幼馴染の話


*アキラは幼い頃、孤児院からシキの家の使用人夫婦に引き取られました。
*お話の中でアキラの言う「旦那さま」=シキ・リンの父親です。




 アキラはトシマの入り口に立ち、荒廃した街の景色をじっと見つめた。ついにここへやって来たのだ。自分がこの街で成し遂げるべきことに思いを馳せ、堅く拳を握り締める。
 第三次世界大戦の復興から取り残された旧祖地区の中にある魔窟・トシマ。そこは麻薬組織ヴィスキオの本拠地であり、ヴィスキオの首領である王(イル・レ)が街を支配しているという。王はトシマでイグラというルール無用のバトルゲームを開催し、勝ち上がった人間と戦うのだそうだ。その際、挑戦者が王に勝つことができれば、ヴィスキオの首領の地位は挑戦者のものとなる。地位だけでなく、ヴィスキオが独占販売する麻薬ラインによって得る利益も。社会からはみ出してしまった若者たちの中には、一攫千金を狙ってトシマを目指す者も少なくなかった。
 しかし、アキラはそうした若者とは、事情が異なっている。トシマには、人を捜しに来たのだ。
 探し人は二人。かつて、孤児院からアキラを引き取った両親が、仕えていた名家の息子たちだ。両親は住み込みで邸で働いていたため、アキラは兄弟と親しく接してきた。兄のシキは兵士として大戦に参加したまま行方不明になったが、やがて裏の世界で生きているらしいことが確認された。弟のリンは、大戦後に窮屈な家風に反発して家を出て、チームを作った。が、そのチームを何者かによって潰滅させられ、仇を追ってトシマへ入ってしまった。情報収集をした結果、そのリンの仇がどうやらシキらしいとアキラは推測している。
 幼い頃の優しいシキを知るアキラは、彼がリンのチームを潰滅させたということが信じられなかった。もし、推測が正しいならば、何か理由があってのことなのだろう。だが、どんな事情があっても、シキとリンを実の兄弟同士で闘わせるわけにはいかない。アキラは二人を捜しに行きたいと思った。
 もちろん、日興連とCFCの境界線の間にある旧祖地区に入るのは、簡単ではない。そんなときだ。シキとリンの家で当主であった二人の父親が危篤状態に陥った。いよいよ後継者を指名しなければならないという状況になったため、アキラは自ら二人を捜しに行くことを志願したのだった。
 シキとリンの家はいわゆる旧家で、各方面への人脈も厚い。その人脈を利用して、すぐにアキラが旧祖へ入る手段が講じられた。おかげで、アキラはイグラ参加者を装って無事にトシマに来られたのだった。
 トシマに入ったアキラは、途中、バトルを吹っ掛けながらも、シキとリンを探した。幼い頃にはシキやリンと共に武術の真似事をして遊んだし、ある程度の年齢になってからは物珍しさからバトルゲームBl@sterに飛び入りで参加して、優勝したこともある。生命のやり取りをするトシマのような環境は初めてだが、アキラも腕には多少、覚えがあった。
 そんな中でのこと。中立地帯とされているクラブで、アキラは人々の話に耳を傾け、情報収集を行っていた。
 と、不意にバタンと荒々しくドアが開く。血相を変えた男が、フロアに駆け込んで来た。
「シ……“シキ”だ! “シキ”が出たぞ……!」
 途端、店内のざわめきがひときわ高くなる。はっとしたアキラは、立ち並ぶ人々をかき分け、クラブに報せをもたらした男に詰め寄った。
「場所は? シキはどこに現れた!?」
「よっ……四番通りの交差点の辺りに……」アキラの態度に気圧されたように答えた男は、すぐに卑屈な調子で付け加えた。「……だが、やめておいた方がいい……。お前、殺されるぞ」
(――余計な世話だ。俺はシキに会うために、この街へ来たんだから……)
 心の中で呟いて、アキラはその場から駆けだした。クラブを出て、大通りを東へ。シキが出現したという四番通りを目指す。先日、中立地帯で知り合った源泉という情報屋から、アキラはトシマの街の大まかな地理を教わっていた。それが役に立った。
 やがて、前方に問題の交差点が見えてきた。風に乗って運ばれてきた血臭が、つんと嗅覚を刺激する。
 アキラは思わず眉をひそめた。シキが出現した場所から血臭が漂ってくるということは、そこで彼が誰かを殺傷したということだ。今のシキが何をしているのか、アキラも裏の世界の噂に聞いて知っている。それでも、昔の優しかったシキに接してきた身としては、話に聞く今の彼の姿は到底、信じられるものではなかった。
『――アキラ』
『泣くな、アキラ。大丈夫だ』
『俺がお前とリンを守ってやる。だから、何も怖がらなくていいんだ』
 幼い頃のシキの声が、脳裏に甦る。
 アキラは過去の優しい思い出を、現在の目の前の血なまぐさい光景から守るように、そっと頭の片隅に押し戻した。行く手には、血を流して倒れている人間の姿があった。それに怯みそうになりながらも、恐怖を堪えて先へ進む。そのうち、前方に黒ずくめの衣装の人物が見えてきた。
 真っ直ぐに伸びたその人物の背筋に、幼い頃のシキの凛とした後ろ姿のイメージが重なる。黒ずくめの人物の顔を見るまでもなく、アキラにはそれが誰なのか分かった。
「――シキ……」
 その声に反応して黒ずくめの衣装の人物が振り返る。艶やかな黒髪に紅い瞳、白い秀麗な面。幼い頃の面影を残して、シキは大人になっていた。
 問いただすべきことがあるのに、アキラは懐かしさに胸が詰まって言葉が出てこなかった。ただ彼の名前を繰り返すばかりだ。
「シキ、だろう……?」
「お前はアキラか」低い響きのいい声で、シキは尋ねた。その表情は冷たく、アキラを突き放すかのようだ。「なぜ、ここにいる?」
「……俺はあんたに会いに来たんだ。旦那さまが病にお倒れになった。かなり容態が悪いんだ。あんたとリンに、会いたがっていらっしゃる」
「そうか。お前はあの家の遣いで来たのか。入ることはできても出られないというこのトシマに、よく来たものだ。だが、俺はあの家を捨てた。父上には、リンを跡継ぎにするように伝えろ。……そのために、リンを“生かしておいてやった”のだからな」
“生かしておいてやった”――つまり、生命を奪うこともできたという意味だ。やはり、リンのチームを潰滅させたのは、シキなのだろうか。そのことを尋ねるのは、アキラも気が進まなかった。もしyesと答えが帰ってきたら、かつて憧れたシキが変わってしまった事実に直面しなければならないからだ。
 しかし、ここまで来て、逃げるわけにはいかない。アキラは意を決して顔を上げ、シキを見つめた。
「シキ……。やっぱりあんたが、リンのチームを潰したのか?」
「それがどうした?」
「なぜ、そんなことをしたんだ。チームの仲間は、リンにとって命の次に大切な存在だった。そうでなくとも、昔、あんたに仲間を守ることを教え込まれたリンが、チームを潰されたら恨むことくらい、分かったはず」
「それがどうした? リンももはや捨てた家族だ。今はもう、何の繋がりもない。情けを掛けてやる義理などないんだ」
 冷たい表情でシキは言った。その顔に、昔の彼の面差しが重なる。彼の心が変わってしまったことに、アキラは言いようのない悲しさと寂しさを覚えた。魔窟トシマへ飛び込むにあたって、心のより所としていたシキとリンとの思い出。その支えが崩れていく気がする。
 リンの仲間を殺したのには事情があるのだと言ってほしくて、アキラは必死に言い募った。
「違う! あんたはリンを傷つけるような真似ができる奴じゃない!……昔、リンが谷に落ちたとき、自分の危険も顧みずに真っ先に助けに行ったじゃないか」
「黙れ。それは昔の話だ。今は違う」
「違わない! あんたは弱者をいたぶれるような人間じゃない。そんなこと、俺はよく分かってるから。……何か理由があるんだろ?」
「黙れ……!」
 苛立ったように叫んだシキが、地を蹴って駆けてくる。あっという間にアキラに肉薄した彼は、身体ごとぶつかてきた。とっさのことで支えきれず、アキラはシキ諸共、アスファルトに倒れ込んだ。
「くっ……」
 アキラは必死にもがいた。が、その甲斐もなくシキに身体の上に乗り上げられ、押さえ込まれてしまう。彼は刀の鯉口を切って少しばかり出した刃を、アキラの咽喉もとに突きつけた。
「動くな」
「……っ。シキ……あんた、何があったんだ? 強くて優しいあんたは、俺の――そう、憧れだったのに」
「煩い!」シキはアキラの頬を殴りつけた。次いで、シャツの襟首をつかんでアキラを引き起こす。「来い。二度と無駄口がタタケないようにしてやる」


 シキに連れて行かれたのは、廃アパートの一室だった。スプリングの壊れたベッドの上に突き飛ばされて、アキラはわけが分からないままシキを見上げた。いったい、こんなところへ連れ込んで、彼は何をするつもりなのだろう? 冷たいシキの表情からは、何を考えているのか、読みとることができない。
「――シキ?」
 不意にシキは手を伸ばし、アキラの肩を掴んだ。ぐぃとマットレスに押し倒されたところで、ようやく、自分の身に何が起ころうとしているのかを悟る。身体の上に覆い被さって来るシキが、まるで見知らぬ男のように思えた。
「っ……。い、やだっ……!」
 アキラは無我夢中で暴れた。強引に振った腕が、運良くシキの拘束を振り切って自由になる。滅茶苦茶に動かしたその手に思いがけない衝撃があり、アキラははっと動きを止めた。見れば、シキの唇の端に僅かに血が滲んでいる。アキラが振り回した拳が頬に中ったせいで、歯で唇を切ったのだろう。
(殴り返される……!)
 あくまで冷たいシキの目に、アキラは報復を予感して固く目を瞑った。が、痛みはいつまで経っても訪れない。おそるおそる目を開けてみると、シキは考え込むような表情で唇の端の血を舐め取っているところだった。
「……殴らないのか?」
「……被虐趣味があるのか?」
「違う! ただ……俺のせいで、あんたは怪我したから、怒ったんじゃないかって……」
「殴られたことくらい、何度もある。今更、この程度どうということもない」
 淡々としたシキの言葉。アキラが知らない間に彼が経験してきた過酷な闘いの一端が、垣間見えるかのようだった。アキラは彼が受けたという痛みを想像して、悲しくなった。何もできないかもしれないが、せめて痛みを受けた彼の傍に自分がいられたらよかったのに、と思ってしまう。
 せめて、今、この瞬間の痛みだけでも慰められたら、とアキラは自分が殴ったシキの頬にそっと触れようとした。が、その手を掴まれ、ベッドに押しつけられる。
「もう、黙れ」
 そう囁いて、シキはアキラに顔を近づけてきた。言葉を奪うように唇を重ねられる。触れ合った唇は熱く、その熱はすぐにアキラの全身を侵した。抵抗も忘れて、陶然と口づけに身を任せたくなる。
 街中での手荒さからは考えられないほど、シキは優しくアキラの唇をついばんで離れていった。そのまま、至近距離からアキラの目をのぞき込んでくる。アキラは彼の紅の瞳の中に、情欲の炎を見つけた。彼が欲情したのを見るのはこれが初めてだが、自然と“そう”なのだと感じた。
(――応えたい)
 論理も理屈も常識も超えたところで、不意にそう思う。そうすることで自分がどうなるのか、理性で考えてみようとはしなかった。ただ、シキから求められたなら、それを受け入れたいという意思だけが、そこにあった。
 アキラはシキの首に腕を回し、彼を引き寄せた。


***


 薄暗い部屋の中、カーテンのない窓から差し込む月明かりの下で、シキはベッドに横たわるアキラを見つめていた。少なくとも同性とは初めてであろう行為の後、彼は気を失うようにして眠ってしまった。月明りに浮かぶその寝顔は、子どものように安らかだ。
 シキは、幼い頃のアキラを思い出していた。
 いつも一緒にいた子ども。まだ少年であったシキは、いつしか弟だけでなく彼も守るべき対象として考えるようになっていた。しかし、それももう昔のことだ。
 時を経てシキの前に現れたアキラは、昔の面影を残しながらも変わっていた。幼さが抜けて、美しくしなやかに成長していた。そのせいだろうか。最初は脅して帰らせるつもりだったのが、つい歯止めが利かずに抱いてしまったのは。
『――シキ……シキ……』
 行為の最中の上擦ったアキラの声が、艶やかな表情が、脳裏に甦る。
 大戦後、心を捨てたつもりで生きてきた。それなのに、アキラに捨てたはずの心を奪われてしまうとは――。
「チッ……」
 シキは鋭く舌打ちして、すぐに己の考えを打ち消した。アキラを抱いたことは、一時の気の迷いだ。彼に惹かれる心など、捨ててしまわなければならない。そうしなければ、到底、あの男には勝てないのだから。
 シキはアキラの寝顔から視線を外すと、ベッドから立ち上がって身支度を始めた。




2012/05/12

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