未来が目の前に現れる話
*監禁時、アキラとED3アキラが入れ替わったらシキの反応は





 その夜、シキがボロアパートの隠れ家に戻ると、「おかえり」という声があった。先日この部屋に連れてきた青年の声だった。名は、確かアキラと言っていたか。
 シキがアキラを拾ったのは、トシマの路上だった。連れ帰った無理矢理にアキラを抱き、男としてのプライドを踏みつけにする真似を繰り返している。そのためアキラはこちらに敵意を抱いていて、ことある毎に反抗的な態度を取った。とても、「おかえり」「ただいま」などと言葉を掛け合うような暖かな関係ではない。
 束の間、シキは戸口で立ち尽くしていた。すると、奥の部屋からひたひたと、裸足の足音が聞こえてくる。出てきたのは、アキラだった――だが、少し奇妙だった。
 アキラは、誰のものなのかシャツ一枚を素肌にまとっただけで、他には何も身につけていない。これには、さすがにシキも面食らってしまった。つい今朝方までは、抱いている最中にも「イヤだ」「やめろ」を繰り返し、屈辱感をにじませていたアキラが、いったいどんな心境の変化だというのだ。
「シキ、おかえり」
 やけに艶めかしい笑みを浮かべ、アキラが近づいてくる。まるで猫のようにすり寄って来ようとするので、シキはとっさに身を引いていた。
「どうしたんだ、シキ?」
「どうしたもこうしたもない。お前は……何だ?」
「何だって言われても、俺は俺だ。……あぁ、そうか。あんたは、まだ、俺がこうなることを知らないんだよな」
 一人で納得して、アキラは楽しげに笑った。置いてきぼりにされた気分で、シキは思わずアキラを睨む。すると、アキラは笑みに宥めるような色を加え、事情を説明した。まるで母親が聞き分けのない子どもに見せるような笑みをシキは不愉快に思ったが、ともかく、説明のおかげで事情は明らかになった。
 説明によると、アキラは数年後の未来のアキラなのだという。どうして数年後のアキラがこのトシマに現れたのかは不明だが、目覚めたらこの場にいたそうだ。そして、数年後のアキラは、この部屋の内装と外の風景から、ここがイグラ開催時のトシマだと気が付いた。
「現実では、考えられん話だな」
「別に信じなくともいい。俺はどっちでもいい」
「……お前が数年後のアキラだというなら、『現在』のアキラはどこへ行った」
「さぁ、知らないな。どこか別の時間にいるのかもしれないし、単に俺と交代してるだけかもしれない。……あぁ、俺と交代してるなら、大変だな。まぁ、今はシキが留守にしてるから、大人しくしてれば可哀想なことにはならないと思うけど」
「可哀想なこと? 何だそれは」
「セックスだよ。あんただって、嫌がるアキラを抱いてるだろ。俺のシキは、あんたよりももっとキツいことをする。昔の俺じゃ、狂ってしまうかもしれないな」
「……『俺の』シキ? 数年後も、俺はお前と共にいるのか。『俺の』とはどういうことだ」
「そのままの意味だ。……あんた、未来のこと聞きたいか?」
 そう言って、アキラは笑みを浮かべた。美しく艶めかしい――そして、知恵の実を食べろと唆す蛇を思わせるような微笑だった。
 シキは即座に首を横に振った。
「下らんな。未来を知りたがるなど、弱者のすることだ」
「あんたなら、きっとそう言うと思った」
 アキラは、どこか安心したように微笑んだ。


***


 とにかく、数年後のアキラがここに来た原因が分からない以上、騒いだところでどうしようもない。結局、今日はとにかく休んでしまおう、という話になった。
 シキは持ち帰ったソリドと水をアキラに与えたが、アキラは腹は減っていないと首を振った。
「お前は数時間ほどここにいたんだろう? 少なくとも、昼は食っていないだろうに」
「俺、元々あんまり食わないんだ。数年後の未来では、あまり動くこともなくて、腹も減らないから……」
「お前は痩せすぎだ。今のアキラの体格から考えると、お前の痩せ方は異常だぞ。そんなことでは闘えまい」
「そっか……あんた、今のこの時点では、俺のことを一人前に闘えるって、思っていてくれてたんだな……初めて知った」
 不意にアキラは一人納得して、ふと寂しげな微笑を浮かべた。しかし、シキがその表情に面食らって目を見張ったときには、寂しげな表情をさっとかき消して、何か考えついたような表情になる。
「そうだ、あんたが食べさせてくれよ。そうしたら、食べてもいい」
「どういう理屈だ、それは。何で俺がそんなことを……」
「いいだろ、別に。それとも、あんたは俺が餓死してもいいのか?」
「お前が餓死しようが、俺には関係ない」
 にべもなくシキが言うと、アキラは顔を曇らせた。その表情がしおらしすぎて、どうも調子が狂う。
 目の前にいる数年後のアキラは、確かにシキの知る現在のアキラとは様変わりしている。それは、姿だけのことではないようだった。こんな風にアキラが当たり前のように他人に擦り寄ってみせるなど、想像もできなかった姿だ。シキは、少しばかり残念に思っている自分に気がついた。
 これまで、弱い癖に反抗的なアキラの態度に苛立ちながらも興味を掻き立てられていた。しかし、数年後のアキラには、そうした部分が全く失われてしまっている。このアキラが言うには、数年後も己は傍にいるらしい。だとしたら、己はなぜ興味を掻き立てる部分を失ったアキラを傍に置き続けるのか……?
 考えてみても、シキには未来の自身の考えは理解できなかった。そこで、シキは先ほど未来など知りたくないとアキラに言ったことを思い出し、考えることを止めた。未来予想など、占い師にでもやらせておけばいい。深く考えなくとも、シキの気分としては、目の前の痩せ細ったアキラに食事をさせないという選択はなかった。現在の細身ながらも丈夫なアキラならともかく、数年後のアキラは一食でも抜けば、栄養失調で病気になるかもしれない。
「ここで飢え死にされては、面倒だからな」
 シキはソリドの封を切って、中身を半分ほど露出させた。そして、それをアキラへ向けて差し出す。
「心配性だな。俺はこれでも案外丈夫なんだけどな」
 そう言いながら、アキラは嬉しそうにシキの差し出すソリドに噛りつく。反抗的でないアキラは、やはり物足りない。けれど、信頼しきった様子で己の手からものを食べるアキラを見ていると、少しばかり和らいだ気分にるような気がした。


***


 アキラにソリドを与え、自分も食事を終えると、シキはアキラにもう休むようにと言った。すると、アキラは意外そうな表情をした。
「ヤらないのか?」
「『お前』に手を出す気にはならん」
「どうして」
「気が乗らん」
「あんたにも、そういうときがあるんだな。俺の記憶では、トシマにいた頃は毎日あんたに抱かれてた気がしたんだけどな」
 アキラは可笑しそうに笑った。その寛いだ笑顔に、束の間目を奪われる。シキは、ふと己の知るアキラの表情がごく限られていることに気付かされる。いつか、現在のアキラもこの数年後のアキラのように、己に笑いかけるときが来るのだろうか……。一瞬浮かんだそんな思考を、シキはすぐにふやけていると切り捨てた。
「とにかく、今日は大人しく休め」
 シキは部屋を出て行こうと踵を返す。と、そのときだった。腕を捕らえられ、ぐいと引き戻される。「何だ」シキは苛々と聞き返した。
「あんたも一緒に寝るんだろ」
「俺はいい」
「嫌だ。抱かないなら、せめてただ一緒に寝るくらいはいいだろ」
「お前」
 本当にアキラなのか? 思わずそう言いかけて、思い留まる。目の前の男は別人のようでいて、アキラだ。何となく確信があった。
 いつまでも幼稚な押し問答を続ける気になれず、とうとうシキは折れることにした。コートと手袋と靴を脱ぎ、狭いベッドにアキラに背を向けて入る。軽装になって寝転ぶと、自分がやけに無防備になった気がした。
「シキと一緒に寝るのは、久しぶりだ」背後から、アキラの嬉しげな声が聞こえる。「『俺の』シキも、あまり一緒に寝てはくれないんだ」
 それはそうだろう、とシキはこのとき初めて数年後の自分自身に共感した。数年後、己がアキラとどんな関係になっているかは分からない。それでも、己にとってどういう相手であろうと、無防備な姿を晒すわけにはいかないのだ。
 と、不意に背中にひたと暖かい身体が寄り添って来る。シキは一瞬驚きに息を止め、すぐに静かに吐き出した。
「俺は、随分とお前に気に入られているようだな。数年後、何がどうなってそうなるのか、知りたいとは思わん。ただ、不思議ではあるな……俺は『現在』のお前に親切にしてやっているわけではないのに」
「親切とか、そんな理屈じゃないんだよ。俺はただ……いや、言わないでおく。あんたは先のことを言うなって言うんだから。だけど、一つだけ」
「何だ?」
「この先何かを選ぶなら、あんたは、自分が最善と思う選択をしたらいい。俺は何度もいろいろ考えたけど、やっぱりそれが一番いいと思う。結局俺は、いたくてあんたの傍にいるんだろうから」
 話し続けるアキラの声は穏やかだが、どこか寂しげでもあった。そんなアキラの声音に、シキは妙に落ち着きのない気分にさせられる。それ以上聞いていたくはなくて、シキは「黙れ」と言いながら手を伸ばし、背中にくっついていたアキラを追い払った。そして寝返りを打って向き直り、腕の中にアキラを抱き寄せる。アキラは一瞬ギクリと身を強張らせたが、やがてシキの胸に顔を寄せると身体の力を抜いた。
 借りてきた猫のように大人しく眠るアキラは、妙に腕に馴染む気がする。何となくその体温を感じながら寝息を数えているうちに、いつしかシキは久しぶりの快い眠りに引き込まれていった。






***


 目覚めた瞬間、アキラは思わず声を上げそうになった。なぜだか目の前にシキの寝顔があったからだ。どうしてそんなことになったのか、全く見当もつかない。アキラはただ監禁されたこの部屋でぼんやり過ごしていて……そこから、シキが戻ってきた記憶はなかった。
 自分が眠っている間にシキが戻ってきて、ベッドに潜り込んだのだろうか?
 考えてみたものの、シキがそんなことをするとは思えなかった。なぜなら、シキは他人に隙を見せることを極端に嫌う男だ。況してやアキラがシキを憎んでいることは、本人も知っているはずなのだ。
 ――そうだ。今の無防備な状態のシキならば、殺してこの部屋から逃げ出せる。
 ふとそう思ったものの、アキラは眠るシキの腕の中から動くことができなかった。身を寄せ合った二人の体温で、ベッドはあまりに心地よい暖かさだった。それにシキの寝顔は普段より少しばかりあどけなくて、綺麗で、そしてあまりにも無防備だった。部屋の中はしんとしてあまりに静かで、この部屋だけが世界の全てのようだった。たとえ部屋を出れば世界があるとしても、シキを殺して逃れた自分を受け入れてくれるかどうかは危ういように思えた。
 殺意があっさりと萎んでいく。
 アキラはシキの寝顔をぼんやりと見守っていた。そうして、どのくらい経っただろうか。不意にシキが目を開けて、アキラを――目覚めているにも関わらず、アキラが拒絶もせず大人しく彼の腕に収まっているのを――見た。
「っ……!」
 突然のことに驚き、アキラはシキから離れようと、身体を起こして大きく後退した。が、場所は狭いベッドの上のこと。後退するべき場所はなく、アキラはバランスを崩してシーツと一緒にずるりとベッドからずり落ちてしまう。どすん、と間抜けな音が部屋に響いた。
「っ、う……!」
 強かに打ち付けた腰をさすりながら、アキラは床の上で起き上がる。その様子を、まだ寝惚けているのかシキはぼんやり眺めていたが、やがて口を開いた。
「その服……」
「うぅ……服が何だよ? いつもの服だろ」アキラは首を傾げながら、自分の着ている衣服を見下ろす。それはどう見ても、いつもと変わらないTシャツとジーンズだ。
「戻ったのか」シキは意味不明な呟きを漏らした。
「戻ったって、何が?」
「いや、何でもない。ほら、いつまでそうしている。いい加減、立ったらどうだ」
「好きで埃っぽい床に座ってるんじゃない。……立ちたいけど立てないんだよ、腰が痛くて!」
「受身も取れないのか、この雑魚が」
 そう言って、シキは見ている側が非常に腹の立つ馬鹿にしたような笑みを浮かべた。が、すぐにベッドから降り立って、「ほら」とアキラに向かって手を差し出す。掴まれ、ということなのだろう。一体どういう風の吹き回しなのか――アキラは不審に思ったが、その間もシキは手を差し伸べ続けている。
 おずおずと、アキラはシキの手を取った。シキの手は冷たくて、しっかりしていて――そして、力強くアキラの手を掴んでアキラを引き起こした。






2009/10/16

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