鶯丸は話を聞かない






 うちの本丸の鶯丸は、主である私の話を聞かない。というよりも、私のことを主と認識していないのかもしれなかった。何せ、あいつは私に大包平と呼びかけるのだから。
 今にして思えば、あれが悪かったのだろうな。鶯丸を鍛刀したとき、私は携帯端末を鍛刀部屋に持ち込んで審神者専用掲示板・さにわちゃんねるを見ていた。だって、鍛刀時間が三時間二十分もかかるのだ。その間に情報収集くらいしてもいいだろう。
 スレッドを閲覧するうちに時間を忘れて、私は鍛刀が終わりに近づいていることに気づかなかった。鍛刀部屋の式たちが炉から取り出してきた刀が淡い光を放ったはずだが、正直、それも記憶にない。
『君、君、ちょっと聞きたいのだが』
『んー』
『顔を上げないか』
『んー』
『……ふむ、なるほど。……ところで、君は大包平か?』
『んー』
『――……そうか、よく分かった。大包平、君の仮初めの人型はそんな風なのだな』
 ここに来て、ようやく私はおかしな事態が進行していることに気づいた。そういえば、鍛刀部屋には私と式しかいないはず。私に話しかけているのは、いったい誰なのだろう?
 端末から顔を上げると、ぴったりした戦装束をまとった男が目に入ってきた。刀剣男士の例にもれず、整った顔立ちをしている。顔を上げた私と視線が合うと、男はにっこりと微笑した。
『君も知っているだろうが、俺は古備前の鶯丸。名前については自分でもよくわからんが、まあよろしく頼む、大包平』
 それが、私と鶯丸の出会いだった。

 
 鶯丸は、稀少度四に属する刀剣男士である。つまりは、そう簡単に審神者の元に降りてくるものではない。しかし、うちの本丸に鶯丸が来たのは本丸の運営を始めた初期の頃のことだった。初期刀の山姥切、初めての鍛刀で五虎退を顕現した後、やってくる刀剣男士は短刀・脇差ばかり。人数も多くないので、内番や本丸の家事の手が足りない。内向きの仕事を刀剣男士に期待するのはお門違いだが、せめてこの辺で太刀か大太刀クラスを降ろして戦の面だけでも楽をしたい。そう思って太刀レシピで鍛刀をしたところ、来たのが鶯丸だったのだ。いわゆる初太刀である。
 鶯丸を顕現した翌朝のこと。大広間で皆で朝食を摂っていると山姥切がそばへ来た。
「――主、いいか?」山姥切が呼ぶ。
「何?」私は携帯端末に表示させた敵の分布状況を見ながら、卵焼きを口に運んでいた。ディスプレイに目を向けたまま、今日も布を取らない初期刀に返事をする。「問題でも起きたのかい?」
「……あぁ、昨日、顕現した鶯丸が出陣は嫌だと言っている」
「えぇ……?」
 私はようやく顔を上げた。山姥切の肩の向こう、鶯丸が澄ました顔で朝食を食べているのが見える。出陣拒否というのは、基本的にありえない。刀剣男士は刀剣に宿る本霊が時の政府に力を貸すと約束して、送り込んでくる分霊たちだからだ。本性が刀である彼らが戦いを拒否することはない。よほどの環境――審神者と刀剣男士の間の信頼が失われた、いわゆる『元ブラック本丸』でなどでない限りは。
 審神者同士の情報交換掲示板によると、戦に積極的でない性格の刀剣男士もいるにはいるようだ。しかし、彼らも普通の審神者の下では出陣拒否までしたという話は聞いたことがなかった。
 ――いったい、うちの鶯丸はどうしたことだろう?
 私は考え込んでしまった。
「やっぱり、審神者である私が気に入らないんだろうか」
「……いや、そうではないようだ」
「え?」
 山姥切は歯切れの悪い口調で、むしろ鶯丸は審神者を気に入っているようだと答えた。それこそ、青天の霹靂である。
「私を気に入ってる……? なぜだ?」
「よく分からん。……だが、『大包平と一緒がいい』と言って、出陣の代わりに近侍を希望した。よく聞いてみれば、奴の言う『大包平』といいうのはどうもアンタを指しているらしい」
「あ、そういえば。……昨日、適当に返事をしてて、『お前が大包平か』って聞かれて、うっかり『んー』って答えたなぁ」
「何だと? アンタ、ながら食いと聞いてないのに適当に返事するのは止せと、いつも言っているだろう……!」
 山姥切は、怒ったてるてる坊主のように布を振り乱して顔をあげた。謝罪するが、すっかり腹を立てた様子の彼はズバリと私に人差し指を突きつけた。そうして、宣言する。
「アンタの自業自得じゃないか。……鶯丸は、今日、アンタの近侍にしておく。俺たちは出陣や遠征がある。アンタが鶯丸の面倒を見ろ」
 こうして、私は顕現して初日の鶯丸と共に本丸で過ごすことになったのだった。
 しかし、こう見えても本丸を運営しはじめた審神者は忙しい。顕現した刀剣男士は皆、部隊に入れて出陣か遠征に出さなければ日課が果たせない。自然と皆が出陣している間に、審神者がひとり本丸の家事を済ませることになる。鶯丸に付き合っている暇はない。洗濯機を回している間に、比較的、時間のかからない書類仕事をする。それが済むと刀剣男士の状況をモニターしている端末のディスプレイでは、出陣部隊がちょうど交戦しているところだった。申し訳ないが、夕飯の仕込みと昼飯の用意をしなくては。
 私が執務室を出ていこうとすると、彼が声を掛けてきた。
「大包平よ」
「私は大包平じゃなくて、審神者だよ」
「大包平、君は皆の戦いぶりを見ないのか?」
「もちろん見たいけど、時間がないんだ。私が今、厨へ行かなければ皆に夕飯を出してやることができない。私とお前の昼飯も抜きだ」
「だが、皆が戦っている――」
 分かってるよ。ちゃんと分かってる。
 刀剣男士が、私たち人間のために力を貸してくれていること。人ならざる身とはいえ、戦うことは彼らにとっても破壊の危険にさらされる行為だということ。それでも、私は自分に任されたこの本丸を、きちんと運営していかなくてはならない。つまり、それは刀剣たちにご飯を食べさせて、清潔な寝床と衣類を用意してやるということだ。そのためには、戦を見守っているだけでは不十分なのだ。
 私は鶯丸の言葉に返事をせず、執務室を出た。厨房へ向かって歩いていく。と、背後からスタスタ足音が聞こえた。振り返ってみれば、鶯丸が後ろからついてきていた。
「何だよ?」
「いや、大包平が何をするのか興味がある」
「私は大包平じゃなくて審神者だよ」
「大包平は今から料理をするのか?」
「……そうだよ」訂正しても鶯丸が『大包平』と呼び続けるので、私も注意するのが面倒になってきた。そのまま大包平呼びは放置して、言葉を続ける。「今日の晩ご飯は焼き魚と野菜の煮物とほうれん草の白和えだ。昼飯は……まぁ、残り物かな」
「どうしてたくさんの料理を作る? 朝のは作りすぎたから俺たちに分けたのかと思ったが……。俺たちは刀だ。食べなくても存在していられる」
「それでも、食べてほしいんだよ」
 私は包丁を手に取った。次々と野菜を切り刻んでいく。
 これでも私は審神者になる前、会社勤めをしていた時期がある。ひとり暮らしだったため、自炊は人並みにできた。刀剣男士たちは、別にものすごいグルメではないので、さほど得意ではない私の料理でも美味いと言ってくれている。
 いい調子で野菜を切り刻んでいた私だが、うっかり包丁が滑って指先を切ってしまった。赤い血が指先を染めるのに、思わず顔をしかめる。
「痛い」
「どうした、大包平?」
「ちょっと指、切った」
「どれ」
 鶯丸は横から私の手を取った。かと思うと、顔を寄せて指先から流れる血をベロリと舐めとる。突然のことに、私はびっくりした。指を舐められたことよりも、鶯丸が血の味を知ってしまったことに慌てる。
 刀剣男士は、顕現した当初は人間のような食欲や睡眠欲を持たない。人である審神者が教えて初めて、彼らは食事や眠りを覚えていく。この刀剣男士の特性に、審神者になって間もない私はたいそう困惑したものだった。それでも山姥切以降、数振の刀剣男士を顕現させることでようやく食べ方や眠り方を教えるのにも慣れてきた。
 鶯丸は昨日、顕現して夕食で初めて食べものを口にした。まだ食べものの味に慣れていない。血を口にしてそれしか受けつけなくなったら、どうしよう。そんな吸血鬼は手に負えない。私はひそかに危惧した。
 そんなこちらの心配もいざ知らず、鶯丸は目を丸くした。
「鉄の味がするな」
「鉄……? あぁ、鉄分は主に赤血球を構成してる成分だから」
「そうか。人も刀と同じように鉄でできているのか」
「それはちょっと違う。炭素、酸素、水素、窒素、カルシウム、リン……人体は鉄を含めて幾つもの元素から構成されているんだ」
「そういうものか。人間とはおもしろい存在だな」
「今はお前たちの身体もそうだよ」
「俺たちの本性は、刀だ。人とは違う」
「でも、顕現した姿は仮初かもしれないけど、私たち人間と同じ。傷つけば血を流す。……だから、この世で戦っている間は、人間のように暮らしてほしいんだ。食べて、働いて、眠って。笑って、泣いて……ここがお前たちの家であるように」
「家、か。……ならば、俺たちは家族なのだろうか。同じように鉄を身に宿しているのだから」
 鶯丸は感心したように言って、ふたたび私の指を口に含んだ。それから、手近にあった清潔な手拭いで押さえてくれる。その手つきは何だか落ち着きがあって、私を『大包平』と呼んで出陣を嫌がった妙な刀剣男士とはとても思えなかった。


 鶯丸の顕現から、二週間ほど過ぎた。彼を鍛刀した目的――太刀が来れば戦は楽になるだろうという私の目論見は、見事に外れた。なぜなら、鶯丸はずっと戦に出たがらなかったからだ。
「どうせ内向きの仕事もたくさんあるのだろう? なら、俺はしばらく出陣しなくてもいい」
 近侍に収まった鶯丸は、そう言って自分以外の者を出陣部隊に割りふりつづけた。本人はといえば、私の書類仕事を手伝ったり、のんびり畑仕事をしたりと、悠々自適の生活。刀剣男士なのにそれでいいのか。
「俺は茶が飲めればそれでいい」
 鶯丸が血を舐めたために、彼が吸血鬼になったらどうしようと危惧していた私だが、そうはならなかった。顕現の後、三日目にして鶯丸は茶の美味さに目覚めたのだ。しかも、どこから聞いてきたのか、午前十時と午後三時には茶を飲むものと頑なに信じこんで、ティーブレイクをしたがる。お前は英国人か。飲むのは緑茶だが。
 そんな鶯丸に付き合わされて、私は毎日、十時と十五時に彼とお茶を飲むようになった。そうなると、緑茶を一杯というだけではどうにも口寂しい。なので、私は煎餅やかりんとうなどを買い込んで、茶菓子として鶯丸と少しずつ食べることにした。もちろん、鶯丸だけに菓子を出すのでは不公平なので、出陣や遠征の刀剣たちにも朝、それぞれの取り分を配った。そうすれば、出先に持っていくことも、帰ってきてからつまむこともできるからだ。
 刀剣たちは――私に厳しい山姥切さえも――この習慣を喜んでくれた。誉れを取った乱藤四郎に、「そのうち綺麗な花の形の主菓子(上生菓子)も食べてみたい」とねだられて初めて、私は気づいた。いくら日課をこなすためとはいえ、私はあまりにも急ぎすぎていたのではないだろうか。
「……今日も茶が美味いな、大包平」
 相変わらず私を大包平と呼びつつ、縁側で茶を飲んでいる鶯丸を見ながら、ふとそう思った。


***


 鶯丸が顕現して三ヶ月。ようやく打刀や太刀も増えてきて、進軍はずいぶん楽になりつつあった。もちろん、時代をさかのぼるにつれて敵も強くなる。しかし、機動性は高いが守りに弱い短刀・脇差と比べて、装備できる刀装の種類の多い打刀や太刀は、傷つかずに敵を破る機会も多かった。
 また、本丸の人数が増えたことで、家事などの手も回り始めた。基本的に刀剣男士は戦が仕事なので、家事や内番が特定の刀剣に偏らないような調整はしてある。それでも、燭台切や歌仙、堀川、乱など細やかなところに気が付いて、当番でなくても家事を手伝ってくれる刀剣たちの存在は大きい。それに、彼らはさりげなく他の刀剣たちも促して、家事を手伝うようにしてくれたりもした。
 おかげで、私の家事仕事の手間は随分と減った。
 とはいえ、家事の手が空いたなら、少しでも書類仕事や敵の研究をして、政府に評価されたいのが人情というもの。私は少しずつ、敵の情報を収集する時間が増えていった。
「なぁ、大包平。仕事は休み休みやるものだ。皆は順調に進軍しているだろう?」
 と、縁側でちょっと身を起こして尋ねるのは、刀剣数が増えたにもかかわらず固定近侍のままの鶯丸だ。彼は相変わらず、私を『大包平』と呼んでいる。しかも、相変わらず出陣したがらない。後から来た刀たちが練度を上げていくのに、鶯丸はいまだに練度一のままだった。
 しかし、鶯丸本人はいっこうに気にしない。執務室の前の縁側でごろりと横たわって、昼下がりのうたた寝を楽しんでいる。仕事しろよ、近侍。
 二週間ごとに、定期報告として刀剣男士の練度を報告しているから、このことは政府にもバレていた。この定期報告というのは、噂によれば本丸で刀剣虐待が行われる――いわゆるブラック本丸を初期段階で発見するためのものらしい。いつまでも出陣せず、練度の上がらない刀剣男士がいるとブラック本丸のチェック項目のひとつに引っかかる仕組みなのだそうだ。
 ともかく、政府はうちの鶯丸が虐待を受けていると疑ったらしい。鶯丸を入れた部隊で演練に参加しろという通知が送られてきた。無論、私の側にやましいことはない。それに、そろそろ鶯丸の練度を上げなければならない時期だ。当の鶯丸は「俺は大包平と一緒がいい」と主張したが、私は無視して演練への参加を決定した。
 演練には短刀から太刀まで、うちの本丸にいる全刀種をそろえた部隊で当たることにした。大太刀、槍、薙刀はまだ私のところにはいない。それでも、練度一の鶯丸をのぞく隊員は、練度六十台の山姥切、五虎退、堀川、練度五十台の歌仙、燭台切。うちの本丸では、ほぼベストメンバーの構成である。
 最初に当たった演練相手は、先輩の審神者だった。とはいえ、私は現世で十年ほど社会人をしている。相手は高校在学中に審神者に就任した青年で、審神者名を〈春月〉といった。いかにも頭のよさそうな、ともすればそこが鼻につきそうな青年だ。随分、うまく本丸を運営しているようで、彼の連れた刀たちはいずれも練度八十近くある。
〈春月〉は私の部隊を見ると、厳しい顔をした。
「半年も審神者をやっていて、まだ刀剣男士をそのレベルで置いておくなんて……アンタ、無能だな」
 年下の彼にそう言われた瞬間、不意に現世での記憶がフラッシュバックした。初めての会社勤めで慣れない仕事。コミュニケーションが上手いわけでもないのに、営業として得意先をまわる日々。営業成績は上がらないまま、残業ばかり増えていく。
 上司が私を罵る声が耳に蘇った。
 ――お前はなんて無能なんだ……!
 ザッと頭から血の気が引くような気がして、私はよろめいた。身体を支えていることができない。その場に倒れそうになるのを、支えてくれた者があった。鶯丸だ。
「大丈夫か?」
「鶯丸、お前、どうしてここに……」
「お前が倒れかけるとはな。傍にいて正解だった」
「そうじゃない! お前、審神者の観戦席にいてどうするんだ!? 演練に出る刀剣男士は、あっちだぞ!」
 さっきまでのフラッシュバックも忘れて、私は思わず叫んだ。目の前にいた〈春月〉も事の成り行きに目を丸くしている。鶯丸だけは、俺もここで演練を観戦したい、などと言う。しかし、その彼も山姥切が迎えに来て、連れていかれてしまった。
 演練は、うちの本丸の敗北に終わった。
 無理もない話だ。〈春月〉の部隊は練度八十前後。うちとはかなり差がある。それに、高練度の部隊だけに〈春月〉の刀剣たちは互いの力を引き出すような戦い方を心得ていた。いい部隊だと、戦は素人の私が見てもよく分かった。
 それでも、うちの本丸の部隊も善戦した方だった。山姥切や五虎退が、相手の懐に飛び込んで攻撃する。それを堀川や歌仙、燭台切が上手く援護していた。鶯丸も練度は低いながらも攻撃をしたかと思えば援護に回り、といった具合に自在に動く。このときになって初めて、私は気づいた。鶯丸は出陣こそしなかったが、本丸にいる間は皆と手合わせして仲間の太刀筋を覚えていたのだ、と。
 勝敗が決した後、私は自分の刀剣たちの元へ行って「いい戦いぶりだった」と誉めた。そのときだ。〈春月〉の側から歩いてきた刀剣男士があった。絶世の美貌――うちにはいないが、姿を見たことがある。三日月宗近だ。彼は私の傍に来るなり、「うちの主が申し訳ない」と頭を下げた。その襟元から、銀の鎖に通した指輪が零れ落ちる。
「いったい、どうしたんですか……!?」私は慌てた。
「我が主から話を聞いた。コレは口が悪くてな。正義感が強いのだが、気性の激しさでいつも問題を起こす。申し訳もない」
「何だよ! 三日月、俺がちゃんと謝るって言っただろ!?」
 慌てて駆け寄ってきた〈春月〉が、三日月の腕を掴んだ。その左手の薬指にも、三日月とそろいの銀色の指輪が輝いている。私は目を丸くした。もしかして、これは伴侶ということなのだろうか。
「――いや、そなたには任せておけぬ。だいたい、そたなとて昔は出来が悪かったろうに。だからお目付役として俺がそなたの元に降りたのだぞ?」
「っ……今はお目付役じゃないんだから、小言を言うな!」
「あぁ、お目付役ではないが、そなたの夫として――」
「バカ三日月っ!! ここでデカい声で夫とか言うな!!」
 と、自分の方がよほど大きな声で叫んで、〈春月〉は三日月の腹に拳を叩き込んだ。ひよわな現代人の一撃だが、みぞおちに入ったのか三日月が息を詰まらせる。〈春月〉はフンと息を吐くと、クルリとこちらへ身体を向けた。
 ずんずんと迫ってきたかと思うと、怖い顔のまま私の前で立ち止まり――九十度の礼をする。
「勘違いから失礼なことを申し上げてしまい、申し訳ございません。審神者同士のトラブルとして、申告していただいて構いません。俺はペナルティを受け入れます」
「いえ、いいんです」
 私が言うと、山姥切が不満そうな声を上げた。他の刀剣たちも、渋い顔をしている。私があっさり無礼を許しすぎだと言いたいのだろう。それでも構わず、私は言葉を続けた。
「刀剣の虐待に憤るということは、あなたは真っ直ぐな気性のお方だということですよ」
 真直ぐで、その熱意が結果につながっている〈春月〉がひどく羨ましかった。



***





 こうして演練に鶯丸を出すことで、ブラック本丸の容疑は晴れた。けれど、その後もうちの本丸の成績は振るわなかった。原因は分かっている。私のせいだ。
 刀剣たちは着実に時代をさかのぼって、強くなる敵を相手にしていった。けれど、私の元には大太刀も薙刀も槍も来ない。新たな太刀や打刀が来ることも稀だ。結果、刀剣男士の数は増えないままに、皆の負担だけが積み重なっていく。出陣と遠征を繰り返す彼らは、この頃よく疲労状態になるようだ。そんな状態で無理はさせられず、日課を減らせば成績が下がる。悪循環である。
 そんな折だった。夏に差し掛かったある日のこと、私は審神者の情報交換掲示板で、気になる書き込みを見つけた。そこには政府の制度が変わって、年二回――夏と冬に審神者たちの成績を評価してボーナスに上乗せをするだろうというものだった。さらに、ひどい成績不振者は審神者解任もありえる、と。
 ただの噂だ――最初は私もそう思っていた。しかし、しばらくして政府から審神者の就業規則を改訂したというメールが送られてきた。まさか、あの噂が本当だったとは。怖くて、ろくに内容を確認することができない。それでも、六月はあっという間に過ぎていく。七月に入ると、私は焦って成績を上げようと何度も鍛刀を試みた。多くの敵を倒すのにより効率のいい出陣場所はないかと、寝る間やも惜しんで情報を調べる。もちろん、食事も端末を見ながらだ。茶を飲もうと執務室に入ってきた鶯丸のことは、仕事が立て込んでいるからと追い出そうとした。
「――何を焦っているんだ、大包平?」
 鶯丸は静かに尋ねた。そのときだけ、私は端末から顔を上げて鶯丸へ目を向けた。執務用の文机を挟んで、見つめ合う。普段はのんびりした彼の目に、今は見透かすような色が浮かんでいる。こんな目もできるのか、と私は頭の隅で感心した。けれど、そんな驚きも焦りに押し流されて、どうでもよくなってしまう。
「焦ってなんかない」
「そうか? 今のお前は、周囲が見えていないようだ。何か気にかかることがあるなら、俺に話してみないか?」
 しかし、そう言われたところで、何も話すべきことはなかった。刀剣男士は、人ならざる者だ。成績不振だの解任のという人間社会の俗事が、鶯丸に理解できるとは思えない。分かってほしくもなかった。
 審神者は私に与えられた役職だ。この本丸の中で、戦えない私に唯一できる仕事。私は自分の力で、審神者としての仕事をこなしていかなくてはならない。戦うのが役目である刀剣男士に泣きつくのは、自分の仕事を放棄する行為だ――。
「……話すべきことはない」
「そう意固地になるな、大包平。話したくなったら、俺はいつでも聞いてやろう」
 鶯丸は余裕のある態度でそう言う。それを聞いた途端、猛烈な苛立ちがこみ上げてきた。お前に私は救えない。なのに、何を偉そうに。
「――……どうせお前には、私の気持ちなんか分からないさ」
 私は嘲笑を浮かべながら、そう言ってやった。私に救いはない。その腹いせに、目の前の相手を傷つけたい――。そんな暴力的な気分だった。「お前は私のことなんか、何も知らない」と重ねて言う。
 鶯丸はすっと目を細めた。「そうか」と言うなり、互いの間にある文机を押し退けて距離を詰めてくる。私はびっくりして後じさったが、すぐに鶯丸に腕を掴まれてしまった。押し倒されて、顔のすぐ脇の畳にドンと鶯丸の手がたたきつけられる。唐突な行動に、私は驚いてしまって声も出ない。
 この本丸で鶯丸の練度はいまだ低い方なのに、初めて彼を怖いと思った。
「俺がお前を知らない? どうしてそう思う? 俺はお前の傍で、ずっと見てきた。努力家だということも、没頭すると周囲が見えなくなるところも、茶菓子は瓦せんべいがいちばん好きだということも」
「お前は私を好意的に見てくれているけど、それは私じゃない。ぜんぶ『大包平』に対する好意なんだろ!? 私は『大包平』なんかじゃない!!」
 私は思いきり鶯丸の腹を蹴りとばした。怯ますことに成功したのだろうか。拘束が緩んだ隙に、彼の下から抜け出す。
 目指すは執務室の奥のセーフルーム。ごく狭いその部屋には、本丸が襲撃されたときに備えて簡易の転移装置がある。私はそこに駆け込んで、転移装置を作動させた。「待て……!」鶯丸が叫ぶのが聞こえる。けれど、次の瞬間、私は転移装置が放つ光に包まれていた。
 どれくらいそうしていただろうか。やがて光が消え去り、私はおずおずと目を開けた。そこは本丸ではなく、だだっ広い山中だった。慌てていて、出鱈目に転移装置を操作したものだから、もしかしたら過去に来てしまったのかもしれない。深い山林の中で私は呆然とした。
 もし、この場が過去の時代だとしたら、膨大な時間の中から遭難した私を見つけだしてもらうことは非常に困難だ。このまま、助けが来ない可能性もある。そう思ったけれど、不思議と私は恐怖や不安を覚えなかった。心が麻痺してしまったのかもしれない。
 それよりも、むしろ私がここで死ねば、どうだろう。少なくとも、成績不振で解任されることはない。そう思えば、このまま死ぬのも悪くない気がしてきた。
 ――クビよりはずっとマシだ。
 私は現世で、会社勤めをしていた。けれど、営業成績が悪かったため、クビにされたのだ。突然のことだった。成績向上のために努力する時間さえ、与えられなかった。そのことが『お前はだめな奴だ』と言っているようで、なかなか立ち直れなかった。
 そこからは、アルバイトをしても長続きせず、ズルズルと三年ほどフリーターを続けた。そんなときだ。審神者適性があるという診断結果から出た。勧誘をされて、私は一も二もなく審神者になるという話に飛びついた。最後のチャンスだと思った。会社でもアルバイト先でも無能だと、不要だと言われた私をまだ必要としてくれる場所がある。だとしたら、何を犠牲にしたってその場所のために働きたい――審神者としての役目をまっとうしたい。そう思ったのに。
「そりゃあ、仕事の手際が悪い私も悪いのかもしれないけど、審神者のお役目を失ったら私はもう……」
 何を目的に生きたらいいのか。社会人として上手くやって行けないなら、生きている意味はないのかもしれない。このまま、どこかも分からないこの場所で死ねたら、きっと楽だろうな……。
 そんなことを考えながら、行くあてもなく森を歩いていく。どれくらい進んだだろうか。不意にガサガサと茂みが揺れた。そこから飛び出して来たのは異形の化け物。私はソイツに見覚えがあった。刀剣男士たちの出陣状況をモニターしているときに、敵として映し出されていたモノだ。
 たしか刀種は短刀。
 ごく小さいサイズの龍のようにも見えるソイツは、私を見つけるなり目を赤く光らせた。キィィィと甲高い声で鳴く。反射的に私はその場から逃げ出していた。突きでた枝が皮膚を裂く。裸足の足は石や枝で傷つき、ひどく痛んだ。きっと傷つき、血が出ているだろう。けれど、それを見てしまったら走れなくなるから、無理矢理に意識の外に痛みを押し出す。
 死んでもいいと思っていたのに、それでも敵が怖い。今更、殺されなくないなんて矛盾している。私は自嘲の笑みを浮かべた。こんなことなら、せめて刀剣男士たちには言えばよかった。現世でリストラされたこと。アルバイトもうまくいかなかったこと。それでも、せめて審神者としてだは、何としても職務をまっとうしたいと思っていること。
 現世の事情は、分かってもらえないかもしれない。それでも、言っておけばよかった。審神者としての覚悟はあるのだと、それだけは伝えておけばよかった。それに鶯丸。あいつにもう一度、会って「茶でも飲むか?」なんて見当はずれなことを言われたかった――。
 そう思った瞬間だった。
「痛っ……!!」
 左足の裏に鋭い痛みが走る。私は足を取られて、地面に倒れ込んだ。見れば、地面に落ちているのは錆び付いた折れ刀だった。その刃の一部が、私の血で真っ赤に染まっている。さっきの痛みは、その刀を踏んだせいらしい。
 私は立ち上がろうとした。けれど、右足の裏がひどく痛んで、力が入らない。足裏は見えないが、そこから勢いよく地面に血が流れていくのが目に入ってきた。痛い。でも、逃げなくては。私は這ってでも逃げようとした。
 が、追ってきた敵が茂みから飛び出してくる。
 遭遇したのは短刀一振だけだったが、仲間を呼んだのか他の刀も一緒にいた。そのうち、短刀が私に向かって突進してくる。振り返るとソイツが口にくわえた刃がギラリと凶悪に輝くのが見えて、私は固く目を閉じた。
「痛かったら、言ってくださいっ……!」
 控えめな声。同時に敵の断末魔が聞こえて、私は目を開けた。見れば五虎退が敵の短刀を一撃で沈めたところだった。さらに、私の目の前を駆け抜けた山姥切が、敵の脇差を斬り捨てる。
「あ……。みんな、どうして……?」
「主さん、大丈夫ですか?」
「心配したんだからね、主」
 堀川と乱が私の傍に駆け寄ってくる。
「まったく、君は適当に返事をする上、我慢強くて、天の邪鬼で、無鉄砲だから困るよ」後からやってきた歌仙が肩をすくめた。
「みんな、どうしてここが……?」
「――お前が転移した痕跡を、こんのすけに追ってもらったんだ」
 最後に現れたのは鶯丸だった。その腕にはこんのすけを抱いている。こんのすけは尾をパタパタさせて、どこか誇らしげだ。
「皆、話はあとだ。近辺の敵を掃討する。――鶯丸、この山林の木々の間では、攻撃の間合いの大きいアンタは役に立たない。アンタは主についてろ」
 山姥切は部隊長らしい冷静さで、そう言った。そうして、他のメンバーを連れて木々の間へ消えていく。
 彼らの後ろ姿を見ながら、私は安堵で泣きたくなった。けれど、すぐに刀剣たちとは別れなければならないのだと気づく。唇を噛んで涙をこらえた私は、後に残された鶯丸に言った。
「私のことは、見捨ててくれてよかったんだ。お前たちだって、その方がよかっただろう。少しでも早く、新しい有能な審神者に着任してもらえる」
「何を言っているんだ?」
「審神者として、私は成績が悪い。おそらく次の査定でクビになる。だから――」
「お前が悩んでいたのはソレか」
 鶯丸に言われて、私は目を見開いた。黙っていたのに、言ってしまったと気づく。しかし、もう遅い。
「審神者さま、査定で審神者さまがクビになることはありませんよ!」鶯丸の腕から飛び降りたこんのすけが、私のそばへやって来た。ちょこんと地面に座って、円らな目で私を見上げる。大きな口がニィと笑っているようだった。「査定の話をどう聞かれたのかは存じませんが、あれは本丸に対するボーナス。がんばっている刀剣男士の方々に還元しようとする制度です。残念ながらといいますか、審神者さまへの還元ではありません」
 こんのすけの話によれば、刀剣男士が戦績を上げれば、それに応じて刀剣男士本人に万屋の利用券や休暇、あるいは品物などを贈る。そういう制度があることで、刀剣男士と関係が良好な本丸はより戦績を上げようとするだろう。また、出陣過剰のブラック本丸などの場合は、ボーナスが直接、刀剣男士あてにされることから、嫌でもそれを認めなければならない。そうすることによって、出陣過剰を見直す機会を作るという目的があるのだそうだ。
「お前はきちんと政府からの文を読んだのか?」
 鶯丸に問われて、私はウッと言葉に詰まった。そういえば、噂を聞いただけで、政府からのメールはろくに確認していない。
 言葉に詰まっていると、鶯丸はため息を吐いた。それから、私の側へ近づいてくる。折檻されるのか、と私は思わず身をすくめた。が、鶯丸はひざまずいて、手拭いを取り出しただけだった。彼は私の傷ついた右足を手に取り、手当を始めた。
「たとえ政府がお前を要らぬと言っても、うちの刀たちが黙っていまい。俺も含めてな」
「私はいい審神者じゃないのに……」
「俺たちが審神者に求めるのは、霊力の多さでも術の巧さでもない。俺たちを扱う覚悟だ。……お前は、確かに手際が悪かったりもするが、覚悟は十分にあった。審神者であろうとする覚悟は」
「……私は、もう他に居場所がないんだ。現世で仕事をしていたけれど、お前は役に立たないと辞めされられた。だから、審神者になれたことには感謝しているし、審神者であることに踏みとどまらなければ、もう居場所がない」
「――やっと本音を打ち明けてくれたな、『主』」
 鶯丸は微笑んだ。
 私はその笑みをぼんやりと見つめていたが、すぐにハッと気づく。今、こいつは何と言った?
「『主』って……! お前、私のことを『主』って……審神者だって知ってたのか……!? 大包平じゃなくて!?」
「むろん。主は大包平とは違う。……だが、最初に大包平と呼んで返事したからな。お前が本音を見せたら、きちんと主と呼ぼうと思っていた」
「なんだよ、それっ……!」
 怒ろうとした私だったが、足の痛みがひどすぎてめまいがする。ぐらりと身体が揺らぐのを、鶯丸が抱きとめてくれた。
 それから、私たちは皆が戻ってくるのを待った。私は鶯丸に寄りかかって、彼が話すのをぼんやりと聞いていた。それによると、鶯丸は顕現した最初の夜、山姥切から頼まれたらしい。山姥切は私が刀剣たちに言わずにひとり本丸の仕事をこなそうとするのを、外見が年下だから相談しにくいのだろうと考えたそうだ。そうして、初めて顕現した太刀――私より同年代か年上に見える鶯丸に、『しばらく主を間近で見守って、仕事を手伝ってほしい』と頼んだらしい。
「……顕現してすぐに出陣拒否をしたのは、そういう理由だったんだな」
「あぁ。……まぁ、主の傍にいるのは、それはそれで楽しかったな。俺は好戦的な性質ではないし、主とのんびり茶を飲んだり、茶菓子を食べたりするのは楽しかった」
「茶の話ばかりじゃないか。……そこは書類仕事も好きとか言うところだろ……」
「書類は好かん」
 私は笑った。身体に力は入らないし、足は痛いし、さんざんだ。けれど、なぜか悪い気分ではなかった。
「……でもさ、本当に、私くらいの審神者はどこにでもいる。解任されたって、お前たちは困らないだろ」
「困る」鶯丸は真顔で即答した。「皆、主を慕っているし、俺はそろそろ妻問いをしたいと考えているからな」
「は? 妻問い? ……大包平に??」
「何を言っているんだ。大包平は大事な親友だ。俺が妻問いをするのは、主に決まっているだろう」
「えっ? ……待ってくれ。えっ……? どこからそんな話が」
「なぁ、主。俺の妻になってはくれぬか? 俺は付喪神だ。お前の言うように、人であるお前の背負うもの、その痛みすべてから守ってやることはできないだろう。それでも、お前がどこかで死んでいくのは嫌だ。俺こそが、いつでもお前の帰ってくる場所になりたい」
「え? え? でも、俺は人間で、お前は付喪神で、立場が違う……」
「だから何だ? 俺もお前も鉄を身に宿している。そう教えてくれたのはお前だろう? 立場といって、どれほどの違いがあるのだ? 形あるものはいずれ、壊れていく。崇められたものは、いずれ忘れ去られる。俺とお前と、何も違いはないさ」
 そう言われても、いきなり受け入れられる話ではなかった。返事に困って黙り込む。
 そのときだった。山姥切たちが茂みをかき分けて戻ってきた。皆、負傷はしていないようだ。山姥切は、寄り添っている――というか実際には私が寄りかかっているだけだが――私たちを見て、目を細めた。
 それから、「帰るぞ」と命じる。私が立ち上がろうとすると、鶯丸は当然のように私を抱き上げてしまった。
「ちょっと待て……!」私は慌てて抗議するが、鶯丸は聞き入れない。「離せ! こんなの皆、変に思うだろっ!?」
「何もおかしくはない。妻問いする相手を丁重に扱わなくてどうする?」
「だから、皆の前で妻問いとか言うな……!」
 私はじたばたしたが、他の刀剣たちは冷静だった。
「主さまが鶯丸どのと婚姻して、ずっと本丸にいてくださったら僕、嬉しいです……」五虎退が天使の笑みを浮かべる。
「あ、とうとう言ったんだね! 主まだ若いし、きっと現世からだって引く手あまたでしょ。これで主が結婚して、現世に帰るってなると寂しいじゃない。いつ言うのかと思って、ボク、ヒヤヒヤしちゃった!」乱が鶯丸の背を叩く。
「……僕はこれで怒濤ののろけが落ち着くことを願うよ。まったく、茶の席で『主、主』って雅も何もあったものじゃないからね」歌仙は憤慨していた。
「え……? この感じ、もしかして皆、知って……?」
「あぁ、知っている」山姥切が頷いた。「鶯丸は演練の後から、アンタに妻問したいと言っていた」
「そんなに前から……!?」
「アンタも満更じゃないようだったしな。……分かってるか? アンタ、俺たちに本丸の家事をさせるのを申し訳ながっているが、鶯丸には『働け』と言って家事を手伝わせたりしていたことを。アンタにとって鶯丸はそれだけ、頼れる相手なんだろうな」
 いやいやいや。出陣拒否する刀剣男士がいたら、誰だってそうするだろう。働かざる者食うべからずなんだから。そうは思ったけれど、鶯丸相手なら確かに私は肩の力を抜くことができていた。今更、そう気づく。
 そのときだった。
「――皆さま、転移ポイントが見えてまいりました」
 こんのすけが声を上げる。見れば、キラキラと輝く光の柱がそこにあった。皆がそこに入っていく。けれど、鶯丸は私を抱いたまま、ふと足を止めた。横抱きにされて宙に揺れる私の足――そこに巻かれた手拭いが赤く染まっているのへ目を向ける。
「いずれ妻問いに閨に訪れたいが……ともかく、この足が治ってからだな。残念だ」
「いやいや、ちょっと待てよ。閨って、そんないきなり。私の意思はどうなるんだ?」
「閨で聞かせてもらう。その方が、俺が楽しい」
「いや、だから! お前が鍛えられた時代はともかく、現代ではいきなり相手を閨に入れたりはしないんだ」
「それがどうした? 常識に囚われていては、道は拓けないぞ」
「ひとの話を聞け!」
 私が思わず言うと、鶯丸は微笑した。見たこともないような、艶めいた笑みだった。コイツ、こんな表情もできるのか。びっくりすると同時に、知らず頬に血が上っていく。
「主は天の邪鬼だからな。主の言うことは今ひとつ信用できない。主の表情の方が、よほど正直だ」
 そう言われたら、もう勝てる気がしなかった。
 光の柱の中から、山姥切が私たちを呼ぶ声がする。歩き出す鶯丸の腕から落ちないよう、私は彼の胸にすがりついた。そうしながら、鶯丸には聞こえなくても構わないからと小声で呟く。
「……閨で私のことを『大包平』と呼んだら、妻問いは断ってやる」
「――承知した。しかし、そんなヘマはしないさ。主はきっと俺のものになる。俺は主の居場所だからな」
 なぁ、そうだろう? と柔らかな鶯丸の声が鼓膜を揺らした。


 うちの鶯丸は、私の話を聞かない。代わりに、私を見守っていて、いつも言葉以上のことを察してくれる。






2016/05/01

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