※事情あり女装審神者注意。 ※2205年は18歳で成人扱い。



 本丸には、鬼が棲む。色とりどりの大小の鬼が。人殺しの道具から生まれた鬼たちが。僕は面布をつけ、巫女装束をまとって、彼らと相対する。僕は男なのだが、本来の姿を見せれば鬼に取って喰われるのだと教えられていた。
「主」
 静かな声と共に、障子が開く。紫の体躯を持つ鬼――歌仙兼定が顔を見せた。彼は僕が初めて選んだ刀だ。本丸に棲まう他の鬼――というか、刀剣男士のまとめ役を買って出てくれる頼りになる相手。鬼の姿であったとしても、僕は彼を信頼している。
「ご実家から文が届いているようだよ」
「ありがとうございます」
 女の声を作って、僕は礼を言った。手紙を受け取り、開封する。中を流し読みしたものの、すぐに折り畳んで文机の上に置いた。
「返書をしたためなくていいのかい?」
「必要ありません。……それより、歌仙さまは出陣のご挨拶にいらしてくださったのですよね。それなら、出陣部隊の皆さまをお見送りしなくては」
「分かったよ」
 僕は緋袴を揺らして立ち上がった。執務室を出て、歌仙と連れだって表へ出る。本丸は、今は冬。ヒュルリと冷たい風が、面布を揺らして吹いていく。しかし、面布には特殊な術がかかっているので、めくれ上がってしまうことはない。しかも、術のおかげで顔は覆われていても、透かして前方が見えるという不思議仕様(布は透ける素材ではないのだが)。
 正門の前には、六体の鬼たちが並んでいる。いちばん背の高いのは槍の御手杵。低いのは愛染、蛍丸。少し背の高い青江。それから、均整の取れた体格の燭台切。歌仙がそこに加わる。阿津賀志山へ出陣する部隊だ。
 不意に視線を感じて振り返れば、庭先にいた黒い体躯に金の瞳の鬼――大倶利伽羅が僕をじっと見つめていた。もともと馴れ合いは好かないという刀剣なのに。どうかしたのだろうか? 僕は尋ねようとしたが、そのとき声が掛かった。
「主、見送りに着てくれたのかい?」
 隊長の燭台切が言う。僕は頷いた。
「皆さま、ご武運をお祈りしております」
「主の期待に応えないとね。行ってくるよ!」
 正門が開いて、皆が出ていく。本丸の正門は転移装置。つながる先は戦場だ。どこか埃のにおいのする風が吹き込んで、バタンと門が閉まる。僕が母屋へ戻ろうとすると大倶利伽羅が寄ってくる。どうしたのか、と首を傾げると、僕の疑問を察したように彼は言った。
「今日の近侍は俺だ」
「あ、そうでした……」
 まるで猫のようにつかず離れずの距離を保って、大倶利伽羅は僕に従って母屋へ戻った。


 なぜ僕が女の格好をしているのか。その理由は家系にある。僕の家は古くからの神職の家柄なのだ。
 歴史が古いだけに、雨乞いをしたとか、怨霊を鎮めたとか、そういった先祖のエピソードは山ほどある。だが、その先祖のうちのひとりがヘマをしたらしい。彼はある村からの依頼で、ある化け物を倒そうとした。その試みは失敗して、怨霊は先祖に呪いを掛けたらしい。結果、僕の家では直系の男子は狂うか、早死にするようになった。それでも家が存続しているのは、女たちの努力の賜物なのだとか。
 そんな家に数代ぶりに誕生した、僕は直系の男子である。僕が生まれたときには、家を上げての大騒ぎだったらしい。喜びというよりも、呪術対策的に。母は結界の中で出産し、赤子の僕はさまざまな呪符を張り付けた部屋に寝かされた。さらに、この世ならざるモノたちに男と知られぬよう、僕は徹底的に女の子の格好で育てられた。幼稚園、小、中はスカートをはいて通学。高校は女子高へやられたのである。
 僕は女の子の服を着せられてはいるけれど、女性になりたいわけではない。もちろん、僕は年を重ねるごとに、女の子の服を着るのが嫌になった。だが、僕の生命にかかわること一族が信じきっているので、親も必死である。とてもではないが、男子として普通に生きたいとは言えなかった。
 それでも、僕の家系の運命なのだろうか。あるとき、学校からの帰り道に、僕は見知らぬ小径に迷い込んでしまった。そこはこの世ならざる場所で――その場にいた妖たちが、僕を贄と認識して追いかけてきた。そのときは、何とか持っていたお守りで難を逃れたけれど。
 その事件が、最後通告となった。
 もはや僕は、現世にいては生き延びられない。そう判断した両親は、僕を審神者として政府に差し出した。うちの家は神職として、審神者関連で政府と繋がりがあったから、僕を送り込むのは簡単だったようだ。こうして、僕は面布を渡され、決して刀剣男士に顔を見せぬように言い含められて。本丸へ送りこまれたのだった。魑魅魍魎が僕の魂を狙っているなら、より強い鬼――つまり刀剣男士を傍に置けばいい、と。
 以来、半年。僕は審神者として、この鬼ばかりの本丸で過ごしてきた。本丸での生活は、刀剣男士が鬼の姿をしているという点をのぞけば、まぁ、順調だった。少なくとも、女子高の教室で女子トークが繰り広げられるのを、愛想笑いを張り付かせながら聞いているよりは、ずっと。しかし、穏やかな日々は続かないらしい。
 実家からもたらされた手紙には、こう書かれていた。

 ――形代が壊れた。

 形代とは、僕の身代わり人形のことだ。現世から僕が唐突に消えたことを怨霊に隠すために、実家には僕の髪を使った形代の人形が置かれていた。しかし、それが自然に壊れたらしい。言わずもがな、怨霊の呪詛を受けてのことだと考えられる。もともと、この形代が壊れることは予想されていた。そのときは、僕がこの世ならざる領域に浚われるときだと、言い含められてもいた。けれど、それはもっと――十年も二十年も先だと家族も僕も考えていたのに。
 やはり我が家の直系男子は、早逝を免れられないらしい。実家からの知らせがあったとき、僕が感じたのは諦めだった。幼い頃から女のふりをして、できることはやり尽くしての現状である。こうなることはきっと運命なのだ。
 執務室に戻った僕は、文机の上にあった手紙を手に取った。これを刀剣たちに見られたら、余計な心配をかけてしまう。部屋の隅に据えた火鉢に手紙を燃やそうとした。
 そのときだ。
 少し前に廊下で別れたはずの大倶利伽羅が、障子を開けて入ってきた。その手に湯呑みを載せた盆を持っている。馴れ合いを好まないという癖に生真面目な彼は、近侍の務めとして僕に茶を淹れてきてくれたようだ。部屋に入ってきて僕の様子を目にした彼は、金色の目を見開いた。
「――何をしている?」
「いえ……。反故の紙を燃やそうかと」
「反故の紙……」
 大倶利伽羅は不審そうな顔をした。それもそうだろう。紙のゴミは、リサイクルできるように捨て方が決まっている。僕は刀剣たちにゴミの分別について教えてきたから、大倶利伽羅が僕の言い訳に不信感を持つのも無理はなかった。
 追及されるだろうか。
 僕は身を強ばらせて、そのときを待った。けれど、大倶利伽羅はそうはしなかった。部屋の奥に進むと、文机の前に端座してその上に僕の湯呑みと茶菓子を置いた。鬼の体躯には不似合いな、ひとつひとつメリハリの利いた丁寧な動作だ。僕はこのとき初めて、大倶利伽羅が男らしいながらも端正な所作の持ち主だということに気づいた。
「茶が冷める。早くここへ」
「え?」てっきり、燃やした紙について追及されると思っていた僕は、面布の後ろで瞬きをした。「えぇと……。何も聞かないのですか?」
「……聞いてほしいのか?」
「あ、いえ……」
 僕は慌てて、文机の方へ戻ろうとした。ところが、こんなときに限って、女物の緋袴の裾が足に絡む。体勢を崩した僕は、そのまま呆気なく畳に転倒した。――かと思ったものの、衝撃はいつまで経っても訪れない。おそるおそる目を開けると、僕は大倶利伽羅の腕の中にいた。
 受け止めてくれたらしい。
 間近に見えるいかめしい鬼の顔――その中で、少しくすんだ金色の瞳と視線が合う。金の炎のような燭台切の目とも、純粋な金色をした鶴丸の目とも少し違う。長い年月、人々の祈りを受け、大事にされてきた仏像に似た金色。その眼差しに、わけもなく荒んでいた心が静まっていく。
 もっと大倶利伽羅の目を見ていたいと思ったけれど、彼は僕を起こして「大丈夫か?」と尋ねた。
「すみません」
「いや、いい。しかし……何か心配ごとがあるなら、話せ」
「え?」
「無理にとは言わない。だが、お前はこの本丸の審神者だ。俺たちの主君だ。もしも、何かお前の身を脅かすような危険が迫っているなら……俺たちはお前を全力で護るだろう」
「わたしがいないと、あなた方は人の姿を保てませんものね」
 僕がそう呟くと、大倶利伽羅は舌打ちした。
「皆の名誉のために言っておくが、俺たちは誰も、己の保身を考えてはいない。――俺たちは、本霊から分かたれた分霊の一体だ。たとえ折れても、いくらでも代わりは降ろせる。だが、俺たちにとってお前は、唯一、魂を賭けて仕えるべき主君だ。だから、護る。それだけのこと」
 そう言う大倶利伽羅はひどく眩しかった。刀剣男士というのは強いのだと改めて知る。それも、戦闘における強さだけではない。その心根からして、強くて潔いのだと。
「……ありがとうございます」僕は微笑した。もちろん、面布に阻まれて大倶利伽羅には見えないだろうけれども。「実は、わたしの家には因縁があって……そのせいで、怨霊に狙われているのです」
「怨霊、だと」
「えぇ……。先ほど燃やしていたのは、実家からの文。私の身代わりの形代がだめになったと。それでも、怨霊は、本丸まではおそらく追いかけてこられません。でも、現世に戻れば怨霊はわたしを浚おうとするでしょう」
「――分かった。お前が現世へ赴くときには、俺がお前を護ろう」
 黒い鬼は頷いて――それから、手を出せと命じた。言われるままに従えば、掌にぽとりと金属のプレートつきのネックレスを落とされる。プレートの表面に刻まれているのは、梵字のようだった。
「……これは?」
「しばらく身につけていろ。お守りだ」
「でも、申し訳ない――」
「勘違いするな。しばらくの間、貸すだけだ。いずれは返してもらう」
 大倶利伽羅が言うものだから、素直に頷くしかない。僕はネックレスを首から掛けて、金属のプレートを単衣の襟の中に仕舞った。


 その夜のこと。
 ゴゥという大きな風の音で、僕は目を覚ました。月が出ているのか、廊下はそこそこ明るいようだ。薄暗い部屋の中、庭に面した障子がほの白く輝いている。
 シンと静まり返った夜だった。刀剣の中でも太刀や大太刀、槍などの年長組は晩酌をすることもあるのだが、その声も聞こえない。刀剣たちは、皆、寝静まっているらしい。寝床の中で、僕はなぜか急に恐くなった。実家からの手紙をもらった今日の今日で、まさか怨霊が僕を見つけて襲ってこようとしているのではないか、と。
 そのときだ。
 ギシッ。ギィッ。廊下の床板が軋む音がする。まるで僕に聞かせようとするかのように。刀剣男士たちは、こんな足音を立てたりしない。無邪気な短刀や脇差たちが、敢えて廊下をパタパタ走ることはあるとしても。基本的に、武人である刀剣男士たちは、普段はほとんど足音を立てずに廊下を歩く。
 では、この音は――?
 思わず、首から掛けた大倶利伽羅のネックレスを握りしめる。枕元の面布を取って、僕は顔を覆った。おそるおそる、音のする廊下の方を見る。と、障子に何やらよく分からない物陰が浮かび上がっていた。大きな影、小さな影。宙に浮いているもの。地を這っているもの。数体の影が廊下を横切っていく。明らかに、刀剣男士たちではなかった。
『贄ノ気配ガスルゾ……』
『近イゾ、近イゾ……。モウジキダ……』
『アノ綺麗ナ贄ヲ犯シ、食ラッタラ……ドレホドノ力ヲ得ラレルカ……』
『楽シミダ……楽シミダ……』
 僕は恐怖で震え上がりながら、悲鳴の漏れそうな口を懸命に押さえた。そうしながら、心の中で大倶利伽羅に救いを求める。
 ――黒と金の美しい鬼。僕の大倶利伽羅。
 ――どうせ喰い殺されるのなら、彼がいい。
 そんな熱っぽい願望が胸に募る。もしかして、これを恋というのかもしれない。初めて僕は気づいた。打ち明ける相手もいない、こんなときに気づくなんて遅すぎて滑稽だけれど。それでも、それは僕の初恋に違いない。
 スパン。
 障子が開け放たれた。月明かりが差す。冬なのにヌッと生暖かい湿った風が吹き込んできた。まるで巨大な生き物の、吐息のよう。

『――見ィツケタ』

 笑みを含んだ声で、化け物が宣言する。その刹那。
「――見つけたのは、こちらだ」
 静かな、けれど凜とした声音が響く。大倶利伽羅の声だ。僕はびっくりして、布団から起きあがった。見れば、僕の寝室に隣接する執務室の間仕切を開けて、大倶利伽羅が立っていた。彼がここへ来る気配がなかったけれど、もしかして、ずっと執務室に潜んでいたのだろうか。白い寝間着姿の彼は、その手に本体を携えている。
 大倶利伽羅はスラリと刃を鞘から抜いた。
「コレはうちの主だ。手出しするならば、許さん」
『貴様、我ラノ獲物ヲ横取リスル気カ……!』
 大きな影が大倶利伽羅に襲いかかる。大倶利伽羅は大股で歩み出て、刃を振るった。と、大きな影から触手のような突起が伸びて、刃に巻き付く。刃が動かせなくなって、大倶利伽羅がチィと小さく舌打ちした。その隙に、他の影が大倶利伽羅に殺到する。地を這う影が大倶利伽羅の足に取り付き、他の影が――。
 このままでは、大倶利伽羅が危ない。
 とっさに僕は叫んだ。
「――僕はここだ! 僕を放っておいていいのか!? なら、逃げてしまうぞ……!」
 途端、影たちがザワつく。
『男子ダ……!』
『我々ノ最良ノ餌ダ……!』
 浮遊する影が僕に向かってくる。ブワリと視界に広がる闇。次の瞬間、僕は影に包まれていた。身体からどんどん力が奪われていく。まるで、生命力を吸いとられていくみたいに。「う……。く……うぅ……」僕は大倶利伽羅のネックレスを握りしめて、必死に意識を保とうとした。大倶利伽羅が僕のために戦ってくれているのだ。ここで僕が諦めるわけにはいかない。
 そう思うのに、意識が遠のいていく。気を失う刹那、大倶利伽羅が叫ぶ声が聞こえた気がした――。


***


 気がついたとき、僕は薄暗いような、ぼんやりと明るいような、不思議な空間にいた。目を開ければ、そこはどこか打ち捨てられた屋敷のようだった。身体の下の畳は毛羽立ち、ゴワゴワしている。障子は破れ、戸は倒れ、部屋は吹きっさらしのようだ。薄ぼんやりした明かるさの中、見えた庭は草木が生い茂り、荒れ果てていた。
 いったい、ここはどこなのか。僕は不思議に思いながら、慎重に身を起こした。途端、ヌゥっと大きなひとつ目が僕の顔の前に現れた。長い触手の先端にあるそいつは、大人の頭部ほどもあるだろうか。目蓋はない。
 僕はとっさに自分の顔を確かめた。面布に覆われたままだ。そのせいだろうか。ひとつ目は僕と視線を合わせることができないまま、黒目をギョロギョロと動かした。が、やがてスゥと天井へ消えていく。
 今、この隙に逃げなくては。僕は立ち上がろうとした。そのときだ。
『ナランヨ……』
 背後からそんな声が聞こえる。男とも女ともつかない、奇妙な声音。頭部全体にかかる息。僕は梵字のネックレスを握りしめたまま、おずおずと振り返った。背後にあったのは、これまた触手の先端にある巨大な口だった。
『逃ガサンヨ……』
「――っ……!!」
 不意に畳から、天井から、無数の黒い影のような触手が伸びてくる。そいつらは腕や足に絡みついて、あっという間に僕を拘束してしまった。さらに、顔へ伸びてきた触手が、面布に触れる。
 ジュッ。肉の焦げるような嫌な臭いがした。何かの術に、触手が弾かれているらしい。
『倶利伽羅竜の加護か……。付喪神の分際で小賢しいわ』
 ジュウジュウと焼け付くような音を立てながらも、触手はジリジリと僕の面布をめくり上げていく。やがて、最後まで布をめくり上げると、触手は勢いよく面布を引きはがして捨ててしまった。
 あまりに呆気なく顔を保護するものがなくなる。僕は恐怖を覚えた。首を左右に振って抵抗の意思を示す。けれど、身体を拘束されていて身動きできない。と、顔の前に先ほどの巨大な目が降りてきた。ギョロリと僕の目を見据えたソイツの虹彩が、妖しく輝く。その眩しさに、僕は思わず目を瞑った。
 その直後。目を開けたとき、僕の前には見目麗しい青年がいた。褐色の肌に切れ長の金目。青年は双眸に切なげな色をたたえて、『主』と囁く。愛していると。
「だ、れ……?」
『俺は大倶利伽羅だ。恋人の名を、もう忘れたのか?』
「恋人だって……!?」
 僕は目を白黒させた。うちの本丸の大倶利伽羅は、青年じゃなくて鬼の姿をしている。しかも、僕らの関係は単なる主従であって、恋人になったことは一度もない。何か妙だと思うものの、そうする間にも目の前の青年が手を伸ばしてきた。着物越しに太股に触れて、何やら意味ありげに撫でる。
 端正な顔が近づいてきて、唇が触れそうになった。
「嫌だっ……! お前は大倶利伽羅じゃない。大倶利伽羅ぁ……!!」僕は思わず叫んだ。
 そのときだ。
「主をどうするつもりだ?」歌仙の鋭い声が響く。
 見れば、庭先に見知らぬ男たちが立っていた。いずれも美しい姿をしている。彼らのいずれにも見覚えはないのだが、その気配は妙に馴染みがあった。先頭の紫の髪の男に、ふと初期刀の紫の鬼が重なって見える。
「か、せん……?」
「主、無事のようだね……少なくとも、まだ」
「――歌仙、なのか……?」
 僕は歌仙と思われる男に続く面々へ視線を向けた。金色の隻眼の男は、黒い体躯に金の筋の走る鬼だった燭台切だろうか。青い髪の少年は、青鬼と見えていた小夜。白銀の鬼だった骨喰や、緑の鬼と思っていた石切丸もいる。そして――真ん中には、褐色の肌に金眼の青年。先ほど、怨霊が見せた幻に出てきた大倶利伽羅が立っていた。
「歌仙……。皆も……」
「最初から、君は厄介なモノに魅入られていると感じていたが……。まさか、僕らの加護を無視して、ソイツが実際に手を出してくるとはね」
 歌仙が厳しい顔をして言った。石切丸がどこかおっとりと、言葉を添える。
「それにしても、大倶利伽羅が主に装飾品を渡していて、よかった。その繋がりがなければ、浚われた主の行き先を辿れないところだったからね」
「――無駄話はいい。さっさと敵を倒すだけだ」
 ぶっきらぼうに言った大倶利伽羅が、歌仙を追い越して縁側に上がってくる。それを迎えうつように、触手のような影が彼に襲いかかった。大倶利伽羅が刀を抜き、影を薙ぎはらう。それでも断ちきれなかった触手を、つむじ風のように駆けてきた小夜が斬りさいた。
「勝手に前へ出ちゃダメだよ!」と叫びながら、燭台切が庭石の影から現れた奇妙な形の化け物に相対する。彼だけでは厳しいと判断したのか、石切丸は燭台切のサポートに回ったようだった。
「歌仙、皆……! 大倶利伽羅……!」
 僕は叫んで、触手の拘束から逃れようとした。しかし、手足に巻き付いた触手はビクともしない。僕は懸命にもがいた。皆が僕を迎えに来てくれたのだ。審神者の役目は戦うことではないかもしれない。それでも、皆が僕のために危険を侵してくれているのに、ただ見ていることなんてできるわけがなかった。
 拘束を抜け出せない。それでも、目の前で僕の刀剣たちが戦う姿に、僕の中で運命への反抗心が頭をもたげてくる。かつて怨霊と因縁を持ったのは、僕の何代も前の先祖なのだ。なぜ、直系の男子が皆、怨霊の犠牲にならなくてはならないのか。
 僕の生は、僕自身の責任で生きる、僕のものだ。だから、この魂を何に捧げるを決めるのは――僕自身だ。
「――ぼく、を……離せええええぇぇ!」
 カッと身体が熱くなる。気がつけば、僕はありったけの霊力を放出していた。その霊力が生み出す熱に怯むように、影の触手があるものは逃れ、あるものはボロボロと崩れ落ちていく。
 触手の支えがなくなって、僕はその場にくずおれた。身体の力が入らない。ゴワゴワした畳に手をついて、荒い息を繰り返す。
「――主!」歌仙が駆け寄ってくる。「まずい……。霊力を放出しすぎて、生命力まで消費しているようだ」
「助かる、よね……?」小夜が不安そうに尋ねる。
 そのときだった。スルリと傍に寄ってきた大倶利伽羅が、僕の傍に膝をついた。他の皆のように僕を心配する言葉は口にしない。ただ、「よくやった」と僕の背中に手を置いた。
 好きな人に認めてもらえたことが嬉しくて、僕は苦しさの中で顔を上げる。「ありがと」とニヤリと笑ってみせた。と、大倶利伽羅が僕の後頭部に手を移動させる。スッと彼の顔が近づいてきて、互いの唇が重なった。そこから、何か温かなものが流れ込んできて、急に身体が楽になる。
「大倶利伽羅っ!?」燭台切が驚いたような声を上げる。
「主っ!」歌仙も叫んでいた。
「そうか。霊力の消耗を神気で補う手があったね」と、石切丸は納得したように呟いている。「まぁ、その方法は互いの相性がよくないと、気が馴染まないものだけど。主と大倶利伽羅は問題ないようだね。よかった」
「石切丸、おそらく問題はそこではないと思う……」骨喰が静かにツッコミを入れた。
 そんな外野の騒然とした様子はさておき、大倶利伽羅はひとしきり口づけを終えると、顔を離した。それから、ヒョイと僕を抱え上げる。いちおう男なのにあっという間に横抱きにされてしまって、僕は目を丸くした。
「大倶利伽羅、重くないの?」
「重くはない。それに、お前はその様子では自分で歩けないだろう」
「それは……そ、だけど」
「なら、大人しく抱かれていろ」
 簡潔にそう言って、大倶利伽羅は歩き出した。まだ身体に力の入らない僕は、彼のなすがまま。事の成り行きに驚いているらしい他の刀たちが、目を丸くして僕らの後に続いた。


***


 あの日、僕の刀たちが助けに来た一件以来、怨霊は消滅したか、僕のことを諦めたかしたようだった。後で石切丸に見てもらったところ、怨霊と僕の因縁は切れているという。
 怨霊との因縁がなくなったので、僕は刀剣たちに女装していた事情を打ち明けて、男の着物を着るようになった。腰まであった髪も切って、今ではすっかり男の姿だ。というか、刀剣男士たちは人間を外見でなく魂で見るため、最初から僕が男だと分かっていたらしい。女の格好をしているのは、事情があると考えていたのだとか。
 男の格好をするようになると同時に、僕は面布を着けるのもやめた。あの面布には、人外からの惑わしを回避する術がかかっていた。その副作用として、どういうわけか刀剣男士の姿が鬼として目に映っていたらしい。面布をやめたことで、今では刀剣男士たちもきちんと美しい男の姿に見えている。
 隔たりをなくして付き合ってみると、刀剣男士は皆、心根の優しい者ばかりだった。皆、未熟な僕を主として扱って、支えてくれる。ただ、特別なのは、やはり大倶利伽羅だった。審神者としての僕は特定の刀剣を特別扱いは、しない。ただ、日常のちょっとした時間を彼と過ごすのは、僕の小さな楽しみになった。
 一度、僕が浚われてから、大倶利伽羅は護衛のつもりか僕の傍によく現れる。たとえば、ひとりで書類仕事なんかをしているとき。近侍でもないのに、大倶利伽羅は執務室の前の縁側で昼寝していたりするのだ。そんなときには、僕はひと息を入れるとき、縁側に出ていって大倶利伽羅の隣に座ったりする。ときには、勝手に彼にもたれて、一緒に昼寝をすることも。
 大倶利伽羅は、僕がすり寄っていっても、拒みはしない。特に何か話すわけでもなく、僕の好きにさせている。今も――。
 書類仕事を片づけた僕は、縁側の柱にもたれて目を閉じている大倶利伽羅に忍び寄った。目を閉ざした彼の顔を、まじまじと見つめる。刀剣男士は皆、それぞれに美しい。けれど、僕がいちばん好きなのは、大倶利伽羅の面差しだった。若くて荒々しいのに、優雅で静謐。あのときのように口づけてみたいけれど、そんなことはできなくて。どこか侵しがたい彼に触れる権利がほしいと、僕は静かにため息を吐いた。
 と、大倶利伽羅が目を開ける。少しくすんだ金の瞳に捉えられて、僕は胸がドキリと高鳴るのを感じた。
「――どうした?」大倶利伽羅が静かに尋ねる。
「別に。大倶利伽羅を見てただけ。……大倶利伽羅に触れる権利があればいいのになって」僕は答えた。
「俺は、馴れあうつもりはない。……だが、お前は俺の今の主君だ。所有者であるお前が、俺に触れるのは当然のこと」
「審神者としての僕の話じゃないんだ。個人としての僕が大倶利伽羅のもので、大倶利伽羅が個人としての僕のものであればいいなって」
「……お前、自分が何を言っているか分かっているのか?」
「分かってるつもりだけど?」
 そう答えると、大倶利伽羅はチッと舌打ちして僕から視線を逸らした。「どうだかな」と呟いて、身を起こす。そうかと思えば、彼は体勢を変えて廊下に座り込んだ僕の膝の上に頭を載せた。素っ気ない言葉とは裏腹に、猫が懐くような体勢だ。
 僕は膝の上に広がった彼の癖のある髪を撫でた。柔らかい。ますます猫みたいだと考えて、思わず微笑する。
「ねぇ、大倶利伽羅。僕は君が僕を護ってくれたときからずっと、喰い殺されるなら君がいいと思ってたんだよ? それくらい、僕は、君を――」
 言いかけた言葉は、大倶利伽羅が僕の唇に押しつけてきた指先によって遮られてしまう。フニと僕の唇を押して、大倶利伽羅は言った。
「あまり挑発するな。ガキの癖に」
 僕は笑って、大倶利伽羅の手をやんわりと唇から離す。にっこり笑って、僕は尋ねた。
「ガキじゃないならいいの?」
 なら、ちょうどよかった。今日で僕は十八になる。それって、つまり現世でいうところの成人なんだよね。






2016/02/11

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