一振の刀3






 敵に辛勝した日から三日後。私は久しぶりに審神者の邸を出て、買い物に行くことにした。
 先日、清光たちが手ひどい傷を負いながらも打ち勝った相手は、その時空の崩壊の原因となっており、未来政府が近ごろ最も危険視している相手だった。そのため、月々のお給料や邸の運営費とは別に、特別の手当が出たのだ。
 私は明治期の人間だが、審神者の邸は時空の狭間にある。さらに審神者に選ばれた者の特権として、時空が不安定な時代でなければ、好きな時期に行くことが許されていた。もちろん、そのために二十三世紀までの時代の知識は与えられている。そこで、私は買い物に行く先として二十一世紀初期を選んだ。
 二十一世紀初期といえば、私の生まれた明治から大きな戦を二度も経て、その傷跡からすっかり立ち直った頃である。日本国は、明治期から見れば信じられないくらい、発展していた。また、その後、広く普及していく科学技術の萌芽が、幾つも生まれた時代でもある。
 私も他の刀剣たちも、最も好むのはこの二十一世紀初期の頃だった。
 更に時が進むと、日本の言葉や文化、習慣が他の地域と入り混じり、変化してしまう。それでも母国の文化には違いないのだが、遠い過去の文化に慣れた私や付喪神たちは、どうも馴染みにくく感じる。二十一世紀始めというのが、私や付喪神たちでも気兼ねなく人々に混じることのできる限界域だった。
 出かけるといっても、審神者である私はひとりで邸から出歩くことができない。明治期以降は安全だとはいっても、万が一にも歴史修正主義者に狙われないとも限らないからだ。邸から出るときには、いつも近侍の清光や他の子たちを伴うことにしている。もっとも、わざわざ護衛として付喪神たちに付いてきて頼まなくとも、未来の世界に興味津々な彼らのうちの誰かが来たがるのだが。
 案の定、声を掛けると真っ先に乱藤四郎が「はいはーい!」と手を上げた。五虎退もおずおずと「一緒に行きたいです」と言う。清光は「もちろん、近侍の俺が行かなくちゃあね」と当然のような顔をしていた。私はそこで、ふと廊下を通りかかった大和守安定に目を留めた。安定が私のもとに来たのは、二ヶ月ほど前のこと。隊では新入りの部類になる。さらに、安定は隊に入ってから今まで一度も、出陣以外で時を越えたことがなかった。
 それなら。
「安定、あなたも一緒に二十一世紀に出かけませんか?」
 私の言葉に、彼はびっくりした顔で足を止めた。
「僕が?」
「そうです。あなたは一度も、行ったことがないでしょう?」
「ない、けど……。僕は別に未来に興味は……」
「お前、未来の世界がどんなだか知るのが怖いんだろ」
 不意に清光が口を挟んだ。明らかに挑発と分かる、皮肉っぽい口調。あぁ、そんなものの言い方をしたら、敵を作るだけなのに。
 案の定、安定がキッときつい目で清光を睨む。
「誰が怖いんだって? 怖くないよ。ただ興味がないだけだって言ってる」
「なら、主さまからお声か掛かってるんだ。行けばいいだろ? ほら、洋装なら貸してやるから」
「分かったよ……。行けばいいんだろ、行けば」
 ひとしきり言い合いをした後に、結局、安定の方が折れた。最近、私にも分かってきたが、清光と安定にとってちょっとした言い合いは親密さの表れのようなものらしい。最初に抵抗したのが嘘のように、あっさりと清光に付いていく。
 二人はかの沖田総司の刀として共に過ごした、昔馴染みだという。私に対するのとは異なる親密さが、彼らの間に感じられた。人であり、女である身の私には、きっと理解できないのであろう絆だ。清光と安定ほどの親しさでないにしても、付喪神たちの間にはそうした、いわば戦う者としての連帯感があった。
 ――私が男であれば、理解できるのだろうか。あるいは、戦場に出て共に戦えば、彼らの連帯の中に入れるのだろうか。
 ――この身が女でなければ。時を越えて戦えれば。
 いや、そうではない。私は頭を振って、自分の考えを打ち消した。付喪神たちに彼らの役目があるように、私には私の成すべきことがある。審神者として、付喪神たちを過去に送り込むこと。その拠点として、邸を管理すること。傷ついて帰還する付喪神たちを癒すこと。
 刀剣たちを愛して慈しむことが、私に与えられた役目だ。彼らを愛して――いつか、戦いが終わって付喪神たちが刀剣そのものに戻って、ひとりきりになるとしても。現在へのもどかしさと、未来への恐れに怯むことなく、全力で刀剣たちを慈しむのが、私の戦いなのだ。
 そう自分に言い聞かせて、私は座敷から立ち上がった。二十一世紀へ出かけるために、仕度を整えに自室へ戻る。着物を脱いで、二十一世紀風の衣類に袖を通した。
 以前、衣類に興味のない私のために清光が選んでくれた紺色のワンピース。上にはベージュのジャケットを重ねる。鏡の前で薄化粧をしていると、清光が私の様子を見に来た。
「主さま、その服、着てるんだ」彼は少し意外そうに言った。
「私は二十一世紀の流行の服が、よく分かりませんから。その点、清光はおしゃれに詳しいから、あなたが選んでくれたものに間違いはないでしょう?」
「――髪は俺が結ってあげる」
 清光は私の後ろに座ると、髪を手に取った。幾度か櫛で梳いてから、ゆったりとした三つ編みを編んでいく。最後に端をえんじ色の組み紐で結んで留めた。「できた」と微笑して、鏡ごしに私と視線を合わせる。
「似合ってる。主さま、綺麗だ」
 囁くように言う彼は、いつになく柔らかな眼差しをしている。その表情が大人びていて、少しだけ落ち着かない気分になった。自分の心の揺れをごまかすように、私は苦笑する。
「私は器量が悪いと言って、婚約者にののしられたんですもの。その私が綺麗だなんて。本当に綺麗なのは……あなたの方」
「違うよ。俺のことは可愛いって言って。それに、主さまが綺麗だっていうのは本当。だって、もし主さまが刀だったら、凛として鋭い刃を持ついい剣になるって分かるからさ」
 なるほど、付喪神たちはそういう美的感覚を持っているのか。容姿の善し悪しをどうこう言われるより、よほど素直に受け取れる賛辞なのかもしれなかった。
「ありがとう、清光。……皆が待っていますね。行きましょうか」
 そう促すと、清光は立ち上がって、恭しく私の手を取った。


 二十一世紀に出た私たちは、郊外のショッピングモールにやって来た。食料品店の他、衣料品や書店などの商店が集まったその場所ならば、それぞれに用事が済ませられるからだ。
 ショッピングモールの入り口を潜ると、乱と五虎退はふたりして駆けだしていった。おそらく、百円均一の店に行ったのだろう。文房具やちょっとしたおもちゃ、アクセサリーなどが安価で売っているその店は、乱と五虎退のお気に入りだった。二人のみならず、乱の兄弟たちや小夜など私の隊の中でも小さな子たちは百円均一を好むようだ。
 私は書店に用事があったので、特に行きたい場所がなさそうな安定に供を頼んだ。清光は自分が一緒に行くと言ったのだが、彼が化粧品や衣料品の売場に心惹かれているのは見れば分かる。ゆっくり買い物をしておいでと背中を押してやると、名残惜しそうにしながらも私たちから離れていった。
「安定、私に付き合わせてしまって、申し訳ありません」
 久しぶりに刀剣の仲間と離れた安定は、少し寂しそうだ。私は彼に謝った。すると、安定は我に返ったようで、慌てたように手を振る。
「そんな、謝られることじゃないよ。主をひとりで歩かせるわけにはいかないし」
「ふふふ。確かに、江戸や明治くらいまでは、一定の身分の人間はひとり歩きしないものでしたけれど。この二十一世紀では、女のひとり歩きは別に普通のことなのですって」
「そうだとしても、いつ何時、主が歴史修正主義者に狙われるか分からないでしょ」そこで安定はふと、表情をかげらせた。「……俺や清光みたいな使いにくい刀はさ、なかなか主が見つからないんだよ。だから、主には、沖田君みたいに早死にしてもらっちゃ困る」
 行こう、と安定が促す。私は彼と共に、目的の書店へ向かった。書店には、私の時代では考えられないほど多くの本が、比較的、安価で並べられている。誰もが簡単に本を読むことができるなんて、この国は本当に豊かになったものだと思う。
 今日の私の目的は、SFジャンルの書物だった。基本的に、私はどんなジャンルの本でも読むようにしている。が、SFジャンルは特に好んで読んでいた。というのも、明治生まれの私にしてみれば二十一世紀は立派な未来世界なのだが、未来に生きる人々がなおも夢想する未来というのに興味があったためだ。今日も幾冊か書物を選んで、別の書架に移動する。
 と、歴史ものの書架の前に見知った姿があった。安定だった。細身のシャツにジャケット、ジーンズという組み合わせがよく似合っている。髪は普段のように根元で結わず、首の後ろあたりで束ねていた。彼のためにこの格好を見立てた清光は、かねてより考えていたことだが、他人に似合う服装を選ぶ才能があるらしい。いわゆる、スタイリストというものになれるのではないだろうか。
 そんな取り留めもないことを考えながら、私は安定の傍へ歩いていった。
「私の方は目的の書物を見つけることができたのですが、欲しい本がありましたか?」そう声を掛ける。
 安定ははっと私を振り返って、ギョッとした顔をした。
「主、そんなに読むの?」
「えぇ、この五冊くらいなら、ひと月ほどで読みます。――もうお会計に行こうと思うのですけれど、安定はどうします? まだ見ていたいなら……」
「い、いいよ、僕は別に……」
 そう言いながらも、安定は新撰組の本に心惹かれているようだ。私は書架に手を伸ばした。
「新撰組の本といえば……この小説など有名らしいですね。昭和時代の有名な歴史作家が書いたお話だそうです。私もまだ読んではおりませんが……」
「昭和時代……」
「えぇ。この小説は未読ですが、この作家の他の小説――私の生まれた明治のお話や、別の作家の歴史小説は幾冊か読んだことがあります。それにしても小説というのは、まことに不思議なものですね」
「不思議? どうして?」
「古くは平家物語や平安の頃からの文学作品にも言えることですけれど。書き手は経験したこともない出来事を生き生きと、その場で見てきたかのように語るのですもの。私たちは実際に時を越えますけれど、そんなことをしなくたって、人の心は時を自在に行き来し、場合によっては史実と異なる出来事をも視ることができる。心が自由であるのは、とても尊いことだと思います」
 安定は強ばった表情で、黙っていた。私は書架から安定が見つめていた新撰組の小説を取り上げ、会計すべき本たちの上に重ねた。
「……主、その本も買うの?」
「前から気になっていたので。私の元に来てくれた刀剣たちの前の主に関する本は、なるべく読むようにしているんです。……この本は読み終えたら書庫に並べておきますから、安定も気が向いたらどうぞ」
 私は会計を済ませて、安定と共に書店を出た。皆との待ち合わせ場所は、ショッピングモールの一角にあるカフェにしてある。そこへ行ってみると、皆はまだ来ていなかった。
 そこで、安定と二人して席に着く。間もなく来た女給に、私はチョコレートパフェを頼んだ。安定はメニューが理解できないようだったので、彼のために抹茶パフェも追加する。しばらくして、運ばれてきたパフェを見るなり、安定は目を丸くした。こわごわとスプーンを取って、いちばん上に乗っている抹茶アイスをすくう。それを口に運んだ彼は、次の瞬間、目を輝かせた。
「冷たくて、甘い……!」
「気に入ってもらえて安心しました。甘いものが苦手だったら、申し訳ないことをしたと心配していたものですから」
「甘いものは好きだよ。沖田君も酒より甘いものが好きで、給金が出る度に大福を買いに――」楽しそうに話しだした安定は、そこではっとして沈んだ表情になった。申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。「ごめん。主がいるのに、僕、前の主の話ばかりで……」
「いいえ。安定の話はおもしろいです。私は皆のこと、前の主のことも含めて、もっと知りたいと思っていますから。特にあなたや清光、国広の主はあの新撰組の方だったでしょう? 興味があります」
「嘘。主は優しいから、前の主を引きずるなって言えないだけでしょ。だって、僕たちは、今は主の《所有物(もの)》なんだから」
 あぁ、そうか。私はやっと、仲間になって以来、安定が私に対してどこか遠慮した様子だった理由に気づいた。
 安定は、私に喚ばれるまで、ずっと刀として――物として存在してきた。物は所有権のある主に使われるばかり。それらにも魂は確かにあるが、人間のようにはっきりした感情や意思を示すことはない。物であった安定は、きっと人の形を得て、心を持つようになって、私に仕えながらも前の主を恋しく思ってしまう自分の心の動きについていけなかったのだろう。
 そうだとしたら。
「物ではありません、安定」
「え?」
「あなたは私の物ではありません。あなたは刀剣の付喪神ですけれど、人の姿と心を持って存在しています。その時点ですでに、あなたはひとりの人と同じです。他の子にしても、私は自分の物ではなく、それぞれに意思を持った仲間だと考えています」
「刀の僕が、人と同じ?」
「そうです。人の心は複雑で、一筋縄ではいかぬものなのです」
 そう言いながら、私が考えていたのは、両親のことだった。私を大学校にまで入れてくれた二人に親孝行がしたかった。だが、彼らの願いに背いて、私は審神者として生きている。
 矛盾している。けれど、それでいいのだと最近、思うようになった。思うことができた。清光たち――付喪神たちのおかげで、自分の役目を誇らしく感じられたから。ありがとう、という気持ちを言葉に換えて、私は続けた。
「矛盾しながら、それでもあなたはあなたのままでいればいいと思います。だって、迷いも辛さも、前の主への想いも、すべて含めて――私たちの仲間の大和守安定なのですから」
 安定はそれを聞いて、不意に弱々しい表情になった。今にも泣き出しそうな目をして尋ねる。
「僕は、今のままでいいの?」
「えぇ」
「本当に? 沖田君のこと、忘れられないのに?」
「構いません。心は、自由だから素晴らしいのですもの」
「そっか……」
 ほっと安堵した顔になって、安定は微笑した。それから、ふと真顔になる。
「――主、僕、分かった気がするよ。僕たちは刀から人の姿を与えられるときに、刀であった自分の一部を失っていたみたい。他の付喪神たちもそうなのかは分からない。でも、清光は確かに、昔とは違っているんだ」
「一部を失う……。それはつまり、私の審神者としての力が及ばず、あなた方を上手く喚べなかったということ――」
「あ、そういう意味じゃないよ! そうじゃなくて……何というか、たとえば、刀であった頃の魂の形が四角だとするよね? それを、人の型――仮に丸型だとして、型の合わない場所に入れたから、入りきらない部分が溢れたみたいな感じ」
 私は安定の話をじっと聞いていた。
 自分の一部が欠けている気分というのは、どんなものだろう。私が喚びきれなかった安定や清光の一部は、いずれ戻ってくるのだろうか。そんな問いが頭の中を渦巻く。
 と、そのときだった。
「主さま、安定、お待たせ」
 待ち合わせ場所にやって来た清光が、私たちのテーブルに座った。安定の手からスプーンを奪い、彼のパフェを味見している。安定は苦い顔で昔なじみを見つめた。
「お行儀が悪いよ、清光。これだから、河原の子は」
「何をー!」
「二人とも、目立ちますから、ここで喧嘩をしないで」
 私が言うと、二人はシュンとうなだれた。その殊勝な様子が何だかかわいらしい。私は少し笑って、スプーンで自分のパフェを掬った。そのまま手を伸ばし、清光に差し出す。彼はパクリとスプーンの上のチョコアイスを食べてしまった。甘い、と嬉しそうに破顔する清光に、思わずこちらも笑顔になる。
 続いて安定にも同じことをしてみた。安定はちょっと驚いた表情になったものの、すぐにおずおずと口を開いた。


 最後に乱と五虎退が合流して、私たちは審神者の邸に戻ることにした。時空ポイントを開いているのは、ショッピングモールから徒歩十五分ほどの林の中である。
 林に入ったとき、私は違和感を覚えた。どこがどうというのではない。だが――妙に嫌な感じがする。来たときは、こんな雰囲気ではなかったはずだ。
 これは――。
 私はとっさに清光の袖を引いた。「待ってください。瘴気を感じます。おそらく、奴らが」小声でそう告げる。
 明治以降は今まで、歴史修正主義者たちの標的になったことはなかった。けれど、今後はそうなる可能性だってあるはずだ。二十一世紀なら安全だというのは、私の思いこみにすぎなかった。
「主さま――」
 清光が私を見た。その瞬間、林の木々の陰から、刀を媒介とした怨霊たちが姿を表した。その数、六体。形状から察するに、太刀や打刀級がほとんど。しかし、一体だけ大太刀級が混じっている。
 対して、こちらは丸腰だった。とりわけ、小柄な分、打撃に弱い乱や五虎退はわずかな攻撃で、折られてしまうかもしれない。
 清光の判断は早かった。
「乱、五虎退は主さまと時空ポイントへ。装備と援軍を頼む。ここは俺と安定で時間をかせぐ」
 時間をかせぐと言っても、武器もないのに戦うことはできない。清光は自分たちを犠牲にするつもりらしかった。「主さま、こちらへ」と私の手を引く乱を振り払って、私は叫んだ。
「乱、五虎退、私に構わず行ってください!」
「でも……!」
「援軍と装備、くれぐれも頼みましたよ!」
 言うが早いか、私は清光と安定の元へ駆け寄る。同時に、ジャケットのポケットに忍ばせていた霊玉を掴みだした。
 念を込めれば、開いた掌から霊玉が浮かび上がり、私の周囲を旋回し始める。
「主さま、逃げてって言ったのに!」
「私も戦います! 私なら、あなた方に力を与えることができます!」
 私はポケットから新たな霊玉を取り出し、念を込めた。私の霊力を帯びたその玉を、清光と安定に渡す。一見、刀装に似たその玉は、虹色に輝いている。清光と安定が握ると、霊玉は打刀ほどの大きさになった。
「――これで戦える……!」
 そう呟いて駆け出す安定を追って、清光も駆け出す。私は彼らの後ろで、意識を集中した。霊玉を通じて周囲の気配を感知しながら、この時代の者が近づいて来ないように決界を張る。
 たった二人ながら、清光たちは善戦していた。霊玉で形成した刀を振るい、敵と互角に渡り合っている。しかし、倒すところまではいかない。無理もない。いつものように敵に打ち勝つには、どうしたって戦力不足だ。清光たちもそれを分かっているのだろう。焦りからか、どうしても先走りがちになる。
「ヤァッ!」
 気合いと共に、安定が大きく剣を振り下ろした。が、それを受けたのとは別の敵が、すかさず彼に向かって剣を一閃する。とっさのことで、私の霊玉の守護も間に合わない。
 危ない! と思った瞬間、横合いから飛び出してきた清光が、敵の攻撃を弾き返した。
「ごめん、清光」
「ぼんやりすんなよ。俺たちは沖田君の刀だったんだから、この程度の雑魚にやられるわけにはいかないだろ」
「……そうだね。鈍(なまくら)刀と言われて、沖田君や主の評判を落とすのはごめんだよ」
 二人の会話を聞きながら、私は更に意識を集中した。この土地の穢れを霊玉に封じ込めるイメージ。間もなく、私の足下から地面に、虹色に輝く線が走りだした。線は私から両側に伸びて、少しずつ、けれど確実に辺り一帯の土地を囲っていく。
 光の線が目標の三分の二まで進んだところで、敵は私のしようとしていることに気づいたようだった。六体の敵の注意が一気にこちらに向けられる。
 足がすくむほどの殺気。逃げ出したくなる。「主さま、逃げて!」と清光の声が聞こえた。けれど、動けば封印は失敗してしまう。私は唇を噛んで、恐れに耐えた。
 ――あと少し……!
 そうする間にも、敵たちが切りかかってくる。清光と安定が何とか一体ずつ倒したが、間に合わない。最も私に近い敵が、刃を閃かせた――。
 その瞬間、世界がグラリと傾ぐ。気がつくと、私は地面に引き倒され、清光に抱きしめられていた。サラサラと何かが降る音がして、見れば傍らに黒髪の束が落ちていた。髪を束ねる組紐はえんじ。今朝、清光が私の髪を結ってくれた紐だ。
 私を見た清光は、はっと息を呑んだ。
「主さま、怪我を……」
 確かに頬にも小さな痛みがあって、どうやら敵の刃が掠めたようだった。だが、ともかく清光が庇ってくれたおかげで、被害は髪と頬の掠り傷のみ。
 しかし、まだ攻撃は終わったわけではなかった。体勢を戻しきれない清光と私にとどめを刺そうとして、敵が刃を振りかざす。
 その瞬間、鋭い閃光が走った。安定の放った突きが、敵を貫いたのだ。普段の彼の剣さばきよりもなお鋭い、神業のような一閃だった。
 安定は自分でも意外だったのか、呆然としている。わずかの間の後に、彼は泣き笑いの表情で小さな呟きをこぼした。
「そうか……僕は、きっと……。……やっと……やっと“分かった”」
 敵はまだ残っていたが、ちょうどそのとき、封印が完成した。地面に描かれた円がまばゆい光を放ち、周囲を旋回していた霊玉と呼応する。霊玉は光を吸い込み、見る見るうちに黒ずんだ石の玉となって地面に落ちた。
「終わりましたね……」
 私はほっと息を吐いて、頭を振った。いつもより軽い感覚で、髪が首の辺りで断たれていることを思い出す。後で誰かに整えてもらおうと思いながら、私は起きあがった。敵を封印して朽ちた霊玉を拾い上げ、ポケットに仕舞う。
「――戻りましょう」
 二人にそう告げた。


 幸いにしてというべきか、ほとんど丸腰で戦ったにもかかわらず、清光と安定に怪我はなかった。被害といえば、私のかすり傷くらいのものだ。
 私は未来政府に、二十一世紀に歴史修正主義者が表れたことを報告して、今日の仕事は終わりにした。薬研に頬の傷を手当てしてもらって、乱に髪を切ってもらった。その際、乱は清光が落ち込んでいると教えてくれた。
 手当を終えた私は、清光の様子を見に行った方がよいかと考えていた。そのうち、清光の方から私の部屋へやってきた。現れた彼は、確かにいつになく悄然としている。
「清光、元気がないようですが」
「だって、俺、主さまを守れなかったから……」
「守ってくれたではありませんか」
「だけど、主さまの髪が」
 私は肩につくかつかないか、というほどに短くなった髪の先を摘んだ。
「髪はまた伸びます。一度は短くしてみてもいいかなとも考えていましたし……」
 そう言ってみても、清光は苦しげな表情のままだった。
「主さまは人だ。俺たちとは違う。俺たちは破壊されなければ、何度でも主さまの手入れで修復できるけど……主さまのその頬の傷はすぐには治らない。傷がひどければ、痕が残ることだってある」
「手当してくれた薬研は、かすり傷だから痕にはならないだろうと言っていました。大丈夫です。――でも、もし、傷が残ってしまったら、清光は私を嫌いになりますか?」
「っ……」
 清光はハッと息を呑んだ。今にも泣き出しそうな表情で、唇を強く噛んでいる。
 私は静かに言った。
「清光。私は、傷が残ったとしても、己の守るべきものを守ろうとした傷ならば、恥じるつもりはありません」
「主さまを守るのは、俺たち付喪神の役目だ」
「そうですね。……そして、あなた方、付喪神を守るのは私の役目です。今朝、あなたは私を美しい刃のようだと言ってくれました。あなた方が刀剣でありながら人であるのと同様に、私も人であってもあなた方、刀剣と同じです。守るべきものがあるならば、この身を削ってでも守る」
「違う! 主さまは人だ! 柔らかくて、温かくて……そして脆い。人はすぐ、いなくなってしまう。沖田君みたいに、すぐに……! だから、戦わないで。安全なところにいて。俺たちが主さまを守るから、だから……!」
 清光の叫びは悲痛だった。前の主について安定ほど多くは語らない彼だが、言葉の端々に沖田を喪ったことへの悲しみと恐怖が滲んでいる。紅い瞳には涙がたまっていて――私は彼を抱きしめてやりたいと心から思った。
 けれど。
 私には、私の、貫かねばならぬ意思がある。
「加州清光。私は戦うことは止めません。確かにあなたたちと同じ戦い方はできないけれど……私は私の場所で戦います」
 その言葉に、清光は目を見開いた。袖口で涙を拭い、姿勢を正す。私を真っ直ぐに見た彼の表情からは、一切の甘えが消えていた。まるで戦場にあるかのように冷たい顔。
「――だったら、俺は主さまを愛することはできない。前の主みたいに、いつ死んでしまうかもしれないような相手を愛しても、辛いだけだから」
 清光は立ち上がり、部屋を出ていった。障子がカタンと小さな音を立てて閉じられる。部屋の中に、私はひとりきりになった。
 私は私の意思を貫く。だから、元婚約者も清光も、私を愛さないのか。誰かの意に沿うて愛されようとはせず、代わりに刀剣たちを愛して。愛した分もいつか失って、私は孤独になるのかもしれない。それでも、他の生き方はできないし、するつもりもなかった。審神者の役目を受け入れたとき、そう覚悟したから。他の生き方をすれば、私は私でなくなってしまうだろう。
 そうと分かっていても清光の心を失ったことが辛くて、私はひとりきりで少し泣いた。







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