謎解きは愛の言葉の前に



ドラマで放送中の『謎解きはディナーの後で』の役者パロです。『謎解きは〜』のあらすじが文章中出てきますので、まだドラマを見てない方やまだ本を読んでない方はご注意ください。ちなみに、事件のトリックはネタバレしていませんのでご安心ください。





 衣服を着替えて寝室から出てきたシキを見て、俺は「うぅ……」と低く唸った。シキが身につけているのは、いわゆる執事のコスチューム。居間で彼を迎えた俺もまた、普段の気楽なTシャツにジーンズ姿ではなかった。高価なブランドもののスーツを着ている。いかにも、いい家のお坊っちゃんという格好だ。
 シキはもじもじしている俺を見て、ため息を吐いた。
「こうする前に、お前が自分の役をきちんと演じ切れれば問題なかったんだ。己の未熟さを反省するんだな」
「分かってる」俺は申し訳なさに身を縮めた。「早く役を掴むようにする」
 妙なコスプレなどしているが、俺もシキも変なシュミの持ち主ではない。ふざけているわけでもなく、執事とお坊っちゃんの仮装をしているのには、ちゃんと理由があった。
 俺とシキは、俳優を職業としている。妙な仮装は、これでも、役作りのための歴とした練習なのだ。
 事の起こりは、俺とシキがあるドラマに出演が決まったことだった。ドラマは人気の推理小説をドラマ化したもので、主人公は警察官になった大財閥の御曹司。難事件を捜査する主人公が事件のあらましを自分の家の執事に語ったところ、あっという間に警察の部外者である執事が事件を解いてしまうというストーリーだ。
 制作者から、俺には御曹司の役、シキには執事の役のオファーがあった。人気の出そうなドラマということもあって、プロダクションは飛びつくようにオファーを承諾したようだ。俺だって、ゴールデンタイムのドラマで主人公の役がもらえたのは、本当に有り難かった。だが、問題が一つあった。
 俺は数年前、『咎狗の血』というドラマの主人公役としてスカウトされ、芸能界に入った。シキとは、同じドラマで共演しいたことが縁で紆余曲折あって、結局、恋人という関係に落ち着いた。
 ところで、シキは傲慢なほどに自信に満ちていて、しかも役者としての実力が自信の程に見合っているという男だ。俺にとって、シキは恋人であると同時に、目指すべき目標だった。そのシキが、再び俺とドラマで共演する。しかも、俺が主人でシキが従者役だ。実際には、むしろ逆の関係だというのに。
 俺がこれに戸惑わないはずはなかった。
 ドラマの撮影は始まったが、俺はシキが従者役だという戸惑いを忘れられなかった。結果、演技がひどくぎこちなくなり、ミスを連発してしまった。
 シキは俺の不調の原因を察したらしく、二人で役作りをしようと提案してくれた。そこで、俺たちはあるオフの日に、こうして仮装などしているというわけだ。
「さて、始めるか」
 おもむろにシキが言った。にわかに緊張がこみ上げてくる。シキは俺の表情を見て、咎めるように眉を上げた。“表情が固い”と注意しかけたらしい。が、結局、何も言わなかった。俺をドラマの世界の雰囲気に馴れさせることを優先する気らしかった。
『――お帰りなさいませ、ご主人さま』シキは二人のシーンの最初の台詞を口にした。『お疲れのご様子ですね』
『あぁ、疲れた。今日は捜査が長引いて……』俺もややぎこちないながらも、台詞を口にする。
 それから、台詞の進行上では、演技は滞りなく進んでいった。俺も比較的、自然な口調で演じられている。だが、やはり拭えない違和感――“ご主人さま”の役が、借り物の衣装だという感覚。
 演技をしながら、俺はひどい焦りを覚えた。どうして、演じられないんだろう。普段なら、どんな役だってまるで自分の一部のように感じられるのに。“彼ら”――役の登場人物が、ドラマの進行の間に何を考えてどう感じているかさえ、自然に、手に取るように分かるのに。
『咎狗の血』の頃から、役とは俺の人格の中に自然に入ってきて、存在するものだった。今回の“ご主人さま”の役のように、いつまでも俺に馴染んでくれない役は初めてだ。俺はどうしていいのか分からなかった。
「――キラ……。アキラ」
 不意に名前を呼ばれて、俺は我に返った。気づけば、俺はダイニングのテーブルにつき、紅茶のカップを目の前にしていた。普段なら向かいに座るシキは、しかし、いつもの席にはいない。いかにも執事らしく、俺の傍らに立っている。
 今は二人で会話するシーンのうちの一場面を練習しているところだったのだ。刑事である“ご主人さま”が、その日の事件を執事に語るというシーン。俺が話さなければならないのだが、ぼんやりしていてタイミングを逃したようだった。挽回しようとして台詞を言おうとするが、混乱しているせいで、何を言うべきだったのか思い出せない。
 こんな失態は、初めてだった。
「っ……。すまない、シキ……」
 謝ると、シキは眉をひそめた。彼は演技には、非常に厳しい人間だ。叱責が飛んでくるかと、俺は身構えた。しかし、シキは何も言わなかった。叱責がなかったのは、多分、優しさではない。シキはおそらく、この瞬間、俺を見限ったのだろう。俳優として。もしかしたら、恋人としても。
(シキを、失うかもしれない……)
 俺は怖くなった。同時に、自分が未熟な俳優であることが、耐えられないくらい腹立たしく、悲しく思える。気がつけば、俺は自分の中にわだかまる何かを吐き出すように、言葉を発していた。
「シキ。どうしたらいいんだろう。どうして、俺は御曹司の役を上手く演じられないんだろう。――原因は、分かってるんだ。あんたの上に立つという状況が、俺には理解できないんだ」言いながら、ふと自分の言葉の中に微かな引っかかりを覚える。俺はそれを心の中で手探りしながら言葉を続けた。「だって、俺があんたより優れていることなんて、ないんだから。……でも、それでも演じるのが俳優なんだよな。俺は、どうしてこんなにも未熟なん、だ……」
 言い終えたとき、心の中を探る手に、ふと何かが触れた気がした。
 そうだ、と思う。今回の役は、御曹司と執事。シキとは上下関係だ。だが、二人の精神的な関係性が、その社会的な肩書きと同じであると言い切れはしないのではないか。実際、ドラマのストーリーとしては、御曹司が解けない事件を執事が解くわけなのだし。
 そう気づいた瞬間、御曹司の役がすっと自分の中に入ってきた気がした。
 俺は顔を上げ、何か言おうとしているシキに向かって――ドラマの台詞を口にした。
『今日、捜査した事件はひどく難解だったんだが……』
 わずかに目を見張ったシキは、微かな笑みを浮かべた。そして、いきなりのフリにも関わらず、ドラマの台詞で応じる。
『聞かせてください、ご主人さま。私にも、何かアドバイスを差し上げされることがあるかもしれません。――ただし、アドバイスは有料ですが』
 あれ? 俺は首を傾げた。最後の台詞は台本にはなかったはずだ。不思議に思いながら、“ご主人さま”の役のまま、尋ねる。
「有料とは?」
「そうですね。無事スランプから脱出したらしい、あなたを頂きましょうか」
 俺は脱力するあまり、テーブルに頭をぶつけそうになった。そういえば、シキはこういう奴だった。前に共演した『咎狗の血』でも、こんな風に二人きりのシーンから半ば強引に押し切られて関係を持ってしまったのだ。
 けれど、決して嫌だとは思わない。だから、俺は“ご主人さま”の役のまま、会話を続けた。
「面白い。この事件の謎を解けたなら、俺を与えよう」









2011/11/06

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