一振の刀2






 清光が審神者――朔夜に喚びだされてから、一年が過ぎた。審神者の邸は時の流れから切り離されているものの、日の出・日没を数えればだいたいそれくらいの期間になるという意味だ。この一年の間に、朔夜は審神者としてグングンと力を付けた。仲間――清光と同じく刀剣の付喪神も増えて、戦力がそろってきている。
 歴史修正主義者と戦う審神者が、より多くの兵――つまり刀剣を求めるのは自然なこと。そうと分かっていても、最初のうち、清光は朔夜が仲間を増やそうとするのが恐ろしかった。新たな刀剣が来れば、その中でより容姿の美しい者が彼女の心を奪うかもしれない。そうして、いつか自分を不要だと言うのではないか、と。
 しかし、それは杞憂に終わった。朔夜は近侍として清光を傍に置き、何かと頼ってくれた。おまけに、新たに喚びだされる付喪神らは――面倒な性格という自覚のある清光から見ても――それぞれに癖の強い者たちばかりで、清光が率先して世話しなければまとまらない状況になっていった。
 戦力的には、清光の他に太刀の三日月宗近や燭台切光忠、打刀の大和守安定を主戦力として、脇差、短刀たちも数名いる。そこそこ戦える面子である。
 だが、本来の格で言えば刀剣たちの束ね役となるべき宗近は、マイペースすぎるほどのマイペースであった。光忠はまだ隊に来て間もない。清光と同格の安定は、元は同じ主・沖田総司の刀だったのだが、前の主の性格に強く影響を受けすぎて、こちらも自由気ままである。短刀たちは少年の気質と姿形を取って喚びだされるため、彼らに束ね役を任せるのも難しい。こうなると、清光が主のためにがんばらざるを得ない。戦場ではもちろん、内番や非番のときにも、清光は折りに触れて刀剣たちの世話を焼いて回ることになった。
 後からやって来た安定は、世話焼きになった清光を見て、妙な顔をしたものだ。二人で畑当番に当たったときなど、丁寧に塗った爪に土が入るのも構わず、畑仕事をする清光を見てぽつりとこぼした。
「お前、らしくないよ」
「あー」
 確かに、安定の言うことはもっともだと清光も思った。自分に自信がなくて、いつも愛されたがっている面倒な子――どう考えても世話を焼かれる方が似合いだ。そう思うのに、いつからだかこうなっていた。いつか主の心が他の刀に移るのでは、という不安は常にある。あるのだが、このところ己の暗い想念に取り合っている暇がないほど、忙しくて充実した日々を送っていた。
「……らしくなくてもさ、俺は主さまのために、俺のできることをしたいんだよ」手を止めて、そう答える。
 そのときだった。
「清光、安定!」
 地味な色の単衣と動きやすい袴を身につけた朔夜が、邸の方から出てくる。彼女の後ろには、かわいらしい少年――銀の髪をした短刀の五虎退もいた。二人して、畑仕事を手伝いに来てくれたらしい。
「主さま!」
 清光は大きく手を振った。審神者の仕事で忙しい朔夜には、空いた時間くらい休んでほしいと思う。その一方で、一緒に時を過ごせるのは嬉しくて、思わず笑顔になった。
 それを見ていた安定が、目を細める。
「僕らの人格は、長く僕らを持っていた主に影響される。――お前はもう、あの人を忘れたのか」
 清光ははっとして、安定を振り返った。彼は拗ねたような、寂しがっているような表情をしていた。


***


 翌日は久しぶりの出陣だった。隊長は宗近。清光が二番手で補佐を務め、安定が遊撃を行う。短刀や脇差たちは、その場に応じて宗近の指示で動く。今のところ、この形式が最も効率よく勝つことができる。審神者としての朔夜の力も増しており、時空間に開いたポイントからそれなりに離れても、彼女の力の加護が感じられた。
 行軍は順調だった――はずだった。
 目的地に向かう途中で、急に敵のレベルが上がったようだった。攻撃が激しくなり、時折、見たこともないまがまがしい気配が感じられる。朔夜の霊力の加護は清光たちを取り巻いているのだが、敵の放つ瘴気(しょうき)のせいか、かき消されがちになった。
 ――だめだ。これでは任務が果たせない。
 ――彼女の期待を裏切ってしまう。
 いつになく負傷しながら、それでも清光の足は止まらない。前へ、前へとただ進む。脳裏には、かつての主との記憶が蘇っていた。清光の最後の戦い――池田屋事件。沖田に振るわれた清光は、無数の浪士を斬った。刃はこぼれ、血脂がこびり付き、斬れなくまるまで。ボロボロになった清光を、沖田は研ぎに出してくれたけれど――刀工らは誰ひとりとして清光を修復することはできなかった。
 あのときの恐怖。あの絶望。
 撤退を進言しろ、と頭の奥で恐怖が囁く。撤退しても朔夜は怒らないはず、と。けれど、それ以上に苛烈な刀としての本能が、否、と絶叫していた。
 ――逃げるな。
 己は所詮、刀の身。この生命は、審神者から与えられた仮の生。刀は振るわれてこそ価値あるもの。仮の我が身のかわいさに、刀としての己を否定するつもりか。
 ――お前は、剣鬼として、人の心を捨てて生きた前の主を忘れたのか。
 いつしか、清光は仲間から引き離されていた。目の前には巨大な怨霊。太刀を媒介に喚ばれた怨霊のようだ。力の差は歴然としている。振り下ろされる一撃、一撃がひどく思い。かろうじて刃を受けることで致命傷を避けているはずなのに、一撃の重さで刀装が少しずつ剥がされていく。
「くっ……!」
 ひときわ強い打撃を受けて、手が痺れた。次の攻撃に備えることができない。にもかかわらず、敵はすぐさま刀を大上段に振りかぶっている。あのひと太刀は、己の刃こぼれした刃では受けきれない。
 破壊される――その覚悟と共に目を閉じる。脳裏に病床の沖田の姿が蘇り、次いで初めて出会ったときの朔夜の顔が浮かんだ。絶世の美女とは言わない。どちらかといえば地味な容貌の、それでも笑顔は温かくて。穏やかな雰囲気ながらも、強い意思を感じさせる眼差しが綺麗で。
 ――主さま。俺の、主さま。
沖田の次に己の主となったのが、彼女でよかったと心から思った。
 そのとき。
 ガキッ。鈍い金属音が辺りに響く。次の瞬間、清光は背後から殴られていた。
「バカ清光! 戦場の真ん中で、ぼんやりしてんじゃないよ。この鈍(なまくら)が!」よく知った安定の怒声が叩きつけられる。
「っ……」
 驚いて清光は顔を上げた。見れば、清光を守るように太刀の怨霊の刃を受けているのは、宗近だった。さすがに太刀の付喪神らしく、その美しさに似ぬ伸びやかで剛胆な太刀裁きで相手と渡り合っている。
「ったく、何してんのさ、バカ清光」
 安定は悪態をつきながら、清光を助けおこした。口でこそ非難しているものの、その手つきは心配に溢れていた。
「……戦況は?」
「終わったよ」安定は怒ったように言った。
 見れば、周囲の怨霊はあらかた片づいたようだった。残る怨霊の首領も、宗近が放った一撃の下に倒れ伏す。清光が重傷、安定と宗近が中傷、短刀たちも無傷の者がいないという辛勝だった。
「お前、なに考えてんの? 三日月さんは撤退だって言ったのに、どんどん先へ進んじゃって。お前が孤立しちゃって、皆がどれほど心配したか分かってる? あと一瞬、僕らが遅かったら、お前、死んでたんだよ? あの人みたいに、僕を置いてひとりで逝くつもり!?」
「……馬鹿はお前の方だよ、安定。俺たちは人じゃない。刀だ。道具が生命を惜しむもんじゃない。……俺たちは、死ぬのではなく、ただ壊れるだけ……」
「……この馬鹿っ! お前は――」
 激昴した安定は清光の胸倉を掴んだ。と、近づいてきた宗近が宥めるように安定の肩に手を置いた。
「もういい、安定。お前が怒ったところで、今の清光には通じぬよ。そっとしておいてやれ。どうせ、後で痛いほど反省することになるだろう。――清光も、心しておけよ。今のそなたの姿を見たとき、主どのが何と言うか」
 その言葉を聞いて、清光はギクリとした。死ぬつもりで戦っていたので忘れていたが、今の己の姿は見られたものではない。以前にも、朔夜には負傷した姿を見せていたものの、今回はその上をいく。衣服は破れ、肌は血と泥にまみれ、髪は乱れきっている。
 どこからどう見たって、綺麗ではない。
 とてもではないが、愛されるような姿ではない。
 この姿を目にしたら――朔夜は、今度こそ己に愛想を尽かすかもしれない。清光はいっそのこと、逃げ出したくなった。けれど、逃げたところでどこへも行き場のないことは分かっている。清光は言葉少なに皆の後について、審神者の邸へと帰還したのだった。

***

 平原の中の小さな社を起点にした時空ポイントを通って、審神者の邸へ帰還する。皆を出迎えたのは、白の単衣に緋の袴、審神者としての正装をした朔夜だった。彼女の周囲を、オパールのような虹色の輝きを放つ玉が六つほど、緩やかに旋回しながら飛び回っている。審神者の霊力を宿した《霊玉》だった。
 皆が帰還して時空ポイントを閉じると、霊玉はふと輝きを消した。役目は終わったとばかりに、宙に差し出した朔夜の手の中に還っていく。霊玉がすべて手の中に収まってしまうと、彼女はそれを単衣の袂に入れた。
 朔夜は、皆の負傷した有様を見て、ハッと息を呑んだ。それでも、さすがに元は武家だった家の娘らしく、気丈に威儀を正してみせる。
「主どの。ただ今、帰還した」隊長の宗近が言う。
「お役目、ご苦労でした。此の方の損害はいかほどに?」
「重傷一名、中傷二名。他、軽傷。無傷の者はいない。だが、破壊された者もない」
「此の度は、私の判断に誤りがありました。皆には辛い戦いをさせてしまい、申し訳もございませぬ」
 朔夜は深々と皆に頭を下げた。そんな彼女を、清光は唇を噛んで見守る。確かに、今回の出陣の時代と場所を決定したのは、朔夜だった。行軍の半ばで宗近や清光と相談し、敵の首領を追いつめるところまでしようと判断したのも。
 だが、朔夜は戦場にはいられない。実際の戦で、肌で敵の力量を計ることができるのは、付喪神らだけだ。敵が急に強くなったため、辛い戦いになったことに関して、彼女に非はない。己たちの力量が不足していただけのこと。
 ――主さまが謝ることじゃないのに……!
 清光はそう言いたかった。けれど、言葉を発する前に、朔夜は顔を上げた。凛とした表情。辛勝だったことを気に病む様子を押し隠し、てきぱきと言う。
「すぐに手入れを行います。重傷の方から手入れ部屋に入ってください」
 しかし、清光は立ち上がることができなかった。重傷のボロボロの姿を朔夜に見られたくない。
 反応がないのを不思議に思ってか、朔夜が首を傾げる。彼女は座敷から降りて、庭に並ぶ付喪神らの元へ歩いてきた。
「――主。重傷者はバカ清光だよ。そいつ、さっさと手入れしてやって」
 安定がそう言って、隊の一番後ろにいた清光を指さした。朔夜の目がその指を辿って、清光に向けられる。目と目が合って――彼女の美しい黒い瞳が、動揺に揺れた。
 ――あぁ、逃げなくては。醜いと。お前など要らぬと言われる前に、去らなくては。
 清光は傷ついた身体を引きずって、逃げだそうとしていた。が、その動きを予測していたらしい安定が、清光に飛びかかって地面に押さえつける。もがく清光は視界の端に、呆然としている朔夜の表情を見た気がした。
「三日月さん! このバカ、手入れ部屋に連行するのを手伝ってください! 主は先に仕度して手入れ部屋へ」
 清光は宗近と安定に引きずられるようにして、手入れ部屋へ向かった。そこでは、既に朔夜が待機していた。先ほどは動揺した様子だったものの、今は落ち着いた表情に戻っている。しかし、清光は彼女の冷静な顔も恐ろしくて仕方がなかった。凛とした表情の下で、朔夜は醜い自分への嫌悪感を堪えているのではないだろうか。優しいから表に出さないだけで、彼女の心は既に離れているのでは。
「嫌だっ! 離せ……!」
 最後の悪あがきとばかりに、清光は暴れた。けれど、宗近と安定の二人がかりで押さえこまれては、どうしようもない。最後にはあっさりと朔夜の前に座らされてしまった。
 朔夜は清光の姿を見て、眉をひそめた。痛ましげな表情。だが、本当は彼女は己の醜さに顔をしかめているのかもしれない、と思ってしまう。
「清光……。かわいそうに。でもあなたが戻ってきてくれて、本当によかった……」
 小さな声で呟いて、朔夜は手入れに取りかかった。右手を清光の傷の上にかざす。その掌から虹色の光が溢れて、傷口に触れた。しばらく霊力が触れているうちに、清光の傷は消えていく。
 審神者の主な役目は付喪神を喚ぶこと――つまり、刀剣に宿る物の魂から、現し身を構成することだ。一度、審神者に喚ばれた刀剣は、物質でありながら審神者の霊力の加護を受けた存在となる。歴史修正主義者との戦いのとき、清光らが受ける傷は本体――刀剣そのものの損傷だ。本来ならば、刀剣そのものの損傷は刀工でなければ直せない。しかし、審神者の加護を受けた刀剣は、物質であると同時に霊的存在でもあるため、審神者の霊力で修復可能だった。
 十五分ほどで朔夜は粗方の修復を終えて、今度は清光の手を握った。刀を握っていた右手は、傷つきひどい有様になっている。朔夜はそこに丹念に霊力を送り込んだ。
 朔夜の手からこぼれる霊力を受けながら、その温かさに清光は泣き出しそうになっていた。醜態をさらして朔夜に捨てられるのが怖いのに、彼女のくれる温もりは手放しがたくて。いつか失うときのことを考えると、気が狂いそうになる。きっと、朔夜からにまで見捨てられたなら、己は心の痛みによって砕けてしまうだろう。
 それくらいなら。そうなる前に、いっそ己の方から。
 清光は意を決して、口を開いた。
「……主さま。醜い姿をさらした俺に、本当は呆れたんじゃないの? 俺のこと、嫌いになったんじゃないの?」
「清光? 何を言うのですか。私は……」
「ねぇ、本当のこと、言ってよ。俺に愛想を尽かしたんでしょ。だったら、もう刀解してくれていいんだよ? だって、俺、弱いし醜いし……こんな俺が、主さまに愛してもらえるとは思えない――」
 そこまで言ったところで、清光はハッと息を呑んだ。呆然とした表情で固まる朔夜の目から、透明な滴が溢れだしていたのだ。大粒の涙は、後から後から盛り上がり、彼女の頬を伝っていく。そのうちの幾粒かは、朔夜に差し出したままの清光の右手にこぼれ落ちた。
 もしかして、己は決定的に、朔夜を傷つけたのかもしれない、と今更に気づく。けれど、己が卑屈になったことで、なぜ朔夜が傷つくのかはまったく分からなかった。分からないままに、胸がひどく苦しくなる。
 自分はいったいどうしてしまったのだろう。
 混乱しきった頭では、何も考えがまとまらない。清光にできたのは、ただ立ち上がって手入れ部屋を飛び出すことだけだった。


***


 何をバカやってんだよ。バカ清光は! 宗光と共に部屋の隅に控えていた安定は、内心、悪態をつきまくっていた。
 前の主・沖田が忘れられない自分と違って、清光は今の主にひどくなついている。主に愛されたいというだけではなくて、主のために何かしてやりたいとまで思うほどに。主の朔夜も、付喪神たちを皆、大切にしてはいるが、清光は別格だ。何かと頼りにしているようだし、審神者としてではない素の顔を見せるのも、清光がいちばん多い。
 付喪神として喚ばれたとき、与えられた未来に関する知識によれば、清光と主は両想いというやつだ。二人を見ていると、お前ら末永く爆発しろ、とこれまた未来の慣用句が脳裏に浮かぶこともある。
 しかし、何しろあの面倒な性分の清光である。愛されたいくせに、愛情を向けられると自信が持てないらしい。ぼんやりした記憶ではあるが、以前の清光はあれほど怖がりではなかった気がする。何かの記憶が少しだけ足りなくて、さからいびつになっているかのようだ。
おまけに、安定の見るところ、主の方も上手く隠してはいるが、清光と同類のように思える。要は清光も主も似たもの同士、至極、面倒な二人だという他はない。
 ――けど、とにかく女を泣かせる奴はダメだろ。バカ清光め。
 安定はため息を吐きながら、朔夜の元へ歩いていった。傍らにひざまづき、肩に手を置く。
「主、大丈夫? あいつ、自分に自信がないから。どうしようもない奴だけど、許してやって」
「許すだなんて……。私が不甲斐ないせいで、清光を不安がらせてしまったのです。非は私にあります」朔夜は気丈にそう言うと、単衣の袖でグィと涙を拭った。意外に豪快で漢らしい仕草である。それから、彼女は安定と宗近に言った。「手入れを中断してしまって、申し訳ありません。次はあなた方の番です。どうぞ、私の前へ」
「ちょっと! 手入れ、続けるつもり!?」安定は驚いて叫んだ。
「安定も宗近も、短刀の子たちも、まだ傷ついたままですから」
「主どの、少し休んで、清光と話をしてきたらどうだ?」
 宗近も言うが、朔夜は首を横に振った。
「まだ私の仕事は残っています。清光は先ほど完全に修復しましたから、問題はありませんし――」
「いやいやいや! さっきの別れ方は明らかに問題あったよね!? 主、泣いてたし」安定はツッコむ。
「あれは私的な問題です。今は仕事を優先すべきときですから」そこで、朔夜は困ったような笑みを浮かべた。「私は清光に頼りがちですけれど――喚びだした付喪神の皆さんのことも大切に思っています。皆を守り、慈しむのが私の役目であり、喜びでもある。ですから、私に仕事をさせてください」
 この主、頑固だ。それに、不器用すぎる。
 安定は呆れたが、同時に嬉しくもあった。己は沖田と駆けた日々を忘れられずにいる。それでも、主に大事にされているというのは、悪くない感覚だ。今の主のために何かしたいと思う清光の気持ちが、少し分かった気がした。
 宗近と安定を座らせて、朔夜は手入れを始めた。今の彼女の能力ならば、中傷なら二人、軽傷なら四人まで、霊玉を用いて同時に修復することができる。朔夜は安定と宗近の周囲に霊玉を舞わせながら、自分はそれぞれの傷の深い部分に触れて手入れを行う。
「ねぇ、主」安定は、わき腹の深い傷を治療している朔夜に声をかけた。「主と清光って、似たもの同士だね」
「清光と長い付き合いのあなたに、彼と似ていると言われるとは。……実は私も、すこし、そう考えていました」
「自覚、あるんだ」
「まぁ、似たもの同士は惹かれあうと言うからな」宗近が苦笑する。
「私も、不要だと言われたことがあるのです。相手は婚約者でした。婚約は破棄になりました。不要だと言われることの、愛されないことの辛さは私も知っています。――だから、初めて清光に愛してほしいと言われたとき、私は彼のことが愛おしいと思ったんです」
 そう言う審神者の瞳は、深い夜のようだった。
 朔夜は、おそらく、清らかな見た目どおりの人間ではない。安定はそう感じた。
 とはいえ、汚いというわけではない。不完全で、傷ついていて、どこかいびつ。ちょうど、長い年月の間に、魂にひずみを抱いてしまった自分たちのようなものだ。無邪気な童のようでいて、剣鬼として血を浴びることを好んだ沖田のようなものだ。
 それなのに、清光は気づいていない。主を完璧に純真無垢な存在だと思いこんでいる。口うるさいほどに「愛して」と請うくせに、主のことをあがめすぎている。
 安定は気づけば苦笑していた。
「まったく、面倒だな。清光も主も」
「申し訳ありません」朔夜が殊勝に謝る。
「あいつ……昔はあそこまで怖がりじゃなかったんだけど。――主、心配しないで。僕、面倒な加州清光の扱いには、ちょっと自信があるんだ。ついでに、主も清光と似たもの同士だから、僕、上手く扱えるかも」
「それは……ありがとうございます」
 わけが分からない様子ながらも、朔夜は感謝の言葉を口にする。そういう天然なところが、前の主に少し似ている気がした。


***


 主を相手に何という態度を取ってしまったのだろう。清光は自室でひとり、頭を抱えていた。己の態度は無礼だった上に、彼女を傷つけた。本当に、こんな自分では、愛してもらえなくなる。思考は何度も同じ筋道を辿り、同じ結論に行き着く。
 愛してほしい。のに、それとは正反対の態度ばかり取ってしまう。
 清光はため息を吐いた。気分転換に爪を塗り直そうとして、ふと思い出す。朔夜はこの手に触れて、丁寧に修復してくれた。あのとき、掌に落ちてきた涙の感触が忘れられない。「俺なんか愛されっこない」そう言ったのに、朔夜が傷ついた様子だったのはなぜなのだろう、とふと思った。
「――どうして、主さまは泣いたんだろう……? どうして……」
「決まってるでしょ」
 不意にふすまの向こうで安定の声がした。「開けるよ」と断って、部屋に入ってきた彼は内番のときの着物姿だった。手入れは終わったらしく、傷跡も見えない。
「手入れ、終わったんだ」
「僕と三日月さんはね。主は今、短刀の子たちを手入れしてる」
「……主さま、大丈夫かな。時空ポイントを固定するのに霊力を使った後に、重傷の俺や中傷のお前たちを手入れして……。主さまがここまで一度に霊力を使ったこと、なかったんだけど」
 清光は立ち上がりかけて、我に返った。いつものように近侍らしく主の傍にいるわけにはいかないのに、どこへ行くつもりだったのか。
 それを見て、安定は目を細めた。が、それについては何も言わずに、傍らに腰を下ろす。
「お前が出ていった後、主が言ってたよ。昔、主は婚約者に不要だと言われたんだって。だから、お前の痛みが自分のことのように感じられるんだって」
「なっ……! 主さまを捨てた男だって!? 何を考えてるんだよ、そいつ。そりゃあ、主さまは傾国の美女じゃないけどさ、綺麗だし、格好いいし、優しいし――なんで、愛してほしいと思わずにいられるのさ」
「僕に怒んないでよ。だいたい、その男に嫁いでたら、お前、今の主と会えなかったんだよ?」
「うるさいよ! っていうか、何でそんな大事なこと、安定には話すのに、俺に黙ってるんだ」
「別に隠してたわけじゃないと思うよー。誰かさんが主を泣かして部屋を飛び出して行っちゃったから、たまたまそういう話になっただけで」
「……主さま、傷ついてたよな」清光は尋ねた。
「当然だね。お前が自分を蔑ろにするようなこと、言うからでしょ。主はお前のこと、愛しちゃってるのに。愛しいもののことを別の誰かが非難するなら、反論のしようもあるかもしれない。でも、最愛のものが自分自身を貶めるのなら――悲しむことしかできないだろ」
「主さまが、俺を……?」
 愛してる?
 信じられない気分で清光は呟いた。
「ほら、また疑ってる。お前、昔はそんなじゃなかったよ」
「一度、捨てられたら、誰だって怖がりになるに決まってるさ」
「そうかな……。それだけじゃなくて、僕たち、何か大事なことを忘れてるんじゃないかな……。それが何だか分からないけど。――とにかく、主に嫌われたくないって言うなら、謝っときなよ」
 そう言うと、安定は腰を上げた。踵を返して部屋を出ていく。何だか憎まれ口を叩きにきただけのようだが、これでも安定なりに心配してくれていたのだろう。清光は彼の背に「ありがとう」と声をかけた。これ以上、口に出すのはらしくないから言わないが、安定が仲間にいてくれてよかったと思った。


***


 清光は日が暮れるのを待った。謝りにいくにしても、主の仕事を邪魔するわけにはいかない。たいてい、朔夜は夕刻には仕事を終えて、皆と夕餉を共にするのが常だ。謝るなら、それが終わって落ち着いてからと思った。
 が。時を待ちながら、色の剥がれた爪を塗りなおしていると、足音が聞こえてきた。落ち着いたその音は、すでに耳が覚えている。朔夜の足音だ。
 彼女は清光の部屋の前で立ち止まり、声を発した。
「清光、いますか?」
「……はい、主さま」
「あなたの顔が見たいのだけれど、入っても構いませんか?」
「散らかしてますけど、それでもよければ……」
 そう言うと、朔夜はふすまを開けて中へ入ってきた。彼女は、審神者の仕事をするときの神職の衣装ではなく、普段着の着物に着替えていた。藍地に幾何学模様を描いたその着物は、明治期には珍しいデザインだ。以前、清光が普段着を買おうとする彼女にアドバイスして、平成時代頃から手に入れたものだった。
 この審神者の邸は時の狭間にあるため、時空間が安定している時代ならどこでも、通販をしたりすることが可能なのだ。清光のネイルにしろ、書庫の資料類にしろ、さまざまな時代から集めた品々がこの邸の至るところに転がっている。
 朔夜は畳の上に広がったネイルの道具を見て、微笑した。「清光が爪を塗るところを見るのは、久しぶりです」そう言って、清光の前に腰を下ろし、手を差し出す。自分に塗らせろと言っているのだ。
 清光は少しためらったが、結局、ネイルの小瓶を朔夜に差し出した。彼女は清光の手を取り、小瓶から刷毛に取った紅を塗りはじめる。たどたどしい手つきながらも、丹念に色を伸ばしていく。
 朔夜はすっかりネイルに集中してしまい、先ほどの手入れ部屋での出来事などなかったかのようだった。清光は謝らねばと思いながらも、きっかけを失って切り出せない。やっとの思いで、何とか雑談の糸口を見つけだした。
「主さま……仕事は終わったの?」
「短刀の子たちを修復したら、疲れてしまって。宗近や安定がもう今日は仕事をしてはいけないと言うから、休むことにしました」
「……休んでいなくていいの?」
 清光が尋ねると、彼女は手を止めて不思議そうな顔でこちらを見た。
「いま、休んでいるでしょう?」
「俺に構ってるでしょ」
「あなたの傍がいちばん、落ち着くから。――こうしていると、最初の頃を思い出します。歴史修正主義者との戦い方も、審神者の仕事もよく分からず、あなたと二人で必死に勉強したことを」
 そう言われて、清光も仕事以外で久しく朔夜と二人で過ごしていないことを思い出した。
 朔夜が審神者となった最初の半年は、清光も彼女もとにかく右も左も分からなくて。未来の政府に問い合わせたり、資料を読んだりしながら、自分たちだけで邸を運営していた。畑のことは、河原で生まれた経緯から、清光もそれなりに知っていた。けれど、馬の世話となると二人ともまったく未経験で、審神者に貸与されているパソコンを使ってインターネットで検索したりしたものだ。そうして、しっちゃかめっちゃかな日々を送りながら、合間に出陣もして力をつけていった。
 あの頃は、大変ではあったものの、頼って相談できる相手はお互いしかいなくて。四六時中、傍にいたものだった。安定などは前の主を忘れたのかと言うが、そうではない。かつて、清光の柄があの人の手に馴染んでいたのと同じ。清光は朔夜に馴染んでいるし、彼女にとってもそうだろう。
 朔夜がそう簡単に自分を見捨てるわけはない。本当は、分かっているのに。そのはずなのに。
「ごめん……主さま」清光はぽつりとこぼした。「俺、主さまにひどいことを言った。俺のこと、捨てるんじゃないかって……。主さまは俺のことを大切にしてくれているのに、その気持ちを疑ってごめん」
 そう言うと、朔夜はネイルの小瓶を脇に置いて、真っ直ぐに清光を見た。
「分かってもらえて嬉しいけれど、謝ってほしいのはそこではありません」
「え? 俺、間違えた……?」
 清光は不安になって、尋ねた。間違えたから嫌いだ、と言われたらどうしよう、とまた勝手に不安がこみ上げる。と、そのとき。朔夜が身を乗り出すようにして、清光を抱きしめた。
「あなたは私の愛しい子です。だから、たとえあなた自身であっても、自分なんかと言ってほしくありません。あなた自身を粗末にしてほしくありません」
 その言葉を聞いた途端、清光は熱いものがこみ上げるのを感じた。じわりと視界が滲んで、水滴が頬を伝う。あぁ、これが泣くということなのか。
「――ひどいよ、主さま。抱きしめ返したいのに、爪を塗ったばかりの手じゃ、主さまを抱きしめることもできない」
 その言葉に、朔夜がクスリと笑った気配があった。
「自業自得ですよ。――ねぇ、清光。あなたが私の剣だというなら、私の愛するこの子を守ってください」朔夜はそこでいったん身を離して、清光と視線を合わせた。「約束ですよ」
「約束、する……」清光は答えた。が、それだけでは物足りない気がする
 マニキュアの乾かない手で抱きよせることはできず、清光は身を乗り出して、朔夜の唇に己のそれを触れさせた。柔らかな感触。驚いた顔をしていた彼女は、しかし、すぐに瞳を閉じる。触れることを許されているらしい。けれど、足りない。もっともっと朔夜に触れたくて、清光は軽い口づけを幾度も彼女に降らせた。 







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