星を見る話






 アキラは宿の外の階段に腰を下ろし、シキを待っていた。
 季節は晩秋。夜の外気は冷え冷えとして、衣服を通しても尚じわじわと体温を奪っていく。アキラは身を縮めながら、少しでも暖を取ろうと自販機で買った缶入りのコーンポタージュを一口啜った。
 寒い。
 今日の寝床を得ようと宿へ入っていったシキは、なかなか出て来ない。この辺りは辺鄙な土地で、他に宿はないらしいから、こみ合っているのかもしれない。
 アキラはぼんやり空を見上げながら、今日は野宿かもしれないなと思った。
 夜空には、星が幾つも輝いている。いつもは街中にいることが多く、ネオンに邪魔されるせいだろうか。これほど綺麗な夜空を、初めて見た気がする。アキラは束の間、寒さを忘れて星を眺めていた。

「アキラ」

 不意にシキの声か聞こえた。アキラは立ち上がり、振り返った。シキは玄関を出て階段を降りてくるところだった。
「宿は?」アキラは尋ねた。
「満室だった」シキが答える。
「そうか。野宿しかないな」
 階段を降りきったシキは、アキラの隣りに並んだ。「やけに熱心に、何を見ていた?」尋ねるシキに、ポタージュの缶を渡す。
「星だ」
「この寒さの中で、呑気だな」
 シキはそう言って、受け取った缶に口をつける。言葉そのものはアキラの呑気さを非難しているかのようだが、声の調子には面白がる響きがあった。
 多分、笑っている。シキの顔は街灯の明かりからは影になっていたが、表情が見えなくてもアキラには分かった。一見いつもの無表情とあまり変わらないように見える、しかし、実はかなり貴重な微笑。その表情が脳裏に浮かび上がってくる。
 そのときシキが呟いた。
「しかし、まぁ、お前が目を奪われるのも分かる。街中では見ることのできない、美しい星空だ」
「あぁ。こんな綺麗な星空は、初めてかもしれない」
「第三次大戦で破壊された環境も、近頃は改善してきていると言うからな。……しかし、そうか、お前はろくに星も見たことがないのか」
「あんたはあるのか?」
「ごく幼い頃にな。……あれが北斗七星。それからカシオペア、オリオン……」
 シキは空に手を差し伸べ、指先で星を辿り、つないでいく。夜空に絵を描いているかのようだ。
 一瞬、シキが自分には手の届かない存在になったように思えて、アキラはシキのコートの袖をつかんだ。当然ながら、手は届いた。
 唐突なアキラの反応に、シキはちょっと驚いたように振り返った。しばらく考えるような間。それから、シキは何を思ったか、缶のポタージュを差し出した。
「やはりお前は色気より食い気だな。そう慌てなくとも、ポタージュくらい返してやるものを」
「……あんたなぁ……」
 あまりにあまりなシキの勘違いに、アキラな言葉を失った。シキにとって、自分はそこまで食い気ばかり盛んなイメージなのだろうか。食べ盛りの成長期はとっくの昔、シキが『眠り』に就いた頃くらいで終わっているのだが。
 しかし、ここで反論して、わざわざ雰囲気を深刻にする必要はない。シキが消えるイメージはシキの長い眠りの名残だということを、アキラは理解していた。そして、いまだにあのシキの眠りの期間のことが、自分とシキにとって、暗い記憶だということも。
 アキラは大人しく缶を受け取った。中に残ったポタージュを飲み干し、「行こうか」とシキに声を掛ける。
「今日は野宿だが、この辺りには街中のような廃ビルもない。せめてマシな寝床が見つかることを祈っておけ」
「どこだっていいさ、俺は。……あんたがいるから」
 アキラはそう言い、言ってしまってから照れ隠しに笑った。




2010/09/05


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