solitude


注意
・近未来パロです。
・オメガバースの設定をアレンジしています。
・ファミリーはマフィアのファミリー的なものを想像してください。
・基本、鉢雷ですが、他のCPも出てくることがあります。
(★今回はこへ雷・庄鉢っぽい表現を含みます。ご注意ください)
・簡単な設定は最終ページに追記しています。




 青い青い海が、目の前に広がっている。白い砂浜、透き通る水。次の瞬間、それはぱっと切り替わって凍てつく冬の空へと変化した。
 そうかと思えば、表れるのは文字。かつて世界で広く使われていたという、アルファベットが浮かび上がる。
 ――s.o.l.i.t.u.d.e……
 連なる文字。しかし、それだけでは意味は分からない。
 保留にして、次へ。
 不破雷蔵はディスプレイに表示される文字や映像を確認しながら、キーボードを叩いていく。雷蔵の端末につながっているのは、大きな古い端末。年代ものだ。もはや稼働はしておらず、内部のデータだけが生き延びている状態だった。
 この場所は、かつて図書館があったとされる遺跡である。しかし、当時の紙媒体の本は長い年月の中で朽ち果ててしまった。現在、辛うじてデータが“発掘”できるのは、電子化されてサーバーの中に保存されていた書物の内容のみ。雷蔵はひとりきりで埃っぽい遺跡の中に座り込んで、古い書物のデータを“発掘”しているのだった。
 サーバーの中のデータを呼び出す。が、そもそもこの図書館のデータはあまりに古すぎて、現在の端末ではろくに読み込めない。きれぎれに表示されるそれらは、まさに暗号である。また、言語体系もすっかり変化してしまっている今、サーバーのデータを取り出してもそのまま読むことはできないのだった。
 それゆえ、ずっと放置されて誰にも省みられなかったデータを雷蔵は引っ張りだしていった。大まかに意味を解読し、きれぎれの文章を拾い集めていく。
 とりあえず集めてひとかたまりにしたデータを、綺麗に整理して利用できる状態にしていくのはまた後の作業だ。一冊の書物のデータが復元し終えるときのことを考えると、幸せな気分になれる。
 崩れた壁。ぼろぼろに朽ちて原型をとどめない書物たち。分厚く積もった埃。死んだような静寂の中で、雷蔵は作業に没頭していた。
どれくらいそうしていただろうか。不意に何かの破片を踏みつぶす音か聞こえた。雷蔵ははっとして、顔を上げる。振り返ると、いつの間にか背後に一人の青年が立っていた。雷蔵は彼の顔に見覚えがあった。
 ふわふわとまとまりのない髪。丸い大きな目。人のよさそうな顔立ち。この顔は――。
「僕の顔……?」呆然と呟く。
「ご名答」
 相手はけらけらと笑いだした。顔は雷蔵のままだが、その表情はずいぶんと違う。悪戯っ子のような笑みは、あまり雷蔵がしない類のものだ。
「――えぇと……僕って双子だっけ?」
 雷蔵は首を傾げて尋ねた。途端、相手が盛大にずっこける。
「いやいやいや! もっと他に言うことがあるんじゃないのかい? お前は誰だとか、顔を真似て何が目的だとかさぁ!」
「あ、そっか。……じゃあ、お前は誰?」
「それ、私が言ったから聞いたよねっ!? “そういう質問すればよかったんだ”って納得した顔をしないでよっ」
「もー、我が侭だなぁ。じゃあ、お前は僕がどういう反応すれば満足なんだい? 僕は今日、もうちょっとこの作業を進めておきたいんだけど」
「う……。ゴメンナサイ。私が悪かったデス」
「いいんだよ、邪魔しなけりゃね。図書館の中では騒がないでね。……で、僕の名前は不破雷蔵っていうんだけど、君は?」
「――……三郎。鉢屋三郎」
 最初の悪戯っ子のような態度とは打って変わって、青年――三郎はためらいがちに答えた。今度は、まるで人見知りする子どものようだ。
〈三郎〉という名を、雷蔵は頭の中のデータベースに放り込んだ。昔はさておき、現代では姓(ファミリーネーム)は公的にもプライベートでもほとんど意味を持たない。かつての家族制度の名残というだけだ。本当に重要な個人情報というのは、その人物がどのファミリーに属しているか。対立するファミリーに属する者同士ならば、すぐにここで殺し合いに発展する可能性もある。
 だが、三郎は出会い頭に銃弾を撃ち込むような血の気の多い性格ではないようだ(もし彼が見境のない奴なら、彼の侵入に気づかなかった雷蔵はすでに射殺されていただろう)。
 ならば、と雷蔵はさらに相手の情報を収集することに決める。
「僕のしてることが気になるなら、横に座って見ててもいいよ」
「誰がそんなこと言った? 君、自意識過剰なんじゃない?」
 雷蔵の提案を、相手は鼻で笑った。それなら、と雷蔵はさして気にもせずに、自分の端末に向き直る。
「ちょっと、君、私を無視する気かい!?」
「僕、忙しいから」
「……」
 短い沈黙の後に、三郎は雷蔵の傍まで来て、むき出しの石の床の上に座った。興味深そうに雷蔵の手元を眺めている。その態度が、何だか構ってやらないと愛想よく振る舞う猫みたいで、雷蔵は可笑しくなった。
「――普通のデータだ……。別に機密でも何でもない」
 三郎はぽつりと呟いた。雷蔵が取り出しているデータを見て、内容の見当をつけたらしい。
「そうだよ。だってここは図書館の遺跡だもん。この端末に入っているのは、昔、図書館で利用者に閲覧されていた電子書籍のデータだ」
「でも、ここに来るまでの道にトラップを五つも仕掛けてたのは君だろ? こっちからしたら、この遺跡にあるのはどんなお宝かって期待するじゃない」
「トラップは、僕の作業を邪魔されたくなかったから」
 何せ雷蔵が作業をしていると、皆、何かお宝データでもあるのかと物騒な輩が集まってくることが度々なのだ。雷蔵もそこそこ腕に覚えはあるから、最初のうちは力ずくで追い返したのだが――侵入者が片手の指を越える数になった辺りで面倒になってしまった。今では、低レベルな侵入者は最初から排除するように、通り道に無数のトラップを仕掛けてある。死なない程度に加減したトラップなのだから、非常に良心的だ。
 そう言うと、三郎は納得できないという顔をした。
「そうはいっても、君、自分の立場を分かってるのかい? 七松ファミリーの中核メンバーの不破雷蔵が調査している遺跡なんだ。他の人間からしたら、大きなお宝が埋まってると思うに決まってる」
「僕のこと知ってるんだね。でも、一つ訂正するとすれば、僕は別にファミリーの中で高い地位にあるわけじゃないよ」
「でも、君はボスの七松小平太に近いところにいるだろ。七松ファミリーはこの地域でも有力なファミリーの一つ。情報収集をしないわけにはいかないよ」
「――ということは、三郎もこの地域のファミリーに属してるんだね」
 軽妙な会話をしながら、雷蔵は頭をフル回転させた。
 自分が侵入者避けに張り巡らせたトラップを解いてここまでたどり着いたということは、三郎は相当な実力者だ。頭も切れる。有力なファミリーに属していてもおかしくないほどの人間だ。だが、頭の中のデータベースを検索しても、情報はない。
 となると、三郎はこの地域の新興ファミリーに属している可能性が高い。彼ならファミリーのボスにもふさわしく思える。が、この遺跡に単身で出向いてきたことから考えても、幹部クラスというところか。
「三郎のファミリーのボスって、どんな人だい? お前みたいな男を幹部にするほどの人なんて、会ってみたいよ」
 雷蔵の言葉に、三郎は我が意を得たというように微笑した。
「君、すごくイイね。私の言葉から十も二十も情報を読みとってくれる。――うちのボスは素晴らしい人間だよ。でも、なにぶん、まだ新興のファミリーでね、勢力を拡大する機会を探してるんだ」
「それで、この遺跡にも財宝があるかもしれないと考えた?」
「まぁね。でも、それだけじゃない。私が君の気を引くように君の顔に変装して現れたのは、七松ファミリーとつながりがほしかったからだ。穏和だと評判の君なら……興味を持てば、紹介してくれるんじゃないかと」
「穏和? 僕はそんなこと、ないけどね……まぁ、紹介は考えとく。僕もお前のところのボスに興味があるしね」
 雷蔵は三郎と端末のアドレスを交換した。
 考えておく、などと曖昧な言い方をしたが、ボス同士の会見はそう間を置かずに実現するだろう。何しろ、雷蔵のボスの七松は、何にでも興味を示す男なのだから。その辺りは三郎も分かっていて、雷蔵に接触を図ったのかもしれない。
 そこでふと気づくと、時刻は夕刻にさしかかっていた。そろそろ帰らなければ。雷蔵は作業を中断して、道具をまとめた。
「帰るの?」
 三郎が尋ねる。心なしか名残惜しげな声だ。雷蔵は聞き間違いでなければいいな、と思った。自分にも、もう少し三郎と話していたい気持ちがあったからだ。
「そう。他の仕事もあるからね」
「そっか。残念だな」
 三郎はそう言うなり、顔を近づけてきた。あっと思う間もなく、ごく自然に唇が重なる。それと同時に、男の体臭にしては甘い――花のような匂いを感じた。
 きっちり十秒、三郎は唇を触れ合わせてから、離れていく。雷蔵は抵抗することもできたが、しなかった。
「今のは、お別れのキス?」雷蔵は言った。
「そう、お別れのキス。君が私のことを覚えていてくれるように」三郎はにやりと笑った。
「気障な奴!」
 そう言いながらも、雷蔵は今度は自分から顔を寄せて唇を重ねた。ほんの一瞬で、すぐに離れる。
 見れば、先に口づけを仕掛けてきたはずの三郎はぽかんとしていた。何だか間抜けな顔だ。雷蔵はクスクス笑って、石の床から立ち上がった。
「じゃあね、三郎。僕は行くよ。君、もう少しここにいるならサーバーの中身とかも見てもいいけど、壊しちゃダメだよ。大変なことになるから」
 雷蔵の思わせぶりな警告に、三郎は我に返ったようだった。
「大変なことって?」
「七松ファミリーの警備ロボットがこの遺跡の中を巡回してるんだ。騒がしくなったときとサーバーが破壊されそうなときは、相手を排除してもいいって設定になってる」
「物騒だな」
「だって、秘密ではなくても、大事なサーバーだもん。――じゃあね、三郎」
 今度こそ、雷蔵は三郎を残して部屋を出た。

***

 人類は、外見と遺伝子の基本部分を決定する男女の主性の他に、生殖や個人の資質に関わる副性を持っている。副性は、アルファ、オメガ、ベータの三種類だ。
 アルファの副性を持つ者は支配的な性質を持っている。対して、オメガは従属的な性質の持ち主で、アルファ相手ならば唯一、同性であっても生殖が可能。それどころか、女性のアルファが男性のオメガに自分の子を“妊娠させる”こともできる。
 残るベータは、ごく普通の人々だ。生殖は主性である男女に準拠して行われる。また、オメガ相手であっても同性同士の性行為では、生殖は不可能だった。
 アルファやオメガは狼の群にも見られる社会構造だ。一説には人間が獣だった頃の名残だともいう。そのせいなのか、時代を経るごとにアルファやオメガの副性を持つ者は減ってきている。
 ところが、不破雷蔵は稀なカテゴリに含まれる人間だった。男性のオメガなのだ。しかし、そうはいっても雷蔵自身にその自覚は薄い。というのも、オメガ特有の発情期が雷蔵にはいまだ訪れていないためだった。
 オメガの男性が子を宿すことができるのは、体内に生殖のための器官が形成される発情期だけだ。その発情期を経験していないのだから、人間としてはともかくオメガとしては未成熟ということになる。また、オメガには自分の運命の相手――“つがい”となるアルファが存在するらしいのだが、雷蔵は自分の相手にもまだ遭遇していない。こんな風では、自分をオメガだと認識することは難しかった。
 ――けれど。
 図書館の遺跡を出て、“大破壊”以前の遺跡の残る一角を歩きながら雷蔵は思う。
 ――三郎と出会ったとき、感じたのにな……こいつは僕の“つがい”なんじゃないかって。
 話している間中、雷蔵はずっと三郎に惹かれていた。こんなことは初めてだ。しかし、別れ際に彼が運命の相手ではないことははっきり分かった。口づけたときに嗅いだ甘い匂い――あれはオメガ特有の匂いだった。おそらく、鉢屋三郎は自分と同じオメガだろう。その事実が、彼が“つがい”ではあり得ないことをはっきり示している。
 残念だな、と雷蔵は心から思った。だが、たとえ結ばれることが運命づけられた仲でなくたって、三郎のことが好ましいのは確かである。だからこそ、口づけを返した。
 ――まぁ、気に入った相手の頼みだし、ボスに彼らのことを話してみようかな。
 雷蔵はそんな気分になった。
 街の一角にある七松ファミリーの縄張り――中でも、幹部とボスが集まるビルへと向かう。街を歩きながら、雷蔵は通りを行き交う人々の様子が平和そうなのを見て、満足を感じた。七松ファミリーによる庇護が、支配地域の隅々まで行き届いている証拠だからだ。
“大破壊”以後、国家はその力を失って世界のほとんどの地域が無政府状態と化した。個人がばらばらに相争う時期が続き――やがて、そこに曲がりなりにも秩序が生まれてきた。力ある個人の庇護の下に弱い者が集まり、獣の群にも似た集団を形成し始めたのだ。この集団はファミリーと呼ばれる。現在では、人々はたいていいずれかのファミリーに庇護されて暮らしていた。
 ファミリーのボスはたいてい、アルファの副性を持つ。他のアルファはボスに仕える。しかし、もしもそれが不満ならば、そのアルファはファミリーを飛び出して新興のファミリーを作る場合もあった。
 ただし、七松ファミリーの成立は、そうした新興のファミリーとは少し事情が異なる。現在のボス・七松小平太がトップに立つ前は、大川平次渦正という老人がファミリーを仕切っていた。当然、幹部たちもベテランが多く、五十代から二十代までの大人で構成されていた。雷蔵がまだ子どもの頃のことである。当時、大川ファミリーと呼ばれていたそのファミリーは、しかし、三年前に代替わりをした。大川老人が若干十六歳であった七松小平太を後継者に指名して、引退したのだ。 以来、現ボスである小平太は受け継いだ支配地域をよく守ってきた。現在の繁栄はそのおかげだ。
 雷蔵が本拠地のビルへ入っていくと、警備員たちは敬礼をした。雷蔵が小平太の幹部のひとりだと知っているからだ。雷蔵は丁寧に彼らに会釈をして、エレベーターの前に立った。
 このエレベーターは、最上階にある小平太の執務室に直接行くことができる。ただし、それが可能なのは幹部のみ。しかも、セキュリティチェックは厳重だ。雷蔵は操作パネルのすぐ上にあるセキュリティ認証で瞳を認証させてから、操作パネルを押した。
 降りてきたエレベーターに乗り込む。扉が静かに閉まり、エレベーターは上昇を始めた。
 やがてエレベーターの上昇が止まって、ドアが開く。雷蔵はエレベーターを降りた。広々とした部屋にソファのセット。どっしりとしたアンティーク調のデスクが真正面に置かれていた。だが、見回してみても小平太の姿は見えない。
 現ボスの小平太は元気がよすぎて、ちっとも執務室に落ち着いてはいないのだ。雷蔵は「またか……」とため息を吐いた。さっそく三郎のことを耳に入れておこうと思ったのに。
 果たして小平太はどこへ行ったのか。食満留三郎のラボで新型のメカの実験を見学している? それとも善法寺伊作の医務室のベッドで昼寝か? いやいや、立花仙蔵や潮江文次郎と共に、オフィスで珍しく政治向きの話をしている可能性もないではない。探しに行こうにも候補が多すぎて、迷い癖のある雷蔵には決められなかった。
「……まぁ、いいか。急ぎってわけでもないし、今度ボスを見かけたときにしよう」
 結局、雷蔵は用件を後回しにすることにして、自分の持ち場である資料室へ向かった。
 過去の書籍データの再現という仕事を任せてもらってはいるが、雷蔵は本来、資料室の所属だ。国家や地方行政機関が崩壊した現在では、過去の図書館やインターネットのように誰でも共有できる情報を蓄積している場は、公式には存在していない。だが、自らの支配地域を安全に保つには情報が不可欠である。そのため、ファミリーはそれぞれ独自に情報を蓄積しているのが常だった。
 七松ファミリーももちろん、資料室という形で膨大な情報を蓄積している。資料室の主は中在家長次という無口だが博識な男だった。雷蔵はこの上司を心から尊敬している。
 資料室に入っていくと、そこには背の高い物静かそうな青年がいた。長次だ。穏やかそうな風貌の中で、頬に走る傷跡だけが異彩を放っている。その傷跡は、彼が穏やかなだけでなく、戦う者であることを示していた。
 もっとも、長次だけではない。幹部なら誰だってそうだ。ファミリーを守るためなら、人を癒すのが仕事の伊作も、物を生み出すのが好きな留三郎も戦う。もちろん、雷蔵も例外ではない。
「ただいま戻りました」
 雷蔵は長次に挨拶をした。それから、遺跡で発掘してきた書籍データについて話そうとする。と、長次は視線だけでそれを止めた。
 静かに、ということらしい。
 見れば、窓際のソファで小平太が眠っていた。ビルの稜線にほとんど沈みかけた西日が、最後の光を彼の上に投げかけている。橙の光に照らされた小平太の寝顔は、普段の活動的すぎる印象とは裏腹に静謐で端正だった。
 雷蔵は引き寄せられるように近寄っていった。何か抗いがたい力に動かされるように、その頬に手を伸ばしかける。
「――雷蔵」
 不意に長次が静かな声音で言った。その声に雷蔵ははっと我に返る。
 オメガとアルファは本能的に惹かれ合うものだ。たとえ“つがい”の相手ではなくとも。今のはきっと、雷蔵の中のオメガが小平太の中のアルファに惹かれたがための現象なのだろう。何がどうとはっきりは分からないものの、危なかったという自覚があった。
「……ありがとうございます、長次先輩」雷蔵は礼を言った。
 そのときだ。小平太がぱちりと目を開けた。
「――あー、惜しかったな」ぽつりとこぼされた呟きに、
「え……?」雷蔵は意味が分からず首を傾げる。
「小平太」
 長次がわずかに咎めるような響きを乗せて、小平太を呼んだ。これまた、雷蔵にはなぜなのか分からない。しかし、小平太には通じたようで、彼は「すまん」と謝りながら起きあがった。
「ボス、またお仕事をさぼっているんですか?」雷蔵は気を取り直して尋ねた。
「これはさぼりじゃないぞ、雷蔵。資料を探していたら、ちょっと眠くなっただけだ」
「それをさぼりと言うんです」
「細かいことは気にするな!」
 わははははと、小平太は豪快に笑った。それに被せるように、長次が問うてくる。
「――遺跡の図書館はどうだった……?」
「あれは素晴らしいです、長次先輩! 多くの書籍データがほとんど完全な形のまま残っています。無事に取り出せたなら、“大破壊”以前の世界を知るのにどれほど有益か――」
 雷蔵は遺跡の図書館について語りながらも、今日、そこで起こった出来事を思い出していた。
 三郎と交わした他愛ない会話、それに二度のキス。相手は“つがい”ではないのに、それどころか自分と同じオメガなのに、思い出すだけで胸の奥が少しだけ切なくなる。自分で自分のことがよく分からない。
「――雷蔵?」
 落ち着きのない雷蔵の気分を察知したのか、小平太は目を細めて名を呼んだ。何があったのか、と視線だけで尋ねている。
 雷蔵は遺跡の図書館の話を中断し、小平太に向き直った。
「ボス、実は今日、遺跡で妙な男に遭遇しました。名は鉢屋三郎。どうやら向こうのファミリーはこちらとの同盟を望んでいるような口振りでした」
「鉢屋三郎……。知っているか、長次」
 小平太は長次を振り返った。
 資料室の主たる長次は、生き字引と呼ばれるほど多くの情報を記憶している。彼は少し首を傾げたが、すぐに答えをはじき出した。
「……聞いたことがある名だ。非常に実力のある男だという。最近までどこのファミリーにも属さず、便利屋のようなことをしていた……」
「今はどこのファミリーに?」雷蔵は尋ねた。
「不明だ。他の便利屋仲間の数人と共に、どこかのファミリーに属したことは明らかだが……どんな構成のファミリーで、ボスが誰なのかは分からない」
「思い出したぞ、鉢屋三郎」不意に小平太が呟いた。考え込むような様子である。「高い実力の持ち主だが――難しい性格でどこのファミリーでもやっていけなさそうな奴だった。あいつを幹部にしたボスがどんな奴か、興味を惹かれるな」
「――では、彼らと接触を?」
 雷蔵の問いに小平太は頷いた。にやり、と獅子のように獰猛な笑みを浮かべる。
「面白そうだ。雷蔵、お前が鉢屋三郎と連絡を取れ。向こうのファミリーのボスの正体、暴いてやろうじゃないか」


***


 夜更け。三郎はスラムの片隅にあるファミリーのアジトへ戻っていった。
 三郎が属するのは新興のファミリーである。支配地域もさほど広くはない。しかも、つい一年ほど前まで、そこはどのファミリーも支配していない、荒れ果てた空白地帯だった。現在、三郎の属するファミリーが現れたことで状況は安定しつつあるものの、スラムであった名残はまだはっきり残っている。七松ファミリーの支配地域のような治安の良さは、望むべくもなかった。
 ファミリーのアジトは、“大破壊”以前に学校として使われていた廃墟だ。廊下を歩いていると、ファミリーに属する子どもたちが姿を見せる。
「あ、お帰りなさい、三郎先輩」
 そう挨拶したのは、赤い髪の少年だ。おっとりした優しそうな顔立ちの彼は猪名寺乱太郎という。まだ十四歳の少年ながらも、彼はファミリーの医務室を切り盛りするなくてはならない存在だった。
「先輩、今日はお怪我はなさっていませんか?」
「もちろんだよ、乱太郎。危ないことはしていないからね」
 三郎は笑顔で答えた。
 しかし、乱太郎は納得しない。ちょっと眉を寄せて、スンと鼻を鳴らす。それから、彼は三郎を睨んだ。
「嘘はいけません。血の臭いがします。それに、少しだけ左腕を庇っていらっしゃいますよね」
「ゴメンナサイ。かすり傷だから、乱太郎の手を煩わせたくなくて」
「かすり傷を甘く見ちゃいけませんよ。傷口からの感染でどんな感染症を引き起こすか分かりません。ちゃんと手当しないと」
「そうだね。でも、先に勘右衛門たちと話しておきたいことがあるんだ。後で行くよ」
「待ってます。必ずですよ!」
 念を押す乱太郎に手を振って、三郎は歩きだした。建物の奥――現在、ボスと幹部の執務室として使っている一室へ入る。
 そこには、三郎と同い年くらいの青年が二人いた。いずれも三郎の元・便利屋仲間だった。今は皆、同じボスに忠誠を誓ってファミリーに属している。
「――ただいま。ボスは?」
「支配地域の視察だ。お忍びでな」
 そう答えたのは、怜悧に整った容貌の青年だった。彼は久々知兵助という。まじめな性格で、そのためファミリーの武器を始めとする様々な資材の管理を一手に引き受けていた。
「心配しなくても、ボスの視察には八左がついていったよ。虎若と金吾も一緒だ」
 そう言って微笑したのは、尾浜勘右衛門。丸い大きな瞳に、愛嬌のある顔立ちをしている。しかし、顔立ちとは裏腹に、彼は触れれば切れるほどの鋭敏な知性の持ち主だった。その性質を生かして、彼は三郎と共にファミリーの参謀を努めている。
 もう一人、以前の三郎の便利屋仲間であったのが、ボスの視察に同行している竹谷八左ヱ門だ。新興のこのファミリーが今のところ支配地域を保てているのは、三郎たち元・便利屋の実力によるところが大きかった。そのことは三郎たち自身も自負している。
 しかし、ファミリーがファミリーとして成立するのに必要なのは、武力だけではない。人心を掴むことのできるアルファ――ボスがいてこそ、ファミリーは成り立つのだ。それゆえ、三郎たちには実力で以てファミリーを乗っ取ってやろうなどいう気持ちは少しもなかった。
 ひたすらボスを愛し、忠誠を捧げている。そして、ファミリーの生き残りのために何が必要かを議論した結果が、七松ファミリーとの接触だった。
「三郎、先方との接触はうまくいったのか?」勘右衛門は尋ねた。
「多分な」
「多分って……。何だよ、その曖昧な答えは」兵助が顔をしかめる。
「接触した不破雷蔵が、なかなかつかみどころのない男だったんだよ。さすがに私たちと同い年で七松ファミリーの幹部になっただけのことはある」
「ふーん。で、お前は雷蔵を気に入ったわけだ」勘右衛門は目を細めた。「お前が今、使っている顔は不破雷蔵のものだろう?」
「まあね」
 三郎は頷いて、顔をひとなでした。一瞬、顔の表面が銀色の液体に覆われる。液体は瞬時に変化して、三郎は別人の顔になった。
 銀色の液体は“思考する装置(シンキング・デバイス)”と呼ばれる物質だ。“大破壊”の直前に開発された兵器だというこの物質を、三郎は常に肌に帯びている。そうして、顔を覆う“思考する装置”を変化させて様々な人物に変装しているのだった。
 もちろん、三郎と使い方は違えども、勘右衛門や兵助、八左ヱ門らも“思考する装置”を扱う。それどころか、どのファミリーでもボスや幹部クラスならば“思考する装置”は使えて当然だ。それがなければ、ファミリーを守るために戦うことはできないのだから。
 三郎は雷蔵が戦う場面を思い描いた。一見、穏やかそうな性格に見えるが、不破雷蔵の性質はおそらく非常に苛烈だろう。彼が遺跡に仕掛けたトラップから、その性格の片鱗がうかがえる。
 ――きっと、戦う雷蔵は美しい。
 そう思った途端、身体の奥にわずかに熱が点った。どうしてだろうか。彼は自分と同じオメガだと分かっているのに、惹かれずにはいられないのは。
 そんな三郎の思考に気づいたのか、気づいていないのか。勘右衛門は眉をひそめて言った。
「三郎。あまり不破雷蔵に入れこんじゃいけないよ。七松ファミリーとは今は敵対してないとはいっても、いつ情勢が変わるとも限らないんだから」
「分かってるさ」
「ならいいけど。でも、忘れるなよ。お前はボスの“つがい”なんだってこと」
 勘右衛門に言われて、三郎は我に返った。そうだ、と思う。火遊びにうつつを抜かしている場合ではないのだ。自分の“つがい”――その相手とファミリーこそ、自分が守るべきものなのだ。相手がアルファとして成熟しきっていないからこそ、自分が強く在らねばならない――。
「分かってる」三郎は今度は自分に言い聞かせるように呟いた。「私は黒木ファミリーの幹部で、忠誠を誓った相手は黒木庄左ヱ門ただ一人なんだ」




設定

・不破雷蔵(18)
七松ファミリーの幹部の一人。資料室で働いている。オメガだが、覚醒しきっていない。

・中在家長次(19)
七松ファミリーの幹部の一人。資料室の主。

・七松小平太(19)
七松ファミリーのボス。アルファ。
実は雷蔵の“つがい”(雷蔵の方は気付いていない)。長次に雷蔵を怖がらせないため、“つがい”であることを明かしてはいけないと言われている。


・鉢屋三郎(18)
元・便利屋。今は黒木ファミリーの幹部。オメガ。
黒木庄左ヱ門の“つがい”。ただし、庄左ヱ門がいまだに未成熟でアルファとして覚醒しきっていないため、今はただの主従関係しかない。

・黒木庄左ヱ門(14)
黒木ファミリーのボス。アルファとしては未成熟で、三郎が自分の“つがい”だということは何となく知っている。
大人びて知性的ではあるが、性的な方面は年相応なので“つがい”の意味を具体的には理解できていない。三郎のことは大好きな兄くらいの感覚で接している。






pixiv投下2014/08/23

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