君の願いごとひとつ


 一年の頃から本職の忍のように優秀な鉢屋三郎は、年に一度だけ雷蔵に願い事をする。雷蔵は、優秀な三郎に頼まれるのがうれしくて、彼の願いを聞くのを心待ちにしていた。
 三郎が願い事をするのは、決まって元旦の朝である。一年生で初めて同室になったとき、三郎は年が明けた一日に雷蔵に言ったものだった。
『ねぇ、不破、きみにお願いがあるんだけど』
『なんだい、鉢屋。おまえが僕にお願いだなんて、珍しいね。言ってごらんよ』
『あのね……えぇと……雷蔵って呼んでもいいかな……?』
 ひどくためらった末に告げられたのは、そんな他愛もない願い。幼い雷蔵は思わず笑顔になって答えたものだった。
『もちろんいいよ! 僕もおまえのこと、三郎って呼びたかったんだ。だって、同室なんだから名字で呼ぶなんてよそよそしいじゃないか』
 それからである。毎年、三郎は元旦にひとつ、雷蔵に願い事をした。二年のときには、雷蔵の顔を日常の変装に使ってもいいかという願い。三年のときには、恋仲になってほしいという願い。四年で肌を合わせたいと言われ、五年で同じ主に仕えることを請われた。彼の願い事はいずれも雷蔵自身も意識に、あるいは無意識に望んでいたもので――だからこそいつも快く受け入れてきた。
 そうして、最後の年――六年の元旦がやってきた。雷蔵と三郎は互いを名前で呼び、三郎は日常的に雷蔵の変装をしている。二人は恋仲で、冬が終われば同じ城に仕えることが決まっていた。
 この年、雷蔵はいつものように三郎の願いを心待ちにしていたのだが、彼は一向に願いを口にしなかった。そのまま、一日が過ぎてそろそろ寝る時間になろうとしている。今年、三郎は願い事がないのだろうか、と雷蔵は気になった。もしそうだったとしたら、少し寂しい。なぜなら、恋人として三郎は日常的に雷蔵を甘やかすが、雷蔵だって三郎と方法は違っても彼を甘やかすことが好きだからだ。
 先に布団に入った雷蔵は、障子を閉め切っても部屋に忍び込む寒気の中で明日の準備をしている三郎の背中を眺めた。
「ねぇ、さぶろ」
「なんだい? 雷蔵」
「今年は僕に願い事をしないの? 早くしないと、もうすぐ明日になってしまうよ?」
「今年はいいよ」
「どうして?」
 三郎は何も言わず、雷蔵を振り返って微笑した。幸せそうな笑みである。彼は立ち上がって文机の上の灯りを消すと、雷蔵と同じ布団に滑り込んできた。冷たいその身体を、雷蔵は寝間着ごと抱きしめてやった。自分の温もりが少しでも彼に移るように。
 すると、三郎も雷蔵の背中に腕を回し、まるで猫のように身体を擦り寄せてくる。満足そうな彼の吐息が、雷蔵の耳朶をくすぐった。
「……私は全部、手に入れてしまったんだ。雷蔵と恋仲になって、同じ城に仕えて。もうこれ以上、望んだら罰が当たってしまうくらいだ」
 幸せそうな、泣き出しそうな声で三郎は囁いた。雷蔵はあやすように彼の背中を撫でた。
「僕、毎年、お前が何か願い事をしてくれるのを楽しみにしているんだけど。……でも、そういうことなら、今年は僕が願ってもいいかい?」
「もちろん。雷蔵の願いなら、いつだって大歓迎だ」
「そう? なら、お前の人生を僕にちょうだい。僕のをお前にあげるから、ね?」
 雷蔵の言葉に三郎ははっと息を呑んで、身を起こしかけた。暗闇に馴れた目に、彼が驚いた顔をしているのが分かる。
「雷蔵、それって……」
「同じ城に仕えるだけじゃ、足りないよ。死ぬときまで僕ら、ふたりでいるって約束してほしいんだ。もちろん、僕だって生涯、お前だけにするから。……っていうのは、我が侭かな?」
 尋ねた瞬間、三郎が勢いよく覆い被さってきた。ぐぃぐぃとい強い力で抱きしめられる。
「雷蔵、雷蔵……! 本当にいいの? 君の願いだなんて言って、本当は私がいちばんほしいものを願うなんて!」
「何を言うのさ。お前だって、毎年、僕の欲しいものを願ってきた癖に」雷蔵は笑って、それから、色めいた手つきで三郎のわき腹を撫でた。「さぁ、三郎、僕の願いが嫌じゃないなら……さっさと僕をお前のものにしろよ」
「君の願いとあらば」
 にやりと笑った三郎は、心得たとばかりに雷蔵の唇に自分のそれを重ねた。



pixiv投下2014/01/13

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