明日、晴れたら、君と1


・『鍛刀師』シリーズに出てくる後輩“夕霧”のお話です。2以降は『鍛刀師』の時系列が絡んできますが、このお話だけで読めると思います。
・山姥切の持ち主の描写に関して、捏造している部分があります。





 あんたの取り柄は明るくて元気なこと。小さい頃から、ずっと親にそう言われてきた。


 俺が審神者になったのは、高校三年のときに学校であった検査で、審神者適性が見つかったからだ。同学年の他の子にも、数人、適性ありの子がいた。そういう子はたいてい、大学卒業後に審神者になると言っていたけれど、俺は高校卒業してすぐに着任すると決めた。
 だって、大学に行って勉強したいことなんて、なかったから。ただ同級生の大半が進学するというから、自分もそうするものなんだろうと思っていた。大学を出て、働いて、好きになった異性だか同性だかと結婚して。(同性婚は二一〇〇年代から可能になっている。とはいえ、俺は同性を好きになったことがないから、たぶん結婚するなら異性なのだろうと思う)。
 どうせ、俺の描く未来なんて、そんなもの。だったら審神者でもいいかな、というくらいの決断だった。
 審神者になるための講習は、約三ヶ月間。ついこの間までみっちり高校の授業を受けていた身には、拍子抜けするくらいあっさり修了だ。その最後の日に、俺は政府の施設で初期刀を選んだ。定められた五振の中から選ぶのだけれど、そもそも刀なんて審神者を目指すまでよく知らなかったような人間だ。刀のよし悪しなんて、分かるはずもない。
 ……そのはずだった、けれど。
 実際には、俺は迷いもしなかった。刀掛に置かれた五振を見た瞬間に、なぜか感じたのだ。『この刀だ』と。顕現した姿を見たわけでも、その刀の付喪神の性格を知っていたわけでもない。それでも、分かって、しまった。
「この刀、にする」
 俺が選んだ刀を手に取ると、こんのすけは意外そうな顔をした。あの独特の模様入りの顔から表情を読み取るのは難しいはずなのに、なぜか、分かった。
「ほぅ……。主さまは、その刀をお選びですか。いや、なかなか興味深い」
「む。なんか思わせぶりな言い方するね。……これ、ほんとは、あんまり良くない刀なの?」
 俺は刀掛けからその刀を手に取った。馴染みのない刀の重みを感じる。けれど、やはり自分が選ぶべきはこの刀だという、不思議な確信があった。今、こんのすけが俺の選んだ刀を不良品だと言ったとしても、他は選びたくない気がするくらいに。
「初期刀五振はいずれも、政府が厳選したる名刀でございます。不良品などございません」ふるふるとこんのすけが頭を振る。
「じゃ、何でさっきみたいな反応を?」
「……政府の術者たちの戯れ言にございます。審神者が選ぶ初期刀は、その人物とよく似た魂を持つ刀か、あるいは、魂がもっとも必要とする刀だと」
「似た魂……」
「さようでございます。まぁ、ただの戯れ言ゆえ、深く考えずに顕現なさるがよろしいかと」
 そう言いながらも、こんのすけはキラキラした目で俺を見ている。深く考えるなって、そんなノリで決めていいのだろうか。少し不安になったけれど、やっぱり他の刀を選び直す気にはなれなかった。
 つっ立っていると、こんのすけに「では参りましょうか」と促される。俺は馴染みのない刀を手に、小さな狐に連れられて、ゲートをくぐった。
 たどり着いた本丸には、大きな母屋と広い庭が広がっていた。実家とは正反対ね広大さに、ちょっと身の置き所が分からない。戸惑っていると、こんのすけが早く母屋の鍛刀部屋へ行くよう、促してくる。
 そういえば、研修でも教わったっけ。審神者は本丸に着任するとすぐに、鍛刀部屋の祭壇で祈祷しなければならないのだとか。
 鍛刀部屋は、本丸の中心に位置している。そこにある祭壇で、着任した審神者が祈祷することによって、本丸に審神者の霊力が流れだす。また、本丸は審神者を主と認識する。そうして初めて、結界から本丸の環境まで、さまざまな機能が動き出すのだ。
 確かに、祭壇で祈祷をしたとき、俺は不思議な感覚を得た。まるで、意識のどこかが本丸と接続されたかのような――言葉には表しにくい感じ。
 それは、祈祷の後、ふたたび手に取った刀にも共通する感覚だった。初めて見るのに、なぜか、それが自分に関係のある存在だと感じるみたいな。
「――さて、主さま。大広間にて、初期刀を顕現させてみましょうか」
 こんのすけに促され、俺は鍛刀部屋を出た。母屋の地理がまったく分からないので、チョコチョコ歩く狐の尻尾についていく。ふと縁側の向こうの庭を見ると、晴れ渡る青空の下、見事な日本庭園が広がっている。
 俺は庭よりもまず、本丸の上空に広がる蒼天に目を奪われた。
 現世の空は、晴れの日でもこれほどまでに高く、澄んではいない。環境保全技術の発達で二十世紀頃よりは綺麗になったと言われているけれど、本丸の空はなお美しく見える。現世のように、高いビルなどに遮られることがないせいだろうか。
 たとえば、庭の柔らかな草の上に寝転がって、この空を眺めていられたら、どんなに爽快だろう――。
 そう思った瞬間、足下の床がなくなった。空に見惚れていたせいで、廊下を踏み外したらしい。勢いよく身体が庭に投げ出されたはずなのに、なぜかすべてがスローモーションに見える。
「あ、主さまぁあ!!」
 こんのすけが飛び上がって、叫んでいる。けれど、俺はなす術もなく落下していくしかない。やばい。俺は身を固くした。その刹那、視界でパッと薄紅の花弁が舞い上がる。
 あれは――桜の花弁?
 瞬きする間に花弁は消えて、次の一瞬には何かが俺を受け止めていた。びっくりして顔を上げれば、ひどく美しい男が俺を抱き上げているのだった。端整な顔立ちに金の髪。おとぎばなしの王子さまと言われたら、連想しそうな姿だ。
 ふと目が合って、俺は息を呑んだ。彼の目は、澄みわたって高い蒼天の青で――。
「……そら……?」
「空? 何の話だ? 俺は山姥切国広という」
 男――山姥切国広が名乗っても、俺は呆然と見つめていた。国広がその視線を不快に思ったと気づいたのは、彼が眉をひそめたとき。謝罪するよりも早く、国広が口を開く。
「なんだ、その目は。……俺が写しだから気に入らないのか?」
「気に入らないなんて、ないよ! あなたの目がすごく綺麗で空みたいだから、見惚れてただけで……」
 慌ててそう言いつのる。けれど、国広は機嫌を直すどころか、ひどく困惑した顔をした。俺を地面に下ろしたかと思うと、まとっていた布を目深にかぶり直す。
「俺を綺麗だというのは、誤りだ。……この姿は、しょせん本科の写しにすぎないのだから」
「そんな……俺が綺麗だと思ったのは、あなただよ」
「お前は本科山姥切を知らない。だから、こんな写しを綺麗だと誤解できるんだ」
 そう言いながら、国広はなおも布を深くかぶって俯く。彼と話すうちに、俺はだんだん悲しくなってきた。
 国広を見たとき、俺はとても嬉しかったのだ。彼と共に戦っていけるなんて、と。顕現した国広の姿形はもちろん美しいけれど、それだけではない。彼のまとう空気に、蒼天のような目に映る意思に、惹きつけられた。彼は自分と関わりのある存在なのだと、本能のようなものが叫んでいた。
 しかし、今、国広は俺を見てくれない。どんなに綺麗だと言っても、言葉を受け取ってもらえない。たぶん、今の山姥切国広に見えているのは、本科山姥切とかいう存在だけ。話を聞いてもらえない現状に、俺は途方に暮れてしまった。いったいどうやって、国広と接したらいいのか分からない。
 と、そのときだった。
 いつの間にか庭へ降りてきていたこんのすけが、ためらいがちに声をかけてくる。
「主さま、山姥切国広さま。無事に顕現も終わったことですし、ひとまず出陣してみましょう」
「え、そんないきなり?」
 俺はびっくりして、思わず尋ねてしまった。審神者と刀剣男士の役目が歴史修正主義者と戦うことだというのは、もちろん承知している。それでも、平和な国に育ったせいだろう、俺はいざ戦いとなって怯んでしまっていた。
 国広はそんな俺を、冷たい目で見つめた。
「おい、審神者が戦いを敬遠して、どうするんだ? 歴史改変されれば、消えるのはお前の身内かもしれない。これは人の子の戦いなんだ」
「っ……。ごめん、なさい……」
「謝罪するよりも覚悟を決めろ。……行ってくる」
 そう言い置いて、国広は踵を返した。粗末な布を風に翻しながら、正門――転移ゲームへ歩いていく。写しだなんだと先ほどまで卑屈な態度だったはずなのに、戦へ向かう彼はなぜか誇りに満ちているように見えた。
 ――そうか。刀としての誇りか。
 ふと俺は気づいた。と同時に、やはり彼に引き付けられている自分に気づく。国広は俺を見ていないけれど、それでも、俺は国広の相棒になりたいのだと思った。
 ――あぁ、とんだ一方通行だ。


 出陣は、さんざんだった。俺は離れにある審神者の執務室の端末で、国広の戦う様子を見ていた。
 衝撃的だった。
 国広がどんどん傷を負っていく。衣が裂け、血が流れても、彼は戦うことを止めなかった。しかも、俺は見ていることしかできないのだ。最終的に、戦闘は国広が真剣勝負を発動したから勝利できた。だが、あのままいけば敗北になっていただろう。最悪、国広も破壊されていたかもしれない。
 後でこんのすけから聞いた話では、実は初陣は政府が術で用意した敵と戦っているらしい。一種の演練のようなものだから、決して折れたりはしないのだとか。
 だけど、そんなの何の慰めにもならない。もしあの戦場で国広が折れていたら――。そう思うと、しばらく身体の震えが止まらなかった。我に返ったのは、国広の帰還を告げるアラートが鳴り響いたときだった。俺は慌てて、母屋の玄関へと走っていった。玄関の戸に手を掛けようとしたとき、ちょうど戸を開けて国広が入ってきた。破れた衣服、血の臭い、国広にまとわりつく戦場の荒んだ空気。初めて五感で感じる戦の気配に、俺は凍りついてしまった。労わなくては、と思うのに、言葉が出てこない。
「主さま! 山姥切国広さまは、負傷されています。手入れ部屋にて、手入れを行ってください」
 こんのすけに言われて、俺は我に返った。国広を促して、こんのすけの後について歩き出す。手入れ部屋へ入った俺は、おそるおそる国広の刀を預かった。手入れ部屋の小さな式たちに手伝ってもらいながら、講習通りの手順で手入れを施す。
 人の姿の国広は、俺の傍らに座ってじっと手入れの様子を見つめていた。その視線のせいで、より緊張が高まってしまう。とりわけ、小刻みに震えている手をよく見られている気がした。
「――俺が怖いか? なら、無理に手入れしなくていいぞ?……俺は汚れているくらいがちょうどいいんだ。誰も本科と比較しなくなるからな」
 唐突に、国広が言う。俺はハッと顔を上げた。途端、こちらを見ていた国広と視線が合う。身は血と埃に汚れてもなお、くもることのない蒼天の青。それを見て取った途端、俺は泣きそうになった。
 下手な采配をした身ではあるが、国広に怪我をしてほしいわけではなかった。だから、懸命に手入れをしているというのに――そんな自分を軽んじるような言い方をするなんて。なんだか、こっちが悔しくなってくる。俺は唇を噛んで、手入れを続けた。
「……どうした?」
 俺の態度を妙に思ったのか、国広が声をかけてくる。俺は首を横に振った。審神者として使いものにならないと、国広に見捨てられることを思うと、怖くて仕方がない。弱音を吐くわけにはいかなかった。
 こんのすけの指示で、手伝い札を使って手入れを早く済ます。手入れ部屋を出るとき、俺はグラリと視界が揺らぐのを感じた。床に下ろしかけいた右足が、つかの間、行き場に迷って体勢を崩す。その場で転倒しそうになった俺を、横にいた国広が腕を掴んで支えてくれた。
「……おい、大丈夫か?」
「あ、ごめん」
「疲れたなら、今日はもう休んだ方がいい」
「平気だよ。……こんのすけに次のことを教えてもらわないと」
「だが」
 国広は眉をひそめた。もしかして、心配、してくれている……? いやいや、だからといって、それに甘えるわけにはいかなかった。俺が早くちゃんとした審神者にならないと、国広やうちの本丸に来てくれるだろう刀剣男士たちに申し訳ない。
 大丈夫だから、と笑ってみせて、俺は刀装部屋に入った。研修で教わった通りに、刀装を造る。俺は、研修で刀装造りは同期の中でも上手い方だった。だから、刀装ばかりは心配していなかった。国広にいいところを見せるのだと意気込んで、三宝の上の資材に霊力を込める。俺の前に置いた空の三宝の上に、金に輝く球体が生じた――と思った瞬間。
 パリン。
 球体がガラスの割れるような音と共に、真っ二つになった。色も金色から灰色に――というか、灰そのものに変化して、崩れ落ちる。三宝の上には、灰の小山が残った。
「嘘……」
 もう一度、試してみる。しかし、結果は同じだった。
 俺は急に怖くなった。
 審神者の適性があると言われ、審神者になると決めてやってきた。無事に最終試験にだって、合格した。けれど、もし、ここへ来ていきなり、審神者の能力がなくなったのだとしたら? 俺は何もしないまま、審神者の資格を失うことになる。初期刀の国広とも、別れなければならない――。
 一気に血の気が引いて、視界がチカチカと明滅した。頭がグラグラして、まともに立っていられない。身体に力が入らず、俺はその場に座り込んだ。
「おい! 大丈夫か、主」
 国広が俺を呼ぶ。
 主――俺はそう呼ばれるにふさわしい人間だろうか。遠ざかる意識の片隅で、そんなことを考えた。



***



 目を開けると、見慣れない天井が見えた。和室の部屋に寝かされていたらしい。ゆっくり身を起こすと、額から濡れた手拭いが落ちた。
「俺……いったい……?」
「お目覚めですか、主さま。心配しましたぞ」こんのすけの声が響く。辺りを見回すと、小さな狐はちょうど俺が寝かされていた布団の枕元で、丸くなっていた。「突然、お倒れになったので、政府の病院に運ぶべきかとも考えたのですが……深刻な病でもないようでしたので、本丸にて様子を見させていただきました」
 聞けば、こんのすけは俺が倒れた後、国広に指示して執務室備え付けのメディカルキットを利用したらしい。本丸着任前の説明会で聞いた話では、政府が各本丸に配備しているメディカルキットは二二〇〇年代最新のものだという。ハンドスキャナで人体をスキャンすることで、病気や怪我の大まかな症状は診断が可能。その上、ある程度の治療ができる医薬品もそろっているのだとか。話に聞いたときは、手厚い福利厚生だなと他人事のような感想を抱いたそれを、着任早々に使われることになるとは。人生、どこで何があるか分からないものだと思う。
 それにしても、政府の医療機関に運ばれなかったのは、幸いだった。俺は内心、安堵の息を吐いた。だって、そんなことになれば、俺に審神者としての能力がなかったと判明してしまうかもしれない。もう少し、俺は自分を試してみたかった。それは単に審神者解任を先延ばしにする行為なのかもしれないけれど……今のまま、現世に戻るのは納得がいかない。
「こんのすけ、俺はどのくらい気を失ってたの?」
「一日、程度でしょうか」
「そんなに? ……じゃあ、国広はどこにいるの?」
「山姥切国広さまは、昨夜、あなたの傍で看病の傍ら、不寝番をなさっていました。今は、席を外されていますが……」
「えぇっ!? 国広、眠ってないの!?」
 俺が叫んだときだった。襖が開いて、国広が中へ入ってくる。彼は小脇に小さな桶を抱えていた。中には水が入っているらしく、微かな音が聞こえる。それを見て、俺は目覚めたとき、額に載せてあった濡れ手ぬぐいのことを思い出した。
 あれは、国広がしてくれたことらしい。
「おはよう、国広。……眠らずに看病してくれたんだって? ごめん」
「謝らなくていい。……もう身体はいいのか? こんのすけは、たいしたことないと言っていたが……本当にそうなのか?」
 傍らに膝を突いた国広が、身を乗り出すようにして俺の顔をのぞきこんでくる。びっくりして身を引きかけたとき、彼の目に映し出された恐怖の色が見えた。
 ――怖がってる……?
 だけど、なぜ。戦場で傷を負っても、なおも敵と戦っていた国広が怖がるなんて、どういうことだ?
「国広……? どう、した……?」
「すまない。取り乱した……。ずっと刀の身だったから、俺は人の身体のことはよく分からないんだ……」
「――そっか……。そう、なんだ……」俺が不慣れなように、国広だって慣れないことが多くて戸惑っているのだ。そう思ったら、少しだけほっとした。「ごめんね、国広」
「だから、謝らなくていいと――」
「そうじゃない。国広だって、顕現したばかりでいろんなことに慣れないのに、俺、いきなり倒れて心配させて、ごめん」
「あ、あぁ……。心配は、させられた。主が死んでしまうのではないかと……」
「うん。だから、ごめん。俺、焦ってたみたいだ。これからは、無理して倒れたりしないようにするよ」
 そう言うと、国広は嬉しそうな表情になった。微かとはいえ、初めて見る笑顔だ。
 そのときから、俺は見栄を張ろうとしないことにした。国広に食事や睡眠など、生活の仕方を教えつつ、審神者の業務をこなす。あれから刀装はなんとかして、並五割、上ニ割くらいで成功させられるようになった。そうはいっても、三割失敗するわけだけど。
 鍛刀の方は、まったくダメ。チュートリアル鍛刀からして失敗だった。何度か霊力と資材消費の少ない、いわゆる“短刀レシピ”ですら、付喪神の降りない刀ができるか。思い切って一度“太刀レシピ”を試してみたら、鍛刀部屋の小さな式が生み出したのは消し炭だった。ちょ、玉鋼や砥石や冷却水どこ消えた。
 国広は、刀装も鍛刀もイマイチな俺に文句ひとつ言わなかった。仲間なしのひとりでの出陣はキツいだろう。せめて、戦場で刀剣を拾えればいいのに。しかし、そんな期待とは裏腹に国広が持ち帰るのは幾ばくかの資材ばかりだった。こんのすけが言うには戦場ドロップにしろ鍛刀にしろ――極端に言えば他の手段であっても、刀剣男士が審神者の元に降りてくるのは運命のようなものらしい。そうあるべきときに、そうあるべき刀剣が来るのだとか。
 だったら、いずれ、なるようにんるだろう。
 俺は自分にそう言い聞かせて、気にせずに仕事をつづけた。落ち込んで体調でも崩したら、また国広を不安がらせてしまう。戦場の敵すら恐れない彼を怯えさせるのは嫌で、俺は努めて明るくしていた。だって、俺の取り柄はそれなんだから。


 そうして一週間が過ぎた頃、こんのすけが俺にそろそろ演練に出てはどうかと勧めた。確かに日課のうちに演練の項目はある。けれど、国広と二人だけの本丸では歴史修正主義者との戦いの他に家事や畑の世話に忙しくて、そこまで手が回らなかったのだ。
 とはいえ、いつまでも日課の項目に手を付けずにいるわけにもいかない。そこで、ある日、俺は国広と共に演練場に行った。
 演練は、一日あたり五回、行うことができる。うち一回はかならずベテラン審神者の隊との対戦。残りは同じ程度の実力の隊とあたることになる。対戦表を見てみると、大半の隊は六振の刀剣を率いての参加だった。ベテラン審神者さんだけは、練度五〇程度の刀剣ひと振のみとなっている。練度上げか、あるいは戦闘で時折、発生する一騎打ちを試そうとしているのか。いずれにせよ、うちのように刀剣が一振しかいないせいではないはずだ。
 俺は少し気が重くなった。けれど、それを表に出すわけにはいかない。何でもない顔で観覧席で他の部隊が戦っているのを見学していると、顔見知りが近づいてきた。俺より二つ下で同期の少女――〈青蘭〉という名称の本丸をもらった子だ。
「こんにちは! 〈青空(せいくう)〉」
 本丸の識別名称で呼ばれて、俺は一瞬、戸惑った。
 すっかり忘れていたけれど、審神者になれば本名は秘匿される。歴史修正主義者からの呪詛や、血筋を遡っての存在消去を避けるためだ。代わりに、審神者同士は演練などで互いのことを本丸識別名称で呼ぶのが慣例だった。しかも、同期の審神者は同じ識別名称の一字を共有する。俺たちの場合は〈青〉がそれにあたった。
 それにしても、と俺は自分の本丸の識別名称を思い出して、微妙な気分になる。〈青空〉か。最近の俺の気分は曇りなんだけどな。そう思いながらも、気を取り直して笑顔を作る。
「〈青蘭〉、元気そうだね。もう慣れた?」
「いえ、まだ全然。毎日、分からないことばっかりで、初期刀で来てもらった歌仙さんには迷惑をかけてます」
 そう言う彼女の傍には、歌仙兼定の他に脇差や短刀が控えている。同じ時期に審神者になったのに、すでに少なくとも六振は本丸に来ているようだ。そのことが、ひどくショックだった。やはり、俺は審神者としての才能がないのだろう。
 その後、どうやって〈青蘭〉と会話を終えたのか、分からない。俺はもはや演練場にいたたまれなくて、演練をキャンセルして本丸に帰ることにした。国広やこんのすけがどうしたのかと心配そうに尋ねてくるのに、「ちょっと疲れただけ」と答えてごまかす。
 ゲートを通って本丸に帰る。正門をくぐると、水滴が降りかかってきた。雨が降っているらしい。着任したとき以来、毎日、晴れだったのに。俺のせいだろうか? ――俺が〈青蘭〉や他の普通に役目をこなしている審神者たちに嫉妬したから、本丸の空が雲で覆われてしまったのでは。
 俺はしばらく、雨の落ちてくる空を見上げてぼんやりしていた。
「――主」国広が俺の手を引こうとする。「大丈夫か、主?」
「……大丈夫だよ」
 俺はヘラリと形ばかりの笑みを浮かべ、国広の手から逃れた。あることを思いついて、足早に母屋へ向かう。草履を脱いで三和土を上がった俺は、濡れた衣のままで大股に鍛刀部屋へ向かった。倉庫から置き場に出してあった資材を適当に手づかみして、慌てて出てきた式たちに渡す。
「――これで鍛刀してほしい……すぐに」
 最後に依頼札を渡して言うと、式たちは困った顔をした。妙な量の資材に戸惑っているのかもしれない。はやく、と言うと式たちは俺の言う通りに炉に資材を放り込んだ。俺は突っ立ったまま、その光景を見ていた。この鍛刀が失敗したら――俺は自ら審神者を辞めよう、と。
 最後に、式たちは炉の中に依頼札を投げ入れる。俺は最後の審判を待つような気分で、床に腰を下ろした。膝を抱えて、炉の炎を見つめる。これが最後になるかもしれないから、できあがるまで待っているつもりだった。
 どれくらい経っただろか。気づけば、鍛刀部屋の式たちの姿は見えなくなっていた。代わりに襖を開いて誰かが――国広しかいないけど――が入ってくるのが分かった。国広は俺の前まで来ると、顔をのぞきこんできた。
「いったい、急にどうしたんだ? ここは人の身では座り心地が悪いだろう。鍛刀を待つなら、別の部屋で――」
「ここでいい」
「は?」
「ここでいいんだ。……もしかしたら、最後の鍛刀かもしれないから、待ってる」
「どういうことだ」
「今回の鍛刀を失敗したら、審神者を辞めようと思ってるんだ」
「おい、早まるな」
「だって、俺、刀装も下手で、鍛刀なんか一回も成功しなくて。審神者に向いてないのかもしれない。……だって、演練で会った同期だって、もう六振、特上刀装をつけて率いてたんだから」
「だからって――」
 国広が言いかけたときだった。炉が輝いて、鍛刀終了を告げる。どこからか再び現れた式たちは、申し訳なさそうな顔で消し炭を手にしていた。
 失敗。――それが、答えか。もはやどんな表情をしたらいいのか分からなくて、俺はとりあえず国広に笑いかけてみせた。
「これが答えみたいだ。残念だけど」
「諦めるつもりか」
「俺だって、諦めたくてそうするわけじゃないよ。……でも、審神者と刀剣は戦争をしてるんだ。ゲームやおままごとじゃない。戦果を出せないと分かっている者が……いつまでも、皆の足を引っ張るわけには、いかないから……」
 だから。続けようとした言葉は、口にできなかった。涙が溢れてきて、まともに話せなくなってしまったのだ。俺は国広から逃げるように彼の脇をすり抜けて、廊下を駆けていった。
 やがて、縁側まで来たところで、吹きこんできた雨に濡れた床で滑って、前のめりの転ぶ。もう起きあがる気力はなくて、床に這いつくばったまま泣いていると、国広のものらしい足音が聞こえた。俺に分かるほど音を立てているということは、多少、焦っているのだろう。
 ゆっくり身を起こして振り返ると、国広は俺を見てギョッとした顔になった。くだらないことで泣くような俺に、呆れたのかもしれない。まぁ、今日で最後だから勘弁してもらおう。ぼんやりそんなことを考えたとき、国広は予想外の行動に出た。
 彼自身がまとっていた布を取って、俺の上に投げたのだ。宙を舞った布が、ふわりと俺の上に被さってくる。びっくりしていると、国広の声が聞こえた。
「すまない。……泣いているところを、見るつもりはなかった」
 どうやら国広は、俺のプライドを尊重しようとしてくれているらしい。けれど、びっくりした俺は布をかき分けて顔を出した。
 国広は俺の前にきて、床に膝まずくと、真剣な顔で口を開いた。
「――俺を抱け」
「……え?」
 だく? あれ? だくってどういう意味?
 古語的な意味が何かあっただろうか?
 審神者になる前の説明会では、刀剣男士は顕現時に審神者の知識を刷り込まれるため、現代語に近い言葉を話すと聞いていたけれど。それとも方言……? 国広の発言の意味が分からなくて、頭の中がビジー状態になる。
 俺が目を見開いたままで硬直していると、国広はひどく困った顔をした。
「……言い方を間違ったか? ――昔、俺が刀であった頃、俺を持って旅をした持ち主が野営するとき、刀の俺を抱いて夜を過ごしたんだ。山賊や敵襲から身を守るのに、その方が安心だからと。……だから、主もそうすれば落ち着くかと思った」
「え? あの、えぇと……? 人間では、そういうことをするのは親子とか、恋人とか夫婦とか、特別な間柄のような……? あ、でも親友でもありなのか……?」
「? よく分からないが、俺の言った行為はこの場合だと不適切なのか? だったら、すまない」国広は生真面目な態度で頭を下げた。「人の身というのは、厄介だな。自分で動けるし、何でも話すことができる。……なのに、いざ話すとなると、何を言えばいいのか分からない。何をどう言えば、主が元気を取り戻すのかも、俺には分からないんだ」
 国広の言葉に、そうかと俺は思った。刀剣男士が初めて人型を取るということの意味を、初めて知った気がする。国広は最初から、俺と同年代の姿で現れた。だから、同年代の、同程度の常識を持つ相手に接するようにしていた。けれど、付喪神で何百年も人間を見てきたとはいえ、刀剣男士は人として過ごすのは、初めてなのだ。
 そのことに気づいて、俺は申し訳なさでいっぱいになった。「ごめん……。取り乱したりして」と俺も謝罪の言葉を口にする。
 それからしばらく、俺たちは縁側に並んで座って、雨の庭を見ながらポツポツと話をした。ほとんどは、俺の話だった。審神者の仕事が上手くいかなくて焦っていたこと。審神者を辞めさせられるのではないかと、怯えていたこと。演練で同期を見て、いっそう不安になったこと――。
 ひとしきり聞き終えた国広は、庭を見ながらポツリと言った。
「なぁ、主……。俺は、写しだ」
「国広」
「そんな顔をするな。まぁ、最後まで聞け。……俺は本科の写しとして鍛えられた刀だ。そして、ここにいる“この俺”自身は、山姥切国広の分霊にすぎない。刀剣男士としては呼び出しやすい方だから、たとえ折れても、すぐに次が来るだろう」
「そんな……」
「事実だ。俺にはいくらでも、代わりがいる」
「それを言ったら、俺だって。いくらでも他に審神者はいるよ」
 主が言うならそうなのかもしれないな、と静かに頷いて、国広は俺へ目を向けた。今のネガティブな発言とは裏腹に、ひどく毅(つよ)い目をしていた。
「俺も主も替えがきくのだとしたら……俺たちは、好きにしてもいいんじゃないかと思う。俺はお前の思うままに、振るわれてやる。下手な策をうっても、刀装が上手くいかなくても、いいだろう。お前のいいように、俺を使えばいい」
「使うだなんて、俺……そんな風に思ったことないよ。国広には、戦ってもらってるんだから」
「いいんだ。お前は、俺を使って。たとえ刀剣が一振りしかいない審神者でも、いいじゃないか。自分に嘘をつかずに精一杯やるなら、他の審神者と同じである必要はないだろう。他の審神者の写しになる必要はないだろう。お前は、お前だ。それに――」
 そんなお前に振るわれていれば、俺は本科とも他の分霊とも本霊とも違う、俺だと言える。かなうならば、俺が戦いの中で果てるまで使ってほしい。
 国広の言葉に、俺は胸が締め付けられるような気がした。どうして、こんな情けない審神者のためにそこまで思ってくれるのか。本当は、こんなに素晴らしい刀は他の審神者の方が上手く接していけるのだろう。けれど、俺はどうしても国広と離れたくないと思った。いずれ審神者を辞めさせられるのかもしれないが、せめてそのときまででも、傍にいたいと。
 これは、俺のわがままだ。俺は被ったままだった彼の布に顔を埋めた。それでもまた涙が溢れてきて、どんどん布を濡らしていく。
「ごめん……くにひろ、ごめん……。あした、から……また、がんばるからぁ……」
 泣きながらもとにかく謝ると、頭の上にぽんと重みが載せられた。国広が俺を撫でているらしい。
「明日、晴れたら……」
 ぽつりと国広が言う。俺は返事をしかけて、あることに気づいた。あ、やばい。この布、俺の鼻水ついたかも。
「――この布、洗濯しなきゃ……」
 俺は思わずそう呟いた。


 翌日は晴れだった。布は洗濯したので、国広は別の布を被って出陣していった。そして、帰ってきたとき、彼は一振の刀を携えていた。
 短刀だ。
 信じられない思いで顕現させると、青い髪に袈裟姿の少年が現れた。小夜左文字だった。復讐を望むかと聞かれたので、舞い上がった俺は「復讐よりもとにかく来てくれてありがとう!」と叫んだ。テンションについて来られなかったのか、小夜は目を丸くしていた。
 それから、ダメ元で続けていた鍛刀で、薬研藤四郎がやって来た。彼はうちの本丸の事情を聞くと、呆れるよりも「面白そうだ」と微笑してみせた。そんな風にして、ゆっくりとではあるが刀剣男士が増えていく。一年が経つ頃には、うちの本丸には国広、小夜、薬研、加州、鶴丸、燭台切の六振りがいた。
 始め、いろいろ上手くいかなかったのは、本丸との接続で急速に霊力を奪われたせいらしい。緊張や環境の変化と相余って、新人審神者にはよくあることなのだと、後からこんのすけに聞いた。それでこんのすけは落ち着いていたのか。早く言ってくれたら、あそこまで落ち込まなかったのに。
 それでも、うちの本丸の刀剣増加は、他の審神者よりはかなり遅いペースである。戦力が少ない分、せめて装備くらいはと俺は刀装造りに打ち込んだ。一緒に刀装を作る刀剣、資材配合量、大まかな霊力配合量――すべてをいちいち端末に入力して、特上の出やすい配合や種類の造り分けなどをしてみた。結果、刀装づくりはかなり上達して、六割の確率で特上が作れるようになっていた。
 それがよかったのだろうか。
 こんのすけとうちの本丸の担当さんが政府に申請してくれて、鍛刀の専門家――鍛刀師が派遣されることになった。聞けば、審神者といっても皆、能力に偏りがあるため、鍛刀が苦手な審神者や特定の刀剣が顕現できない審神者というのもままいるらしい。主にそうした審神者の救済措置のため、鍛刀専門職があるようだった。
 鍛刀師が呼ぶのは、三振が限度だという。その内訳を決めるのは、こちらではなく鍛刀師自身なのだとか。いったい、どんな刀をうちに呼んでもらえるのだろう。俺はわくわくしながら、そのときを待った。




2015/10/03

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