solitude3
発情期に入ってから五日目の朝。雷蔵は身体の熱っぽさがすっかり引いていることに気づいた。どうやら発情期は去ったらしい。昨夜、部屋に忍び込んできた三郎の言ったとおりだった。 「――そうだ。三郎は……」 雷蔵はベッドの上に起きあがった。見れば、三郎が寝ていたベッドの片側はもぬけの殻になっている。シーツに人が横たわった形跡があるばかり。雷蔵はそっとその痕を掌で撫でた。そうしてみても、シーツにはわずかな肌の温もりも残されていない。ただ、冷え冷えとしている。そのことに、雷蔵は急に苦しいほどの寂しさを覚えた。 昨夜、三郎が“差し入れ”だと称した悪趣味な性具は、シーツや床に転がっている。日の光の下で見ると、それらの形は卑猥というよりも――卑猥であるがゆえに、いっそのこと滑稽だった。けれど、その可笑しさもちっとも雷蔵の慰めにはならない。むしろ、三郎の悪童のような笑顔が目蓋の裏にちらついてしまう。そのせいで、いっそう寂しい気持ちが際だった。 自分の“つがい”は小平太だと、先日、知らされた。心を尽くして謝れば、小平太は雷蔵が肌を合わせることを拒んだのを許してくれるのかもしれない。望めば、“つがい”として絆を結んでくれる可能性だって残されている。 けれど、それは違うのだと心が叫んでいた。 今、雷蔵が感じているひりつくような孤独感が、三郎を求めている。たった三度しか会ったことがないのに、彼は自分と同じオメガなのに。それでも、三郎でなければならないのだと分かった。分かってしまった。 雷蔵は自分の寂しさを三郎以外のもので癒しはしない、と心に決めた。たとえ、“つがい”として運命づけられている相手とは違っていても、オメガである三郎がいつか彼自身の“つがい”のものになるとしても。それでもいい。不破雷蔵は自分の意思で孤独感と共に生きることを選ぶのだ、と、自分に言い聞かせた。 念のため、雷蔵は主治医である伊作の個人端末に連絡を入れた。部屋の外へ出ても構わないか、確認するためだ。 連絡を受けて、医務室にいた伊作はすぐにやって来た。雷蔵の顔色や体温を確認する。やがて、彼は雷蔵の発情期が終わったと結論を出した。 「もう、部屋の外に出てもいいんですか?」 雷蔵の質問に、伊作はにっこり笑う。 「もちろんだよ。――あ、でも、その前に“思考する装置”を動かしてみて」 指示されるままに、雷蔵は“謎〈エニグマ〉”を作動させた。“謎〈エニグマ〉”の効果で部屋の床一面を色とりどりの花――正確にはその幻――が埋め尽くす。 「どこかおかしなところはない?」 「……? えぇ。いつも通りです」 「なら、よかった。もういいよ」 伊作が言うので、雷蔵は幻を消した。 “思考する装置”は、そもそも世界全土を巻き込んだ“大破壊”の最中に開発された兵器だった。ナノマシンを体内に寄生させ、脳に埋め込んだチップで宿主の思考を信号にして伝える。その信号を受けて、体内に棲む無数のナノマシンが一斉に動く仕組みだ。 ここで重要なのは、ナノマシンが宿主の体質や思考によって、その動きを特化する性質を持つことだろう。同じ“思考する装置”の素となるナノマシンを体内に取り込んだとしても、たとえば雷蔵と伊作の“思考する装置”はそれぞれに異なる機能を持つ。宿主の呼気や皮膚から空気中に飛び出して、効果を発揮するものが多い。たとえば、雷蔵の装置のように幻を視せるもの。仙蔵の装置のように、ナノマシンが集合して武器を形成するもの。他に、体表面に常駐して人体の一部を変化させるものなど。 伊作が言うには“思考する装置”は個人の資質によるところが大きいため、体質が変わると稀に動作が変化する場合があるのだという。 「とりわけ、主性と相反する副性を持つ者に、“思考する装置”の変化が起こる場合が多いんだ」 「相反する副性、ですか……?」 雷蔵はすぐには理解できず、首を傾げた。その様子を見て、伊作が説明してくれる。 「つまり、子を生む能力を得るオメガの男性、あるいは子種を形成できるアルファの女性のことさ」 「それって、もしかして僕や伊作さんも含まれますか……?」 「そうさ。オメガ男性やアルファ女性は二次成長――とりわけ発情期を迎えると、体質とフェロモンががらりと変化するからね。まぁ、でも、君の装置は問題なく動いているから、大丈夫だよ」 伊作に太鼓判を押される。雷蔵は少し不安を覚えながらも、頷いた。 診察を終えて、伊作は部屋を出ていった。雷蔵も室外へ出なければ、と身支度を始める。資料室の仕事を続けて休んだことで、長次には迷惑をかけてしまった。その分、働かなくてはならない。しかし、それ以上に雷蔵が気がかりなのは、ボスのことだった。 昨夜、三郎がもたらした情報によれば、小平太は黒木ファミリーが刺客を差し向けて雷蔵に危害を加えたと考えているらしい。その誤解を解かなくてはならない、と思った。もちろん、雷蔵も自分を襲った刺客の正体や雇い主を見抜けてはいない。けれども、黒木ファミリーがやったという証拠も何一つないのだ。 結論を出すにしても、せめて納得のいく調査をする猶予がほしかった。 身支度を済ませた雷蔵は、まず、資料室に向かった。長次に身体が回復したことを告げ、数日もの間、仕事を休んだことを謝罪する。それから、小平太に復帰の挨拶をしに行くことを告げた。 長次は眉をひそめた。困惑しているような、心配しているような表情になる。彼はモソモソと小声で呟いた。自分も一緒に行く、と言ったようだった。 雷蔵と長次は言葉少なに小平太の執務室へ向かった。ノックして、室内へ声を掛ける。 「入っていいぞ!」 そう答えた小平太の声音は、普段どおりに快活だった。 五日前、彼を拒んでから初めて顔を合わせる雷蔵は、そのことに少しほっとした。いっそ雷蔵の発情期なんか、起こらなかったことになってしまえばいいのに。そうすれば、小平太に対してこんな風に妙な遠慮を覚えるようにはならなかっただろう。 だが、後悔してみたって仕方がない。心を決めて、雷蔵は顔を上げた。真っ正面から小平太の目を見る。彼の表情に怒りや苛立ちはなかったが、双眸には普段にはない苛烈さが宿っていた。その眼差しに一瞬、身体が竦みそうになる。雷蔵は必死にそれを堪えた。 「おはようございます、ボス。今日までの四日間、仕事に穴を空けてしまったこと、申し訳ありませんでした。どのような罰でも、受けるつもりです」 雷蔵は一息に謝罪の言葉を述べた。 罰を受ける覚悟があるとは言ったものの、それは発情期のせいで仕事に携われなかったせいではなかった。 アルファやベータはともかく、成熟したオメガは皆、三ヶ月に一度は発情期が来るものだ。その程度は、女性の月経のように個人差がある。ただ、オメガは発情期にはアルファを引き寄せるフェロモンを発するため、抑制剤を服用しなければアルファに襲われる危険性があった。そのため、発情の程度が軽いオメガであっても、発情期には出歩くのを控えるのが望ましい。 こうしたオメガやアルファの性質は、太古の昔――人類が発生したときから脈々と受け継がれてきた。人類の社会もこうしたオメガやアルファの副性を組み込んで発展してきている。そのため、“大破壊”以前からオメガの発情期休暇は社会一般に認められてきた。もちろん、今もその流れは変わらない。 つまり、雷蔵が発情期で四日間、仕事に穴を空けるのは当然の権利である。それでも、罰を受ける覚悟を口にしたのは、仕事に出なかったという事実にかこつけて、“つがい”である小平太を拒んだことへの罰を受け入れると表明するためだった。 雷蔵の言葉を聞いた瞬間、小平太の目に宿る苛烈さが、怒りへと変化した。責められる――そう予感したけれど、真っ先に口を開いたのは長次だった。 「――雷蔵。小平太を見くびってはならない。傍若無人に見えるかもしれないが、この男は自制心の強い男だ。それゆえ、先のボスは小平太を後継者に指名したのだから」 小平太の幼なじみの一人である長次は、雷蔵よりもよほど小平太を理解している。その彼にたしなめられて、雷蔵はすぐに自分の態度がある種、相手を見くびっていたことを悟った。 「申し訳ありません。無礼な申し出でした。ですが――」すぐに謝罪の言葉を述べる。けれど、三郎から聞かされた黒木ファミリーの一件があるため、ひとこと付け加えずにはいられない。「ですが、噂によればボスは黒木ファミリーが僕を襲撃したとお考えだとか」 「あぁ。黒木ファミリーとはいまだに同盟関係を結んでいない。その黒木ファミリーの幹部と会った後でお前が襲われたんだ。黒木ファミリーの犯行の可能性を考えないわけにはいかない」 小平太は先ほど、瞳に怒りを閃かせた瞬間とは打って変わって、冷静に答えた。感情を拝した理知的な態度は、いっそ、冷ややかなほどだ。雷蔵は久しぶりに彼がアルファ性であり、ボスであることを意識した。 だからといって、膝を屈してばかりもいられない。 「おっしゃることには一理あります。ですが、僕は前回の襲撃は黒木ファミリーではなかったと考えています」 「根拠は?」 「ボスもご存じの事実ですが、黒木ファミリーはウチとの同盟を申し入れてきていました。同盟を結ぶのに、連絡役である僕を害してファミリー同士の関係を悪化させても、彼らには何の益もありません」 「同盟の申し入れ自体が嘘であれば? 同盟したいと言えば、こちらの警戒も緩むからな」 「そうかもしれません。でも、決めつけるべきではないと思います」 会話の間、小平太のまとう空気が重く雷蔵にのしかかってくるかのようだった。アルファ性の持ち主が発することのできる、特有の威圧感だ。 本能はアルファに従えと絶叫している。けれど、雷蔵は懸命に小平太に屈しそうになる自分を叱咤した。 黒木ファミリーは七松ファミリーよりかなり規模が小さい。それでも、その下には幾人もの人々が庇護されているはずだ。どこのファミリーもそうであるように、女や子ども、戦う術を持たぬ弱者もいるだろう。七松ファミリーが不用意に黒木ファミリーを敵とすれば、その庇護下にある人々の安全が脅かされる。皮肉屋でつかみどころのない、それでも意外に情の濃いらしい三郎が守ると決めた者たちが、危害を加えられるのだ。 弱者が傷つくのは見たくない。三郎が悲しむのも。そう思いながら、雷蔵は言葉を続けた。 「どうか、僕に調査をさせてください。一週間でいい。時間をいただきたいんです」 そのときだった。不意に慌ただしくドアがノックされる。その調子に常ならぬものを感じ取ったのだろう、小平太が即座に「入れ」と命じた。 入ってきたのは、美少女と見紛うほど端正な顔立ちの少年――平滝夜叉丸だった。艶やかな黒髪に白い肌、細っそりした体つき。雷蔵の一つ年下の彼は、幹部ではないがファミリーの主要メンバーの一人だ。儚げな外見に反して、滝夜叉丸は有事となれば最前線に出るほどの戦闘能力を持つ。ファミリーきっての戦闘員だった。 若いが戦闘なれしており、胆力のあるはずの滝夜叉丸だが、このときはひどく取り乱していた。たしかにこれはただごとではない。 「どうした、滝夜叉丸」 「黒木ファミリーが、ボスを訪ねて来ています。ボスの黒木庄左ヱ門とその幹部が」 「――え?」 意外な言葉に、雷蔵は思わず声を上げた。 黒木ファミリーのボスといえば、三郎が表舞台に立たせるのを渋っていた人物だ。あれほど三郎がボスの正体を隠したがるのは、おそらくそれが弱点につながるためだろう、と雷蔵は考えていたのだが――。 ここへ来て、黒木ファミリーのボスが姿を見せたのは、ボス自ら小平太に会うことで誤解を解くためだろう。しかし、そうはいっても、危険なことには変わりない。いったい、どういうつもりなのか。 小平太は滝夜叉丸に黒木ファミリーのメンバーを攻撃せよと命じるのではないか、と雷蔵はハラハラした。けれど、彼は冷静な表情のまま、「私が出迎える」と宣言して席を立った。 *** 黒木ファミリーの面々は、玄関ホールにいた。アポイントメントも何もない突然の訪問だったため、警備員も対処に困ってしまったのだろう。結局、彼らはファミリーのボスと幹部にもかかわらず、玄関に足止めされることになったらしい。 雷蔵は小平太たちと共に、黒木ファミリーのメンバーを出迎えに向かった。彼らの姿を目にした瞬間、雷蔵はびっくりして「あっ」と声を上げそうになった。 玄関ホールにいるのは、三郎の他に四人。収まりの悪い銀髪の青年と頼りないくらいに幼い少年たちだった。 銀髪の青年のことは、雷蔵も噂で知っていた。以前は三郎と共にチームを組んで便利屋をしていた竹谷八左ヱ門の特徴と一致している。他に元・便利屋の仲間は二人いるはずだが、彼らの姿はなかった。 他の二人の少年については、雷蔵はまったく見覚えがなかった。二人とも、年齢は十三、四というところだろか。一人はまっすぐな黒髪に一房だけ淡い色の髪が混じるのが特徴的な少年だった。殺気をまとっているわけではないが、どこか鋭い刃を思わせる凛とした雰囲気がある。彼は一つのファミリーのボスというより、滝夜叉丸のような戦闘員なのではないか、と雷蔵は考えた。 もう一人の少年は、年齢にはそぐわないほどの理性と知性を感じさせる目をしていた。顔立ちはまだあどけないものの、太い眉に強い意思が表れているようだ。 おそらくは、彼が。 雷蔵がそう思ったとき、賢そうな少年が口を開いた。 「黒木ファミリーの首領を務めております、黒木庄左ヱ門と申します。こちらから同盟を申し入れておきながら、直接のご挨拶が遅くなりましたこと、ご容赦ください」 少年――庄左ヱ門は床にひざまずいた。 それにならうように、三郎たちもひざまずき、頭を垂れる。 小平太はしばらく黙ってその様を見ていた。まるで庄左ヱ門たちの実力を測ろうとするかのように。対する庄左ヱ門も、小平太からまったく視線をそらさない。互いに一歩も引かぬ構えは、アルファ同士の対面にふさわしかった。ファミリーのボスは、たいてい副性にアルファを持つ。アルファの他者を支配する力と自分を律する力がボス向きだからだ。 やがて、小平太は彼らに向かって歩きだした。まさか、急に相手を殴りとばすのではないだろうな。雷蔵は不安を覚えて、小平太をいさめようと足を踏み出しかけた。 けれど、長次が征するように雷蔵の肩をつかんだ。 「――案ずるな」 ボソリと彼が呟く。雷蔵は何とか思いとどまって、ズンズン進んでいく小平太の背中を見つめた。彼の勢いに、三郎と八左ヱ門が冷静な態度で身を引いた。逃げたのではなく、道を空けたようだった。 二人とは逆に、刃のような雰囲気の少年は、身を低くして臨戦態勢を取る。自分がボスを守らねば、と必死な様子だ。 三人の様子には構わず、小平太は庄左ヱ門の前で右手を持ち上げた。殴るつもりか――と、思いきや、彼の大きな手はポンと柔らかく庄左ヱ門の頭上に落ちた。 「よく、来たな。待ってたぞ!」パッと明るい笑顔を浮かべて、小平太は言った。それから、チラリと意味ありげに三郎を見る。「お前との約束どおり黒木のボスが表に出てきたからには、調査の猶予を与えなければならんな」 「ありがとうございます」 三郎は素直に礼を言った。最初から小平太と三郎の間で何らかの取り決めがあったらしい。 「どういうことです? これは、いったい――」雷蔵は混乱しながら訪ねた。 小平太が振り返って、にやりと笑う。 「私は三郎と賭けをしたんだ。もし、黒木のボスが表に姿を表すならば、黒木ファミリーを敵とするのをやめて、調査の猶予を与える、と」 「調査の猶予って……それじゃ」 「雷蔵、お前はしばらく黒木ファミリーのメンバーと共に、お前を襲撃した人間を調査しろ」 突然の命令に、雷蔵はびっくりして小平太を見る。彼はニヤッと憎めない笑みを浮かべていた。 *** 一時間後。会見を済ませた小平太は、三郎たちと共に彼らの本拠地へ向かう雷蔵を送り出した。名目上は連絡役としてだが、見方によっては雷蔵は小平太側が差し出した人質とも言えるだろう。逆に、黒木ファミリーからは黒木庄左ヱ門と同年代の、刀のように凛とした雰囲気の少年がこちらに残った。 少年は、名を皆本金吾というらしい。 金吾は小平太が目の前に立ったとき、震えながらも目を逸らさなかった。震えるということは、正しく相手の実力を測って、恐怖を抱けるということ。それでも目を逸らさなかった気概は、恐怖を乗り越えられるほど強い心を持っているということ。小平太はひと目で金吾が気に入ってしまって、彼の処遇を滝夜叉丸に任せた。 もちろん、滝夜叉丸には金吾を鍛えてやれ、と言ってある。頭がよく、しかも戦闘員としても優秀な滝夜叉丸ならば、必ず、金吾を手厚く指導してやることだろう。 昨夜、三郎がこっそり打ち明けたところでは、黒木ファミリーの中心的な構成員はいずれも年若い者ばかりだという。黒木庄左ヱ門が表に出てこなかったのも、若すぎるボスでは周囲のファミリーに標的にされるためだとか。今朝、小平太は雷蔵に冷たい態度を取ったものの、黒木ファミリーに対する処遇は前夜の三郎の言葉によって決まっていた。 正式に同盟が成立したときには、自分たちは黒木ファミリーを支配下に置くのではない。庇護して、育てる。そうやって、自分も先代のボスには守られながら力をつけてきたのだから。 金吾に対する処遇も、その決心から出たものだった。 問題は雷蔵である。雷蔵は鉢屋三郎に惹かれている。彼と共に送り出したら、もう戻ってこないかもしれない。そんな恐怖さえ感じていた。 ――そう、恐怖だ。 “暴君”とあだ名され、何をも恐れぬと見なされている小平太だが、今は雷蔵を失うことが恐ろしかった。だって、彼は自分の“つがい”として運命づけられた相手だ。“つがい”として正式に結ばれれば、その絆は永遠のものとなる。けれど、そうでなければ、自分も雷蔵も失われた魂の半身を永遠に求めつづけねばならない。 生命ある間、ずっと、完全に満たされることはないのだ。“つがい”になることを拒んだ雷蔵は、同じオメガに心奪われている彼はそれがどれだけの孤独か理解しているのだろうか。 いくら“暴君”と呼ばれようとも、小平太には“つがい”を持てない永遠の孤独に耐えられる自信がなかった。だが、その孤独さえも受け入れると雷蔵が言うのならば、小平太にできることは一つしかない。 「長次、私はがんばっただろう?」 執務室へ戻って二人きりになると、小平太は幼なじみにそうこぼした。冗談っぽく言うつもりが、音になった声は弱々しい。涙の気配さえ含んでいる。 物心つく頃から誰よりも喧嘩の強かった小平太は、自分にこれほど弱い面があることを初めて知った。悔しさや恥ずかしさを感じるよりも、意外すぎて不思議な気分だった。 「小平太……」長次は自分が胸の痛みを感じているかのように、目を細めて小平太を見つめた。近づいてきて、ぎゅっと小平太を抱きしめる。「雷蔵を、鉢屋三郎たちと共に行かせる必要はなかったのに。誰か他の者でも、十分に役割は果たせたはずだ」 「分かっている。でも、今までも連絡役をしてきて信頼関係のある雷蔵が適任だ。――それに、雷蔵は鉢屋三郎に惹かれていて、傍にいきたがっている」 「それでも、彼の“つがい”として宿命づけられているのはお前だ。お前がアルファとして命じれば――」 「いや」小平太はゆっくりと首を横に振った。「雷蔵は、たぶん、もう心を決めている。あいつが“つがい”の絆にあらがうならば、私は無理強いはできない」 雷蔵が大切だった。 幼い頃、孤児院で初めて彼に会ったときには、小平太は彼がいずれ自分の“つがい”になるだろうと気づいていた。だから、ずっと見守ってきた。 彼を愛しているのかどうかは、分からない。そもそも、愛なんて縁遠い言葉である。ただ、雷蔵は小平太にとって守るべき者たちの象徴だった。自分のためだけに戦っていた小平太が、それでも他者を守る意味を知ることができたのは、雷蔵を通してである。 だから。 「雷蔵が私を選ばないとしても、私はその選択を受け入れる。“つがい”の絆を持つ者として、私はあいつを悲しませたり、傷つけたりしたくはないからな」 そう告げて、小平太は弱々しく笑った。 *** 黒木ファミリーの本拠地に迎え入れられた雷蔵は、その敷地を見て目を丸くした。 元は学校だったというその建物は、大ファミリーの傘下にしかいたことのない雷蔵にとって物珍しい。けれど、同時に古い校舎は幼い頃にいた孤児院を思い出させて、懐かしい気もした。といっても、孤児院での思い出は、幼かったせいでほとんど記憶にないのだが。 本拠地の中を歩いてみると、そこにいるのはほとんど子どもばかりだった。最年長は三郎や雷蔵と同世代の数名のみ。残りは庄左ヱ門と同い年の十四歳か、せいぜい一つ年上の十五歳程度である。危ういほどに若い構成員ばかりだ。 それでも、ひとりひとりを見れば、彼らの能力の高さが分かった。皆、未熟ながらも懸命に、それぞれの役割を果たしている。それを、三郎や八左ヱ門をはじめとする元便利屋の青年たちが、守っているのだった。 「――いいファミリーだね」 雷蔵が呟くと、傍らにいたドレッドヘアの青年が「だろ?」と誇らしげに笑った。くるりと大きな目が特徴の彼は、尾浜勘右衛門という。勘右衛門の横には、少し癖のある髪をした端正な顔立ちの青年――久々知兵助も控えている。 三郎が事情を話していたようで、留守番の二人は既に雷蔵が襲撃を受けた日のことをいくらか調べたようだった。別室に通され、三郎と八左ヱ門、勘右衛門、そして兵助の四人と共に残されると、勘右衛門と兵助がさっそくと言わんばかりに本題に入る。 そのあまりの素早さに、雷蔵は目を丸くしてしまった。 「三郎たちは、五日前の調査をしなければならなくなるって、最初から分かってたの?」 「そりゃあね」三郎は肩をすくめた。 「だって、俺たちは元・便利屋だ。情報屋だって兼ねてた。そういう商売では、状況を先読みすることも大事なんだよ」勘右衛門が食えない笑みを浮かべる。 「まぁ、俺はそういう面倒なのは無理だけどな」 いかにも実直そうな八左ヱ門は、苦笑してみせた。そんな彼らを、兵助が無表情で本題へと連れ戻す。ある意味では息の合ったチームワークだった。 「――無駄話はそれくらいにして、先へ進むぞ。雷蔵が襲撃された日時のことを遺跡近辺で聞き込みをしたんだが、その結果、面白い人物が目撃されていることが分かった」 「面白い人物って?」雷蔵は首を傾げた。 「誰だと思うー?」 三郎がニヤニヤと雷蔵を煽る。しかし、兵助は友人の悪ふざけに乗ってやる気はないようだった。 「高坂陣左という男だ」あっさりと正解をばらしてしまう。「この高坂は黄昏時ファミリーの幹部の一人だ」 黄昏時ファミリーといえば、七松ファミリーと同等かそれ以上の大ファミリーである。その支配地域は七松ファミリーと隣接しているが、交流はなかった。聞いた話では、小平太の前のボス――大川渦正の時代に不可侵の協定を結んであるというのだが……。 「どうして黄昏時がそんなところへ……?」雷蔵は思わず呟いた。 「さぁ。その理由は、高坂って奴をとっ捕まえない限り、俺たちには分からないね」勘右衛門は笑顔で物騒なことを言った。「黄昏時が、七松ファミリーの幹部である雷蔵に手を出して、いったい何の益があるのか――」 「もしかしたら、雷蔵を襲ったのは別の勢力かもしれない。だけど、今は他に手がかりがないのだ。一度、俺は黄昏時を探ってみるのもいいだろうと思う」 兵助は自らの意見の是非を問うように、三郎と勘右衛門を見た。その視線の動きから、普段、黒木ファミリーでブレーンとして動いているのが彼ら二人なのだと分かる。 決断をしたのは、三郎だった。 「黄昏時を探ろう。だが、皆、気をつけてくれよ。あそこの幹部連中は、そろいもそろって実力者ぞろいだ。雑渡昆奈門に山本陣内、高坂陣左、それに諸泉尊奈門……名の知れた幹部も多い」 「「――承知」」 八左ヱ門と兵助、それに勘右衛門は視線を交わして即答した。雷蔵はどこか懐かしいその風景を、不思議な気分で見つめていた。 *** しんと静まり返った夜の遺跡の中を、男がひとり歩いていく。壮年のその男は、黄昏時ファミリーの幹部で山本陣内といった。こんな時間に人気のない遺跡にいるのは、ある密命を帯びているためだ。 遺跡の中をどれほど歩いたことだろう。山本はふと、視界の端を薄紫の輝きが横切った気がして足を止めた。立ち止まれば、あたりは人の声ひとつしない。“大破壊”で滅びて以来、ずっと廃墟のままなのだから、当然といえば当然である。 山本は周囲の気配を探った。けれど、すぐに何もないと判断して、先へ進もうと前を向く。と、その視線の先に一人の少女が立っていた。愛らしい顔立ちに、緩く波打つ長い薄紫の髪。白っぽいシャツとズボンを身にまとっている。異様なのは、彼女の髪や身体がうっすらと輝いていることだった。さきほどの紫の光は、彼女の髪の輝きだったらしい。 「……どちらへ行かれるのですか?」 そう言った声音は、少女にしては低かった。ひどく中性的ではあるが、目の前の人物は少女ではなく少年らしい。 いや、少年とか少女とかいう以前に、果たして人間なのだろうか? ふと山本は考えた。ズボンの裾からのぞく足は裸足だが、傷ついたり汚れたりしていなかったためだ。 「君は……?」 「あなたが――あなた方が探し求めているものは、ここでは見つかりません。きっと、あなた方では見つけられない」 不意に紫の髪の少年は断定的な調子で言った。その言葉に、山本はぞくりと悪寒を覚える。この少年はなぜ、自分が受けた密命を知っている風な口をきくのか。妖しい、と感じると同時に、身体が動いていた。 腰のホルスターから、素早く拳銃を引き抜く。“大破壊”以前の時代にある国が制式に採用していたモデルを、山本は愛用していた。他の型の銃と違って今も多く出回っており、弾薬も手に入れやすいからだ。 山本は“思考する装置”の使い手ではなかった。ナノマシンが体質的に合わなかったせいもある。だが、それ以上にナノマシンというわけの分からない“何か”を使って力を手に入れるくらいなら、自分の身を削って戦う方を好んだためだった。 どこまでも現実主義者だねぇ、と直属の上司が笑っていたことを思い出す。 ――えぇ、現実主義者です。 山本は内心で呟いた。 ――現実主義者だから、幻には惑わされない。 子ども相手というためらいもなく、山本は引き金を引いた。至近距離からの銃撃。しかし、少年はふわりと風船のように浮かび上がって、銃弾をかわしてしまう。再び地面に降り立った少年は、にっこり微笑した。 その笑顔に、山本は再び悪寒を覚えた。 「こんな弱そうな姿ですけど、僕を見くびらないでくださいね。僕ら“守護者(ガーディアン)”は、そう簡単に倒れはしません」 「“守護者”だと…?」 「そうです。もし、あなた方が探しているものを諦めないならば、いずれ僕らと戦うことになるでしょう。僕は現れたのは、その警告のためです」 山本は深く息を吸い込んだ。密命を下したのは、ボスだ。ボスの意向は絶対であり、背くわけにはいかない。 「――ならば、手合わせ願おうか」 きっぱりと告げて、山本はもう一度、引き金を引いた。その瞬間。少年の背中に見る見るうちに金属の質感を持つ羽が表れる。 その羽が少年を包み込み、銃弾をすべて弾き飛ばした。羽は開いたとき、そこには相変わらず少年が笑顔で立っていた。 「もう一度だけ、警告します。“守護者”は普通の人間とは違う。おそらく、あなた方よりも強い。どうか、お求めのものは諦めてください」 言うが早いか、少年は羽ばたいて夜空に飛び立つ。紫の髪が風に踊る様を、山本は呆然と見つめていた。 pixiv投下2014/09/15 |