初めての話 殺伐→ラブラブ→コミカルとテンションの一定しない話です。 もしかしたら、少し下品かもしれません。 何と注意書きしていいか分かりませんが、下品方面で苦手な方は回避してください。 勝利が全て。勝者は敗者を思い通りにできる。生かすも、殺すも、どんなことでも。 分かっていたはずだった。トシマにいた頃からの、それがルールだ。社会と法を突き破ってしまった俺たちを縛る、唯一の倫理規範。 それでも、俺は心のどこかで自分が本当に敗者になることはないと思い込んでいたのかもしれない。だけど、俺のように生きてる連中は――裏の世界の住人は、たいていがそんな風だ。そうでなければ、やってられない。 きっと、みんな窮地に陥ってから気付くのだろう。自分が如何に細いロープの上で綱渡りしていたのかということを。今回は、綱渡りに失敗したのが俺だったというだけのことだ。 俺は恐怖と絶望の中でそう悟った。 *** シキに負けた。 俺は敗者となった。勝者であるシキには、俺を好きに扱う権利がある。更なる屈辱を与えるつもりなのだろう、シキは俺を果たし合いのその場では殺さなかった。 腕を捕まれ、手近な廃墟に引きずり込まれる。 廃墟の中を進むと、奥の部屋にソファがあった。勝手知ったる様子からして、シキはこの場所を一時の塒と定めていたのだろう。薄暗い中でも過たず、俺をソファの上に突き飛ばす。 ギィと錆びたような音を立てて、ソファのスプリングが軋んだ。おまけに埃臭い。暗くてきちんと外観は見えないが、ソファは相当に傷んでいるらしかった。廃墟に放置されていたなら当然だ。 俺は顔をしかめながら、上体を起こした。ギィとまた、ソファが泣く。これから自分の身に惨禍が降り掛かるであろうときに、身体を支えていてくれるのが傷みきったソファだけだというのは、どうにも不安定な気分だった。本当は、もはや敗者の俺に、自分の置かれている環境をどうこう言う権利はない。だが、下らない考えにでも耽っていなければ、恐怖に発狂しそうだった。 シキは、怯えを必死に押し隠そうとする俺を、見透かすような目で見下ろしていた。 「俺をどうするつもりだ?」 思わず出した声は、ひどく掠れていた。 「決まっているだろう、敗者の運命など」 シキは皮肉げな声音で応じて、ぐいと顔を近づけてきた。薄闇の中、白い貌がやけにはっきりと浮かび上がっている。彼は俺の肩を掴むと、ぐぃとソファに押しつけた。ほんのわずか、意味ありげに漂った指先が、俺の咽喉もと――インナーのジッパーにたどり着く。その手つきで、俺はシキが何をする気なのかを悟った。 殺すのではない。傷つけるのでもない。 陵辱して、心まで屈服させる気だ。 気づいた瞬間、脳裏にトシマで見た光景が蘇ってきた。廃墟の中、敗者の死体を犯す勝者の姿。対等の立場で闘ったというのに、敗者は労われることもなく、死の安らぎすら侵されて、尊厳を奪われる。なんとおぞましいのだろう。 「っ……」 ひゅっと意思に反して咽喉が鳴った。力で敵わないならば、せめて精神だけでも昂然としたままでいたいと思うのに、上手くいかない。俺は強い恐怖を感じていた。理性や精神力ではどうすることもできない、本能的な恐れだった。 シキは俺の腕をまとめて押さえつけると、インナーを寛げていった。次いで、下肢を覆うパンツのジッパーも下げ、下着ごと引き下げてしまう。肌を無防備にシキに晒す格好となった俺は、ひどい羞恥心と覚束無さに身を縮めた。 不安だった。しかも、この不安ときたら、今までに感じたことのない独特のものだった。言ってみれば、何の備えもなく肉食獣の前に放り出された気分というところだろうか。身を守るものもなく、ただ餌食になるのを待つしかない状況に居ても立ってもおれず、叫びだしたくなった。 性行為を行うにも関わらず、シキの手つきはひどく事務的だった。彼は俺の衣服を必要なだけ乱すと、肩を掴んでくるりと反転させた。俺はソファに縋り、背後からシキが覆い被さる姿勢になる。すぐに背後でシキがジッパーを下げる音が聞こえてきた。想いを確かめる、快楽を得るのでもなく、ただ屈服させるためだけの行為に、それは相応しいやり方だった。 「嫌だっ……」 身を捩ると、シキは一瞬、動きを止めた。どうするつもりなんだ? シキの出方を伺っていると、腕の拘束が解けた。ほっと息を吐こうとした刹那、肩に手を掛けられ、くるりと身体を反転させられる。選択の余地もなく、俺はソファに顔を埋める姿勢になった。 「っ……! げほっ、ごほっ……」 ソファの埃を吸い込んだ俺は、思わず咳込んでしまった。ひとしきり、咳をしたところで息を吐いたときだ。ジッと背後で音がした。おそらく、シキが自身のジッパーを引き下げたのだ。 俺はいよいよ恐怖に、わけが分からなくなってしまった。シキに犯される。ずっと、追い続けていたシキに。そのことに俺はひどいショックを受けていた。 なぜだろうか。俺はシキを憎悪していたつもりだったが、心のどこかで信じていたのかもしれない。シキは素晴らしい男で、自分が生命を掛けて倒すに相応しい相手なのだ、と。敗者に対して、シキは弱いことを蔑みはするだろうが、魂まで貶めるような真似はするまい、と。 不意に俺は悔しさを感じた。俺を犯して魂を貶めることで、シキが彼自身の高潔さを汚すことになるのが、ひどく哀しかった。 「やめろっ……! シキ、やめてくれ……。あんたは、俺だけでなく、自分自身の価値まで汚すことになるんだぞ! 頼むから、こんなこと、やめてくれ……」 俺は虚勢を捨てて、懇願した。熱い涙が目の縁から溢れ出した。おかしな話だが、自分のために抵抗したときには出なかった涙は、今では止めどなく流れ続けていた。 やがて、俺の啜り泣きの声に紛れて、ほぅっとため息が聞こえてきた。 「……それでも――自分の価値を汚すとしても……俺は、お前を自分のものにしたいのだと言ったらどうする」 シキは低く押し殺した声で言った。俺に聞かせようとするような、それでいて、ただの独白にすぎないような、曖昧な口調だった。けれど、シキがどちらの意図で言ったにせよ、俺は聞いてしまった。 言葉が少し遅れて脳に達し、意味を理解する。途端、俺は自分の頬にカッと血が上るのを感じた。悔しさから一転して、くすぐったいような気分になる。シキの要求への答えは、自分の今のこの気分にあるのだと、俺はふと悟った。 「あんたがそう思うのなら、好きにすればいい。あんたは勝者だ」それから俺は小声で付け加えた。「……ひどくしないなら、合意の上でだってことにしてやってもいい」 シキははっと息を呑んだ。暗闇の中でも、彼が驚いている気配が伝わってきた。 「馬鹿が。敗者が注文など付けられると思うのか? ……優しくなど、せんからな」 そうは言うものの、シキの声音は今まで聞いたこともないくらい、柔らかかった。 すぐにシキは行為を再開した。けれど、彼の手つきは先ほどとは、ガラリと変わっていた。 シキは俺に浅い戯れのような口づけを繰り返しながら、肌の上に指を滑らせた。さらさらと腹部を辿っていた手が胸の突起にたどり着き、撫でたり押しつぶしたりする。くすぐったさに俺は身を竦めた。そんな部位で男が感じるはずはないと思ったが、口づけが次第に深くなっていく頃、気がつけばそこに淡い快感のようなものが生じていた。 「んっ……」 俺は思わず小さく身動きをした。と、シキの唇が俺の唇から離れ、首筋を辿り始めた。あっという間にシキは胸にたどり着き、刺激に立ち上がった胸の突起を口に含む。その部位に温かく湿った感触を感じて、俺はいよいよ恥ずかしさに声を上げた。 「シキっ……! やめてくれ、そんなこと! ……っあ……」 「……こういうことに慣れていない様子だな。セックスは初めてか、アキラ?」 顔を上げたシキが尋ねる。そういうことを聞くって、どうなんだ。俺は羞恥と、ほんの少し腹立ちも感じていて、シキの質問に答えなかった。俺の態度でシキも真実を悟ったらしく、短く忍び笑いを漏らしただけだった。 追求の代わりといわんばかりにシキは、手の動きを再開した。するすると下腹部へ滑り降りたシキの手が俺の性器に触れる。そこはほんの少しだけ、兆し始めていた。シキはそこに指を絡め、巧みに俺を追い上げた。 性器はあっという間に勃ち上がり、先端から滴が溢れ出るまでになった。シキは先走りを指で掬い取り、俺の足の間の更に奥――後孔に触れる。表面を揉むように押されると、さすがに少し気持ち悪くて身が竦んだ。 「怖いか?」シキが俺の頬に唇を触れさせながら、尋ねる。 あぁ、怖いとも。あんたに浸食されたら、俺はどうなってしまうのだろう。そう思うと、不安で仕方がない。けれど、同時に俺は、シキの目に宿る熱にひどく惹かれてもいた。普段は強い意思を宿す彼の目に映るものを、自分だけにしたいという強い欲求を感じていた。 だから、言った。 「怖い。だけど、あんたが欲しい」 その瞬間、シキは覆い被さってぎゅっと俺を抱きしめてきた。どこか縋り付くような包容だった。 シキはすぐに身体を離し、慎重に俺の身体を解し始めた。初めての俺はなかなか他人を受け入れられる状態にならなかったが、強引に事を進められることはなかった。 やがて、長い準備の後にシキが俺の中に入ってきた。十分に馴らしてもなお、挿入にはひどい苦痛があって、俺は途中でシキを殴りたいとさえ思った。けれど、もちろん、そうはしなかった。受け入れる俺同様、入る側のシキも苦痛は感じていただろうし、彼が衝動を抑えて努力してくれたことは分かっていたからだ。 挿入した後、シキはしばらく動かなかった。俺が慣れるのを待っていてくれたらしい。一つになって、じっと相手の呼吸を感じるというのは、奇妙だが心地のいい、不思議な経験だった。 言葉を交わすよりも、闘ってみる方が、相手のある部分はよく理解できる。セックスもまた同じだ。交わっていれば、言葉では伝えきれない何かが伝わってくる気がする。ただ、闘いの中で感じるそれが相手のひどく硬質な部分であるのに対して、交わって伝わるのは相手の心の最も脆い部分だった。性器という、人体の急所をさらけ出す行為なのだから、それも無理はないのだろう。 やがて、シキはゆっくりと動き始めた。俺は、後孔でははきりとした快楽を感じることはできなかったが(その微かな兆しのようなものはあったのだが)、シキが快楽を得られるように拙いながらも協力しようとした。シキは達して俺から身体を離した後、手で性器を刺激して俺を最後まで導いてくれた。 *** 気が付くと、窓から差し込む光で辺りはほんのりと明るくなっていた。夜が明けたらしい。初めての行為に疲れはてた俺は、廃墟のソファで眠り込んでしまったらしかった。 部屋の中を見回しても、シキはいなかった。きっと去ったのだろう。 俺は身体に掛けてあった自分のコートをめくってみた。案の定、コートの下は裸で、下腹部には精液が乾いてこびり付いていた。情けない有様だ。自分の格好のひどさと相余って、俺は何も言わずに出ていったシキを恨めしく思った。 結局、昨夜の行為は合意の上でだったのだが、やはり何だか虚しい。 俺はため息を吐き、後始末をしようと起き上がった。コートを完全に身体の上から除ける。と、足の間のソファの布地に、赤い色が見えた。 血の痕だ。だが、どこからの? ――考えたくないが、この位置では、可能性は一カ所しかない。 「〜〜〜〜!!!!!」 俺は声にならない悲鳴を上げた。 負傷など数え切れないし、血を流したことも何度もある。しかし、このような部位に怪我を負ったことなどなかった。どうやって治療すればいいのか、見当もつかない。俺は混乱しきっていた。 と。 「どうした、アキラ?」 シキがつかつかと部屋に入って来た。去ったとばかり思っていたが、そうではなかったらしい。 「シ……シキ……」 「どうしたんだ?」シキが不審そうに目を細める。 「えぇと……あんた……てっきり去ったのかと」 俺はとっさに思いついたことを言った。訴えたいことは他にあるのだが、混乱しすぎて質問の優先順位を付けられなかったのだ。 「少し用を済ませてきただけだ」シキは答えてから、じっと探るように俺の顔を見た。「アキラ、何か他に言いたいことがありそうな顔をしているが」 「ち……ち、血……」 「ち?」 「昨日のせいで……ちっ、血が……血が……」 あまりの羞恥と混乱で、俺はそれ以上言うことができなかった。不意にぐらりと世界が揺らいだような気がする。次の瞬間、身体が傾いで、俺はソファから転げ落ちていた。 「おぃ、アキラっ……!?」 焦る表情を隠しもせず駆け寄ってくるシキの姿をスローモーションで見ながら、俺は気を失った。 2011/10/09 |