豆まきの話 その日、出先から数週間ぶりに戻ったシキが自らの愛妾に会いに行くと、城の奥の私邸は妙に騒々しかった。いったい何なのか。手近にいた使用人に尋ねると、節分の豆まきをしているとの答えが返ってきた。 (節分……? また、そんな大昔の行事をよくもまぁ……) 内心シキは呆れる思いだった。 城の敷地の奥にあるシキの私邸では、こうした年中行事がよく行われる。シキが私邸と庭の一部を除いて外には出るこを禁じている愛妾のアキラの無聊を慰めるため、使用人たちが催すのだ。今も私室へと入って行けば、アキラが使用人たちと豆まきをして遊んでいる光景に出くわした。シキはため息をつきながら、どう声をかけたものかとその光景を見守る。 アキラは今は白いワイシャツにジーンズを履き、動きやすい格好で鬼役の使用人に豆を投げている。きゃっきゃと楽しげに声を上げる様は、まるで子どものようだ。 しかし、とシキは思う。使用人たちはアキラのことを、シキによって狂わされ幼児化していると見なしているようだが、実はそうではない。アキラの狂い方はもっと異なる形をしているとシキは感じている。確かにアキラは子どものように無邪気に自分にすり寄って来るが、たとえば他の男を寝室に引き入れるとき、その男が自分に殺されるのを見るときなど、子どもらしい無邪気さは鳴りを潜めて鋭い棘のような狂気が姿を現す。そちらこそがアキラの狂い方の本質だとシキは感じていた。 やがて、豆まきをしていたアキラが戸口のシキに気づき、シキのもとへ駆けてくる。シキの前で立ち止まったアキラは口を開き――、 「お」 お帰り、といつも通りの台詞を口にするかと思えたが。 「……には外!」 いきなり叫んで、アキラはシキに豆をぶつけた。しかも、今は痩せ細ったとはいえアキラは元Bl@ster優勝者、その力は身体の衰えて見える今も生半可なものではない。びしびしとシキにぶつかった豆は、実はそこそこ痛かった。 帰還してすぐにこれではさすがにシキも面白くなく、愛妾を睨みつけて「帰還した主に向かってその態度か」と言った。が。 「主? 黙って俺を数週間も放置しておいて? 主が笑わせる。あんたはただの鬼だ。――鬼は外!」 「ほう……俺がまた出て行ってもいいのか? それならば、今度はホッカイドウのヴィスキオ支部の視察に一週間ほど出かけるとするが」 「……それでも、あんた俺の所有者かよ」 「俺はただの鬼なのだろう? お前がそう言ったはずだが」 「あんたな、……」 アキラは普段より反オクターヴほど低い声を出す。今でこそ囲われ者だがやはり元Bl@ster優勝者というにふさわしく、その声はなかなか凄みがかっている。その迫力に普段のふわふわした雰囲気のアキラしか知らない使用人たちは、怯えて顔を強ばらせた。 しかし、シキは馴れているので平然と、次のアキラの出方に心づもりをする。 「あんた……数週間連絡もしないでおいて、その態度かよ!!」 と、アキラは手にした容器から豆を一掴み握りしめ、跳びかかってくる。豆を握りしめることで威力を増した左ストレートが、真っ直ぐにシキの顔面を襲う。シキは身軽にバックステップしてそれをかわし、右手でアキラの拳を受け止めた。 ぱしっと小気味のいい音が響く。 しかし、それでもアキラは止まらなかった。拳を押さえられているというのに、勢いのままアキラはシキに向かって体当たりしてくる。アキラの身体をかわすことは、シキにはたやすい。ただ、そうするとシキがアキラの拳を掴んでいるために、手首を捻って怪我をする可能性がある。瞬時に判断して、シキはぶつかってきたアキラの身体を受け止めながら、背中から後ろに倒れた。 馬乗りになったアキラは、シキに掴まれた左手を自由にしようとしきりに身動きする。そこで、シキはいったんアキラの拳を離して手首を掴み直し、力を込めて握った。 「くっ…………!」 痛みにアキラが拳を開き、ばらばらと豆が落ちていく。それでもアキラはシキにつかみかかろうとしている。シキはその反動を利用して体勢を入れ替え、アキラの身体の上に乗り上げた。 「主に襲いかかるとは……お前には仕置きが必要だな」 シキはアキラを見下ろして殊更冷たい表情と声で言ったが、ふっと表情を緩めて顔を寄せた。その動きに、しきりに身動きしていたアキラも苛立ちを削がれた様子で、次第に大人しくなっていく。シキは大人しくなったアキラに更に顔を寄せ、額を触れあわせた。 ――おかえり、シキ。 ようやくアキラは小声で言い、甘えるように唇を寄せてくる。シキはそれに応じながら口づけの合間に顔を上げ、その場に立ちすくむ使用人たちに出ていくように目で合図した。使用人たちは心得たもので、黙って速やかに部屋を出ていく。 ぱたん、と部屋の扉の閉まる音が響く。ほぼ同時に、シキはアキラの身体を柔らかな絨毯に押しつけ、首筋に顔を埋めた。 2010/02/02 |