Just a man


・成人指定のシーンがあります。鉢雷ですが、一度は合意なし、一度は合意ありです。
・雑渡さん含め、タソガレドキがラスボスなかんじです。
・鉢屋三郎が本当は鉢屋三郎でないかもしれません。
・三郎の身内周辺のオリキャラが出ます。

0.


 その土地は、血なまぐさい戦場に馴れた猛者であっても怯むほど、濃い死の気配に満ちていた。金錆びた血の臭いやら死肉の腐臭やらでむせかえりそうになる。昼の日中だというのに、いつ悪鬼が現れてもおかしくない有様だった。
 にもかかわらず、その呪われた土地に足を踏み入れる者があった。二人連れの僧形である。一人は三十路になるかならないか、もう一人は壮年。二人とも僧にふさわしからぬ鋭い目付きをしている。――そう。二人連れは見た目通りの出家者ではない。類い稀なる変姿の術と千変万化の奇襲とで知られる忍衆・鉢屋衆の忍である。
「ものすごい妖気ですな、頭領」
 壮年の男は苦笑混じりに言った。武骨な態で火薬を用いた目くらましや幻術をよくするため、彼はいつからだか不破雲斎と呼ばれていた。不破は彼の出身地、雲斎は彼の扱う火薬の煙がまるで雲のようだと付けられた名だった。
 頭領と呼ばれた三十路の男――鉢屋栄一郎は雲斎を振り返った。部下は鉢屋衆きっての強者である。しかし、鉢屋は今このとき、雲斎の苦笑混じりの声音の中にはっきりと恐怖の気配を聞き取っていた。
 強者とは、何も恐れぬ者のことではない。
 そのような鈍感な人間は、むしろ迫る危険を察知することができずにすぐに死んでしまうものである。幾多の危機を乗り越えてきた強者とは、すなわち、恐れるべきものを知る人間のことだ。
 それゆえ雲斎の恐れをあなどることはできなかった。栄一郎はそこで、懐から布を取り出した。幾重にも折り畳まれたそれを開けば、赤子の拳ほどの鈴が現れる。栄一郎は右手で鈴を持ち上げ、ゆらりと揺らした。
 ――りん……。
 澄んだ鈴の音が響く。途端に、粘りつくような空気が幾らか軽くなったようだった。
「その鈴はお方様が……?」
 雲斎に問われて、栄一郎は頷いた。
「わが妻、朝霧が祈り清めた呪具。しかし、わが妻ほどの呪力をもってしても、浄化しきれぬ瘴気のようだ」
 鉢屋衆は忍衆として知られる。しかし、それは真実の半分に過ぎない。もとはといえば、鉢屋衆は神官の一族であった。それが、時の流れるうちに各地を流れ、土地の人々の依頼で神事を行う祭祀集団となった。さらに後、依頼の神事に加え、各地を流浪した際に手に入れた情報屋や人脈を利用して忍働きをもするようになったことから、忍集団・鉢屋衆が生まれた。
 故に、鉢屋一族は強い霊力を持つ者が生まれる。栄一郎自身がそうであった。
 加えて妻の朝霧は東国の荒ぶる神を祀る巫女の血筋だ。二人の間には子が三人あり、上の息子らは只人ながらも忍としての才を見せ始めている。三人目はまだ赤子で、こちらも霊力の片鱗すら見せていない。
 栄一郎にはそれが悔しかった。鉢屋衆は忍として知られるところが大きいが、本来は神官だ。一族の総領たる家には、せめて高い呪力の持ち主がいなければならない。三人目の子にはどうしても、そうした存在になってほしいところだ。忍術と呪術。双方に長けていなければ、鉢屋衆の頭領は務まらぬのだから。現に栄一郎は頭領として、依頼を受けてこの不浄の地にいる。
 今回、栄一郎に依頼をしてきたのはさる大名だった。自らの領地の一角にある村の様子がどうもおかしい、というのである。幾度か見回りに家臣を遣わしたものの、戻って来ない。ついに家臣の内でも武勇の名高い男を村に派遣したものの――。
『その男だけは、戻ってきた。だが……帰城したそいつは、全身に咬み傷のようなものを負い、正気を失っていた』
 帰ってきた男は、その後すぐに苦しみだして、ついには息絶えたという。結局、問題の村がどのような様子かは杳として知れない。
 大名の依頼は、呪われているとしか思えぬ村の様子を探ってほしいということだった。必要ならば、そこにある怪異を退治せよ、とも。
 ――たしかに、これは呪われた村だ。
 栄一郎は入り口から村を眺めながら思った。村はひと月前までは特に変わったところはなかったという。しかし、現在、目に見えるのは十年も放置されたかというほど朽ち果てた家々だ。
 息が詰まるほどの妖気は、村の奥へ行くほど強くなっているらしい。
「……行くぞ」
 鉢屋は部下に命じて、村の中へ歩きだした。一歩、一歩と歩を進めながら、妻が祈り清めた鈴を鳴らす。りん、りん、りん……澄んだ音がわずかずつながらも鉢屋らの周囲を浄化していく。
 やがて、村の奥にたどり着いた。そこにはこんもりと茂った森があった。木々の向こうに社らしき屋根がのぞいていることから、鎮守の森らしいと分かる。濃い妖気はその中心――社から漂ってくるようだった。
 これはただごとではない。
 清浄であるはずの社が、不浄の気に染まりきっているとは。栄一郎は眉をひそめた。最悪の想像が幾通りか脳裏に浮かぶ。しかし、不浄の源を確認せぬわけにはいかない。
 栄一郎は鈴を鳴らしながら、鎮守の森をくるりと巡って入り口を探した。そこはすぐに見つかった。森の入り口に塗りの剥げた鳥居が立っていたのである。その上、鳥居の足下には躯が一体、転がっていた。不惑を過ぎたと思われるその男は、死の間際に何を目にしたのか、恐怖の表情を顔に張り付けている。しかも、躯は獣か何かに食い荒らされて、見るも無惨な有様だった。
 鉢屋は低く鎮魂の祝詞を唱えながら、躯の傍らを通り過ぎた。真っ直ぐに瘴気の水面とである社へと進んでいく。両脇を木々の立ち並ぶ参道を抜け、社の境内に出たときだった。ぱっと開けた視界に、陰惨な光景が飛び込んできた。
 折り重なる、躯、躯、躯。女のものもあれば、男も子どもも年寄りもある。皆、身体の一部を食い荒らされ、社の前に山と積まれていた。
「――いったい誰がこんなことを……」
 地獄がこの世に顔をのぞかせたとしか思えない景色に、雲斎は絶句している。しかし、栄一郎は目の前にあるものの悲惨さに呑まれて、真実を見失いはしなかった。
 この地獄のような有様は、物事の結果でしかない。何か重大な事柄は、既に起きてほとんど終わっているようだった。その証拠に、社の境内で感じられるのは強い穢ればかり。強大な呪力や霊力は意識に引っかかってはこない。
 栄一郎は折り重なる躯の山を迂回して、社へと進んだ。もはや汚染されて神の気配もないそこに、草履のまま踏み込む。社の奥の祭壇まで行くと、女が二人倒れていた。一方は若く、もう一方は百に手が届くのではないかと思えるほど年を取っている。老女は身なりから察するに、この社の巫女のようだった。若い女は村の者らしく、質素な着物を身につけている。二人とも既に事切れていた。二人の傍らには、なぜかタソガレドキ城の紋の入った風呂敷が落ちていた。タソガレドキ城は、この村一帯を領地とする大名が仕える主だったはずだ。
「いったい何があったというのだ……?」
 栄一郎が呟いたときだった。死んだ若い女の腕の中で、唯一の生存者が動いた。赤子である。衰弱した様子の赤子は、しかし、栄一郎と雲斎の目の前で弱々しく泣き始めた。
 すると、二人の背後でひたひたと足音がした。振り返れば、そこにいるのは一匹の雌狐だった。神通力を得た狐らしく、尾が二股に分かれている。狐は鉢屋らの視線もものともせず、泣いている赤子に近寄っていき、寝そべって乳を与え始めた。赤子は当然のように、狐の乳を飲む。しばらくすると、狐は赤子から離れて悠々とその場から歩き去ってしまった。
「どういうことでしょう……?」部下が尋ねる。
「おそらく、母子を贄か何かにしようとしたのだろう。だが、何らかの予想外の出来事が起こって、荒ぶる神が赤子に封じられた。結果、この赤子は普通の人間ではなくなってしまった。だからこそ、親も死んでしまったというのに、この呪われた地で生きていられる」栄一郎は答えた。
「この赤子のような呪われた身で成長すれば、人の世に仇を成す存在となるにちがいありません。この場で殺すのが得策ではありませんか?」
「――そうもいくまい。この赤子を手に掛ければ、赤子に封じられたモノが黙ってはいない。我々とて生命が怪しくなる」
「では、いかがいたしますか?」
 部下の問いを背中に、鉢屋は赤子を見下ろした。呪われた土地の中で、その赤子だけは唯一、穏やかな顔で眠っていた。


1.

 畿内の山中深くにある学び舎――忍を育てる忍術学園には、奇妙な学科が存在する。神道や陰陽道などを初めとする『呪術』を学ぶ学科である。とはいえ、『呪術』を扱うことができるのは生まれながらに才のある者のみ。忍術学園の生徒といっても、『呪術』を教わるのはわずかな欠片でもその才があると認められた子どもだけだ。
 昼下がりの今、五年生の教室では『呪術』の才のある子どもらが集められ、特別授業を受けていた。普通の学科では、生徒はい・ろ・はの三組に組分けされる。しかし、『呪術』の授業では人数が少なくなるため、教室に座る顔触れは、い・ろ・は組が入り混じっていた。真面目ない組の生徒が一番前の席で真面目に授業を受け、は組の生徒は紙片の式神を操って悪戯をしようとしている。ろ組の生徒が吐息に乗せて友人にこっそり言霊を飛ばし――そんな真面目だか不真面目だか分からない授業風景の中、一番後ろの席でぼんやりしている少年がいた。
 狐の尾のようにふわふわした黒髪に丸い瞳、穏やかだがやや優柔不断そうにも見える面差し――五年ろ組の不破雷蔵である。雷蔵の隣では、まったく同じ顔をした少年・鉢屋三郎が、意外に真面目に教師の話に耳を傾けていた。二人が同じ顔をしているのは、別に血縁関係があるからではない。忍術学園の生徒では随一と言われる変装名人の三郎が、雷蔵の顔を模しているのだ。それでも、雷蔵と三郎は親友同士で常に一緒にいるため、皆から『双忍』とか『名物コンビ』などと呼ばれたりもする。
 けれど。
 雷蔵は隣で真剣な様子の三郎を盗み見て、ほぅっとひっそりため息を吐いた。あまりに息の合った有様から『双忍』と呼ばれる雷蔵と三郎。三郎は天才と言われるほど、忍の才能に溢れた男だ。彼と『双忍』であることは、なかなかに難しい。それでも、雷蔵は努力を重ねて、三郎に及ばないまでも何とか足を引っ張らない程度の成績を収めている。
 ただ、一つだけ困ったことがあった。三郎は有り余るほど持ち合わせている『呪術』の才が、雷蔵にはまったくないのだ。
 もちろん、『呪術』の授業を受けるべき生徒に選ばれたのだから、雷蔵にも『呪術』の素質はあるに違いない。ただ、授業を受けたからといってそうした素質が目覚めるか否かは、個人差があるという。実際、現在の雷蔵には『呪術』の力が目覚めそうな前兆はなかった。もしかすると、このまま一生、目覚めないかもしれない。
 自分と三郎は『双忍』だというのに、一方にのみ不得意があっては『呪術』のできない方が不破雷蔵だと皆に見破られてしまう。そのことに、雷蔵は責任を覚えていた。だが、焦っても『呪術』の素質は天賦のものなのだから、どうしようもない。三郎は自分と『双忍』であることを止めて、もっと実力の伯仲した誰かの変装をした方がいいのではないか、と悩むこともある。しかし、その悩みを口にでも出そうものならば、三郎は毛を逆立てた猫のように怒るのだった。
 『私が誰でもいいけど何となく君の変装をしてると思ってるのかい? そいつはとんだ思い違いだ! 私は君がよくて、君の変装をしているのさ』
 まったく、物好きな男である。
 雷蔵は横に座る片割れのことを思い、また一つため息を吐いた。今から振り返ってみると、“あのとき”出会ってしまったのが三郎との腐れ縁の始まりだったのかもしれない。雷蔵はあまり理解できない授業を聞き流しながら、過去に思いを馳せた。


 雷蔵は畿内の山奥の小さな村で生まれた。後になって思えば、小さい割には裕福な村であった気がする。もしかすると、忍の隠れ里か何かだったのかもしれない。村は雷蔵が二年のときに戦に巻き込まれて滅んだので、もはや確かめる術はないが。
 とにかく、その村で雷蔵は伯父夫婦に育てられた。両親は赤子の雷蔵を残し、戦に巻き込まれて亡くなったためだ。子どものない伯父夫婦は可愛がってくれたが、雷蔵が十になるとあっさり忍術学園に入学させることを決めた。まるで雷蔵を育てることになったときから、そう決めていたかのように。
 ある早春の日、雷蔵は伯父に連れられて住み慣れた村を後にした。
 雷蔵は伯父がすぐに学園に向かうのだろうと思っていたが、そうではなかった。最初に連れて行かれたのは、どこかの山里の外れにある墓地だった。
『――だれのお墓?』
 そう尋ねた雷蔵に、伯父は悲しげな顔で答えた。
『お前の母さまのお墓だよ』
『母さまの? ……それじゃ、父さまのお墓は?』
『お前の父さまは……ここには眠っていないんだ』
 幼い雷蔵は、なぜ父の墓が母の傍にないのかと不思議に思った。この乱世のこと、夫婦が別々の場所で亡くなることもないではない。きっと、父は遠くで客死して、この地に墓を作ることができなかったのだろう、と幼心に納得した。伯父の深刻な面もちを前にしては、更なる質問をして困らせる気にはなれなかったのだ。
 雷蔵は伯父に促されて、母の墓に参った。
 墓参りが終わり、今度こそ学園へ足を向けるのだろうと思いきや。墓地を後にした伯父は、雷蔵を連れて山里の中でもとりわけ大きな屋敷へ行った。
 伯父はどうやら屋敷の人間と知り合いのようだった。家人たちは伯父を見ると、心得た様子で奥へと通した。その屋敷で、雷蔵は初めて三郎に出会ったのである。
 三郎は忍集団・鉢屋衆の頭領の第三子にあたる。その生家といえば、もちろん、誰にも素顔を見せないと言われる鉢屋衆の頭領の屋敷であった。今となってははっきりとは分からないが、雷蔵の伯父夫婦は鉢屋衆と関わりのある人たちだったらしい。
 雷蔵は屋敷の奥の間で頭領に挨拶をさせられ、その後、まだ幼かった三郎と引き合わせられた。当時、三郎はすでに忍としての天賦の才を示しており、白い狐の面の下に素顔を隠していた。
『――そのお面は、取らないの?』
 そう尋ねた雷蔵に、三郎は感情のこもらない声音で答えたものだった。
『私は忍だもの。敵か味方か分からない相手に素顔をさらしたりはしない』
『忍ってけっこう、大変だね』
『だけど、君も忍になるんだろう? これからは君も大変な思いをするんだよ』
『そっかぁ。そうだね』
 のんびり納得した雷蔵を、三郎はフンと鼻で笑った。人を小馬鹿にしたような冷笑だった。幼心に雷蔵は三郎のことを、イヤな奴だと感じた。
 だって、知らなかったのだ。表面上の冷たい態度が三郎のすべてだと思いこんで、彼が密かに抱えているものを察することができなかった。それを知ることがなかったら、きっと今でも三郎のことをいけ好かない奴だと決めつけていただろう。


 トコトコトコ。不意に歩いてきた折り紙の狐が、雷蔵の注意を引くように踊り出した。三郎の悪戯である。雷蔵ははっとして我に返った。
《――らーいぞ。私に見とれてどうしたんだい?》
 授業を聞いていた三郎が、不意にこちらを見て矢羽音を飛ばした。一年生の頃、習いたての矢羽音が面白くて自分たちで作った、雷蔵と三郎の間でだけ通じる種類のものだ。
 当時から雷蔵は書物や物語に興味があった。そのため、独自の矢羽音の開発に夢中になったのは三郎以上に雷蔵の方だった。五年生の今になってみると拙い部分も多く思えるのだが、授業中などのちょっとした内緒話くらいには十分に役に立つ。
《見とれてなんかいないよ》雷蔵は眼差しに呆れの色を乗せて、三郎を一瞥した。
《でも、熱心に私のことを見ていたじゃないか》
《ちょっと、昔のことを思い出していたんだ。お前と出会ったときのことをね》
《よしてくれよ》三郎は顔をしかめてみせた。それに合わせるように、折り紙の狐も身を低くして抗議を示す。《何にも知らない癖に、己は一人前の忍で学園に行く必要はないと思い上がっていた愚かな子どものことは、忘れておくれ》
《昔のお前のことを、そんな風に言うものではないよ。昔のお前は僕の憧れだった。もちろん、今もね》
《っ……。おだてたって何も出ないからなっ》
 三郎は乱暴に言って、口を噤んだ。雷蔵を無視する格好だが、変装に覆われていない彼の首筋や耳がうっすらと赤く色づいている。照れているらしい。
 雷蔵は苦笑して、自分も教師の授業に意識を向けた。たとえ自分に不得意があって、三郎と完璧な『双忍』になれないとしても、親友として彼の傍にいたいことには間違いないと改めて感じながら。


『呪術』の授業が終わる頃には、夕方になっていた。雷蔵と三郎、それに竹谷は連れだって、食堂へ向かった。優柔不断なところのある雷蔵は、早くも今日の夕飯に何を食べようかと迷い出す。
 と、そのときだった。
 食堂の前で、わいわいと騒いでいる声が聞こえてくる。見れば、この春に学園に入学したばかりの一年生たちが集まっているようだった。顔ぶれを見るに、入学して間もないうちからたびたび騒動を起こしている一年は組の面々のようである。
 いったい何があったのか。
 雷蔵はとりあえず、自分の属する図書委員会の後輩であるきり丸に声を掛けようと探した。……けれど、姿が見えない。そういえば、きり丸といつも一緒に行動している猪名寺乱太郎や福富しんべヱもその場にいないようだった。
「おかしいな。一年は組の数が足りない」雷蔵は呟いた。
「あぁ。……何だかヤな予感がするぞ」
 姿の見えないしんべヱを後輩に持つ竹谷も、心配そうに眉をひそめる。と、意外に面倒見のいい三郎が自然に進み出て、一年は組へと近づいていった。ちょうどその場にいた学級委員長委員会の後輩である黒木庄左ヱ門に、声を掛けた。
「庄左ヱ門、何があった?」
「あっ、鉢屋先輩! 実は……今日の仕事に行ったきり丸が、帰って来ないんです」
 眉のきりりとした、いかにもしっかり者という顔立ちの庄左ヱ門だが、さすがに不安だったらしい。三郎に状況を説明しながら、彼は眉尻を下げて弱りきった表情になった。
 普段は腕白小僧といった雰囲気の加藤団蔵も、心配が限界に達したのか必死に訴えた。
「乱太郎としんべヱもいないんです。二人はきり丸の仕事を手伝うからって、一緒に出ていったのに」
「そうか。では、私たち五年生が少し探してみよう」
 三郎は優しい声音で、一年生らに言った。一方で、素早く雷蔵たちに五年生用の矢羽音を飛ばしてくる。一年生に見せた穏やかな表情とは裏腹に、彼の矢羽音は緊張していた。
《雷蔵、竹谷、聞いた通りだ》
《分かってる。きり丸と乱太郎、しんべヱを探すんだろ。手伝うぜ》竹谷が力強く請け負った。
《でも三郎、先生たちには? 伝えるの?》
《いや、今はいい。六年生が戦場実習に出ていて、先生方のうち三分の一くらいはそれに帯同しているんだ。残りの先生方のお手を煩わせたくはない》
《そうだね》雷蔵は頷いた。
 乱世の世にあって子どもらを忍として養育するこの忍術学園は、見た目こそ平和だが、実は常に危険にさらされていた。
 まず、学園の所在地は実り豊かな土地なので、大名らが領地としてほしがっている。また、子どもは働き手として貴重であるので、金銭を出してでも欲しがる者もいるほどだ。
 学園長と教師たち、それに最上級生たる六年生は、日頃、そうした様々な危険から密かに学園を守っていた。しかし、今は六年生と教師の一部が学園を不在にしている。ここで下手に残りの教師陣がきり丸らの捜索に出てしまっては、かえって学園が危険にさらされるというものだ。それは避けねばならない。――三郎は学園の守りを担う学級委員長委員会として、そう判断したのだろう。
 三郎は庄左ヱ門だけを傍に呼ぶと、何事かを耳打ちした。それから、一年は組の子どもたちに学園で待っているよう伝える。雷蔵と竹谷の傍へ戻ってきた彼は「行こう」と促した。
「君たちは先に正門のところへ行っておいてくれ。私は外出届けを出してくる」
「分かったよ」
 雷蔵は竹谷と共に、正門へ向かった。
 春で次第に日が長くなってきているとはいえ、お天道さまはすでに顔をかくしかけている。山々の隙間に見える西の空にわずかだけ、不吉なほどに紅い西日の痕跡が残されていた。
「もうじき夜が来るね。早く三人を見つけてやらないと……」
 雷蔵は呟いた。それを聞いていた竹谷は、ちょっと困ったような顔をして頭を掻いた。
「そうだなぁ……。――本当は禁じられてるんだけど、仕方ないな」
「えっ? どうしたの?」
「雷蔵、少し離れててくれよ」
 言われるままに、雷蔵は竹谷から距離を取った。竹谷は何かに心を凝らすかのように真剣な表情をする。彼の周りの空気が張りつめていくのが感じられた。いつもの快活な友人の顔はなりをひそめ、そこにいるのは威厳のある男――古代にこの地を歩んだであろう若い男の神が再び姿を表したかのようにさえ錯覚する。彼はおもむろに指を口元に近づけた。
 シューッ。
 竹谷はまるで獣を呼ぶときのように、指笛を吹いた。けれど、雷蔵が予想していた甲高い高音は発されない。鋭く空気の漏れる音が微かに聴覚を揺らす。それと同時に、何か強大な気の固まりのようなものが、竹谷から広がっていったのが感じられた。
 その気が何なのか、『呪術』の才のない雷蔵には分からない。けれど、もし、三郎が傍にいたならば、竹谷が何をしたのか見て取ることができたのかもしれなかった。
 やがて、竹谷がふっと気を緩めた。だらりと身体の緊張を解いた彼は、普段の気のいい生き物好きの友人の顔に戻っていた。
「八左……何をしたの?」雷蔵はおずおずと尋ねた。
「少し、俺の呪力を使った。この周囲の山の気に呼びかけて、きり丸たちの足取りを教えてくれと頼んだんだ」
「そう……」
「今、言霊を飛ばしたところだから、しばらく経ったら山から反応が帰ってくると思うぜ」
 そのときだった。外出届けを手にした三郎が、二人の元へ駆けてきた。
「待たせたな、雷蔵、八左。……八左、お前、さっき呪力を使っただろう?」
「あぁ。三郎にも分かったか」
「お前の呪力は分かりやすいからな。しかし、助かるよ。お前が山の精霊たちに三人の行方を問うてくれるなら、捜索が早く終わりそうだ」
「三人が山にいるなら、の話だけどな」
 三郎は先ほど竹谷が何をしたのか心得た様子で、ぽんぽんと会話を交わしている。二人のやり取りを聞きながら、雷蔵はそこに加われないことに疎外感を覚えた。
 やはり、自分は三郎の隣に立つのにふさわしくないのかもしれない。それどころか、呪術を扱える三郎を始めとして、竹谷や尾浜、久々知らと友人でいても彼らの足を引っ張るだけではないだろうか。いつか、彼らに邪魔だと思われるときが来るのではないか。そう思うと、恐ろしくなる。
 だけど、彼らの――三郎の傍にいられないなら、僕は……。
「雷蔵?」
 三郎に呼ばれて、雷蔵は我に返った。劣等感や疎外感を心の奥底に押し込めて、何でもない表情を作る。
「三郎、ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
「しっかりしてくれよ。今からきり丸たちを探しに行くんだから」
「もちろんさ。可愛い後輩たちだもの。何としても僕らの手で見つけなくちゃ」
「そうさ」雷蔵の言葉に、三郎は満足げに頷いた。
「さっそく、行こうぜ」
 竹谷が促す。三人はもはや暗くなりかけた空の下、安全な忍術学園の門の外へ出たのだった。

2.

 やがて、完全に太陽が沈んだ。夜闇の立ちこめる森の中を雷蔵たちは駆けていく。先頭を進むのは、生物委員として山野の獣の生態に詳しく、生き物の気配にも聡い竹谷である。学園の中には竹谷の感覚はさながら野生の獣だと言い、その人離れしたその感覚を恐れる者もあった。
 かつてある上級生が雷蔵に“忠告”をくれた。『竹谷八左ヱ門、あれは人ではなく獣の心を持っている。ただの人間であるお前は近寄らない方がいい』と。普段は長幼の序を守っている雷蔵はそう言われたとき、礼儀もかなぐり捨てて相手をあざ笑ってみせたものだった。
『先輩は獣になったことがあるのですか? ないなら、八左の心が獣のそれだなんて、どうやって分かるんです?』
 以来、その先輩が卒業するまでの間、雷蔵は目の敵にされ続けた。けれど、後悔はしなかった。竹谷は同じく大切な友だ。三郎と同じく。彼も三郎と同様に雷蔵には感じられぬものごとを感じ取る感覚を持つにせよ、そんなことは友人でいるのには関係がなかった。
 夜闇の中を走りながら、竹谷は雷蔵たちを先導していく。その傍らに時折、ちらちらと蛍火のようなものが煌めくのに雷蔵は気づいた。
「――蛍……?」
 いやいや、まだ蛍が飛ぶには季節が早い。また、たとえ気の早い蛍にしても、疾駆する竹谷に並ぶほどの速度が出せるはずがない。
 おかしい、と雷蔵は首を捻った。それに気づいた三郎が、並んで走りながら声を掛けてきた。
「呪術の不得手な君の目にも、あの光が視えるか」
「あれは何?」
「山の気の凝ったモノ……山の精霊だ。妖にもなれない弱いモノたちだから、君の目には見えないかと思ったよ」
「もしかして、それってさっき学園を出る前に八左が頼んだから……?」
「そうだよ。それにしても、きり丸たちは幸運な子どもだ。山の神の末裔たる八左の頼みで、山の精ら総出で捜してもらえるのだからな」
 ――竹谷が山の神の子孫……!
 雷蔵は驚きと共に先を駆ける竹谷を見つめた。神の子孫などというものが身近にいるなんて、信じられない。けれども、灯火とは異なる淡い小さな光を身にまとわりつかせながら、夜道を迷いなく進む竹谷の姿はどこか常人とは異なるようにも見える。
 そのときだった。
「――見つけたかもしれない……!」
 先を行く竹谷の呟きが、風に乗って耳に届いた。
「どこだ?」
「山の精らが言ってる。裏々々山で、子どもらを見たって。そのうち一人は丸い硝子を鼻の上に載せていたらしい」
 その言葉に、雷蔵は行方の分からぬ一年生のうちの一人の顔を思い浮かべた。彼は視力が悪いらしく、眼鏡をかけているのだ。
「おそらく、乱太郎だな」三郎は断定した。
 三人は速度を上げて、裏々々山のふもとを目指した。
 学園の裏山から続く山々といえば、体育委員たちの鍛錬場だ。普段ならば体育委員たちが魂の抜け殻のような有様で駆けていく道を、雷蔵たち三人は疾走した。忍たまといえども四年生以下には厳しい道のりは、しかし、五年生になればさほど苦でもない。三人はあっという間に裏々々山までやってきた。
 忍ぶにはやや不向きな月明かりを頼りに、雷蔵たちは山道を進む。と、不意に微かな煙の臭いが鼻についた。同時に、闇の中で黒い柱と化した木々の狭間にちらちらと灯火のようなものがのぞく。
 あれは乱太郎たちだろうか?
 そうだとすると、どうも行動が妙だ。忍たまとして、忍術学園の子どもらは入学当初に身を隠すことの重要性を教え込まれる。忍として月明かりを避けることをたたき込まれた彼らが、この闇夜の森の中で果たして灯火を点そうと考えるだろうか?
 そう思って雷蔵は眉をひそめた。
 しかし、先頭を行く竹谷には迷いがなかった。他者よりも数段、鋭敏な五感が何か雷蔵には察知しきれぬ何かを感じ取っているのかもしれない。真っ直ぐに灯火へと向かっていく。
「――まずいな」
 竹谷は呟いて、唐突に全力疾走を始めた。理由の分からない雷蔵は、面食らって彼の背を見送るしかない。
「何だ……?」
「山の精たちが騒いでいる。どうも嫌な陰気があの灯火の傍にあるようだ」
 三郎は言った。けれど、雷蔵にはよく分からなかった。
 忍たまとして常人より鋭敏な感覚を持つ雷蔵は――というか、忍なら誰でも――多少、妖や呪術の痕跡を見てとることができる。といっても、それは見えるだけだ。呪術の才のない人はぼんやり妖や呪術を見たり感じたりしても、それらに対してどうこうすることはできない。もちろん、妖たちがどんな状態にあるのかも察することができない。
 ここに来て、三郎たちと同じように状況を感じることのできぬ自分を、雷蔵は悔しく思った。その悔しさを押し殺し、敢えて尋ねる。
「妖や呪術が絡むなら、僕はたぶん役に立たない。それでも、お前と八左のために何かできることはある?」
「これを」三郎は懐から一枚の札を取り出した。それを雷蔵へ渡す。「結界の呪符だ。合流したら、君が一年生たちを守ってやってくれ」
「三郎は――?」
 尋ねるより早く、三郎は駆けだした。懐から、いつものひょう刀の代わりに、数枚の呪符を手にしている。雷蔵も慌てて彼の後に従った。
 ようやく雷蔵が追いついた先では、すでに三郎と竹谷が臨戦態勢に入っていた。彼らが対峙するのは、ぼんやりと暗い闇の凝りのようなもの。三郎が言った通り、妖らしい。はっきり実体を持って見えないのは、雷蔵にもはっきり認識できるほど強い力を持たないせいだろう。“それら”が取り巻く中心には、怯えきった乱太郎としんべヱの姿がある。二人はそれぞれ簡易のお守りを握りしめていた。危険な状況だが、お守りの力が辛うじて今まで二人を守っていたらしい。
 しかし、二人だけだ。雷蔵の委員会の後輩であるきり丸の姿は見えなかった。そのことに急激に不安が膨れ上がる。
 雷蔵はきり丸を捜したい衝動に駆られた。が、まずは目の前で危険な状態にある乱太郎としんべヱを保護するべきだ。そうしなければ、三郎と竹谷は乱太郎たちを気遣って、妖と戦うことも“それら”を撒くことも選べないのだから。
 これが平和な日常ならば、迷い癖も顔を出す余裕がある。けれど、戦いとなれば話は別だ。一瞬のうちに雷蔵は自らの取るべき行動を決定した。
「三郎、竹谷。僕が乱太郎としんべヱを」
 鋭く言うが早いか、雷蔵はすぐ傍らにあった木の側面を駆け上がった。重力が雷蔵を捉えようとするのに逆らって、木の頂上付近で大きく跳躍する。
 ふわりと身体が宙に浮く一瞬。眼下では、乱太郎としんべヱが恐怖も忘れたかのように目を丸くしてこちらを見つめている。そこから少し離れた場所では、三郎と竹谷が雷蔵の行動を支援すべく、妖に護符を繰り出している。
 雷蔵は三郎からもらった結界の護符を取り出して口にくわえた。やがて、見えない重力の指が身体を掴み、引き寄せ始める。落下した雷蔵は、素早く乱太郎としんべヱを抱えて結界の護符を発動させた。
 キィィン。
 かすかに金属の鳴るような音。
 それと同時に自由に手を伸ばせるほどの空間を空けて、四方にびいどろのような透明な壁が一瞬、現れて消えた。三郎の結界が上手く発動した証だ。凝り症で緻密な作業を好む彼の編んだ結界は、あまり呪術を感知できない雷蔵が見ても美しく堅固だった。
 これで、ひとまずは安心だ。
 乱太郎としんべヱが持つお守りよりは、三郎の結界の方がずっと強く守ってくれる。雷蔵は問答無用で一年生の二人を抱き上げると、再び跳躍した。と、言っても今度はさほど高さがないため、ほとんど妖を蹴散らして駆けているのに変わりはない。妖の持つ瘴気が身に触れそうになるが、すべて三郎の結界が防いでくれた。
 数十秒後、雷蔵は妖の包囲網の外へ転がり出た。それを追おうと突出した妖を、三郎と竹谷が阻むように立ちふさがる。
 三郎は低く呪を唱えた。途端、左右十指に挟んだ護符が炎をまとった。それも普通の火ではない。現実の熱を持たない、青白い狐火だ。ひょう刀を投げるように、三郎は護符を飛ばした。妖はそれを嫌うように避けて、その分だけ少し後退する。
 その傍らで、竹谷は妖を見つめて静かに呼吸をしていた。森の清流のように清浄な気が彼の身体を覆っている。頭部に狼のような耳の幻が、手には爪が、尻には尾が、一瞬だけ見えて消えた。術を使うとき、竹谷は獣と人の入り交じったような姿を取ることがあるのだ。竹谷は土を蹴って、妖の一部に飛びかかった。鋭く幻影の爪を振るって、妖を薙ぎ払う。
 その隙に、雷蔵は三郎たちの後方へ下がり、ようやく乱太郎としんべヱを地面に下ろした。
「先輩!」
「不破先輩!」
「もう大丈夫だよ。あいつらは三郎と八左に任せよう。それより……何があった? きり丸はどこなんだい?」
「きり丸がお化けに捕まっちゃったんです……」しんべヱは泣きそうな顔で訴えた。
 やはり、この場にいないきり丸も窮地にあるようだ。雷蔵は胸の中で高まる焦燥を抑え込んで、優しく尋ねた。
「どうやってきり丸は捕まったんだい? 順番に話しておくれ」
「私たち、授業が終わってからきりちゃんと一緒に町に降りたんです。それで……」
 乱太郎の説明によれば、三人は連れだって町に行ったのだという。この日、きり丸には普段より多くの“あるばいと”の予定が入っていた。子どもながらに有能なきり丸には、時折、こうして多くの仕事の声が掛かることもあるらしい。乱太郎としんべヱは、きり丸からそれを少し手伝ってほしいと頼まれていた。
 仕事は無事に終わったが、学園への帰途につく頃には日が暮れかけていた。
 ――先生方に怒られる。
 そう思った三人は、近道しようと決めた。普通の道ではなく、山の中の獣道を突っ切ることにしたのだ。ところが、途中で三人は奇妙なものを目撃した。青白い明かりが点々と連なって、進んでいくのである。
 ――どうしてこんなところに行列が?
 不審に思った三人は、正体を確かめようと灯火に近づく。そこで目にしたのは、学園を狙う刺客ではなく、人の型を取った人ならぬものたちだった。木々の葉のようにざんばらな髪。樹皮や布でできた衣は、よくある単衣とは趣が異なる。老若男女、ある者は腕を失い、ある者は半ば焼け焦げ、ぼろぼろの姿で歩んでいく。その眼差しは虚ろで――。
 と、そのときだ。三人のうちの誰かが、地面に落ちていた木の枝か何かを踏み折ってしまった。ぱきりと乾いた音が響く。途端、人ならぬものたちは、乱太郎たちを振り返った。
 ――人だ、人だ、人だ……。
 妖たちはそう囁きを交わし――次の瞬間、追いかけてきた。ぼろぼろの足を引きずるようにして、しかし、意外にも速い。おっとりしたしんべヱがいるために、三人組はじきに妖に追いつかれそうになった。
『オレが奴らを引きつける。先に行け!』
『きりちゃん!』
『そんなのだめだよ〜』
『これでもオレにはちょっとばかし呪術の才があるんだよ。お前らが囮になるよりはマシだ。……それに、お前らには心配してくれる親がいるだろっ』
 そう叫んで、きり丸は立ち止まった。その手には彼が見よう見まねで作って“破魔のお守り”として売っているお札がある。きり丸はそれを妖に向かって投げた。
 お札は前列の妖の足止めをした。が、やはり素人の見よう見まねではさほどの効果もないらしい。あっという間に妖の群が迫り、きり丸を呑み込んだ。
 ――助けなければ……!
 乱太郎としんべヱはそう思った。けれど、きり丸の傍に行けば、妖の足止めを買って出てくれた彼の勇気が無駄になる。乱太郎としんべヱは必死にその場を離れ、忍術学園へ助けを呼びに行こうとした。その最中に、今度は黒いもやのような別の妖に囲まれてしまった、ということだった。
 雷蔵は、きり丸が乱太郎たちの前からいなくなる直前に口にした言葉がやけに気になっていた。図書委員会の後輩として可愛く思っていた彼――そりゃあ、先輩の自分たちでは、友人の乱太郎やしんべヱでは、親代わりとはいかないだろう。それでも、きり丸がかけがえのない、他に代わりの利かない仲間であることには違いない。そう思っているからこそ、天涯孤独のきり丸が自分の身の上を、他の同級生より重要でないと考えるのが悲しかった。
 早く三郎と竹谷が戦っている妖とは別に、きり丸を拐かした妖を探さねばならない。ここでいつまでも足止めを食らってるわけにはいかないのだ。
「三郎、八左! きり丸をさらった妖は別にいる。ここは適当なところで引いて、きり丸の痕跡を探さなきゃ!」
「チッ! こいつらじゃないのか」
 三郎は舌打ちした。一方で竹谷は――。
「やはりそうか」何かに納得したかのように、低く呟く。
 二人が対峙する黒いもやのような妖は、次第に減ってきているようだった。
「雷蔵! 先に二人を連れて一本松まで行け。こんなこともあろうかと、勘右衛門たちにそこへ来るように言付けてある」
「でも、鉢屋先輩! きり丸がまだ――」
 そう訴える乱太郎の肩を、雷蔵はやんわりと掴んだ。
「もちろん、きり丸のことは捜すよ。僕らの大事な後輩だもの。でも、そのためには君たちがいては十分に動けないんだ。だから、他の五年生に君たちを預けなくては」
「はい……」
 しょんぼりする乱太郎としんべヱを促して、雷蔵はその場から歩きだした。背後から三郎たちの戦いの物音が追ってくる。振り向きたい衝動を堪えて、雷蔵は先へ進んだ。が、いくらも行かないうちに、妙な気配が意識に引っかかる。
「……何だ?」
 雷蔵は立ち止まって耳を澄ませた。
 呪術の才のある三郎たちに比べれば、妖を察知する感覚は弱い雷蔵である。懸命に意識を凝らすものの、妙な気配がはっきりとは掴みとれない。このまま進んでいいものか――。とはいえ、迷っている暇はない。雷蔵は気配を捉えることを諦め、先へ進もうとした。
 その刹那。
 周りを取り巻く夜の闇が、ぞろりと蠢いたような感覚。とっさに雷蔵は乱太郎としんべヱに三郎の作った結界の護符を押しつけ、突き飛ばした。直後、地面を破って幾本もの木の根が突き出してくる。根は雷蔵の足に巻き付き、ぐいぐいと地面へ引っ張った。
「くっ……。僕は木の根じゃないんだから、土の中はごめんだよ……!」
 ごめんというか、このまま地面に埋もれることは物理的に不可能だ。――そう思ったのに、気がつけば足下がまるで泥にでもはまったかのようにずぶずぶと地面に沈み始めていた。
「先輩!」
「雷蔵先輩!」
「二人とも来るな!」雷蔵は鋭く叫んだ。そうする間にも、身体は沈み続けている。「三人共倒れになってしまっては意味がない。君たちはこのことを三郎たちに伝えてくれ。――さぁ、早く行って!」
 乱太郎としんべヱは、一瞬、ためらう素振りを見せた。けれど、すぐに意を決した様子で、二人そろって元来た道を走り出す。その背を十分に見送らないうちに、雷蔵は完全に地面に呑まれてしまった。


 気がついたとき、雷蔵は真昼の森の中にいた。辺りを見回すと、葉を落とした冬の装いの木々たち。つい先ほどまでいた裏々々山とは、明らかに景色が異なっている。
 奇妙に思って自分の身体を見下ろすと、普段より視界が低かった。目の前にかざした掌も未発達で幼い。
 そうか、と雷蔵は気づいた。今、自分は夢の中にいるのだろう。思えば、こうして幼い頃に冬――早春の頃の山を歩んだのは、忍術学園に入学するために村を出てきたときくらいのものだ。雷蔵の伯父は、雷蔵と最初に向かった大きな屋敷にいた三郎を学園へ連れていった。
 たぶん、これは当時の夢なのだろう。
 学園へ向かう道中、ある山の中で突然、三郎は姿を消してしまった。そのことに気づいた伯父は険しい顔になり、雷蔵に動かずに待っているように告げた。そうして、自らは三郎を捜しに行ってしまう。雷蔵は一人きりで、伯父と三郎が戻るのを待った。
 そのときだ。風に乗って微かに、すすり泣く声が聞こえてくる。動いてはいけないと言われていた雷蔵は、少しだけどうすべきか迷った。けれど、どうしても泣き声を放ってはおけない気がして、声を頼りに歩き出す。
 森の中のどこをどう進んだのだろう。いつしか周囲には青や黄、赤など、美しいけれども常ではあり得ない色合いの木々が立ち並んでいた。後に思えば、そのとき既に雷蔵は異界に迷い込んでいたのに違いない。
 やがて、すすり泣きの声が近づいてきた。妙な色の草木をかき分けたところで、雷蔵は一人の少年を発見した。彼は銀の糸でできた薄い繭のようなものの中で、うずくまっているのだった。少年の動きに合わせて揺れる黒髪と、繭の外に落ちている狐の面を見て、雷蔵は彼の正体を悟った。
『三郎……?』
 そっと呼びかけてみる。案の定、少年――三郎は顔を上げた。切れ長の瞳に整った顔立ち。美醜など、まださほど意識したこともない雷蔵でさえ、秀麗だと感じる。
『どうして急にいなくなったの? なんで繭の中にいるの?』雷蔵は尋ねた。
『しっ。静かに。……蜘蛛の妖に捕まったんだ』
『それなら、早く逃げよう』
 雷蔵は身につけていた小刀で、繭を破った。意外に簡単に裂ける。繭の裂け目から雷蔵は三郎に手を差し伸べた。
 しかし、三郎は頭を振った。
『だめだよ』
『逃げたくないの?』
『違う。逃げたら蜘蛛に気づかれてしまう。……あいつは私の呪力が強いのに気づいて、食らおうとしているんだ。面をすることで私は呪力を抑えていたけれど……もう、無理だ』
『どうして? また面をすればいいんじゃないの?』
『蜘蛛の妖は私の素顔を知ってしまった。面を使った“妖避け”のまじないは、もう効かない。逃げても逃げきれないよ』
 三郎の面は忍として素顔を隠すという目的だけではなかったらしい。彼は面のまじないによって、呪力の強い――そうであるが故に格好の餌になりえる――自分を妖から隠していたのだ。そうと知って、雷蔵は屋敷で出会ったときに三郎のことを、気取り屋で少しいけすかない奴だと感じたことを申し訳なく思った。
 それにしても、三郎が無事に逃げるために何かいい方法はないものか――。少し考えてから、雷蔵はぽんと手を打った。
『そうだ! いいことを思いついた』
『何だい?』
『三郎の素顔を知られてしまっているなら、本職の忍らしく変装すればいいんだよ。三郎はそういう術、使える?』
『使えるよ。でも……誰になればいいんだ? 変装するとなると、妖にばれないように年中、四六時中していなければならないんだよ。そんなこと、いったい誰が許してくれるっていうんだい?』
『許してくれないかな?』
『当たり前さ。だって、自分と同じ顔の人間がずっとそこらをうろつくことになるんだよ。普通の神経なら、気味が悪くて耐えられないさ』
『じゃあ、僕に変装すればいいよ。僕ならお前が変装する理由を知っているし、気味悪いなんて思わないもん』
『……ありがとう、雷蔵』
 小さな声で三郎は呟いた。それから、先ほどとは打って変わって自ら繭の外へ飛び出したのだった。

3.

「――せん……。……わ……ぱい……。不破先輩っ……!」
 自分を呼ぶ声で、雷蔵は目を醒ました。目を開ければ、周囲には異空間であることを示す青い色をした木々が立ち並んでいる。それを背中に、捜していたはずの少年――きり丸が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。
「……きり丸……。無事、だったんだ……」
 まだぼんやりした頭で、雷蔵はきり丸に微笑んでみせた。きり丸は勝ち気そうな顔を、まるで涙を堪えているかのように歪めた。
「先輩……。すみません。まさか、こんなことになるなんて……」
「きり丸は怪異にさらわれたんだ。君が悪いわけじゃないよ」
「いえ、オレのせいなんです」
 強ばった顔で、きり丸は頭を振った。彼が打ち明けるには、乱太郎としんべヱを逃がして自ら囮になったとき、ほんの少しだけ投げやりな気持ちだったのだという。乱太郎としんべヱには、彼らの身を案じてくれる血の繋がった家族がいる。けれど、自分は天涯孤独の身の上。たとえ怪異に食われてしまったとしても――は組の皆や先生たちは悲しんでくれるだろうが――家族のある二人よりは嘆く人間が少ない。
 それなら? ――それなら。自分が囮になればいい。そう思って、きり丸は怪異に捕まったのだという。
「だから……先輩、すみません」
「どうして謝るの。きり丸は悪くないよ。よくひとりで頑張ったね」
 雷蔵は後輩を抱きしめようとした。けれど、きり丸はすっと身を引いてしまう。泣き出しそうな顔で、彼はもう一度「ごめんなさい」と繰り返した。それはまるで別れを告げるかのような態度で、雷蔵は不審に思った。
「きり丸……?」
「妖は……あのひと――〈葛姫(かずらひめ)〉は、オレのことをかわいそうだと……我が子にしてあげようと、言ってくれたんです」
「どういうことだい? あのひとって?」
 後輩の言葉が気になって、雷蔵は尋ねた。けれど、きり丸は混乱していて耳に入らないのだろう。まるでうわごとのように、別の話をしている。
「孤児でかわいそうって言われるのは、ずっと嫌だと思ってました。同情なんてまっぴらだって。……でも、そう思ってはいても、かわいそうってあのひとが言った瞬間、オレは心が軽くなった気がしたんです。“かわいそう”に救われる弱さが、オレの中にはあるんです……」
「きり丸! 目を醒ませ」
 雷蔵は鋭く言った。普段なら、一年生相手には絶対に発さないような一喝。けれど、きり丸には届かない。彼はゆっくりと雷蔵から後ずさった。
「先輩……。巻き込んでごめんなさい。あのひとに、先輩を見逃してほしいって頼みますから」
「駄目だ、きり丸。一緒に帰るんだ!」
 懸命に雷蔵は手を伸ばした。その指先はきり丸に触れる寸前で空を切る。そのとき、涙を流しながら雷蔵を見下ろすきり丸の背後に、古びた型の衣装を身につけた女が現れた。年の頃は三十になるかどうかといったところだろうか。母性を感じさせる丸みを帯びた女性らしい体つきをしている。結わずに流している豊かな髪は、黒ではなく緑色をしていた。
 ――ヒト、じゃない……。
 雷蔵は碧緑色をした女の瞳から目をそらせなかった。


***


 森の中に集まっていた黒いもやのような妖――低級の浮妖を片づけた三郎と竹谷は、夜の森を駆けた。早く雷蔵たちに追いつかねば、と合流地点へ急ぐ。
「……さっきのは、きり丸をさらった妖とは違うな。いったい、きり丸をさらったのは何なんだ……」三郎は呟いた。
「――心当たりがあるぜ」竹谷は考え込んだ様子ながらも応じた。「裏々々山一帯の気の流れが乱れてる。たぶん、この地を支配する精霊以外のモノが紛れ込んでいるんだ。よその土地から来たモノが」
 竹谷の言葉に三郎は静かに聞き入った。
 三郎は、座学・実技ともに五年ろ組で一番の成績を誇る。知識量も豊富だ。ただ、それは人の世の物事に関しての話。常人には見えぬ、感じられぬ呪術の世界においては、人の世のごとく多くの物事が皆に明らかにされているわけではない。妖のこと、呪術のことの大半は秘伝とされて、ごく一部の集団の内でのみ伝えられていく。忍術学園のように、呪術の素質を持つ生徒すべてに呪術を教えるような集団は、異例中の異例であった。
 だからこそ、呪術の分野に関しては三郎の知らない物事も多く存在する。竹谷は山に暮らす民の出身であり、山野のことならば彼の話を聞くのがいちばん手っとり早かった。
「裏々々山の気の乱れは何となく感じていたが……。近くで戦があったせいかと思っていたな」三郎は言った。
 戦があれば、山野の地下を脈々と流れる気はどうしても影響を受けてしまう。気は形がなく、常人には見えもしないほどささやかなものだけに、移ろいやすいのだ。といっても、もちろん人ひとりでは大地の気を変質させることはできない。しかし、人が集団で何らかの感情を発すれば、大地の気を染めることもあり得る。
 大きな戦などあれば、言うまでもない。人々の憎悪や恐怖は、大地の気を変質させてしまう。それが地脈を乱して、天変地異や作物の不作につながることもあった。
「裏々々山に入り込んだモノは、自らの土地でそういうことがあって、逃れてきたんだと思う。だが、大地に宿るモノは自らの支配する土地を離れれば、力を失うんだ。だから、あれは本来の性質を失って――」
「おい、八左。思わせぶりなことばかり言ってないで、いい加減にお前の予想を教えたらどうだ?」
 かわいい後輩を一刻も早く助け出してやりたい気持ちに急かされて、三郎は言った。竹谷は黙って唇を噛んだ。彼もまた、後輩を助けたい気持ちは山々だろう。しかし、それでもなお、問題の妖の正体を口にすることをためらわせる何かがあるらしい。彼がこんな態度を取るということは、余程の事情なのだろうが――。
「八左……!」
 三郎がたたみかけた、そのときだった。はっと竹谷は顔色を変えた。少し遅れて、三郎もその理由を知る。
 声が聞こえたのだ。乱太郎としんべヱの話す、子ども特有の高い声音が。しかし、約束の合流地点にはまだ距離がある。とすると、無事に尾浜や久々知と再会した雷蔵と一年生の二人が会話する声が響いてきているわけではない。乱太郎たちは近くにいるのに違いないが――なぜ、まだこんなところにいるのか。
「先輩! 不破先輩……!」
「せんぱーい! きり丸!」
 抑えた、それでもできるかぎりの声で、乱太郎としんべヱは、雷蔵ときり丸の名を呼んでいる。竹谷は跳躍を繰り返していた木々の上から、地上に降り立った。三郎もすぐにそれに倣う。
「乱太郎、しんべヱ。大丈夫か?」竹谷は厳しい声で尋ねた。
「竹谷先輩! あのね、大変なの。今度は不破先輩まで……」
 しんべヱが懸命に訴えた。その言葉に、三郎ははっと顔色を変えた。「雷蔵が、妖に捕まった……?」そう呟く声が自分でも奇妙なほどに掠れている。雷蔵の身に何かあったら、どうしたらいいのか――そう思うほどに自分は彼に依存しきっているのだ。雷蔵を早く救わなくては……。
 そう思ったとき、不意に三郎は乱太郎としんべヱが驚いたようにこちらを見ていることに気づいた。竹谷は痛ましげな目を向けてくる。
 ――いけない。
 平常心を保たねばならない。いつもの“鉢屋三郎”を演じなければ。そう自分を叱咤して、余裕の表情を作ってみせる。成功した自信はなかったが、皆は騙されてくれたのか、ほっとしたような顔になった。
「――雷蔵ときり丸をさらった奴の正体は、たぶん、分かるんだ」
 唐突に竹谷が言った。その顔には、はっきりと決意の色が表れている。つい先ほどは三郎に打ち明けるのもためらっていたのが、雷蔵までも奪われたことで心を決めたらしい。
「何なんだ?」
「土地神だ。乱太郎たちが出くわしたのは、戦で地脈が乱れてもはや自らの土地を治めることができなくなった土地神とその眷属が、土地を逃れていくところだったんだろう」
「土地神が、去る? そんなことがあるのか?」
「あぁ。土地神というのは、もとはといえば大地の気が集まって生まれた精霊。その精霊が力を得れば、土地を支配する神となる」
「――つまり、土地神は土地の気の変化に影響を受けやすい存在ということか。……しかし、八左、やけに詳しいな」
 妖の生態については、不明な部分が多い。それもそのはず。多くの妖は人の世の理を外れた存在であり、自らの出自を人間に語ったり書き残したりすることはないのだから。
 三郎の疑問に、竹谷は困ったような笑みを浮かべた。
「……俺は土地神に育てられたからな」
「は?」
「えぇっ? 本当ですかぁ?」
「竹谷先輩、人間ですよね?」
 話を聞いていた三郎、しんべヱ、乱太郎はそれぞれに驚きの声を上げた。皆の驚きように、竹谷は顔をしかめた。
「俺は山の民の子だが、幼い頃に森で迷い子になってな。三つの年から九つまで、ある山の神に育てられたんだ。だから、土地神のことはよく知ってる」
「そう、だったのか……。それにしては――」
 土地神に育てられたなんて特殊な生い立ちにもかかわらず、竹谷はごく普通に学園で生活している。そのことを思うと、三郎は彼の告白が意外だった。
「そりゃあ、お前と雷蔵がろ組の中では嫌でも目立つんだ。俺は地味だから、気づかれないだけさ。だけど……それでも色々あったんだぜ」竹谷は苦笑してから、表情を改めた。「さて、三郎、どうする?」
「――乱太郎としんべヱを連れてはいけない。まずは合流地点で兵助たちに預けよう」
 低い声で三郎は言った。本当ならば、すぐさま雷蔵を捜しに駆けていきたいところではある。しかし、戦闘になるかもしれない以上、一年生を連れていくわけにはいかなかった。
 何かあれば、まず後輩を守ること――それは忍術学園の生徒に受け継がれている信念のようなものだ。きっと、理性を失ってしまったら、自分は何を犠牲にしても、誰を敵に回しても雷蔵を守ろうとするだろうという予感がある。けれど、今はまだ、後輩を守らねばと考えるだけの理性が残されていた。そのことに、三郎自身も安堵した。
「行こう」
 そう促したときだった。
「――その必要はないぜ」
 元気な声が響いた。それと同時に、二つの気配が近くに生じる。三郎ははっとして身構えたが、すぐにその気配が慣れ親しんだものだと気づいて身体の力を抜いた。
「勘右衛門、兵助……。ここまで来てくれたのか」
「いくら待っても、誰も合流地点に来やしない。何かあったんだろうと思って探しにきたんだ」
 くりっと丸い瞳に愛嬌のある顔立ちをした少年――尾浜勘右衛門が言った。尾浜の傍らは、秀麗な顔立ちをした久々知兵助も頷いている。簡単そうな言い方だが、この夜の森で人を捜すのは並大抵のことではない。それを、わずかな時間で三郎たちを見つけだしたのは、二人が優秀ない組である証だろう。
「ありがたい。俺たち、雷蔵を探しに行くんだ。悪いけど、しんべヱと乱太郎を学園まで送り届けてくれないか」
 竹谷がそう言った瞬間、しんべヱと乱太郎が不満の声を上げた。
「いやです、せんぱい! ぼくたちもきりちゃんと不破先輩を見つけたいんです」
「そうです。お役には立てないかもしれませんけど、足手まといにはならないようにしますから!」
「いや、そうは言ってもな……」
 困り果てた竹谷は頭を掻いた。と、久々知がすっと彼の傍らに歩み出る。
「乱太郎たちがそこまで言うのなら、連れていけばいいのだ。お前たち二人では、いざとうとき一年生を守りきれないかもしれない。だが、俺と勘ちゃんも一緒なら、大丈夫だろう」
「そうさ。……それに、一年生だからっていつまでも守られる立場に置いておくわけにはいかない。いずれ、学年が上がれば、下を守る立場になるんだ」
 それならば、危険な状況でも経験させておくべきだろう。尾浜はにこにこと微笑しながらも、い組らしい合理性と厳格さでもって言った。
「なら、行こう」三郎が促す。
 すぐに六人は出発の体勢を整えた。森に詳しく気配に聡い竹谷が先頭で、きり丸と雷蔵の痕跡を探る。尾浜と久々知がしんべヱと乱太郎を背負って続く。三郎は竹谷の傍らで、不測の事態に対応することになった。
 出発する直前に、竹谷は空に声なき遠吠えを放った。おそらく、再度、山の精霊たちに雷蔵ときり丸を捜してくれるように頼んだのだろう。三郎たちが駆けだすと、裏々々山へ来たときと同じように、蛍火のような精霊たちが竹谷の周りに集まってくる。彼は常人には聞き取れない精霊の声を注意深く聞きながら、三郎たちを先導していった。
 三郎は隣で竹谷の様子をうかがった。先ほど、きり丸をさらった妖の正体を口にするのをためらったときとは、打って変わって迷いが消えている。
「――ためらいが、消えたな」三郎はそう言ってみた。
「あぁ……。雷蔵が危ないからな。土地神には愛情深い神が多い。土地を育み、治めるには、母のような愛が必要なんだ。だから、幼子には優しい」
「――だが、幼子でなければ、厳しいと?」
「そうだ。五年生になれば、皆、すでに元服を済ませた一人前。幼子とは言えない……土地神は雷蔵に容赦しないかもしれない」
「そんな……!」
 動揺しかけた三郎は、そこで不意に竹谷も同じように焦燥を堪えていることに気づいた。それでもなお、ぴりぴりとした気配が空気を通して伝わってくる。
「八、左……?」
「裏々々山の精霊たちは、戦で追い出された土地神の一族に同情して、受け入れようとしている。そいつらと戦うのは、正直、同族と争うようで心苦しい」
 けれど、と竹谷は言った。雷蔵ときり丸を取り戻さなくてはならない。とりわけ――雷蔵に対しては、彼を失えない恩義があるのだという。
 竹谷の態度に、三郎は胸がもやもやするのを感じた。まさか、竹谷も雷蔵のことを特別に思っているのだろうか。もしそうだったら――と、非常事態にもかかわらず、動揺してしまう。
 三郎にとって、雷蔵は大切な友だ。その一方で、竹谷や尾浜、久々知ももちろん親友だと思っている。それでも、昔、顔を貸すと請け合ってくれたときから三郎の一番は雷蔵だった。また、雷蔵の一番も自分であればいいと願い続けている。もしも竹谷が雷蔵を大切に思い――雷蔵も竹谷を最も大切だと感じるようになったら、自分はどうしたらいいのだろう。そんな不安が胸を占めた。
 と。
「三郎、そんなカオすんなよ」
 竹谷が苦笑した。しかし、三郎は自分がどんな表情をしていたのかは分からない。とにかく情けない顔をしていたのだろう。三郎は一度、自分の顔を手で撫でて、真面目な表情を取り繕ってみせた。
「そんなカオって……私には分からないが」
「妬いてます、みたいなカオしてたぞ。……心配しなくても、俺はお前から雷蔵を取り上げたりはしねぇよ。ただ、雷蔵は俺にとっても大切な仲間だし、何より恩義のある相手なんだ。どうしても助けなければならない」
「お前が、雷蔵に恩義……?」
 意外な思いで三郎は呟いた。あぁ、と竹谷は頷く。彼の話によれば、雷蔵は以前、彼を守ってくれたことがあるらしい。
 忍術学園の呪術の授業は、三年生から始まる。もとより生物委員として、獣と心を通わすことに長けていた竹谷は、呪術の分野においても人ならば不可能なはずの山の精霊の言葉を理解してみせた。そのため、上級生から目を付けられた。あるとき、当時の五年生が皆の前で竹谷は獣だと侮辱したことがあったという。その言葉は、間違いではなかった。長い間、山の神に育てられた竹谷には多少、人と隔たった部分がある。
 しかし、上級生は重ねて、『竹谷は異形だから付き合うべきではない』とまでも言った。
「――つまらない言い種だ。どうせ、お前の力に嫉妬したんだろう」三郎は吐き捨てた。
 その態度に竹谷も苦笑する。
「五年になった今なら、それが分かるよ。お前なら、三年の頃でもそんな風に言ったかもしれないけど。……だけど、当時の三年生の俺は、五年生にそんなことを言われてさすがに傷ついた」
 当たり前だ。多少のいさかいはあっても学園の上級生が外敵から下級生を守るように、下級生にとって上級生の言葉は強い影響力を持つ。『竹谷は獣だ』という先輩の言葉に、周囲にいた同級生たちは竹谷の周りからわずかに身を引いた。
 そんな中で、逆に竹谷に寄り添った者が一人だけいた。雷蔵だ。当時の雷蔵は優秀だが迷い癖のある大人しい子だった。そんな彼が先輩の言葉に抗うとは、誰も考えもしない。それでも、雷蔵はそうした。普段はにこにこしている彼が、上級生をにらみつけて一歩も引かず、竹谷は自分たちの仲間だと言い張ったのだ。
「あのとき、俺は救われた気がしたんだ。……確かに俺の出自は普通じゃないかもしれない。それでもここにいていいんだって思えた」
 竹谷の言葉を、三郎は静かに聞いていた。
 雷蔵は、いつもそうだ。優秀で実力はあるものの、自分のように誰かと対立するわけではない。ただ水のようにそこにいて――けれど、どうしても必要なときには寄り添ってくれる。雷蔵にしたら、きっとたいしたことをしているつもりはないのだろう。現に三郎は雷蔵とよく話すが、竹谷が侮辱された出来事については一度も聞いたことがない。たぶん、雷蔵にとっては上級生に楯突いて竹谷を守ったのも、さほど重大なことではなかったに違いない。それでも、雷蔵自身にとって何気ない一言は、確実に誰かを救っているのだ。顔を貸すと言って、自分を救ってくれたように。
 三郎は顔に貼り付けている雷蔵の面を、するりと撫でた。必ず取り返すのだと、自分に言い聞かせる。
 しばらく無言で六人は進んだ。と、しばらくして竹谷が声を上げる。
「――見つかったらしい」

4.

 雷蔵は一人で妖と対峙していた。――否、それは対峙などと呼べるような状態ではない。草の蔓にも巻かれて木に拘束されている。しかも悪いことに、身体を取り巻く草の蔓はゆっくりと雷蔵の精気を吸い取っているようだった。
「く、そっ……! 離せ……」
 懸命にもがいてみるものの、蔓は少しも緩まない。緑の髪と瞳をした〈葛姫〉は、暴れる雷蔵など意に介さない風で少し離れた草の上に座していた。その膝の上では、きり丸が眠っている。
《かわいそうな子、かわいい子……。わらわがそなたを守る故、安心してお休み……》唄うような声で、〈葛姫〉は言った。《それにしても、この子の仲間は本当によい餌だこと。この男の力を吸えば、わらわの失った力も少しは取り戻せよう》
〈葛姫〉の言葉に、雷蔵はわずかに不審を覚えた。通常、呪力を持たない人間よりも、強い呪力を持つ者の方が妖には美味と感じられるという。三郎がまさにその例だ。そうした理屈でいくならば、ほとんど呪力のない雷蔵が妖にとって美味い餌になり得るとは思えない……。
 ――僕が三郎の身代わり、だからか。
 雷蔵はふと、顔を貸すときに三郎が言っていた言葉を思い出した。顔を貸すことで雷蔵は三郎と存在の一部を共有する――ある種の身代わりになる――ことになる。それで三郎を狙う妖の目をくらますことはできるが、一方で雷蔵もまた三郎の匂いをまとう。時には妖の標的になるかもしれない、と。
 今、〈葛姫〉が雷蔵の精気を美味だと感じるのも、どこかに三郎の“匂い”があるからなのかもしれない。
 味のない雑炊だって、うまそうな匂いが付けてあれば案外、腹は満ちるものだしな――と、なんだか場違いな例で納得した雷蔵は、再び猛然と抵抗を始めた。
「僕ときり丸は、みんなのところに帰るんだっ……!」
 妖に精気を吸われて果てるなんて、絶対に受け入れられない。そんなことになったら、仲間たちがどんなに悲しむことか。とりわけ、雷蔵と二人で双忍になるのだと言っている三郎はいったいどうなることだろう。
 と、そこまで考えたときだった。シュゥゥと精気が抜けると共に、疑問が忍び寄ってきた。
 ――どうしたって三郎のように呪術を使えない僕は、本当に三郎に必要な存在なんだろうか……?
 自分がではない誰かと双忍を組む方が、三郎にとってはいいことなのかもしれない――今まで幾度か浮かんできた考え。これまでは三郎が自分を親友だと言ってくれるから、深く考えてみたことはなかった。だが、今は――このまま抵抗せずに〈葛姫〉の餌となれば、三郎は自分を諦めざるをえなくなる。不破雷蔵という彼より力量の劣った相手ではなく、もっと同じ実力を持つ者と双忍を組むのに、いいきっかけではないか。身近なところでは、たとえば同じ学級委員長委員会の尾浜だとか、秀才と名高い久々知だとか、自分よりも三郎の相方にふさわしい人間は、たくさんいる。
《――そう。お前は他に替わりの利く存在だ》
 脳裏で何かが囁く。
 もしも今、雷蔵が妖から助かったとしても、いつか三郎は心変わりして雷蔵以外の誰かを双忍の相手とするかもしれない。そのときの自分の心境を想像すると、ひどく苦しかった。
《――考えてごらん。三郎が他の人間と双忍を組んだら、お前はどう思う……?》囁く声はどうやら女のもののようだった。
 ――僕……僕は、そんなのは嫌だ……。
《嫌だと言えば、きっと三郎に嫌われる。それくらいなら、今、このときに果ててしまえばよいのではないか? そうすれば、もはや苦しいことも不安になることもない》
 脳裏に響くその言葉は、〈葛姫〉のものらしい。いつしか、雷蔵はそう理解していた。だが、頭の中で聞こえる声の主が分かったからといって、どうするべきかは思いつかない。
 精気を吸われ続けているせいだろうか。〈葛姫〉の言葉が、無条件に従うべきもののように感じられてくる。
 ――死ねば、不安もない……。そうかもしれない……。
《ならば、そなたは大人しく我が餌となるがよい。内に強大なる力を秘めたるそなたの魂は、きっと、わらわに力を与えるであろう》
〈葛姫〉の言葉に、雷蔵はかすかに疑問を覚えた。彼女は三郎に顔を貸して呪術的な身代わりになっている雷蔵を、三郎と勘違いしたのかもしれない。
 そう思うものの、雷蔵は抗うことがせきなかった。精気を吸われると同時に、暗示のようなものに掛けられてしまったかのようだった。
 ――いっそ、このまま死んでしまえば……。
 雷蔵が反抗心を失いかけた瞬間。
 ビリリリ。微弱な電流のようなものが、雷蔵たちのいる異界を震わせる。かすむ視界の中で、雷蔵は前方の空間に銀色の光芒が走るのを捉えた。青い空間にまるで切り裂いたかのような裂け目ができていた。
《――何じゃ? 我が結界を破るとは、これは……》
〈葛姫〉はきり丸を抱いて、立ち上がった。警戒心も露わに、空間の裂け目をにらむ。そのうち、裂け目の部分が人の形ほどに大きく切り開かれて、外の世界がのぞいた。まず真っ先に見えたのは、刀を手にたたずむ久々知の姿だ。その後ろには、竹谷や三郎も立っている。そればかりか、姿は見えないものの、尾浜や乱太郎、しんべヱらの気配も感じ取ることができた。
「――みん、な……」
 掠れた声で、雷蔵は呟いた。再び会えたことを嬉しく思う。けれど、その一方で。
 ――あぁ、僕は機会を失うのか……。
 三郎の実力についていけなくなる前に、彼に捨てられる前に、双忍であることを辞める機会を逃してしまうのか。雷蔵は心のどこかでがっかりした。
 仲間たちは、ぽっかり開いた空間から、異界の中へ入ってきた。〈葛姫〉は彼らを阻もうと、蔓による攻撃を繰り出した。けれど、それらは竹谷の爪や三郎の操る狐火によって撃退されてしまう。
 救出はひどく簡単なように思えた。
 だが。
 不意に〈葛姫〉と三郎たちの間の地面から、にゅっと若木が生えてきた。木々は瞬きする間に成長する。壁のように生い茂った木々は、すぐに古風な甲冑をまとった兵士たちに姿を変えた。どうやら〈葛姫〉の眷属たちらしかった。
「数が多いな……」竹谷は眉をひそめた。
「泣き言を言っている暇はない。蹴散らすぞ」三郎は冷静に術の準備を始めた。
「――二人とも、待て」久々知は二人を制した。「ここは俺が引き受ける。二人は雷蔵ときり丸を」
 すでに久々知の意図を察していたらしく、しんべヱと乱太郎を守るようにして引き連れていた尾浜が行動に出た。
「“吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり”――我の前方六尺(約十八メートル)の範囲において、我が言霊は力を持つ。泳げ、炎の竜」
 次の瞬間、尾浜の言葉通り、虚空にマムシほどの細いかわいらしい竜が現れた。それは、炎の色に輝きながら立ちふさがる眷属らの間を泳いでいく。本性が木である〈葛姫〉の眷属らは、それを見て騒然となった。慌てて小さい炎の竜を避けようと、彼らの足並みが乱れる。
 そこへ、何もない空間から刀――というより古代の剣に似たものを取り出して、久々知が乱入する。剣を振り回して攻撃する彼のせいで、隊列の乱れはもはやすぐには建て直せなくなっていた。
 三郎と竹谷は、その隙を逃さなかった。久々知が眷属らと闘っている背中を抜けて、〈葛姫〉へと迫る。先ほどまで優しげだった彼女は、三郎と竹谷を睨み付けながら片手を振った。その手の動きで、無数の茨の棘が矢のように飛んでくる。三郎は狐火を操って茨の棘を防いだ。その戦いの合間をかい潜るようにして、竹谷が〈葛姫〉へ接近する。
 しかし、〈葛姫〉は慌てなかった。
《そなたの帯びる強い水気の呪力――わらわが使わせてもらおう》
 雷蔵は頭の中で響く〈葛姫〉の声を聞いた。直後、ずんと身体が重くなる。〈葛姫〉が手加減なしに雷蔵の精気を吸い取り始めたのだ。もはや雷蔵は自力で立っていることもできない。目の前では、地面から急激に伸びてきた木々が、〈葛姫〉に肉迫する竹谷を串刺しにしかけていた。危ういところで竹谷は伸びてきた木を蹴って跳び、攻撃を避ける。彼らことが気にかかるけれど、目を開けて戦いを見守る気力も湧かなかった。
 とうとう雷蔵はぐったりと力を抜き、目蓋を閉ざした。大切な友人たちの戦う物音が、意識から遠のいていく――。


 次の瞬間、雷蔵は真っ暗な闇の中にいた。といっても、それは夜闇の冷え冷えとした質感とは異なっている。まるで子宮の中のように温かく、ゆったりとした暗さだった。
 ――ここは……?
 自分は死んだのだろうか? ということは、この場は死者の住まう根の国か。そう考えたときだった。
《……なぜ“ここ”へ来た?》
 女とも男とも、高いとも低いとも言えない――むしろ、そのすべてが複雑に入り混じったような不思議な声が聞こえた。雷蔵はあたりを見回し、やがて、前方に微かに青く光るものを発見した。ぎょろりと動いたその光は、何か大きな生き物の双眸らしかった。
「あの……僕、は……」
《そなたは、我には出遭わぬはず。それがそなたの母の願い故。……どこかで〈理〉に綻びが生じたか》
「どういう、ことです? 僕の母を知ってるんですか……?」相手の威厳に打たれるかのように、雷蔵は知らぬ間に丁寧に話しかけていた。
《言えぬ。……さぁ、そなたは現し世に戻るがよい。友が呼ぶ声が聞こえぬか?》
 声がそう言ったとき、雷蔵の耳に友人の声が聞こえてきた。三郎が懸命に雷蔵の名を呼んでいる。竹谷もまた、戻ってこいと叫んでいた。
『雷蔵! 返事をしてくれ、雷蔵!』と三郎が声を張り上げる。
『戻ってこい!』と、こちらは竹谷の声だ。『お前は昔、俺を大事な友だと言ってくれただろ? あの言葉に、俺がどんなに救われたことか。同じように、俺たちにとってお前はなくてはならない存在なんだ!』
 必死な仲間たちの言葉に、雷蔵は気持ちが揺らぐのを感じた。いつか別れのときが来るとしても、許されるならば今はまだ彼らの傍で過ごしたいと思う。呪術を使えない自分でも許されるのならば。
 と、雷蔵は身体が何かにぐいっと引っ張られるのを感じた。暗闇に浮かぶ青い双眸が、ぐんぐん遠ざかっていく。
「待って――」
《――現し世に還るか。そなたには、そちらの方がふさわしい。落ちぶれた神の餌で終わるような存在ではないのだから》
 闇の中で青い瞳が激しい光を放った。闇になれた雷蔵の視界が、べったりと光一色に塗りつぶされる。雷蔵はまぶしさで涙が流れ出した目を、両手で覆った。


 ぐん。急速に引っ張られた身体が、急停止したかのような衝撃が襲う。雷蔵は足に力を込めて踏みとどまろうとして、逆によろめいた。身体に慣性が掛かっていると思ったのが、間違いだったのだ。闇の中から呼び戻されたという認識で、身体はもともとその場に存在していたようだった。闇の世界に行っていたのは、おそらく意識だけのことだろう。
 ――あの世界は、あの生き物は何だったんだ……?
 しかし、その疑問を突き詰めている暇はなかった。雷蔵の目の前では、激しい戦闘が繰り広げられていたのだ。三郎の青白い狐火が飛び交い、竹谷が〈葛姫〉の操る蔦をかわす。久々知は何もない空間から幾本もの剣を取り出して、〈葛姫〉の眷属と相対していた。尾浜はといえば、後方で後輩二人を抱き寄せながら、詠唱を続けて言霊による結界を張っていた。
 皆、必死だ。雷蔵ときり丸を取り戻そうとして。
 ――そうだ。呪術を使えない僕でも、皆、仲間として助けようとしてくれている。
 久々知や尾浜は、組という壁も意に介さずに友達として振る舞ってくれる。竹谷は先ほど、『お前に救われた』と言ってくれた。三郎だって――三郎こそ、自分をいちばんに必要としていてくれる。
 ――僕だって、皆といたいんだ。
 たとえ呪術を使えなくても、自分にできることで皆を助けられたら。そうしたら? ――そうしたら、少しくらいは皆と一緒にいる自信が持てるのかもしれない。
「――僕は……。僕、だって」
《無駄なことは止めよ。お前は莫大な力を宿しておるが、ただそれだけ。呪術を行使できる素養を、生まれつき持ってはおらぬのじゃぞ》
 身体を拘束する蔦を通して雷蔵の思考を悟ったのか、〈葛姫〉が言う。しかし、雷蔵は耳を貸さなかった。
「僕、だって……呪術を使えなくたって。仲間と一緒に……戦うんだぁぁぁ!」
 叫びと共に、雷蔵は身体の力をかき集めた。素養などないのだから、最初から呪術で対抗しようとはしない。ただ渾身の力で、身に絡みつく蔦を引きちぎろうとする。
《愚かな! 呪力を込めたわらわの蔦が、人の子風情に引きちぎれるわけがない!》〈葛姫〉は嘲笑した。けれど、その声音には焦りの色が濃い。
 雷蔵は構わずに、蔦を引く腕に力を込めた。細身にもかかわらず、五年生のうちでいちばんの腕力を持つのは他の誰でもなく雷蔵だった。どちらかといえば力自慢の竹谷でさえ、雷蔵には及ばない。
 だから。無謀であろうと、愚かであろうと、この場において呪力もなしにただの腕力で妖に立ち向かえるのは、雷蔵ひとりだった。雷蔵にできぬのならば、他の誰にも不可能だ。
「やあぁぁぁぁ!」
 やがて、気合いと共にみしりと手元の蔦が軋んだ。やめろ、とさすがに〈葛姫〉の声が恐怖を帯びる。構わずに雷蔵は両手に渾身の力をこめて――。
 ブチッ。
〈葛姫〉の一部ともいえる蔦を引き裂いた。

「あああああぁぁぁ!」

 絹を裂くような悲鳴を上げて、〈葛姫〉はよろめいた。それでも、その腕はしっかり眠るきり丸を抱いている。ここまで目が覚めないとなると、きり丸は妖の力で眠らされているのかもしれなかった。
 呪力を集めていた蔦を失ったことで、〈葛姫〉の攻撃の手は緩んだ。眷属たちも動揺したらしく、動きが鈍くなる。その隙を機敏に捉えた三郎が、一歩前に出た。
 懐から取り出した護符に気を込めて投げる。それから、一拍遅らせて今度はひょう刀を飛ばした。ひょう刀は護符を刺し貫いて飛び、〈葛姫〉が出現させた木々の壁に突き刺さる。五行陰陽の法則に則って、護符がひょう刀の金気を触媒に木々の木気に打ち克った。異様なほどの早さで、ひょう刀の刺さった木が枯れていく。
〈葛姫〉と彼らを隔てる壁が破れた瞬間だった。
「行け、八左!」
「応!」
 短く応じた竹谷は、迷いなく木が枯れてできた壁の隙間をすり抜けて駆けた。悪あがきのように〈葛姫〉が攻撃を仕掛けてくるが、意に介さない。身体を掠める棘や蔦も気にせず進む。本当に彼に命中しそうな攻撃は、三郎の呼んだ狐火がすべて焼き付くした。
 見事な連携だ。
 力尽きて地面に座り込みながら、雷蔵は三郎と竹谷の連携の中に自分も入れないことを少し惜しく思う。と、雷蔵の前を駆け抜けて〈葛姫〉へ向かっていく竹谷が、前を見据えたまま言葉を発した。「よくやった、雷蔵」ころり、と自分の元へ落ちてきた言葉に、雷蔵は目を丸くした。自然と唇が笑みの形に持ち上がる。
 雷蔵の視線の先、〈葛姫〉へ迫った竹谷は彼女の手前で一気に速度を上げた。〈葛姫〉はその速さについていけない。竹谷は拳で〈葛姫〉を打ちすえて、よろめいた彼女からきり丸を奪い取った。一瞬の出来事。そのまま、すれ違うように数十歩分進んで止まる。
 やがて、沈黙の後に〈葛姫〉はゆっくりと地面に倒れ伏した。彼女の眷属も抵抗を止めてひざまずく。シュウゥゥゥと青い風景の異界が薄れて消え、辺りにはいつもの夜の森の景色が戻ってきた。
 ホウホウ、ホウホウ。のんきなフクロウの鳴き声が遠くで聞こえる。しかし、雷蔵も三郎たちもしんと鋭い緊張を保ったままでいた。これで終わりかどうか、判断できなかったのだ。
「んん……」
 緊張を破ったのは、きり丸の小さな呻きだった。〈葛姫〉の術が破れたせいか、彼は竹谷の腕の中で身動きして目を開けた。
「……たけや、せんぱい……?」
 その様子を見た乱太郎としんべヱが、わっと竹谷ときり丸に駆け寄っていく。竹谷がきり丸を地面に降ろすと、彼はひしっと友人たちと抱き合った。
「きり丸ぅぅ〜!」
「きりちゃん! ひとりで囮になるなんて、だめだよ! 次からはわたしたちも一緒なんだから!」
「ごめんなぁ、乱太郎、しんべヱ……」
 微笑ましい光景にほっと安堵の息を吐いてから、雷蔵は倒れた〈葛姫〉へと目を向けた。雷蔵には妖の気配は感じ取ることができない。けれど、皆の態度から彼女がまだ死んでいないということは分かる。
 どうするのだろうと思ったとき、三郎が動いた。彼は〈葛姫〉に歩み寄り、手のひらに狐火を出現させた。とどめを刺すつもりだろう。火気で攻撃すれば、木の精である彼女はひとたまりもない。
 三郎が狐火を放とうとした瞬間。彼と〈葛姫〉の間に、銀色の巨大な狼がつむじ風のように割って入った。
《待ちなされ、人の子よ》銀狼が口を開く。そこから発されたのは、女の声だった。《この妖がそなたらを害したことは認める。だが、この妖を滅ぼしてはなりませぬ》
「――お前は……何だ……?」
 三郎が尋ねる。銀狼が答えるよりも先に、言葉を発したのは竹谷だった。
「……母上……」
「えっ……? 母上?」
 尾浜が驚きの声を上げる。久々知も言葉にこそしないが、目を丸く見開いていた。
「あれ? お前らに言ってなかったっけ。学園に入るまで俺は山の女神に育てられたって。学園に入ったのは、母上がそろそろ人の世を学ぶ時期だと言ったからなんだ」竹谷はあっけらかんと答えた。
「えっと……。じゃ、この人っていうか……狼が、八左の育てのお母さんなの?」
「そういうこと。母上は学園の敷地も含めて近畿一帯の山神たちを取りまとめる、神々の束ね役なんだ」
《我の監督が甘かった故に、土地神の一柱を暴走させてしまって申し訳ない。だが、どうか彼女を滅ぼさないでおくれ。彼女にはまだ新たな土地で、木々の生育と実をもたらす力があるのだから》
 頼む――と銀狼は頭を下げる。それを目にした三郎は、静かに手の中の炎を消した。


***


 すべてが焼かれ、奪われた合戦の跡を、男がひとり歩いていた。黒の忍服をまとったその男の年齢は分からなかった。というのも、男の顔には大きな火傷の痕跡があり、容貌がはっきりとはしないためである。
 男の名は雑渡昆奈門――タソガレドキ城の忍組を束ねる組頭だった。忍といえば身を隠すものと相場は決まっている。けれど、雑渡はこのとき、姿を隠すことなく歩んでいた。その姿は、まるで幽鬼のようにも見える。
 合戦場を眺めながら、雑渡は幼い頃に焼かれた自らの村のことを思い出していた。あれから幾度も合戦場に立ったが、幼い頃に見た光景は目蓋の裏に焼き付いて離れない。タソガレドキの忍に拾われて――自ら望んで忍組の中でも最も暗い部分の仕事に関わるようになった。
 すなわち、呪術を戦に応用するための研究に。雑渡がこの場にいるのもその一環だ。
 合戦場には怨嗟と呪詛が満ち満ちている。そうした負の感情の力を利用する呪術は“外法”と呼ばれ、強い力を発揮する分、扱いが難しい。下手をすれば力が暴走して、何もかもを破壊してしまうかもしれない。そのあまりのすさまじさに、雑渡は若い時分、一度だけ逃げ出したことさえあった。
 苦い思い出である。
 もはや、そんな失態は犯さないが……。
「――組頭。こちらにおいででしたか」
 そんな声と共に、忍服の男が現れた。年齢は二十代後半。落ち着きのある容貌は、美男と言えるかもしれない。
「陣左。そちらはどうだった?」雑渡は尋ねた。
 陣左と呼ばれた男――高坂陣内左衛門は頭を振った。
「合戦場の西側にもいませんでした。やはり、この土地の神は人間の流血沙汰や穢れを嫌って去ったようです」
「やっぱりね。しかし、戦をしたはいいが、この土地はこれからが大変だろうねぇ。これほど穢れを帯びて、しかも植物の成長を促してくれる神がいないんだから」
「そうですね」
「それに比べて、人間はこういう穢れの強い場所にもいることができるんだから、しぶとい存在だよね」
 雑渡はカラリと言った。その足下――太陽に照らされてできた影へと、土地の呪詛や穢れが吸い込まれていく。それらを飲み込んで、雑渡の影は満足そうにゆらりと揺らいだ。


***


 夜半。忍術学園に戻った五年生五人と一年生三人は、五年生い組担任の木下と一年は組担任の土井にこってりお説教をされた。そうして日付も変わる頃、ようやく自室に戻ることが許される。八人は疲れきった態で、のろのろと忍たま長屋へと戻っていった。
 疲労を感じながらも、後輩たちを助けられたことは嬉しい。竹谷はどこか清々しい気分で、歩いていた。五年生に与えられた長屋の一番隅に、竹谷の部屋はある。人数の都合で一人部屋を与えられていた。そこへ向かって歩いていたときだった。ぽんと肩を叩かれる。振り返れば、三郎が立っていた。彼と同室の雷蔵は既に部屋に入ったらしく、姿が見えない。
「三郎。どうしたんだ?」
「休む前に、お前に礼を言っておこうと思ってな」
「礼? 俺、何かしたか?」
「〈葛姫〉に囚われ、惑わされていた雷蔵に、お前が必要だと言ってくれただろう? お前が言ってくれなければ、おそらく雷蔵は目覚めなかった」
 妖はさまざまな手で、人間を誘惑して自らに有利な感情を抱くようにし向ける。というのも、妖は基本的にはこの世のものではないため、人の世に干渉するには強い力が必要だった。ただ、例外がある。人の方から望めば、妖は簡単に干渉することができるのだ。それゆえに、妖はまず人の心に付け入ろうする場合が多い。
 今日の〈葛姫〉の場合もそうだ。彼女は雷蔵の精気を吸い取るために彼の心を操り、投げやりな気分を植え付けようとしていた。竹谷の投げた言霊が、それを打ち破ったのである。三郎が礼を言ったのは、そのことに対してだった。
「仲間を助けたかったから、そうしただけだ。別に礼を言われるようなことじゃない。……というか、正直、三郎は悔しがるんじゃないかと思ってた。自分が雷蔵の意識を呼び戻したかったのにって」
「私の言葉では、雷蔵は呼び戻せなかっただろう」
「なぜ」
「私が雷蔵に抱くのは、友情ではない。私の想いに呼応する感情は、雷蔵の中には存在しない……少なくとも今のところは。だから、私の言霊は雷蔵には届かないのさ」
 三郎はふと笑みを浮かべた。どこかほの暗い情動を思わせる笑みだった。竹谷ははっとしたが、何か言おうとする間に三郎は踵を返してしまう。竹谷は言葉に詰まったまま、自室へ戻っていく三郎の背中を見送った。そうする間に、ふと、三年生の頃のある記憶が甦ってくる。
 二年前のその日。当時から生物委員だった竹谷は脱走した蛇を探して、学園長の庵の庭にまで迷い込んだ。そこで、三郎と学園長の会話を聞いてしまったのだ。
 三郎は、四年生から始まる呪術の授業に、雷蔵も入れてほしいと談判していた。彼には呪術の素質はないが、自分と双忍であるためには呪術を学んでおかねばならないから、と。
 その言葉を聞いた瞬間、竹谷は逃げ出した。友人たちのためにも、彼らと付き合っていく自分のためにも、聞いてはならない話だと本能的に感じたからだ。だから、その後学園長と三郎がどんな問答をしたのかは分からない。ただ、翌年からの呪術の授業には雷蔵がいた。そのことも、竹谷は深く考えないことにした。
 だが――。
 もしかすると、あのとき自分は学園長の庵での話を聞いておくべきだったのかもしれない。そうして三郎に問いただすべきだったのではないだろうか。呪術の素質がないにもかかわらず、授業を受けさせられる雷蔵が悩むであろうことは、予想できたはずだ。三郎だって、分かっていただろうに。
「……三郎、お前、雷蔵をどうするつもりなんだ……?」
 竹谷が呟いた言葉は、夜の闇の中に消えた。





2014/08/17

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