汝、最愛の君よ
アキラには秘密がある。ニホン国総帥シキが自らの秘書官に疑いを持ったのは、ある春の日のことだった。 第三次世界大戦、日興連とCFCによる分断政府時代、そして内戦。二つに割れた政府が再び一つになったのは、八年ぶり――昨年のことだ。日興連がCFCとの内戦に気を取られている隙に、軍に入り込んでいたシキがクーデターを起こし、政権を掌握した。このとき、返す刀の勢いでCFC領土をも平定を済ませた。こうして国家元首の座に就いたシキは、総帥府を新設して国の統治にあたった。 総帥府の人材には、軍から引き抜いてきた――というよりは、今も軍属の人間が多い。皆、不慣れな中、よく総帥であるシキの意思を実現しようと働いてくれた。おかげで、一年経った現在、総帥府は順調に動き始めていた。国内情勢が落ち着いてきた上、職員も慣れてきたのだ。 そのため、総帥府の職員は当初はまともな休暇などなかったのが、今では有給を取る余裕も出てきている。シキの秘書官たるあきらも、その恩恵に預かる一人だった。 アキラの休暇は、二度に一度はシキのオフと重なっている。二人は昔から特別な関係にあり、その事実は軍の内部では知れ渡った、いわば公然の秘密だった。口さがない者は、シキとアキラが一緒に休暇に入るのを指して、“総帥は片時も愛人を傍から離そうとしない”と噂したりもした。 噂は事実の一端を捉えてはいる。だが、それ以上にシキとアキラの休暇が重なるのは、総帥とそれを補佐する秘書官だからだ。総帥が仕事をしない日は、いきおい、秘書官のするべきことも少なくなる。ならば、手の空くときにいっそ有休を使おうとなるのだった。 シキとアキラのオフが重なるときは、二人は当然のように共に過ごす。しかし、単独で休暇を取るとき、シキはアキラが何をしているのかは知らなかった。生真面目なところのあるアキラのことであるから、一人で鍛錬をしたり、政治や経済について勉強をしているのだろう。気にならないではないのだが、あまり詮索してアキラに気詰まりな思いをさせたくはなかった。 しかし、あるとき、シキは通りがかりに部下たちの噂を耳にしてしまった。曰く、一人きりの休暇の度に、アキラは昼や夜に一時間ほどふらりと街へ出かけていくのだという。 『――もしかして、秘書官は総帥とは別に恋人がいるんじゃないか?』 『浮気? アキラ様に限って、それはないだろう』 『いや、分からないぞ。秘書官のあの容姿なら、それこそ、男でも女でも引く手あまただ。手を引っ張ってきた相手の中に、もしかして、秘書官の気に入るような人間がいたりして……』 アキラが己以外の人間に惹かれることはない。その点について、シキは自信を持っていたし、アキラを信用してもいた。だが、それでも腹の底で強烈な不安と嫉妬が蠢くのを止められない。シキのすべての感情の中で、アキラへの執着だけが過剰すぎるがためだ。 ニコルウィルスは、感情を殺す。 しかし、アキラの非ニコルをニコルウィルスと同時に取り込んだシキには、その効果は異なった形で現れていた。確かに、情け――弱者への憐憫の気持ちはなくなった。たとえば、今ではトシマで実弟のリンを手に掛けたときの感情さえ、思い出せない。もちろん、悲しみや後悔などといいった単語で説明することはできるだろうが、それを己の感情として感じられないのだ。 そんなシキだが、一部の失われた感情とは裏腹に、アキラへの執着だけは過剰に強くなった。アキラを片時も離さずに己の傍に置きたい。身も心も己のものにしたい。いっそ彼の血や肉までも取り込んで一つになりたい。――そうした執着の強さは、シキ自身が持て余すほどだった。 アキラ一人の休暇を翌日に控えたその日、シキは執務室でアキラに尋ねてみた。そんなことを尋ねたのは、初めてのことだった。 「明日の休みは、どこかへ出かけるのか?」 「えっ……。えぇと、明日は昼間に少し街へ出てこようかと。内戦からの復興の度合いや街の活気など、自分で歩いて見てみるのもいいかと思いまして」 優秀な秘書官としての答え。しかし、口を開く瞬間にアキラが言葉に詰まったのを、シキは見逃さなかった。明らかに、アキラは己に隠し事をしている。シキがそう疑いを持った瞬間だった。 翌日は、朝から雨が降っていた。午前中は小降りだった雨は、昼になると勢いを増し、春だというのにまるで台風のような有様になった。あまりの雨風に交通機関にも遅延や運休が出始めたようだ。 午後四時頃になって、シキは仕事の上でアキラに確認すべきことがあったので、携帯に電話を入れた。が、彼は通話に出なかった。電源が切られているらしい。脳裏で先日耳にした噂が甦ったが、公私の別をわきまえているシキはアキラを探しに行きたいのを堪えて仕事に戻った。 さらに時間が経過して、午後十時。仕事を早めに切り上げたシキは、アキラの部屋へ向かった。アキラは他の官僚と同様に、官舎の一室に住んでいる。残念ながら、総帥と秘書官という立場上、当たり前の恋人同士がするように同じ家に住むというわけにはいかないのだ。 待つこと三十分ほど。ようやく帰ってきたアキラは、頭からずぶ濡れだった。彼は明かりも点けずに気配を殺して待っていたシキを見て、目を見開いた。 「総、帥……?」 「遅かったな。こんな時間まで、どこにいた?」 「申し訳ありません。交通機関が麻痺していて、タクシーで帰ろうとしたところ、前に並んでいた老人に飛んできた看板がぶつかりまして。放っておけないので、一緒に病院に……」 「四時頃に電話をしたが、お前は出なかった。……お前は、今までどこにいた?」 シキはもう一度同じ問いを繰り返した。アキラははっとした表情になり、もう一度謝罪を繰り返した。 「申し訳ございません。俺は……街に昼メシを食べに行っていたんです。その……オムライスを……」 「オムライス?」 はい、とアキラは頷いた。 彼は彼なりに、シキの中に潜む強烈な執着について察しているようである。それがあまりにも膨らみすぎて、シキにもコントロールができなくなり始めると、アキラがそれに気づいて宥めるような言動を取ることがあった。おそらく、今回もそうだったのだろう。今の今まで隠す素振りを見せていたのが、つっかえながらも打ち明けていく。 「……総帥府の食堂のメニューにはオムライスがないでしょう……? 何度か、リクエストしてみようかとも思ったんですが……オムライスなんて子ども向けの料理をメニューに採用してもらえるとも思えなくて……。それで、一人きりの休みの日には街にオムライスを食べに行っていたんです」 「……いつも同じ店にか?」 「いえ……。グルメガイドを見て、いろんな店のオムライス食べ歩きを……」 これです、とアキラは鞄から雑誌を取り出して見せた。その表紙には、ポップな文字で『街のカフェ特集!』と印刷されている。 シキは思わず脱力してしまった。 「……なぜ俺に隠していた」 「だ、だって……。オムライスにそこまで執着するなんて、子どもっぽいっていうか……むしろオムライスオタクっぽいというか……。あなたに引かれそうだったので……」 「その懸念は、分からんでもないが……。いいか、アキラ、それでも俺はお前の所有者だ。たとえお前がどんな姿を見せようとも、どんな性癖を持とうとも、俺はそんなお前を受け止める。途中で放り出すことは……放り出してやることは、決してない。覚えておけ」 「! ……はい!」 目を丸くしたアキラが勢いよく返事したときだった。ぐぅと間抜けな音がどこかから上がった。見れば、アキラが恥ずかしそうに腹部を押さえている。 「どうした? 腹が減ったのか?」 「あ……申し訳ありません。こんな天気で目的の店が休みだったので、昼も夜もまだ食べてなくて……」 「ならば、俺が作ってやろう。お前は疲れているだろう? 座って待っていろ」 シキは微笑して台所に向かった。ちょうど冷蔵庫に冷やご飯が残っていたのを使って、手早く二人分のオムライスを作る。 出てきた料理を見て、大人しくテーブルに着いていたアキラはぱっと目を輝かせた。 おまけ シキ「美味いか? アキラ」 アキラ「はい! 今まで食べたどの店のオムライスより、一番、美味いです」 シキ「そうか。ならば、これからお前が食べるオムライスを作る権利は俺のものだ。生涯、俺がお前にオムライスを作ってやる」 アキラ「ありがとうございます! ……何だか、プロポーズみたいで照れますね」 シキ(みたいじゃなくて、そうなんだが……) 2012/04/15 |