色気談義


※年齢操作あり。
※サブカプとして竹くく、食満勘あり。



1.竹谷八左ヱ門


 色気というと、忘れられぬ思い出が竹谷八左ヱ門にはある。
 忍たまたちは、四年生になる頃から色に興味を持ち始めるものだ。
 色は忍の三禁が一。とはいえ、外の世界では色を武器に敵につけこむことも、つけこまれることもあり得るからだ。きちんと対処を学んでおかねばならない。そうした授業が行われるのは、入学からの三年間で忍としての基礎がほぼ完成しきった四年の頃である。
 忍たまたちは、もちろん、色に溺れることはならぬと教師に言い含められる。だが、まだ大人になりきらぬ若者のこと、禁じられたことにはどうしても興味がいってしまうものだ。教室の片隅で、あるいは夜更けの長屋で集まって『どんな女が好みか』とか『どこの茶屋の娘がかわいい』とかいった話をすることも度々だった。
 そんな折のこと。四年ろ組の面々に課題が出さたため、皆は夜半に長屋の部屋に集まった。その課題はろ組を三つの班に分け、出されていた。そのため、ろ組の三分の一が竹谷の部屋に集まっていた。中には、級長の鉢屋三郎もいたと思う。ただ、彼の親友の不破雷蔵は別の班で、その場にはいなかった。それだけは確かだった。
 最初は皆、真面目に課題をこなしていた。何といっても級長の三郎が同じ班にいるのだから、当然だ。三郎は悪戯好きで茶目っ気がある奴だが、天才と言われるだけあって、意外に仲間に課題を怠けさせるような真似は決してしないのである。だが、課題が終わりに近づくにつれて場の空気が緩んでくる。息抜きのために始まった雑談が、いつしか話題が変わって色の話になっていた。そうなると、皆、そちらに興味のある年頃であるから、話の方に夢中になってしまう。
 話題は転がり転がって、色気の話になった。女のどんな部分に色気を感じるか、色気のある仕草とはどんなものか、という話である。三郎は、雑談を止めなかった。おそらく、課題の内容が変姿の術――とりわけ女装についてであったから、大目に見てくれたのだろう。皆は大いに盛り上がって、女は乳だとか尻だとか、後年思い返せば幼く微笑ましく思えるような意見を口にした。
 その場にいる級友たちが大方、自分の好みを言ってしまったところで、竹谷はまだ発言していない人間がいることに気づいた。三郎である。変姿の術を得意とし、四年生にして玄人の遊女さながらの美女にまで化けてみせる三郎ならば、きっと色気についても詳しいに違いない。そう考えて、竹谷は三郎に話を振った。
「なぁ、三郎。お前は? 女のどんな仕草が色っぽいと思う?」
「色気なぁ……。変姿の術のときよく先生方が言われるように、男をその気にさせる仕草というのは計算して作れるものだからな。そう思うと、私はどうもな……」
 三郎は腕を組んで考え込んだ。確かに、変姿の術を知り尽くした彼らしい意見である。だが、まだ異性に夢見ていたい年頃の竹谷としては、三郎の言葉は承伏しかねた。
 色気はぜんぶ作りもの。自分たちがどきどきするのも、すべて紛いものによって引き起こされた感情だなどと思いたいはずもない。
「計算ずくでない色気だって、きっとあるだろ。三郎はないのかよ? こう、理屈でなく惹かれるっていうか、どきどきするっていうか、何ていうか……」
 それを聞いていた級友のひとりが、口を挟んだ。
「竹谷、三郎に聞いたって無駄さ」
「何でだよ?」
「だって、三郎は最終的には雷蔵って言うに決まってる。こいつはきっと雷蔵だったら何でもいいんだよ」
 いやいや、その言い草はひどくないか。竹谷は内心、そう思った。だが、口に出す前に三郎本人が「あっ!」と声を上げていた。
「そうだな。私には雷蔵がいちばんに思える」
「やっぱりな!」
 級友たちは「そうだろう」というように笑った。だが、そうじゃないだろう、と竹谷は言いたかった。三郎はいつも雷蔵の顔をして、二人でいる。でも、恋仲というわけではないのを、竹谷は知っていた。三郎は確かに雷蔵馬鹿だが、周囲が思うほどではないのだ。
 やがて話題が変わった頃、竹谷は三郎の傍へ行って袖を引いた。
「なぁ、三郎、あれでよかったのか?」
「何がだ?」三郎は不思議そうな顔をした。
「雷蔵なら何でもいいんだろうって言われて、嫌じゃないのか? お前と雷蔵が大親友なのは知ってるけど、でも……」
「八左ヱ門、お前はいい奴だな」三郎は微笑した。「だけど、私は気にしちゃいない。……というより、さっきので気づいたんだが、雷蔵には色気があると思う」
「はぁ?」
 竹谷は首を傾げた。
 雷蔵はいい奴だ。優しいし、賢い。穏やかで人好きのする顔をしている。だが、果たして彼に色気というものがあるだろうか? どちらかというと、雷蔵は色の陰微さとは無縁の日向のような存在に思えるのだが。
「なんだ、八左には分からないか。そうかそうか」三郎はひとりで頷いている。その表情にはどこか優越感のようなものがあった。「いいんだ。雷蔵の色気は、私ひとりが分かっていれば」
「何だよ、それ」
 竹谷はなぜ三郎に優越感を抱かれているのか、まったく理解しかねた。ひとつ分かることがあるとすれば、三郎は竹谷が思っていた以上に雷蔵馬鹿であるらしいという点だった。


 ――夜更け。竹谷は忍たま時代の思い出を懐かしみながら、酒を飲んでいる。差し向かいにいるのは、久しぶりに逢った久々知兵助だ。忍術学園を卒業して三年。二人は今、恋仲だった。
「……そういうことが、昔、あったんだ」
「へぇ。ろ組の会話は面白いな」
 久々知は切れ長の瞳を猫のように細めて笑った。学園の頃から上級生の宿題をこなすほどの剛毅な性格とは裏腹に女のように優しげな容姿をしていた彼は、年月を経ていっそう美しさが増したようである。……と思うのは惚れた竹谷の欲目だろうか。
 つかの間、見惚れたことを誤魔化すように、竹谷は口を尖らせた。
「何だよ。い組からしたら、ろ組の会話は馬鹿話ばっかだって?」
「拗ねるなよ。羨ましいのさ。思い切り馬鹿できるのは子どものうちだけだ。い組ではそういうこと、あまりできる雰囲気じゃなかったからな。だから、結局、俺も勘ちゃんもお前らといることが多かったろう?」
「あー。そういえばそうだな。……でも、優秀ない組そのものみたいな久々知兵助が、い組を窮屈に感じてたなんて、意外だよ」
「人は見かけに寄らないものさ」
 目を細めた久々知は、立ち上がった。板張りの床を静かに歩いてきて、竹谷の傍らに座る。甘えるようにもたれ掛かってきた彼に、一度だけ鼓動がどくりと跳ねた。
 心底、惚れている。久々知とこうした関係になったのが、未だに夢のように思えるときがある。色気といえば、色白で美貌の久々知は確かに色気のある男だ。とはいっても、女の代わりに思ったことはない。細い姿態もそこから繰り出される強力な技も、戦場を駆け回る戦忍を選んだ剛胆さも、彼を構成する要素すべてに惹かれるのだ。
 竹谷は腕を伸ばして、久々知を抱きしめた。その温もりを感じながら、幼い学園の日々のことを再び思う。
『雷蔵には色気があると思う』
 そう言った三郎のことを、今なら理解できる気がする。



2.尾浜勘右衛門

 炭の焦げるにおいで、尾浜勘右衛門は目を覚ました。まだ暗い夜更けの部屋の中、囲炉裏の前に丸まった背中がある。見れば、つい先ほどまで同衿していた相手が、傍らに行灯を置いて手仕事をしているのが分かった。
 尾浜は寝返りを打って、しとねの中から相手の仕事を眺めた。男らしい筋張った手が、存外に器用に細く切った竹を編み上げていく。まだ作り始めたばかりだが、どうやら竹籠になるようだ。その手つきはまるで忍の技のように手際よく、完全に統制が取れていて美しい。尾浜は情事の甘やかな余韻そのままに、ぼんやりと相手の手元を見ていた。
「――起こしちまったか」相手――食満留三郎は、背中を向けたまま尋ねた。「お前は寝かせておいてやるつもりだったんだが」
「それは無理ですよ、先輩。俺もあなたと同じく忍です。どうしたって、気配が動けば目が醒める」
「すまねぇ。血なまぐさい戦場を駆け回った後は、どうしても寝付きが悪くてな。よく、こうして手仕事をして、長い夜を紛らわすのさ」
「いいんです。分かってます。それに、俺、先輩の手仕事を見るの、大好きですから」
 尾浜は微笑した。食満と恋仲になったのは、学園を卒業した後、ある仕事で一緒になったときだ。それまでは、まさか自分が彼と親しくなるとは考えたこともなかった。けれど、今にして思えば学園にいた昔から自分はこの先輩が用具委員としてものを修理したり作り出したりするのを見るのが好きだった気がする。
 どれだけ血にまみれたとしても、食満の手の本質は、何かを生み出したり直したりするものだ。その手に触れられ、愛撫されることを、尾浜はいつも嬉しく思う。血なまぐさい忍稼業であるにせよ、いつも彼の手に触れられるのにふさわしい存在でありたいと願っている。その切望が、狂気に満ちた戦場で尾浜に正気と正心を保たせる糧となるのだ。
 きっと人の身体の中で色気を感じる部位を挙げよと言われれば、自分は迷いなく手だと主張するだろ。そんなことを考えていたら、ふと思い出した記憶があった。他愛もない思い出だが、学園の頃のよもやま話はきっと食満の気を紛らわせるだろう、と口にする。
「……そういえば、先輩、この間、同級の兵助に会ったんです。そうしたら、竹谷と久しぶりに忍たまの頃の話をしたって」
「あぁ……。世間に出ちまうと、なかなか学園の話はできないよな」
 学園の存在がいちおう秘匿されているということもある。だが、それ以上に学園長と教師たちに庇護されて過ごした六年間の暖かな記憶は大事すぎて、簡単に他人に話す気がなくなるものなのだ。
「まぁ、でもガキの馬鹿話の思い出ですよ。四年の頃に色気について話をしたっていう……」
 尾浜は久々知が竹谷から聞いたという思い出を、食満に打ち明けた。彼は面白そうにそれを聞いていた。
「不破には色気がある、か。しかし、齢十三にしてそういう境地に至る鉢屋は、何というか……」
「あいつはただの雷蔵馬鹿ですよ。でも、考えてみたら三郎の言うことはもっともかもって思うような出来事を、俺も経験したんです」
「へぇ……」
 食満は興味が湧いたというように、手を留めて尾浜を振り返った。それに気を良くして、尾浜は自分の記憶を辿る。
 そう、あれは六年の時のこと――。


 忍術学園の六年生のときのことである。当時、三郎は学園にいなかった。紆余曲折あって五年のときにようやく雷蔵と恋仲になったと思ったら、さほど間を置かずに三郎は実家に呼び出されてしまったのだ。
 三郎の実家は鉢屋衆という忍衆であるらしい。分かっているのはその一事だけで、実態は秘匿されている。どうやらお家騒動のようなものが起こったらしいということは伝わってきたのだが、三郎の消息はふつりと途絶えてしまった。そのまま、尾浜らは六年になって幾月かが過ぎた。
 その頃、学園は大事件に巻き込まれた。あのタソガレドキさえも恐れるほどの強国が、東から侵攻してきたのである。その強国は、どこの大名の領地でもない忍術学園に目を付けた。出城を築くために、学園の土地を奪おうと襲いかかってきたのだ。
 大がかりな侵攻に、学園もさすがに教師陣だけでは対応しきれなかった。学園は中立の信念を曲げ、強国の進出を防ぎたい一円の大名と同盟を組むしかない。しかも、それでもまだ戦力が足らず、学園の防衛には上級生も加わることとなったのだった。
 尾浜らは、最上級生としてほとんど一人前の忍と同じ忍務に就いた。といっても、経験のない子どもにできるのは後方支援である。皆で強国の国勢や家臣団の構成、兵糧の蓄積などを調べ上げ、同盟の大名衆に伝えた。だが、様々な手段を講じたにもかかわらず、強国の侵攻は止められなかった。
 六月――とうとう学園に向けての戦が始まった。
 戦といっても、学園の生徒にはいちおうの経験がある。一年生を除くすべての生徒が、かつて園田村の防衛戦を戦ったことがあった。そのため、生徒たちは最上級生の尾浜らを中心に守りを固めていった。最上級の六年の指揮の要となるのは、何といっても級長である。しかし、このときろ組の級長である三郎は不在で――平時は雷蔵が図書委員長をしながら級長代理も務めていた。雷蔵は一度も不平を言わず――それどころか三郎のやりかたを熟知してうまく級長代理をこなしていたため、そのまま非常時においても雷蔵が級長代理として対応することになった。
 い組は学園の守護を、は組は同盟大名との連絡を、そして、ろ組は斥候を。三郎不在の中、雷蔵は級長代理として十分な働きをしていた。
 そんなあるとき。尾浜は雷蔵と調整する事柄があって、ろ組の教室へ向かった。ちょうどろ組の連中は敵陣近くから戻ってきて報告を終えたばかりで、皆、それぞれ休息に入っている。教室には雷蔵がひとりきりでいた。
 厳しい顔で地形図を見つめていた雷蔵は、しかし、尾浜がやって来たことに気づくと表情を改めた。不安も恐れも一瞬で消して、笑顔になってみせたの。それは、ほとんど無意識だったのかもしれない。
「どうしたの? 勘右衛門」
 そう言った雷蔵は、いつもの雷蔵だった。穏やかで、優しくて、人好きのする若者。その裏側にある鋭ぎすまされた知性。そういう人格を、この緊迫した状況下にあって、雷蔵は意思の力で維持しているのだ。三郎もいないというのに。
 忍の技と同じく完璧に統制されたそれに、感嘆の思いを覚える。いや、むしろ負の感情を抑制しきる雷蔵の姿に、妙な色っぽさすら感じた。
「勘右衛門?」
 雷蔵が不思議そうな顔でこちらを見ているのに気づく。「ごめん、雷蔵。ろ組の二班の敵陣についての報告で確認したいことがあって……」用件を切り出して、尾浜はつかの間、彼に見惚れていたことを隠した。


「――不破というのは、そういう奴だったのか……」
 意外そうに食満は呟いた。手仕事を忘れ、しとねに入った尾浜の傍に来て昔話に聞き入っていた様子だ。ついでに、心を悩ませていた戦場の血生臭さも、その意識から去ったらしい。願った通りの結果に、尾浜は思わず笑みを漏らした。
「先輩、意外?」
「いや……そうでもないかな。俺の同級で善法寺という奴がいただろう?」
「あぁ、保健委員長だった」
「そう、伊作だ。あいつもいつもは不運に遭ってばかりで、戦場でも人助けしてばっかりで、忍なんか務まるのかと思ったけど。それでも、やっぱりあいつでも忍務となると、きちんとこなすんだよ。優しげだからって、それがすべてとは限らないってことはよく分かってる」
 忍としての適性を疑うといえば食満も同じだ、と尾浜は思った。食満も情を捨てきれず、割り切れず、悩みながらも忍として立派に生きている。優等生のい組として忍であるために尾浜が捨ててしまったものを、食満は大事に持ち続けているのだ。そんな彼がときどきもどかしいけれど――ひどく愛おしい。
「先輩も同じじゃないですか」尾浜は床に突いた食満の手に触れながら言った。「先輩も、情に流されそうな自分を律しながら生きてる。そういう姿勢って、色っぽいと思いますよ」
「……おいおい、誘ったって今日はもうしねぇからな。お前の身体に障る」
 苦笑した食満は、わしゃわしゃと乱暴に尾浜の髪をかき回した。「うわっ!」と尾浜はおどけた悲鳴を上げた。






2014/01/25

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