ある意味では蜜月な話



もしかしたら、少し下品かもしれません。
何と注意書きしていいか分かりませんが、下品方面で苦手な方は回避してください。









 目が覚めたとき、俺はホテルか何かのベッドルームにいた。
 身体の下にあるベッドは、洗い立てらしいシーツが掛けられていて、とても寝心地がいい。こんなまともな寝床に入るのは、どのくらいぶりだろうか。俺は自分の体温に温もったシーツに顔を擦り寄せた。このままもう一度、眠れたらどんなに気持ちいいだろう……。
 しかし、うつらうつらするうちに、ふと重大な疑問点が浮かんできた。
 ――そもそも、俺はなぜここにいるのだろうか?
 記憶の糸を手繰ってみても、思い出せるのはシキとのセックスの後に局部の出血に驚いたことまでだ。誰がどんな経緯で自分をこの部屋へ連れてきたのか、まるで分からない。
 一番新しい記憶の中で、俺の側にいたのはシキだった。ということは、シキが運んでくれたのだろうか? しかし、俺の知る限りでは、シキは気絶した人間を介抱するような親切心に富んだ男ではない。
 ならば、他の誰かの仕業ということか。とはいえ、廃墟で気絶している得体の知れない裸の男を連れ去るなど、ろくな人間のすることではない。せいぜい、人身売買を行っている組織くらいのものだろう。
 自分の思い付きに、俺は眉をひそめた。シキが結局は俺を置き去り、人身売買組織が拾うなんて、最悪だった。シキにとって俺はその程度の人間なのか、となぜかひどく傷つけられた気分になる。
 とにかく、誰が俺をここに寝かせたにせよ、相手の出方を警戒するのにこしたことはなかった。
 置き去りにされたことに傷ついている暇はない。いずれにせよ、何か武器になるものを見つけてこの場から脱出しなければ。
 俺はベッドから起き上がろうとした。その拍子にずるりと掛布団が身体の上から滑り落ち、自分が裸のままだと気付く。セックスの後で気を失ったのだから当然といえば当然なのだが、とっさの驚きで勢いよく身体を起こす。途端、ズキンとかつて経験したことのない種類の鈍い痛みを、腰の辺りに感じた。
「うぅ……いたい……」
 痛みの程度はさほどひどくもないのだが、部位が部位だけに心細く、耐えられないような気分になる。俺は小声でシキを罵った。そのときだった。
 部屋のドアが開いて、靴音が聞こえた。
 ぎょっとして振り返れば、中に入ってきたのは見知った姿――シキだった。いつものコートは着ておらず、少し寛いでいるような格好だ。長い間、俺とシキは敵同士で過ごしてきた。セックスはしたものの、まだ和解も何も言葉で約束したわけではなかった。だから、シキ相手に気を抜くわけにはいかない。建前の上では。それでも、彼の顔を見た途端、身体が勝手に力を抜いていた。
「シキ……。ここはどこなんだ……? 俺はどうしてここにいる?」俺は痛みを堪えながら尋ねた。
「言わなかったか? ……あぁ、俺が話していたとき、お前はろくに意識がなかったのだったな。――ここは、レンタルのセーフハウスだ。裏の世界の業者が、逃亡犯などに賃貸するために用意してある。少し休養を取ってもいい頃だろうと思ってな、業者に手配させてお前を連れて来たんだ」
 俺は呆然とシキの言葉を聞いていた。休養を取ってもいい頃だって? 疲れを知らず闘い続けることのできるシキが? 俄かには信じられない話だった。俺は自分がシキに騙されているのではないかと疑ったが、すぐにその考えを否定した。
 シキは戦闘に関しては狡猾な策も使うが、決して卑怯な男ではない。シキが嘘をつく可能性と、俺をセーフハウスに連れて行って休ませてくれる気まぐれと、どちらが有り得そうかと言われれば――後者のような気がする。けれど、俺はまだ警戒心を捨てることができなかった。
「……あんた、なぜ、俺をここへ連れて来たんだ?」
 滅多にないことに、シキは一瞬、言葉に詰まった。視線がふらりと泳ぎ、白い頬にほんの少し赤味が差す。それは些細な変化だった。けれど、劇的な変化だった。非人間的なほどに整ったシキの容貌が、その瞬間にはひどく――可愛らしく見えた。
(男が……しかも、シキが可愛らしいって、何なんだ!?)
 自分の思考の恥ずかしさに、俺自身もカッと顔が熱くなる。赤くなった俺に気付いたのか、シキは可愛らしい(!)表情をさっと収めて、いつもの自信に満ちた笑みを浮かべた。
「戦闘のせいでないとはいえ、俺のせいで傷ついたお前を廃墟に放ってはおけなかった」自信満々の――いっそ尊大でさえある態度で、シキは言った。かと思うと、つかつかと近づいてきて身を屈め、俺の耳元に顔を寄せる。「本当は、二人でしばらくセーフハウスに引っ込んで、その間にお前の身体が俺を忘れられないよう、覚え込ませてやるつもりだったのだがな。ここに来る前にお前を闇医者に診せたところ、しばらくセックスは控えろと言われた」
「なっ……なななな、何を……!!!」
 あんた何てこと言うんだ!? というか、何て思考回路をしてるんだ!?
 いや、それよりも、俺のアノ傷を医者に診せたのか!!!???
 もはや、何をどう質問して、どの部分に怒りを感じればいいのか分からない。俺はしばらく口を開いたまま、言葉を失っていた。しばらくして我に返ることができたのは、腹が緊張感のない音で鳴ったからだった。
 それにしても、怯えたり、気絶したり、腹が鳴ったり。最近シキには情けないところばかり見られている。俺は恥ずかしさに項垂れた。馬鹿にされるのではないかと身構えたが、シキは少し笑っただけだった。それも、嫌な感じの嗤い方ではなかった。笑っているほんの僅かな間、シキは面白がるような、慈しむような、とても優しい表情をしていた。
「アキラ。隣の部屋にキッチンがある。何か食べるものを用意してやるから、ここで待っていろ」
「あ……。あぁ、ありがとう」俺はぼそぼそと礼を言った。
 シキは俺から離れ、部屋を出て行った。
 その背中を見送りながら、先ほど目にしたシキの優しい表情を思い出す。じわりと胸の中で何か温かなものが広がった。先ほど甘い言葉を言われたときの、胸が高鳴るのとはまた異なる感覚。シキが好きだと思った。
 同時に予感する。シキにこんな感情を感じてしまったからには、俺はもう、今までのように心からシキを憎悪することはできないだろう。もはや、宿敵として闘う関係には、戻れないかもしれない。そう思うと、少しだけ寂しい気がした。


***


 それにしても、裸でいるのは如何なものか。俺は辺りを見回し、ベッドの傍の小さなテーブルの上に紙袋を見つけた。手を伸ばして引き寄せてみると、中には新しい衣類が入っていた。下着類と白いシンプルなシャツ、それにジーンズだ。
 これはシキが自分用に用意したのだろうか? それとも、俺のために?
 少し迷った後、俺はその衣類を借用することにした。もしシキの服であったなら、後で代金を渡せばいい。しかし、その心配は杞憂に終わった。恐々と袖を通したシャツのサイズは俺にぴったりで、少なくともシキが着ることを想定して用意したものでないことは確かなようだった。俺は下着も身につけたが、着るときに腰が痛むのが予想できたのでジーンズは穿かなかった。情けない格好だが、どうせすぐにはベッドから出ないのだ。問題はない。
 しばらくして、隣の部屋からシキが現れた。
「シキ、テーブルの上の服を借りた」
「構わん。もともと、お前のために手配したものだ」シキはあっさりと答えた。
 こちらへ近づいてきたシキの手には、皿を乗せたプレートがあった。プレートの皿に盛られているのは、ロールパンとオムレツ、それに温野菜のサラダだ。オムレツは、まだ温かいようだった。
「これ、あんたが?」俺は驚いて尋ねた。
「あるもので作ると言っただろう。不満か?」
「違う。その逆だ。あるもので、こんなちゃんとした料理ができるなんて……あんた、すごいのは戦闘だけじゃないんだな」
「大げさだな。この程度の料理、たいしたことでもないだろうに」
 シキは呆れたように言ったが、その顔にはくすぐったそうな笑みが微かに浮かんでいた。俺はシキの表情に、自分もどこかこそばゆい気分になりながら、尋ねた。
「プレート、あんたの分はないけど、もう食べたのか?」
「いや。隣の部屋がダイニングとキッチンになっているのでな。テーブルの上に置いたままだ」
「……なぁ、一緒に食べないか? せっかくだし、一人で食べるより二人の方が、美味いと思う。昔、ウチの孤児院の先生がそう言ってた」
「あぁ、そうだな……」
 シキは、不意に何かを思い出すような遠い目をした。俺はその目の中に、微かな悲しみが混じっているのを見た気がした。シキもまた、俺と同じように誰かに言われたことがあって、その人物を思い出しているのかもしれない。しかし、次の瞬間には悲しみの色は消え失せ、彼は俺の頭に手を置いてくしゃりと軽くかき乱した。
「そうだな。たまには、他人と食事するのも悪くない」
 シキは隣の部屋から自分のプレートを手に戻ってきた。ベッドの傍らにテーブルと椅子を引き寄せ、食事を始める。俺も皿の料理に手をつけた。見た目もきちんとしているが、シキの手料理は味の方も美味かった。
「……あんた、やっぱり料理が上手だな」俺が呟くと、
「そうでもないが。……このセーフハウスは五日間、借りている。その間に他に作ってほしい料理があれば、希望を言え。作ってやる」
「えっ、あんたが!?」
「ここには俺とお前しかいない。俺が作るに決まっている」
「えぇと……それじゃ、悪いから……俺にも、あんたの好物を教えてほしい。作るから」
「料理はできるのか?」
「……できない。けど、教えてもらったら、できると思う」


***


 食事の後、俺たちは思い思いに時間を過ごした。
 始め、シキはベッドの傍へ本を持ってきて開き、腹が満ちて眠くなった俺はベッドに寝転がって目を閉じた。軽い睡眠の後、目が覚めると、シキはまだ同じ姿勢で本を読んでいた。俺は伸びをしてみて、少し腰の重怠さが和らいだようだったので、起きることにした。ジーンズを穿いて、セーフハウスを見て回ってもいいかとシキに尋ねる。シキが構わないと答えたので、俺はベッドルームを出てあちこちを見て回った。
 セーフハウスは、別荘地かどこかに建っているらしい、平屋の一軒家のようだった。ベッドルームの他に、シキが調理をしたらしいダイニングキッチンやバス、トイレなどがあった。さほど広くもないので、見て回るのにたいした時間は掛からなかった。
 ベッドルームへ戻ると、シキが先ほどまで俺の寝ていたベッドに横たわって目を閉じていた。テーブルの上に英語のタイトルの本が伏せられている。俺は息を詰めてシキに近づき、そっと見下ろした。
 無防備な姿をさらすシキ。しかし、今の俺にはシキは殺せない。身体を繋げて、一緒に飯を食った相手を殺すなんて――無理だ。そんな俺の性分が分かっているから、シキもこうして無防備な姿を見せるのだろうと思った。
 そこで、ふと気づく。そういえば、このセーフハウスにベッドルームは一部屋しかない。そして、その唯一のベッドルームに置かれているのはダブルベッドが一台きり。……と、いうことは五日間、俺はシキと同じベッドで眠ることになるのか。
 そのとき、シキがぱちりと目を開けた。手を伸ばして、俺をベッドに引き込んでくる。あっという間にシキの腕の中に抱え込まれた。一瞬、暴れようかと思ったが、シキの腕は決して嫌だとは感じなかったので大人しくしていた。
「少し眠る」シキが言う。
「あぁ」俺は頷いた。
「お前も付き合え」
「これ以上眠ったら、寝すぎで夜に眠れなくなる」
「心配するな。夜には疲れて眠くなる」
 おい。ちょっと待て。それはどういう意味だ。セックスは控えなきゃならないんじゃなかったか? 俺は問い詰めようとしたが、既にシキは静かな寝息を漏らし始めていた。


***


 夜になると、シキの言葉が正しかったことが分かった。
 バスルームから出てきた俺を、シキは呼び止めたのだ。薬を塗ってやろう、と言って。
「薬?」俺は首を傾げた。
「お前の傷に塗る薬だ」
「っ……傷って……。いや、いい。自分で塗る」
 俺はシキに薬を渡してくれと手を差し出した。シキは素直に薬の容器を俺の手に置こうとして――ひょいと引っ込めてしまう。
「駄目だ。お前は出血しただけで、気絶したくらいだ。どうせ自分で塗る勇気はないだろう。塗ってやる」
「イ・ヤ・ダ」
「我儘を言うな、アキラ」
 我儘も何も、無茶を言っているのはあんたじゃないか。そう言いたかったが、シキに腕を掴まれ、抵抗もできずにベッドに押し倒されてしまう。
 あっと思ったときには、シキが覆いかぶさってきて、唇で俺の唇を塞いでいた。温かな舌がぬるりと口内に入ってきて、歯列や上顎や舌先をくすぐる。ヤバイと思った。初めてのときはいろんなことに気を取られていてそれどころではなかったが、シキとするキスは、ひどく気持ちがいい。キスだけで、既にじんと下半身に熱が集まり始める感覚があった。
「んっ……ふ、ぅ……」
 身体の力がくたりと抜ける。すると、シキは最後に軽く唇を触れ合わせてから、顔を離した。
「大人しくしていろ、アキラ。決して、ひどいことはしない」
「薬を、つけるっていうのが……既に、ひどいこと……なんだけど……」
 抗議を無視して、シキは俺の下衣を脱がせた。俺は何だか諦めの心境で、シキにされるがままになっていた。下衣を取り払った脚を開かせて、シキは脚の間に座った。ほどなくして、軟膏のようなものをまとった指が、後孔の表面に触れる。セックスのときみたいに表面を揉まれて、俺は少しだけ妙な気分になった。けれど、シキに悟られるのは恥ずかしいので、顔には出さない。
 そうするうちにも、表面を撫でていた指はゆっくりと体内にもぐりこんできた。軟膏の滑りがあるので、痛みは感じない。ただ違和感があるだけだ。シキは指をゆっくり動かして、俺の体内を浅くぐるりとまさぐった。
「痛む部分はあるか? アキラ」
「っ……分からない……」
「ふむ……」
 シキは少し考えるような顔をして、指を引き抜いた。それで終わりかと思いきや、再び軟膏をまとった指が体内に入ってくる。今度は先ほどより、もう少しだけ深い。
「馬鹿シキっ……。まだっ……終わりじゃ、ないのかよっ?……――っあぁ!」
 罵る言葉の途中で、シキの指が体内のある一点に触れた。途端、電流のように快感が背筋を走り抜ける。シキは嬉しそうな顔をして、俺が声を上げた部分を集中的にまさぐり始めた。
「っ……。やめろ、そこ……いやだ……!」
「いい、の間違いじゃないのか?」
 シキは俺の脚を押さえていた左手で、俺の性器に触れた。そこは直接刺激されたわけでもないのに完全に勃ち上がり、先走りを溢し始めている。
「後ろだけでイってみるか?」
「いやだ……。無理だ……シキ、シキ!」
 俺は怖くなって、縋るようにシキに手を伸ばした。するとシキは舌打ちし、俺の体内から指を引き抜いた。「だが、お前もイかないままでは辛いだろう」そう言いながら、俺の手を掴んで自分の下肢に触れさせる。衣服越しにも、そこは固く張りつめているのか感じられた。「俺もだ」
「……じゃあ、あんたも……」
 俺は起き上がり、シキの下肢に手を伸ばした。衣服の中から性器を開放し、指を絡める。おずおずと刺激を与えると、お返しとばかりにシキも俺の性器を擦ってきた。夢中になってお互いに愛撫を与え合う。やがて、俺は達し、少し遅れてシキも俺の手の中に精を放った。
 心地よい疲れを感じながら、俺はふと思う。挿入は痛いので困るが、シキとのこういう接触は悪くないかもしれない、と。そんな俺の考えを読んだのだろうか、シキはこちらを見てにやりと笑い、宣言した。
「今日はこれで済ませてやるが、お前の傷が治ったら、抱かせてもらう」
 げ。やっぱりそのつもりなのか。
 そう思ったものの、なぜか俺はシキの宣言がさほど嫌だとは感じなかった。







2011/10/16

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