一度重なってくる。それを受け止めて目を閉じながら、雷蔵は目蓋の裏の闇に悲惨な合戦場の光景を追いやった。
 あの合戦場が現実ならば、三郎と過ごすこの幸せなときもまた現実だ。いずれ卒業したなら、自分たちの居場所はあの合戦場になるのかもしれない。けれど――それならば、今は幸せなときをこの身に刻んでおこうと思う。
 いつか絶望的な状況に陥ったとき、諦めずにいられるように。幸せな記憶が、その糧となるように。


ピクシブ投下2013/09/23

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