クリスマスの話 シキが国外へ発ってから、三年後――。 十二月二十四日。 大学一年になった俺は、コートを着込んで空港にいた。 今日は海外へ留学したシキが、クリスマス休暇でニホンへ戻って来る予定だ。俺はずっとシキと過ごせる休暇を心待ちにしていた。何せシキは多忙で、アルバイトと勉強のために夏の休暇は留学先に留まらなければならず、ニホンへ戻って来なかった。彼の帰国は、ほぼ、一年ぶりだ。帰ってきた彼と過ごすために、俺はアルバイトの予定を入れなかった。 なのに。 タイミング悪く、俺は風邪を引いてしまったらしかった。腹立たしいので体温は測っていない。けれど、厚着していても悪寒を感じる。頭痛はないが、身体は少し怠い。俺はこの体調不良を、何とかシキから隠し通さなければと思った。もちろん、シキは俺の急な体調不良を知ったとしても、機嫌を損ねたりはしないだろう。それどころか、あれで兄気質なだけに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるに違いない。分かっているけれども、俺はシキに風邪を引いたことを知られたくなかった。 だって、一年ぶりに恋人同士が再会するのだ。思う存分、恋人らしいことをしたいと考えるのが、人情というものだろう(もちろん、風邪を伝染すような接触には、注意しなければならないだろうが)。それを、俺の風邪のせいで台無しにしたくはなかった。 幸いにも、咳や鼻水など、ぱっと見に風邪と分かる症状は、現れていない。上手くすれば、きっと誤魔化し通せるはずだ。そう信じながら、俺は空港のロビーでシキを待っていた。 シキは連絡通りの飛行機で、帰国してきた。俺はすぐにロビーに現れたシキを見つけ、駆け寄った。 「おかえり、シキ!」 「あぁ……。アキラ、今、帰った」 シキは傍に立った俺を、軽く抱き寄せた。疾しいところなどない、いかにも友人同士らしいハグ。だが、一年ぶりにシキに接する俺は、それだけでももう、鼓動が速くなってしまう。シキにも問題があるだろう、と俺は心の中で少しむくれた。海外生活も三年になるシキは次第に海外の流儀に染まってきている部分があるのか、ふとした拍子にも俺に触れたがるのだ。ずっとニホンにいる俺は少し気恥ずかしくもあるけれど、悪い気はしない。普段なら。 だが、今日、このときは気が気ではなかった。ハグしたことで、発熱しているのを気付かれるのではないかと思って。 「っ……。あ、そうだ、シキ! ロビーの向こうに、クリスマスツリーの飾りがあるんだ! 豪華なツリーで、最近ニュースでも話題になったんだ。帰りに、ちょっと見てもいいか?」 俺はさり気なく身体を離しながら、さほど興味もなかったツリーを話題に出した。シキは少し首を傾げたが、「あぁ」と頷く。 カップルや家族連れで賑わうツリーを見学した後、俺たちはバスで俺の家のある街まで戻った。俺は高校卒業後、シキがかつて進学したいと願ったこともあるというT大に進んだ。今は実家を出て、一人暮らしをしている。シキが俺のアパートを訪れるのは、初めてのことだった。 1LDKの俺の部屋へ入ったシキは、中を見るなり「お前らしい」と苦笑した。大学入学当初、部屋に招いたユキヒトやトウヤも同じことを言っていたのを思い出す。確かに、俺はあまり物に執着のない方で、実家の自室にもあまり物を置いてはいなかった。かつてシキと勉強したその部屋と今の部屋の雰囲気は、似ているらしかった。 「シキ。荷物を置いて、休んでてくれ。今、お茶でも入れるから――」 「待て」 キッチンへ向かいかけた俺の手を、シキが掴む。そうかと思えばシキの顔が近づいてきて、唇が重なった。ぺろりと温かなシキの舌に唇を舐められて、俺は思わず口を開く。そこからするりとシキの舌が忍び込んできて、俺の口内や歯列や舌をゆっくりとなぞった。シキとキスをしている、それも一年ぶりに。――そう思うと、腹の底から熱が湧き上がってくる。と同時に、体温も上がった気がした。 「んっ……。ふ、ぅ……ん……」 思わず鼻に掛かった声が漏れて、その声ではっと我に返る。そうだ。俺は風邪を引いている。キスなどしては、シキに風邪を伝染してしまうだろう。 俺は息が苦しくなったというように、シキの胸を押した。シキはあっさりと俺から離れる。「……シキ。どうしたんだよ、いきなり……」そう尋ねたとき、シキが俺の頬を両手で挟んで、こつんと額をぶつけてきた。 「やはりな」確信ありげな声で、シキが呟く。 「え……? やはりって……?」 「アキラ。お前、熱があるだろう。なぜ隠す?」 「なっ……! なんで……いつから気付いてたんだ」 「お前の顔を見たとき、少し赤味が差している気がした。妙だと思って空港で軽く抱きしめてみたが、身体が少し熱いようだった。しかも、お前はそれを知られたくない様子で誤魔化そうとする。今、口付けてみて、やはりいつもより熱かったので、発熱していると分かった」 「発熱かどうか知るためにキスするなんて……。あんた、伝染ったらどうするんだ!」 「そこまでヤワな身体ではない。それより、なぜ隠そうとした? 事情を連絡してくれれば、迎えに来てもらわなくとも自分でここまで来ることもできたのだぞ?」 「……。俺は、あんたとイブを過ごすのを楽しみにしてたんだ。せっかくのイブを、風邪なんかで駄目にしたくなかった……。だって、一年ぶりにあんたが帰って来るのに」 俺は俯き、すんと鼻を啜った。涙が出てきたせいではない。風邪のせいで、ついに鼻水まで出始めただけだ、きっと。 そのとき、シキがぽんと俺の頭に手を置いた。子どもにするように、優しく頭を撫でられる。顔を上げれば、シキは少し困ったような、けれどひどく優しい笑みを浮かべて俺を見ていた。 「すまない。なかなか帰れなくて……」 「いいんだ。あんたは留学先で、しなければならないことがある。そのために行ってるんだってことは、わきまえてるよ。俺のために、あんたの勉強が疎かになるんじゃ、何のためにお互い辛い思いをして国内と国外に離れているのか、分からないじゃないか」 「お前の言う通りだな。だが、俺は体調不良を隠してまで、合わせてほしいわけではないぞ。イブやクリスマスらしいことをできなくても、構わない。俺はお前の傍にいられればいいんだ。……幸い、一週間はニホンに滞在できることになっている。今日はお前は休め。軽い風邪ならば、今日、無理をせずによく眠れば、明日か明後日にはよくなるだろう」 シキに諭されて、俺は項垂れた。ごめん、と呟くと、謝るなと頭を撫でられる。俺はシキの指示通り、大人しくベッドに入ることにした。 トントントン。規則正しい包丁の音が、聞こえてくる。食欲はあるかと尋ねられて、「ある!」と答えた俺のために、夕飯を作ってくれているのだ。きっと、もうすぐ夕飯ができるだろう。そこには、少し前にシキが買い物に出かけるときに俺がねだったクリスマスケーキもあるはずだ。イブをシキと恋人らしく過ごすという目標は狂ってしまったが、俺はひどく幸せな気分だった。シキの気配が傍にあるというだけで、他には何もいらないくらい満足だ。 俺は包丁の音を聞きながら、安らかな気持ちで目を閉じる。夕食に起こされるまでのあと少しの間――シキの気配を感じながらまどろむために。 2011/12/25 目次 |