あけましておめでとうの話
目覚めたとき、アキラは傍に誰かの体温があるのを感じた。 いや、傍にあるどころではない。しっかりと、その誰かの腕の中に抱き込まれてしまっている。密着した部分からは穏やかな温もりが伝わってきて、心地よさに意識が再び眠りへと引き込まれていきそうになる。 けれど、アキラは何とかして目を開けなければ、と眠りに引き込まれそうになる意識の片隅で抵抗を試みた。気になることがあったのだ。自分を抱き締めているこの腕は、一体誰のものなのか。 このところ、シキは忙しくてアキラの元に来ない。昨夜ももちろん帰ってこなかった。 そんな風にシキがあまり長く<城>を不在にすると、腹いせに<城>のその辺にいる男を誘うのがアキラの常だ。シキの他の男という可能性がないわけではないが、アキラの決めたルールで他の男とは遊ぶだけにしている。今まで何人もの男に抱かれたが、共に眠ることまで許したことは一度もない。あまりに無防備すぎるからだ。裸で抱き合って身体の奥にまで男を受け入れておいて「無防備」というのも今更だが、他の男とセックスはできても眠ることは怖かった。また、大抵の男はセックスさえしていればよく、共に眠ることを要求されたことはない。 だから、アキラは昨夜いつものようにがらんとして広い寝室の無駄に広いベッドの上で、一人眠りに就いた。そのはずだ。 重たい目蓋を無理やりこじ開けると、すぐ傍に綺麗に整った顔が見えた。シキだった。 目を開けたはずなのに、まだ自分は夢を見ているのか、とアキラは思った。だって、昨日世話係の女に尋ねたとき、シキはとても遠い土地にいると言っていた。とても遠いので1日程度では戻れないが、1月1日の午後には何とか戻ってくるのではないかということだった。 そうやってシキが無理をしてでも戻ってくるのは、1月2日に<ヴィスキオ>の構成員への祝賀の儀があるからだ。決して休暇ではなく、むしろ休暇も取れないほどに多忙であるから、シキはまたアキラに構いもせず<城>を出て行くだろう。そんなパターンが目に見えていた。シキは平気でそういうことをする。だから、アキラはシキの寝顔を目の当たりにしたときも、信じられなかったのだ。 たとえ夢だとしても、シキが傍にいるのは貴重だ、とアキラは感じた。 そう思った自分が空しくなったが、とにかく目を閉じてしまうのは勿体無かった。だからアキラはしばらくシキの寝顔を見つめていたが、やがてそれだけでは飽き足らなくなって、おそるおそる手を伸ばし、シキの頬に触れた。滑らかで、温かい。指先を唇へ移動させると、柔らかな感触と湿って温かな吐息を感じた。 シキの唇に触れながら、アキラはこれが夢だったらどうしようか、と真剣に考えた。 こんなリアルな夢を見るほどに、シキを必要としている。 なのに、目覚めれば、ベッドの上に一人きり。 そんな現実を噛み締めるくらいなら、夢の世界ごと自分も消えてしまいたい。 そんな風に思いながら、アキラは触れるだけでは飽き足らなくなって、シキへ顔を寄せる。シキの唇に自分のそれを触れ合わせて、かるく表面を啄ばみ、一旦離れる。すると、シキがぱちりと目を開けた。 「俺を玩具にして遊んでいるのか」 「…ちがう。夢じゃないか確かめてた。だって、昨日俺が眠ったときには、いなかったじゃないか」 「さっき帰ったばかりだ。そうだな…まだ2時間ほどしか経っていない」 「何で無理して帰ってきたんだ。今日の午後でも祝賀の儀には十分間に合うのに」 「別に。ただゆっくりしたかっただけだ。――アキラ、後で遊んでやるから、今は大人しく寝かせろ」 邪魔をするなと言う割りに、シキのアキラを抱き締める腕は解かれる気配はない。おそらくこの場にいて一緒に寝ろということなのだろう。目が覚めたばかりだが、まぁいいか、とアキラは思った。一緒に眠るのは、シキ以外は嫌だ。こればっかりは<城>にいる男を誘って代用することはできないので、堪能できるときにしておいた方がいい。 アキラがシキに身を摺り寄せると、シキの手が気まぐれに髪を梳いた。 これでいい。というか、これがいい。そうアキラは感じた。 「――そういえば、シキ」 「何だ」 「あけましておめでとう。って言っても、俺はずっとここにいて時間の感覚もないから、何か年が変わった感じはしないんだけど」 「所詮今日は昨日の続きだからな。年が変わったからといって、世界が変わるわけでもない」 「あぁ、そうだな」とアキラは頷いた。 世界が新しくなる瞬間というのは、もっと静かでもっと劇的だ。 アキラがそれを目にしたのは、今までに一度だけだ。今にして思えば、nの血を啜ってnicolウィルスを手に入れたシキが目の前に立った瞬間こそ、アキラの世界が変わったときだった。もっとも、あのときはそうとは気付かなかったけれども。 あのときからシキは、アキラの世界の全てになった。本当は、こんな<城>も、いい暮らしも、何も必要ない。シキだけがあればいい。そう――今このときのように。 触れ合った身体から伝わる体温の心地よさに、アキラの意識はまた眠りに引き込まれ始めていた。もう少し話していたかったのに、と少し残念に思いながら、アキラは最後の気力を振り絞って声を発した。 「――シキ…俺が寝てる間に…いなくならないで…でないと、シキがいたこと…夢だったみたいに思うから……」 「心配するな。黙っていなくなったりはしない」 返ってきた返事に安心して、アキラは今度こそ意識を手放した。 2009/01/01 |