己の涯て2


★1冒頭の注意書きは必ずご確認ください。★





 半年後。俺は見事に歴史修正主義者の一員となっていた。審神者になる前には敵だと教えこまれ、着任してからは教わったままに憎悪した者たち――。しかし、実際にその一団に加わってみると、彼らはごく普通の人間だった。別に化けものではないし、血の通わないロボットでもない。ただ、現在は正史とされている歴史や政府、審神者をひどく憎んでいるだけだ。
 アジトを転々とする中で、俺は俺を刺した男を見かけた。恨みも怒りも感じなかった。むしろ、あのとききちんと俺の息の根を止めておいてくれればよかったのに、と思ったほどだ。たいした接触を持つ間もなく、その男は姿を消した。後で風の噂に聞いた限りでは、過去で歴史改変を行っていて討伐されたという。そんな話は、歴史修正主義者のアジトにはいくらでも転がっていた。
 生命のバーゲンセール。ここには死と憎悪があるだけだ。俺は人の死を気に止めなくなっていた。敵方に寝返ったときから、良心も道徳も捨てていたから。
 今もそうだ。
 後ろと前から、短刀と打刀のものを体内に受け入れている。たぶん生殖器にあたるのだろうけれど、実際のところ何だかよく分からない器官が俺を拓いて蹂躙する。限界まで開いた後孔からは、そいつらが動くたびに先に交わっていた太刀の体液が滴り落ちた。こうしてみると、鶴丸がいかに俺を大事に抱いてくれていたのかがよく分かる。脳裏をかすめる彼との行為の場面を記憶の底に押し込めて、俺は今の感覚に集中した。
「――あ、あ、あ……」
 苦しさと、それを上回る快感に、自分の身体の制御が利かない。身体の力はクタリと抜けて、繋がった箇所で支えられている。
 やがて、精液だか何だか分からない体液を俺の中に注いで、短刀と打刀が離れた。支えを失って地面に横たわる俺を、大太刀が軽々と広い上げる。息をつく間もなく、胡座をかいた大太刀の膝の上、そそり立つ器官の上に座らされた。
「ああああぁぁ……!!」
 長く太い、巨大な質量に身体を貫かれて、俺は意味のない叫びを上げる。挿入の衝撃で達したものの、解放してはもらえない。俺の前に来た脇差が、触手のような、これまたよく分からない細い器官を伸ばしてくる。萎えた俺の性器にそれを絡みつかせて、刺激を加えはじめた。
 何度か精を吐き出したせいで、力なく、それでも何とか俺の性器が勃ちあがる。脇差はクルクルとその先端をなぞっていたが、やがて先端の小さな孔から触手を挿入してきた。
「クッ……う……うぅ……!」
 尿道に感じる熱みたいな痛み。それでも触手はさらに奥に進んでいく。やがて、ある一点に至ったとき、苦痛を上回る快感が襲ってきた。後ろを貫く大太刀と、性器の方から前立腺を刺激する脇差と。同時に攻められて、強烈な快感におかしくなりそうだ。
 あ、あ、あああああーーー。
 頭の片隅の冷静な部分で、俺は自分の壊れたような嬌声を嘲笑する。そうやって庭で刀どもに貪られる俺を眺める、好色な視線。刀たちの攻めに鳴きながら、俺は頭を巡らせて縁側の奥の客間からこちらを見下ろす者たちへ視線を流した。
 上座に座るのは、政府の高官。打倒、歴史修正主義者を謡っている癖に、意外と政府の内通者は多い。肥満したその高官は、傍らに女を侍らせながら食い入るようにこちらを見ている。その傍らには、四〇代半ばの男――俺を拾って歴史修正主義者の仲間に加えた世話役だ。
「これはなかなかの見物だ」
「お気に召して何よりです」
 政府高官と世話役の会話が耳に届いた。俺は陶酔した表情を崩さず、視線を高官へと向ける。喘ぐ合間に舌をつきだして、挑発するように唇を舐めた。
「――あの彼を一晩、借りることはできるかね?」
 政府高官が尋ねるのが聞こえる。俺はひそかに嗤った。なにも俺はセックス依存症だから、化けものと交わっているわけじゃない。交わることで、刀たちへの支配を強化する一種の呪法。同時に、刀たちの穢れに浸食されて、俺もまた人には負えないほどの穢れを身に蓄えていく。
 今の俺を抱けるのは、人外か、そうでなければ、人の理を歪めるほどの穢れを帯びた者だけだ。ただの人間が俺と交われば、どうなることか。世話役は、こうなることを承知の上で俺が刀に貪りつかれる場面を見せ物とした。
 おそらく、近々、俺はあの高官の寝所に侍ることになるだろう。あの役人が俺を抱きながら上げる断末魔を想像して嗤い――俺はわざとらしく、甘ったるく鳴いてみせた。
 やがて、政府高官が女と寝所へしけ込み、刀たちも退がらせた後。庭土の上に身を横たえる俺の傍に、世話役がやってきた。刀たちの体液にまみれた俺に、白い布をかぶせる。それが一瞬、山姥切の布を思い出させて、俺は胸の痛みを覚えた。しかし、すぐに自分の中にわいた感情を打ち消す。
 世話役は俺を布で包み込んで、横抱きに抱き上げた。その拍子に、開ききった後孔からさんざん出された体液がドロリと滴りおちる。
「今、風呂へ連れていってやる」
「――……いくら穢れを帯びたアンタでも、穢れの凝った刀たちの体液は……毒だ。俺のことは……放っておけ……」
 母屋へ上がり、湯殿に向かう世話役に、俺は言った。
「そんなナリで庭先に転がられたら、迷惑なんだよ。……抱きたくなるだろうが。さんざんこっちを挑発しやがって」
「挑発したのは、アンタじゃない……。あのクソジジイ……――人造の審神者計画の元責任者の方だ」
「青二才が、なかなか[[rb:悪役 > ヒール]]らしくなってきやがったじゃねぇか」
 あの好色役人は早いうちにお前にあてがってやるよ、と世話役は約束した。








 それから、ひと月ほど経った。俺は屋敷の一室で、世話役の膝の上にいた。乱れきった着物をかろうじて身体に引っかけて、彼のものを体内に受け入れている。
 とはいえ、世話役はまだきちんと俺を抱く気はないようだった。俺を膝に座らせたまま、傍らの膳の上から手酌で
 酒を飲んでいる。俺も先をねだることはせず、ただ酒を飲む彼を見ていた。
 今日、本部から指令が来た。最初から俺が希望していた通り、一週間後に特定の本丸の襲撃を許すという。俺とともにその報せを聞いてから、世話役は考え込んでいるようだった。
 世話役はときおり、悪戯のように俺の胸の突起をもてあそぶ。俺は鶴丸の手で、そこだけで達せるほどに仕込まれているから、半端な接触はつらいだけだ。もっとというように世話役の手に胸を擦りつけると、彼は俺の手をつかんで胸元にもってきた。右手、それから左手。
「すまんが、考えごとで忙しくてな。もの足りないなら自分でしてみろ」
 そう言われて、俺は自分で胸の突起に触れた。最初は爪で軽くひっかくように。ツンと立ってきたら、指の腹で押しつぶしたり、逆にそっと引っ張ったりしてみる。もどかしいような快楽が腰に落ちていって、俺は息を荒らげて男の肩に後頭部をすり付けた。
「――ん……ふ…………は、ぁ……」
 ジンと胸が熱くなってくる。気持ちいい。腰を揺らして内側からも刺激を得ていると、頭上で世話役が低く笑った。
「まさか、胸だけでひとり遊びを始めるとはな」
「それは……アンタが、俺を……放っておくからだろ……」
「このままじゃ、俺は何もしないままお役御免か。男として、さすがにそういうわけにはいかんなぁ」
 その言葉の直後、グィと姿勢を入れ替えらえる。次の瞬間には、俺は四つん這いになっていた。後ろから世話役が乱暴に腰を打ち付けてくる。俺は快楽のせいで、力が入らない。上体をクタリと畳につけると、そこに胸の突起がすれていっそう快感が強くなる。
 口を閉じていることができなくて、俺は涎を垂らしながら喘いだ。
「なあ、〈菫青〉」背後から世話役が熱っぽく言う。「本丸襲撃は、別の者に譲れ。お前は、別の歴史改変へ――」
 その言葉に、俺は喘ぎながらも激しく首を横に振った。パサパサと髪が畳を打って、乾いた音を立てる。誰が他に譲るものか。元は俺のものだった本丸を、俺の遺伝子から形成された肉を持つ刀剣たちを滅することができる、この機会を。







 一週間後の夜明け前、俺は内通者の手引きで密かに本丸サーバーネットワークをハッキングした。転移装置を使って、自分の元の本丸へ。
 基本的に、審神者が代替わりした本丸は、襲撃の対象になりやすい。それに、審神者が歴史修正主義者にとって都合の悪い特殊能力を持つ場合も。俺の元の本丸の場合は、言うまでもなく前者だった。狙うならば、引継審神者の霊力が刀剣たちに馴染みきらず、人間的にもまだ受け入れられていない今が絶好の機会。
 俺は無数の刀を連れて、未明の本丸へ降り立つ。
 生まれながらに審神者適性を付与された上、人外と恋仲になったせいで、俺は人の理から外れた存在だ。鶴丸の気と加護が染みついていたせいで、穢れた刀を操るには身を穢さねばならなかった。だが、穢れを蓄積したおかげで、普通の歴史修正主義者よりも多くの刀を使役することができる。
 シンと静まり返った敷地の片隅、俺は連れてきた刀たちを一気に呼び起こす。と、そのときだ。闇の中、風のように現れた気配があった。
「なんだ……?」
 かすかな俺の呟きを聞きつけたように、前方のシルエットのひとつが微かに動く。カチリという小さな音と共に、炎が点った。
 銀色のライターに火をつけて、そこにたたずんでいるのは山姥切国広。引継審神者が手入れしたのか、負傷はなかった。彼の傍には、小夜や乱、薬研、堀川、それに加州が並んでいる。さらにその後ろには、愛染や平野、厚、大和守、浦島などが控えている。見覚えのあるメンバーだ――と考えて、俺は彼らが夜戦ステージ攻略の主要部隊だったことを思い出した。
「――やはり来たな。歴史改変を阻止する立場でありながら、なぜ敵に寝返った? 主」山姥切が低い声で言った。
 俺は油断なく彼らを見据えながら、穢れた刀たちの編成を考える。速度重視の短刀、脇差。それに、攻撃速度が早く、刀装を越えて攻撃可能な槍。俺の思考に合わせて、刀たちが微妙に隊列を変えていく。
 おそらく、山姥切も俺の意図に気づいただろう。しかし、彼はあえて邪魔をしようとしなかった。隊列変更していく刀たちを後目に、真っ直ぐに俺だけを見ている。
「この本丸は、アンタを呼び寄せるためにあえて敵に狙われやすい隙を作った。ここは墓場だ……俺たちとアンタの」そこで、山姥切は被っていた布を取って、後ろへ投げた。バサリと夜の空に広がった白布は、力なく地面に落ちる。「俺たち夜戦部隊がこの戦の先鋒だ。……初期刀に選んでもらった礼に、この身砕けるまで戦わせてもらう」
 山姥切は、そこでライターの炎を消した。辺りが再び闇に沈む。人間である俺の目には見えないが、戦が始まったようだった。編成した短刀が、次々に飛び出していく。先陣を切った一体が、突然、断末魔を上げた。
 空に残る月の光を受けて、短刀をほふった小夜の姿が浮かび上がる。その姿を目で追おうとしたが、彼は即座に闇に紛れてしまった。そうする間にも、あちこちで刀が倒されていく。
 俺は動揺することなく、隊列を編成しながら、次の刀を喚んだ。刀剣男士と違って、穢れた刀たちは刀一振分の寄り代を必要とはしない。折れて砕けた刃の破片や――ともすれば、穢れそのものからでも生み出すことができる。どれだけ喚べるかは、術者次第。審神者だった上に、刀剣男士を恋人としていた俺は、皮肉な話、術者としては最高ランクだった。霊力が尽きるまで、ほとんど無尽蔵に穢れた刀を喚びつづけることができる。
 最初は優勢だった俺の夜戦部隊は、次第に疲労して傷ついていく。そして――最初に、乱が折れた。
「ダメだよ……ボク……まだ……」
 地面に倒れた乱は、そう呟いて目を閉じた。戦装束の帽子が落ちて亜麻色の髪が地面に広がっている。よく見れば、横髪をすくうようにして後頭部でひと房、桃色のリボンで髪を結ってあった。昔、初めて褒を取った祝いにとねだられて、俺が選んだリボンだった。
 そういえば、山姥切が最初に炎を点したライターも、俺が買ったものだと思い出す。いつだったか落ち込んでいるときに、彼が煙草を吸うわけでもないのに、「明るくなれ」と言って贈った。山姥切は、それを燭台などに火を点すのに使っていたようだが……。
 加州がなびかせている赤と黒の菱模様のストールもそうだ。小夜が袈裟につけているドリームキャッチャーも。エイプリルフールに、鶴丸と彼の戦装束の房飾りと取り替えて驚かせた。皆が、なにがしか俺の贈り物を身につけて、ここに立っているようだった。
 ――だから、何だって言うんだ。
 俺の中の、ひどく冷めた部分が呟く。死んだはずの心にわきかけた何かを押しつぶすように、俺はいっそう多くの刀を喚んだ。
 そうして、夜が明けたとき、俺の夜戦部隊は壊滅していた。俺は横たわる皆の元へ歩いていった。日の出の明るさで浮かび上がる皆の姿を見回す。最後に、足元の山姥切を見下ろした。戦装束も、輝かしい金の髪も血に染めて、それでも山姥切の表情はどことなく穏やかだ。まだ本丸を運営しだした頃、一室で雑魚寝していたときのことを思い出す。ひざまずいて、薄く開いたままの目蓋を閉じてやろうとして――俺は思いとどまった。
 穢れを大量に蓄積したこの身で触れては、俺の刀剣たちまで穢れた刀になりかねない。指先を握りしめて立ち上がる。やがて、差した朝日を浴びて、俺の夜戦部隊は皆、折れた刀に戻った。
 彼らの『屍』を踏み越えて、俺は母屋へと進む。








 ――母屋、大広間。鶴丸は仲間たちと共に、軍議の場にいた。
 刀剣たちの中央には、顔を面布で覆った男が座っている。鶴丸国永を従えたその男は、政府からこの本丸に派遣されてきた審神者だ。〈千古〉という審神者名以外、その男は明かさなかった。おまけに彼はこの本丸の刀剣ひと振たりとも、主従関係を結んでいない。完全に中継ぎの、顕現を維持するための霊力供給源でしかない。
 主である〈菫青〉が敵方に寝返ったとき、この本丸の刀剣たちは敵に寝返った主を討たせろと申し出た。それができぬのなら、刀解してくれと。それに対する政府の回答が、この中継ぎ審神者だった。こちらの願いを聞き入れてくれたのだ。
 本来なら霊力の供給源としての役目しかないはずの〈千古〉は、それでも、この本丸の刀剣たちに最大限の協力をしてくれた。それが、この大広間での軍議だ。
 上座についた〈千古〉の前の畳の上には、幻影が浮かび上がっている。さながら、戦略図のように縮小された本丸の様子が。しかも、それだけではない。本丸の敷地の片隅に、赤く輝く無数の光が浮かんでいた。敵の刀たちだ。
 審神者は、本丸と霊的に繋がることによって、本丸をその霊力で満たす。〈千古〉はそれを生かして、本丸の現状をこうして幻影で投影してくれたのだ。刀剣たちが戦いやすいように。
 本丸の刀剣たちは、皆、破壊を覚悟している。そのため、夜戦部隊が壊滅したときも皆、取り乱しはしなかった。部隊に兄弟のいた堀川派や左文字、粟田口なども――誰ひとりとして。嘆き悲しむのは、武人としての兄弟や仲間への、侮辱にあたるからだ。
「さすが主どの、機動と一撃の鋭さを誇る夜戦部隊を、さほど兵を失わずに滅しましたな」一期一振が冷静に呟く。「我らが戦をお教えしただけのことはある」
「強い劣等感をお持ちだった分、学ぶことには熱心だったからな」長谷部が静かに言う。
「……きっと、あのお方は怯えていらしたのですよ。僕には分かります。たとえ、他人に押しつけられた己の価値であっても……失うのが怖くて必死だったのでしょう」宗三左文字がため息を吐いた。
「そろそろ行かなきゃ」
 蛍丸が促す。その横で、前田が立ち上がった。主が初めて鍛刀した刀として、この本丸を支えてきた彼の表情は、凛として揺るぎない。
「それでは、次鋒――戦国以降攻略部隊の皆さま、参りましょう」
 前田の言葉で、一期や長谷部、江雪、宗三、次郎、蛍丸が立ち上がる。鯰尾、骨喰、御手杵、日本号、五虎退、秋田らもそれに続いた。部隊の皆が出ていく中、前田が小走りで鶴丸の前にやって来る。戦装束の帽子に、金の藤の飾りではなく主にもらったゆるキャラのピンバッジがついているのが見えた。その彼は、帽子を取って深々と礼をする。
「鶴丸どの、副将の皆さま――次鋒、出陣いたします。主君のこと、後はお願いいたします」
 律儀な挨拶をして、前田は立ち上がった。後はわき目も振らずに、大広間を出ていく。
 刀剣男士は、刀の付喪神の分霊として数多の審神者の求めに応じて、降りてくる。役目を終えて刀解されれば、また本霊の元へ戻って吸収される仕組みだ。だが、寄り代たる刀を破壊されれば、話は別。分霊は本霊へ戻る道筋を見つけられず、現世で消滅することになる。
 この本丸の刀剣男士は、先鋒に出た夜戦部隊も含めて皆、ここで消滅すると決めているのだ。いつかまた、などという言葉は間違っても贈れない。鶴丸たちは、出陣していく仲間を黙って見送った。


***


 日が昇って辺りが明るくなる頃、俺は穢れた刀たちを率いて中庭へ進んだ。残りの刀剣たちがいるのは、おそらく母屋だろう。そこへ行って彼らを破壊し、機密を歴史修正主義者たちに流すのが俺の目的だった。
 中庭へさしかかったとき、俺たちの前に立つ者たちがあった。一期と長谷部を先頭に、戦国以降の時代の攻略を任せてきた火力重視の部隊のメンバーだ。
「主どの、お覚悟めされよ」
「次鋒の我々が、あなたのお相手をいたします」
 抜刀した一期と長谷部が告げる。直後、長谷部や宗三、同田貫、大倶利伽羅といった打刀連中が刀装を展開した。投石が俺と穢れた刀たちを襲う。俺は結界を張って、自分と部隊を守った。
 投石がやみ、白兵戦が始まる。機動力のある長谷部が、先陣を切って斬り込んできた。打刀連中と、日本号もそれに続く。俺は穢れた刀たちを操って、大太刀や薙刀、太刀を中心とした火力重視の編成を行った。
 俺の刀剣を迎えうつ化けものどもは巨大で、まるで壁が出現したかのようだ。その背後で、結界を張ったまま、俺は戦況を見守る。
 と、そのときだった。
 ヒュンと何かが頬を掠めた。ものすごいスピードで俺の横を抜けて地面をうがったのは、おそらく銃弾。見上げれば、銃兵を展開した五虎退と秋田が屋根にいた。俺はそばにいた短刀たちに、屋根の上の彼らを仕留めろと命じる。しかし、短刀たちが離れた隙を狙うように、庭池の中から鯰尾と骨喰が現れた。
 とっさのことに驚いて、反応が遅れる。間近に迫る刃に、俺は動揺しながら防刃結界を強化した。鯰尾の繰り出した刃が、危ういところで防刃結界にあたって止まる。攻撃が不発に終わって隙のできた鯰尾に、脇差の刃がたたき込まれた。鯰尾を壊した脇差を切り捨てて、振り向きざまに骨喰が結界に刃を突き立てる。
 その彼も、脇から穢れた刀に襲われて身体が傾ぐ。
「くっ……!!」
「無駄だ、骨喰。刀でこの結界は破れない」
「――なら、槍はどうだ……!?」
 そんな声と共に、突き出される鋭い一撃。御手杵の刃が、結界を突き破った。さらに――。
「死中に活を……!」
 御手杵の背中を駆けのぼって、前田が破れた結界の穴に飛び込んでくる。鋭い短刀のひと突きが、俺のわき腹をとらえた。そこから、血とともに瘴気が吹き出す。
 穢れにもがき苦しみながら、前田はその場に倒れた。
「せめて、魂魄なりとも……主君の、お供をできれば、いいのに……」
 その直後。
 キィィィィ!!
 術者たる俺を傷つけられて、穢れた刀たちがざわめく。あいつらは俺によって姿形を得ている、俺がいなくては成立しえない存在だ。ここで俺が死ねば、彼らは刀どころかそれ未満の屑になってしまう。術者を必要とするという意味では、刀剣男士以上に切実なものがある。
 そういう意味では、穢れた刀たちは俺と同じだった。自分の存在意義を、懸命に保とうともがいている。俺は鶴丸のように、俺の刀剣たちのように、穢れた刀を大切だとは感じない。だが、俺と同じ部分があると分かっているからこそ、交わって、絆を深めて、強力な部隊としてここに立たせてやっている。
 消耗品にすぎない化けものたちだとしても――俺の刀剣に張り合えないほど弱くはない。
 キイイィィィ……!
 化けものたちは、発狂したかのように猛然と動き始めた。身体の一部を失いながらも、複数で俺の刀剣たちに殺到していく。やがて、戦国以降攻略部隊は、すべて地面に倒れ伏すことになった。刀剣男士たちが、折れた刀に戻っていく。
 彼らの間を通り過ぎて、俺はさらに進んだ。歩くたびに、前田に切りさかれたわき腹が痛みを発する。穢れを貯めて理をねじ曲げてはいるが、俺も人間に他ならない。傷と痛みは軽減するものの、血が流れつづけている。忌まわしいこの失敗策ギリギリのDNAが、流れさっていく。
 守り刀である前田の刃を受けたせいで、俺の穢れはいくらか中和されてしまった。先鋒、次鋒と突破する間に、数多、喚んだ化けものたちもかなり倒されている。そろそろ、穢れた刀を喚ぶのにも、限界が訪れそうだった。
 俺が倒れるそのときまでに、この本丸を攻略してしまえればいいのだが――。







「――前田たちも破壊されたようじゃな」幻影の本丸の地図を見ていた小狐丸が言った。その表情はひどく好戦的だ。戦を前に昴っているのだと分かる。「今のぬし様が率いているのは、まともな思考を持たぬ化けものども。にもかかわらず……よくここまで戦うものじゃ」
「おそらく、主は化けものどもと交わったんだ。交合により使役を強化する呪法のようだ」石切丸が答える。
「しかし……人の子が彼奴らのような化けものと交われば、その身は穢れ、瘴気を蓄えます。肉も体液もすべて毒性を帯びて――いずれ、主の魂をも蝕む」
 太郎太刀が静かに言う傍らで、三日月が首を横に振った。
「主は、何よりもまず、己自身を滅ぼしたいのであろうよ」
「つぎはぼくらのばんですね!!」
 ピョコンと立ち上がる今剣を抱き上げて、岩融が豪快に笑う。
「はるか昔に朽ち果てて、今、再び身を得て。己で己自身を振るえたことは、思いがけない喜びであった!! 皆、共に戦えて光栄であったぞ!!」
 二人は早くも大広間を出ていこうとしている。他の仲間たちも、腰を上げて彼らに続いた。鶴丸も皆と共に大広間を出ようとする。
 と、三日月が振り返って鶴丸を押しとどめた。
「鶴や、そなた、ここに残れ」
「なぜだ?」鶴丸は眉をひそめた。「俺には主を討ちに行く権利はないと言うのか? ――たしかに、主が変わるきっかけになった現世での事件で、護れなかったのは俺の咎だが……しかし……!」
「違う」
 三日月は微笑して、首を横に振った。
「俺には、主は救われたがっているように思える。救いとは……生きることとは限らない。囚われているものからの解放も救いなのだと、長く存在してきた俺たちは知っているはずだ」
「三日月」
「そなたに大将を任せる。――露払いは俺たちがしてやろう。此度の戦は主の自刃も同じ。そなたは介錯を務めよ」
 いいな、と念押しして三日月は踵を返す。鶴丸はその言葉の意味をあやまたず読みとった。主の生命を奪えということは、彼の魂を与えるというのと同じ意味だ。一度は失った主を、己のものにすることができる。
 たとえ、それが儚いとしても。
「……すまない、三日月、皆」
 鶴丸は立ち去る皆に、深々と頭を下げた。


***


 最後に俺の前に現れたのは、三条派や太郎太刀、青江、鶯丸など、神剣や霊剣、古くからの刀剣たちだった。政府から下される任務のうち、特に穢れの強い時代や地域に出陣してもらっていた――いわゆる浄化部隊である。そういうと何だか平和的に聞こえるものの、実際には敵ごと穢れを一刀両断する穢れ殲滅部隊と言えるだろうか。
 彼らが出てくると、俺は落ち着かない気分になった。
 心なんか捨てたはずなのに、どうしても鶴丸の姿を探してしまう。しかし――彼は見あたらなかった。鶴丸など不要だと切り捨てたはずなのに、彼はもう俺のことなんかどうでもいいのかもしれないと不安になる。揺らぐ心を押し殺して、俺はありったけの呪力を放出した。自分に顕現できるかぎりの穢れた刀たちを、喚びだしていく。
「――やるか」
 うっすらと微笑さえしながら、三日月が言う。直後、戦闘が始まった。岩融が薙刀で化けものたちを薙ぎはらっていく。石切丸や太郎太刀も刃を振るって、一気に数体の化けものを斬りすてていた。彼らが斬りひらく道を、三日月や小狐、鶯丸らが進んでくる。今剣は小柄な身体で駆けまわり、囮役を務めて戦線をコントロールしていた。
 さすがに、穢れを断つことに特化した彼らは強かった。化けものたちを倒されて、穢れを削ぎおとされて、俺の力も弱まっていく。刀剣たちもひとり、またひとりと倒れていって――最後に立っているのは、俺と三日月だけになった。
「主よ、なぜ敵に寝返ったのだ?」三日月は刀を正眼に構えながら、静かに尋ねた。「――俺たちはそなたを大切に思っていた。鶴はそなたを愛していた。それで、十分だったのではないか?」
「……それでも……お前たちは俺と同じものだ。失敗作ギリギリの俺と同じ遺伝子でできている」
「たとえ俺たちがそなたの分身だったとして、それが何だ? そなたを認めず、愛さぬ他人より、そなたを慕う俺たちといる方がよほど幸せだったろうに。――それでも、そなたは是と言わぬのだろうな」
「……あぁ」
「残念だ」
 負傷だらけで、なおも凛と美しい三日月は、地を蹴って俺へと向かってくる。青みを帯びた刃を閃かせて――俺が張りなおした防刃結界ごと、蓄積してきた穢れを断ち切った。
 だが、強引に結界を斬った衝撃で、すでに傷ついていた三日月の刃も砕けてしまう。「まぁ、形あるものはいつか壊れる……それが今日だっただけの話だ……」と言い残して、三日月も刀に戻った。

「――あるじ……」

 耳に馴染む声に、顔を上げる。気づけば、そこに鶴丸が立っていた。輝かしいほどに美しい、真っ白な戦装束。彼の手には抜き身の本体が握られている。その姿を目にした瞬間、殺したはずの心が息を吹き返した。どれほど憎んでも、嫌悪しても、それを越えて愛しさがこみ上げる。だが――もはや、彼と生きる道はない。刀剣たちと本丸を捨てたときから、俺はただ滅びを目指して進んできたのだから。
 視線が合うと、鶴丸の金の瞳は――憎悪ではなく、愛しさに溶けた。琥珀を思わせる蜜の色に。まだ愛してくれているのだと、言われずとも分かった。
 鶴丸が抜き身の刃を手に歩いてくる。
「――鶴丸……」
「主、きみ……」すぐ側まで来た鶴丸が、俺を抱きしめる。「ようやく、俺の腕に戻ってきてくれたな」
 ホッとしたように呟く鶴丸。次の瞬間、激痛が脇腹に走った。見れば、鶴丸の刃が俺の腹に突き立てられている。柄を握る右手首に、玉を連ねたブレスレットが二本、巻いてあった。菫青石のブレスレットと、俺が捨てていった琥珀のと。
 のどをこみ上げてきた血を吐き出しながら、俺は微かに笑った。いまだに鶴丸が俺を想っていてくれることが、どうしようもなく嬉しい。鶴丸は、俺が滅ぼさなくてはならない、俺の一部のはずなのに。彼のことも、俺が破壊した俺の刀剣たちのことも、憎悪よりも愛しさが勝っていた。
「――……ほんとは……すき……」
 小さくそう告げる。鶴丸は泣きそうな顔で笑った。
「――そうだろうと思った。勘違いでなくて、よかった」
 そう言う間に、異変が起こっていた。ビシッという音と共に鶴丸の首筋にヒビが走る。人間の身体にヒビも奇妙な話だ。しかし、そうとしか言えない傷が、首筋からどんどん広がっていく。
 主殺しの穢れのせいだ。彼はこの本丸を引き継いだ審神者と、主従関係を結んでいないらしい。おそらく、俺が破壊した他の刀たちも。
 刀剣男士は、基本的に主たる審神者を殺すことができない。もしも主の生命を奪えば、その刀剣男士はひどい穢れを受けて消滅する。例外は初期刀のみ。初期刀だけは、万が一のときに審神者を静止できるよう、主殺しをしても存在を保つことができる術がかけてある。
 鶴丸は、すべて承知の上で、俺を斬ったのだった。
 俺は鶴丸の頬を両手で包んだ。その温もりを手のひらに感じる。口づけできそうなほどの間近で俺の目を見つめて、鶴丸は微笑んだ。
「きみは、俺のものだ。俺だけのものだ。化けものどもにはやらん。輪廻にも渡さん」ニィと俺の好きな蜜色の瞳を細めて続ける。「これから君が行くところは、自分でなくなる君にとっての極楽なのか、俺のいない地獄なのか……どっちなんだろうな」
 そう言い残して、鶴丸の身体は穢れで真っ黒に染まった。あっと思う間もなく、塵になってこの腕から消え去る。琥珀と菫青石のブレスレットが千切れて、庭土の上に玉が散った。
 身体を支えきれなくなって、俺はその場に倒れ込む。目の前に、鶴丸の目と同じ色をした琥珀の玉が転がっていた。














 気がつけば、俺は見知らぬ場所にいた。どこかの屋敷の庭のようだが、どこなのかは分からない。辺りを見回していると、後ろから声が聞こえた。
「――やぁ、君がそうか」
 振り返れば、そこに鶴丸が立っていた。ただし、俺の愛した彼ではない。自分の霊力が感じられないから、すぐに分かる。
「誰……?」
「見ての通り、俺は鶴丸国永だ。ただし、君のではないな。――君たちが言うところの、俺は本霊だ。ここは俺の領域。君の鶴丸が、最期に君の魂を取って俺の元に送り込んだ」
「俺の鶴丸は……?」
「あの分霊は消滅したよ。主殺しの穢れを受けてな」
 消滅した――俺が愛した鶴丸は、もういない。なのに、どうして俺はこんなところで本霊と話しているのか。俺も消えなくてはならないのに。
 動揺して、俺は逃げだそうとした。
 が、鶴丸国永は俺の腕を掴んで引き留める。
「待て。君はどこへも行けない」
「離してくれ……! 鶴丸のところへ……俺も、鶴丸と一緒に消滅するんだ……!!」
「それはならん」
「っ……!?」
 鶴丸国永の言葉に、俺は目を見開いた。それでは、俺はここから逃げられないというのか? 俺の刀剣たちと同じように、滅びることはできないというのか?
「いやだっ……! 離せ……、行かせてくれ! 俺も皆と同じように消えさせてくれ!!」
「君は永遠に俺――鶴丸国永のものだ。あの分霊がそう望んだ。消滅させないし、輪廻にも渡さないと」そこで、鶴丸国永の本霊は目を伏せた。わずかに痛ましげな表情が、白い面に浮かんで消える。「あの分霊は、それほど君を愛し、君に溺れていた。俺には理解できぬ感情だが」
 いやだ、と俺は弱々しく呟いた。皆や鶴丸と同じ道をたどれない。そのことへの恐怖と悲しみで、涙があふれる。
「――どうして……? どうして、俺だけ……。これは、俺への罰なのか……?」
「さて、な。あの分霊が君への恋に狂っていたのか、君を愛しながら憎悪したのか……。分霊自身が消滅した今、もはや俺にも分からぬことさ」
 そこで、鶴丸は空いている左手を伸ばして、俺の顔の前にかざした。ふわりと意識が解けて、俺は青く輝く光の球に変わる。掌大の俺の魂を手にすくって、鶴丸国永は唇へと近づけた。
 温度のない呼気が俺の魂にかかる。
「――さりとて、君の消滅したいという願いはかなえてやってほしいというのが、君を愛したあの分霊の願いでな。どうしたものかと迷ったが……俺が取り込むこととしよう」
 鶴丸国永は俺の魂に唇を触れさせた。そっと、触れるだけのキスのような、すべてを食いつくそうとするような。どちらとも言えない態度で、彼が俺を取り込んでいく。
 解けて消えていく意識の片隅で、俺は鶴丸国永が囁くのを聞いた。
「――さらば、哀れな人の子……〈俺〉の最愛の人よ」
 










おわり

20151231-20160102

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