天下五剣は俺の敵


※ユイノウカッコカリという艦これのケッコンカッコカリを元にした架空の制度を設定に使っています。



 本丸には、俺の敵がいる。天下五剣のうち、もっとも美しいと言われている太刀の付喪神――刀剣男士・三日月宗近だ。
 三日月は審神者である俺に対して、何かと意見してくる。戦や本丸の運営面での話ならば、それもまだ分かる。しかし、三日月の口出しはそれだけではない。やれ着物が乱れているだの、私室の整頓ができていないだの。部屋の出入りや廊下の歩き方にまで口を出してくるのだから、お前は小姑か風紀委員かという話だ。
 この間など、夕餉のカレーに入っていた人参を残したら、嫌味を言われた。お前は俺の母親か。
 いばるつもりなんてないけれど、これでも俺は審神者だ。一つの本丸を任されて、きちんと任務をこなしている。それなのに、三日月のあの態度。あいつはきっと、俺を一人前の審神者として認めていないんだろう。足利義輝や豊臣秀吉、その他にも歴史に名を残す人物の間を渡り歩いてきた三日月にとっては、俺なんか取るに足らない小僧に違いない。
 分かっているのだが、悔しくて、俺は今日も三日月への報復に精を出す。もうすぐ俺のいるこの執務室に奴が来ることになっているので、入り口に糸を使ってちょっとした仕掛けを作った。天井の梁からゴム製のスーパーボールの入った籠を吊す。戸を開けると、糸を張り付けたテープが外れて、入ってきた三日月にスーパーボールが雨と降るという寸法だ。もちろん、ゴム製の小さなボールにぶつかったところで傷つくことはない。だが、この罠に三日月が引っかかったら、言ってやるのだ。
『天下五剣のひと振の癖して、これくらいの罠も見抜けないのか?』と。そのときのことを想像して、俺はニヤニヤ笑った。今日の近侍で初期刀の山姥切が不気味そうにこちらを見ているが、構うものか。
 時計を確認すれば、もうすぐ約束の刻限。三日月がやって来る頃だ。そう思ったとき、部屋の外で「主」と三日月の声がした。
「主命のとおり、三日月宗近、参上した」
「入れ」
 俺はそう命じる。三日月は戸を開いて――しかし、立ち止まったまま。誰もいない空間にスーパーボールが降りそそぐ。執務室の畳が色とりどりのゴムボールで彩られたところで、三日月は冷たい目で俺を見た。
「やはりな。主は俺を毛嫌いしている。その俺をわざわざ呼ぶということは、悪巧みをしているのだろうと思っておった」
「クソッ……!」
「くだらない罠を考えるくらいなら、執務を進めたらどうだ? そなたには審神者として学ぶべきことも多い。時間を無駄にしている暇はないのだぞ」
「お前なぁ! 俺を何だと思ってるんだ!?」
「審神者だが?」
「だったら、もっと敬えよっ。俺はお前たちの主だぞ!?」
「暗君を諫めるのは臣下の務めゆえ。……それに、主君たるもの己の地位に胡座をかいていてはならぬぞ。下克上は戦国の世のならい。見込みのない主君と判断すれば、臣下は見限るのみ」
「だったら! お前は俺なんか見限って、余所の審神者のところへ行けばいいだろ!?」
 三日月は目を丸くした。いつもの憎らしいくらいの美貌が、ほんの少しだけ崩れて親しみやすいものになる。それでも、俺は三日月への怒りを抑えられなかった。立ち上がって食ってかかろうと前へ出る。
 途端、足下がツルリと滑った。畳の上のスーパーボールを踏んでしまったのだ。スローモーションのように、風景が傾いていく。三日月がらしくなく慌てた顔をして、手を伸ばしていた。
 だが、間に合わない――。畳に転倒するかと思った刹那、横から伸びてきた腕が俺を抱き止めた。山姥切だ。彼は俺を支えながら、ため息を吐いた。
「何やってるんだ……アンタ[[rb:たち > ・・]]」
「“たち”……?」俺は首を傾げた。
「主と三日月のことだ」
 俺はともかく、なぜ三日月までため息をつかれるのだろう。馬鹿な真似をしたのは俺で、三日月は陥れられかかった被害者なのに。よく分からない。俺が頭に疑問符を浮かべていると、山姥切はもう一度ため息を吐いた。それから、顔を上げる。
「――ほしい奴は、この色付きの玉を持っていっていいぞ」
 彼が隣室――近侍の待機室にしてある――に向かって声を掛けると、ふすまが開いた。そこにいたのは短刀たちや鯰尾、骨喰、物吉。比較的、外見が幼い連中に混じって、獅子王もいる。いったいどういう面子だと疑問に思う間に、彼らは部屋に入ってきた。皆でワイワイ言いながら、スーパーボールを拾い集めていく。
「ありがとう、主!」
 皆は嬉しそうに礼を言って、部屋を出ていった。最初からこうなることを予測した山姥切が、ボールの引き取り手を集めていたらしかった。
 山姥切も拾っていたらしく、彼は三日月の前に進み出ると手の中のボールを呆然とする天下五剣に押しつけた。
「ほら、アンタの取り分だ」
 三日月はよく分からないという顔で、素直にスーパーボールを受け取っている。俺が始めたことだが、正直、俺もよく分からなかった。


 とはいえ、ともかく天下五剣がひと振、三日月宗近は俺の天敵である。三日月はしきりに俺に審神者としての心得を説く。しかし、俺にしてみれば、自分が審神者として優秀かそうでないかなど、どうでもいい話だった。
 なぜなら、俺は自ら望んで審神者になったわけではないからだ。
 俺の親は官僚だった。彼らの長男として生まれた俺も、将来、エリートになるように幼い頃から厳しく教育されてきた。同じ年頃の子どもと遊んだ記憶はほとんどない。エリート校を受験するための、勉強の日々。俺はほとんどの試験で両親の満足する結果を出してきた。そうすることに疑問はなかった。両親の期待に応えられる自分を、俺は誇りに思っていたからだ。
 いずれ、この日本でもっとも優秀な大学を受験して、卒業後はエリート官僚の道へ――。親子でそんな未来を思い描いていた、俺が十六歳の夏のこと。学校で行われた審神者適性テストで、俺は高い適性を示した。
 憲法により、日本国民には職業選択の自由がある。歴史修正主義者との戦いの最中、かつ審神者適性を示したといっても、本人の意思がなければ審神者になることを政府は強制できない。また、適性を示したのが十八歳未満ならば、事情がない限り十八歳になるまで審神者着任は猶予されるはずだった。
 ところが。
 官僚である俺の父親は、政府への忠誠心を示すためにすぐにでも俺を審神者にしたがった。審神者として本丸に着任したとしても、そこで通信教育を受けることはできる。俺は両親にそう言い含められて、十七歳で審神者としての講習に送り込まれた。当時の俺に、Noを言うことはできなかった。両親の期待に応えることが、この世でいちばん大事で誇らしいことだと信じていたから。
 自分が馬鹿だったと気づいたのは、初期刀を選んで、顕現していない刀本体と一緒に本丸にやって来たときだ。華やかなエリートの環境とはほど遠いであろう、ガランとした日本家屋。
 ――こんな場所に俺は来たかったわけじゃない。
 そう気づいて、叫びそうになった。俺はエリートとして、最新のオフィスで働きたかったのだ。世界各国の優秀な人々と接して、切磋琢磨したかったのだ。それが、こんな場所に隔離されてしまった。
 本丸が息苦しい檻のように思えて、それからの俺は荒れた。顕現した山姥切とは、毎日、怒鳴りあい、殴りあいながら日課をこなした。初めて鍛刀した五虎退は、そんな俺たちを半泣きで見ていたものだ。俺の精神状態が影響したのか、鍛刀は失敗が多かった。戦力が乏しいので、戦場の攻略もなかなか進まない。
 こんな調子ではそのうち本丸も解体されてしまうだろう、と俺は荒んだ気分で思っていた。そうしたら、俺を審神者にと推した父親も赤っ恥だ。ざまぁみろ、と。
 ところが、予想に反して政府は俺の本丸を解体しようとはしなかった。代わりに、鍛刀専門の審神者を送り込んだのだ。刀剣男士・鶴丸国永を護衛に連れたその審神者は、俺の本丸の様子をしばらく見ていたが、やがてひと振だけ刀を鍛刀した。
 それが、俺の天敵――三日月宗近だった。

『――そなたをしつけよと言われた。今日から俺は、審神者としてのそなたの指南役と心得よ』

 挨拶の後にそう告げた三日月は、実際、その通りにした。事あるごとに俺の行動に注意をしだしたのだ。まったく、たまったものではない。俺を叱る三日月はとても怖くて――よその本丸にいるような好々爺然とした『三日月宗近』とは、まったく違っていた。その癖、本丸の他の刀剣たちに対してはニコニコと愛想がいいのだから、腹が立つ。
 しかし、そんな三日月だが一度だけ、俺に優しくしてくれたことがあった。あれは実家からの通信が入ったときのことだ。その日は三日月が近侍だったけれど、不在にしていたので、俺は執務室で実家からの通信を受けた。
 途端、映し出されたのは両親。彼らは俺の審神者としての成績が悪いことを責め、もっと努力しろと言った。エリート官僚の息子のお前が、そんな低空飛行の成績でいるのは努力が足りないせいだ、と。
 俺は反発を覚えた。学生だった頃なら、感じなかったであろう怒りが胸にこみ上げる。両親に反抗する言葉が、喉元まで出かかった。――けれど、何も言えなかった。親を前にして、俺は自分の意見を持たない子どもに戻ってしまっていたのだ。
 従順に頷いて通信を終える。その瞬間、俺は自分が情けなくなって、その場に膝をついた。いっそ泣き出したい気分で、畳を殴る。そのときだ。ふすまが開いて、三日月が入ってきた。彼は俺と両親の通信を聞いてしまったらしい。
「――そなたは、俺たちにとって大事な主だ。他の者がどう評価しようと、俺たちはそなたを信じて、そなたの命令に従う。そなたの味方だ」
 静かにそう言った。そのときの、静かで揺るぎない眼差しが心強くて、俺は泣き笑いの表情を作った。ありがとう、と告げる。それが、天敵である三日月と俺が、半年間で初めて交わした友好的な会話だった。
 その瞬間からだ。俺の三日月への気持ちが少し変わったのは。
 三日月は厳しいが、その厳しさは自信のためではない。俺のために厳しく接している。主君である俺に嫌がられようと構わずに叱ってくれている。馬鹿なことをしたって、わがままを言ったって、きっと三日月は俺を見捨てない。

 両親が俺にしたように、放り出したりはしない。
 必ず傍にいて、叱ってくれる。

 そう確信したとき、俺はあまりに安堵して、ひとり、部屋で泣いた。
 両親は、優等生である俺にしか、価値を見いださなかった。けれど、三日月は俺が馬鹿でもわがままでも、向き合ってくれようとしている。優等生ではない俺を、無価値ではないと言ってくれる。そのことが嬉しかった。同時に、不安でもあった。三日月は、俺が審神者だから仕方なく付き合ってくれているのではないか。そのうち、愛想を尽かすのではないか。
 三日月の言葉を信じたくて。けれど、信じきれなくて。俺はしきりに、三日月にいたずらを仕掛けるようになった。そうして彼が怒ったり、俺に意見するたびに、自分はまだ見捨てられていないと安堵するのだ。三日月は、ここまで俺を許容してくれている、と――。


***


 執務室にスーパーボールをばらまいた日の夜のことだ。本丸の季節は春。空気は草木の芽吹く湿った土の匂いに満ちて、温かい。その日は月も美しくて、俺はひとり離れの寝室から縁側へ出た。
 おそらく俺は刀剣たちに、風流を解さないと思われている。ガキで俗っぽい審神者だと。それは実際その通りだ。四季の移り変わりに興味なんてない。それでも、その夜はあまりに心地がよくて、ぼんやり月を見ていた。そのときだ。微かに草を踏む音が聞こえて、俺は息を呑んだ。
 庭木の陰から、白い寝間着姿の三日月が現れる。明るい月明かりを浴びた彼は本当に美しい。さすが、天下五剣でもっとも美しいと言われる刀の化身だけあって、日々、俺を叱りつける男とは別人のようだった。
 トクリと胸が高鳴る。その鼓動の高鳴りは、覚えのあるものだった。そう。三日月が俺の味方だと言ってくれたあの日から、俺は三日月に恋をしている。そのことに、俺はとっくの昔に気づいている。失うのが怖くて、だから伝えるあてもない恋だ。三日月が刀剣男士で、他の誰かのものになることはないからとたかを括って、ダメな審神者でいることで彼の特別であろうとした。本当はただそれだけ。
 いつものように、俺は高揚する自分の気持ちを抑え込んで、彼の天敵のふりをする。
「三日月か。俺にお説教したりないのか?」
 そう声を掛けると、三日月は我に返ったように目を見開いた。
「主」
「どうしたんだ?」
「いや……。ちと、庭で月見をしながら、考えごとをしていたら、ここまで入り込んでしまったようだ」
「三日月でもぼんやりしてることがあるんだな。……いつも俺にしっかりしろとお説教するから、お前もさぞやしっかりしてるんだろうと思ってたけど」
 嫌味っぽくそう言うと、三日月は苦笑した。
「これは手厳しい。しかし、そう言われても反論はできぬな」
「お前がぼんやりするなんて、何を考えていたんだ?」
「――そなたのことを」
 静かに三日月は言った。その眼差しが真っ直ぐに俺に向けられている。その名にふさわしく金の月を宿す目は、感情が読みとれなかった。
「俺のあまりの馬鹿さ加減に悩んでたのか?」
「そう卑屈になるものではない。言っておくが、俺はそなたのことを好いているよ。拗ねたり、反抗したりしている様は、この世に生まれた赤子が精一杯、声を上げているように思えてな」
「子ども扱いどころか、赤ん坊扱いかよ」
「決してあなどっているわけではないよ。俺はそなたが眩しいのだ。生命に溢れていて、無謀なほどに果敢で。……俺たちとは異なる存在なのに、なぜ俺はそなたを好いてしまったのか」
「え?」
 ぽつりと三日月がこぼした言葉に、俺は目を丸くする。三日月もしまったという顔をしてから、再び苦笑を浮かべた。「すまぬ」そう言ってから、縁側の俺に近づいてくる。
「主よ……。少し頼みがある」
「な、何だ……?」
「ここへ」
 庭から手を差し伸べられて、俺は思わずその手を取った。そのまま縁側を降りようとすると、三日月に抱き上げられてしまう。一瞬のことだった。俺は驚きのあまりとっさに反応することができなくて、呆然としたまま彼の腕の中に収まる。
「ああ、そなたは人の子だから、温かいのだな」
 そう呟く三日月の体温は、俺より低い。
 いい年して、男が横抱きの体勢。恥ずかしくはあったが、三日月の腕の中は予想以上に居心地がいい。地面に降りれば足が汚れるからと自分に言い訳して、俺は三日月の首にしがみついた。
 鼓動がドクドクと強く打っている。今のこの状況が夢幻のようで、ふわふわと現実感がない。まるで強い酒でも飲んだかのように、俺はぼんやり状況に流されるばかりだ。
「今宵はずいぶんとしおらしいな」
 三日月は静かに笑って、赤子をあやすように軽く身体を揺らした。それから、囁く。
「俺の願いだ、主。どうか――」
 うつむいた俺の頬に、三日月の唇が触れる。俺はおずおずと顔を上げた。彼を見れば、今度は頬ではなく唇に触れるだけの口づけが落とされる。俺は酩酊したような心地で、その短い口づけを受けとった。


***


 刀解してほしい。
 三日月がそう言い出したのは、二日後のことだった。おかげで、本丸は騒然となった。俺と三日月が天敵だと知る刀剣たちは、皆、俺たちの間に何かあったと考えたらしい。中には俺の元に、三日月を刀解しないでほしいと懇願しにくる者もいた。
 だが、俺とて三日月の言葉は青天の霹靂である。刀解しないでほしいと言われるが、まずこっちが三日月の望みの理由を教えてほしいくらいだ。俺は自分の動揺を抑えて、刀剣たちを宥めた。落ち着けと自分に言い聞かせながら、執務室に三日月を呼び出す。
 部屋へやって着た彼は、刀解を希望したというのに、心の乱れた様子は見えなかった。普段どおり、いっそ憎らしいほどに落ち着いている。
「……何用だ、主?」
「何って……分かるだろう? お前が俺に刀解を申し出たことについてだ。なぜ、刀解を望む?」
「なぜと問われてもな。……強いて言うならば、俺は役目を果たしたと思うからだ」
「役目?」
「そうだ。鍛刀師に鍛刀されて、俺は彼に主を審神者として育てるように言われた。刀剣男士であると同時に、そなたの教育係であることが俺の存在する意味だ」
 けれど、と三日月は言う。本丸で俺と過ごして三年。最初は刀剣男士たちとギクシャクしていた俺は彼らになじみ、立派に本丸を運営している。もはや自分は必要ないと三日月は判断したという。
 それを聞いて、俺は呆然とした。
「待て。三日月が俺を審神者として認めてくれたのは嬉しい。でも、最初の役目が終わったって、お前は俺の本丸の刀剣男士だ。ずっとここにいればいいだろ?」
「そうはいかない」
 そう三日月は首を振る。基本的に、審神者の元にいる刀剣男士は鍛刀かドロップ。他人の霊力で鍛刀された刀が混じるのは、本丸の結界に雑音が入る要因になりかねないという。一度、三日月を刀解して、ふたたび鍛刀するのがいちばんいいのだ、と。
 もちろん、そんなこと俺には納得ができなかった。
「考えてみろ。ここでお前を失えば、この本丸の戦力は減少する。しかも、俺の不安定な霊力では稀少度五の三日月宗近をもう一度、鍛刀することはできないんだぞ」
「そなたは普段、子どものような真似ばかりしているが、決して暗愚ではないな」三日月は微笑した。それから、言葉を続ける。「三年前、そなたが鍛刀に失敗しつづけたのは、霊力的にも精神的にも不安定だったからだ。審神者として経験を積んだ今は違う。そなたなら、きっと再び俺を鍛刀することができる」
 その言葉に、俺は違和感を覚えた。
 仮に三日月宗近を鍛刀したからと言って、それは今、俺の目の前にいる三日月ではない。俺を叱って、どうしようもない奴でも諦めずに意見して、傍にいてくれた三日月とは違う存在なのだ。
 だめだ。だめだ。だめだ。
 [[rb:この > ・・]]三日月を、俺は手放すことができない。刀解してほしいなんて、言わないでほしい。役目は終わったなんて、思わないでほしい。
「――いやだ」
 気づけば言葉がこぼれ落ちていた。
「主」
「嫌だ……! お前はずっと俺のそばにいると言った! なのに俺を見捨てるのか!? 父さんや母さんがしたように、俺のことを放り出すのか……!?」
「落ち着け。そんなことはない。俺はそなたを見捨てるわけではない」
 三日月は、こちらへ手を伸ばしかけた。が、ためらうように指先を握りしめて、ゆっくり腕を下ろす。彼は悲しげに顔を歪めていた。
「だったら、見捨てるなよ……!」俺は叫んだ。
「それはできぬ。このまま、この本丸に残ることは」
「何でだよ……!? 俺を見捨てないって言うなら、ここにいろよ!」
「許せ。それはできぬのだ。このままでは、俺は……。――どうか聞き分けてくれ」
 どれほど俺がわめこうと、三日月は決して刀解の希望を取り下げることはなかった。


***


 どうしていいのか、俺には分からなかった。どうしたら、三日月は意思を変えてくれるのだろう。審神者としての権利を使って、命令すればいいのか? 噂に聞くブラック本丸の審神者のように、彼を檻か何かに閉じこめてしまうなら? それとも――?
 このままでは、永遠に三日月を失うことになる。恐怖でいっぱいの頭で、俺は彼を留める方法を懸命に考えた。もちろん、そんなひどい精神状態でいい考えなんて思いつくはずもない。それでも、思いついた俺が選んだのは、三日月を術で縛ることだった。
 術といっても、審神者になるまで神道や陰陽道とは無縁だった俺に専門的な知識があるはずもない。ごく簡単で、誰でもできる術ということになる。人ならざる者である刀剣男士を縛るほどの術が、そうそう容易に実行できるはずはない――それは事実なのだが、方法はあった。
 ユイノウカッコカリという制度。
 練度上限に達した刀剣男士と審神者を結びつけ、刀剣男士の練度上限を解放するための術。審神者や刀剣男士たちの間では、事実上、婚姻と同じ意味合いを持つ。この儀式で結びついた審神者と刀剣男士の間には、強い繋がりが生じるという。いずれか一方が害されれば、もう一方も無事では済まないと。
 この儀式で三日月を俺に結びつけてしまえば、どうなるか。仮に三日月が刀解されれば、その相手である俺の力は削がれる。死ぬことはないだろうが、それでも審神者を続けられないくらいには霊力を失うだろう。そうなれば、山姥切や本丸の仲間たちを悲しませることになる。
 だが、三日月は優しいから、そんなとはしないはずだ。きっと、自分が俺のもとに留まる方を選ぶ。
 すぐさま、俺はユイノウカッコカリ用の呪符を取り寄せた。この儀式は、審神者が相手刀剣男士の採ってきた貴金属から、儀式用の指輪を『鍛刀』するのが第一段階だ。けれど、俺は三日月の合意なく儀式をしようとしているのだから、彼の協力は得られない。
 貴金属が必要と知って、俺は現世から持ち込んだ自分の腕時計を鍛刀場の式に渡した。エリート高に入学したとき、親が祝いにと買ってくれたプラチナの時計だ。高校生には不釣り合いなシロモノ。だけど、両親はいずれ時計に見合うエリートになるからと、それを俺に買い与えた。
 時計を受け取った式たちは、少し困惑した様子だった。本当にいいのかというように、心配そうにこちらを見上げる。
「いいんだ。……現世で持ってたもの、今この手にあるもの、すべてなげうっても欲しい相手がいるんだ」
 俺は式たちにそう言って、ユイノウカッコカリ用の呪符を渡した。式たちはためらいがちに、持ち場につく。時計のプラチナと呪符を使って、『鍛刀』が始まった。俺はひとりきり、膝を抱えてぼんやりとその様子を見ていた。
 現在、俺の本丸の刀剣はほぼそろっている。こうして鍛刀をするのは久しぶりのことだ。鍛刀を見守っているうちに、本丸の初期のことを思い出した。山姥切と、数振の短刀、それに鍛刀師に与えられた三日月だけだった頃の本丸を。
 三日月が来た後も、しばらく俺は鍛刀に失敗しつづけていた。だから、鍛刀するたびに鍛刀場で皆して、今度こそ仲間が来ないかと待っていたものだ。鍛刀の待ち時間が長いと眠くなることもあって――そんなとき、三日月はよく短刀に膝を貸していた。山姥切も短刀たちを身体に寄りかからせて、布を掛けてやっていたっけ。
 そして。
『主も眠たくなったか?』いつもは天敵の三日月が、そんなときは優しい声を出す。それから、自分の隣を指さすのだ。『さぁ、ここへ来い。少し、俺に寄りかかって眠るといい』
 そのときの三日月の声音が蘇って、俺は唇を噛んだ。
 三日月は俺に厳しいが、それだけではなかった。優しくもしてくれたし、見捨てないで叱りつづけてくれた。三日月は傍にいて支えてくれたのに、俺は卑怯だ。自分のために、彼を縛りつけようとしている。三日月のことを好きなのに、彼の気持ちを考えようともせず――。
 と、不意に鍛刀場の扉が開いた。
「――主?」三日月の声が聞こえる。俺は顔を上げて、振り返った。途端、こちらを見た三日月がギョッと顔を強ばらせる。「どうした、主? そなたはなぜ泣いている?」
「……俺は」
 ちょうどそのとき、鍛刀の式たちが炉から指輪を取り出してきた。みるみるうちに冷えて固まったそれを、俺へと差し出す。三日月の視線を受けたまま、俺は指輪を受け取った。
「主……それは何だ?」
「三日月」最初に考えていたいくつもの嘘や出任せが、脳裏に浮かんで消える。けれど、俺がその嘘を使うことはなかった。三日月の前に進み出て、右の掌に乗せた二つの指輪を彼に差し出す。「これを言うのはもう最後だから聞いてほしい」

「俺はお前が好きだ。どうか俺とユイノウをして、この本丸に残ってほしい」

 三日月は目を見開いた。指輪と俺の顔を交互に見つめる。長い間の後に、彼は指輪を取るのではなく、俺を抱きしめた。俺よりずっと背が高いのに、背を丸めて俺にすがりついてくる。俺は呆然と彼のなすがままになっていた。
「主……。すまぬ」
「すまぬって……何が……?」
「俺はそなたを愛している。鍛刀されたとき教育係に任じられたのに、教育するべき主を欲しいと思ってしまった。あの晩、主の唇に触れてから、その気持ちはもはや抑えきれぬほどに大きくなってしまった」
 だから、俺がそなたのすべてを奪う前に、刀解されてしまおうと考えていたのだ。そう三日月は打ち明けた。あまりにあまりな事の成り行きに、俺は驚くしかない。
「じゃあ……」
「主は俺を気遣って、望みを叶えようとしてくれているのだろう? だが、そんなことはさせられぬ。主は、ヒトの子と結ばれるべき者……」
 いやいやいや。ちょっと待て。俺が精一杯の告白をしてるのに、しかも両想いらしいのに、なんでそうなる。驚きがだんだん、怒りに変わっていく。
 俺は指輪を載せた右手で拳を作った。その拳を、三日月の鳩尾にたたき込む。ひ弱な俺の拳にさほどの威力はない。だが、それでも三日月を驚かせることには成功したようだった。
「あ、主……?」
 若干、よろめいた三日月が目を丸くしている。俺は彼の左手をもぎ取る勢いで掴んで、乱暴に指輪の一方をはめた。それから、残りの指輪をつまんで彼に突き出す。
「もういい。主命だ。これを俺の左手にはめろ」
「待て、早まるな」
「待たないったら、待たない! 俺、お前のこと好きだって言っただろ!? お前も俺のこと好きなんだろ!? もう御託とかどうでもいいから、永遠に俺の傍にいて世話しとけよ馬鹿野郎!」
 そう叫ぶと、キョトンとした三日月はじきにクククと笑いだした。
「ははは。それが主の時代の求婚の言葉か? いやはや。随分と雅だな」
「うるさい! 嫌味言う暇があるなら、さっさと指輪はめろ」
「分かった分かった」三日月はクスクス笑いながら、指輪を受け取った。俺の左手を取りながら、彼はおかしそうに俺を見る。「……ときに主、ユイノウカッコカリの儀式の条件はきちんと調べたか?」
「え?」
「俺も主も、練度上限に達していない。つまり、この儀式は条件不十分で成立しないわけだが……」
「げっ。マニュアル見落とした」
「どうせそんなことだろうと思った」ため息を吐いた三日月は、けれど、苦笑の笑みを優しいものに変える。「……まぁ、そういうところが主のかわいいところではあるが」
 これが成立しない儀式なら、三日月はやはり刀解を望むのだろうか。不安になって見上げると、三日月は穏やかに首を横に振った。
「ユイノウとやらは、ヒトの子の定めた儀式。なれど、この世でもっとも強い呪は、言葉そのものなのだ」
 主が俺を好きだと、傍におれと言うのなら。そして、俺がそうしたいと願うのならば。それが何よりも強い契約なのだ――そう言って、三日月は俺の薬指に指輪をはめた。







2016/02/27

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