ポッキーゲーム




 アキラは悩んでいた。
 シキとは身体を繋げもした仲なのに、あまりキスをしたことがない。
 覚えている限りにおいて、キスをしたのはトシマでの一度だけだ。その後、共に旧祖を脱出して、シキは『眠って』しまった。その抜け殻の身体を守って二年。もはや目覚めないかと絶望しかけたところに、彼が正気を取り戻したのが三ヶ月前のことだった。以来、驚くべき早さで回復して、今では日常生活に支障もなくなっている。その三ヶ月の間に、何となくそういう雰囲気になって、肌を合わせたことは幾度かあった。
 アキラは性的な経験値が、ひどく低い。はっきり言って、同年代をかなり下回っているということは、認識している。何せ、性的な経験値イコール、シキとの行為なのだ。だが、そんなアキラだって、セックスよりキスの回数が少ないのは異常だということくらいは分かる。
 正直どうでもいい悩みではあるのだが、しかし、一度、気になりだすと気になるもので。
「どうしたものかな……」
 スーパーで買い物をしながら、アキラはぼんやりと考えた。そうして菓子売場に差し掛かったときだった。山積みにされたお菓子の台の傍で、ディスプレイ用の小型テレビに流れる映像に、思わず視線が釘付けになる。映像の中では、まだ学生らしい少年と少女が、その棒状のチョコレート菓子の両端をくわえていた。
 これだ。
 アキラはとっさに思った。
 普通にシキにキスをしようと言うのは、恥ずかしいすぎる。それに、シキはもしかすると、キスという行為を嫌っているのかもしれない。あるいは、アキラに対しては、そうしたくないのかもしれない(セックスまでしているのだから、その可能性は低いと思われるが)。だが、ポッキーゲームだと称すれば、不自然ではないかもしれない。
 いい思いつきだ、とアキラはさっそくその棒状のチョコレート菓子−−ポッキーを買って帰った。
 が。
(……何がいい思いつきだよ……)
 アキラはテーブルの上に置いたポッキーの箱を、睨みつけた。
 よく考えてみれば、急に『世に言うポッキーゲームってヤツをやってみないか?』なんて言うのは、不自然すぎる。絶対に変だ。言えるわけない。かといって、普通に『キスしてみようか?』とも言えない。
「……馬鹿みたいだ」自分が。
 アキラはため息を吐き、ポッキーの箱を開けた。愚かな考えを実行に移してシキに馬鹿にされる前に、処分してしまおう。そうだ。それがいい。そう思いながら、袋の中からポッキーを一本、抜き出す。
 孤児として育ち、その後、国の政策で馴染みない夫婦の元で育ったアキラは、他の子どもよりはお菓子に接する機会が少なかった。無邪気に買ってとねだれる環境ではなかったのだ。それでも、ポッキーは比較的メジャーな商品であるため、何度か口にしたことがあった。
 懐かしさを覚えながら、無心にカリカリかじる。と、そのとき、ドアの音が聞こえた。散歩がてらに近くの図書館へ行っていたシキが、帰ってきたのだ。
「……何をしている?」
 キッチンへ入ってきたシキが眉をひそめたのも、無理はなかった。何せアキラは流し台の前に立ったまま、ひたすらポッキーをカリカリしているのだ。
「あ、おかえり。さっき、スーパーでポッキーを見かけて、懐かしくなって……」
 やはり、シキとポッキーゲームを目論見ていたとは言えない。……否、そもそもの目的はポッキーゲームそのものではなく、シキとのキスなのだが。
 アキラの言葉に、シキはあぁと頷いた。
「そういえば、最近、人気のアイドルが宣伝しているらしいな。ポッキーゲームがどうのとか言って」
「知ってるのか!?」
「ポッキーゲームのことか? 昔からあるだろう、宴会の余興で……」
 シキは急に勢い込んだアキラに驚いた様子で、気圧され気味に言った。
 引かれているようだが、アキラは構っていられなかった。何せターゲットであったシキ自ら、ポッキーゲームを話題にしたのだ。こんな機会は二度とないだろう。不自然だろうが何だろうが、この機を捉えなれればならない。でないと、この先、一生、シキとキスできないかもしれない。……一生、傍にいさせてもらえるのか分からないが。
 このとき、アキラは必死だった。
「シ、シキっ……! 俺と勝負しろよ。……その、ポッキーゲームで!」
「は?」
「だ、たから勝負! 負けた方が、今日の晩飯を作るってことで!」
「……」シキは難しい顔をしていた。
「もしかして、あんた、俺に負けるかもしれないから嫌なのか?」
 だめ押しとばかりに、アキラは挑発の言葉を吐き、返事も聞かずにポッキーをくわえた。シキはそんなアキラを睨んでいた、が。「……馬鹿が」と呆れたように呟き、背を向けた。
 ここで治まらないのは、勢いづいたアキラの方だった。それほどまでに自分と接触するのが嫌なのか、とショックを受けながら、シキの腕を掴む。「んんん、んんんん…」話そうとするが、口にくわえたポッキーが邪魔で上手く言葉にならない。
「何を言っているのか分からん」
 シキはため息を吐いたが、しかし、呆れて立ち去ろうとはしなかった。彼の手が持ち上がり、アキラのくわえているポッキーを唇から抜き取る。
 口が自由になったアキラは、勢いこんで声を発した。
「あんたは、そんなに俺とキスするのが嫌なのかよ!」
「……何……?」
「そんなに俺とキスしたくないのかって、訊いてるんだ! あんた、トシマを出てから一度もしようとしない……。ポッキーゲームにかこつけてなら、キスできるかと思ったけど……そんなに嫌なら、何でセックスはするんだよ」
 アキラはもはや自棄になっていた。
 口に出して言ってしまえば、何てくだらない不満なのだろうと思う。かつてシキが眠っている間は、彼がもう一度、目覚めてくれるだけでいいと願えたのに。欲深く、女々しい自分。きっとシキはこんなヤツとはいたくないだろう。そもそも、大多数の男の感覚では、キスを迫ってくる同性なんて気持ち悪いだけだろうし。
(というか、俺だってシキ以外の男とキスやセックスなんか、考えられないしな……)
 しかし、シキにとってはその『考えられない』の範囲に自分も含まれているのかもしれない。そう思いいたったアキラは、さっきまでの勢いもどこへやら、ひどく傷ついた気分で掴んでいたシキの手を離した。
「……ごめん。……あんたが嫌なら……」
「誰が、……いつ……嫌だと言った……」
 珍しく、シキは歯切れの悪い言い方をした。
「えっ……?」
「してもいいなら……」
 最後まで言わず、シキはポッキーを持っていない左手でアキラの顎を捉えた。ぐっと顔が近づいて、唇が重なる。短い接触の後に、シキはすぐに離れていった。
「これ以上は、後だ」
「後って……」
「晩飯を作らなければならんからな」
 シキはそう言って、手にしていたポッキーをパキンと噛み折った。折れた先も口に放り込み、料理に取りかかる。
 その後ろ姿を眺めること数秒で、ようやくアキラは彼が『負けて』くれたのだと気付いた。が、負けず嫌いの彼が、他愛ない遊びとはいえ、なぜ自ら負けて上機嫌なのかは分からない。……かなり後になってアキラが聞き出したところによると、シキはアキラが傍にいるのは同情心からで、セックスにしろ何にしろ本当は望んでいるわけではないと誤解していたらしい。自分たちは二人してつまらない誤解をしていたものだ、とアキラは苦笑したものだった。





2012/02/29

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