恋とはどんなものかしら
1)さにいちでBLの性描写を含みます。 2)刀剣男士が人間と暮らすうちに三大欲求を獲得するという捏造設定を元にしています。他にも捏造設定があります。 3)一期一振が受希望ですが、自慰のみでさにいちでの性行為はありません。(性描写は自慰と視姦のみ) 4)タイトルは可愛いめですが、内容はシリアスよりです。 5)一期一振の前の持ち主について勝手な解釈があります。 6)悲恋ではありませんが、審神者の死、一期の破壊を予測させる結末です。 清主オフ本『魂をはこぶ器』の前日譚ですがこれだけで読めます。 いきなり性描写から始まります。 肉の器とはまことに厄介なものだ。 そう思いながら、一期一振は寝間着の間から手を差し入れた。裾を割って、足の付け根――下着の間から緩く反応している陽根に触れる。下着を脱いでそこを擦ると、甘い快感が下肢に広がった。はぁと吐息が唇からこぼれ落ちる。面倒だ、厄介だと思いながらも、その手は止まらない。 やがて先端から溢れだした先走りを塗りひろげれば、より滑りがよくなる。陽根をしごく手の動きはより大胆なものになった。もっと、もっと、もっと。強い快楽を求めて、腰が揺れる。それでも達するにはいたらない。 一期は傍らに用意していた丁字油を、小瓶から指先に取った。四つん這いになって、その手を後孔へのばす。目を閉じて、己の指を体内に挿入した。自慰に後ろを使うのは、これが初めてではない。馴れた後孔はさほど苦もなく油をまとった己の指を飲み込んでいく。 痛みはない。ただ、異物感があるだけ。 一期は目を閉じて、体内を探った。そこに男でも快感を得られる箇所があることは、承知している。けれど、目で見えぬ部位のこと。すぐに発見、というわけにもいかない。異物感を覚えつつも後ろを探りながら、一期はそっと脳裏にある面影を描いた。 今の主君たる審神者のことだ。 彼のことを想うときだけ、一期の身体は熱を帯びる。己は彼を慕っているのだろうか。その部分は、確信がなかった。慕っているから欲を抱くのか、欲を抱くから慕っているのだろうと錯覚しているだけか。何度、己に問いかけてみても、答えは出ない。 ただ、熱を帯びた身を慰めるとき、主にされているのだと想像すると、快楽が強まるのは事実だった。今、体内を探るのは主の指。彼は私を抱こうとして、そうしている。――そう考えた途端、面白いように身体がカッと熱くなった。探り当てた快感の強い場所を乱暴に指で押す。両隣の他の男士の部屋を思うと、声を上げることはできなくて、一期は身体を前に倒して枕に顔を押しつけた。 「っ……ぅ……ぅ……」 殺しきれない声が、かすかに漏れる。限界が近づいていた。想像の中の主が、達せと促す。最後の一瞬で、一期は後孔から指を引き抜いて、勃ちあがったままの陽根に触れた。そこは、前を慰めていたときとは比べものにならないほど、濡れそぼっている。強く握りしめて上下にしごく。快感が感覚の縁を越して、頭が真っ白になる。次の瞬間、一期は精を放っていた。 断続的な吐精を終えて、懐紙で濡れた掌を拭く。細く庭に面した窓を開けてから、一期はゴロリと布団の上に転がった。あれだけ熱中した行為は、終わってしまえばただただ虚しいばかりだ。妄想の中で主に触れてもらったとて、現実には上司と部下以上の接触があるわけではない。 それでも、熱はたまるし、それを吐き出したくもなる。 まこと、肉の器とは面倒なものだ。 顕現しただけでは、刀剣男士は三大欲求を持たない。審神者と共に過ごすうちに、それらを得ていくということになる。中でも食欲や睡眠欲の獲得はすぐに行われるが、性欲については、それを得る者と得ない者があった。そもそも、刀剣男士に種族を残すための本能というのは、不要だからだ。性欲を得るのは、審神者と、あるいは刀剣同士で恋仲になった者がほとんどだという。 ならば、己はいったい何なのか――。一期はしばらくの間、答えの出ない疑問をもてあそんだ。 一期一振がこの本丸に降ろされたのは、比較的、早い時期のことだった。当時、本丸にいたのは初期刀の加州清光と初鍛刀だという乱藤四郎、それに弟たちが数振。一期は主にとって、初めて降ろした太刀となった。 主は三〇前後。表情に乏しい、青瓢箪のような男だった。初めて彼を目にしたとき、一期は本当にこんな男が審神者として刀剣を率いていけるだろうか、と疑ったものだ。しかし、それは杞憂に終わった。用兵などは、確かに不馴れなところもある。とはいえ、そうした知識は一期や他の刀剣ら、実際の戦を知る者がいくらでも手助けできる箇所だ。将たる者に必要なのは、揺らがぬ、挫けぬ心――一期はそう考えていた。そうして、実際に主は立派にそれを持っていたのだ。出陣した刀剣たちが皆、重傷で帰ることがあっても、主は黙々と手入れをした。生存が回復していれば、翌日には再び出陣の部隊に組み入れることもあった。 演練で余所の男士から聞いた話では、そうした審神者はあまり多くないのだという。戦に出てきているとはいえ、審神者は太平の世に生まれ育った。その気質が抜けず、新米や堅実な出陣を好む審神者は、刀剣男士が軽傷を負うだけでも撤退することがあるのだとか。重傷での帰還を見て、卒倒した審神者もあるという。 話を聞いたのは燭台切光忠だったが、彼の主もそうなのだと苦笑していた。それでも、今の主が不本意かと問いかければ、そうではないと頭を振る。刀剣男士にとって、自身を顕現させている主は特別だ。審神者たちが自らの本丸の刀剣男士を身内と認識するように、刀剣の方も審神者に対して同じような意識を持つ。 ――これでも、大事な主なんだ。 そっちもそうでしょ? と言われて、一期も笑ってうなずいた。 主は他の審神者より、感情表現が薄いところがあるが、決して刀剣男士につらくあたったわけではない。自らの書庫を解放して、マンガや小説などの書物も積極的に貸しだしていた。大広間にはテレビが数十の映画を鑑賞することもできた。一期の弟たちなどは、誉の褒美にとマンガや新しい映画のタイトルなどを主にねだっていたほどだ。主は無表情で、しかし、快く弟たちの願いを聞き入れた。 いつだったか、なぜ、と尋ねたことがある。己らは刀だ。刀に娯楽を与えて、いったい何になるのかと。そうすると、主はキョトンと目を丸くしてから、答えたものだった。自分はどう足掻いても、二二〇〇年代の人間であるから、刀剣男士との間には知識の世代差がある。それを少しでも埋めるのに、娯楽作品はちょうどいいのだ、と。 主のその言葉を聞いてから、現世の娯楽から少し距離を置いていた一期は、主の解放している書架からたまに書物を手に取るようになった。マンガや映像作品はまだ己に馴染まない気がしたので、小説を。といっても、どれを読めばいいか分からないので、目についたものを適当に読んだ。 何冊か読んでいくうちに、恋愛小説に行きあたった。 あの感情の起伏の薄い主が、こんなものを読むのか。一期は意外に思った。最初は、刀として過ごしてきて雅ごとに縁のない己に、恋愛ものが読めるだろうか、と半信半疑だった。けれど、あの主が読んだ恋愛小説だという興味が勝って、結局、最後まで読み通してしまった。 結論から言って、よく理解できなかった。最初は女が男を気にしていたのが、半ばで恋愛感情だと自覚して、終盤で互いに愛し合うようになる。文章の中では、『好き』とか『会いたい』とか『愛している』とか、繰り返し愛情を表現する単語が出てくる。だが、と一期は思うのだ。小説の中で、一期には女と男の感情がいつ変化したのか、分からない。彼らのそれは本当に恋愛なのだろうか。何か別の感情を錯覚して恋愛だといううちに、いつの間にか恋愛という共通認識になってしまっただけではないのか。 しかし、弟たちや他の刀剣たちは、映画やマンガでの恋愛作品を楽しんでいるところを見かける。恋愛が理解できないのは、己だけなのかもしれない。 そうなると、どうも気になってくるのが一期の真面目さである。たいして面白いと思うわけでもないのだが、人の恋愛を理解しなければと考えて、ひたすら恋愛小説を読みまくった。それでも、何ひとつ分からなかったけれど。 あるとき、書庫で同じ御物で顔なじみの鶴丸に会った。そのとき、手にしていたのが数冊の恋愛小説。彼は意外そうに目を見張った。 「君は、こういう小説が好みだったのか。さすがに太閤どのの刀だけのことはある」 「ちょっと、それはどういうイメージですか。確かに前の主は色好みでしたが……。――私は恋愛小説が好きなわけではありません。むしろ、理解できないから、読んでいるのです」 「はぁ? なんだ、それは。面白くないのに読むとは、こいつは驚きだな」 「そうおっしゃいますが。弟たちも、他の現世の娯楽を好む方々も、物語の中に恋愛が出てきてもごく当たり前に楽しんでいらっしゃいます。私だけが理解できてないようで……恥ずかしくて」 「理解って……恋愛というものは、理解するものなのか? ありゃ、本能というか、感覚でするもんだろうに」と平安生まれの太刀は事もなげに言った。「たとえば、君は甘酒を好むようだが、なぜ好きなんだ? 理由なんてない、味覚が好ましいと感じるからだろう。そういうもんだ」 「鶴丸どのは……はっきりしていらっしゃいますな」 「はて、そうか? 君が生真面目なだけさ。……おっと、批判してるわけじゃないぞ? ただ、君は君で、俺は俺というだけだ。山姥切がときどき言うようにな」 話をしながら、二人は日当たりの少ない場所にある書庫を出て、縁側を歩いていった。本丸の季節は春。うららかな日差しの中、桜舞い散る庭で弟たちや小夜、愛染などが遊んでいるのが見える。 「しかし、どうも妙な心持ちだなぁ。色好みの太閤どのの刀である君が、恋愛などよく分からんとは。見てきただろうに」庭を見ながら、鶴丸が面白そうに言った。 「太閤どのと側室の方々のことなら……あれは、恋愛というより、利害の一致であったのではないかと私は思います。太閤どのには世継ぎが必要でした。側室の方々は、何か守るもののために、あるいは自らが生きるために、身を差し出されていたと思います」 「まぁ、そういう世だったからな」 「もし、利害の一致を除外するとしたら、太閤どのとまことに愛情で結ばれていたのは、北政所さまであったのではないかと。もっとも、刀の身の私にそう見えていただけで、別の真実もあったのやもしれませんが――」 そう言ったときだった。前方の廊下を、主が近侍の加州と共に通り過ぎていく。こちらを振り返った彼と目が合って――なぜか、一瞬だけ視線が絡み合った気がした。 その夜のことである。 一期は風呂の当番にあたっていた。この当番にあたると、風呂の支度と片づけをすることになる。初めに湯を沸かし、最後の者が入った後には水を落として、簡単な掃除をするのだ。きっちりした清掃は、二週間に一度、五名ほどを割り当てて行うのだが。 夜更け。夜戦から帰ってきた短刀中心の部隊を迎えた一期は、彼らの夜食や就寝準備の手伝いに時間を取られてしまった。気づけば、もう日付が変わっている。早く風呂の後かたづけをしなければ、と浴場へ向かった。 浴場には、明かりが点いていた。消し忘れかと思ったが、中に微かに気配を感じる。誰かが入っているのだろうか。そう思いながら、一期は中へ声をかけた。 「どなたかいらっしゃるのですか?」 一瞬、妙な間が空く。その後に、妙にか細い声が一期かと尋ねた。 「主どの? どうなさいました?」 聞けば、主は夜戦帰りの短刀たちを手入れしたとき、ついた血を流しにきたのだという。刀剣男士は主の手入れによって、傷どころか衣服、そこについた血液まで、綺麗に元通りになる。しかし、人である主はそうではない。手入れの際に刀剣男士の血液がつけば、それは洗わないかぎり落ちないのだ。 一期が風呂の当番として片づけに来たのだと気づいた主は、自分が片づけるからと言い出した。けれど、一期としても主にそこまでさせるわけにはいかない。何しろ、彼とて手入れで霊力を消耗して、疲れているはずなのだ。 血を洗い流すだけなら、時間はかかるまい。さっさと掃除を始めてしまえばいいのだ。そう思った一期は、「失礼します」と浴場へ続く戸を開いた。主がギョッとした様子でこちらを見る。上気した頬に、潤んだ目。いつもより艶を感じさせる姿に一期はギクリとした。 なぜ? そう思いながら、視線をさまよわせたとき、気づいてしまった。洗い場の椅子に座った主の足の間――陽根が勃ちあがっていることに。たっぷりい数秒かけて状況を理解した瞬間、一期はカッと頬が熱を帯びるのを感じた。 「っ……その……失礼しましたっ……!」 後ろで主が何か言うのも聞かず、一期は浴場を飛び出した。そのまま、自室へ戻る。人の営みとしての目合も自慰も、知らぬわけではない。短刀ほどではないが、刀であった頃には一期もその光景を見たことはあった。別段、羞恥など感じなかった。 だが。 主が、自らを慰めていた。その事実に、ひどく動揺してしまう。腰がなんだか重い気がして、そこで一期は愕然とした。己の身体もまた、熱を帯びているのだ。おそらく、先ほど主の性的な行動を目にしたために、性欲が覚醒したのだろう。 あんな一瞬、見ただけで? と疑問に思わないこともない。けれど、実際に己の陽根は緩やかに反応していた。人はそこを刺激することで、快感を覚えるらしい。でも、本当に? いけないと思いつつ、下肢へと手が伸びる。掃除のために着ていたジャージの中、下着の奥で張りつめているそこに、おそるおそる指を絡めた。控えめに手で擦れば、たしかに快楽が腰に広がっていく。 そこからは、もう、ダメだった。 馬鹿な真似とは思いつつも、夢中で性器を刺激する。脳裏には、先ほど浴場で目にした主の姿が浮かんでいた。ほんの一瞬の光景は、しかし、妄想の中で勝手に引き延ばされていく。すぐに、頭の中では自慰に耽る主が映し出されていた。主が彼自身の手で快楽を追う様子に、己を重ねるように追いつめていく。 やがて、快楽が極限まで来たとき、手の中で陽根が子種を吐き出した。身を強ばらせるようにして、快楽の波をやり過ごす。初めての絶頂の余韻に、一期は己の部屋でしばらくうずくまっていた。 *** 翌日、主は一期の傍に来て、昨夜のことを内密にしてほしいと頼んだ。もちろん、一期とてそれを皆に言ってまわるつもりはなかったから、大人しく頷く。風呂場での椿事はそれで終いだった。特に表だって何かが変化するわけでもなく、日々は続いていった。 そう表だっては。 一期はといえば、性欲を知ってしまったせいで、それを持て余すようになった。ふと主の手に触れた日、彼の珍しい表情を見た日などに、身体が勝手に熱を帯びるのだ。そうなると、吐き出さざるをえない。最初、しごいて出すだけだった自慰は、次第にエスカレートしていった。妄想の中で、自らを慰めていた主が一期に触れるようになっていく。妄想の中での行為が進む度、現実の一期自身も胸に触れ、後穴に指を挿入し、という具合に自らの新たな感覚を拓いていった。 己は主に抱かれたいのだろうか。一期はよく分からなかった。現状には、何の不満もない。そこから何かを変えたいと望むつもりはなかった。ただ、主を見ていてどうしようもなく、胸がざわつくときがあるだけで。 気がつけば、そんな風にして二年ほど経っていた。 ある日、一期は出陣先の相談のため、夜更けに主の部屋を訪れた。深夜の非常識な時間帯のことだが、今、話をしなければ出陣部隊が朝一番に出発してしまう。本来、こうした話は食事時に主を捕まえて言うことが多かった。だが、今日、主は体調が優れないからと食事に現れなかったのだ。 「――主どの。失礼いたします」 声を掛け、中へ入る。振り返った主は、驚いたことに目元が赤かった。どうしたのかと問えば、自分は親兄弟を見殺しにしてしまった、と言う。 よくよく話を聞けば、主は現世に帰った折、ひそかに歴史修正主義者から接触を受けていたらしかった。誘いを断れば家族に危害を加えるというその脅しに、主は否と答えた。そして、今日、政府からの報せが届いたのだという。主の家族が死亡したこと、主自身に歴史修正主義者に寝返る可能性があると考えられていること。調査のため、しばらく政府は現世への転移をできぬようにしたらしい。 これでは家族の葬式もできない。まぁ、喪主をやらなくていいのは楽だが。淡々とそう言う主を、一期は抱きしめた。主は驚いたように身を強ばらせた後――一期の肩に顔を押しつけてすすり泣きだした。 どれくらいそうしていただろうか。にわかに外が騒がしくなる。敵襲だと、近侍の加州清光が母屋の中を進みながら報せた。辺りは夜。太刀以上はほとんど使いものにならない。 ともかく主を守らねばならないが、と思ったとき、加州が部屋に入ってきた。 「一期一振、ここは打刀以下が討って出る。主は任せていい? 執務室の奥にセーフルームがあるから、主とそこへ」 てきぱきと指示をした彼は、即座に戦装束の裾を翻して夜の庭へ飛び出していった。一期は言われた通りに、主を連れてセーフルームへ入った。けれど、敵襲自体はさほどたいしたものではなかったらしい。一刻も過ぎると、弟の乱藤四郎がすべて終わったと呼びにきた。 どうやら、敵は斥候のようなものだったらしい。灯りを持って主と庭に出る。本丸の片隅の林の中に、加州や他の刀たちが集まっていた。 「敵はうちの本丸に道をつけていったらしいね」 石切丸が林の一角をにらみながら、そう呟く。 加州が主の前に出て、敵が落としたと手紙のようなものを差し出した。灯りを近づけて、文を読む主の横からのぞきこむ。それはどうやら敵が主に宛てたもののようだった。文には、仲間にならないなら力づくでさらいに行く、抵抗すればまた縁者を殺す、と脅しの文句が書いてあった。 しばし、無言でそれを見つめていた主は、一期に灯りをと手を差し出した。言われるままに、一期は部屋から持ってきた手燭を渡す。主は手燭の炎を、文に移した。赤い炎を上げながら、ひらひらと文が地面に舞い落ちる。主はそれを草履で踏みにじって消火した。 ――このままで済むと思うなよ。 敵に向かって低く毒付いた主は、くるりと身体を反転させると、その場に土下座した。人の子に力を貸してくださる付喪神さま方、どうか私を助けてください。主は自らが率いてきた刀剣男士に向かって、そう懇願したのだ。聞けば、主は政府の先見――つまり、未来予知能力を持つ者から、本丸の刀剣を率いて寝返り、敵の刀を生産しつづける装置になると予見されたという。汚名を晴らすためにもはや刀剣男士を解いて、自らも生命を絶つしかないと。しかし、それではあまりに浮かばれない。敵に一矢報いたいと主は言った。 〈白月夜〉と呼ばれるこの本丸の刀剣男士らは、皆、主の願いを受け入れた。主は彼らに本丸につけられた“道”の先の敵を殲滅するよう、命令を下した。 翌日は戦支度に終わり、夜は宴になった。そうはいっても、主は最後まで皆の戦いを見守らなければならない。無理はするな、と早々に加州が部屋に追い返した。 一期は弟たちの傍にいたり、厨の酒を運んだりしながら、ときおり酒を飲んでいた。が、気がつけば、鶴丸が傍に来ていた。 「君、こんなところで何をしてるんだ?」 「何とは……。酒を飲んでいるのですが?」 「あぁ、もう。今宵が主と話せる最後かもしれないんだぞ。こんなところをほっつき歩いてないで、さっさと主に夜這いを仕掛けてこい」 「は? 夜這いって……なんで私が」 「主に惚れてるんだろ。見てりゃ分かる」 「なぜ私自身が主を慕っているかどうか分からないのに、あなたがご存じなんですか」 一期がそう言うと、傍で聞いていた平安生まれたちが、それぞれ声を上げて笑った。 「皆さまも……今の話のどこに面白い箇所が……?」 「君なぁ。鈍いのもいい加減にしないと、後悔するぞ? とにかく行ってこい。君がなんで甘酒を好むかなんて、理由を考えても仕方ないだろ」 追い立てられるようにして、一期は大広間を後にした。とりあえず、入浴して――それから、念のために自室で少し後ろを馴らす。夜這い。果たして、そんな行為を主が受け入れてくれるものだろうか? そもそも、夜這いして肉の交わりを持って、そのことに何の意味があるのか? 分からないまま、それでも下着は付けずに白い寝間着のみをまとう。主の寝室を訪れると、近くの廊下に加州がいた。昨夜、敵襲があったため、今日は彼が不寝番をつとめることになったのだ。 加州は、明日、出陣しない。 本丸に残って、主を最期の旅路へと送り出す役目を与えられている。普通、刀剣男士は己を顕現した審神者を殺せない。万が一にも、主の生命を奪えば、その行為は多大な穢れとなってその男士を自壊させることになる。ただ、初期刀は別だった。いざというとき、主を制止できるように――主殺しをしても、自壊しない特殊な術式を組み込まれている。主は、だからこそ練度上限にあり、人の身での戦にもっとも習熟している加州を本丸に留めることに決めたのだった。 そうした事情から、今宵の不寝番は彼ひとりだ。 一期が少し離れた位置で立ち止まると、加州は顔を上げて振り返った。 「……あぁ、主に夜這いに来たの? なら、少し、外していようかな」 加州は冷静にそう言った。余所の分霊はともかく、この本丸の加州清光は非常に刀寄りの性質をしている。決して情がないわけではないのだが、刀として喚ばれた己の役目を果たすことを第一に考えているようだ。そういうところは、何よりも審神者としての役目を第一に考える主と、非常によく似ていると一期は思っていた。 「行ってもいいんですか……?」 「一期一振は敵じゃないから。……それとも、擬態してるだけで、実は敵なの?」 「いえ、そういう意味ではなく。……私が主どのを閨ごとに誘っても、構わぬのですか? あなたは、主どのの一番の刀でいらっしゃいますし、最後に共にすごすべきなのは私よりも――」 「俺は主を愛してる」加州はきっぱりと言って、微笑した。ぴんと伸びた細身の姿態が月明かりを浴びて、廊下に美しい影を描いている。「……でも、そういうのじゃないよ。俺には主の考えも、感情も、よく分かる。俺はそれを反映するように、刀を振るう。それだけ。俺は主の刀であって、想い人じゃない」 「ですが」 「嘘じゃないよ。一期は、主が異質だからこそ、ほしいんでしょう? 同質だったら、そういう意味で求めようとは思わない」 加州は立ち上がると、縁側から庭へ降りた。少し散歩して来るよ、と言いおいて歩いていってしまう。一期は、戸惑いながらもおそるおそる、主の部屋の前に立った。室内に呼びかけると、返事があった。 一期はふすまを開けて、中へ入った。主は書類を広げて、最後まで敵陣の様子などの情報を調べようとしているようだった。振り返り、向きなおった彼は一期にどうしたのかと尋ねる。 「――……主どのに、今宵、お情けをいただきたく」 そう言うと、主は目を丸くした。次いで、珍しく動揺した様子で「いや」とか「それは」とかもごもご呟く。しかし、上気した頬も恥ずかしげに伏せられた瞳も、決して嫌がっている風には見えなかった。それでも、諾とは答えてくれない。 「同じ性を持つ者に言い寄られるのは、ご不快でしたでしょうか。そうならば、無理にとは申しません。ですが、少しでも心を動かされてくださるのなら、どうかお情けを」 主はふるふると頭を振った。無理だ、と情けない声を発する。皆を折ることになる戦の前に、一振のみ特別扱いするわけにはいかない、というようなことを言った。 鶴丸にも加州にも主の元へ行けと勧められた、と一期は主に縋った。身を寄せ、遊女のようにしなだれかかっても、主は避ける様子がない。ただ、困り顔で瞳を潤ませるだけだ。問答するうちに、主はとうとう、ずっと一期に触れたいと思っていたからこそ、皆を折る自分がその望みを叶えるわけにはいかないのだと打ち明けた。 それを聞いた瞬間、カッと身体が熱くなった。と同時に、頭の片隅が急速に冷えていく。一期はパッと主から身を離して、彼の目を見据えた。 「ならば……お情けはいただかなくて、結構です」 そう言って、着物の帯を解く。着物の前がはだけて、女のような膨らみのない胸と、筋肉のついた腹、それから男の性を持つ下肢が露わになった。主の目が呆然と、一期に注がれている。その視線が、まるで愛撫みたいに心地よかった。 「主どのは、ただ見ていてくださればよろしい。あなたが私にくださった、この肉の器――夜毎、あなたを想ってひとり慰めてきたこの身を」 一期は畳の上に横たわって、脚を開いた。主に見せつけるように。視線を受けて、すでに緩く反応し始めている陽根を愛撫する。ひとりのときは性急にするのだけれど、今は視線を煽るように殊更ゆっくりしごいた。 刺激としてはもどかしいほどの弱さ。それでも、注がれる主の視線が悦くて、すぐに先走りが溢れてくる。それを塗りつけるように、派手な水音を上げるように、両手でしごいた。 気持ちがいい。もっともっとと、刺激を求めて腰がうねる。 「はっ……あ、あぁ……主、どの……」 堪えずに声を漏らすと、主はビクリと身体を揺らした。けれど、その目は食い入るように一期に注がれている。 一期はやがて、右手を後孔に伸ばした。あらかじめ簡単に馴らしておいたこともあって、先走りをまとった指は、簡単に体内に入っていく。前立腺を探しながら、一期は左手で胸の突起に触れた。先走りでぬるつく指の腹で、そこを押しつぶすように刺激する。自慰のときに触れていたそこで快楽を得るのは、さほど難しくない。 「……あっ! は……あぁ……っ……いい……。主、どの……」 胸で快楽を得ながら、後孔の指を抜き差しする。そこは勃起したままの陽根から滴る先走りで、派手な水音を上げはじめていた。主の視線があるというだけで、絶頂したわけでもないのに、強烈な快感を覚える。 堪えきれなくなったかのように、主がおずおずとこちらに手を伸ばしてくるのが見える。その瞬間、一期は後孔から指を抜き取って、素早く距離を取った。 手を宙に差し伸べたまま、呆然とする主ににっこり笑いかける。 「お触り禁止、ですな。今となっては、主どのと肉の交わりを持とうとは、思いませぬ。散らせなかった熱を抱えて私を想ってくだされ、そして……主どのの今生が終わった後に、私を求めてくだされ」 一期、と主がか細く名を呼ぶ。欲望に掠れた声。吐精まで至らず、辛いのは一期も同じだった。今すぐにでも肌を触れ合わせ、主の熱を受け入れたい衝動に駆られる。それをグッと堪えて、一期は着物の前をかきあわせてから、深々と頭を下げた。 「主どのの刀として戦えたことを、誇りに想います。私は主どのをお慕いしている……と皆が申すのですが、ともかく、最後まであなたの意思を映し出す刀として、敵を滅しましょう。なれど、今生を終えたそのときには……輪廻のお供をさせてくださいませ」 身を交えぬのは、約定です。私にわずかなりとも情を感じて願いを叶えてくだったならば、主どのに身も心もすべて捧げましょう。――一期はそう言うと、帯を拾って立ち上がった。主を残して、部屋を後にする。 庭に降りると、加州とすれ違った。 「早かったね。……主と、寝なかったの」 「あぁ」 「……俺、明日の出陣、替わろうか? 俺より、一期一振が主といた方がいいんじゃ……」 「いや、加州どのが残りなされ。初期刀は審神者の魂も同然だといいます。主どのがあなたを介錯にと残されたのは……あなたを己が魂として残したいからでしょう」 「魂?」 「そう。あの方が戦ったという証。どうか、できるかぎり残ってあの方の魂の名残を伝えていってあげてくだされ」 加州はそれを聞いて、目を丸くした。妙に幼い表情は、弟たちの顕現した姿とさほど変わらない。一期は彼に微笑してみせて、夜の庭の奥へと進んだ。 「それにしても、なぁ……」 鶴丸が呆れた声を発する。一期はそれに取り合わず、井戸水を満たした桶を頭の上でひっくり返した。ザァッと冷たい水が寝間着を濡らして肌を冷やしていく。 それでも、身体の奥の奥、自ら半端に煽った熱が収まらない。 「そこまでして、なんでついでにヤらないんだか……」 「下品な言葉遣いはお止めください、鶴丸どの」 「欲を治めるために必死で水垢離している君には、下品と言われたくないが。……しかし、君も主も面倒な輩だなぁ」 「……私は、主どのに覚えていてほしいのです」一期は井戸水を汲む手を止めて、呟いた。「身体を繋いでしまえば、主どのの心に私は残らないかもしれません。しかし、そこに至らなければ……再び会うまで想いは募る。そういうものでしょう」 「恋など分からんと言いながら、君は存外、人間臭い」 「前の主のせいですな」 「太閤どののせいではなく、君がムッツリなんじゃないのか?」 からかいの調子を含んだ声に、一期は眉をひそめた。 「鶴丸どの、私に構っておらず、さっさと酒宴に戻ったらどうですかな?」 「そうはいっても、今、飲んでいるのは酒豪連中ばかりだからなぁ。俺はあいつらほどじゃないから、潰されかねん。それより、熱が治まらんのなら、手伝ってやろうか?」 「は?」 「なに、俺は性欲が分からんが、愛撫の真似ごとくらいはできるだろうさ。君は適当に気持ちよくなって、吐精すればいい」 どうだ、と鶴丸が手を伸ばしてくる。一期はパシリとその手をたたき落とした。 「ごめんですな! 鶴丸どのは親愛なる同僚なれど、愛撫されるなら主以外は考えられませぬ」 思わずそう言うと、鶴丸は怒るでもなくニッと愉快そうに笑った。 「君のソレが恋じゃなくて、他に何だと言うんだい?」 「あ」 あの人がいい。あの人でなくてはならぬ。そう思ってしまう気持ちを、ようやく自覚する。カッと頬が熱くなって、一期一振は思わずその場にしゃがみこんだ。いくら忘れられたくないからといって、慕う相手の目の前で己は何をした? ――明日、どういう顔で会えばいいのか。 翌朝。主は加州と共に、部隊の出陣の見送りに出てきていた。手を振って去っていく仲間たちに、主もいつもの無表情ながらも手を振りかえしている。 一期一振は最後に出陣する部隊だった。本丸の刀剣たちはいずれも練度上限に達していた。そこからさらに強さを求めるならば、人の身でどれほど戦い馴れているかという話になってくる。ゆえに、敵大将を討つことを期待される最後の部隊は、初期に本丸に顕現した短刀や脇差中心の構成だ。弟たちやにっかり青江、堀川国広らと共に、一期は主に出陣の挨拶をした。 主は「頼む」と頭を下げた。 昨夜のことは、互いになに一つ言わなかった。それでいい、と一期は思う。審神者と刀剣として、今生を終える。それがいちばん、美しい引き際だろう。 一期は仲間を率いて、林の中へ歩きだした。そこにつけられた敵の“道”をたどって、敵陣を急襲するのである。“道”の入り口へ入ろうとしたとき、一期一振と呼ばう声があった。 ハッとして、一期は振り返る。主だった。まるで自分がなぜ叫んでいるのか分からないという顔で、それでも何かに憑かれたように彼は声を張り上げた。 ――約定は、守る。 一期は泣きたいのを堪えて、微笑んでみせた。 「必ずですよ、主どの」 pixiv投下2015/10/04 |