お前なしでは泣くこともできない
・現代転生パロ。記憶なし三郎と記憶あり雷蔵です。 ・木勘の記述があります。 ・雷蔵がフィギュアスケーターです。 1. 不破雷蔵には『前世』の記憶がある。戦国時代――正確に言うなら室町の頃に、忍者として生きて死んだという記憶が。 もっとも、前世を覚えているからと言って何かいいことがあったわけでもない。一時期、いわゆる『中二病』というヤツだった友人が時分は前世で武将だったなんて誇らしげにしていた。しかし、雷蔵にとっては前世なんて取り立てて自慢するほどのものでもなかった。 だって、前世は現在の自分とはまったく無関係なのだ。前世の自分といえども、結局は自分ではない存在。異なる時代の異なる背景に生きる“彼”のことは、思考も感情も異質で理解できない。そんな人物の記憶を持つのがどんな感じかと問われれば、感情移入できない映画の内容を詳細に知っているみたいなものだった。 雷蔵が前世の自分を理解できない理由は山ほどある。だが、そのひとつを上げるとするならば、前世の自分が愛した人物だろう。前世の不破雷蔵は、親友の三郎という男と恋仲だった。しかも、妙なことに三郎は変装名人で、他に選択肢もあろうに好んでいつも雷蔵の変装をしているのである。並んで見ると、恋仲というよりは双子だ。自分と同じ顔の、しかも男のどこがよくて添い遂げたのか――前世の自分に会ったなら問いただしてみたいくらいだった。 それでも、前世の記憶を鑑みて、現代に生まれてよかったと思える点も多くある。何より平和なことだ。現代では、忍の厳しい修行をしなくていい。それに、遠い世界には争いもあれど、自分の身の回りでは戦争や殺し合いもないのがありがたかった。 ただ。 ほんの時折、雷蔵の忍としての本能の部分が疼くことがある。思い切り野を駆け、力の限り跳んでみたい。己の身体にどれほどの力があるのか試してみたい、と。そうした自分の内なる声は、たぶん、幼い頃から聞こえていたのに違いない。そして、それこそ自分が現代でスケートを選んだ理由なのではないか、と雷蔵は考えていた。 そう。現代の不破雷蔵は、フィギュアスケートの選手だった。高校生の現在、雷蔵はジュニアクラスではあるがそこそこに評価を受けている。全日本ジュニア選手権に出場し、何度か十位以内に入賞したこともあるほどだ。前世の忍としての記憶がそうさせるのか、雷蔵はジャンプを得意として身体能力の高さを認められていた。 日々の練習はさすがに厳しい。特に、この春、高校に入学してからはいっそう、学業とスケートの両立が大変になってきた。けれど、前世の忍としての修行に比べればまだマシだと思えば耐えることができる。それくらいにはスケートを愛していたし、きっと今生の自分はスケートを生きる目的としていくのだろうと予感めいたものがあった。 たぶん、前世で鉢屋三郎を愛し抜いた代わりのように。 鉢屋三郎という男は、高校で一緒になった。名前でぴんと来たし、顔も自分とどこか似ていた。もしかすると、前世の三郎の生まれ変わりなのかもしれないし、実はそうではないのかもしれない。いずれにせよ、鉢屋三郎を初めて見たときの雷蔵の気分は「ふーん」だった。彼は前世で恋人だったかもしれないが、今の雷蔵は彼に対して何の感慨もなかった。一方、三郎の方も前世を覚えていないのか、雷蔵と同じで感慨もないのか、取り立てて雷蔵に構うでもなかった。 二人は同じ学校にいながら、ただの同級生というごく細いつながりしかなかった。 *** ――放課後。雷蔵は幼い頃から通っているスケートリンクで練習をしていた。エッジに体重を乗せてひと蹴りすれば、リンクの風景が勢いよく背後へ流れていく。 息を吸って、雷蔵は氷を蹴った。ふわりと宙に浮く身体が、勢いよく回転する。三回転半回って降りるアクセルジャンプ。着氷した衝撃を身体で吸収して、淀みなく滑り出す。 (やった) このスピード感と緊張感が、忍の頃の体験を思い出させる。高揚を覚えながら、雷蔵は滑り続けた。 身体能力の高い雷蔵には、しかし、課題がある。それは表現力だった。ジャンプやスケーティングは身体でカバーできるが、表現力はそうでなない。ある程度の練習はもちろん有効だが、個人の資質や経験などで決まる部分も多い。雷蔵は自分自身のことを、情動の薄い人間だと感じていた。そのせいか、プログラムの情感を表現するのが苦手だった。 一口にスケートのプログラムといっても、大きく分けて二種類が存在する。一つは古典的なものでは『ロミオとジュリエット』や『カルメン』のように物語をモチーフとし、スケーターが滑りの中で登場人物を表現する型。もう一種類は音楽そのものをスケーティングで表現する型。物語モチーフのものは登場人物の情動を表現するため、雷蔵にとってはひどく困難なタイプである。しかし、音楽を表現するプログラムが簡単かといえば、そうも言えない。音楽そのものには作曲家の感情やテーマが深く込められているわけで、こちらもまた表現力に欠けるスケーターが滑れば気の抜けたサイダーみたいになってしまう。 雷蔵としては今年でジュニアクラス卒業し、来年からはシニアに移行することを夢見ている。シニアに上がってスケーターとしての評価を確立していくためには、どうしても表現力を身につけたいところだ。 けれど。感情とか情動とかいうものは、やはり自分からは遠く感じられてしまう。いったいどうすれば表現力を身につけられるのか――。それこそが、前世の記憶よりも、高校で偶然に一緒になってしまった前世の恋人の生まれ変わりらしき相手よりも、雷蔵のいちばんの悩みだった。 2. そうして始まったジュニア最後のシーズン。雷蔵は初戦に当たる大会で、惨憺たる結果を出してしまった。原因は明白。同期にあたる選手――久々知兵助がプログラムに四回転を取り入れてきた。それを自分の滑走前に目にして、すっかり動揺してしまったのだ。 もともと表現力には問題があるのだが、今日はいつにも増して曲に集中することができなかった。まるで自分が氷の上でぐこちなく踊るブリキ人形にでもなった気分。ジャンプも決まらず、幾度も転倒した。気がついたときには滑り終わっていて、キスアンドクライでひどいスコアが出るのを見守るしかなかった。 雷蔵も四回転は一応できる。 できるが、プログラムに入れて戦えるほどの成功率には至らない。練習で跳んでみても、失敗する方が多いくらいだ。それなのに、久々知はプログラムに四回転を投入してきた。ということは、四回転の精度がかなり確実ということである。実際、大会での久々知は四回転をきちんと降りた上、最後は疲労の色を見せながらもプログラムを滑りきった。同じ十六歳だというのに――嫌がおうにも才能あるスケーターだと認めざるを得なかった。 会場からの帰り、雷蔵はまっすぐに家に帰る気分になれなかった。最寄り駅で電車を降り、とぼとぼと夕暮れ時の街を歩いていく。 と、そのときだった。 「――おい、早くしろよ、サブロー」 快活な声が耳に飛び込んできた。見ればところどころ髪の跳ねた少年が、手を挙げていた。彼を見て、雷蔵はハッとした。前世の記憶の登場人物――竹谷八左ヱ門がそこにいた。同じ年頃のようだが、学校では見た覚えがない。ということは、別の高校なのだろう。 その竹谷に向かって歩いて行くのは、同級生の鉢屋三郎である。前世の記憶に出てくる二人がいったいどこへ行くのか――。雷蔵は思わず二人の姿を見守った。 と、不意にトンと身体の右側に衝撃があった。 「あっ、ごめん」 愛想のいい声が聞こえて、雷蔵は我に返った。自分にぶつかった相手を見て、ぎょっとする。雷蔵のすぐ傍らに立っていたのは、これまた前世の記憶で知る尾浜堪右衛門だった。 「勘……」 雷蔵は驚いて、相手の名を呼びかけた。けれど、尾浜に記憶がないかもしれないと思い至って口をつぐむ。 もっとも、尾浜の方はすぐににっこりと微笑んでみせた。 「雷蔵! 久しぶり。その様子だと、俺のこと覚えてるんでしょ?」 「あ……えぇと……僕、は……」 「あれ? 覚えてない?」 「……覚えてる、よ……勘右衛門。ごめん……。記憶がある人に初めて会ったから、ちょっとびっくりして……」 「そっかー。ってことは、アイツも記憶ないんだ?」 尾浜は通り沿いの店に入っていく三郎へ視線を向けた。雷蔵はぎこちなく頷く。尾浜は優しい、けれど痛ましげな眼差しで雷蔵を見た。 「雷蔵ひとりだけ覚えてるなんて、辛いでしょ。三郎なら絶対、雷蔵のこと忘れないと思ったのに。案外、薄情なヤツ」 「別に辛くないよ……? 覚えてるって言っても、何か、自分の体験とは思えないし。なんか、他人の人生のシナリオを全部知ってるだけって言うか……」雷蔵は訥々と答えた。 「そっか……。で、どうして三郎の方をじっと見てたの? アイツがどこへ行くか、興味ある?」 「少し……。八左と三郎がそろって、何をしているのか気になるかも」 「そっか」 微笑して、尾浜は二人がインディーズバンドを組んでいることを教えてくれた。高校生のバンドながら、彼らはすでに話題になり始めているらしい。今日はライブハウスで、ある人気バンドの前座として呼ばれているのだとか。 「――ねぇ、雷蔵、ちょっと見ていく?」 「えっ? でも、僕、チケットがないよ。今からじゃ、きっともう売り切れちゃってるだろうし……」 「ところが、ジャーン!」 尾浜はポケットからチケットを二枚、取り出して見せた。聞けば、一枚は彼の恋人の分だったのだが、急な仕事で来られなくなったのだという。だから一緒にライブを見よう、と尾浜は誘った。 雷蔵は当初、遠慮した。けれど、この機会にもう少し話をしていたいと言われ、結局、好意に甘えることにする。雷蔵は勘右衛門に連れられて、おっかなびっくり初めてライブハウスに足を踏み入れた。 会場の前の席は、すでにほとんど埋まっている。尾浜と雷蔵は後列の空いていた席に座り、話を続けた。 聞けば、尾浜は雷蔵たちより四歳年上の二十歳。現在は美大に通っているのだという。驚いたことに、彼の恋人というのは前世で雷蔵たちの学年を担当していた木下先生だということだった。木下は、今生では教師でなく警察官になっているらしい。 「俺、昔から木下先生が好きだったんだ。雷蔵たちより早く生まれたのは、たぶん、木下先生に少しでも近づきたかったから。前世みたいに、年齢を理由に恋仲になることを断られたくなかったんだ。……まぁ、今回も結局、年齢的には前とほぼ同じくらいの差なんだけどね」 でも、今回はちゃんと恋仲になれたからいいんだ――と尾浜は嬉しそうな笑みを浮かべた。 雷蔵も、求められるままに話をした。フィギュアスケートをしていること。スケーターとしての同期に久々知がいること。三郎が同じ学校の同級生にいるが、記憶はなさそうだということ。 興味深そうに尾浜は雷蔵の話を聞いていた。そうして、すべてを聞き終えたとき、彼はぽつりと尋ねた。 「そういえば、雷蔵って何でフィギュアをやろうと思ったの? 趣味で習うには、結構、珍しいスポーツだよね」 「……たぶん、僕は自分の価値がほしかったんだと思う」 「価値?」 「そう。室町の頃、僕は農家の生まれだった。だから忍になってお給金で家族を助けるのが将来の目標だった」 室町当時、子どももまたそれなりに重要な労働力だった。幼い頃から家の手伝いをしていたし、忍術学園に入ってからは家族を養う忍になるという役目を背負っていた。それが不破雷蔵の価値だった。 「でも、現代のこの国では、子どもに役目は背負わせない。子どもは遊んで、勉強して……そうしていればいいと言われる。たぶん、僕はそれが怖かったんだ。僕には何の価値もないのに、どうして両親は大事にしてくれるんだろうって」 「雷蔵……」 「そんなとき、僕はフィギュアの体験コースを受けたんだ。他の誰にもできないのに、当時四歳の僕には簡単なジャンプが跳べた。両親がすごく誉めてくれて……これだと思った」 誰よりもスケートが上手になれば、両親が誉めてくれる。フィギュアが上手な自分になれば、きっと両親にとっての不破雷蔵の価値を作ることができるだろう。――幼な心に考えたのは、たぶん、そんな論理だった。 思えば、どこからどこまでも冷めた子どもだ。これでは情感が理解できず、表現力に乏しいのも無理はない。そう思う。 「……雷蔵、泣きそうなカオをしてるよ」尾浜はそっと言った。困ったような、それでも優しい笑みを浮かべている。「泣きたいなら、泣いちゃえばいいのに」 「僕は別に泣きたくないよ?」 「うん。雷蔵は昔から、俺たちの前では泣かないんだ。どんなに辛くたって、苦しくたって笑って我慢して、それで……」 そのときだった。ステージ上に三郎たちが現れた。ジーンズにTシャツ姿のごくシンプルな出で立ち。他のメンバーも皆、似たような格好だ。竹谷は後列のドラムセットの後ろへ。三郎はステージ中央のマイクの前へ。メンバーがそれぞれのパートに入る。 短い紹介の後に、バンドは演奏を始めた。 途端、“それ”が来た。 疾走するような激しい曲調。どこまでも駆けていくようなスピード感に、ファンでもないのに心まで引き込まれる。 ――これは三郎の曲だ。 作曲が誰かも聞かないうちから、雷蔵は確信した。間違いない、三郎の曲だ。焦土と化した戦場を駆け抜けるかのようなメロディライン。激しくて暴力的で、虚ろ。そこに、三郎の歌声が祈るように、悼むように重なる。 雷蔵の脳裏に、前世の記憶の中で戦場にぽつりと立ち尽くす鉢屋三郎の姿が浮かび上がってきた。今生の三郎は前世を覚えていないかもしれない。けれど、前世は確かに三郎の無意識の中に眠っているのだろうと雷蔵は思った。 たとえ、意識することがなくとも、今生の鉢屋三郎は音楽で以て前世を表現している。 そうと悟った瞬間、ズンと重みが降ってきた。そう感じるほどの衝撃と共に、雷蔵は感情の大波が押し寄せてくるのを感じた。 鉢屋三郎が好きだ、と思った。愛している、と。そうしたら、他人のもののように思えた不破雷蔵の記憶が、自分のものだと感じられた。前世での自分が何を考え、何を思い、何を愛したのか。手に取るように理解できる。人間の一生分のその感情が降ってきて、今生の自分に同化したかのようだった。 けれど、前世で喜びも悲しみも共に分かちあった唯一無二は、ここにはいなかった。一瞬、ステージ上の三郎がこちらを見たけれど、その眼差しは無関心なまま。すぐさま逸らされてしまう。 孤独だと雷蔵は感じた。世界の中で、自分はひとりぼっちだ、と。身を切るような孤独感と突然に訪れた感情の波で、雷蔵はしばらく呆然としていた。 *** 三郎たちは二曲分の演奏を終えて、ステージから下がった。途端、雷蔵が席を立って駆け出す。尾浜はぎょっとして、雷蔵の後を追った。 雷蔵は猛スピードで店を飛び出してしまう。ライブはまだメインのバンドが残っているのだが、尾浜も構わずに外へ出た。どうせ三郎たちのバンド目当てで来た尾浜である。ライブの途中とはいっても、十分に目的は果たした。 それよりも気がかりなのは、雷蔵だった。三郎たちの演奏中、彼は呆然と前を見つめていたのだ。泣き方を忘れてしまった幼子みたいに、ひどくおぼつかない様子で。 尾浜は通りを横断した雷蔵を追いかけようとした。そのときだ。不意に脇からシルエットが飛び出してきた。見れば、それは先ほどまでステージ上にいたはずの三郎だった。雷蔵の話によれば前世の記憶もないはずなのに、彼は迷いのないスピードで雷蔵を追っていく。 ――どういうことだ? びっくりして尾浜は足を止めた。 と。 「すみません」 聞き覚えのある声に尾浜は振り返った。そこには困惑しきった顔の竹谷が立っていた。彼も前世の記憶はないのか、尾浜相手に恐縮しきっている。 「あの……あなたはさっき走って行った子の知り合い、ですか?」 「……うん。まぁ、そうだよ」 「うちの三郎が……何かすみません。ステージを降りてるときに、いきなり、『理由はわからないけど、行かなきゃいけない気がする』なんっつって走っていっちゃって……」 「そっか……」 記憶はなくとも、本能では何か覚えているのかもしれない。さすが鉢屋三郎――と呆れて、尾浜はほっと息を吐いた。雷蔵はひどく追いつめられているようだったけれど、三郎が行ったなら大丈夫だろう、と安堵する。何せ、前世の雷蔵が唯一弱音を吐ける場所こそ、鉢屋三郎のそばだったのだから。 *** 路地裏の壁に背をつけて、雷蔵はうずくまっていた。悲しいのか、苦しいのか、寂しいのか、愛しいのか。はっきりとはしない感情に押しつぶされそうになる。後から後から涙があふれてきて止まらない。 雷蔵はごしごしと衣服の袖で顔を拭った。けれど、とても追いつかずに新たな涙で頬が濡れる。 と、そのときだった。優しいメロディがやんわりと聴覚を震わせる。聞き覚えのある声に、雷蔵は顔を上げた。見れば、三郎がメロディをハミングしながら、雷蔵の隣に腰を下ろすところだった。何の前置きもなしに、三郎はハミングを続けた。 「…………どうして……子守歌なの?」 雷蔵は尋ねた。三郎は肩をすくめた。 「何となく、だな」 「ライブハウスは……? 出てきていいの? ……っていうか、どうして出てきたの?」 「分からないよ、俺にも。……ただ、たぶん、ステージ上から見た君が泣いているようだったから……傍にいなくちゃって気がした」 「変なの」 「そうだな」 自分の行動が妙だと認めながらも、三郎は立ち去ろうとしなかった。優しい子守歌を歌い終えた彼は、次いで別の曲のハミングを始める。それは彼のバンドの曲だった。 ライブハウスで聞いたときにはひどく攻撃的だったその曲は、しかし、人の声のハミングになると信じられないくらいに優しく聞こえる。また新たな涙が雷蔵の頬を伝った。 「……ねぇ。その曲って、鉢屋が作ったんじゃない?」 「そうだよ……。何か変?」 「変じゃないよ。ただそんな感じがしただけ。……ていうか、お前、僕が同じ学校だって知ってる?」 「知ってたよ。何か俺に似たヤツがいるって」 「そう」 その後、二人はしばらくの間、黙っていた。三郎は小さく、低く、優しく、いろんな曲のハミングを続けた。沈黙が苦にならない、不思議な時間だった。 三郎の歌を聞きながら、雷蔵は思った。彼の曲を表現してみたい、と。それは強い強い欲求だった。スケートを両親に認められるための価値として用いた雷蔵は、もはや跡形も存在しなかった。 誰にとって価値があるとかそんなことは関係ない。きっと自分がスケートを選んだことに意味があるとしたら、三郎の音をスケートで表現するためだ。きっとそれが自分のスケートで、他の選手がどう滑ろうともそれは揺るがすことができない。彼の音を表現するという目標のためならば、批判されようが認められなかろうが生きていける。それこそが、自分のスケーターとしての芯になるのだ、とそう思った。 「さぶろう」雷蔵はほとんど無意識のうちに、口に出していた。「すきだよ」 しまった。そう思ったときには既に遅い。言葉は口から出た後で、傍らで三郎が豆鉄砲を食らった鳩のようにキョトンとしていた。 さすがの雷蔵も血の気が引いてしまう。きっと気味悪がられるだろう――そう覚悟したときだった。三郎が呆然とした表情のまま、口を開いた。 「えっと……とりあえずオトモダチからで」 「え? あ、うん……」 真正面からのノーではないらしい。意外な三郎の反応に、雷蔵の方も驚いてしまう。思わず小さく声を立てて笑うと、三郎も僅かに頬を緩ませて笑みのようなものを浮かべた。 pixiv投下2014/05/05 |