光の海 *シキが国家元首になった後、アキラが秘書になる前の話。 *シキが手を出さないのでアキラがキレる話からほんのり繋がっていますが、単品でもOKです。 「――できません」 アキラは苦しげに、その言葉を吐き出した。もう何度か同じやりとりをしているせいか、シキはアキラの返答にも無表情を保っている。そんなシキの態度に、アキラは戸惑いを覚えた。 おかしい。 これまで、シキはアキラにだけは自分の考えを隠さなかった。シキはわかりにくい男だが、わかりにくいなりにもアキラにははっきりとものを言っていた。今のように互いの意見が食い違う場合には、出会った初期は力づくで、近頃は言葉を尽くしてアキラを説得しようとした。 しかし、今、シキは彼の意に反するであろうアキラの返答を淡々と聞いているだけだ。紅い双眸には何がしかの感情の色も見えるのに、シキはその感情をぶつけて来ないのだ。 自分はシキを怒らせてしまったのかもしれない。見込みのない奴だ、とシキに思われてしまったかもしれない――。アキラはうろたえ、反射的に自分の返事を取り消そうかとさえ思った。が、すぐに考え直す。 シキの今回の要求は、決して一時の情に流されて受け入れていいようなものではない。大げさに言うなら、ニホンという国を左右しかねない問題なのだ。 「――アキラ。今日はもう、退がっていい。明日は休暇だったな。……このところは忙しかった、明日はゆっくりするがいい」 「はい。ありがとうございます……」 アキラは深く頭を下げた。 明日は確かにアキラは休暇を取っている。それも、シキと合わせて。いつもなら、二人の休暇が合った日は一緒に過ごすのが常なのだが、今回シキはアキラを誘おうとはしなかった。アキラの方も、今シキが発している近寄りがたい気配に、誘いの水を向ける勇気が出るはずもない。 怒らせた、どころか――嫌われたかもしれない。暗い気分になりながら、アキラはシキの執務室を退室した。 事の始まりは、三ケ月前のことだ。 日興連とCFCによる内戦の開始で旧祖の脱出を余儀なくされたシキとアキラは、日興連軍に身を寄せていた。二人は軍の組織の中で昇進していたが、シキの目的はもちろん、軍人としての栄達だったわけではない。 シキはもっと遠いところを見ていた。即ち、過去の大戦を引きずり、二つに分かれて争うばかりの日興連とCFCを潰し、新たな国を作るということを。そうして、とうとう三ヶ月前、クーデターを成功させたシキは、まず日興連を支配する。その後、間を置かずしてCFCを攻め落とし、シキは東西統一後のニホン国国家元首の地位に上った。 すぐに新たな国と国家元首の元、戦争の焼け跡からの復興が始まった。街が整備され、建物が再建され、新たな国を動かすための組織が作られた。シキは軍の最高指令官であると同時に国家元首として、様々な政務をこなすようになった。 シキは多忙を極めた。 いくらシキがニコルの完全適合者であり、超人的な能力を持つとはいえ、一国の政務を独力で行えるはずもない。そのシキを補佐するための役職は、軍の中から任じられることとなった。 もちろん、日興連時代から長くシキの副官であったアキラも、クーデター直後から既にシキの政務の補佐に携わっている。とはいえ、特にこれという役職に就いていたわけではない。そんな状況で、シキが最近になってアキラにある地位に就くように言い始めた。 その地位とは、ニホン国総帥の秘書。 秘書になるかと打診されたアキラは、当然ながら後込みをした。というのも、これまでのような軍人であるシキの副官と、国家元首の秘書とでは、役割の重さが違う。副官のときと違い、国家元首の秘書ともなれば、政治・経済を熟知して臨機応変にシキを補佐しなければならない。それだけの学歴や経験などが自分にはないことを、アキラは承知していた。 誰よりもシキの傍にいたい、とアキラは思っている。そのために、シキにふさわしい人間になるとシキ本人に誓いもした。けれども、国家元首の秘書というのは一国の問題になるかもしれず、とても自分の願いだけで頷くわけにはいかなかった。 ――だって、どうしようもないじゃないか。 途方に暮れた気分で、アキラは眠れぬ夜を過ごした。 その翌朝。アキラは朝、一人で部屋を出た。気分は決して上向きではなかったが、一人で部屋の中にいると鬱々として、余計に落ち込んでしまいそうだったのだ。 今、ニホン国総帥府は、一時的に日興連政府の建物を利用している。シキはいずれはトシマに総帥府を据えるつもりでいるが、旧祖の一体はまだ復興中なのだ。そのため、シキもアキラもニホン中を飛び回ってはいるものの、住まいは今も『西側』にある。 (出てきたはいいが、どこへ行こうか……?) 寮の前を歩きながらぼんやり考えていると、不意にクラクションの音が聞こえた。不思議に思っていると、どこにでもあるようなごく普通の車が傍に寄せられた。運転しているのは――シキだった。 シキは眼鏡を掛け、地味なごく一般人のような服装をしている。まとう気配も普段より覇気を抑えているらしい。アキラだからこそすぐにシキと気づいたが、他の人間ならばよく見なければ分からないかもしれない。いかにもお忍びという様子だ。 アキラは驚き、目を丸くした。そんなアキラにシキは面白そうに笑んで見せる。窓ガラス越しに、シキの唇が「乗れ」と動いた。 わけが分からないままに、アキラは車に近づいた。おずおずとドアを開け、助手席に乗り込む。 「……総帥……」アキラが言う。 「シキだ」シキが訂正する。 「え? あの……」 「今はプライベートだ。無粋な呼び方は止めろ。……今日、予定はあるか? 出かけようとしていたようだが」 「いえ……。ただ、ぶらぶらしていただけで……」 「そうか。ならば、俺に付き合え」 昨日のぎくしゃくした雰囲気が嘘のように、シキはゆったりした様子で尋ねる。その雰囲気の柔らさに、どこか安心した気分でアキラは頷く。 「分かりました。ですが、どこへ?」 「――それは、行ってみての楽しみとしよう」 楽しげに言って、シキはハンドルを切った。車は滑るように走り出し、スピードを上げて進んでいく。 二人は車内で黙りがちだったが、決してそれは気詰まりな沈黙ではなかった。アキラは、温かな湯の中で微睡むような安らぎを感じていた。いつになく穏やかな表情のシキも、おそらくそうだっただろう。口を開けば政務とも何も関係ない、他愛のない話ばかりした。 やがて、車で走り続けた道の先に、海が見え始めた。凪いだ海面に太陽の光が降り注ぎ、きらきらと光を反射している。 その光景に、アキラは息を呑んだ。ここ数日、内へ内へと向かっていた心が、すっと外に開かれた気がした。胸の中の鬱々としたものが、海のきらめきに吹き飛ばされていくかのようだ。 ――セトの海。 この穏やかな海の傍にある墓地のことを、アキラは思い出した。そこには、新しい国を作るというシキの志に殉じていった者が幾人か葬られている。じわりと目元が熱くなり、思わず目を閉じた。すると、目蓋の裏側に死者たちの顔が浮かんでは消えていく。 (――彼らの想いも引き継いで、俺はここにいるはずなのに) それなのに、十分にシキを支えることもできずに鬱々としているなんて。悔しさと死者たちへの申し訳なさがこみ上げてきて、アキラは自分の指先を握りしめる。 やがて、シキは海べりの人気の少ない道路で車を止めた。二人は連れだって外へ出る。爽やかな潮風が吹いてきて、二人の髪や衣服を軽やかに弄ぶ。 「――アキラ」と、不意にシキが声を発した。「お前を俺の秘書にと望むことがお前を困らせると、分かっていた。お前が自分にはふさわしくないと言う言い分も、よく分かっている」 「シキ……」 「だが、それでも俺はお前を秘書にと望まずにはいられない。なぜならば、最も心を許せる者はお前だからだ。俺は他の人間には甘えられないが、お前にならばそれができる」 「でも、いつも甘やかしていただいているのは、俺の方です」 アキラが答えると、シキは振り返って少し笑った。苦笑のような笑みだった。 「俺がそう思わせているだけだ。実際には、お前の方が俺を甘やかすのが上手いのだがな」 「そう、でしょうか……?」 「あぁ。……それはともかく。お前は自分に国家元首の秘書としての能力はない、という。学歴と経験のある者を選べ、と。しかし、俺が目指すのは全く新しい国だ。今までのニホンの政治を知る人間なら務まる、とも思えない。――俺がお前を秘書に望むのは私情からだ。だが、今のニホンの国民が知らない新しい国を作るのには、知識や経験以上に俺と苦楽を共にできる相手である必要がある」 淡々と語ったシキは、そこで不意にアキラを抱き寄せた。アキラの肩に顔を埋め、きつく縋りつくような抱き方だった。 「アキラ」と、シキは呻くように低い声を発した。「とにかく、俺にはお前が必要だ。お前がいてくれれば、この国を背負う重みに耐えることができる。だから――」 秘書として、公私共に傍にいてほしい。 その言葉に、アキラは自分の中で覚悟ができていくのを感じた。確かに、秘書は学歴も経験もない自分には不相応な役目だ。それでも、シキがこうも必要だと判断するならば、できるところまで秘書をやってみよう、と。 アキラはシキの背に腕を回し、そっとあやすように撫でる。そうしながら、静かに告げた。 「分かりました。秘書として、あなたの傍に――」 2011/01/10 COMIC CITY 大阪82 NIGHT FES 2 ペーパーラリー配布ペーパー没案 |