シキが眠い話 *TV版終了後からこの話までの経緯については、『前提』ページを参照のこと。 このところ、どうも眠りが深いようだ。 シキはほんの少し困惑していた。ついこの間まで、シキにとって『眠り』とは、コントロール可能なものだった。その気になればどこでも眠ることができ、また、必要とあればすぐに目覚めることができる――そういう風に己を訓練してきた。 しかし、このところ、なぜか眠りすぎてしまう。起きてみると起床予定の時刻を過ぎていたり、眠っている己に近付く他者――専らアキラなのだが――の気配を察知できなかったりということが多いのだ。思えばこの症状は、放浪の生活を止めてアキラと共に一所に身を落ち着けてから出始めたように思う。 いったいどういうことなのか……。 「……キ。――シキ! あんた、寝起きでいつまでぼんやりしてるんだよ?」 不意に聞こえたアキラの声に、シキははっと顔を上げた。見れば、昨夜同じベッドで眠りに就いたはずのアキラは、いつの間にか起きてすっかり身支度を済ませている。 「あんた、今日は仕事の依頼があって出かけるって言ってただろ? そろそろ起きた方がいいんじゃないか?」 「あぁ……起きる」 シキは頷いた。着替えの衣服に手を伸ばせば、アキラが手渡してくれる。着替えを始めるシキを見ながら、アキラは感心した声で呟いた。 「それにしても、あんた、最近、本当によく眠るよなぁ」 その夜。シキは久しぶりにある街の安宿で、一人ベッドに入った。 基本的に裏の仕事を請けるのは、シキ一人だ。アキラは今ではごく普通のアルバイトをして、生計を立てていた。そのため、こうしてシキが裏の仕事で遠出するときは、自然とアキラをアパートに残してくる形になる。もっとも、二人が小さなアパートに身を落ち着けてからまだ一ヶ月と経ってはいない。トシマを出て放浪を始めて以来、離れ離れになるのはこれが初めてのことだった。 一人寝のベッドの上で、シキは妙に居心地の悪さを感じた。アキラが眠る自分の傍らにいない――ただそれだけのことが、小石を噛んだような微妙な違和感となっている。だが、アキラがいないからといって、何なのか。これまで己は一人で生きてきたではないか。シキは違和感を無視して眠りに就くよう努めた。 眠りはすぐに訪れた。かつての訓練の賜物だ。 その眠りの中で、シキは夢を見た。ニコルウィルスの保菌者となった後、アキラが再び己の前に現れる以前の夢だった。夢の中で、己は一人。崩れかけた廃墟の最中で、ラインをばら撒き、己に向かってくるライン中毒者を斬り殺す。何度も何度もそれを繰り返し、出来上がった死体の山の上に佇んでいる。 屍を玉座にする王(イル・レ)。 治めるべき領地も民も持たない。闘うべき宿敵すらいない。 廃墟の中に、たった一人――。 「っ……」 夢の半ばで、シキは目を覚ました。ベッドサイドの明かりを点けて確認すると、まだ起床予定の時間には間があった。こんな風に休眠の途中で目覚めることなど、珍しい。 シキはため息をつき、起き上がった。最早、続けて眠る気にはなれなかった。 多少、夢見が悪かったものの、その程度のことはシキの仕事ぶりには影響しない。シキはさっさと依頼を片付けて、アキラと暮らす己のアパートへ戻った。アパートに帰り着いたのは昼下がりで、アキラは部屋にいた。たまたま、アルバイトの休みの日だったのだ。 「おかえり、シキ。早かったな」 シキの顔を見ると、アキラはそう言って微笑した。春の日向のように穏やかな微笑だった。アキラの顔を見ているうちに、シキは唐突に己が疲れていることに気付いた。同時に、強烈な眠りへの欲求にも。 「アキラ」 シキはコートを脱ぎ捨てるのもそこそこに、アキラの腕を掴んだ。突然のことで、アキラがぎょっと顔を強張らせた。「シ、シキ……? どうしたんだ……?」おろおろと問いかけてくる。 そんなアキラの問いも無視して、シキはアキラを居間へ引っ張っていった。居間は南に面していて、ちょうど春先の昼下がりの暖かな日差しが差し込んでいる。その陽だまりの中に、シキはアキラを押し倒した。 「ちょっと待て! あんた、昼間から何を……」 何をどう思ったのか、アキラがじたばたと暴れ出す。そんなアキラをシキは抱き締めて腕の中に閉じ込めた。「眠い」と一言言えば、アキラは驚いた顔をして暴れるのを止める。 「は? あんた、何言って……」 「眠い、と言っただろう。俺は少し眠る。付き合え」 「……それって、俺が付き合う必要があるのか?」 「ある」お前が傍にいると心地よく眠れるのだ、とはシキは言わなかった。どうしてか言えなかった。 それでも、アキラは何かを察したようだった。ふと柔らかな笑みを浮かべ、シキをそっと抱き返してくる。「仕方がないな」と子守唄のような声で呟いて、アキラはシキの背を撫でた。 その優しい手つきと温もりを感じながら、シキは眠りに引き込まれていった。 2011/02/27 |