キス・イン・ザ・ダーク *PS版ED1後、恋人にならないままシキの眠り→復活となったシキとアキラです。 シキは俺の知らない知識を、世界を俺に見せてくれる。きっと彼と出会わずに生きていたら、一生、気づくことのなかったはずのそれらを。俺はそうした未知の経験を、今では楽しみにしているのだ。けれど、たぶん、シキはそのことを知らないでいる。だって、そうでなかったら、言わないはずだ。『俺と共にいることで、お前に何の利点がある?』だなんて。 先に述べたように、利点はいっぱいある。たとえ利益がなくたって、俺はシキの傍にいたい。もっとも、そう言うとシキが変に思うかもしれないので、告げられないでいる。なぜなら、俺とシキは仲間でも親友でもない――見知らぬ他人よりは少しだけ近いかもしれない、というほどの遠い関係だからだ。 俺とシキは五年前、旧祖地区の街・トシマで出会った。当時、俺たちは敵同士。一つ間違えば、俺は最強と名高いシキに殺されても仕方のない状況だった。けれど、どういうわけかシキは俺を殺さずに、傍に置いた。間もなく日興連とCFCの内戦が始り、シキは俺を連れて旧祖地区を出た。 そのときにはもう、シキは虚無に蝕まれていた。彼は少しずつ気力を失って――やがて、自らの意思で動かなくなった。“眠って”しまったのだ。俺に『どこへでも好きな場所へ去れ』と言って。だが、俺は去らなかった。シキが目覚めないならその最期を見届けるつもりで、傍にいつづけた。 そして、二年後――唐突にシキは目覚めたのだった。目を開けた彼は少し驚いた顔をして、俺を見つめた。けれど、何も言わなかったし、尋ねようともしなかった。長い眠りで身体が衰えていた彼は、見る間に体力を取り戻し――半年後には普通に活動できるようになった。 今では、裏の仕事で生計を立てている。シキが眠っている間、裏の仕事に手を染めていた俺も一緒だ。何となく、自然にそういう風になっていったのだ。シキから学ぶことは多かっら。俺が裏の世界に入ったのはほとんどなし崩しのような格好だったから、裏の世界の常識について無知だった。シキが目覚めてからいろいろ教えられて、後になってヒヤリとしたこともある。 仕事は、シキ一人で請け負うこともあれば、二人ですることもあった。そうして依頼の来るがままに流れ流れて、気がついたときには俺たちはニホンを飛び出してしまっていた。今はヨーロッパのある小国に身を寄せている。 ヨーロッパは、第三次大戦の初期にひどく混乱した地域だった。というより、それまでの二度の大戦と同じく、資源不足によるヨーロッパの混乱のためにいっきに大戦の火が点火したといえる。 第二次大戦後、世界の覇権を握ったとも言えるアメリカや台頭してきた中国、インド、その他の開発途上国に対して、成熟しきっていたヨーロッパの国々はそれまでの形で対抗することができなかったのだ。結果として、さまざまな国が分裂したり吸収合併したりして世界地図を塗り変えることとなった。それでも、そうした混乱から二十年ほどが経過しており、ヨーロッパは危ういなりにも平穏を取り戻しつつある。 表面上は。 安定を求める表の世界とは裏腹に、裏の世界の住人たちは利益を求めて暗躍している。ヨーロッパにやって来た最初の日に、シキは『まるで百鬼夜行だな』と古めかしい言い方をしたが、その表現は確かに的を射ているのだった。裏の世界からの依頼は、放っておいても舞い込んでくる始末だった。 十月も末のある日。 シキは次の仕事のために情報屋に接触してくると言って、出かけていった。シキが一人で請ける依頼なら話は分かるが、次の依頼は二人で負うと決まっている。そういうときにシキが俺を伴わないのは、これまでにないことだった。 ――もしかして。 ひとりで宿に残された俺は、急に不安になった。とうとうシキは俺に愛想を尽かして、離れることに決めたのかもしれない。だって、今でこそいちおう仲間と言えるかもしれない間柄ではあるが、言葉で何か約束をしたわけではないのだ。本当なら一緒にいるべき理由は一つもない。 「俺には、シキを繋ぎとめられるものは、何もない」金銭も、地位も、女の柔らかな身体も、何ひとつ。 それなのに、シキから離れたくないと、一緒にいたいと願ってしまうのはどうしてだろう。眠る彼を見送ったときは、シキという強い男がどこで潰えるのか、或いは復活するのかを見届けたいというさらりと乾いた好奇心ばかりがあった。だが、彼が復活した今は? シキと行動することに利点があるというだけでは、説明がつけられない。正体の分からない、どろどろべたべたとした何かが自分の中でうごめいているのが感じられる。 俺はもはやシキから勧められた語学本を読む気にもなれず、ホテルの部屋を出た。シキが情報屋と接触すると言っていたクラブを目指して、夜の街を歩いていく。今日の街はなぜだか奇妙な格好をした人間が多かった。とんがり帽子の魔女や、包帯を巻き付けたミイラ男。黒いマントに偽物の牙を生やしたヴァンパイア。 「そうか……。今日はハロウィンか……」 そう呟いたとき、バニーガールの格好をした若い女が「トリック・オア・トリート!」と声を掛けてきた。当然、お菓子なんか持っていないので慌ててしまう。まごついている俺をクスリと笑って、女はオレンジと黒が目立つチラシをくれた。「トリック・オア・トリート」は単なる挨拶で、女はバーか何かの客引きだったらしい。 「気が向いたら、あとでうちにも飲みに来てね!」 如才なく店の宣伝をする彼女にぎこちなく頷きを返して、俺は再び雑踏の中を歩きだした。そうしてようやく目的のクラブにたどり着く。 中へ入ると、そこは赤や青やオレンジの光が舞う空間だった。爆音で流れるユーロビートに乗って、客たちが身体を密着させて踊っている。何だかちょっと雰囲気がおかしいなと思ったら、ぴたりと身を寄せあっているのは皆、男のようだった。というか、あたりを見回しても男しかしない。女の格好の人間はいるが、それだって体格から察するに三人称はheであろうと思われる。 「あ、あれ……?」 本当にここにシキがいるのだろうか? 気配を探ろうとするのだが、熱狂的な雰囲気に飲まれてしまって感覚が上手く使えない。あたふたしていると、急に誰かに肩を掴まれた。見ればぴったりしたレザーの衣装を身にまとった大柄な男が、楽しそうに笑っていた。 ――ねぇ、一人? 俺と踊らない? どうやらそう言っているらしい。聞き取ることはできるのだが、断る言葉が分からずにただ首を横に振った。男はそれ以上食い下がりもせず、残念そうに笑って離れていく。 フロアでうろうろしているうちに、三回ほど声を掛けられたときだ。 「何をしている、アキラ?」 不意に人と人の間から、ぬぅっとシキが現れた。あたふたしている俺の手を掴み、これは自分の連れだというようなことを声を掛けてきたピエロの仮装の黒人に告げている。黒人はやはりあっさりと俺から離れた。 ――お二人さん、お幸せに。 そうウィンクを投げて、人混みに消えていく。 「お、お幸せに……!? あいつ、何で幸せを祈ってくれるんだ!?」 喧噪の中、アキラは大声を上げた。シキも負けない声で返事をする。 「おそらくカップルだと思われたんだろう」 「カップルって……俺とあんたが?」 「あぁ。今夜はこのクラブはゲイナイトだからな」 「ゲイナイト?」 「クラブに入れるのは男……特に、ゲイ限定の夜ということだ」 「あんた、よく知ってるな!」 思わず感心したが、そこで急に不安になた。もしかして、シキは隠していたがそういう嗜好があったのかもしれない。それで、俺には内緒でこのクラブに相手を探しに来たのではないだろうか。だったら、今日は置いていかれたことも納得がいく。 なぜが少しだけ胸が痛んだが、俺はシキに謝った。 「ごめん、シキ。あんたの邪魔をした」 「いや、俺も用事を終えたところだったからな。構わない」 「用事って……あんた、ここで相手を探してたんじゃ……」 「相手だと!?」シキは顔をしかめた。何か言おうとしかけたが、爆音が気になるらしい。天井のスピーカーをちらりと睨むと、彼は俺の手を掴んだ。「ここでは話ができん。出るぞ!」 シキは有無を言わせず、俺の手を引いてクラブの外へ出た。何だか昔にもこういう状況を経験したような……と思い返してみれば、学生時代にBl@sterの会場に出入りしているところを生活指導の教師に見つかったときと似ているような気がする。俺はもう未成年じゃないし、何も悪いことはしていないのにどうしてだろう? ともかく話せる場所へ行こうとシキが言うので、俺は先ほどバニーガールにチラシをもらったバーを提案した。ホテルに帰ってもよかったのだが、怒ったみたいなシキの剣幕が少しだけ怖かったのだ。 バーは、客引きの彼女の格好から想像していたところよりも、はるかにまともだった。落ち着いた静かな雰囲気で、シキが好みそうである。カウンターは常連らしい客たちでそこそこに埋まっている。俺たちは店内でも奥まった席に案内された。 すぐにウェイターが注文を取りに来る。俺はろくに酒の種類も分からないので、注文はシキに任せた。一人のときは無理だが、シキと一緒ならばそうすることにしている。 やがて飲み物を運んできたウェイターが去ると、すぐにシキは話を切りだした。 「アキラ、なぜあの場にいた?」 「なぜって……」 まさかそこから尋ねられるとは思わず、俺は言いよどんだ。まさか、あんたがいなくなるんじゃないかと思った、なんて言えない。と、思っていたら、シキの方がとんでもないことを言い出した。 「まさか、お前こそゲイナイトで相手を探しに来たんじゃないだろうな?」 「な! んなわけないだろ。というか、俺はあのクラブが今夜そういうイベントをするなんて、知らなかったよ! あんたこそ、相手を探しに行ったんじゃなのか?」 「違う。情報屋があそこを指定したんだ。……今回の情報屋は、そういう嗜好の奴でな」 「後ろ暗いことがないなら、俺も連れていけばいいじゃないか」 「そういうわけにはいかない」 「何で。今までは、仕事を請けるときも情報屋に会うときも、たいてい連れて行ってくれたじゃないか。今回だけ置いていくから……俺は、あんたが俺を放って去っていくのかと思って」 うっかりぽろりと本音が転がり落ちる。はっとして顔を上げると、バーの薄暗い明かりの中でもシキが目を見開いているのが分かった。 「ここまで一緒にいたんだぞ? 置いて行くわけがないだろう」 「……そんなの分かるもんか。だって、俺は勝手にあんたについて来てるだけだ。あんたを雇ってるわけじゃないし、血縁でも恋人でもない。本当なら一緒にいる理由はない。あんたが離れようとしたら、繋ぎ止めることは出来ないんだ……」 「……」シキは黙ったまま、バツが悪そうな顔をしていた。が、やがてぼそぼそと口を開く。「今日は……俺がお前をあの店に連れて行きたくなかっただけだ。お前に他の男が寄って来るのが、分かりきっていたから……」 「なんでだよ? 俺なんかより、あんたの方がずっと綺麗だし男らしいし、魅力的だ。あんたに寄っていくなら分かるけど、俺なんか別に誰も気にしやしないよ」 「馬鹿を言うな。実際に寄って来ただろうが」 「偶然だろ」 「……お前は自分のことをもっと把握した方がいい」シキは盛大に顔をしかめた。「だが、仮に偶然だったとしても、俺が嫌なんだ。お前に他の男がまとわりつくのを見ると、気分が悪い」 あれ? なんだか話が妙な方向に行ってないだろうか。とりあえず、俺は軌道修正を試みることにした。 「えっと……じゃあ、あんたは俺から離れるつもりじゃないんだな?」 「あぁ。今後、生きていくならば、お前と共に行きたいと思っている」 シキは静かに言った。その言葉に、全身の細胞が沸き立つように歓喜する。だけど、本当はシキをつなぎ止める手段がないのだと気づいてしまった今、俺は彼の言葉だけでは満足できなかった。もしかすると、彼を呆れさせてしまうのかもしれないけれど、言わずにはいられない――。 「あの、さ……。それなら、俺、あんたが一緒にいるっていう保証がほしい……」 「保証だと?」 「うん……。あんたが眠ったとき、俺は好奇心から側にいつづけたけど……今度、もし同じことになったら、俺は前みたいにただあんたと一緒にいることはできないと思うんだ。冷静に傍にいるには……俺の心はあんたに寄りそいすぎている。だから、改めて傍にいるための証がほしい」 俺は懸命に言った。全身に力を込めていないと震えだしそうなくらい、緊張している。それでも俺は、シキの返事を待った。 短い間の後に、シキは口を開いた。彼もまた、何かを堪えているかのような表情をしている。 「――アキラ。お前、自分が何を言っているのか、分かっているのか?」 「たぶん、分かってる」 「いいだろう。なら、そのカクテルを飲んでしまえ。部屋に戻るぞ」 「え? 返事は?」 シキは俺の問いにため息を吐いた。 「そのカクテルが俺の返事だ。目覚めてから、ずっとな」 カクテルが返事と言われても。俺は首を傾げて、自分の前に置かれたカクテルのグラスを見つめた。赤い色をした綺麗なそれは、そういえば、注文を任せる度にシキが選んでくれるものではないだろうか。あまり酒に興味がないので、たいして意識したことはなかったけれど……確か、このカクテルの名前は。 『――こいつには、“キス・イン・ザ・ダーク”を』 幾度となく聞いたことのある、シキの注文の声が脳裏に蘇る。“キス・イン・ザ・ダーク”――暗闇の中でキスを。 それが答えだって? だが、今回だけじゃなくシキは以前からずっと俺に同じカクテルを注文し続けている。それはつまり? 思考がぐるぐると頭の中で回る一方で、頬が火照ってくる。 「……あのさ、答えはたぶん分かったと思うけど……いつから?」 「教えるつもりはない」シキはにやっと意地の悪い笑みを浮かべて、自分のグラスの中身を干した。「誰かが鈍いのでな。さんざん俺を待たせた罰だ。悩み続ければいい」 そう言われると、対抗心が燃え上がるのが俺の悪い癖だ。俺はグラスを持ち上げて、一気に中身を飲み干した。 「部屋に帰ったら、絶対、聞き出してやる」 「ほぅ? いい目をする。俺の好きな目だ」 戯れのようにシキが睦言を囁く。部屋まで待ちきれない俺は彼に身を寄せて、ボックス席の暗がりで唇を重ねた。 2013/10/14 |