布団から出たくない ことりとも音のしない静かな朝だった。ふと目が覚めたアキラは、布団の中から頭を出して辺りの様子をうかがった。見れば畳敷きの和室の中は思ったよりも明るい。白い障子越しにも、空に日が昇っているのだろうことが分かる。 「っ……寒っ……」 外に出していた首や肩口が部屋の空気に冷やされて、アキラは思わず身震いした。慌てて暖かな布団の中に逃げ込めば、そこにすぅすぅと眠っているシキがいる。明るくなってきた部屋とは違って、薄暗い布団の中でアキラは間近にシキの顔を見つめた。ひどく安らかな寝顔だ。こうしてシキと新たな年を迎えられることが幸せすぎて、じわっと胸が熱くなる。 昨夜はシキと抱き合っていたので、布団の中では二人ともまだ裸だ。暖かさの中で素肌と素肌が触れ合って、ゆっくりと互いに溶けていきそうな気がしてくる。そんな感覚もまた幸せで、アキラは自然と笑みを浮かべていた。 そもそも、裏の世界で生きるシキとアキラが落ち着いて時を過ごせる機会は、あまり多くない。たとえ人目につかない場所に身を隠していても、意識の片隅は周囲を警戒しているのが常だった。シキが長い眠りから目覚めていなかった頃は、年越しにさえ寒さに震えながら廃墟で野宿をしたこともあるくらいだ。それを思えば、今年は何と幸せなことだろう。 今、アキラたちが滞在しているのは、シキの縁者の邸の離れだった。少なくともシキはそう説明したのだ。けれど、邸の人間が彼に示す恭しい態度を見るにつけても、ただの縁者の邸というわけではないのだろうと思う。もっとも、アキラにそれを尋ねるつもりはなかった。真実を打ち明けたいならシキはそうするだろう。黙っているのは、アキラが知るべきではない情報だからだ。 それに、シキは邸の人間に用があるわけではないようだった。大きな仕事を終えた二日前、アキラを伴って邸に来たシキは、『しばらくここで身体を休める』と宣言した。年始くらいはお前ものんびりしたいだろう、と。彼がアキラの身を気遣ってくれていることは明らかだ。アキラはありがたくシキの気持ちを受け取ることにした。 この邸は造りが和風なだけでなく、人々もたいてい和服を着ている。出される料理も和食ばかりだ。最初は少し戸惑ったアキラも、すぐにそういうものかと馴染んで物珍しさを楽しむようになった。着物もシキに着付けてもらわねばならないので少し気恥ずかしいが、それでも楽しいと思える。ただ、難点はシキが目覚めなければ、着付けてもらえないということだ。 「……それにしても寒いな。昨日、天気予報で今日は雪って言ってたけど……」 アキラは呟いた。が、シキはよく眠っているようで、起きる気配がない。 ……雪は本当に降ったのだろうか。 ぜひ、見てみたい。 はしゃいだ気分でそう思ったアキラは、布団から手だけを出して畳の上を手探りした。指先に触れた布地をえぃっと引き寄せる。布団から頭だけ出して見れば、引き寄せた着物はどうやらシキが身につけていたものらしかった。昨夜、シキの肩からその着物を滑り落とした覚えがある。 「うーん……。まぁ、いいか」 少しの間、借りるだけだ。 アキラは布団から滑り出て、シキの着物を羽織った。脱いだまま放置されていたそれはひやりと冷えている。けれども、布地から立ち上るシキの匂いに妙に胸が高鳴った。シキ本人が布団の中にいるのだから、匂いなどもっと近くで感じることができのだが――彼と同じ匂いをまとっているということが、何だか嬉しくて仕方ない。 つかの間、寒さも忘れてうきうきと着物の前をかき合わせたアキラは、裸足でそっと畳の上を歩いていった。障子に歩み寄って、そっと横に引く。できた隙間からのぞけば、部屋の前の庭は期待通りに薄く雪に覆われていた。土や岩の部分が雪に隠されて白く染まった庭の中で、シキの瞳のように紅いサザンカの花だけがひどく色鮮やかだ。 その光景に見とれて、思わずため息を吐いたときだった。 「――んん…………アキラ……?」 くぐもったシキの声が聞こえてくる。振り返れば、布団からシキの腕だけが突き出して、何かを探しているところだった。何を探しているのだろう? 着物か、それとも、アキラなのか――どちらにせよ同じことだった。今はどちらも障子の傍にあるのだから。 シキの手はどちらも見つけるこどができず、ふらふらとさまよっている。どこかユーモラスなその図に、アキラは思わず小さく噴き出した。布団の傍へ引き返し、シキの手を取る。 「あけましておめでとう、シキ。着物借りてた」 「……俺が探しているのは、中身の方だ」 布団から出ないままにシキが言うものだから、アキラは少し笑って布団にもぐりこんだ。すると、シキは自らの言葉通り、外側は不要とばかりにアキラの着物を脱がせ、布団の外に放り出してしまう。 これでいい、というように満足げな息を吐いたシキは、アキラを抱きしめた。が、すぐに拗ねた声を出す。 「……冷たい」 「そりゃ、布団の外にいたから。今日は雪が降って、庭に積もってるんだ」 「道理で寒いと思った。布団から出たくない」 「そうだよな。あんた、普段から体温低いもんな」 「どういう納得の仕方だ、それは」 「蛇とかトカゲとか、冷血動物は寒いと動けなくなるんだって?」 「俺が寒くても動けることは、昨日の夜、さんざん証明してやっただろう。……だが、取りあえず寒いな。今は動きたくない」 「いいんじゃないか。元旦だし」 「一年の計は元旦にありと言うが……この一年、こんな風にだらだらになってもいいのか?」 動きたくないと言う癖に、シキはそんな風にアキラに反論する。アキラは可笑しくて笑いを堪えながら頷いた。 「俺は別にいいよ。もしできることなら、一生こうしていたいくらいだ。布団の中であんたとベタベタだらだらしてるうちに、世界が終わってしまえばいい」 「布団の中でだらだらするだけとは……最高に無意味な人生だな。だが、お前とならそれも悪くないだろう」 アキラの可笑しさが伝染したのか、シキまでもくつくつと笑い出す。笑いながら抱き合ううちに身体が暖かくなり、アキラはシキと共にゆっくり微睡みへと落ちていった。 2013/01/01 |