オフ本を手に取って下さる方向けの注意書き
※Pixivサンプルのみの方はキャプションの注意書きだけで閲覧可能です。
2ページ目以降へお進みください。


・刀解、刀剣破壊、闇落ち描写を含みます
★刀×主、主×刀、および3Pを含みます
(性描写はない場合でも、リバ発言があります)
★三日月宗近×加州清光←男審神者要素を含みます
・男審神者が別の審神者と関係を持つ記述があります
★加州清光に創作刀剣男士要素を含みます
・刀種変更前の設定で書いています


★についてはネタバレしてでも内容を確認しておきたい方がいらっしゃるかもしれませんので、最終頁に記述します。確認が必要な方はどうぞご覧ください。


■8月23日当日について■
・配布物が3Pやリバを含む内容ですので、会場でも上記注意書きの内容をボードにして、ご購入前に確認していただく予定です。
・pixivまたはサイト上で注意書きを確認してご了承くださっている場合は、「注意書き見ました」と言っていただければそのままご購入いただけます。








[chapter:【資料】引継審神者“空蝉”覚書]

〈千糸(せんし)〉本丸 引継状況

【打刀】
加州清光(所在不明) 歌仙兼定
山姥切国広 蜂須賀虎徹
陸奥守吉行(刀解)へし切長谷部
大和守安定 鳴狐 宗三左文字(刀解)


【太刀】
鶴丸国永(所在不明)三日月宗近
和泉守兼定 鶯丸(刀解)
一期一振 燭台切光忠(所在不明)
江雪左文字(刀解)小狐丸(所在不明)
山伏国広(刀解)
大倶利伽羅(所在不明) 同田貫正国


【脇差】
堀川国広 鯰尾藤四郎 骨喰藤四郎
にっかり青江


【短刀】
今剣(所在不明)
厚藤四郎 平野藤四郎 前田藤四郎
秋田藤四郎 乱藤四郎 五虎退
薬研藤四郎 愛染国俊 小夜左文字(刀解)


【大太刀】
太郎太刀(刀解) 次郎太刀(刀解)
蛍丸 石切丸(所在不明)


【薙刀】
岩融(所在不明)

【槍】
御手杵(刀解) 蜻蛉切(刀解)

(刀種―顕現順)




1.



 ――ゲートを潜ると、そこは大きな城の前だった。
 そんな名作のパロディが脳裏に浮かぶ。僕はポカンとして、目の前に広がる古風な建築物を見つめた。城とはいっても、目の前の建物は国宝の姫路城などと少し違う。天守閣を持たない、いわゆる平城というものだ。僕の中の知識が告げる。問題は、その知識がどこから来るものか分からないことだった。
 僕は事故に遭って記憶喪失なのだそうだ。審神者養成所の専属の医者が言っていたのだから、たぶん間違ってはいないだろう。
 昨日、目覚めたとき、僕は審神者養成所にいた。政府の職員さんたちの説明によれば、僕はほとんどの研修を終えて、間もなく引継本丸に入る予定だったらしい。幸いにというべきか、審神者として必要な研修の知識は残っていたため、僕はそのまま本丸に着任するように言われた。ちょっと冷たいのではないかと思わないでもない。だが、聞くところ、僕は現代に身寄りがなく、審神者にならなければ帰る場所もないようだ。それで観念して、僕は時空の狭間に形成された本丸へのゲートを潜ったのだった。
「――主? おーい、主? 大丈夫? アタマ、ついて来てるー?」
 赤い瞳が印象的な若い男――清光が、横から手を出して僕の目の前でヒラヒラと振ってみせる。彼は僕が目覚めさせたという初期刀だ。清光を降ろしたのは記憶喪失の直前のようで、目覚めたときにはすでに傍にいた。
 僕が予定通り本丸に着任することを承諾したのは、清光の存在が大きい。たぶん、ひとりで行けと言われたら、さすがに後込みしていただろう。もちろん、清光だって降ろされたばかりで僕と過ごした時間は短いはずなのだが、知り合いがいるというのは心強いものだ。
「すごい……。本物の城だ」
「本丸って、どこもこんな感じらしいよ? っていうか、審神者の研修で本丸のことも習ったでしょ?」
「習ったけどさ……」
「やっぱり慣れない? 主は俺たちの感覚だと、未来人だもんねー。……って、そろそろ出迎えが来る頃かな。主、シャキッとしといてね。だらしなかったら、ここに元からいる刀剣たちに呆れられちゃうよ?」
「シャキッとって言っても、僕、庶民だしなぁ……。でも、まぁ、できるだけ、頑張るけど」
「もう、主ってば、そんなんで大丈夫かなぁ……。だって、ここは――」
 清光が言いかけたときだった。母屋の方から白い小さな狐がチョコチョコと駆けてくる。記憶を辿ってみると、それが式神ロボットのこんのすけだと分かった。
「ようこそお出でくださいました、 “空蝉”よ」
「うつせみ……?」
 何だ、それは。聞き慣れない言葉に、僕は首を傾げる。横から清光が「主の号だよ」と口を挟んだ。
「号が?」
「そ。基本的に審神者は自分の本丸の識別名称で呼ばれる。ここは〈千糸〉本丸という名だから、普通なら主の審神者としての通り名は〈千糸〉だね。でも政府関係のお役目を持つ者は、特別に号をもらうことになってるんだ」
「あぁ、神様に真名を知られるとよくないから? ……でも、清光、養成所でさんざん僕の真名を聞いたよね?」
「実名敬避俗って、主の時代の人間は信じてないでしょ? 正直、現代人の真名を使ったとしても、たいした効果はないんだよね」
 あぁ、そういえば研修でそんな話も聞いたような。と思ったところで、僕はハッとした。号を持っているということは、僕は審神者の仕事の他に、何か政府関係のお役目を与えられているということだ。だが、そんな話は何も聞いていない。
 どういうことなのだろう?
「僕、お役目のこと、何も聞いてないんだけど……。記憶喪失だから免除されたのかな? それとも、審神者の仕事に慣れてから何か連絡があるのかな……?」
「――心配しなくてもいいよ。主は本丸に慣れて審神者の仕事をすることだけ考えてればいいって」
 清光は明るく言った。その態度に、僕はわずかに違和感を覚える。今、一瞬、口を開く前に間がなかっただろうか……? しかし、追及するには確証がなかった。僕はこんのすけに促されるままに、足下に置いていた手荷物を持ちあげた。衣類や通信機器の入った鞄と木製の弓だ。
 この弓は、目覚めたときすでに僕の部屋にあったものだ。それも矢は一本もなくて弓の本体だけ。どうやら記憶を無くす前の僕が使っていたらしいのだが、今ひとつ使い途が分からない。けれど、記憶のない僕には必要かどうか判断がつかないので、引継本丸に持ってきたのだった。
 こんのすけは僕の手荷物――とりわけ弓をじっと見ていたが、やがて反転して母屋の方へ歩きだした。僕と清光もその後についていく。中へ入ると、清光は僕の先に立って歩きだした。
 やがて、大広間と思われる部屋の前にたどり着いたときだった。一瞬、ザラリと嫌な気配を感じた。かと思った瞬間、清光が僕を突き飛ばした。
 あっと声を上げる暇もない。
 タタタタと鋭い足音と共に、小柄な人影が襖を蹴り倒して飛び出してくる。刀を抜いた清光が、その人影に斬りかかった。ガキンッ。金属同士がぶつかり合う、甲高い音が響く。廊下に倒れ込んだ僕が顔を上げると、清光と黒髪に菫色の瞳をした少年がつばぜり合いをしているのが見えた。僕の知識には少年の名があった。短刀の刀剣男士、薬研藤四郎だ。
「おやめください、薬研藤四郎どの!」
 こんのすけが叫ぶが、薬研は一歩も引く様子がない。清光は歯を食いしばって、強引に彼を押し返した。薬研の一撃は果敢だが、そこは短刀と打刀。清光の渾身の力に押し負けて、吹っ飛ばされてしまう。
 僕は清光が難局を切り抜けたことに、ほっとして息を吐いた。が。吹っ飛ばされて畳に尻餅をついた薬研の後ろから、別の影が清光に襲いかかる。浅葱色の袖を翻して斬りかかるのは、大和守安定だ。清光が彼と打ち合う間にも、薬研の元へ駆けつけた一期一振や三日月宗近が刀を構えている。
 ――いけない。
 清光も応戦しているが、降ろされた彼の練度はたったの一だ。この本丸にいる刀剣たちの方が、練度は高いだろう。このまま戦いが続けば、清光が折られてしまう。
 どうすればいい? 僕が助けに入って斬られでもしたら不味い。生命はもちろん惜しいのだが、理由はそれだけではなかった。審神者は元々、清浄な存在ということになっている。その生命を奪えば、それは通常の人死に以上に強い穢れだ。たいていの場合、主殺しをした刀剣は穢れのあまり自壊する。また、周囲にいるだけでも、闇落ちする可能性もあるくらいだ。荒御魂が生まれれば、それを鎮めるのは大変な困難だ。そういう意味でも、僕は殺されるわけにはいかない。
 だが――。
 考えている間にも、僕の手は勝手に弓を取っていた。つがえるべき矢もないというのに。指が弓の弦をつま弾く。何だか風変わりな音が鳴った途端、皆はピタリと動きを止めた。
「主……?」
 安定とつばぜり合いをしていたはずの清光が、いつしか目を丸くしていた。安定はその隣で剣を下ろしている。三日月宗近も一期一振も、厳しい顔でこちらを見ていた。
 先ほどの妙な音が、そこまで皆の気を引いたのだろうか? そんなに変な音だった? よく分からないままに、僕は弓を手にしたまま、ゆっくりと清光へ寄った。安定と清光の間に割り込むようにして、刀たちから清光を庇う。
「――この本丸に足を踏み入れて、まだ十分ほど。これほどの短時間で僕が知らず知らずのうちに非礼を働いてしまっていたのなら、お詫び申しあげます。ですが、僕の近侍には何の咎もありません。どうか、彼を傷つけないでください」この通り、と僕は廊下にひざまずいて、ひれ伏すように頭を下げた。
「審神者どの。我々はあなたを受け入れることはできんのです」一期一振が言う。
「いち兄、俺の意見は違うぜ?」と薬研。
 二人の会話に、安定が呆れた顔つきになった。
「ちょっと、新しい審神者の前で仲間割れとか止めてくれない?」
「仲間割れなど! 薬研、私の言うことを聞きなさい。ここで彼を受け入れるのは間違いだ」
「考えてみてくれよ。俺たちはいつまでも、今のままではいられないんだ。せめて、試してみなくては」
 刀たちにもそれぞれの思惑があるのだろう。弟の言葉に、一期一振は苦しげに視線を伏せた。
「――それで、薬研藤四郎の判定は?」私が尋ねる。
「保留だな」
「そうですか」
 僕はガックリと肩を落とした。それから、顔を上げる。見れば、薬研の後ろ――座敷の奥にこの本丸の残りの刀剣と思われる一団が集まっていた。皆、うかがうようにこちらを見ている。僕は慌てて、平服した。
「遅くなりましたが、本日、この本丸に着任いたしました引継の審神者“空蝉”です。未熟者ですが、皆さまを手助けして共に戦えるよう精進いたしますので――」
「主」清光が挨拶を遮った、僕の腕を引っ張って、少し強引に立たせる。「行こう。あっちには挨拶する気がないみたいだ。ここにいても無駄だよ」
「いやいや、社会人たる者、そういうわけにもいかなくて――って清光……!」
 僕が反論し終わらないうちに、清光は手を引いて歩き出す。僕はほとんど引きずられながら、刀剣男士たちに向かって「ともかくよろしくお願いします!」と口上を叫んだ。刀剣男士たちに特に反応はなかった。ただ、廊下を曲がる刹那、三日月宗近と視線が合う。
 その眼差しがやけに頭に残った。
 大広間を辞した僕たちは、鍛刀部屋の前に立っていた。実は本丸でもっとも重要な施設は、鍛刀部屋だったりする。母屋の間取から言えば、中心というわけではない。だが、本丸という場の全体から見ると、中心は鍛刀部屋なのだ。
 鍛刀部屋の奥には、祭壇がある。この祭壇に祀られているのは、迦具土命。炎と鍛冶の神だ。炉の炎の中で鍛えられる刀剣たちにとって、迦具土命は父神ということになる。ゆえに、審神者は本丸に着任するとすぐに、鍛刀部屋の祭壇に参りに来るのが決まりだ――と教えられた。
 僕が一歩、部屋の中へ入ると、小さな人形のようなものがパタパタと寄ってきた。鍛刀部屋の式神だ。歓迎してくれるかのように飛びはねるので、僕は床にひざまずいて視線を合わせた。「今日から着任した審神者です。どうかよろしくお願いいたします」と挨拶する。鍛刀式神はピョコンと一度、跳ねてから、僕の袴の裾を引っ張った。
「え、え、え?」
「主、好かれてるね。早く迦具土命に紹介したいから、祭壇にお参りしてって言われてるんだよ」
「そっか」
 僕は鍛刀式神に急かされて、祭壇の前にひざまずいた。祭壇に祀られている神に、祈りを捧げて挨拶する。
 やがて、祈りを終えた僕が立ちあがろうとしたときだった。フッと自分の中に何かが降りてくる感覚。目に見えている鍛刀部屋の景色が遠のいて、脳裏に古風な日本建築の――おそらくこの本丸だ――あらゆる場所のイメージが湧きあがってくる。一つ一つの画像はあまりに表示時間が短くて、僕には認識できない。のだけれど、頭の中にどんどん情報が書き込まれていくのが分かる。
 イメージの奔流は、おそらく時間にして十秒足らず。目の前に鍛刀部屋の景色が戻ってきたとき、僕はこの本丸が自分に“接続”されたという感覚を持つようになっていた。僕は機械ではないから、“接続”という言葉もおかしい。
 けれど、他に表現のしようがない。意識を凝らせばうっすらと見取り図しか知らないこの本丸のどこに何があって、どこに誰かがいるのか、何となく感じ取れるのだから。
 ――なるほど。これが審神者に着任するということか。
 教本の手順の中に、鍛刀部屋の祭壇への参拝が入っていた理由が分かった気がする。たぶん、祭壇へ参るのは挨拶であると同時に、審神者を本丸に接続するために必要な儀式なのだろう。
 あぁ、でも、何だか妙だ。この本丸に感じられる刀剣たちの存在。どの気配が誰かとまでは分からないのだが、これは――。
「お参り、終わった?」
 清光が声を掛けてくる。僕は我に返って、頷いた。
「うん。それじゃ、次は審神者の部屋へ行こうか」
 僕はこんのすけと清光の先に立って歩きだした。清光が慌てて追いかけてくる。先頭を歩くのは危ないと諭されて、僕はハッとした。そういえば、さっき実際に斬られかかったところだ。
 けれど。
「大丈夫。近くに誰か来たら、何となく分かるから。今は皆、大広間のあたりにいるからそこを避ければ――」
「ま、待って、主! 分かるようになったの?」
「あ、うん。何か自分が本丸に接続された感じで、何となく――」
 それならいいや、と清光はあっさり引き下がった。刀に手を添えてはいるが、それなりにリラックスした状態で隣に並ぶ。僕らは大広間を避けて、審神者の部屋のある離れへと向かった。
 審神者の部屋は二間続きになっていた。一間は執務室、もう一間は私室だ。近くには近侍の控え室もある。また、離れには簡単なキッチンもあって、その気になればここだけで生活していけそうだ。僕はまず審神者の執務室をのぞいた。ガランとして、空気が少し埃っぽい。最近、使われた形跡がないように思える。
 何だか妙だと感じながら、僕は離れの他の部屋ものぞいていった。審神者の私室にもキッチンにも、前任の気配はない。近侍の控え室などは、最近どころか長い間、誰も入らなかった様子だった。
 何だか雰囲気が妙だ。
 本丸には、政府のノルマが課せられる。出陣に鍛刀、遠征……その他にもいろいろと。だって、審神者と刀剣男士は歴史修正主義者と戦うためにいるし、実際に戦っているのだから、当然だろう。この本丸は前任からの引継であるから、引継期間は多少のノルマ免除があるはず。だが、それでも免除期間がそこまで長いわけはない。まるで、何年もこの離れをまともに使ったことがないかのような状態になるのは、おかしい。
 そこで、僕は突然、自分がこの本丸について何も知らされなかったことに気づいた。前任者のプロフィール、続けられなくなった理由、刀剣の数、それに本丸の成績など……そうした情報を何ひとつ。もしかすると、記憶喪失前に知らされていたので、政府はもう伝達済みと認識しているのかもしれないが。
 しかも、僕自身も今の今までこの本丸の基本データを知らないことを、意識していなかった。まるで暗示にかけられて、ツルッと意識から外されていたみたいに。――いやいや、記憶喪失になって動転していた証拠だろう。だが、それにしたってのん気だ。僕はそういう性格なのだろうか。
「――何か変な本丸だけど、着任しちゃったものはしちゃったしなぁ。とりあえず、がんばりますか」
 僕は単衣の袖を腕まくりした。それでも袖がズルズル落ちてくる。洋服みたいに袖まくりができなくて悪戦苦闘していると、清光がどこからともなく紐を持ってきた。聞けば、審神者の部屋の衣装箪笥に入っていたらしい。僕の単衣の袖をたすき掛けにしてくれた。
 それから、僕らは二人して審神者の部屋の書類を調べにかかった。最初に文机の引き出しを開くと、刀帳が入っていた。
 刀帳は本丸の刀剣の記録簿である。新規の審神者の刀帳には初期刀だけが記録されており、鍛刀や戦場ドロップで刀が増えるたびに情報も増えていく。一見、ただの紙をつづった帳面なのだが、この刀帳のすごいところは本丸を満たす霊力に呼応して勝手に――というか、刀帳に宿る式神によってなのだが――記録が為されるところだ。おかげで、日記は三日坊主という審神者であっても記録漏れの心配はない。
「いいもの見つけた!」
 僕は喜んで刀帳を開いた。この刀帳ならば、僕が感じている疑問の答えをくれるかもしれない。
 パラパラめくってみると、この本丸には昔、四十二振の刀剣がいたらしい。だが、そのうち十振は三年前に自ら望んで刀解されている。
 刀解を希望した理由は、刀帳からは分からない。ただ、世間一般で言うところのブラック本丸とは、この本丸は違う気がした。というのも、刀帳の最初から一振も破壊された刀剣の記録がないからだ。
 刀帳は自動記録なので、誤魔化すことはできない。ということは、刀剣破壊された者がないのは事実だ。普通の本丸であっても、歴史修正主義者との戦の中で刀剣破壊は起こりえる。生存をかけた戦なのだから、無理もないことだ。戦争で人死にが出るのだから、時の流れを守る戦で折れる刀が出てもおかしくはない。実際、一振も刀剣破壊のなかった本丸というのは、全体の半数に満たないという統計があるそうだ。
 ブラック本丸でないなら、刀解を希望した刀剣たちにはどういう理由があったのか。考えてみても、分からなかった。これに関しては、執務室を整理すれば何か手がかりになる書類が出てくるかもしれない。そう期待しておく。問題は、刀解された刀剣たちではなく、現在、本丸にいる――いるはずの刀剣たちだった。
「おかしい……」
 僕の呟きに清光が怪訝そうな顔をする。
「どうしたの? 主」
「刀帳によれば、かつて本丸には四十二振の刀剣がいたらしいんだ。そのうち十振が望んで刀解された。ここまではいい。問題は――どうも残りの刀剣が三十二振ではないらしい、ということなんだ」
「えっ?」
 清光が目を丸くする。僕もわけが分からない。ただ――。
「僕が今、本丸の内部に感じている刀剣の数は、三十二振よりももっと少ない。せいぜい二十振ちょっとって気がする」
「嘘。それって確か?」
「確かかって言われると、自信ないなぁ……。刀剣の気配っていっても、ぼんやり感じられるだけだから、僕が感知できてない子がいるのかもしれない。たとえばの話、粟田口の短刀の子が一期一振に抱っこされてたら、それを二振とは感知できないのかも」
「でも、それにしたって十振程度の気配が足りないってことになると、本当にいない奴もいるんじゃない?」
「やっぱ、そう思う……?」
「思う、思う」
 うんうんと清光に頷かれたら、自分の目のつけどころが正しかった気がしてくる。
 とりあえず、僕は最初に刀剣たちの実際の数を確認することに決めた。数の確認といっても、普通の本丸なら皆を集めて数えればいいだけだ。けれど、ここではそういうわけにもいかない。さっき斬りかかられたということは、刀剣の一部は僕に敵意を持っていかもしれない。となると、集まってと頼んだところで、言うことを聞いてくれるとも思えなかった。
 皆が集まってくれる方法があればいいのだが――。何か案はないかと清光に聞いてみる。彼は小首を傾げた。
「方法って……閲兵するって言えば? 新撰組ではそうしてたし。それか、総稽古をつけるって言うとか」
「刀剣相手に稽古とか、むしろ僕が返り討ちだよ」
「うーん。じゃあ、お菓子で釣る?」
「ちなみに、清光は敵意持ってる相手にお菓あげるよって言われたら、出ていく?」
「むしろ警戒する」
「審神者さま、油揚げはいかがでござりますか?」
「仮に釣れたとしても、それって小狐丸とか鳴狐とか狐系の子だけだろ。小狐丸たちがここにいるなら、の話だけど。……っていうか、お腹すいたな」
 ふと見れば、執務室の時計が昼近くを指している。僕らは話を切り上げて、ひとまず昼食を摂ることにした。





2.




 いざ昼食となったものの、離れのキッチンには食材がまったくなかった。前任がいたのがいつかは分からない。分からないものの、前任の審神者は母屋で刀剣男士と共に食事することを習慣としていたのだろう。母屋の厨房ならあるかもしれない。僕は政府との通信があるというこんのすけと別れて、清光と共に厨房へ向かった。
 昼食時だというのに、厨房には誰の気配もなかった。食事の時間帯が違うのだろうか? 刀剣たちの文化に合わせて、ここの本丸の食事は一日二食なのだろうか? ――それって、僕には耐えられないかもしれない。あれこれ考えつつ、厨房へ入る。
 僕らを待っていたのは、驚きの光景だった。
 厨房は、もう何年も使われていないかのように、埃を被っていたのだ。厨房がこの状態だとすると、刀剣たちはいったい何を食べているのだろう?
「清光……刀剣男士って、もしかして、ご飯を食べないのが普通なのかい? でも、お前、僕と一緒に普通に食べてたよね……?」
「それは……」清光は困ったような顔をした。
「もしかして、無理して僕に付き合ってくれてたのかい?」
「そんなことない。刀剣男士は肉の器を与えられて顕現するんだから、食べられないわけないでしょ。ただ――」
 清光が言うには、刀剣男士は人のようにものを食べることができるらしい。ただ、逆に食べないでいることもできるのだという。刀剣男士は審神者の霊力によって、肉体を与えられて現世に顕現する。ただ、その肉体はこの世に生きる人や獣のそれとは、異なっているのだとか。
 たとえば、と清光は言葉を続けた。
「――俺たち刀剣男士が戦って負傷するでしょ? その傷は俺たちの寄代に反映されるし、審神者の手入れがなければ治らない。本体に影響のないほんのかすり傷なら、本丸にいれば審神者の霊力で勝手に治っていくけど」
「えぇっと……。つまり僕たち人間の身体は完全に物質だけど、刀剣男士の身体は物質と霊体が半々くらいってこと?」
「半々どころか、七割くらい霊体寄りかな」
「え? そんなに?」
「そんなに。顕現したときはそうなんだけど、審神者と暮らすうちに人寄りになってくるんだよ。審神者からもらう霊力と神通力を使って、もうちょっと物質寄りするっていうか、物質っぽく見せかけるっていうか……。まぁ、そういうわけで、いちおう食べなくても存在はしていけるんだよね、俺たち」
「じゃ、ここの刀剣たちはずっと何も食べてないんだ……」
「たぶんね。刀剣男士は現世の食べ物を口にすることで、さらに現世に近づく。黄泉の食べ物を食べると存在が黄泉に近づく――ヨモツヘグイの逆版なんだ」
「ということは、現世のものを食べていないこの本丸の刀剣男士たちは、かなり神寄りってことか……」
 頭の隅に留め置いて、ひとまず食糧があるかどうか厨房の中を確認する。戸棚の中を捜索すると、缶詰がいくつか見つかった。賞味期限――は時空の狭間にある本丸では意味がない。なので、本丸向けに供給される食料品については、『賞味期間・二年間』と印字された白いラベルが貼ってある。
 一見は単なるシールなのだが、実はこれはマイクロチップに内蔵された一種のタイマーだった。最初に一定の時間を設定しておくと、賞味期間が表示されて時間の経過を計測し始めるのだ。最初はラベルの色は青で、表示の賞味期間が近づくと、白く変色。最後に、賞味期間が完全に過ぎてしまうと、ラベルは赤くなる。本丸向けに開発されたこの賞味期間表示だが、一般でも利用され始めている――という話を聞いた。
 発見した缶詰は、製造年月日が二二〇〇年で賞味期間三年間と二年間が赤ラベルになっていた。白くなっているのは、二二〇二年製造で賞味期間三年間のラベル。十ほどの缶詰を確認したが、製造年が一番新しいのは二二〇二年のものらしい。
 ということは、三年前までは誰かが厨房を利用していたということではないだろうか。あるいは、そこまで行かなくとも食糧の管理はしていたことになる。
「三年前、か……」
「どうしたの、主?」
「三年前といえば、刀帳にあった十振が刀解を望んだのも、同じ頃だと思って。三年前に何かあったのかな……?」
 考え込みかけたとき、僕の腹がグゥと鳴った。清光がケラケラと声を立てて笑う。一瞬、その表情がホッとしているように見えたのは、気のせいだろうか。
「――主、考えるのは後にして、昼ごはん作ろうよ」
「あぁ。……ていっても、ここにあるものでちゃんとした料理ができるか、分からないけど」
「そんな主に朗報でーす。コレ、発見しちゃった」
 清光が取り出したのは、パスタだった。ラベルは赤くなっているが、製造年が二二〇三年なのでさほど古くはないだろう。大丈夫。最悪でも賞味期間一年越え程度だ。食べられないことはない、はず。ありがとう、と清光の頭を撫でてから、外で火を起こしてほしいと頼んだ。
 厨房に残った僕は、埃をかぶったフライパンと鍋、包丁、それにまな板を見つけだし、サバの缶詰を小脇に挟んで外へ出た。外は初夏の気候で、少し暑い。
 厨房の外には井戸があった。清光はその傍らで、薪を組んで火を起こそうとしていた。刀剣とはいえ、生まれた時代が時代なためか、手慣れたものだ。僕は井戸で水を汲んで、調理道具を洗った。井戸水は冷たくて、感じていた暑さが少し緩和される。心地いい。
 ふと顔を上げると、目の前に草むらがあった。雑草の間からキュウリやナス、トマトなどがのぞいている。どうやら元は畑だったらしい。僕は思わず雑草をかき分けて畑に入っていった。誰も食事をしないなら、パスタ用に少し分けてもらっても罰は当たらないはず――。
 と、そのときだった。不意に近くに清光ではない刀剣の気配を感じた。昼食に気を取られて、すっかり警戒を怠っていたらしい。動けば葉擦れの音を上げてしまいそうで、僕はその場で固まっていた。
 ガサガサガサ。
 誰かが草をかき分ける音が響いてくる。やがて、ガサッとひときわ大きな音がして、背の高い草の間から青い狩衣をまとう美しい男が姿を現した。白い秀麗な面差しに、切れ長の瞳。見開かれたその双眸に、一瞬だけ、金色の三日月が見えた。天下五剣のうち唯一、顕現可能な付喪神――三日月宗近だ。
 間近で見る美しさにつかの間、目を奪われた僕は、しかし、次の瞬間、悲鳴を上げそうになった。先ほど、僕と清光を攻撃してきた刀剣の中に、この三日月宗近がいたことは、忘れていない。しかし、あまりの恐怖にとっさに声が出なかった。
「そなた、ここで何をしている?」宗近は静かに尋ねた。僕が答えられないでいると、こちらの様子に気づいたのか言葉を続ける。「……怯えているのか? 今はそなたを斬らぬよ。ここは戦場でもない。畑を血で穢すのは、野菜を育んでくれている土に申し訳ないからな」
「僕は、や、野菜を……」
「あぁ、ここの野菜か。ほしいのなら、好きにするといい。どうせ俺の他には口にする者はない。俺とて、この畑すべての野菜を食うわけでもなし」
「あなたが?」
 僕は思わず尋ねた。それから、すぐに先ほど清光と話していた疑問の答えを得るのにいい機会だと気づく。僕は身を乗り出すようにして、矢継ぎ早に問いを重ねた。
「ここの野菜を、食べているんですか? なぜ? 刀剣男士は、食べなくても存在していられるんですよね?」
「おぉ、威勢がよくなったな」宗近は表情を緩めた。ほとんど無表情と変わらないが、苦笑したつもりらしい。「俺は人の子に興味があってな。人に近い心を持っていたいのだ。ゆえに、現世のものを口にする。……とはいえ、人の子のおらぬこの本丸では、存在を現世寄りに保のは難しいが」
「――それなら、僕らと一緒にお昼、食べませんか?」
「ん? 今、何と」
「僕らと昼食を摂りませんかとお誘いしたんです。あなたの野菜をいただく代わりに、いかがですか?」
「ははは! そなた、面白い男だな。いいだろう、その誘い、乗ったぞ。たとえ毒を盛られようと、俺は生身の身体ではないから、関係はないしな」
「毒など盛りません。毒なんかで食べ物を駄目にしたら、それこそ罰が当たります」
「なるほど。それもそうだな」
 そこで、僕は宗近と共にトマトを三つ収穫してから井戸端へ戻った。火を起こし終えた清光が畑から出てきた僕らを見て、ギョッとした顔になる。彼の手が柄に行きそうになるのを、名を呼ぶことで制止した。
「清光、大丈夫。三日月宗近さまは、僕らに危害を加えたりはしないよ。たぶん、今は」
「信じられないよ」
「一緒に昼ごはんを食べることになったんだ。どうか聞き分けておくれ」
「昼ごはんって……何がどうして、そういう話になったの?」清光が混乱気味にツッコむ。
「何がどうして、とな? この畑の野菜を好きに持っていけと言ったら、審神者どのが礼にと誘ってくれたのだ」宗近が穏やかに答えた。
「いやいや、そうじゃなくて。ちょっと前に俺たち、刀を向け合ったよね? 何でいきなり、お隣さんが醤油を貸し借りするみたいなノリになってんの!」
「まぁ、とりあえず攻撃されなければいいんだよ。それより、清光、お湯沸かして」
 僕は怒る清光に、水を満たした鍋を押しつけた。食事のためと納得したのか、清光は大人しく即席のかまどに鍋を置く。その間に僕はトマトを水で洗って、包丁で細かく切った。
 しばらくすると、清光が湯が沸いたと声を上げる。僕はパスタの封を切って、湯の中に投入した。後になって、パスタを茹でるための塩がないと気づき、慌てる。そのとき、宗近が薬包に包まれた塩を懐から出してきた。清めの塩だが、使ってもいいと言う。清光がちょっと戸惑うような顔をしたが、僕は遠慮なく塩を使わせてもらった。
 茹であがったパスタを皿に盛り、フライパンで適当にサバ缶と刻みトマトを炒めたソースもどきを掛ける。できあがった料理を、宗近は興味深そうに見ていた。
 三人で庭の片隅の東屋に移動して、パスタを食べる。厨房にはフォークもあったのだが、皆、箸を使っていた。パスタの出来は――有り合わせにしては上出来といったところだろうか。清光は普通に美味しいと言ってくれた。ただ、サバ缶は白米で食べたいらしい。意外なのは、宗近がサバ缶パスタを絶賛したことだ。
「そんなに美味しいですか?」僕は思わず宗近に尋ねた。
「あぁ。何しろ、この三年間はずっと、畑の野菜を生で食っていたからな。誰かの手料理は久しぶりだ。誰かと共に食事をするのも」
 宗近の口振りからして、やはりこの本丸では三年前まで煮炊きが行われていたようだ。そのことについて、突っ込んで尋ねてもいいだろうか、と考えたときだった。母屋の方から誰かの気配が近づいてくる。
「清光、三日月宗近さま、隠れて――」
「ちょっと待ってくれ。俺は鬼ごっこをしに来たわけじゃないんでね」
 そう言いながら現れたのは、薬研藤四郎だった。彼は僕たちの様子を見て、目を丸くする。
「驚いたな。三日月の旦那、審神者の出す料理を食ったのかい?」
「そうだ。この本丸には――何より俺には、共にある人の子が必要だからな。それがこの審神者であればいいと思っている」
「へぇ」
「……ところで、そなたも審神者を必要とする事情があるだろう? そうでなければ、ここへは来るまい」
「三日月の旦那はお見通しみたいだな……。大広間での様子じゃ、皆、話にならん。だが、俺たちは未来に進むために大将が必要なんだ。まず、俺があんたと主従になれば、続く奴もあるだろう。――頼む、主従の契りをかわして、俺たちの主になってくれ」
 そう言うなり、薬研は地面にひざまずいた。地に身を投げ出すようにして、頭を下げる。僕は慌てて、皿を置いて彼へと駆け寄った。薬研の前の地面にひざまずき、こちらも頭を下げる。
「おやめください! 僕はこの本丸に着任しました。主にしてほしいとお願いしなければならぬのは、僕の方なのですから」
 途端に、ガシリと肩を掴まれた。顔を上げれば薬研が爛々とした目で僕を見つめている。
「まことだな? きっちり俺たちの主になってもらうからな」
「でも、みなさんは僕のことを認めたわけでは」
「認めさせるさ。弟たちのためなら、それくらいやってやるぜ」
「はぁ……」僕は曖昧に頷いた。
 薬研は僕を主にしたがっているが、それはたぶん霊力源が必要だからだ。もちろん、そういう利害関係を悪いとは思わない。だが、このまま薬研の誘いに乗って、安易に皆と主従関係を結ぶのは間違っている。それでは、たぶん、この本丸に隠された問題が何一つ解決しないままになるだろう。
 この本丸のさし当たっての不審点――刀帳と刀剣の実数の違いは、普通ならありえないことだ。刀帳に記録されながらも不在の刀剣たちに、この本丸で起きた出来事の手がかりが隠されているかもしれない。刀剣の実数と不在の者の把握は、何よりの優先事項だという気がしていた。
 これはただの直感のようなものだ。だが、審神者の直感は当たる、らしい。養成所の教本にも、直感を無視するなという記述があるくらいだ。そもそも審神者という人種は常人よりも霊力が高く、無意識の世界へのアクセスも行いやすい。つまり、第六感が発達しているというやつだ。
 僕は自分の直感が正しいなんて自信はない。ただ、こっちは生命をかけてここにいるのだ。とりあえず、やりたいようにやらせてもらうことに決めて、口を開く。
「主従関係を結ぶかどうかは、刀剣男士の皆さまのご判断にお任せすることにいたします。ご希望の方があれば、刀解して御霊を本神へお戻しもいたします。――そのご意思を確認するためにも、僕はまず皆さまにお目通りして、ご挨拶申し上げたく存じます」
 そう言う僕を、薬研はちょっとびっくりしたような顔で見ていた。なぜそこで驚かれるのか、よく分からない。けれど、傍らの宗近は楽しげに笑った。
「ははは、薬研よ。この審神者、なかなか面白いだろう? 大広間での弓を用いた鳴弦といい、お前の誘いを断る意思の強さといい。ひ弱そうな見目に反して、なかなかどうして腹の据わった男ではないか」
「当然」清光が自慢げに口を挟んだ。「うちの主はあんた方の思い通りにはならないよ。無理に言うことを聞かせようとしたら、俺が相手になるから」
「へぇ? 言うじゃねぇか」
 清光と薬研が剣呑な様子でにらみ合う。僕は慌てて、二人の間に割って入った。
「喧嘩は駄目だ。喧嘩で無駄な体力使うくらいなら、その分、午後からしっかり働いておくれ。ちょっと、やりたいことがある」
「やりたいこと?」清光が目を丸くする。
「刀向けられたからって、敵意で返したんじゃ、争いになるだけだろう。ただ、僕は非暴力主義者じゃないからね。さっきの借りはきちんと返す」
「そなた、どうするつもりだ?」
 宗近が少し緊張した面持ちで尋ねる。僕はニヤッと笑って答えた。
「向こうが敵意で来るなら……僕にも考えがある」
 皆に夕餉を用意するから、手伝ってほしい――その僕の申し出に、宗近と薬研は目を丸くしていた。が、どうせ他にすることもない、と二人して手伝いを承諾してくれる。そこで、昼食の片づけを終えてから、僕たちは厨房の掃除に取りかかった。
 食器や調理道具を出してしまって、薬研と僕が戸棚やコンロ、冷蔵庫の埃をふきとる。電気式の炊飯器やコンロ、冷蔵庫は、電源を挿してみると動きだした。洗い場で皿や鍋を洗う係は清光だ。宗近は清光が洗った皿を布巾で拭いている。三枚くらい皿を割ったようだが、途中からは慣れてきたのかそれもなくなった。
 掃除と平行して、僕はこんのすけにサバ缶を与えてから、食料品の通販を頼んだ。頼んだのは、米とてんぷら粉と小麦粉、それに調味料類である。この本丸には畑の野菜と缶詰はある。だが、調味料や油の類はすべて使用期間切れで駄目になっていたのだ。
 あれこれ考えた結果、本日の夕餉は畑の野菜を使ったてんぷらに決めた。刀剣男士たちはまだ僕に気を許していないため、僕の作った夕餉を食べてくれるかどうかは分からない。ただ、畑の野菜を使ったと言えば、少しは抵抗感なく口に運んでくれはしないか、と考えたためだった。
 掃除を終える頃には、日が傾きかけていた。掃除している間に宗近が適当に収穫してきた野菜を、薬研が切ってくれる。僕と清光はてんぷらの衣をつけて、油で揚げていく。そうしていると、姿がないと思っていた宗近が竹の籠を抱えて戻ってきた。籠からはポタポタと水滴が落ちている。そればかりか、彼自身もずぶ濡れだ。
「どうしたんですか? それに、その籠は……?」僕は尋ねた。
「畑の傍の池から、ナマズを捕ってきた。夕餉に使うといい」
「あ、ありがとう、ございます……」
 僕は慌ててナマズの入った籠を受け取った。傍らで薬研が額に手を当てる。風呂に入れてくると言い、彼は宗近を連れて厨房を出ていった。
 後に残された僕は、ナマズの籠を抱えて固まっていた。籠の中ではけっこう大きなナマズが二匹、厨房の灯にヌラヌラと光っている。まだ生きているらしく、動いていた。宗近の厚意はありがたい。だが、魚ならまだしも、ナマズなんていったいどう処理すればいいのだろう。
 困り果てていると、ヒョイと籠をのぞいた清光が「俺が捌くよ」と言う。そこで、僕は衣をつけた野菜を揚げる仕事に戻った。そうしながらも様子をうかがう。清光はなかなか器用な手つきで、ナマズを捌いているようだった。
「すごいなぁ。やっぱり清光は江戸生まれなんだな」
「って言っても、適当に骨取って身を切り分けただけだよ? 別に江戸生まれとか関係ないから」
「まぁ、とにかく、ありがとう。ナマズの切り身、こっちにくれるかい?」
 切ってもらったナマズの切り身に下味をつけ、衣をまぶして揚げていく。そうするうちに、炊飯器のタイマーが鳴り出した。米が炊けた合図だ。ちょうど、ひとりで戻ってきた薬研が炊飯器を開けて、しゃもじで米をかき混ぜてくれた。
「飯の炊ける匂いは久しぶりだ」ポツリと呟くように言う。
 そのとき、僕は誰かの気配が厨房に近づいてくるのを感じた。さりげなく、仕事をするふりをして、身の安全のために廊下から離れた場所に立つ。現れたのは、紫を基調とした着物に外套を羽織った青年――歌仙兼定だった。
「厨房がざわついているから来てみれば……珍しいことをしているね」歌仙は僕には目もくれず、薬研に言った。
「あぁ、あんたも手伝うか?」薬研が尋ね返す。
「――……いや、よしておこう」
 歌仙は笑って、立ち去ってしまう。他にも厨房がさわがしく感じるのか、堀川国広や一期一振などがチラリと様子をのぞきに来た。いずれも、すぐに帰っていく。
 やがて、二十人あまりの夕餉を用意する頃には、あたりは暗くなっていく。その頃には着流し姿の宗近も戻ってきた。彼には皆を呼ぶ役目を頼んで、僕と清光、薬研の三人で膳を運ぶ。さすがに手が足りなくててんてこ舞いしていると、廊下の柱の影からこちらをうかがう小さな姿が見えた。衣装や背格好からして、粟田口派の子のようだ。
「秋田、平野」薬研は子どもたちを呼び寄せた。おずおずと近づいてきた彼らの口に、さつまいものてんぷらを一切れずつ押し込む。「膳を運ぶのを手伝ってくれ。審神者じゃなくて俺の頼みだ。いち兄も叱りはしない」
 桃色の髪をした秋田と生真面目そうな平野は、小さく頷いて僕たちを手伝ってくれた。
 やがて膳を揃え終える頃には、刀剣たちが大広間に集まり始めていた。ある者は不審そうに。ある者はこちらを睨みながら。ある者は不安げな顔をして。それでも、宗近がきちんと説得してくれたらしく、用意しておいた膳の前に据わっていく。
 膳は二十七、用意していた。しかし、僕と清光が末席に座っても、なお二つ余る。大広間に集まった刀剣たちの数は二十五。意識を凝らして本丸内の他の場所を探ってみたが、大広間以外の場所にいる刀剣はいないようだった。
 ――ということは。
 刀解を望んだ刀剣が十振。集まった刀剣が二十五振。記録にないのに、この場に存在しない刀剣が――十七振も存在することになる。ざっと見ると宗近以外の三条や燭台切ら伊達家ゆかりの刀などが、この場にいないようだった。
 不在の刀に何か共通点はあるだろうか……?
 考えこんでいると、鋭い声がこちらへ投げかけられる。
「――我々を呼びつけて、あなたはいったい何を考えているのです?」冷静な、しかし、冷たい声音で一期一振が尋ねる。
 僕は顔を上げた。一斉にこちらに集中する冷たい視線をまともに受ける。こっちは生命をかけているのだ。そう易々と負けてやれるか。僕は腹に力を込めながら、微笑してみせた。
「この本丸への着任のご挨拶に、皆さまと夕餉を共にさせていただきたいと思い、お集まりいただきました。つたない料理ではございますが、どうぞお召し上がりくださいませ」
「俺たちは刀だ。戦って、たたき斬るのが俺らの本性だ。人間ごっこには付き合いきれねぇな」同田貫正国が、恫喝するような低い声音を発した。
「そもそも、我々はあなたを主と認めてはおりません。弟たちに命じて手伝わせる権利は、あなたにはありません」一期一振も言う。
「――いち兄、それは俺が勝手にやったことだ。秋田と平野に頼んだのも俺だ。審神者を責めるのはおかど違いってもんさ」
「薬研は黙っていなさい。……ともかく、あなたの作ったものを食べるつもりはありません。宗近どのの頼みで皆、ここへ集まりましたが、あなたに顔見せした以上、義理は果たしました」
「あぁ、俺は下がらせてもらうぜ」
 和泉守兼定が立ち上がる。堀川国広と同田貫もそれに続いた。一期一振は弟たちに「行きますよ」と声を掛けている。
「お待ちください!」僕は声を上げた。「――この膳は、人間である僕の挑戦状です。あなた方は僕の愛刀を傷つけようとした。これは、その意趣返しです」
「あ、主……ちょっと……」
 ここで煽るのはまずいって、と横から清光が袖を引く。しかし、僕はまっすぐに同田貫たちを見て言葉を続けた。
「人である僕は、戦いではあなた方にかないません。また、仲間になるべきあなた方と争う意味もありません。ですから、あなた方が持って顕現した人としての性質に訴えさせていただこうと思いました」
「ほぅ?」
 凶悪な笑みを浮かべて、同田貫がこちらに歩いてくる。彼は膳を挟んで僕の前にどっかりと腰を下ろした。
「俺たちへの挑戦と言ったな? どうするつもりだ、若造」
「少し、失礼いたします」
 僕は自分の箸を取った。大きめのかき揚げに出汁をつけて――そのまま、同田貫の口へ突っ込む。不意を突くことができたのか、てんぷらは上手い具合に同田貫の口に入っていった。
「それが不味ければ、僕を斬ってくださって構いません」
「……」
 同田貫は暴れたりしなかった。しばらく難しい表情で咀嚼していたが、やがて、「まず……くはねぇな」と小声で呟く。
「ありがとうございます。不味いと嘘をついて僕を斬ることもできるのに、あなたはそれをなさらない。同田貫正国さま、ご厚情に感謝いたします」
「俺は、嘘は嫌いだ。それに、不味くねぇと言っただけだ。……光忠の方が料理は美味かった」
 燭台切光忠――刀解の記録はない、しかし不在の刀剣の名前。これはチャンスなのかもしれない。そう考えて、僕は言葉を紡ぐ。
「この本丸の刀帳を見てから、疑問に思っておりました。この本丸には、刀解されたわけでもないのに、いなくなった刀剣が七振、存在する。燭台切光忠さまもそのうちの一振。彼らは、いったいどうして消えたのですか?」
「それは言えねぇ」同田貫はきっぱり言った。
「あなたに、手料理が不味くないと言わせた僕への褒美としてでも?」
「調子にのるなよ、若造」同田貫はいっそ視線だけで殺そうとするかのように、僕を睨みつけた。まずい、刺激しすぎたか。そう思ったとき、ふと彼が表情を緩める。「質問には答えられねぇ。だから、別のもんをやる」
「別のもの……?」
 同田貫はニィと笑った。
「臣下になってやるよ」
 その後、大広間はちょっとした騒ぎになった。清光は自分も主に食べさせてもらったことがないのに、と怒り出す。面白がった宗近と薬研が、「審神者から食べさせてもらうことが、主従の契りなのだろう?」とこれまたてんぷらを口に入れてくれと言う。席を立とうとしていた刀剣も、何だかんだで膳を平らげてくれていた。
 夕餉が終わって、僕と清光は膳の片づけをした。それから、離れへ戻って順に入浴をする。いきなり戦って疲れているだろうから、と僕は遠慮する清光に強引に風呂を譲った。それから、審神者の執務室へ向かい、そこにある書類を読み始める。といっても、手近にあるものはどれも出陣先のデータや敵の記録ばかりで、この本丸で起きた出来事の手がかりは見あたらなかった。
 ため息をついて顔を上げると、向かいの母屋の縁側に月光を浴びて座る宗近の姿が見える。僕は執務室を出て、縁側から草履をつっかけて庭へと下りた。数メートルの距離を突っ切って、宗近の元へ歩いていく。断りを入れて、彼の隣に腰を下ろした。
「主……」
「月見ですか?」
「あぁ、そうだ」
「同じ三条派がいなくては、少し寂しいのでは?」
「どうだろうな。まぁ、そうかもしれん。……主よ、主従の契を交わしたからには、俺に敬語は使わずともよいぞ? 清光にも普通に話しておるだろう。そなた、優しげな顔をしてなかなか口が悪い」
「それは……」
「よいよい。責めてはおらぬ。そなたの歯に衣着せぬ物言いは面白い。聞いていて胸が空くときもある。ただ、もう少し我が身を顧みた方がよい。今日の同田貫への物言いは、ひとつ間違えれば斬られておったぞ」
「……うん。分かってる」僕は大人しく頷いた。月明かりの中、自分の右手に視線を落とす。「僕には、二日前からの記憶がないんだ。気がついたら、すべて忘れていた。そのせいか、今の自分がまるで虚構の中に作り上げられた存在のように、薄っぺらに感じてしまう」
「そなた、記憶がないのか……。そのことが、そなたはつらいのか?」
 少し考えてから、僕は首を横に振った。
「つらくはないよ。自分がどこの誰で、どう生きてきたか分からないのに、不思議と平然としている僕がいる。……実は、それが少し恐ろしい。我が身を大事にできないことも、つらくないことも、本当は僕という人間が壊れているせいではないかと」
 そう言うと、宗近は小さく声を上げて笑った。細められた瞳の奥で、金の月が浮かんでは消える。宗近は柔らかな表情のまま、手を伸ばして僕の頭を撫でた。
「主は妙なことを言う。心が壊れた人間ならば、飯を食えとは言わぬよ。己の刀を攻撃されて怒りもしない。そなたは何も壊れておらぬさ」
「ありがとう。……もう行かなくては。清光が僕を探してるかもしれないから」
 僕はそっと宗近の手を頭から外して、立ち上がった。あぁ、と彼も頷く。
「そうそう、主。三条の名を出したのは、実は彼らがいない理由を聞きだそうという魂胆があったからだろう?」
「あ、バレた?」
「俺も伊達に年を取ってはおらんからなぁ。他の三条がいない理由は俺の口からは言えぬ。また、俺が教えたところで、主のためにもなるまい」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
 宗近はそう言って、ふいに先ほどとは少し毛色の異なる笑みを浮かべた。策士の表情とでも言おうものか。腹に何か抱えていそうなその笑みは、けれど、なぜかひどく艶めいて見える。柄にもなく鼓動が跳ねて、僕は自分の反応に戸惑った。
 しかし、彼はそんなことには気づいていないようで、悠然と言葉を続けた。
「――だが、主はここで俺にその胸を開いてみせた。その信頼に応えて、一つだけ、真実を告げよう」
「真実……?」
「あぁ。おそらく、刀帳を見ただけでは分からぬだろうが。――俺はこの本丸に来た二振目の三日月宗近だ。俺がここへ来たとき、すでに前任の初期刀の清光と一振目の三日月宗近、そして前任はいなかった」
 それでは、消えた刀剣は七振ではなく、八振――もしかすると、それ以上いるということか。仮に消えたのは八振だとしても、うち二振――加州清光と三日月宗近が消えた理由は他とは違うことになる。
 本当に、この本丸で何が起こったというのだ?
 呆然とする僕に、しかし、宗近は美しく微笑して「よい夢を」と告げる。立ち上がって去っていく彼の背中を、僕は引き留めることもできずに見つめていた。



 部屋の中には、〈千糸〉本丸の一部の刀剣たちが集まっていた。六十年にわたって主不在であったこの本丸を、中心となって守ってきた者たちである。
 普通、本丸が主を失った場合には、新たな審神者が早々に引き継ぎするものだという。あるいは、本丸が解体されて、刀剣は新たな主に仕えることになるか。しかし、政府は〈千糸〉本丸に対して、そうした措置を取らなかった。この本丸は独自の地位と機能を持っていたからだ。
 新たな審神者に引き継がせようにも、この本丸に馴染むには審神者自身の霊力にある資質が必要となる。本丸自体を解体しようにも、その独自機能を果たせる本丸が他にない。加えて、〈千糸〉本丸の刀剣たちは主の特殊な霊力と呪を与えられ、本丸の独自機能の一部となっていた。そのため、よそに譲渡することもできない。
 結局、政府は本丸に霊力供給と最低限の管理だけを行いながら、放置同然にしてきた。刀剣たちはその間の年月を、ときにまどろみ、ときに出陣などしながら過ごした。それが、ここへ来て急に、新しい審神者が来るという。
 刀剣たちは最初、喜んだ。戦ってこその刀剣なのだ。それを十分に扱える人間が、ようやくやって来る!
 しかし、喜びはすぐに困惑に変わった。新たな審神者として着任するのは、この本丸に因縁のある若者だったからだ。大部分の刀剣が、若者をこの本丸に戻すべきではないと考えていた。
 だって、彼は――。


 と、そこで思考がボヤけてくる。話し合う歌仙や和泉守、同田貫の様子を見ていた一期一振は、思わず頭を振った。前任が、自分の不在の間にも本丸の独自機能を使えるようにと、一期たちに掛けていった呪だ。一部の過去を思い出そうとすると、記憶にモヤがかかる。
「……一期一振よ、疲れたのか?」
 不意に宗近に尋ねられて、一期一振はギクリとした。豊臣時代に共に過ごしただけあって、宗近は一期一振の変化にさとい。審神者に気を許したことを許すわけにはいかないが、心配されれば冷たい態度は取りにくかった。
「大事ありませぬ。ただ……」
「ただ?」
 宗近がコトリと首を傾げる。子どものような仕草だった。
 実際、子どもなのかもしれない。〈千糸〉本丸の刀剣は、いずれも顕現されてから七十年ほどを過ごしている。対して宗近は、三年前にヒョコリと本丸に現れた。どんな審神者に顕現されたのかも分からない。ただ、かなり浮き世離れしていて、本神に近い個体のようだ。三年前に勝手に肉体をえたのかもしれない。
「あなたや薬研が、無茶をするものですから。頭が痛くて」
「それはすまぬ。……しかしなぁ、主を戴かずこのままでいるわけにもいかないだろう。審神者を認めてやればよいのに」
「あなたはそうおっしゃいますが――」








つづく








ここからはオフ本の特殊嗜好を詳しく確認しておきたい方用です。

pixivのみの方、ネタバレが嫌な方は回避してください。



オフ本用特殊嗜好確認


★刀×主、主×刀、および3Pを含みます
(性描写はない場合でも、リバ発言があります)
R−18シーン内訳
1章目:男審神者×加州清光(ただし審神者が喘いでいる)
2章目:三日月宗近×男審神者×加州清光
3章目:加州清光×男審神者 からの 三日月宗近×男審神者+加州清光
   (このとき、三日月宗近総受けのリバ発言あり、行為はなし)
4章目:三日月宗近×男審神者

★三日月宗近×加州清光要素を含みます
男審神者とCPになるのとは別個体の三日月宗近と加州清光です。
具体的に言えば、男審神者の兄が顕現した二振で、加州が男審神者の初恋でした。


★加州清光に創作刀剣男士要素を含みます
上記別個体の三日月と加州が折れたとき、事情があって二振の破片と神気を混ぜ合わせて生まれて、男審神者が顕現しました。男審神者とCPになるのは、こちらの清光です。
姿、記憶ともに加州清光そのものですが、三日月宗近の神気が混じっているので、他の加州清光と個体差があります。また、真名が別にあります。