solitude5


※こへ雷描写があります。
※庄鉢、雷蔵以外の五年×三郎の記述があります。




 ファミリーの本部が“守護者”による襲撃を受けた頃、七松小平太は遠く離れた場所――空をいく飛行船の船上にいた。伴はファミリーの幹部の中でも特に腹心といえる、中在家長次ただひとりである。
 小平太はデッキに立ち、眼下を見下ろした。大地は真っ黒な闇の帳に覆われている。その中にぽつぽつと小さな街の明かりが輝いていた。明かりが密集しているのは市街地だ。まばらに明かりが点っているのは、人があまりいない遺跡や荒野に違いない。
“大破壊”の折に、地球上にあまねく広がっていた人類の大半は死に絶えた。それと共に、人類がそれまでに築いてきた科学技術も、知識も、大部分が失われてしまった。現在でも、いくらかは先の人類の知識や技術が遺っており、皆に利用されてはいる。〈思考する装置〉、“大破壊”の頃に製造された様々な武器、情報処理を行う端末など……。だが、それとて現代人はその構造をすべて理解して利用しているわけではないのが現状だ。製造とメンテナンスの方法は多少、分かっているから利用に支障はない。だが、たとえば現代人が“大破壊”以前の人類の遺産を改良して、新たな発明を生み出すことは不可能だ。
 現代人は、“大破壊”以前の人類の遺産で生きている。けれど、子どもはいつまでも親の遺産で食いつないでいくことはできないものだ。過去の高度な技術に依存し続ければ、いずれ人類は衰退する――小平太はそう認識していた。生き残るためには、新たなものを生み出さねばならない。前のボスが小平太を後継者に指名したのは、そうした認識のためだった。
 身内もファミリー外の人間も勘違いしているが、大川平次渦正が小平太を後継者としたのは戦闘能力の高さ故ではない。もちろん、アルファだからでもない。未来へのビジョンがあったからだ。
 七松ファミリーでは、幹部たちは他のファミリーのように組織の運営だけを職務とするわけではない。むしろ、組織運営は主に小平太の仕事だ。他の幹部はそれぞれに専門分野を持ち、各分野の研究を行っている。過去の人類の遺産たる知識や技術を研究し、新たな発見や発明を目指しているのだ。
 医師の伊作は医学分野を研究している。その“つがい”の食満留三郎が、ときどき薬品の人体実験に付き合わされているのは笑い話だ。ちなみに留三郎の専門は過去の様々な道具の解析を行っている。
 ファミリーきっての策士たる立花仙蔵の専門は、戦略と武器全般だ。彼の“つがい”の潮江文次郎は、経理関係が苦手な小平太のためにファミリーの金銭の出納や予算を一手に引き受けてくれている。けれど、その文次郎も人やモノの流通という分野を研究していた。
 そして、小平太の幼なじみの長次は、情報の管理を専門としていた。仲間たちが解析したり、発見したりした情報を蓄積し、失われないように管理する。雷蔵はその助手だが、このところは遺跡で過去の知識を発掘して持ち帰るようになっていた。
 小平太の仕事は、ファミリーの人々と幹部たちを守ることだ。彼らの生命は言うまでもなく、生活や居場所、研究をも。確かに小平太は他人よりいくらか戦闘能力があるが、それは皆を守るための道具でしかない。ボスの仕事とはそういうものだと自認している。
 これまでは、それで上手くいっていた。だが、何かが変わろうとしている。雷蔵が襲撃された一件。便利屋だった鉢屋三郎ほか数名がファミリーに属していたこと。黄昏時の幹部が遺跡に現れ、雷蔵らと交戦したこと――。
 小平太たちが本部を出発するとき、雷蔵は眠り続けていた。だが、伊作の見立てでは雷蔵の昏睡は外傷によるものではなく、〈思考する装置〉の不具合が原因らしい。“つがい”になることを拒まれたとはいえ、雷蔵が傷つけられれば己は平静ではいられないだろう、と小平太は思う。伊作が雷蔵はじき目覚めると保証してくれたから、こうして普通にしていられるが――。
 しかし、小平太の心情はともかく、それぞれを取れば、起こっても不思議はない出来事だ。雷蔵の黄昏時との小競り合いも、同盟していないファミリー同士であるから、あれば珍しいことではない。ただ小平太の直感はそれらの出来事の水面下で変化しつつある何かの気配を感じ取っていた。
 それを確かめるためにここへ来たのだ。前ボス、大川平次渦正が今は住居としている飛行船上へ。
 デッキから下を見下ろす小平太に対して、先ほどから長次は何も言わずにじっと控えていた。彼は極端なほどに無口なのだ。
 対して、小平太は皆にいつも騒いでいるように思われがちだが、実はそうではない。それこそ、ボスであるがゆえに、じっと考え込むこともある。そういうときには、会話を求めない長次の傍にいるのが最も快適だった。だから、小平太はよく、考えごとをするときには雷蔵も留守にしている資料室を訪れたりするのだが――。

「――小平太、長次」

 ふいに沈黙が破られて、小平太は振り返った。デッキの入り口に静かに佇むのは、四十代半ばくらいの男――山田伝蔵だった。太い眉に男らしい顔立ちをした彼はきっちりと黒のスーツを着込んでいた。いかにもファミリーの幹部という風情である。小平太の幹部や戦闘員たちは公の場でない限りは、比較的、本人の好きな格好をしている。けれど、大川平次渦正の幹部たちの世代となると、プライベート以外はきっちりスーツを着ていることが多かった。
「山田先生!」
 小平太は振り返って笑顔になった。『先生』と呼んだのは、ファミリーに入りたての頃、彼に様々なことを教わったからだ。小平太も他の七松ファミリーの幹部たちも、先のボスとその幹部を『先生』と呼ぶのが常だった。
「……お久しぶりです」長次も静かに挨拶する。
「お前たちの噂はよく耳にする。ずいぶんと勢力を伸ばしているようだな。ボスもいつも、お前たちのことを気に掛けておるよ」
「――だったら、大川先生も近くにいてくださればよいのです。飛行船で世界を巡ったりせずに」
 小平太は子どもっぽく頬を膨らませた。長次が「小平太」とたしなめるように名を呼ぶ。
 二人のやり取りを見て、伝蔵は少し苦笑してみせた。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの七松ファミリーのボスと幹部が、子どもっぽい会話をしているのを面白がっているように見える。
「残念ながら、小平太、そういうわけにもいかんのだ。こうして言って聞かせなくとも、お前はよく分かっているだろうが。――さぁ、二人とも。ボスがお会いになる」
 伝蔵に促されて、小平太は長次と共にデッキを後にした。エンジンなのか空調なのか、微かな稼働音が聞こえる廊下を進んで、突き当たりの部屋へたどり着く。小平太は何度かこの飛行船を訪れているため、そこがボスの部屋だということは知っていた。
 部屋のドアは金属製で、至ってシンプルである。ボスの部屋だというのに、周囲の他の部屋とまったく変わらない。――否、女性らしいプレートを提げた山本シナや、上品さを装おうとして失敗している安藤夏之丞のドアの装飾に比べたら、いっそ殺風景なほどだった。
 当の大川は『これが“わび”と“さび”というものじゃ』などと通ぶって悦に入っている。だが、小平太は以前から、“わび”とか“さび”とかいう概念はそういうものとは違うんじゃないかと疑っていた。いずれにせよ、大ファミリーのボスとして畏敬される彼には、そういう割と子どもで俗っぽいところがある。逆にそういうところがあるからこそ、ボスとして多くの人間に慕われているのだということが小平太にも最近、分かってきたところだ。
「――ボス、小平太と長次を連れて参りました」
 伝蔵はそう声を掛けた。すると、ドアが自動的に開く。伝蔵に続いて、小平太たちも中へ入った。
 大川の部屋の内装は、飛行船とは思えぬ和室だった。入り口に靴を脱ぐためのスペースがあり、そこから草を編んで作った敷物――“畳”が敷き詰めてある。部屋の奥には床の間と呼ばれる小さなスペースがあり、巻物状の絵画が天井から釣り提げられていた。『掛け軸』というのだとか。
 部屋の主である大川は、部屋の隅の茶釜から湯を汲んでいるところだった。床に埋め込まれた茶釜は、一見して本物のように見える。けれど、実際には畳の下に電熱式のコンロを仕込んで沸かしているのだとか。実に現代的な代物である。
「ご苦労であった、伝蔵」
 大川が声を掛けると、伝蔵は一礼して部屋を出ていった。残された小平太は、長次と共に靴を脱いで畳の上に上がった。大川の正面に腰を下ろす。
「――呼びもせんのにやって来るとは珍しいの、小平太。何か変わりでもあったか?」
 そこで、小平太は雷蔵への襲撃や情報屋のチームがファミリーに属したこと、雷蔵たちの前に現れて交戦した黄昏時の幹部のことなどを打ち明けた。さらに言葉を続ける。
「――どうも異変が続きすぎる。私にも確証はないのですが、何か……変化が起きようとしている気がするのです。何かご存じではありませんか?」
「ふむ……」大川は唸ったきり、手を動かしていた。何か考え込んでいるように見える。やがて、彼は茶の入った器を小平太と長次の前に出してから、ようやく口を開いた。
「黄昏時ファミリーのボス――黄昏甚兵衛と先日、顔を合わせたのじゃが、気になることを言っておった」
「気になること?」
「〈思考する装置〉とナノマシンの話じゃ。あやつが言うには、〈思考する装置〉とその意思を反映するナノマシンは、我々が考えるよりももっと規模の大きいものなんじゃと言っておった」
「――それは……皆、知っていることでは……? 我々が知る以上に……〈思考する装置〉には力が秘められている……。しかし……我々はその秘めたる力を解明できない。ゆえに、利用できない……」長次が言った。
「さよう。そして、黄昏甚兵衛は〈思考する装置〉を解明すれば、世界をも従わせる力を得ることができると考えておる」
 小平太は眉をひそめた。世界を従わせる――つまり、己が世界の覇者になるということだろう。しかし、そんなことをして益があるとは思えなかった。
 己の庇護下にある人々の安全と幸福を守るのは、大変な難事である。一つの地域の一ファミリーを治めるのにも苦労するのだ。世界中の人間を統治するとなると――言うまでもない。彼も小平太と同じくひとつのファミリーのボスを務める身なれば、領(かしら)の苦労はよく分かっているはずだった。にもかかわらず、世界の支配を望むというのはいったいどういう心境なのか。
「黄昏甚兵衛はいったい何を考えておるのですか」
 小平太の言葉に、大川はひょいと小柄な肩をすくめた。
「さぁて……。正気かどうかは分からぬが、少なくとも本気ではあるらしいの。あやつは危機感を抱いておるらしい。このままでは人類は過去の遺産を食い尽くして絶滅してしまう。その前に、各勢力が争いを止め、一丸となって未来への道を見つけださねばならぬと」
「……正論、ですね」長次がぽつりと呟いた。
「だが、人にはそれぞれ考えがある。利害もそれぞれに異なっている。その中で、争いを止めて一丸となるのは並大抵のことではありません」
 小平太が言うと、大川は「いかにも」と頷いた。
「黄昏甚兵衛はそうした問題を、<思考する装置>の秘めたる力で解決しようとしているのやもしれぬ」
「我々も黄昏甚兵衛の策に対抗するために〈思考する装置〉の解明を急がねばならぬのでしょうか……?」小平太は考え込みながら言った。
「無理に解明する必要はない。急がば回れ……ゆっくり道を探せばよいのじゃ。ただし、気をつけよ。昔から、〈思考する装置〉に手を出そうとする者の前には“守護者”が現れると呼ばれておるゆえ」
「……“守護者”……ですか」
「おぉ、長次、沈黙の生き字引と呼ばれるお主でも知らんかの。“守護者”と呼ばれる者たちは、〈思考する装置〉の秘密を守っているのだと言われておる。一族だとも、人ならぬ者だとも諸説あるが……分かっておるのは、ただ一つ。“守護者”は強い」
「それは面白そうだ!」
 強い相手と聞かされて、とっさに小平太は明るく言った。ボスとなってからは多少、落ち着いたつもりでいるのだが、条件反射というのは恐ろしい。傍で聞いていた長次が、「小平太」と鋭い声でたしなめた。
「はははは、お主らはいつまでも変わらぬなぁ」大川は朗らかに笑った。が、すぐに真面目な顔に戻って付け加える。「じゃが、いずれにせよ気をつけることじゃ。黄昏時が動くなら、否が応にも波乱が起きるじゃろうからな」
「もちろんです!」
「…………どうか、先生もお気をつけて」
 挨拶もそこそこに、小平太は右手を掲げた。と、小平太と長次の周囲に青い光の円が現れる。次の瞬間、小平太たちは七松ファミリーが本拠地とするビルの屋上にいた。小平太の〈思考する装置〉“指し示すもの(エンブレマ)”の能力だった。
 小平太の〈思考する装置〉は、空間移動の能力を持つ。本来なら、大川の飛行船に行くには飛翔能力の持ち主に頼むか、飛行船が停泊するのを待つか、あるいは乗り物を用意せねばならない。だが、小平太の能力があれば、飛行船に移動することが可能だった。といっても、空間移動できるのはよく知っている場所であり、なおかつその場所の座標を知っていることが条件になる。まったく知らない場所や、よく知った場所でもどこに存在するか分からない――たとえば、ある船や列車の個室などのように――場合は、能力は発動しない。
 非常に使い勝手のいい能力である。小平太の“指し示すもの”のように時間や空間に影響を与える〈思考する装置〉は、一般的に非常に強力だと考えられていた。
 こうした〈思考する装置〉の強さについては、もう一つ、面白い説がある。“つがい”のアルファとオメガはたいてい、同じ強度の〈思考する装置〉の能力が顕れる、というものだ。アルファとオメガの“つがい”の絆のせいなのかもしれない。しかし、規格外と言える小平太の“指し示すもの”に対して、雷蔵の“謎”はどちらかといえば弱い。いずれ“つがい”としての絆を結べば、雷蔵の能力にも変化が現れるかもしれないと考えていた。
 だが、先日の伊作からの報告では、“つがい”の絆を結ばないというのに、雷蔵の〈思考する装置〉に異変が見られたという。そのことも、小平太は微かな引っかかりを覚えていた。雷蔵の能力の変化――オメガの男やアルファの女に起こりえるという〈思考する装置〉の能力の変化も黄昏時が踏み込もうとしている秘密に関わっているのかもしれない。
「……小平太、行こう」
 長次に促されて、小平太は物思いから我に返った。あぁと頷き、屋上のドアへ向かう。階下へ降りていくと、本部内は騒然としていた。
 いったい、何があったのか。
 執務室へ入った途端、内線電話が鳴り響く。受話器を取り上げると、電話の相手は滝夜叉丸だった。彼は低い声音で、唸るように告げた。
「――申し訳ございません、ボス。この私が本部におりながら……」


***


 小平太が戻ったという報せを受けて、ファミリーの幹部と戦闘員が会議室に召集された。雷蔵が会議室に入っていくと、既に席についていた小平太が近づいてくる。
「ボス、ご心配をおかけして――」
 申し訳ありません、と言おうとした雷蔵は、しかし、不意にぽんと頭に落ちてきた重みに言葉を切った。小平太が、ひどく温かい眼差しと共に頭を撫でてくれたのだ。
「無事に目が覚めてよかった。心配したのだぞ、雷蔵」
「申し訳ありません……」
「そんな顔をするな。責めているわけじゃない。お前の元気な顔を見て、安心しただけだ」
 ぐしゃりと最後にひと撫でして髪を乱してから、小平太はぱっと離れていく。その背中を、雷蔵は一瞬じっと見つめた。“つがい”の絆のある小平太のことを、雷蔵は想ってはいない。けれど、だからといって自分にとってどうでもいい相手でもないのだと実感する。恋をしているわけではないが、それでも小平太を悲しませたり、心配させたりはしたくなかった。
 ――今回のことでは、ずいぶんあの人を心配させてしまったな……。
 改めて反省をした雷蔵だが、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかなかった。もうじき会議が始まる。頭を切り替えて、すぐに自分の席に着いた。
 幹部と戦闘員を集めたとはいえ、現在、本部にいる幹部クラスは長次と伊作、雷蔵、それに食満留三郎の四人。戦闘員に至っては、滝夜叉丸ひとりだ。他の幹部や戦闘員は、視察や商談、支配地域の各地で起きた問題の解決のために留守していた。
 幹部クラス二名、戦闘員は四名の不在である。多いようにも思えるが、これは日常的な数だった。
 七松ファミリーほどの規模となれば、上手く支配地域を治めていても問題は泡のように後から後から湧いてくるものだ。それに、問題を未然に防ぐための根回しも必要となってくる。また、たびたび視察を行うのも、ファミリーの幹部が目を光らせていると示す目的があった。こうなってくると、小平太がそのすべてを行うわけにもいかない。そのため、各幹部や戦闘員が支配地域の各地に赴くのだった。
 各自が席についたところで、滝夜叉丸が報告を始めた。“守護者”を名乗る少年に襲撃を受けたこと。別の少年が現れ、彼を連れ帰ったこと。二人の少年たちは空間転移によって移動したらしく、追うことも不可能だったこと……。そこに補足として雷蔵が、“守護者”の少年の一人が自分を襲撃した犯人だと告白したことを付け加えた。
「“守護者”、か……」
 報告を受けて、小平太は考え込むように呟いた。ちらりと傍らの長次と目配せし合っている。長次が同意するように頷くと、小平太は皆に向き直って言葉を発した。
「“守護者”と呼ばれる者たちの話は、今日、私と長次も大川先生のところで聞いてきた」
「前のボスのところで、か……? いったい、何でまたそういう話に?」
 留三郎が不思議そうに尋ねる。それに答えたのは、長次だった。小平太は勘が鋭く飲み込みも早いが、説明下手なところがある。直感で理解しているためだろう。論理立てて説明するとなると、小平太に変わって長次が話をするという役割分担が、二人の間でできていた。
「…………大川先生たちが得ている情報によれば……黄昏時が〈思考する装置〉の秘密を解き明かそうと動いているらしい」
 それから、長次は〈思考する装置〉と“守護者”について聞いてきた情報を話した。一時間ほど前に侵入してきた“守護者”の少年たちの言動を思い起こせば、なるほどと納得できる内容である。
 ただ雷蔵には一つ気がかりがあった。夢の中も合わせて数えれば、自分はすでに三人の“守護者”と会ったことになる。そのいずれもが、雷蔵に覚醒してほしいと言っていた。
 覚醒とはいったい何なのか。そんな疑問がずっと頭の中を巡り続けている。
 やがて会議が終わりに差し掛かった。会議の終わりに小平太は食満に警備システムの強化を、滝夜叉丸に警備要員の配置に関することを指示ししてから解散を告げた。情勢や黄昏時の出方によっては、今後の対応が変わってくるかもしれない。小平太は留守にしている幹部らも呼び戻して後、今後のファミリーとしての方針を定めると言っていた。


 会議が終わり、皆が去った後の会議室には小平太と雷蔵だけが残った。
「――ボス、今後のことですが」
 雷蔵が話を切り出すと、小平太は分かっているという様子で頷いた。
「あぁ、滝夜叉丸も報告していた“守護者”のことだろう。彼らの一人がお前を襲撃したと言ったのだったな。なぜそんなことをしたのか、私は未だに飲み込めていないが」
 それもそうだろう、と思う。
 雷蔵の夢の内容を知らない小平太からしてみれば、“守護者”らの動機の手がかりは左門と呼ばれた少年の謎めいた言葉しかない。伊賀崎孫兵という少年が夢の中で話していた内容があればこそ、彼らの発言も理解できるのだ。
 だが、雷蔵は夢について小平太に打ち明けることができなかった。さすがに、夢を根拠として持ち出してしまうのは、あまりに夢想家すぎる。
「彼らの一人は、僕に覚醒してほしいと言っていました。あるいは、世界の礎に、と」
「覚醒? 礎? いったいどういうことなんだ……?」
「分かりません。“守護者”たちの言葉はさて置くとして、彼らが僕を襲撃した犯人だというからには、犯人探しの必要はなくなります」
「あぁ。黒木ファミリーへの犯人探しの命は解消して、人質の金吾も返すつもりだ。同時に、こちらも庄左ヱ門と話し合わねばならないことがある」
「黄昏時の動きのことですね?」
「先ほども言ったが、抗争が避けられぬ事態になるかもしれん。それに、我々も〈思考する装置〉を解明しようとすれば、様々な場面で人手が必要だ」
 その言葉に雷蔵は先ほどの会議室を思い浮かべた。七松ファミリーの幹部や戦闘員は、支配地域の統治のために常に誰かが出払っている。小平太の言うように〈思考する装置〉の解明に本格的に手をつけるとなると、統治のために支配地域のあちこちに赴ける代理人が必要だ。あるいは、幹部が不在にしていても、その意を受けて本部での仕事や研究を続けられる者が。
 おそらく、小平太はその役目を黒木ファミリーの面々に与えようと心積もりしているらしかった。ちょうど、小平太や今の幹部たちが、大川ファミリーの幹部たちの下でそうしていたように。――となると、小平太は自らのボスとしての地位の後継者を庄左ヱ門に決めようとしていることになる。
「僕が言うのも何ですが……黒木ファミリーは同盟して間もない相手です。ウチの組織の深いところまで彼らを受け入れてしまって、大丈夫でしょうか?」
 黒木ファミリーの皆の人格的な部分は信頼できる、と雷蔵も思う。だが、彼らの大半は――ボスの庄左ヱ門も含めて――まだまだ子どもでしかない。とてもではないが、七松ファミリーの統治の仕事を背負っていけるかどうか……。
「案ずるな、雷蔵。我々のときも、大川先生たちは信頼して任せてくれた。そして、上手くいった。そろそろ、私たちも下の世代を信じて育て始めてもいい頃だと思う」
「では、僕が金吾を連れて、黒木ファミリーの本部に行きます。庄左ヱ門に話を通して、あなたとの会見の日取りを調整しておきます」
「頼んだぞ」
 小平太がしっかりと雷蔵の目を見て言う。雷蔵はそれに頷き返した。そのまま、部屋を後にしようとする。けれど、ふと思いつくことがあって足を止めた。
 目覚めたとき、伊作は三郎が発情期に入ると言っていた。今、黒木ファミリーの本部に行けば、そんな状態の三郎に近く接することになる。
 そのとき、どうなるか――。
 三郎は雷蔵と同じオメガだ。だが、同性であっても、相手に惹かれる気持ちの前ではまったく障壁にならないのだと雷蔵は分かっていた。この間の発情期に三郎が会いに来たとき、それほど彼に触れたかったことか。
 どうなるか――なんて自分で自分を誤魔化しているだけだ。三郎に会いたい。彼に想いを告げて――心の奥底では、肌を合わせてもいいとさえ思っている。そのことを、“つがい”としての絆のある小平太に告げずに行くのは卑怯だと雷蔵は思った。
 いくらオメガである三郎を愛そうと、セックスしようと、彼とは“つがい”になることはできない。本来のアルファとの“つがい”の絆はずっと残り続ける。けれど、自分は本気で三郎を選ぼうとしているのだから、せめて言葉で絆を断ちきっていかなければならない。
 雷蔵は意を決して、小平太に向き直った。
「どうした? 雷蔵」
「……ボス。僕は、黒木ファミリーの本部へ行ったら、三郎に好きだと言うつもりです。もし、互いに望むなら……肌を合わせてもいいと考えています」
 そう告げる雷蔵を、小平太は鋭い眼差しで見つめていた。怒っているというより、覚悟はあるのかと尋ねるような視線だった。
「前にも言ったが、三郎には三郎の“つがい”がいるのだぞ? あいつは、いずれお前より“つがい”の相手を選ぶかもしれない」
「想いを告げられるだけで、十分です。たとえ一度であっても、肌を合わせられたなら……僕はその一度をずっと忘れない」
 雷蔵は真っ直ぐに小平太の目を見返した。彼の視線の強さに挑みはしない。ただ受け入れて、答えを差し出す。
 困難な道を選ぼうとしていることは、雷蔵にも分かっていた。このまま三郎への恋愛感情を封じてアルファを選べば、きっと楽に生きていけるだろう。けれど、雷蔵は雑渡との戦いで三郎を失いかけた。そのときに気づいてしまったのだ。このまま彼を失うことはどうしてもできない、と。
 愛してると告げたからといって、三郎は雷蔵の想いを受け取らないかもしれない。また、ひととき愛し合ったとしても、その絆は永遠には続かないかもしれない。それでも、不破雷蔵という人格は、鉢屋三郎を愛していると表現せずにはおれない。そういう衝動が、雷蔵の中にあるのだった。
 じっと雷蔵を見ていた小平太は、ふいに表情を緩めて微笑した。悲しんでいるような、苦笑しているような、それでいてひどく温かな――何とも言いがたい笑みだった。
「自分の愛する者に、拒まれるのは辛いことだぞ?」
 そのひと言に、雷蔵は息を呑んだ。今更のように、自分が彼につけた傷の深さを知る。傷を与えた者に悲しむ権利などないと分かっているのに、気づけば涙が溢れていた。
「……申し訳、ありません……」
「違う。私はお前に謝罪させたいわけじゃない」小平太は頭を振った。それから、雷蔵の頭にぽんと掌をのせる。「私はただ……お前に傷ついてほしくないだけだ。単なる私の我が侭だな……」
「――僕は……傷ついたって構いません。傷ついても強くなります。自分が愛したものも、愛を返してはくれなかったものも、大切なものも……すべてを慈しめるように、強くなりますから」
「お前から見て、私は“強い”か」
「えぇ……。僕に恋を覚えさせたのは三郎だけど、慈しむことを教えたのはあなたです」
 雷蔵は涙を拭うことはせず、滲む視界ごしにひたすら小平太を見つめた。彼からどれほどのものを与えられたのか、どれくらい感謝しているのか。言葉にできない分が眼差しから伝わればいいと願う。
「私の一部が少しでもお前の中に残るなら――光栄なことだ」
 小平太は泣き笑いのような表情で、そう言った。


***


 三十分後。雷蔵は夜のうちに金吾を連れて、黒木ファミリーの本部へと戻った。庄左ヱ門に小平太の言葉を伝え、会見の日程を相談する。それから、雷蔵は庄左ヱ門の執務室を後にして、幹部の集まる四階に向かった。
 黒木ファミリーの幹部たちは、ファミリーの他の構成員よりも年長だ。はっきり年齢層が分かれているせいか、彼らの部屋は一つの区画――本部にしている小学校の建物の四階――に集められていた。勘右衛門ら黒木ファミリーの幹部クラスは、ひとつの教室を丸ごと自らの居室として使っている。教室は五つあり、幹部がそれぞれに使っても余った二つの部屋は、倉庫と幹部連中の執務室、兼、会議室にしてあった。
 雷蔵は執務室へ行き、ノックした。中から、入るように声が掛かる。部屋の中には、勘右衛門と兵助、それに八左ヱ門がそろっていた。三郎だけは不在のようだ。
「七松ファミリーの本部に侵入した奴がいるんだって?」
 そう声を掛けてきたのは、勘右衛門だった。他のメンバーもすでに七松ファミリーへの侵入者の情報は知っている様子である。それでも、雷蔵は驚かなかった。
 つい二時間ほど前の出来事を既に聞きつけているとは、さすがに元は情報も扱っていた便利屋だけのことはある。だが、七松と組むからにはその程度のことは、できて当然とも言えた。どうせ、この先、黒木ファミリーに七松の統治を手伝ってもらうとなれば、年若い者たちはともかく、年長の彼らには死ぬほど働いてもらわねばならない。
 雷蔵は庄左ヱ門に話したのと同じ内容を、彼らにも告げた。話をしたとき、庄左ヱ門は、単に小平太から手伝いの要請を受けたと思った様子だった。が、年の功というべきか、さすがに勘右衛門たちは小平太の要請の裏の意味まで察したらしい。
 目を丸くしている。
「同盟して間もないのに、ウチを七松ファミリーの後継に考えてるの?」
 勘右衛門は尋ねた。半信半疑の様子の彼に、雷蔵は少し苦笑した。
「同盟してからの期間は関係ないよ。七松小平太は直感が鋭い。信頼すべき相手は、決して間違えないんだ」
「だが、本当に後継として認められるかどうかは、こちらの働き次第――だろう?」兵助が冷静に言う。
「そうだね。幼い子たちにはそこまで求めないけど……君たちには死ぬほど働いてもらうことになるね」
「マジかー」八左ヱ門はのけぞった。がすぐに身を起こしてまじまじ雷蔵を見つめる。「……っていうか、雷蔵ってやっぱ七松ファミリーの幹部なのな。最初は優しそうで、幹部なんか務まりそうにないように見えたけど……。あの雑渡相手に食いついていくし、さらっと死ね発言するし。見た目より、だいぶハードな中身してるよな」
「そう?」雷蔵は取り澄ました顔で、首を傾げてみせる。多少、あざといのは計算の上だ。それを見て、八左ヱ門はげんなりした顔をした。
「そーいうとこがな」
「……ところで、三郎は?」雷蔵が尋ねた途端、三人は一瞬、言葉に詰まった。彼らを見ながら、雷蔵は探るように言葉を続ける。「発情期が近いとも聞いたけど……?」
「あぁ……夕方から、発情期が来たらしい。だから、しばらくは表に出られない、と」そう答えたのは、勘右衛門だった。
「僕、三郎に会いに行かなきゃ」
 決然と言って、雷蔵は立ち上がった。それを見た八左ヱ門がギョッとした顔になる。
「やめとけよ、雷蔵。三郎は……あいつは発情期がキツい方なんだ。同じオメガだからって、傍に行って何もなしでは済ませられないかもしれない。雷蔵はあいつと惹かれ合っているから、なおのこと……」
「三郎の噂に、誰とでも寝るというのがあるのを知ってるか?」そう言い出したのは、兵助だった。知っている、と雷蔵は頷く。それを見て、彼は言葉を続けた。「あの噂は……ある意味、真実だ。三郎の発情期はひどくて、あいつは俺たちにそれを隠すために、街でアルファを引っかけていたこともある」
 三郎は、自分のオメガとしての性質を憎んでいた。仲間である勘右衛門たちが皆、アルファやベータであるからこそ、なおのこと。隠れるように発情期の熱を発散していたが、あるとき性質の悪いアルファに監禁されかけたせいで、彼のしていたことが明らかになった。
 そのときから、と兵助は淡々と告げた。三郎の発情期がキツいときには、自分たちのうち誰かが彼と寝ることもある、と。
 雷蔵は思わず息を呑んだ。胸が痛みを訴えている。兵助の静かな眼差しが問いかけてくるかのようだ。ここにいる三人が、必要に駆られて三郎とセックスをしたことがある。だから、たとえ三郎と寝たところで、雷蔵が彼の心を得たことを意味しないかもしれない。
 それでもいいのか、と。
 よくはない。それでも、雷蔵は三郎を求めている。この程度の苦しさで、自分の想いから逃げ出すつもりはない。
 胸の痛みを堪えて、雷蔵は兵助に答えようとした。が、たたみかけるように勘右衛門が言葉を発する。
「ねぇ、雷蔵。三郎の“つがい”の“絆”の相手はもう分かってるんだ。庄左ヱ門だよ。三郎自身もそれを知ってるし、彼が一人前になるのを待って“つがい”になるつもりでいる。オメガは“つがい”を持てばその相手にしかフェロモンを発しないし、発情しなくなるからね」
“つがい”を持つということは、オメガにとって格段に発情期のコントロールがしやすくなるということでもある。発情期がキツいというなら、“つがい”を持つことは三郎にとって救いとなるだろう。
 雷蔵は自分の想いの終わりを幻視した。庄左ヱ門と笑い合う三郎。ひとりになる自分。分かりきった未来――違う。この想いが終わるとしても、自分は庄左ヱ門を愛する三郎を、それに庄左ヱ門を慈しむ。小平太が自分にそうしてくれたように。けれど、そこに至るまでには、納得いくまで三郎への想いを貫く必要があった。
 大丈夫。傷ついたっていい。
 最初は辛くても、いつかあの人のように毅(つよ)くなる。
 そのためには、愛しさも辛さ痛みも必要だから――だから。
 雷蔵はにっこりと笑って見せた。感傷はあるが、涙は出なかった。湿った感情を抜けて、風の吹く空へ翔け上がる心境。からりとした気分で雷蔵は告げた。

「いいんだ。ぜんぶ、覚悟の上」

 その言葉に、毒気を抜かれたように勘右衛門が口を噤む。八左ヱ門はストンと椅子に座り込み、兵助は静かに息を吐く。
 雷蔵は彼に背を向けて、執務室を後にした。廊下を進んで、先日、一番端だと教えられたばかりの三郎の部屋へ向かう。やがて、扉に行き着いた雷蔵はノックをした。
「三郎、僕だよ。雷蔵だ」
 そう告げて、しばらく待つ。やがて、扉が微かに開いた。だが、中は明かりも点けない真っ暗闇であるため、様子は分からない。
「――雷蔵……。今はちょっと……」扉越しにそう答える三郎の声が、はっきりと熱をはらんでいた。
「発情期、なんでしょ。知ってる。分かってて来たんだ」
「駄目だ。雷蔵、立ち去るんだ……」
 弱々しい三郎の言葉。それを却下するように、雷蔵は言った。
「好きだよ、三郎」
「っ……。やめてくれ……。君の存在は、今の私には辛すぎる」
「逃げないで。僕は君に惹かれた。君も同じなんだろう? だから、遺跡でキスをしたんだし、雑渡から庇ってくれたんだろう?」
「分からない……。分からないんだ……ただ君に惹かれて仕方なくて……。でも……君も私もオメガだ」
「知ってる。ぜんぶ、ぜんぶ、お前の仲間から聞いてきた。その上で、覚悟もした。――でも、今はオメガでもファミリーの幹部でもない、ただの不破雷蔵として、鉢屋三郎に言いたいんだ。君を、愛してる」
 その瞬間だった。扉の隙間から手が伸びてきて、雷蔵は真っ暗な闇の中に引きずり込まれた。体勢を立て直す暇もなく、扉の脇の壁に押さえつけられる。気がついたときには、息を奪うほどの深さで口づけをされていた。
 拘束するというより、縋るように抱きついてくる身体を雷蔵は抱きしめ返した。暗くて顔は見えないけれど、三郎の匂いがする。
 雷蔵は目を瞑って――闇と熱の中に落ちていった。





pixiv投下2014/10/13

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