solitude5.5
夜。黒木ファミリーの子どもたちは、談話スペースにしている教室の一室に集まっていた。皆の輪の中心にいるのは、しばらく七松ファミリーに出向いていた――という名目の人質であった――皆本金吾である。庄左ヱ門はその様子を輪から少し離れたところで見ていた。 その金吾の手を取って涙ぐんでいるのは、ふわふわ波打つ髪を頭の高いところで束ねた少年、山村喜三太だった。優しげで女性的な顔立ちの彼は、男らしい端正な容貌の金吾と並ぶと、少女のようにも見える。二人は幼なじみだった。 大半が子どもの黒木ファミリーにおいて、実質的に彼らを保護している年上の幹部たち――子どもたちは“先輩”と呼んでいる――は今はこの場にいない。七松ファミリーの不破雷蔵がもたらした報せを受けて、彼らはすでに動き始めている。 いずれ、態勢が整えば子どもらも七松ファミリーの元で働くことになるだろう。それが同盟ということだ。しかし、その前に先輩たちは子どもらに再会を喜び合うだけの時間をくれた。 それが今だ。 黒木ファミリーの子どもたちは皆、仲がいい。それでも、金吾と喜三太にとって、最も近しく感じているのはお互いのようだ。皆、金吾が人質になったときには心配したものだが、仲でも気が気でなさそうにしていたのは喜三太だった。 ファミリーの子どもたちは、それぞれこの近くのスラムや下町、孤児院などで生まれ育った。ただ、金吾と喜三太は少し離れた地域の――どうやら、もとは上流階級の出身らしい。時々、二人が漏らす身の上話を総合してみると、ちょっとしたドラマが浮かび上がってくる。どうやら金吾はさる大ファミリーのボスの遺児で、後継者争いを避けて逃げてきた。喜三太は金吾のファミリーの幹部の息子で、父親は彼を次期ボスにしようと息巻いていたが、本人は金吾をすっかり気に入ってしまった――そんな皮肉な事実が。 たぶん、アルファである金吾とオメガである喜三太は“つがい”として本能に定められているのだろう。庄左ヱ門は何となくそう感じていた。もちろん、アルファもオメガも十四歳以降に発情期が訪れるまでは、どれほど近くにいようとも己の“つがい”の相手を実感することはできない。 発情期に達していないのは、庄左ヱ門も同じだ。それでも、ファミリーの“つがい”のペアを見分けることは今でもできる。それが生来の観察眼の鋭さのせいか――あるいは、すでに“つがい”の相手が判明しており、成熟に近づいているせいか。 ――“つがい”の相手か……。 庄左ヱ門は、この場にはいない三郎のことを思った。 喜三太と金吾が惹かれ合うような気持ちを――アルファとオメガが運命の相手を求める切望や、誰かに恋する気持ちを、庄左ヱ門はいまだに知らない。“つがい”の相手である三郎とは、四年前、まだ十歳のときに出会った。何かから逃れる途中の三郎を、庄左ヱ門が見つけて匿ったのが始まりだ。 血や泥にまみれて、素顔でうずくまる三郎に手を差し伸べたとき、自分を見た彼の目は生涯、忘れられないだろう。真っ暗闇の中で、やっと光を見つけた迷子のような目は。 『――私のアルファ。君はとても、心正しき者なのだな。君のような者がこの地を治めるならば、きっとこの地は弱い者にとってもい生きやすい地になるだろう』 私が、君を、王様にするから。 強い眼差しで、素顔のままの鉢屋三郎はそう告げた。そのときの彼は、血と泥に汚れながらも誇り高くて美しかったことを今でも覚えている。もう四年前の話だ。彼は約束――というより、自らの託宣を守って、庄左ヱ門をファミリーのボスにした。 性別を意識する前に“つがい”の絆の相手に出会ってしまった庄左ヱ門は、ゆえに、恋を知らない。庄左ヱ門の三郎への感情は、まるで晴天の霹靂のように降ってきた、運命だといえる。自分たちは獣ではないはずなのに、抗うことのできない本能によって定められた宿命。 「――庄左ヱ門」 不意に名を呼ばれて、庄左ヱ門は我に返った。振り向けば、鶴町伏木蔵がゆっくり歩いてくるところだった。オメガの彼は、やや顔色が悪いものの透き通るような白い肌と秀麗な容貌をしている。長く伸ばした黒髪がさらりと背中で揺れていた。 「どうしたんだい? 伏木蔵」 「金吾が戻ってきたっていうのに、今日は少し沈みがちだね、庄左ヱ門」伏木蔵はひそやかに言った。「……三郎先輩が、心配?」 「心配? 心配なんてしていないよ。彼は僕よりずっと強いんだから」 「ごまかさなくてもいいんだよ。周期的に言って、三郎先輩は発情期だ。だけど、普段ならお相手を務めるはずの先輩方は、三人とも出ていかれた。今、三郎先輩と一緒にいるのは、」 「伏木蔵」 庄左ヱ門は鋭く名を呼んだ。その間にも、胸がこれまでにないほど強く脈打っている。脳裏には不破雷蔵その人の姿が浮かんでいた。 彼はオメガだ。本人に聞いたことはないが、アルファである庄左ヱ門にはそれが分かる。しかし、雷蔵はオメガにしては平凡な容貌の持ち主だった。素直そうな大きな瞳に、人のよさそうな顔立ち。けれど、そこに表れる表情ははっきりと人を惹きつける。笑顔はこちらまで幸せな気分になるし、心配そうな顔は本当に親身になってもらっているのだという気がする。単純に容貌が整っているとかいないとか、彼の魅力はそんな部分ではない。彼もまた、オメガらしい底しれなさを抱える人物ではあった。 不破雷蔵がオメガだからといって、庄左ヱ門は安心することはできなかった。あの底知れない深さで、彼はいつか三郎を奪っていってしまうのではないか、と不安になる。こんなことは初めてだった。 これが恋というものなのかもしれない。 冷静にそう分析したものの、庄左ヱ門は声の鋭さを抑えてもう一度、伏木蔵を呼んだ。 「ねぇ、伏木蔵。そんな風に、僕の心を逆撫でしようとしなくていいんだよ。君が感情を吐き出させてくれなくたって、僕はこの嫉妬を処理できる」 「嫉妬だって、自分で気づいてるの? それなのに三郎先輩とあの人を、そのままにしておくの? ……それってすっごいスリルじゃない?」 だって、あの二人が愛し合うかもしれないのに。伏木蔵の瞳がそう語っている。 庄左ヱ門は頭を振った。 「君の言う通り、三郎先輩はあの人を愛するかもしれない。でも、“つがい”である僕を愛するのかもしれない。すべては三郎先輩が決めることだよ。……それより、僕は君が心配だ」 「――僕……?」伏木蔵は目を丸くする。 「だって、いくら君の<思考する装置>が他人の心を感じ取れるからって、君は心の暗い部分を見抜いて、ひっぱりだして、その暗さを引き受けようとするんだもの。それじゃ、君が辛いだろう?」 そう言うと、伏木蔵は気まずそうに目を伏せた。偽悪的なポーズはいくらでも取ってみせる伏木蔵だが、彼は心配されることにひどく弱い。彼のそういうところは、少し三郎に似ていると庄左ヱ門は思う。だからこそ、人の心の深淵をのぞいてしまいがちな伏木蔵には幸せになってほしかった。 無言になってしまった伏木蔵を慰めるように、ぽんと彼の肩を叩く。そこで、庄左ヱ門はふと気づいて顔を窓の方へ向けた。 「あぁ……雨が降ってきたね」 三郎と出会ったのも、こんな雨の日だった……庄左ヱ門はそう思って、辛さを紛らわすために小さくため息を吐いた。 *** さぁさぁさぁ。いつしか雨の音が聞こえていた。口づけに夢中になっていた雷蔵は、その合間にふと窓へ顔を向けた。窓の外は真っ暗闇で、どれほどの雨が降っているのかは分からない。けれど、音から察するに、そこそこ強い雨のようだった。 八左ヱ門たちは、雷蔵の話を聞いてすぐに仕事に取りかかると言っていた。外でこの雨に遭っていなければいいのだが。そう心配している間にも、三郎がぴたりと雷蔵に頬を寄せて抱きついてくる。まるで寂しがり屋な子どものような行動だ。けれど、彼のそんな仕草の理由が雷蔵には分からないこともなかった。 きっと発情期のせいだ。発情期にはアルファが欲しくなるばかりではなく、人の体温が恋しくなるものだから。 安心させるように三郎をぎゅっと抱きしめる。三郎がほっとしたように、身体の力を抜くのが分かった。それでも、彼の吐き出す息は熱を帯びている。 「ベッド、行こうか」雷蔵は囁いた。 三郎はまるでお姫様にするように恭しく雷蔵の手を取って、ベッドまで導いた。今まで彼が横たわっていたらしいベッドは、寝乱れている。腰を下ろすと、シーツ用の石鹸の匂いに混じって三郎の匂いがした。 「……ごめん、雷蔵」ベッドに座って向き合うと、突然、三郎が謝罪の言葉を口にする。「ごめん……。許してほしいと言うこともできない。私がしようとしていることは――」 そこで、雷蔵は三郎が何を謝っているのかに気づいた。今、まさに雷蔵に触れるというときになっても、雷蔵か“つがい”の相手の庄左ヱ門かを選べないでいることを、心苦しく思っているのだろう。 雷蔵は微笑して、三郎へと手を伸ばした。両手で彼の頬を包み、その唇に触れるだけの口づけをする。 「三郎、お前は何も気に病む必要はない。僕がここにいるのは、僕の選択だ。僕がお前に触れたかっただけ。だから……お前はお前がそうすべきときに、自分のするべき選択をすればいいんだよ」 「っ……。それでも、ごめん、雷蔵。……私がアルファならよかったのに。そうした、君と“つがい”に……」 「馬鹿だね、お前。……たとえ僕らがアルファとオメガでも、“つがい”の絆の相手ではないかもしれない。お前がアルファだったなら、僕はお前に惹かれなかったかもしれない。もしもの話をしたって仕方がないよ」 雷蔵は微笑した。それから、三郎の衣服に手を伸ばす。彼は簡素なシャツとジーンズを身につけているだけだった。シャツのボタンを外そうとすると、三郎はその手をつかんで止めた。 「らいぞう……。ごめん、私……私が君を抱きたい。初めて会ったときから、そうしたくて仕方なかった。ごめん……」 「何を謝ることがあるのさ。お前がそうしたいなら、抱けばいいよ。僕は初めてだし、発情期でもないから、ちょっと準備が大変だろうけど」 「準備も私がする」 「うん。頼むよ。でも――」雷蔵は三郎の下肢に触れた。そこはすでに硬く勃ち上がっている。雷蔵がそこを緩く押すと、三郎はびくびくと身体を震わせた。「今のままじゃ辛いだろ。一度、熱を散らしてあげるから」 「わっ……雷蔵っ……!?」 雷蔵は三郎のシャツの裾をめくった。彼はベルトを着けていなかった。そこで、ジッパーを下ろして、下着の中から熱を帯びた彼自身を取り出す。「したことないから、下手だったらごめんね」そう断ってから、身を屈めて三郎の性器を口に含んだ。 どうすればいいのか分からないままに、幹の部分を手で擦りながら、先端に吸いつく。すぐに先の部分から、先走りが溢れだしてきた。 「っ……にがっ……」雷蔵は思わず口を離して呟いた。 「あ、当たり前だろっ」三郎が耳を赤くして叫ぶ。 「えー、でも、発情期のオメガの体液は甘いって、モノの本では言うじゃない? あと、媚薬作用があるとか」 「人の体液が甘く感じられたり、媚薬作用があるわけないだろっ。発情期のオメガに対して、世間はなんか変な夢を抱いてるみたいだけどさ……。ていうか、どういう本読んでるの、君」 「エロ本から学術書まで何でも読むよ?」 「『何か問題でも?』なんて顔してもだめだよ、雷蔵。問題あるから! ――……っていうか、君のとこのボスとか、中在家長次とか、私が君に近づこうとすると『うちの姫に手を出すな』って目で威圧してくるのに、君の読書に関しては何でそう野放しなの」 「あはは、姫って何だよ、姫って」 僕はオメガだけど、主性は男だぞ。姫ってそんな馬鹿な。雷蔵は軽く笑い飛ばして、再び三郎の性器を口に含んだ。 たしかにソレは暇つぶしに読んだ安っぽい官能小説に書かれているように、甘くはない。けれど、雷蔵の拙い舌遣いに反応する様や、三郎の艶めいた吐息、それにせっぱ詰まった表情のせいで、こちらまで興奮してくる。苦しいのを堪えて、雷蔵は三郎の性器を口いっぱいに招き入れた。頭を上下させて口全体を使って愛撫しながら、含みきれない部分を手で刺激する。 やがて、三郎の腿が震えだして、彼の限界が近いのが分かった。 「らいぞ……、もう……出るから……!」 切れ切れに言って、三郎は雷蔵をどかせようとする。けれど、雷蔵は口を離さなかった。ジュッと口をすぼめてひときわ強く性器を吸い上げれば、身体を強ばらせて三郎は吐精した。 やっぱり苦いその精液を、少しむせながらも何とか飲み込む。顔を上げると、三郎があ然としていた。 「飲まなくてよかったのに」 「僕が、そうしたかったから」 雷蔵は微笑してみせた。 嘘ではない。本心だった。できるだけ、三郎を自分自身の中に刻みたかった。彼は自分のものにならないかもしれないし、次に彼と抱き合える機会があるかどうかも分からないのだから。 七松ファミリーは、黄昏時と対立しようとしている。もし抗争が起きれば、幹部である雷蔵は戦いの最前線に立たねばならない。ファミリーと小平太のために、生命をかける覚悟は最初からできていた。だから、今、この時を身体に刻みつけたいと思うのだ。 「ねぇ、次はどうすればいい? 三郎は、こういうことに経験があるんでしょ?」 煽るように、首を傾げて尋ねる。三郎はにやりと笑った。 「まぁね。でも、多分、君が思っているのとは違うかな」 「違うって?」 「だって、君、私のことを遊び人だと思ってるんじゃないか? まぁ、そういう噂をわざと流したんだけど」 話ながら、三郎は雷蔵の衣服を脱がせていった。雷蔵は恥ずかしくて仕方なかったが、これからセックスをするのに、裸になる程度で恥じらってもいられない。彼にされるがままになる。 「わざと? どうして」 「乳臭いガキじゃ、皆に侮られるからさ。私たち四人は最近までファミリーに属していなかった。誰にも守られずにいたから、強くてスレているふりをするのが身を守るためだった」 「そう……」 雷蔵の衣類は、三郎の手によってすべて取り払われてしまった。とん、と彼が雷蔵の肩を押す。促されるままに、雷蔵はシーツに横たわった。 熱に浮かされた目で、三郎は雷蔵を見下ろしている。その視線が気まずくて、雷蔵は目を逸らして会話の内容に意識を向けた。 脳裏にまだ幼い三郎や八左ヱ門、勘右衛門、それに兵助の姿が浮かぶ。大人の世界の片隅で、身を寄せ合う四人を思い描いて、雷蔵は少し寂しくなった。幼い頃から小平太たちに守られて生きてきた自分は、きっと幸せな子どもだった。けれど、そう思う一方で三郎たちが身を寄せ合っていたときに、彼らの輪の中にいたかったという気もする。 もちろん、そんなのは過ぎ去った出来事でどうしようもないのだけれど。 三郎は、雷蔵の裸体を眺めながら、自らも衣服を脱いでいた。そうしながらも、話しを続けている。 「私の経験のほとんどは、八左や勘たちだ。精通するくらいの頃から、四人で寝床にもぐりこんで。最初は触りあうだけだったけど……いつからか、本当にセックスするようにもなっていた。愛していたというより、そうやってお互いを暖めあっていたんだ。じゃれあいの延長、みたいなものだよ」 裸になってから、三郎は身体を倒して雷蔵の額に口づけた。そうしておいて、ベッドサイドの引き出しからボトルを取り出す。どうやらそれはローションのようだった。 三郎はボトルの蓋を開けて、中の液体を手のひらに落とした。ドロリと粘性のあるその液体を絡めた指先で、下肢に触れてくる。じらすように下腹部を撫で、そこから滑り降りて茂みへ。すぐに彼は硬くなりつつある雷蔵の性器に触れた。 「あっ……」 ぬめりと共にそこを上下にしごかれて、思わず喘ぐような声が漏れる。初めて受けた他人の愛撫は、ひどく悦かった。 ――ちがう、他人だからじゃない。きっと、三郎だからだ。 あ、あ、あ……と、制御できない声を漏らしながら、雷蔵は思う。ふわふわした快感が腰に溜まっていて、もうすぐ快楽を極めてしまいそうだった。 けれど、三郎の手はやがて核心を逸れて、更に下へと降りていく。先走りかローションか分からないもので濡れた三郎の指先が、ついに足の奥――後孔に触れた。 「硬い、な……」 グニグニと閉じたそこの表面を押しながら、三郎が呟く。その言葉に、少しだけ快感から正気に戻った雷蔵は苦笑した。 「――……そりゃあ……ね……。僕は今、発情期じゃないし」 「ここから先は、多分、痛みがあると思う」 それでも許してくれる? と三郎は情けない眼差しで尋ねてくる。雷蔵は微笑した。 「承知の上だよ。だから、して」 「……君が今、発情期だったら、こんな苦労はさせなかったのに」 三郎は悔しそうに呟く。その声と表情で、彼がまた自分がアルファであればいいのに、と考えていることが分かった。 どちらかがアルファであれば、オメガの発情期に誘発されて相手も発情する。だが、オメガ同士ではそうはならない。発情期が重なるとしたら、それは単に偶然でしかない。 「ばかな三郎」雷蔵は手を伸ばして、三郎の頬を撫でた。「また、オメガの自分を憎んでるんだろ? いいんだよ。僕はオメガで、今が発情期じゃなくて。これでいいんだ。だって……正気なら、痛みがあるなら、お前と抱き合ったときのことをはっきりと覚えていられるだろうから」 「雷蔵っ……」 三郎は目を潤ませて、雷蔵の身体を解しはじめた。時間をかけて固く閉ざされた後孔を馴らしていく。最初は異物感ばかりだったが、挿入した指をゆっくり抜き差しされるうちに、妙な感覚が生じてきた。 はっきりした快楽ではない。けれど、くすぐったいような、うずうずするような感じ。最初は小さな波だったその感覚が、次第に大きくなってきて、雷蔵は思わず身動きした。その瞬間、三郎の指が内部のある一点を掠める。 「……んあっ……!」 自分でもハッとするくらい甘い声が零れ落ちて、雷蔵はとっさに両手で口を押さえた。空気に触れる頬が熱くて、自分が赤面しているのが分かる。 こんな性行為に不慣れな反応をしては、きっと三郎も呆れていることだろう。悪くすれば白けてしまっているかもしれない。雷蔵は不安になって、おずおずと三郎を見上げた。彼は目を丸くして、雷蔵を見下ろしていた。 「さぶろう?」雷蔵はそっと呼びかけた。 「雷蔵……君、ここがイイの……?」 我を取り戻した三郎は、先ほど雷蔵が強い刺激を感じた箇所を少し強く押した。途端、びりびりと電流のような感覚が背筋を駆け抜ける。 「さぶろっ……やめっ……!」 前への刺激とは異なる感覚。けれど、気がつけば雷蔵の性器は茂みの中心でしっかり勃ち上がって、トロトロと先走りをこぼしていた。その光景を、雷蔵は信じられない思いで見つめる。 「雷蔵、かわいい……」 不意に熱に浮かされたような声音で、三郎が呟いた。彼の性器も、雷蔵と同じく固く張りつめている。発情期の最中とあって、一度、熱を発散したくらいでは治まらないのだろう。 発情期、それなら分かる――と雷蔵は思った。オメガの男性の後孔に生殖器が形成されるその時期ならば、後ろで快楽を得るのも納得ができる。しかし、今の雷蔵は発情期ではない。後孔は生殖器ではなく、単なる排泄器官の今、後ろで感じてしまう自分がが恐ろしい。 三郎とのセックスに痛みが伴うのは覚悟していた。だが、発情期でもないのに、同じ男相手に快楽を覚えるなんて。雷蔵はいつしか自分の制御を離れてしまった身体のことを考えて、不安になった。 それが顔に出てしまったのだろう。 「どうしたの、らいぞ……?」 欲に彩られた瞳で、けれど、心配そうに三郎が尋ねる。早く熱を散らしたいだろうに、彼は苛立った様子を見せはしなかった。 「僕、怖いんだ……」 「怖いだって?」 「だって……発情期でもないのに、こんなに感じてる……。僕、変なのかな……?」 そう言うと、三郎は苦笑した。 「君がイイように、私は努力してるんだよ」 「努力……」 「うん。それに、君が痛いだけじゃなくて、気持ちいいと感じてくれてるなら、すごく嬉しい」 「――三郎、僕がこんな風で……嬉しいの……?」 意外な気分で雷蔵は尋ねた。だって、こんな風に感じっぱなしの身体を抱いて、三郎が楽しいと思える要素が果たしてあるのだろうか。雷蔵にはそうは思えないのだが――確かに、三郎は自身の言葉どおり嬉しげな顔をしていた。 雷蔵を模した顔には笑みが浮かび、双眸はきらきらと輝いている。「嬉しいよ」と三郎はもう一度、繰り返した。それから、ふと切なそうな表情をする。 「だって――私は君に、何の言葉も渡せない。君は好きだと言ってくれたけど、答えられないんだ」 三郎の言葉の意味は、雷蔵にも分かった。先ほど自分が小平太相手にそうしてきたばかりだからだ。 アルファやオメガが“つがい”の絆のある相手以外を選べば、“つがい”を得られないもう一方はずっと“つがい”がいない孤独を体験することになる。“つがい”の絆のある相手は、たとえ愛していなくたってオメガやアルファにとっては特別な相手だ。雷蔵にとって小平太がそうであるように、心の一部を常に占め続ける存在だといえる。自分の“つがい”の絆の相手を傷つけたくないと思うのは、当然の気持ちだった。 「ごめんね、雷蔵。私は君の気持ちに、何も返せない。だから……せめて、今は君をよくしてやりたいんだ。だって、それだけが私にできることだから……」 ごめん、と再び三郎が呟いたとき。ぽたりと温かな雫が雷蔵の胸に落ちてきた。見れば、それは自分に覆いかぶさっている三郎から降ってきたようだった。ぽた、ぽた、ぽた。銀色の雫が雷蔵の胸や腹に降り注ぐ。いつも三郎の顔の表面を覆っている<思考する装置>“仮面(ペルソナ)”の効果が、いきなり解けてしまったらしい。予想外の出来事に、三郎もびっくりして固まっている。 降り注ぐ“仮面”であった銀の雫は、まるで三郎の涙のようだった。じきに“仮面”はすべて落ちてしまって、彼の素顔が現れる。切れ長の瞳に形のいい鼻と唇。癖のない黒髪。三郎の本来の顔は、雷蔵とはまったく異なっていた。 ――それでも、三郎は僕の顔を模してくれていたのか。 ――好きだと言えないとはいっても、素顔は見せてくれるのか。 『愛してる』という言葉が貰えなくても、三郎の言葉や振る舞い、反応のひとつひとつは、決してこの行為が遊びでないと物語っている。それでいいと雷蔵は思った。 自分と三郎は同じオメガ同士。“つがい”として結ばれることは最初からあり得ない。分かっていて、好きだと告げた。覚悟の上で肌を合わせた。三郎から愛の言葉を返されるなんて、最初から期待はしていなかったから――今のこのひととき、彼が痛いくらいに真剣に自分に向き合ってくれていると分かっただけで十分だった。 雷蔵は涙がにじみそうになるのを堪えて、三郎に笑いかけた。 「……やっぱり……お前のこと好きだな。もう……僕、お前が欲しい」 誘うように、彼の肩に腕を回す。三郎はハッと息を呑んでから、雷蔵の後孔に自らの熱を押し当てた。 「ごめん、雷蔵」 三郎が謝る。こんなときまで謝罪されるのがもどかしくて、雷蔵は腰を揺らして先を促した。まるで娼婦の手管のような真似。けれど、三郎には何もかも忘れて自分で溺れてもらいたかった。 「はやく」 そう囁けば、三郎はゆっくり雷蔵の内に侵入してきた。指とは比べものにならない質量に押し開かれる痛みと苦しさに、思わず身体が強ばる。 雷蔵のうめき声に、三郎は心配そうに動きを止めた。 「大丈夫?」 「っ……。いいから……早く、早く……して」 駆り立てられるような気分で、雷蔵は両足を三郎の腰に巻き付けた。痛みはある。けれど、今はそれ以上に三郎がほしい。早く、早く、一つになってしまいたい。雷蔵は両腕と両足で、ぐいぐいと三郎を引き寄せた。 「らいぞ、君は……。……クソッ!」 三郎は小さく舌打ちして、強引に腰を進めてきた。やがて、互いの下肢が触れ合って、三郎がすべてを納めたことが分かる。三郎の熱で満たされて、その痛みを越える満足感に雷蔵は微笑した。 「ぜんぶ……入ってる」 「あぁ」三郎は吐息のように頷いた。 「そっか……。うれしい、な……」 雷蔵は右手で、三郎とつながっている箇所をたどった。ぴたりとはまったその部分に、改めて喜びがこみ上げてくる。同時に、じわじわと炙られるような熱も。途端に、雷蔵は自分の内部がキュッと収縮したのを感じた。痛いのに、それだけではない甘い疼きが再び身体の芯に生まれ初めている。 三郎もまた、雷蔵の中の動きでそれを感じたらしかった。尋ねる声がひどく艶めいている。 「らいぞ……動いてもいい?」 「ん……うごいて……」 そっと促すと、三郎はゆっくりと雷蔵の奥を捏ねるように動き始めた。その動きに甘い疼きが大きくなっていく。次第に大胆になり始める三郎の動きに、雷蔵は夢中でしがみついていた。 どれくらい、ベッドの中で抱き合っていただろうか。交わっては眠り、身体を清めて食事をしてからまた抱き合って。幾度も肌を合わせるうちに、不慣れだった雷蔵の身体はいつしかすっかり三郎に馴染んでいた。彼のわずかな愛撫にも快楽を覚え、また自分も三郎の快感を引き出せるように。 最初は興奮しきっていた三郎も、今は落ち着いてきている。ベッドに横たわったまま、向き合う彼の表情がひどく穏やかだ。もうじき彼の発情期も終わるのだろう。雷蔵は傍らに眠る三郎を見つめながら、そう予感していた。 発情期の性欲に付き合うのは、発情していない身体には少しつらい。けれど、無我夢中で三郎から求められた記憶は、雷蔵を幸せな気分にしてくれる。 自分はひとりだと思っていた。なかなか発情期が訪れず、いざ成熟しても“つがい”の絆のある小平太を選べず。そのときの自分には分からなかったけれど、たぶん心のどこかで孤独を感じていた。 三郎を好きだという自分の気持ちに素直になる覚悟を決めたけれど、愛してもらえるとは考えていなくて。抱き合っても、ただ彼に愛を与えるだけだと思っていた。たぶん、“つがい”の絆の相手と結ばれなかった自分は、誰とも心を通わせることはできないのだろう、と。 今だって、あれほど抱き合った後だって、自分は三郎の心をすべて知ったわけではない。一つに融合してしまってもいない。不破雷蔵は不破雷蔵のまま、鉢屋三郎は鉢屋三郎のままだ。けれど、と思う。抱き合っていたあのとき――雷蔵が愛を告げて、三郎が愛撫で心を示してくれたときには、肉体ごしに相手の魂に触れた気がした。自分たちは隔てられて、融け合ってしまうことはできないけれど、それでもひとりではないのだと感じられた。 「――お前がここにいてくれて、僕は嬉しいよ。ありがとう、三郎」 雷蔵はそっと囁いて、三郎の髪を撫でた。彼の発情期が終わったら、自分たちはこの閨を出て再び別々に歩き出すことになる。寂しいけれど、たぶん、自分は顔を上げて真っ直ぐに歩き出せるはず。 だが、今はまだ。 目を閉じて、雷蔵は眠る三郎に身を寄せた。今はまだこの温かなベッドの中にいたい。そう思っているうちに、雷蔵はもう一度、眠りに引き込まれていった。 pixiv投下2014/10/26 |