solitude4
翌日の夕方、雷蔵は三郎と八左ヱ門と共に、遺跡の図書館へ来ていた。 皆で集めた情報によれば、黄昏時ファミリーのメンバーは夜に遺跡周辺をうろついているということだったのだ。その現場を押さえれば、彼らが何を目的としているのかが分かる。目的が明らかになれば、彼らが雷蔵を害したのか――そうであれば、その理由は何かはっきりするだろう、というのが三郎の考えだった。雷蔵や八左ヱ門、兵助、それに勘右衛門も三郎の考えに異論はなかった。 黄昏時ファミリーといえば、大変な力を持っている。その一員ともなれば、なかなかの腕利きということになるだろう。油断してかかるわけにはいかない。 本来ならば、黄昏時ファミリーに相対するには五人一緒が望ましい。けれど、そこを曲げて勘右衛門と兵助が本拠地に残ったのは、いざ襲撃を受けたときのためだった。 最初、黒木ファミリーの四人は雷蔵に留守番役をさせようとした。大事な七松ファミリーからの預かり物に何かあっては大変だと思ったのだろう。だが、雷蔵はその申し出を断った。 『頼りなく見えるだろうけど、僕だって七松ファミリーの幹部なんだ。ちゃんと闘えるよ』 三郎をはじめとする四人は、雷蔵の言い分を信じてくれた。そうして現在、雷蔵は遺跡にいるのだった。 「――それにしても、黄昏時の狙いは何なんだろう? 遺跡で彼らを見つけ出すにしても、目的が分からなければ目星がつけられないよね」 何たって、この遺跡は結構、広い。たった三人で虱潰しに探すことはまず不可能だろう、と雷蔵は考えた。 けれど、三郎は余裕の表情だった。 「黄昏時の目的については、雷蔵の言うとおり考えていかなきゃならない。だが、奴らを探すことに関しては、そう難しくはないんだ」 「どういうこと?」 「まぁ、見ててくれ」 答えたのは、三郎ではなく八左ヱ門だった。彼はニヤリと笑って見せてから、一歩、前へ歩み出た。瓦礫がない小さな広場のようになったその場所で、目を閉じる。夕方になって強くなってきた風が、八左ヱ門の短く切りそろえた髪を揺らした。 と、そのときだ。バサバサと羽音と共に、カラスが舞い降りてきた。チチチという鳴き声に足下を見れば、ネズミが三匹ほど寄ってきている。その後ろには、野犬が一匹、こちらへ歩いてくるところだった。 「これは……」 「――八左ヱ門の<思考する装置>“百獣の王(レオ)”の能力さ。獣たちとある程度の意思の疎通ができる」 あくまで、獣を操るのではない。獣が八左ヱ門の意を汲んで、情報を教えてくれたり、守ってくれたりするのだという。だから、時には獣が八左ヱ門の意思とは異なる動きをすることもある、と。 三郎の説明に雷蔵は眉をひそめた。 「そんな能力、ありなの? だって、〈思考する装置〉の能力はどんなに非現実的に見えても、いちおう、ナノマシンの働きによるもののはずなのに」 「だけど、人間の精神に働きかける能力を持つ装置だってあるらしいじゃないか」 「そりゃ、僕の能力だっていちおう、精神に働きかける系統に分類されるらしいけどね。でも、それと八左ヱ門のとはわけが違うよ」 「まぁね」三郎は認めた。「人間と獣は、精神構造がまったく違う。しかも、その獣を操るわけでもなく、ただ意思疎通をするというのは――正直、規格外の能力さ」 「やっぱり……」 「だが、〈思考する装置〉について判明していることは、さほど多くない。情報の大部分は“大破壊”で失われてしまったと言われている。それが分かればいいんだけどね」 話しているうちにも、八左ヱ門の周囲には無数の動物が集まっていた。獣のみならず、蛇や虫もいるようだ。捕食者も被食者も関係なく、皆、騒ぐこともない。 いつしか八左ヱ門は目を開けて、集まった動物たちと会話を始めたようだった。といって、言葉で話すわけでもない。視線を合わせ、頷き、時折は「そうか」などと声を上げもする。ひとしきり“会話”を終えると、彼は少し大きな声で動物たちに「ありがとうな」と礼を言った。それを合図に、動物たちはぱっとその場を去っていった。 「三郎、雷蔵、分かったぞ。今、黄昏時の人間らしき奴らがこの遺跡にいるらしい。ただ――どうやら二人、別々の場所に来ているらしいんだ」 「どこだ?」三郎が鋭く尋ねた。 「遺跡の西の外れに一人……こちらは背の低い若い男のようだ。もう一人は図書館の辺りに。顔に傷跡のある、中年くらいの男らしい」 「両者の特徴から言って、若い男の方は黄昏時ファミリーの戦闘員の諸泉尊奈門だと思う。そして、もう一人はおそらく……幹部の中で最高位にある男、雑渡昆奈門じゃないかな」 そう言いながらも、雷蔵は半信半疑の気持ちだった。雑渡といえば、黄昏時ファミリーのボスの右腕だと言われる男だ。そんな人間が何かを探すためとはいえ、遺跡にのこのこ出てくるだろうか? それとも、それほどに重要な何かがこの遺跡にはあるのか? 三郎は雷蔵の言葉に、考え込むような表情をした。が、やがて顔を上げる。 「二手に別れよう。八左ヱ門は諸泉を尾行して、どこへ向かうか行く手を突き止める。私と雷蔵は雑渡だ。くれぐれも、手出しはしないこと。黄昏時の幹部クラスが相手じゃ、悔しいが私たちは赤子みたいなものだからな」 確かに三郎の言う通りだった。おまけに、不用意に黄昏時ファミリーの構成員に手出しをすれば、そこから全面戦争に発展しかねない。雷蔵と八左ヱ門も三郎に同意して、その場で二組に別れた。 *** 日は急速に沈み、あたりは暗くなった。雷蔵は三郎と共に足音を殺して進んでいた。前方には、LEDの灯りがひとつ。どうやらそこに雑渡昆奈門がいるらしい。二人は気配を殺して、灯りの方へと近づいていった。 雷蔵は――そして、おそらく三郎も――荒事には馴れている。こうして気配を殺して身を潜めることにも。そうでなければ、一つのファミリーの幹部にまではなれなかっただろう。 しかし、それでも尾行の相手が雑渡昆奈門だと思えば、平静ではいられなかった。黄昏時ファミリーの実力については、ほとんど伝説のように語られているからだ。 廃屋の陰からそっと様子をうかがう。図書館の入り口の前に、雑渡昆奈門の姿があった。細身だが、鍛えられた体つき。短く刈り込まれた髪。時折、見える彼の左頬には火傷の痕が上から下へ帯状に走っている。その無惨な痕が、よけいに彼の容貌を恐ろしげにみせていた。 雑渡は図書館に入っていく様子を見せなかった。むしろ、その近辺に何かを探している風に見える。 ――でも、図書館を目の前にしながら、いったい何を探しているんだろう? 雷蔵は不思議に思った。そのときだった。不意に雑渡が振り返って、こちらを見た。まさに雷蔵と三郎が身を隠している廃屋の陰を。 「〜〜〜!!」 「っ……!」 雷蔵と三郎は言葉もなく、ぴたりと壁に貼り付いた。息さえも止めて、雑渡に気づかれまいとする。だが、それは無駄な努力のようだった。 「それで気配を殺したつもりかい? まだまだ青いねぇ」 廃屋の陰をのぞきこんだ雑渡が、楽しげに嗤う。雷蔵は反射的に飛びのいた。三郎も同じように背後に下がって、木の葉を重ねた刃のようなものを手にしている。それは形状から察するに、普通の武器ではなくて暗器の類のようだった。 三郎が投げたそれが予測できない軌跡を描いて、雑渡に襲いかかる。 「面白い武器を使うねぇ。ひょう刀……大昔に、シノビと呼ばれたスパイが使っていた武器じゃないか。“大破壊”の折りに、その利点が見直され、改良を加えて使われるようになったというが――まさか、ここでその使い手に遭えるとは」 雑渡がさっと右手を閃かせる。その瞬間、三郎の投げた刃は何かにぶつかったかのように空中で制止し、地に落ちた。 まずい。隙を作って逃げ出さなくては。雷蔵は即座に、“謎(エニグマ)”を発動しようとした。 けれど。〈思考する装置〉は、発動しようとしなかった。こんなことは初めてだ。チップを脳に埋め込み、ナノマシンを受け入れる処置をしたときから、雷蔵が呼べばいつでも装置は起動したのに。 再び装置に呼びかけるが、やはり動きはない。 ――〈思考する装置〉が壊れた? そんなこと起こるのか? そう思ったとき、脳裏に伊作とかわした会話が甦ってきた。主性と性質の異なる副性を持つ者――つまり、雷蔵のような男性のオメガは、発情期を迎えると体質が大きく変化する。そのために、〈思考する装置〉も変調を来すことがある、と。 ――まさか、僕も? 予想外の出来事に、雷蔵は呆然としてしまう。そのせいで、雑渡が近づいてきたことにも気づかなかった。 先に反応したのは、三郎だった。 「雷蔵っ!」 彼は雷蔵と雑渡の間に割って入った。雑渡は右手だけで、その三郎の咽喉もとを掴んで締め上げた。 「くっ……う、ぅ……」 「雷蔵君といったね?」雑渡は三郎の首を絞めながら、雷蔵に話しかけた。まるで世間話でもするかのような調子である。「そういえば、君に見覚えがある。君は“あの”七松ファミリーの幹部だね? ここはひとつ、取引をしないか」 「どんな取引ですか? 取引をお望みならば、まず、三郎を解放してください。話はそれからです」 「それはできないな。私が取引に提供できるのは、この子――三郎君だっけ? ――の生命だからね」 「卑怯な」 「それ、私たちにとっては誉め言葉だね。――さて、三郎君の生命を救いたければ、正直に答えてくれないか? “守護者”を知っているかい?」 「“守護者”? 何ですか、それは」 「知らないのかい? 本当に?」 雑渡は意外そうに言った。それと同時に、三郎が「ぐっ」と低く呻いた。雑渡が首を締め上げる手の力を強めたらしい。 「誓って僕は知りません! 三郎を離してください」 叫びながら、雷蔵は密かに体重を移動させた。もともと、実力差が大きい上に〈思考する装置〉がまともに動かない今、雑渡に挑むのは自殺行為にも等しい。 それでも。 雷蔵は雑渡に飛びかかっていった。武器を取り出す動作で相手に攻撃を予測されてしまうのを避けるため、まったくの素手である。といっても、まったく勝算がないわけではない。体術なら、小平太や長次にさんざん仕込まれてきたのだから。 小さく息を吸って、雷蔵は蹴りを放った。雑渡はあっさりと三郎から手を離し、それを避ける。三郎がどさりと地面に倒れ込んだ。雑渡はそれには構わず、雷蔵に向けて拳を繰り出す。 足技は手より威力が高いものの、放った後が無防備になりがちだ。避けられて体勢の崩れた雷蔵は、対応することができない。強烈な拳をまともに食らった雷蔵は、吹っ飛ばされて廃墟の壁に背中を打ちつけた。 「ぐっ、うぅ……」 痛みに一瞬、息が詰まる。雷蔵は壁に背中を預けたまま、ずるずるとくずおれてしまった。 ザッザッザッ。威圧するかのように足音を立てて、雑渡が近づいてくる。彼は雷蔵の前で足を止めた。 「もう一度、聞くよ。君は本当に“守護者”を知らないのかな?」 「――知らない……よ……」 「本当に? だったらなぜ、私を尾行(つけ)ていたんだい? ――守護者の一味と関わりがあるからじゃないのか」 「違う……。お前たちこそ……先日、僕を襲撃しただろ……?」 「君を襲撃? そんなこと、するはずないだろう。基本的に黄昏時も七松ファミリーと事を構えるのはごめんだからね。もっとも、アレの情報を知っているなら、手出しも辞さないが」 「アレ……?」 「知らないなら、知る必要はないよ。このまま眠ってもらおうか」 雑渡は手を高々と振り上げた。雷蔵は衝撃を予想して、息を詰める。とそのときだった。 バシッ。鈍い音が聞こえる。雷蔵が目を開けると、雑渡に飛びかかっている三郎の姿が見えた。ひどく痛めつけられたはずの三郎が、それでも雷蔵を守ろうとしているのだ。 雑渡はあっさりと三郎を振り払った。地面に倒れ込んだ彼を見て、「邪魔だな」と呟く。雑渡は今度は三郎に向かって手を振り上げた。 「さっ……」 三郎っ。 名前を呼ぼうとしたが、あまりのことで声が出ない。もちろん、痛みでろくに動くこともできない。雷蔵は歯を食いしばった。 三郎を助けなきゃ。こんな痛みに負けてられない。動け、動け、動け――! 自分を叱咤した瞬間だった。脳内でカチリと歯車が回るイメージ。唐突に自分の中で〈思考する装置〉が軋みながら動き出すのが分かった。雷蔵の“謎(エニグマ)”の効果で、周囲が霧の幻に包まれていく。 雷蔵は装置を発動させながら、ひどい疲労を感じていた。 〈思考する装置〉のナノマシンや脳内端末は、宿主の身体のカロリーを元にして活動する。健康な状態で短時間の使用なら、宿主にはさほどの影響がない。だが、体調が悪い場合や栄養失調になっている場合、無理をして装置を発動させれば低血糖症に陥ってしまう。悪くすれば死ぬ危険性さえあった。 今、装置を無理矢理に起動したせいだろう。雷蔵は自分の身体からどんどん力が抜けていくのが分かった。このまま装置を起動させていれば、死にいたるかもしれない――そう覚悟する。けれど、それでもよかった。この機会に三郎が逃げてくれるならば。 ――っていうか、三郎も動けなかったら、僕の行動って無駄なんだろうけど。そこは三郎を信じるしかないよね。 次第に取り留めのなくなる思考の片隅で、雷蔵はそう思う。すぐに立っていられなくなって、ぐらりと身体が傾いだ。為すすべもなく、地面にくずおれる。 ――にげて、さぶろう。 叫びたかったけれど、口から出たのはほとんど吐息のような呟きだった。けれど、それを気にしている暇はなかった。頭に霞がかかって、意識が遠くなっていく。どこか遠くで、獣の吠える声が聞こえた気がした。 雷蔵が最後に見たのは、霧の中に駆け込んできた獣のシルエットだった。 *** 目を開けたとき、雷蔵は真っ白な世界にいた。正確に言えば、霧がかかっているというのだろうか。霧は空気の流れによって動いているらしく、時折、周囲の景色がわずかに垣間見えることがある。霧の切れ間からのぞく風景は、まるでプラネタリウムのように無数の星が瞬く夜空に見えた。 足下には、地面はない。ちゃんと立っている感覚はあるのだが、足の下に見えるのは、周囲を取り巻くのと同じ乳白色の霧だ。 雷蔵はこの場所が、さきほど雑渡と闘った遺跡ではないのだろうと感じた。だからといって、どこなのかは分からないけれど。 「まさか、あの世にいるってことはないよね?」 呟いてみると、その想像がなかなか的を射ているような気がしてくる。何しろ、さんざん雑渡に痛めつけられたはずなのに、身体の痛みがちっともないのだ。 ここがあの世だとしたら、納得がいくのだけれど。 「……違いますよ」 静かな声が響く。雷蔵は慌てて声の方を振り返った。気がつけば、ほんの二メートルほど離れた場所に一人の少年が立っていた。年齢は、十六、七といったところだろうか。ひどく整った顔立ちをしている。異様なのは、その首に蛇を這わせていることだった。 ゆっくりと、蛇は少年の肩を這い進んでいく。彼はそれを怖がる風もなく、蛇の好きなようにさせていた。 「君は……」雷蔵は少し迷ってから言った。「“なに”?」 「誰、ではなく何と問われるのですね。あなたは物事の本質を突いておられる」少年はわずかに表情を緩めた。どうやら苦笑しようとしたらしかった。「僕は伊賀崎孫兵。ですが、あなたの仰る通り……僕の、僕としての個体名にはさほど意味がありません。“守護者”のひとりだと言う方が、きっとあなたの疑問に対する誠実な答えとなるでしょう」 「“守護者”……。雑渡昆奈門も“守護者”を探していたけれど……君は何を守っているの?」 「この世界の根元となるものを」 少年――孫兵の答えに雷蔵は内心、首を傾げた。『世界の根元となるもの』だって? そんなものが物なり場所なりとして、この地球上に存在するとは思えない。けれど、孫兵にはふざけている様子もなければ、狂気の兆候も見えなかった。 雑渡が“守護者”を探しているということは、彼も『世界の根元となるもの』とやらについて何か知っているのだろうか? 疑問ばかりが募っていく。 混乱したまま、雷蔵はとにかく現実的な質問をすることにした。 「ここってどこなのかな? 僕がどうやってここへ来たか知ってる? 友達が危険な目に遭ってるはずだから、帰りたいんだけど」 「ここは現実世界ではありません。いわゆる“集合意識”というか……。あなたの肉体は現実世界にあるので、帰ろうとするなら、目覚めればいい」 「あ、そうなんだ」 「待ってください。あなたがここにいらしたのは、今回は偶然です。でも、お伝えしたいことがあるのです」 「君が、僕に?」 はい、と孫兵は神妙に頷いた。その真摯さを感じ取ってか、それまで彼の肩を這っていた蛇が動きを止めて雷蔵を見つめる。孫兵と蛇と、二対の瞳に真っ直ぐな視線を向けられて、雷蔵ははっと息を呑んだ。 「不破雷蔵――自らの宿命に従って、早く覚醒してください。もうじき、僕ら“守護者”だけでは、『この世界の根元たるもの』を支えきれないときが訪れます。どうか、その前に」 「覚醒ってどういうこと? 宿命って?」 「簡単なことです。変化を恐れず、心の望むままに。あなたは無意識にでも物事の本質を見抜かれる方です。心に従っていれば、必ず、正しい道を発見なさるはず」 「心に従えって、そんな曖昧な……」 いったい、どうすればいいの? 雷蔵は尋ねようとした。その瞬間、ふっと足下の支えがなくなって身体が落下しだす。夢だとは分かっているものの、あまりにリアルな落下の感覚に雷蔵は絶叫した。 *** 「ああああぁぁぁ!!」 自分の絶叫で雷蔵は目を覚ました。視界に入ってきたのは、見覚えのある部屋の風景だった。白い天井に包帯や薬品の詰まった戸棚とその片隅に立つ骨格標本。標本はダークスーツを着てめかし込んでいる。伊作が大事にしている骨格標本の『コーちゃん』だ。 「……って、コーちゃんがいるってことは、ここはうちの医務室?」 雷蔵はベッドの上で起きあがった。そのとき、仕切りのカーテンが開いて医務室の主の伊作が顔をのぞかせた。 「すごい叫び声だったね、雷蔵。悪い夢でも見たの?」 「……伊作さん……。僕、どうしてここに? 僕、雑渡昆奈門と闘って、それで――」そこで雷蔵ははっと気づいた。自分よりも三郎のほうがよほど、重傷を負ったのではないだろうか。「三郎は? あいつは助かったんですか?」 「混乱してるね、雷蔵。教えてあげるから、落ち着いて」 優しく諭されて、雷蔵は自分が取り乱していたことに気づいた。ベッドの上で座りなおして、深呼吸をする。それでいい、というように微笑して、伊作は話を始めた。 伊作によれば、三郎と雷蔵は危ういところを八左ヱ門に救われたのだという。一人で諸泉を追った八左ヱ門だが、途中で獣たちから雷蔵と三郎の危機を聞かされた。そこで、彼は諸泉を諦めて、雷蔵たちの元へ駆けつけたのだ。 現場には、雷蔵が起こした霧の幻が立ちこめていた。そこで八左ヱ門は雑渡に野犬をけしかけ、その隙に三郎と雷蔵を救い出したのだという。雑渡の方も深追いする気はなかったらしく、救出は意外に簡単に終わったようだった。 問題はそこからだった。雷蔵も三郎も負傷していた。おまけに、意識のあった三郎の言葉から雷蔵は〈思考する装置〉がうまく作動しないらしいと判明した。 負傷だけなら黒木ファミリーでも治療できる。しかし、〈思考する装置〉について調べるとなると、黒木ファミリーの医務室担当――猪名寺乱太郎と鶴町伏木蔵、それに川西左近の三名の中に対応できるほどの技能を持つ者がいない。そこで、黒木ファミリーは雷蔵の治療のためにと伊作を招いたのだった。 「……じゃあ、伊作さんも黒木ファミリーの本拠地に来たんですか?」 「そうだよ。医務室担当の子たちにも会った。皆、素直ないい子たちだったなぁ」 子ども好きな伊作は楽しそうに言って、話を続けた。 伊作が最初に診察したとき、雷蔵は深い眠りの中にあったのだという。 身体の傷は、三郎ともども、たいした問題ではなかった。もちろん、重傷といえば重傷ではある。けれど、〈思考する装置〉のナノマシンを体内に宿している場合、ナノマシンたちが自らの代謝を行う際に宿主の損傷も修復する。そのため、通常よりも早く負傷が治るのだ。 問題は、雷蔵の〈思考する装置〉の方だった。調べたところ、体内のナノマシンは通常通りに活動している。ただ、装置が働かなくなった原因は、おそらく雷蔵が発情期を迎えて決定的に体質変化を起こしてしまったということだろう。意識を失って眠り続けているのも、〈思考する装置〉の動作不良に関係しているのかもしれない。 そうしたことを調べるのには、雷蔵を設備の整った七松ファミリー本部へ連れて帰る必要がある。伊作は庄左ヱ門に話をして、雷蔵を連れて戻った。そうして検査を重ねたのだが――。 「何も分からなかったんだ。ごめんね」伊作はシュンと項垂れた。 「いえ……。仕方ありません。もともと〈思考する装置〉に関する資料の大部分は失われてしまっているのですから」 「それでも、僕ら医者が解明していければいいんだけど。何しろ、“大破壊”以前の技術についてはほとんどブラックボックスだからね。ナノマシンだって、いろんな武器だって、使っているけど本当はどういうものなのか分かってない。そういうものが多すぎるんだ」 「すみません。遺跡でそういう資料を発掘できればいいんですけど……なかなか見つからなくて」 雷蔵も項垂れた。そのときだった。 ビービービー。敵襲を知らせるブザーが鳴り響く。それを聞いて伊作は立ち上がった。「雷蔵はここにいて」短く命じて駆け出す。医師とはいえ、彼もファミリーが安定するまでは闘いの場に立っていた人間である。敵襲があれば対応する――その行動には迷いがない。 もちろん、雷蔵も大人しくしているつもりはなかった。伊作を追って走り出す。身体は少し痛んだが、だいぶ快復していると分かる。 ブザーは玄関ホールから鳴り響いていた。敵は大胆にも、玄関から入ってきたらしい。雷蔵が駆けつけたとき、玄関ホールには多くの人間が集まっていた。その人だかりの中央には滝夜叉丸が見える。彼が相対しているのは、十六、七歳くらいの少年だった。すらりと背が高い。顔立ちは端正だが、眠たげな目つきをしていた。ごく普通の少年だが、どこか飄々とした雰囲気があって浮き世離れしているようにも見えた。 「――すぐに立ち去れ。さもなくば、容赦せん」滝夜叉丸が宣言する。 「へぇ? どうすんの?」 少年は明らかに滝夜叉丸を挑発しようとしていた。その態度に、滝夜叉丸は片眉を跳ね上げた。しかし、怒りを露わにはせず、黙って右手を高く掲げる。その指先に銀色の光がまとわりついた。 滝夜叉丸の〈思考する装置〉“刃(ラーミナ)”。一度、投擲されれば、一定時間の間は標的を追い続ける刃である。 わずかなモーションで滝夜叉丸は光の刃を解き放った。刃は真っ直ぐに少年へ向かっていく。彼はバックステップで刃を避けた。 その動きに、雷蔵は頭の片隅で何かが甦るのを感じた。この動き、どこかで見たことのあるような――。 雷蔵が考えている間にも、滝夜叉丸の“刃”は風を切って飛んでいく。普通の弓矢や銃弾とは異なる光の刃は軌道を変え、なおも少年を追っていく。 命中する! そうかと思った瞬間、少年は無造作に手を伸ばした。ガキィン。金属同士がぶつかるような甲高い音が響く。見れば鋼の色に変色した少年の右手が、光の刃を受け止めているのだった。 「なんだ、この程度か」 ぽつりと呟いて、少年は右手の拳を握った。その手の中で、滝夜叉丸の“刃”の光が四散する。 「貴様っ……!」 堪えきれず、怒りを見せた滝夜叉丸は新たな“刃”を呼び出そうと手を掲げた。雷蔵は二人の間に割って入る。 「待って。お前――“守護者”だね?」雷蔵は少年に向かって訪ねた。 「分かるんだ。そう、俺は“守護者”の一人、次屋三之助。この間、あんたを襲撃したのは俺だよ」 さらり、と三之助は言った。その言葉に周囲はどよめく。しかし、雷蔵は驚かなかった。 「やっぱり……。動きに見覚えなあると思ったんだ。――なぜ、僕を襲った?」 「あんたの覚醒を促すためさ。『この世界の根元なるもの』は脅かされている。黄昏時が……力を欲して見つけだそうとしてる。今の“守護者”だけでは、守り切れないかもしれない」 「夢の中で話した孫兵って子もそんなことを言ってたな……」 「孫兵は悠長すぎる。黄昏時はもう、俺たちの間近に迫ってるんだ。あんたの覚醒を待っている暇はない。――だから、拉致しに来た」 「は?」 雷蔵は目を丸くした。三之助は本気だろうか? これほどまでに派手な登場をする誘拐犯はいまだかつて聞いたことがないが――。 三之助の発言を聞いて、滝夜叉丸が雷蔵を庇うように引き寄せた。いつの間にか、伊作も雷蔵の傍らで臨戦態勢に入っている。滝夜叉丸のすぐ後ろで、名目上の人質――実質は滝夜叉丸の弟子状態――の金吾まで刀を抜いていて、雷蔵はちょっと感動した。 「何人がかりでも、俺は倒せないよ。“守護者”を舐めてもらっちゃ困る――」 三之助が言いかけたときだった。不意に彼の真上の空間に、四角い図形の形の光が現れた。かと思えば、まるで空中の図形が窓であったかのように少年が顔を出す。前髪を切りそろえた、明るい笑顔の少年だった。 「三之助、発見!」 叫ぶなり、少年は三之助の頭を殴った。 「いってぇ! 何するんだよ、左門っ」 「皆が三之助のこと、怒ってるぞ。一発、殴っとけーって。だから殴った」 「俺は間違ったことはしちゃいない」 「そうかもしれないけど、拉致はだめだろ。拉致は。俺たちは“守護者”であって、犯罪者じゃないんだぞ!」それに、と左門と呼ばれた少年はふと真顔になった。ひどく大人びた眼差しを雷蔵に向ける。「覚醒していない不破雷蔵では、僕らの……そして、世界の救いにはならない。『世界の根元たるもの』はそう言っているんだ」 「……分かったよ」 渋々といった風に三之助は頷いた。すると、左門が再び子どものような明るい笑みを浮かべる。 「帰ろう、三之助」 「あぁ」 三之助は差し伸べられた左門の手を取った。よいしょっと左門は彼を光の図形の中に引っ張りあげる。 ――このままでは逃げられる。 我に返った雷蔵は、声を上げた。 「待て! 君たちは、本当に僕に何を望んでるんだ!?」 雷蔵の問いに、左門が振り返った。なぜかひどく大人びた笑みを見せる。 「この世界の礎となることを」 謎めいた言葉を残して、光の図形は跡形もなく消えてしまった。 「何だったんだ……」滝夜叉丸が呆然と呟く。 口には出さないが、雷蔵も同じ思いだった。それでも、医務室に戻った雷蔵はあることに気づいて少し明るい気分になった。 「彼らのことをボスに報告しなくては。真犯人が出てきた以上、黒木ファミリーが僕を襲撃した疑いはなくなります。これで同盟が進められる」 現在、小平太は前ボスの大川平次渦正に会いに出かけている。雷蔵は彼が戻り次第、報告をしてから黒木ファミリーの本部に向かうつもりだった。 疑いが晴れたことを、早く三郎たちに知らせてやりたい。きっと彼らは喜ぶことだろう……。 しかし、雷蔵の言葉を聞いていた伊作はうかない顔をしていた。 「雷蔵……。小平太に報告を済ませても、すぐには黒木ファミリーの本部へ戻らない方がいい。疑いが晴れたということは、端末経由の通信でも知らせられるだろう?」 「? どうしてです?」 伊作は少し迷うような間の後に、口を開いた。 「実は君を治療のためにウチに連れて戻るとき、鉢屋三郎も誘ったんだ。ウチの方が設備が整っているからって。でも、彼は断った。――なぜだと思う?」 「黒木ファミリーの本部を離れるのが心配だから、ですか?」 「それもあるだろうね。けど、彼が僕に打ち明けた理由は違う。――もうじき発情期が来ると言ったんだ。そのときに、雷蔵の傍にいたくない、同じオメガであってもどうにかしてしまうかもしれない、と。それでも、君は三郎のところへ行くかい?」 雷蔵は目を見張った。三郎の発情期なんて。そんな状況は考えてもみなかった。 ――僕は、どうしたらいいんだろう……? すぐには答えが浮かばなかった。 pixiv投下2014/09/29 |