一振の刀4






 二十一世紀で敵に遭遇してから、一週間が経とうとしていた。清光は縁側で書物を広げながら、ぼんやりしている。朔夜と言い争って――というより、こちらが一方的にかんしゃくをぶつけて以来、清光は必要以上に朔夜に近づかないようにしていた。近侍としての仕事はこなすが、それだけだ。不用意に近づけば、自らの言ったことを忘れて彼女に甘えたくなってしまう。そんな己を戒めるのに、必死だった。
 朔夜が審神者になって以来、清光は出陣や他の職務のときをのぞいては片時も彼女の傍を離れなかった。そうして、忙しい朔夜の手伝いをしたり、他の刀剣の世話を焼いたりして、忙しい日々を送っていた。ここ数日、朔夜を避けて手伝わず、彼女にじゃれつきもしないため、すっかり手持ちぶさただ。暇つぶしに書物をめくってみたりするものの、内容が頭の中に入ってこない。朔夜と書物の話をするのは、あんなに楽しかったのに。
 はぁ、とため息を吐いたとき、庭先で立ち合いをする安定と燭台切光忠の姿が見えた。互いに木刀を使っての稽古である。清光はそれを何となく見守った。
 安定の剣も光忠の剣も、清光は受けたことがある。安定の剣さばきは、前の主が同じこともあって清光とよく似ていた。一方、光忠は元が太刀なので、刀さばきが力強い。同じ太刀でも三日月宗近の剣筋はのびやかさと優雅さが勝つのだが、光忠は重さと鋭さが印象的な“剛”の剣だった。しかも、前の主で知略に長けていた伊達政宗の影響を受けてか、時折、こちらが予想しない攻撃を仕掛けてくることもある。戦いにくい――そうであるがゆえに、手合わせにはもってこいの相手だ。
 木刀を打ち合わせること数合。光忠が力押しの一閃を放った。おそらくあの一撃は、安定には受け止められまい。安定も分かっているから、身を引くだろう。清光はそう思った。
 だが。
「ヤァッ!」
 気合いと共に、安定はいっそう深く前へ踏み込んだ。光忠の懐に飛び込みながら、のどを狙って鋭い突きを繰り出す。その剣さばきに、清光は目を見張った。
 ――あれは、沖田君の……!
 先日、敵に襲われたときにも安定が見せたが、あれは沖田総司の最盛期の剣筋だ。
 天才、あるいは剣鬼と呼ばれた沖田は、剣術においてはいつも他人より優れていた。それでも、その技が最も極まったのは、池田屋事件の頃である。
 池田屋事件の最中に喀血して結核を発症した彼は、その後、数年を生き延びた。けれど、その人生の終わりの頃には人どころか、猫一匹すら斬るのがやっとというほどに病み衰えていた。剣の技を極めながらも、沖田はそれを振るうだけの体力を失っていったのだ。
 朔夜に喚ばれて、人として形を得た清光や安定でさえ、最盛期の沖田の剣さばきは再現できなかった。それほどに沖田は神懸かった剣士だった。それを、今、安定がなぞってみせた――。
「どうして……」清光は呆然として呟いた。
 やがて、光忠との手合わせを終えた安定が、こちらへ歩いてくる。彼はおもむろに清光の傍らに腰を下ろした。
「どうしたの? 僕のことじっと見てたけど、何?」
「お前、どうしてあの人の最盛期の剣さばきを……」
「あぁ、それね」安定は空を見上げて伸びをした。「僕はね、ずっと主に申し訳ないと思ってた。沖田君のこと忘れられなくて、あの人と一緒に逝きたかったと思ってた。……でも、主がこの前、言ってくれたんだ」
「何て?」
「僕は僕のままでいい、沖田君のことも忘れなくていい、って。そうしたら、気持ちが楽になって……それで、思い出したんだ」
「思い出した? 何か忘れてたわけ?」
「……沖田君の刀であった頃、僕は幸せだった。一緒に逝くことはできなかったけど、彼のような天才に遣ってもらえて、本望だったんだ。そのことを思い出したら、彼が僕を……刀をどう振るっていたか、分かった」
 そんなことで、あの技が遣えるようになったのか。清光は意外な気分だった。けれど、言われてみれば、確かに沖田総司によって振るわれていた自分たちの中には、すでに彼の技が染みついている。ただ、それをはっきりと思い出せないだけで――。
 ――安定はそれを“思い出した”のか。
「清光、お前もだよ」安定は不意に清光に顔を向けた。
「え?」
「お前にも、たぶん、本来の魂のあり方から欠けたところがある。だって、僕の知るお前はそんな風じゃなかったもの」
「どんな風だったんだよ?」
「それは……言ったって、分からないよ。自分で気づかなきゃね。……それより、清光、主とどんな喧嘩したのか知らないけど、そろそろ仲直りしたら?」
 言われて清光は頬を膨らませた。
「喧嘩っていうか、俺が癇癪を起こしただけだけどさ、今回は折れるつもりないから」
「どうして」
「この前、主さまは怪我しただろう? だから、もう危険なことをしないで、俺たちが守るからって頼んだんだ。そうしたら、あの人、自分の役目を果たすために、守られるだけの立場でいるつもりはないって」
「それはそうだろ。主の言ってることは、間違いじゃない」
 あっさりと安定は言った。彼のその態度に、清光は驚く。前の主の死を共に経験した安定ならば、己の心配を分かってくれると思っていたのに。清光は少し裏切られた気分になった。
「……安定は、主さまが大事じゃないのか?」
「もちろん、大事だよ。っていうか、うちの隊で主のことが大切じゃない者なんて、いないでしょ。――でも、主は……人だけれど、僕らと同じ刀みたいなものなんだ。僕らが刀でありながら人の姿を得ているように」
 それは、清光らと同じ付喪神たちだけに通じる感覚だった。人でありながら、魂のあり方が刀のそれに近い者は、人間の中に一定数、存在する。身近に言えば、前の主の沖田を始め、新撰組の中にも数人いた。また、審神者の邸に集められた刀剣たちの主にも、そういう者がいたと聞く。
 魂のあり方は、人も物も変わらぬということなのかもしれない。
 人としての朔夜の器量は並だろう。だが、付喪神は物に宿る魂が形を成すため、皮一枚の容姿よりも魂そのもので美醜を視る傾向がある。清光には、朔夜は凛として気品のあるとても美しい刃のように感じられる。打ち合えば、きっと高く澄んだ刃鳴りが聞こえることだろう。
 確かにそう思う。けれど。
「それでも、主さまは人間だ。俺は主さまを、あの人のように失いたくない。今度、そんなことになったら、俺はその場で折れてしまうかもしれない」
「……沖田君が死んだとき、僕もそう思ったよ。今、このときに折れてしまいたいって。でも、僕らは刀だ。折れぬための柔らかさと、斬るための堅さを与えられてこの世に生まれてきた。悲しみで折れることができるほど、やわにできちゃいないんだよ」
 安定の言葉は真実だった。そうだ。現実には、感情だけで刀が折れることなんて、物理的にあり得ない。あり得ないのに、朔夜が死ぬときのことを思うだけで、刃が砕けそうなほどの悲しみが胸を押しつぶす。
 涙を流しながら、清光は己に与えられた人の身を呪った。ただ刀としてだけ、朔夜の傍に在れたなら楽だったのかもしれない。肌を髪を柔らかく撫でる彼女の掌の温かさも知らずに、モノのままでいられれば。
 と、そのとき、安定の手が伸びてきて、清光の肩を抱きよせた。子どもをあやすようにして、ポン、ポンと小さく肩を叩く。当然ながら、刀であった頃とは違って、触れあった安定の肩も温かかった。
「ねぇ、清光、仕方がないよ。沖田君はあぁいう生き方しかできない人だった。でも、そんな彼だからこそ、僕たちは彼を愛していたんだろ?」
「……」
 清光は答えられなかった。沖田が好きだったという気持ちと、彼の死への悲しみとが共に胸の中で渦巻いている。沖田はあの生き方でよかったのだとも、別人のようであってもいいから生きてほしかったとも、決められない。
 返事を必要としていないのか、安定は子守歌のように言葉を続けた。
「今の主のことも同じ。主の愛情は刀のようだね。己のことは顧みず、僕ら付喪神を、自分と同じ人のように愛してくれる。僕らを愛したって……いつか僕らがモノに戻ったらひとりきりになると分かっているはずなのに。果敢な愛情だ。主はそういう愛し方をする人だし、だからこそ、お前は主を愛してるんだろ? 違うかい?」
 清光は黙っていた。
 答えはおそらく出ている。けれど、それを認めたくはなかった。


***


 昼下がり。私は三日月宗近と薬研藤四郎と共に、執務室にいた。明後日に控えた出陣と遠征の計画を、立てているのだ。遠くかすかに聞こえていた安定と光忠の鍛錬の声は、いつしか消えていた。手合わせが終わったらしい。
「――それでは、計画は予定どおりに」
 私が最終判断を告げると、宗近と薬研は頷いた。それでは、と薬研は立ち上がって、部屋を出ていく。後には宗近が残っていた。
「宗近、どうしました? 出陣の計画に問題点でも?」
「いや、そうではない。……ただ、少し気になることがあってな。加州清光のことだ」
「清光が……どうかしましたか?」
「どうもこのところ、清光は様子がおかしい。何か気がかりがあるようだ。我ら付喪神の心は、刀に映し出されるもの。今の清光は、危うくて出陣させられぬ」
「分かりました。出陣する宗近の隊には、清光を外して宗近を入れましょう。薬研の隊は予定通り遠征へ出します」
「それでは、邸が手薄になるが」
「いざとなれば、清光がおります故」
「そうだな。……それにしても、主どの、清光と何があったのだ? 清光があれほど揺らぐのは、主どののこと以外にあるまい」
「申し訳もありませぬ」
 私は宗近に簡単に事情を話した。話しながら、私は身を縮めていた。刀剣たちを管理して、彼らの状態を維持すべき審神者が、むしろ、悪化させたなど許されることではない。宗近に怒られるのではないかと思った。
 が、話を聞いた彼は愉しげに笑っただけだった。
「――それはそれは。若いとは、何と素晴らしいことよ」
「素晴らしくなんか、ありません……!」私は思わず、少し大きな声を出してしまった。慌てて、声を低める。「大きな声で、申し訳ありません。ともかく、私は審神者失格です」
「そう硬く考えずともよい。主どのも清光も、少々、真面目すぎるのだ。俺が生まれた平安の頃なんぞ、貴族連中は未来の用語で言うところの“恋愛脳”であったぞ。やれ、誰がどこの姫に通うておるだの、何とかの少々は色男だのと……」
 なるほど、確かに『源氏物語』などの平安文学にはそういう描写が為されている。だが、過去がそういう環境だったからといって、私は明治生まれの人間だ。
 とてもではないが、平安朝のような考え方はできない。
「平安貴族の真似をするつもりはありません! ……とにかく、私が悪いのです。初めて会ったとき、清光に愛してほしいと言われて……素直にそういうあの子を愛おしく思いました。でも、その気持ちはかえって、こうして清光の重荷になっている。清光には申し訳ないことをしてしまいました」
 私はうつむいた。と、その頭にぽんと重みが加わる。顔を上げると、宗近はにっこり笑って、私の頭を撫でてくれた。
「主どのも清光も、存分に迷えばよい。よき刀とはな、折れぬための柔らかさと斬るための強さを兼ね備えているもの。その刃を造るために、刀工は苦心して鉄を鍛える。迷いに苦しむというのは、きっと心を鍛える工程なのであろうよ。いつか、負けられぬ戦のために、今は折れぬ心を鍛えておるのだ思えばよい」
 優雅な姿形をしていても、宗近もまた、刀なのだ。そう思わせる言葉だった。


***


 その日は、出陣と遠征の隊が同時に出発する日だった。その隊のいずれからも、清光は外された。外された理由は、分かっている。朔夜と仲違いして以来、明らかに本来の調子が出ていない。けれど、分かっていても、清光は不安にならざるを得なかった。
「――清光、あなたには留守居役をお願いいたします。この邸は今はひどく手薄になっていますから、あなたを頼りにしていますよ」
 宗近や安定、光忠らを主力とする隊を過去へ送り、薬研と短刀たちの隊を遠征に送り出した後、朔夜はそう声をかけてきた。長い付き合いの彼女のことだ、清光が不安がることを見抜いていたのだろう。
 それでも、清光は考えてしまった。もしかして、朔夜はもう俺のことが嫌いなのかもしれない。このまま打ち捨てられるのかもしれない――。そんな暗い考えに取り付かれながら、内番に当たっている畑仕事をこなしていく。
 畑から戻って、邸に残る仲間たちと昼餉を取った後のこと。のんびりしていた邸の雰囲気が一変した。難易度が低いと見込まれていた遠征の途上に、強力な敵が待ち伏せしていたらしいのだ。
 清光は居ても立ってもおれず、審神者の執務室へ向かった。そこでは、朔夜と二人の女が慌ただしく立ち働いていた。二人のうちの一人――三十歳くらいの色っぽい美女は加賀美と言って、本体は鏡だ。もう一人、十四、五の少女は十六夜という名で、こちらも元は朔夜の守り刀だった。いずれも、朔夜に喚ばれて人の姿を得た付喪神である。
 清光の姿に気づいて、加賀美は眉をつり上げた。
「清光、そなた何用じゃ。見てのとおり、姫さまはお忙しい。邪魔するだけなら、さっさと帰りや」
「……あんた、俺に厳しいのな」
「我らは姫さまを守護するため、母上さまより遣わされしもの。姫さまを煩わせる男を許すわけがなかろう」
 それを聞いていた朔夜は、困った顔をした。
「今回、非があるのは私なのです、加賀美。清光を責めないでください」
 その言葉に清光はハッとした。思わず朔夜の顔を見る。
「非があると思ってるってことは、主さま……」
「いいえ、清光。非が私にあるからといって、改めるつもりはありません。私は私のやり方で共に戦う。そういう生き方しか、するつもりはありません」
 いっそ、清々しいほどの宣言だった。そのことで言い争った清光さえ、胸が空くほどの。清光は思わずクスリと笑ってしまった。
 驚いたように目を見開く朔夜に近づき、清光は膝を折った。打刀の中で比較的、小柄な己よりもなお背の低い彼女と視線の高さを合わせる。久しぶりに、ちゃんと朔夜の顔を見た気がした。
「主さま、手伝うよ。何をすればいい?」
 尋ねた途端、朔夜は気まずそうに目を伏せる。それで、彼女の考えが手に取るように分かった。
「そうか、俺が遠征隊を助けに行けばいいのか」
「……そのことを、あなたにお願いしようと考えていました。けれど……時空間に乱れのある時代に送り込めるのは、六人まで。それ以上はたとえ送り込むのが付喪神であったとしても、時空間のバランスを欠いて崩壊させてしまいます」
「遠征隊は五人だった。……つまり、あちらに行けるのは俺ひとり」
「えぇ……。薬研からの連絡によれば、あちらの敵、六体は、ほとんどあなたと同等の力量のようです」
 それは絶望的な命令だった。破壊されに行けというようなものだ。しかも、今から清光が向かったところで、薬研たちの隊が無事だとも限らない。
 最悪の場合、清光を含めて全員を失うことになる。
 清光は膝を伸ばして、真っ直ぐに立った。真面目な顔で朔夜を見つめる。問いがひとつ、唇からこぼれ落ちた。
「――主さま、俺“たち”のこと、愛してる?」
 ずっと主に愛してほしいと頼み続けてきた。けれど、生命を賭けるかもしれないときになって浮かんできたのは、いつもの愛を希(こいねが)う言葉ではなかった。己を含めて仲間たちを愛していてほしい、と心から思った。
 もしも、朔夜が皆を愛してくれているなら、自分は――。
 果たして、朔夜は目に涙を溜ながら、しっかりと頷いた。彼女も清光の問いの裏に潜む覚悟に気づいているらしかった。
「愛しています。皆のことを愛しています」
「――そっか」
 清光は微笑した。右手を差し伸べ、朔夜の頬に触れる。指先でそっと、彼女の目の縁に浮かぶ涙を掬い取った。
 温かかった。
 人の身を得て、この温もりを感じられたことは、きっと己の生の中で無情の喜びだ。そう思うことができた。
「……俺は主さまの剣だから、主さまの大切なものを守らないと。用意してくるから、薬研たちのところに送ってよ」
「分かりました。――……ありがとう、清光」
 朔夜の言葉の響きの中に、「ごめんなさい」と聞こえた気がした。


 半時間後。清光は維新時代の鳥羽に降り立った。携えてきた朔夜の霊玉の光に導かれて、薬研たちの元へ向かう。一時間ほど進んだ林の中で、清光は今剣や五虎退たちを発見した。彼らの周囲を霊玉が旋回しながら、癒しの霊力を発している。
 話を聞けば、強敵に遭遇した遠征隊は、隊長の薬研の判断で即座に待避したらしかった。それでも、敵の足が速くそれぞれ中傷や軽傷を負っていたようだ。が、霊玉の癒しを受けるうちに修復されていったらしい。避難している者たちは、いずれも軽傷というところだった。
「薬研はどうした?」清光は姿の見えない部隊長のことを尋ねた。
「それが……敵の足が速くて、追いつかれて……。薬研は僕らを逃がすために、自分が残ると。僕たちには、隠れたら助けが来るまで決して動いてはならないと言って……」五虎退がたどたどしく答える。
「そうか……。分かった。お前たちはもう少しここで待機な。俺は薬研を探しに行く」
 清光は再び、霊玉を追って進み出した。林は徐々に木々が減り、やがて荒れた野原に出る。そこに敵の姿がった。
 その手前に、薬研もいる。彼は銃兵の能力を与えられた刀装を上手く使って、敵を牽制しているようだった。
 薬研の周囲を霊玉が舞いながら、彼を守護している。
「薬研!」清光は少年に駆け寄った。見たところ、彼は一人で敵六体を相手にしていたにしては、意外に損傷が軽かった。中傷というところだろうか。「あれ、意外に元気そうね」
「当たり前だろうが」薬研は線の細い少年らしい外見に反して、男らしい口調で応じた。「俺らは大将の大事な剣なんだ。ひと振りたりとも、欠けるわけにはいかねぇのさ。玉砕なんかしてられるかよ」
「えー。お前、それ分かってたんだ」
 自分はそれが分かるまでに、一年ほどかかったというのに。清光は唇を尖らせた。
「ハハッ。俺は姿形(なり)こそガキだが、お前より年上、しかも戦場育ちなんだぜ。女を泣かせるまで気づかねぇ若造と一緒にすんなよ」そこで、薬研はふと優しい笑みを浮かべた。「知ってるか? お前はときどき、大将が死んだら悲しみで折れちまうなんて言ってるけどさ、俺たちが折れたら心が引き裂かれるのは、うちの大将なんだぜ」
「薬研……」
 そのとき、敵の大太刀の攻撃が二人を掠めた。その一閃が、薬研の最後の刀装をはがしていく。
 皆の言うとおり、敵は機動力が高いようだった。背を向けて逃げれば、あっという間に追いつかれてしまうだろう。誰かを囮に逃げるか、敵を倒して帰るか、二つにひとつ。
 ――というか、結局、道は一つだよな。
 清光は覚悟を決めた。ぽんと薬研の頭に手を置く。確かに彼の方が刀としての経歴は古いのだが、姿形が少年なのだからそういう扱いをしてしまおう。
「ここまでよく頑張ったな。主さまの大切な刀を――お前たち守ってくれて礼を言う。ここからは俺に任せな」
 そう言って、清光は前に歩きだした。そうしながら、腰につけた小袋を外して、中身をひっくり返す。中身の霊玉は地に落ちることなく、飛び上がって舞いだした。
 その数、五十。出陣した宗近の隊、遠征隊に最初から渡してあったものも含めると、朔夜は百を越す霊玉に、一度に霊力を送っていることになる。生命を危うくするほどの無茶だった。
 それでも、朔夜は清光に大量の霊玉を渡した。一人で援軍に行かせる代わりに、自分に守護させてほしい、と。それが朔夜自身の戦い方だから信じてほしい、と彼女は言っていた。
 だから、清光は霊玉を使った。朔夜の元に帰るために。
 霊玉が乱舞する中、清光は抜刀して駆けだした。先頭の敵に、霊玉がぶつかって牽制する。相手の体勢が崩れているところを、清光は迷わず斬り捨てた。と同時に、斬ったという確認もせずに次の敵にかかる。
 いつしか、清光は無心になっていた。人の姿を取っていることも忘れ、刃と一体化してただ斬り進む。頭の片隅に残る理性が、ふと、自分の剣さばきが池田屋事件のときの沖田に似ていることを思い出していた。
 そうだ。
 天才・沖田総司はその技の極を見た池田屋で、確かに清光と同化していた。彼は清光の魂を直で感じていたのだ。凄まじい技を繰り出した末に、清光の刃は修復不可能なほどに朽ち果てた。だが、それでも己は本望だと思ったのだ。
 沖田の技の極を我が身で体現して、彼の魂に触れた。ひと振りの刀として生み出されて、これほどに幸せな経験をするものがどれほどいるだろうか。一度、刀としての生を終えるとき、清光は確かに満足していた。
 ――忘れていた。
 安定が言っていたのは、このことだったのかと今更に思い至る。清光は剣を振るいながら、微笑していた。今、ひとりで戦いながらも、清光はひとりではなかった。周囲を飛び交う霊玉――朔夜の魂が感じられる。霊玉を通して、彼女は戦う清光に寄り添ってくれているのだった。
 沖田のように。
 モノであるはずの刀たる自分に寄り添い、魂で向き合おうとしてくれる。だから、己は惚れたのだ。安全なところから手を伸ばすのではなく、形は違えども戦いの場に身を置いてひと振りの刀のように生きる沖田だからこそ、朔夜だからこそ――愛したのだ。
「――帰るから。帰ったら、ちゃんと伝えるから……」
 乱れ飛びながら、懸命に己を支援する霊玉に向かって、清光はそっと呟く。それから、また気合いの叫びを上げて、敵を一体、斬り捨てた。


 夕刻。清光は薬研たちの隊と共に、審神者の邸へ戻った。
 負傷の程度は重傷に近いものの、辛うじて中傷の範囲に留まっているだろう。自分と同程度の敵を六体相手にしてこれで済んだのだから、善戦したと言っていいはずだ。
 同じく中傷の薬研は、「お前、ぜったいそれ重傷だって」としきりに人を重傷にしたがるのだが、取り合わないでおいた。
 時空ポイントを通って戻ってきた遠征隊を、朔夜はいつものように迎えた。その頬は白く、血の気がない。霊力を大量に消耗したのだから、無理もなかった。きっと、今は立っているのも辛いはず。それでも、凛として皆を迎えたのは、審神者としての意地だろうか。
 これまでの清光は、負傷しているときはなるべく、隊の後方にいるようにしていた。そうすれば、少しでも朔夜にボロボロの姿を見られずに済むからだ。いずれ手入れのときに知られてしまうと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
 しかし、今日は違った。
 殿を警戒しながら時空ポイントを通った清光は、朔夜を目にして足を前に踏み出した。背の低い短刀たちにぶつからぬようすりぬけて、先頭の薬研も追い越して。朔夜の前に立った。
 刀装は剥がれ落ち、髪は乱れ、衣服は泥にまみれている。ボロボロの姿。それでも、今、清光に己の姿を恥じる気は微塵もなかった。
 戦い抜いたのだということが、ただ誇らしかった。
 朔夜は清光の姿をじっと見つめた。そこには嫌悪や嘲笑の色は浮かんでいない。彼女の目を見つめ返して、清光はふと微笑した。ボロボロの格好のまま、腕を伸ばして朔夜を抱きしめる。 朔夜はといえば、もはや清光の抱擁の重さにさえ耐えられなかったのか、カクリとくずおれてしまった。清光は共に膝を突きながらも、彼女を離さない。白い単衣が穢れるのも構わずに、きつく抱いたまま告げた。
「主さま……。俺の主さま……朔夜、愛してる」
 そのときだった。ヒッと微かな声が聞こえた。抱きしめた朔夜の肩が小刻みに震えだす。
「……よ……つ……きよ……つ……――清光……!」
 ワッと声を上げて泣きながら、朔夜は清光にしがみついてきた。これでもかというほどに、きつく抱きしめ返される。
「ここにいるよ……。俺は主さまの傍にいるから」
 清光はそう言って、あやすように朔夜の背を叩いた。




一振の刀pixiv投下2015/02/01

目次