愛しき者よ






1.“六条の君”


 可能な限り毎晩、私と国永はある儀式を行うことにしている。この日も、本丸の母屋で風呂を借りてから離れに戻ってきた私たちは、寝床を挟んで向かい合った。
「頼む、国永」短く言えば、
「あぁ、いいぜ」と彼も軽く応じる。
 国永は寝床の上に座る私に近づいてきて、ひざまづいた。肩に手を掛けて、顔を寄せてくる。私は目を閉じて、彼が近づくに任せた。
 そっと、羽根のように微かに、互いの唇が触れあう。同時に、緩やかに国永の神気が流れ込んできた。ひとつ、ふたつ、みっつ……。ゆっくり十を数えられる間を置いて、国永が顔を離す。いまだ吐息の触れるほどの近さで、彼は尋ねた。
「……大丈夫か?」
「あぁ、国永の神気はちゃんと馴染んだ。ありがとう」
「そうか」頷いて、国永は自らの寝床に戻っていった。といっても、私のすぐ横なのだが。
 私たちが夜毎、行うこの儀式は、決して恋人同士の愛情確認のためのものではない。私を人に保つ目的で行っている。
 以前、化け物と化したことのある私の身体は、宗近たちの神気によって清められた。だが、ひとたび穢れに染まったこの心身は、ふとした拍子にこの世の穢れに引きずられて、人から外れようとする。人に戻って最初のうちは、ひどく難儀したものだ。現在では、私もそう簡単に化け物と化すことはないが――それでも、いつ何が起こるかは誰にも分からない。そのため、可能な限り毎晩、国永に神気を吹き込んでもらうことで、いわば“保険”を掛けているのだった。
「もう眠るだろう?」
 私の問いに国永は「あぁ」と頷いた。そこで、私は立ち上がって、刀架にある自分の刀を手に取った。黒を基調とした、ほとんど装飾のない無銘の打刀である。刀を取った帰りに部屋の灯りを消して、私は自分の寝床に戻った。刀を胸に抱くようにして、布団に入ろうとする。
「まだその刀と共に眠るのか」
 国永の声が聞こえた。振り返れば、夜目にも鮮やかな金の瞳がこちらを見ている。
「いつも、そうしているだろう?」
 私の刀には、昔、私が化け物と化した際、取り込んだ仲間たちの魂がすべて宿っている。つまり、国永以外の刀剣男士がすべて、『錬結』してあるということだ。国永以外の誰でもあり、しかし、男士のうちの誰でもないこの打刀を、私はどこへでも持ち歩き、夜は抱いて眠る。
 異常なのは分かっている。だが、人としての理を離れた私には、もはや正常も異常も関係ない。狂気と呼びたい者がいるなら、それを狂気と呼べばいいのだと開き直っている。
 あくまで私が打刀を抱いたままなのを見て、国永は金目に微妙な陰影を横切らせたようだった。が、次の瞬間にはいつものカラリとした態度に戻って、苦笑する。
「俺でも己の本体を抱いて寝ることはしないのに。君の方が俺よりも刀剣男士らしいんじゃないか」
「私は国永みたいに強くはないよ」
「ははっ、主にそう思ってもらえるのは、刀剣男士冥利に尽きるな」
 国永は笑った。それから、すっと手を伸ばしてきて、私の頭をひと撫でする。「おやすみ、主。よい夢を」と彼は子守唄のように優しく呟いた。



 眠りは死よりも静かだ。
 かつて黄泉路より戻ってきた私は知っている。黄泉へ続く路は、往きは眠りに似て静謐なのだが、引き返すとなるとにわかに騒がしくなる。
 付喪神たちに比べれば、私は呪術の素人である。たとえ神職の血筋であろうが、人間では太刀打ちできないのだ。それでも、黄泉返りが世の摂理をねじ曲げる行為だということは、分かっている。
 黄泉路を下りゆく私は、決して立ち止まるべきではなかった。
 ましてや、引き返すなど。
 それでも、いとおしい清光に、大切な仲間らに、切々と呼びかけられたなら、抗うことなどできはしなかった。私は引き返してしまった。黄泉路に潜む穢れを引きずって、現世へ戻ってしまった。

 私の罪は、弱さだろうか。
 愛する者らに引き留められて、それを振り切ることのできなかった甘さなだろうか。

 黄泉から戻った私を見て、清光は微笑した。数多の穢れをまとった私は、ヨモツシコメも真っ青の、醜く変わり果てた姿であったはず。だのに、あの子は以前、私に愛を囁いたときと変わらず、いとおしげに笑ってみせたのだ。
 ――きよみつ。
 私は彼の名を呼ぼうとした。
 刹那、私にまとわりついていた黄泉の穢れが、清光に襲いかかった。そして、他の仲間にも。穢れに呑まれながらも、誰も私を責めようとはしなかった。皆、予期していたように、穢れを受け入れた。自分たちが穢れを引き受けようとするかのように。
 私は彼らの魂が穢れて堕ちるのを、見てはいられなかった。だから、すべてを取り込んだ。刀剣の『連結』――人が他人の魂を取り込むことは、人道的にしてはならない。しかし、やろうと思えばできるのだ。
 たっぷりと穢れを吸った刀剣たちの魂を、私は自ら受け入れた。
 そうして、何も分からなくなった。

 私の罪は、愛だろうか。
 いとおしい清光や仲間たちを、闇に渡してたまるかと取り込んだ、独占欲だろうか。

 それから、どれだけ時が経っただろう。長かったような気もするし、短かったような気もする。二度と目覚めぬはずだった私の意識は、しかし、はるか遠くから響いてくる刃鳴りを聴いた。
 あぁ、誰かが戦っている。
 刃鳴りは幾度も私の魂に触れ、とうとう呼び覚ました。気がついたとき、私は本丸の廃墟でグニャグニャと奇妙にねじ曲がった刀を手に、戦っているところだった。
 相手は三日月宗近と鶴丸国永。周囲には、折れた三条や遠征部隊の刀が散らばっている。
 私がやったのか。
 そう声を上げようとしたが、口をついたのは獣の咆哮のようなものだった。しかも、身体が思いどおりにならない。戦いたくないのに、勝手に宗近たちを攻撃してしまう。
 けれど、私と目が合った刹那、宗近はふと微笑した。彼は唐突に傍らの国永を突き飛ばし、距離を詰めてくる。きっと、宗近なら、私を仕留めてくれるだろう。
 そう思った、のに。
 次の瞬間、何が起こったのか、私には分からなかった。ただ、大量の神気が身体を駆け抜けるのを感じた。口づけられたのだと気づいたのは、宗近がようやく顔を離して微笑んでから。
「むね、ちか……?」今度はひびわれた、それでも一応は人間のものらしい声が出せた。
「俺たちは、皆、形はさまざまなれど、主を愛している。……だから、どうか生きてくれ……愛しき者よ」
 そう告げおえた瞬間、宗近の姿がかき消えた。私の足下には、折れた剣が転がっていた。三日月宗近の寄り代、だったモノが――。

 私の罪は何なのだろう? もはやよく分からない。それでも、胸の痛みはなくならなくて、ときおり心の中で問いかける。
 私を愛したことを後悔してはいまいか? 加州清光。
 今の私は、私を殺さなかったお前の期待に添えているだろうか? 三日月宗近。
 こんな主で、本当によかったのか? 






 この本丸に来て二日目の朝。私は少年審神者と共に鍛刀部屋へ向かった。小さな鍛刀式神たちが、三人がかりで昨夜のうちに出来あがっていた大太刀を差し出す。私は少年審神者に、仕上がった大太刀・石切丸に念を込めるように促した。
 鍛刀師は、付喪神を喚ぶのが仕事だ。その分霊を降ろすだけでは、刀剣男士の主という扱いにはならない。念を込め、刀剣男士を顕現させた者が正式な刀剣の主として認められる。また刀剣男士の性格の個体差も、初めて顕現させる者の念に影響をされるようだ。
 少年審神者が念を込めると、緑の直衣をまとった長身の男――石切丸が姿を現した。審神者と彼が挨拶を交わす。審神者が石切丸に本丸を案内すると言うので、私は二人と共に外へ出た。
 廊下を歩いていくと、少年審神者の“鶴丸国永”――鶴丸と山姥切国広、それに私の国永が集まっていた。同じ二振の刀剣が会話しているのを見るのは、妙な感覚だ。いったい何を話しているのか、と不思議に思っていると、国永に手招きされた。そこで、少年審神者と石切丸と別れて、国永たちの元へ向かう。
「主よ、少しきな臭いことになった」国永が開口一番に言った。
「どうした?」
「この本丸を取り巻く霊的磁場が、不安定になっているようだ。“げーと”はまだ確認していないが、おそらく使用不可だと思う。この状況、外部からの干渉を受けているのかもしれない……」山姥切が慎重に言った。
「政府や他の本丸との連絡も絶たれているらしい。さっき君のタブレットを使おうとしたんだが、できなくてな」国永が付け加えた。
「こらっ、国永。どうせ、また“さにわちゃんねる”を見ようとしたんだろう? あそこは審神者専用だって言ってるのに……」
 私が叱ると、国永と――傍らにいた鶴丸まで、なぜかちょっと居心地悪そうに身動きした。あぁ、この反応から察するに少年審神者の鶴丸も、こっそり審神者専用掲示板をのぞいているのだろう。個体差はあれども、鶴丸国永は鶴丸国永である。
 とはいえ、今回は彼のおかげで連絡が絶たれているということが判明したのだ。そう責めるわけにもいかない。
「このことを、この本丸の審神者は?」
「まだ知らせていない」鶴丸が応じた。「事態が判明したばかりなのでな」
「では、あなた方から彼に伝えてください。本丸が外部干渉を受けているということは、敵襲がある可能性が高い。実際のところ、同じような状況で本丸が襲撃されたケースがあるのです」
 その最初のケースが、私の本丸だった。もうすでに三十年前のことになる。
 私は歴史修正主義者との戦いが始まって初期に審神者となり、数年後には清光と縁(えにし)を結んで人の理から外れた。老いることがなくなったので、そこから二十年近く審神者業を続けていて襲撃を受けたのだ。刀剣たちは、ことごとく練度がカンストしていたが、それでも急襲には太刀打ちできなかった。
 宗近たちのおかげでいちおう、人の姿に戻ることができた後、私は他のいくつかの本丸も襲撃され、破壊されていたことを知った。その中には、私の知り合いも幾人かいた。薬研藤四郎に嫁(か)して不老の身となり、私と同様に戦っていた同期の女性。後輩として指導したことのある、遠縁の青年。あるいは、付喪神に愛されながらも縁を結びはせず、人として年老いながらも審神者業を続けていた同期の男。
 皆、己が刀剣たちと共に黄泉路を下って行ってしまった。
 以来、歴史修正主義者の本丸襲撃が、政府に認識されるようになった。政府は常に各本丸の時空ポイントをモニターしつづけている。もっと言えば、鍛刀師である私が派遣された本丸は、普段よりも手厚くモニターされているはずだ。仮に襲撃があたとしても、本丸に籠城してある程度、持ちこたえれば救援が来るだろう。
 少年審神者に軍議を開いてもらい、籠城戦への備えを行う必要があった。
「本丸襲撃の可能性か……。ご提言、承った。主に言って、軍議を行うとしよう」鶴丸は表情を引き締めた。
「こっちは本丸の結界を一度、確認しておく」国永が落ち着いた態度で言った。実は私と彼は、すでに二度ほど歴史修正主義者の襲撃を退けたことがあるのだ。「もし襲撃だとすると、まだ外部干渉が弱い。敵が動くならば、闇が強まる夕方――逢魔ケ刻から夜にかけてだろうが……。裏をかいて真っ昼間に襲われて、何の備えもしてませんではお笑い草だからな」
「しかし、客人にそこまでさせるのは……」
 生真面目な山姥切が、困惑顔で眉をひそめる。そんな彼へ、国永はヒラヒラと右手を振ってみせた。
「構わんさ。鍛刀師なんていって、うちの主は今は鍛刀しかしていないが、元は審神者だ。しかも、神職の血筋で結界なんかの知識もある。鍛刀ばっかさせてないで、たまにはコキ使ってやらないとな。――なぁ、主」
「国永こそ、練度が打ち止めで神気が有り余っているだろう? 喜べ。結界の強化で、久しぶりに消費できる」
 私はにっこり笑ってみせた。なぜか気圧されたように、山姥切が「で、では二人のお言葉に甘える……」と呟く。山姥切と鶴丸は、少年審神者に知らせるべく母屋の方へ歩いていった。
「さて、と。まずは結界の綻びがないか、確認だな。私は本丸の塀を右回り、国永は左回りで確認していくのでどうだ?」
 本丸というのは、多少の増改築はあれど、基本的にどこも同じ構造になっている。もっとも、現代の本丸は初期の頃と違って、今回のような襲撃を想定して籠城しやすいように、多少の庭の配置などは変えてあるようだが。それでも、二十年間、自分の本丸を運営していたのだから、迷うことはないはずだった。
「けっこうやる気じゃないか、主よ」
「無論。敵には私がいるときに襲撃を決行したことを、後悔させてやる」
「そういうこと言うのを聞くと、主が火の性の強い男だってことを思い出すな」
「……嫌か?」
「まさか」
 国永は渡り廊下からヒラリと庭へ飛び降りた。「先に始めるぜ」そう言って、指示通りに本丸の堀に沿って歩き出す。私は彼に負けないよう、慌てて持ち場についた。




 一時間ほど後。
 母屋の大広間に皆が集められた。私は少年審神者に、この本丸に敵襲の可能性があること、結界を確認して強化してきたことを伝える。
 そこから、軍議が始まった。取り仕切るのは、この本丸の刀剣男士の中で年長の、鶴丸国永だ。
 自分の本丸や他の幾つかの本丸を見てきた経験から言って、こういうとき中心になるのは、年長の太刀であることが多い。付喪神は意外に、年功序列なところがあるためだろうか。ちなみに年長でも刀種が取り仕切らないのは、うちの国永いわく、刀を取りそろえての戦ならば、太刀がいちばんよく戦況を読むことができるからだとか。
 皆の中心に本丸の図面を置き、鶴丸は淡々と現状を確認していく。
「結界に綻びはあったかい?」
「わずかに」私は答えた。「ですが、おそらく、それは自然にできたもの。敵が仕掛けてきた形跡はありません。もちろん、補修はしてきましたが」
「燭台切、食糧の備蓄はどれだけある?」
「一週間くらいかな」
「しかし、政府のモニタリングがありますから、一週間も籠城することにはなりますまい」と、こんのすけ。
 しかし、戦場育ちで籠城戦も経験したことのある薬研の表情は厳しい。「そう、上手くいくかねぇ」と呟く。
「不測の事態はあるだろうが、まずは敵襲に備えることだ。できれば、外部との連絡も試みたいが……」
 鶴丸の言葉に、チョコチョコとこんのすけが進み出た。
「私にお任せくださいませ。政府との通信ネットワークについては、審神者どのや鍛刀師どのよりも私の領分でございますゆえ」
「そっか。頼むな、こんのすけ」
 少年審神者が手を伸ばして、こんのすけの頭を撫でる。式神ロボットのはずのこんのすけは、得意気に目を細めている。まるで魂があるかのようだ。
「……それにしても、いつうちの本丸が目をつけられたんだろう?」
 先ほどから考えこんでいた様子の山姥切が、ポツリと疑問をこぼす。
 それを耳にした国永が、チラリと私を振り返った。知っていることを話すかと問う眼差し。私はひとつ息を吸って、心を決めた。
「現在までの本丸襲撃事件には、幾つか共通点があるようです。そのうちのひとつに、審神者が特殊技能を持つことが含まれます」
「特殊技能?」加州が首を傾げた。
「たとえば、襲撃に遭った私の同期の女性は、ごく弱いながらも先見の力がありました。彼女は歴史修正主義者がどこに現れるか、ビジョンを得ることがあった」
 引退間際だった同期は、結界術の名手だった。他にも、優れた戦術家であった元軍人や、鍛刀に秀でた少女など――犠牲者は幅広い。
 私は、少年審神者の刀装を造る能力が、目をつけられたのだろう、と考えていた。
「ここの審神者どのに関しては、おそらく刀装造りの才能が敵に目をつけられたのでしょう」
「確かに……。仮に質のいい刀装を作りだし、他の審神者にも供給することができれば、戦はこちら側に有利になるな」
 石切丸が言う。その言葉に、鶴丸がハッと息を飲んだ。同じ刀剣同士、何か見えない共感でもあるのか、国永も何か納得した表情をしている。
「面白いことを思いついたぞ。石切丸、少し耳を貸してくれ」
 鶴丸はウキウキした表情で、困惑げな石切丸に耳打ちをした。




 やがて、夜が来た。
 籠城の準備を済ませた私たちは、それぞれの持ち場についている。うちの国永は少年審神者の刀剣男士たちと共に、母屋の周囲を警戒していた。
 私はといえば、少年審神者と一緒に母屋の奥の間にいる。ここは、以前の本丸襲撃事件を受けて、新たに本丸に造られた部屋だ。母屋の奥にあるため攻めこみにくく、しかも、建物周辺にいる刀剣男士に指示を出しやすい。素人でも結界を発動できるよう、部屋の柱や板の裏にあらかじめ札が埋め込まれている。実は密かな脱出口もあるようだった。
 奥座敷には、他に石切丸と山姥切がいた。山姥切は純粋に私たちの護衛だが、石切丸は違う。御神刀である彼には、神力の強さと優れた呪術の知識を生かしてある役目をしてもらっていた。
 本丸は広い。いくら区域を限定して守るにしても、少年審神者の刀剣男士の数ではまず不可能である。そこで軍議の中で鶴丸が思いついたのが、刀装の兵士を動員することだった。
 刀装兵は、審神者の霊力で刀剣男士が持つ“戦闘の概念”を具現化した存在だ。式神に近いが、術者を必要とはしない。というのも、彼らが自律したある種の付喪神だからだ。
 審神者が刀装兵を造るのは、乱暴に言えば刀剣男士を喚ぶのと同じである。まず、刀剣男士の力を借りて清められたガラス玉に霊力を込め、寄り代となる霊玉を生み出す。それから、刀剣男士が持つ戦闘の記憶から、“戦闘の概念”のある一片を引き出して霊玉に焼き付ける。最後に審神者が祈る――つまり、祀ることで、人造の付喪神、つまり、刀装兵が生じるのだ。
 刀装兵は刀剣男士と違って、人に振るわれた記憶を持たない。生まれたばかりのまっさらな状態である。だから、彼らは喜怒哀楽を見せることもないが、自らに与えられた能力の範囲内で自律的に動く。一度、生み出してしまえば、刀装兵は式神よりも扱いが楽だった。
 今回の作戦では、石切丸は本丸に配備された刀装兵を一手に指揮することになっていた。幸いというか、必然と受けとるか、この本丸の審神者は刀装づくりに関して、右に出る者がいない。特上刀装の兵士をふんだんに使うことができた。こんな状況では、望みうる限りの防御策だろう。
 奥座敷はしんと静まり返っている。平和な日本育ちの少年審神者は、緊張しているらしく表情が硬かった。だが、過度の緊張はパニックを招きかねない。害になるだけだ。私はなるべく審神者の緊張を和らげようと、ポツリポツリと他愛もない話をした。
 といっても、外見はともかく実際の世代がかなり違う私と少年審神者とでは、共通の話題が少ない。話しをするうちに、彼に「“六条の君”はどうして審神者ではなく、鍛刀師をしてるんですか?」と問われて、かつての自分の本丸のことに話が及んだ。
 他人に語るには、薄暗い昔語り。だが、このときの私は少年審神者の心が和らぐなら、かつての自分の過ちを話してもいいだろうという気分だった。本丸襲撃にさらされているというこの状況で、私は審神者にある種の共感のようなものを抱いていたのかもしれない。
 語る私と、相づちや質問を挟む少年審神者。刀装兵や結界に霊力を送りながら、静かに耳を傾ける石切丸。山姥切は部屋の戸口で刀を抱え、外の気配に意識を研ぎすましている。時折、庭で本丸の母屋周辺を警備している他の刀剣男士の誰かが、外の状況を報告しに入ってくることもあった。彼らは話しの途切れ目まで待って、手短に報告を済ませては、また外へ戻っていく。
 外からの報告は、薬研、加州、鶴丸、燭台切と続いてた。最後にやってきたのは、うちの国永である。彼が入ってきたとき、私はちょうど自分の本丸が襲撃を受けたときの話をしていた。国永はしばらく、金の瞳で昔話をする私をじっと見ていた。
 他人にうちの本丸の話をしたことを、怒っているのだろうか。呆れているのだろうか。
 金の瞳の奥で渦巻く感情は、やはり読みとることができない。私が言葉を途切らせると、彼は何事もなかったかのように前へ進み出た。本丸の外の時空が乱れはじめたようだ、と報告して去っていく。
 私はしばし言葉を忘れて、その背中を見送った。




2.国永


 国永は少年審神者の刀剣たちと共に、夜の闇の中にいた。辺りは静かだ。だが、本丸の壁一枚を隔てた外側で、圧力のようなものが高まるのを確かに感じていた。
 本丸の中から見ると、外はごく普通の風景に思える。しかし、それは真実ではない。審神者や刀剣たちのストレスにならないよう、そう見せかける機能が本丸についているだけのこと。
 実際には、“どの時代のどこでもない場所”にある本丸の外側は、時空間の狭間ということになる。時の流れは本来、ごく上位の神しか手出しできぬところ。神ならぬ身の人や、下位の神たる付喪神には、見ることも聞くことも不可能だ。というか、『見る』とか『聞く』とかいった行為とはまったく別次元の感覚でもってはじめて、知覚できるようになる。
 国永は下位とはいえ、いちおう年を経た神であったから、おぼろげには外の様子を感じることができた。
 時空間では、憎悪をたっぷり含んだ嵐が吹き荒れている。政府と音信不通なのも、そのためだ。こちらは敵襲を待つしかない――。
「アンタは、主さまのそばにいなくていいの?護身刀なんだろ?」
 不意に声をかけられて、国永は我に返った。見れば、持ち場の見回りを終えてきた様子の加州が立っていた。
 国永は、“加州清光”という刀剣が苦手だ。どうしても、かつて主が顕現させた――そして、主のために魂さえ捧げた清光のことを思い出してしまう。だから、主がどの本丸に派遣されようと、なるべくそこの加州とは接触しないようにしていた。こんなときでなければ、今回とて何ごともなく避けきれただろうに。
 内心で舌打ちをしながら、国永は答えた。
「うちの主は鍛刀師だ。歴史修正主義者たちとの戦で最前線に立つ審神者を支援するのが、第一の役目。非常時には、己の身よりも審神者の安全をいちばんに考える必要がある」
「それは……正論かもしれないけどさ、アンタはいいの?他の誰よりも、主さまを守りたいんじゃないの?」
 加州の言葉に、国永は瞬きをした。
「いやにうちの主を気にするんだな。昨日は主のことを怖がっていたくせに」
「――確かに、なぜだか俺はあの人が怖い。あの人の傍にいると、まるで自分が自分ではなくなりそうな気がして……。だけど、同時にあの人を見ていると哀しくて……放っておいてはいけない気分になる」
 加州は目を伏せて、胸の辺りを手で押さえた。思わず国永は鋭く言う。
「ソレは、“お前”の感情じゃない」
「分かってる」加州は顔を上げて、真っ直ぐに国永を見つめた。「コレはどこかに――おそらく、鍛刀師どのの元に顕現した“加州清光”の感情なんだと思う。分かってるけど……どうしても、あの人を放ってはおけないんだ」
 国永はため息を吐いた。
「言っとくが、うちの主はけっこう強い。外見がひょろひょろなんで、甘く見て襲ってくる歴史修正主義者とか、容赦なくボロボロにしてるぞ」
「えっ、マジで?」
「あれでも主は火の性の強い男だからな。万が一のことがあれば、君らの主はうちの主が守るだろう。護身刀とかいいつつ、俺はあんまり意味がないくらいでな」
「それって、かえって惚れそう」
 目を丸くして呟く加州に、国永は内心、顔をしかめた。かつて、同じ本丸にいた“加州清光”――清光も同じように言って、主と恋仲になったのだ。そのことを思い出した。
 そのとき。
 にわかに本丸の空気が変化した。戦場のように殺気と穢れに満ちた空気が、場を支配していく。呪詛と殺意がじっとりと身にのしかかってくるかのようだ。
 足下を刀装兵たちが隊列を組んで、駆けていく。国永たちも足早に殺気の濃い方向へ向かった。
 戦闘はすでに始まっていた。銃兵が放つ銃の音が響く。弓兵や投石兵たちの攻撃が、敵の上に降り注ぐ。
 刀装兵の遠距離攻撃は、確実に敵を足止めしているようだった。前列の敵が倒れ、あるいはよろめいて味方にぶつかる。
 それでも、敵は前進してきた。無理もない。基本的に、歴史修正主義者たちは刀に穢れや呪詛や憎しみを取りつかせて、付喪神とする。彼らの側も審神者と同じように、戦うのは人間ではなく刀剣やその他のモノなのだ。まして、穢れから生み出された付喪神たちには、刀剣男士のような人間らしさはない。強い怨念に駆られて他者も己もすべて破壊し尽くすだけだ。
 そこへ、態勢を立て直した加州が飛び込んでくる。彼は敵の大太刀に突きを叩きこんだ。渾身の力を込めた一撃に、大太刀がくずおれる。
「やるじゃないか」
「当然。ボロボロになるまで振るわれた実戦刀を、なめてもらっちゃ困るね」
 国永の言葉に、加州が誇らしげに笑ってみせる。国永は内心、ため息を吐いた。
“加州清光”という刀は、本質的にはこういう刀なのだ。ボロボロになったために前の主に捨てられたと気にしてみせるくせに、その実、戦場で振るわれぬかれたことを誇りとしている。皇室御物として献上され、長らく振るわれなかった国永とは対照な刀だ。清光にせよ、薬研にせよ、戦い抜いて失われた刀剣たちは、悠久の時を残ってきた己らにはない何かがあった。いつか存在が失われることを知る者の、潔さ――あるいは、鮮烈な一途さか。国永は、彼らが少し羨ましかった。
 国永たちはその後も次々にた、敵の刀を退けていった。敵はさほど強くはなかった。この本丸の刀剣たちにも、十分に対処できる程度。そのことに、国永は違和感を覚えだしていた。
 昨日の出陣帰還の間際の襲撃は、こちらの力量をはかるためであったはずだ。にもかかわらず、敵の襲撃部隊はこの程度。まだ何か隠し玉があるのではないか――。
「加州」国永は敵と戦っている加州に声をかけた。「何か妙だ。他の奴らと合流して、主たちの元へ――」
 そのとき、ズンッと重低音が響いた。足下の地面がグラグラと揺らぐ。地震だろうか。――いや、ありえない。本丸は時空間の狭間に形成された“どこでもない場所”なのだ。たとえうつ世で天変地異が起ころうとも、本丸には風ひとつ吹かぬはず。
 だとしたら、これは。
 国永は唐突に、外を吹き荒れていた憎悪や呪詛の正体を察知した。巨大な呪詛のエネルギーが接近してくるのが分かる。
「動くな、加州!来るぞ」
「来るって……」
「歴史修正主義者たちが生み出した、怨念の塊だ。いいか、心を強く保て!でなければ――」

 呑まれるぞ。

 国永は最後まで言い切ることができなかった。庭の地面を割って、轟音と共に長大な影が現れる。それは巨大な百足だった。そいつは鎌首をもたげるようにして、耳をつんざくような咆哮を上げた。
 途端、加州の顔から表情が抜け落ちる。赤い瞳からは意思の光が消えていた。
 ふわり。まるで夢みるように軽く、加州は地を蹴った。自らの刀を振りかざし、国永に斬りかかってくる。
「操られたか。厄介だな」
 舌打ちしながら、国永は後方へ飛びのいた。無事に刃を逃れたと思いきや、百足の尾がそこに待っている。国永は地に転がって、百足の攻撃を避けた。白い衣が土に汚れるが、構ってはいられない。
「味方を折るわけにはいかんしな……。さて、どうしたものか」
 呟きながら、国永は刀を鞘に戻して、懐をまさぐった。そこにあるモノを手に取る。太刀を振るわないならば、機動にはそこそこ自信があった。まぁ、最悪でも打刀の加州の速さに、何とかついていけないことはあるまい。
 国永は起き上がって、加州に向き直った。いまだ大百足に操られる彼は、刀を振りかざして駆けてくる。国永は、今度は逃げなかった。身を捩るようにして加州の刃を避けながら、その脇腹に右手に握ったモノを叩きこむ。
 加州は呻き声を上げて、その場に倒れた。予想外の衝撃だったのだろう。刀剣男士としての顕現が解けて、刀に戻ってしまう。国永は加州の寄り代に近づいた。彼は加州の刃を避けきれず、受けてしまった肩からの出血がすでに泥まみれの衣を染めていく。国永は痛みに顔をしかめながら、“加州清光”の寄り代を拾い上げた。刀に戻ってしまったとはいえ、そこには確かに魂の存在が感じられる。
「はははっ。こいつは大した威力じゃないか」
 国永は右手を開いた。そこには掌大の装置――スタンガンというらしい――がのっている。
 スタンガンは元は、政府が主に寄越したものだ。職務上、本丸から本丸へ流れていく鍛刀師は、どうしても歴史修正主義者に狙われやすい。そこで、護身用にと配給されたと言っていた。ところが、鍛刀師は自らの身は守れるからとスタンガンを政府に返却しようとした。それを、国永がもらい受けたのである。
 といっても、用途を決めていたわけではない。ただインターネットで見かけたことがあるので、実物をよく見てみたかっただけだ。それが、まさか役立つとは。
 国永は“加州清光”を抱えて、ホッと息を吐いた。その緊張の緩みが生命とりになった。
 キィィィィ。
 大百足が再び咆哮を上げる。その声音に、国永は頭の奥が痺れるような感覚を覚えた。目の前の風景がブレて見える。まずい、と敵の怨念に呑まれかけている自分を自覚する。しかし、どうすることもできなかった。国永は打刀を抱いたまま、その場にくずおれた。目を閉じれば、目蓋の裏にある光景が浮かぶ。

 柔らかな光の差す本丸の縁側で、清光が眠っている。彼はあまり昼寝などする性質ではないから、おそらくうっかり眠ってしまったのだろう。
 そこを通りかかった主が、縁側に跪いて清光の寝顔を見ている。そっと頭を撫でてやって、愛おしげに笑う。想い人がただそこにいるだけで、それだけで幸せなのだと、主の表情が物語っている。

 ――あぁ、これは。俺がかつて本丸で目にした光景だ。
 そう国永は気付いた。と同時に、当時の感情が猛然と胸にこみ上げてくる。
 国永は、主と清光が恋仲であることを認められなかった。他の刀剣たちのように、二人を微笑ましく見守ることなどできなかった。
 なぜなら、主を好いていたからだ。友愛ではなく、親愛ではなく、主従愛でもなく。主が己のものになればいいのにと、心のどこかで願っていた。けれど、そのことに気付いたのは主と清光が恋仲になった後だった。
 恋仲になった二人を、国永は皆と同じように祝福した。二人の仲を裂こうとは、己の矜持にかけてできなかったが故に。だが、心の中では叫んでいた。なぜ主は己を選ばなかったのか。己が最後に来た刀ではなく、主の最初の刀であれば選んでくれたのか。
 醜い執着。だが、誓って主と清光の不幸を願ったわけではない。
 だから、他の刀が折れて自分一人が主の元に残ったときには、罪悪感を覚えた。主の唯一の刀になったことが、恐ろしくさえあった。だから、国永はいつも、主には、三日月に言われたから付き従っているという態に見せかけている。主のためにうつし世に縛られてやっているのだと。本当は自由になりたいのだというように。
 けれど、実は違う。本当は、この世に顕現したその瞬間から、主に囚われていた。鳥籠の扉は開いているが、自ら留まりたいと願ったのだ。もっとも、それでは鶴の号を持ち、自由気ままな己らしくないから、この世に縛り付けられているふりをしているだけだ。

 ――三日月よ、俺は臆病なだけだ。
 ――本当は、主のそばにいつづける資格などないのだ。
 ――最後に残ったのが、俺でなければよかったのに。

 怨念の気配に取り巻かれ、うずくまりながら国永はそう心の中で呟いていた。




3.“六条の君”


 母屋が真っ二つに割れていた。
 割れた地面の裂け目から、黒い蛇のような怨念の塊が触手を伸ばしてくる。私は自分の刀で、それを切り捨てた。
「――鍛刀師どのっ!」
 地面の割れ目を挟んで、少年審神者が叫ぶ。つい数分前、地震が起きて母屋が真っ二つになった瞬間。奥座敷にいた私たちは二手に引き裂かれてしまった。片側には私と石切丸。もう片側には、少年審神者と山姥切。
 まずいことに、地面の裂け目から姿を見せた敵は怨念が固まって大蛇の形を成したもののようだった。しかも、壮絶な怨念を帯びていることから、陰の気がものすごい。刀剣男士がうかつに斬りかかれば、寄り代を通して呪詛に染め上げられ、即座に闇落ちするに違いない。
「審神者どの! 逃げてください! この化け物を斬らせては、山姥切が汚染されてしまいます。ここは私に任せてください」
「だけどっ!」
「――山姥切! はやく主どのを連れて逃げろ!」
 私の叫びに、山姥切が反応した。暴れる少年審神者を抱え上げ、背を向けて走り出す。私はといえば、傍らの石切丸に向き直った。
「石切丸なら分かると思いますが、この大蛇の傍にいては練度の低い刀剣は闇落ちしてしまう」
「私に刀に戻れと? 断る。私はご神刀とはいえ、刀だ。人に守られるのではなく、人を守るためにある。その私が戦いもせずに刀に戻るなど――」
「すまない」
 私は言うが早いか、霊力を込めた手を石切丸に押し付けた。わずかな抵抗の後に、彼は刀に戻って地に落ちる。私はそれを拾おうとした。その刹那。私と地面に落ちている石切丸に、大蛇の頭が迫ってくる。私はとっさに、石切丸の寄り代を守ろうとした。
 ガッ。
 金属音と共に、大蛇が私の手にしていた刀に喰らいつく。その力のすさまじさに、私はとっさに手を離した。牙とぶつかって、私の刀が高く宙を舞う。私は一瞬、刀を追いかけたが、できなかった。
 現在、優先するのは少年審神者の刀剣である石切丸を守ることだ。たとえ、私の刀がどれほど大切なものでも――国永以外の仲間をすべて連結した刀であっても、そちらを優先するべきではない。

 ――清光……。皆……。すまない。

 私は震える手で石切丸の寄り代を抱えて、走り出した。泣きたい気分だったが、立ち止まっている暇はない。次に何をなすべきか、混乱する頭を宥めて考える。刀剣男士たちが大蛇を斬れば、怨念に汚染される。となれば、付喪神の寄り代とは無関係な刀で、私が斬る必要がある。
 刀が必要だった。
 ――鍛刀は得意だ、幸いにして。
 私は鍛刀部屋へ向かいながら、泣きそうな唇を歪めて微笑した。

 怨念を斬るための刀を、この状況を切り拓くための刀を、今すぐ生み出さねばならない。
 私は自分の刀剣を、愛する者たちを守れずに審神者を辞めて、ただ刀を鍛えるだけの役目についた。それは審神者の責務から逃れただけなのかもしれない。だが、今、私は逃げるつもりはなかった。必ず刀を鍛えあげて、状況を打開してみせる――鍛刀師としての矜持にかけて。








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