バレンタイン
*性的な描写あり注意





 シキが戻ったとき、<城>は常ならぬ雰囲気の中にあった。
 いつもなら、シキがしばらく不在にしていて戻った日など、<城>はピリピリとした緊張感に包まれている。その原因には、主が戻ってきたため使用人たちの気が引き締まったということもあるだろう。だが、それ以上に、シキが久しぶりに戻ったときの緊張は、主が私室に住まわせる愛妾の火遊びが発覚したときのことを、使用人たちが恐れるが故ものだといえる。
 <城>におけるシキの私室に住まう愛妾とは、アキラのことだ。
 かってトシマで見出したアキラを、シキはトシマを出て後も恐怖と快楽で繋ぎとめ続けた。初めのうちは抵抗を示してたアキラだが、シキがnicolを含む自分の血液を利用して<ヴィスキオ>を再興し<城>を立て直す頃には、最早別人のように成り果てていた。今やアキラには、かっての思わず触れて壊したくなるような、硬質さはない。あるのは男も女も甘く誘う淫靡さだけだ。
 変わり果てたアキラは、快楽に貪欲だった。シキがそのように仕込んだ。だからアキラは、シキが惜しみなく与える快楽を貪り、自ら強請りもした。更には、シキが長く傍を離れれば、あてつけのように自ら<城>の男を寝室に誘い込んでは抱かれた。もっとも、アキラが男を誘うのは、セックスで得る快楽よりもその後のシキの態度を愉しむためではないか、と思える節があった。というのも、アキラが男を誘うのは決まってシキが<城>に帰還する直前で、敢えてシキに見つかることを前提とするタイミングばかりであったからだ。
 こんな風であるから、<城>の使用人たちの間では、<王>がしばらく<城>を空けてから帰還すると血の雨が降る、というのが暗黙の了解になっている。だから、シキが帰還すると<城>の空気は張り詰めるのだ。
 しかし、今回は違った。気が緩んでいる、というのではないが、<城>の雰囲気が妙にのんびりとしているのだ。顔は無表情のまま、それでもシキは内心首を傾げるような気分だった。
 供の部下を下がらせ、ひとり私室へと向かう。最初はあちこちに人のざわめく気配のあった廊下も、奥に進むにつれて次第に静かになっていく。そうして、しんと静まり返った<城>の最奥の私室へ辿り着いたところで、シキは扉に手を伸ばした。が、扉は触れるよりも先に開いた。
 戸口に立って出迎えたのは、大きめのシャツ一枚をまとっただけの姿のアキラだった。足音を聞きつけていたのか、或いは対になる非nicolの血が感応したのか、帰ってきたシキを目にしても意外そうな素振りもない。
 「……おかえり」
 そう言って、アキラは微笑した。
 そこで、シキは<城>に対して感じたのと同じ違和感を感じて、僅かに眉をひそめた。
 よくよく考えてみれば、違和感の原因はアキラだった。ふつうシキが長く留守にして戻ったとき、アキラは男を寝室に引き込んでいるところなのだが、今日はそれがない。出会った頃よりも華奢になった身体には誘うような色香があるがそれだけで、他の男との情交の名残は見出せなかった。
 はて、と訝しみはしたものの、とっさにシキは疑問を口にすることを思いとどまった。
 アキラの性質の悪い遊びは毎度のこと、むしろ男を引き込んでいない今回の方が珍しい。しかし、だからといってアキラの所有者であるシキの立場では「男を誘わなかったのか」と尋ねるのは、どうにも妙ではないか。
 黙っているシキを見て、戸惑いの原因であるアキラは、不意に小さく声を立てて可笑しげに笑った。途端、男女構わず情欲をそそるような淫靡さはその面影から消え、子どものような無邪気さが現れる。アキラがシキ以外の前では見せることのないそうした面には、トシマの頃の人馴れぬ獣のような頑なさと形は違っても、どこか通じる稚なさがあった。その稚なさそのままの仕草で、アキラは左手を差し伸べて指先でシキの頬を軽くつついた。
 「あんた、妙なカオしてる。俺が男を引き込んでないのが、そんなに意外か?」
 「普段のお前の行いを思えば、信じられん事態だな」シキはため息を吐いた。
 「それは、あんたが俺を放っておくのが悪いんだ。信じられないことだって言うなら、確かめてみる?」
 頬をつついていた左手でアキラはシキの手を取り、悪戯とも愛撫とも取れる仕草で革の手袋を外した。そして、そのままシキの手を臀部、更には後孔へと導く。
 導かれて触れたそこはさらりと乾いて固く閉ざされているのを、シキは指先に感じた。「本当に男を引き込まなかったようだな。珍しいこともある」確かめるように閉じている後孔の表面を撫でて指先で押せば、それだけで快楽に馴染みきったアキラは艶めいた吐息を零し始める。シキの指先が奥へ進もうとすると、アキラはシキの手を取って口に指を含み、唾液を絡めてから再び後孔へと導いた。当然のことのように、先を強請る仕草だった。
 「んっ……だって……もうすぐ、バレンタインだろ……」体内へ差し入れられた指に息を乱し、シキにしがみつきながら、アキラはなぜか拗ねた口調で言った。「この時期……男を誘うと、絶対いるんだ……チョコを使いたがる奴が……」
 「――チョコだと?」
 思いがけない場面で飛び出した名詞に、シキは思わず聞き返した。驚いた拍子に、後孔に挿し入れて戯れに内部をまさぐっていた指も動きを忘れる。
 「そう、溶かして垂らしたりとか、垂らしたのを舐めたりとか……俺を食ってるみたいで興奮するんだってさ。べたべたして気持ち悪いんだ、あれ。固まるとゴワゴワするし」
 快楽にぼんやりしはじめていた顔をしかめて、アキラは嫌そうに言い募った。血や精液は、同じべたつくにしても食べ物でないだけ我慢できる。酒は消毒用アルコールだと思うことができるし、アキラ自身は飲めないから食べ物の範疇には含まない。ただ、チョコレート――というか、食べ物を性行為に使うことだけは、勿体なくて許せないのだという。
 これは、いかにも第三次世界大戦やその後の物資欠乏の時期を過ごした人間らしい物言いだった。シキも第三次大戦は食糧も不足しがちな前線に出ていたから、モノへの執着は薄いながらも、食べ物を無駄できないというアキラの強迫観念にも似た思いは理解できる。今でこそ<城>で王侯貴族のような生活をしているが、シキもアキラも必要最低限の衣食住があれば十分だと思える類の人間なのだ。
 しかし、主に操を立てるにしては、何とも奇妙な理由だとシキは呆れる気分だった。
 そうするうちに、アキラが自ら腰を揺らした。体内に留まったまま動かないシキの指に、焦れ始めたのだろう。
 「主が与えるまでしばらく待てないのか」
 「んっ……待てない……大人しくしてたんだから、褒めてくれてもいいだろ……」
 「仕方のない奴だ」
 呆れた口調で言いながらも、シキは指を更にアキラの体内深くに挿し入れ、本格的な刺激を与え始める。しがみついたまま肩口に零れるアキラの吐息は、次第に甘い喘ぎ声へと変わり始めていた。「……んっ……ぅあっ……!……シキ…っ……」甘えたようにアキラが声を発する。名を呼ばれ、言下に求められるままにシキが顔を寄せれば、唇が触れ合う寸前アキラは吐息の下から囁いた。

 「――同じ食われるなら……俺はあんたに食われたい」






2009/01/23

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