審神者はふたりいる1


1)背景に本丸乗っ取りネタがあります。
2)刀剣破壊の記述があります。
3)敵刀×主人公(歴史修正主義者)で異種姦の性描写があります。
4)乗っ取りされた審神者がでてきます(※CPはんばさに)
5)メリバです。





1.

 夜毎、遡行軍の隠れ家では狂った宴が開かれる。強い酒を飲んだり、あるいはクスリをキメたりした、男女が穢れた刀の化け物と交わるのだ。
 時の政府が選ぶ審神者は、すべての日本国民の中で一定以上の霊力を持つ者たちだ。歴史修正主義者になるのは、現在や過去に恨みを持つ者たち。霊力保持量だとか、モノの声を聴く力だとか、そんな条件は存在しない。その気になれば誰だって、歴史修正主義者になることができる。ただ、そこには問題があった。
 歴史修正主義者は、審神者の降ろす刀剣男士に対抗するために、穢れた刀の化け物らを顕現しなければならない。ところが、それには霊力やその他の力が必要となる。
 どうするか。
 歴史を変えたいと思うほどの後悔や憎悪など負の感情は、正の感情よりも強い。それそのもの自体が力となる。もっとも、普通の人間はそれだけで化け物を顕現するための呪力をまかなうことができない。そこで、化け物と交合して自らの魂を穢すのだ。穢れは魂を歪め、変質させ、人間を呪力を蓄えた化け物に造りかえる。無数の穢れた刀たちを顕現させるための装置に。
 そのための狂った宴が、夜毎、アジトで繰り広げられるのだ。歴史修正主義者のアジトは、ある時空の一角に築かれている。アジトは俺が拠点とする場所だけでなく、さまざまな時代のさまざまな場所にあるそうだ。しかし、末端の俺はそのすべてを知っているわけではない。知りたいとも思わない。穢れた刀どもを引き連れて、歴史を改編する。それを阻止に現れる刀剣男士の部隊を討つ。それだけが俺の関心ごとだからだ。
 過去のある時代から帰還した俺は、出陣の昴りもそのままにアジトの通路を歩いていく。廊下のあちこちの部屋から、嬌声やうめき声、悲鳴、殴打の音、ピジリと鋭い鞭の音などさまざまな雑音がもれ聞こえてくる。その合間にキィキィという化け物たちの声も聞こえた。
 しかし、俺は気にしない。というより、歴史修正主義者に身を堕す者は、化け物とセックスをすることにためらいを覚えない。最初のうちは皆、抵抗を見せるものだが、そのうち己が得た力に酔いしれて受け入れるようになるのだ。
 やがて、俺はアジトのいちばん奥――ボスの待つ部屋に行きついた。
「〈柚葉〉、織豊時代よりただいま戻りました」
 俺は下座でひざまずいて、言葉を発した。〈柚葉〉というのは、俺のかつての審神者名だった。今は歴史修正主義者としての通り名として使っている。別に昔の審神者名をそのまま名乗る必要はない。だが、審神者が敵方に寝返った事実を示すのにちょうどいいと思ってそうしたのだ。
「首尾は?」
 ボスが上座から問う。彼は見たところ壮年。青白い顔でどこかうつろな目をしている。ひょろりとしてどこか頼りなげな様子だが、それでもこのアジトを管轄するボスとして、歴史修正主義者たちの間でも一目置かれる存在だった。
「上々。審神者の部隊三隊と交戦して、うち二振を破壊しました」
「そうか。よくやった」ボスはそう言って、俺へ目を向けた。うつろだったはずの眼差しに、不意に欲望の色が混じる。「ここへ来て俺の相手をせぬか、〈柚葉〉?  勝利の祝杯といこうではないか」
「ごめんこうむります」
 あっさり言って、俺は立ち上がった。相手はここのボスだとはいっても、歴史修正主義者は政府や会社組織のように明確な序列があるわけではない。上役の命令も、意にそぐわないなら無視することができる。もっとも、その場合は自分の意思を貫くだけの覚悟と強さが必要だが。
 俺、こと〈柚葉〉は元審神者だ。素人が多い歴史修正主義者の中では、割合の少ない一定以上の霊力保持者。穢れた刀を顕現する力は、化け物と交わった一般人よりも強いくらいだ。そのため、歴史修正主義者の中で俺の発言力は強い、らしい。
「つれないな」機嫌がいいのか、ボスは特にとがめるでもなく、苦笑した。
「アンタよりも、俺は俺のかわいい刀たちの方がいい。あいつらは、俺を裏切らないからな」俺は肩をすくめる。
「俺たちは仲間だろうに」
「今は、な。たまたま利害が一致しただけだ」
 俺はボスの部屋を後にして、自分に与えられたアジトの一角に戻った。部屋の中にひとりきりになって、血にまみれた単衣を脱ぎ落とす。単衣の血は、俺の血ではなかった。かわいい俺の刀たちがほふった、刀剣男士たちの血液だ。
 その刀剣男士が戦場で倒れたとき、俺は強い歓喜に打たれて近寄った。刀剣男士の仮初めの人型が解ける前に、その身体から流れる温かな血に触れる。心地よかった。ともすれば、そのままその場で絶頂にいたってしまいそうなほどに。脱ぎ落とした衣の血を見ながら、そのときのことを思い出す。それだけで、ジンと身体の芯が疼いた。
「――来い」
 そう呼べば、たくましい身体つきの太刀が姿を現す。その後ろには打刀や、小さな竜のような短刀の姿もあった。俺が一瞬にして顕現した俺の刀だ。
 スッと俺の元へやってきた短刀が、半ば反応している俺の性器に舌を伸ばす。表面をチロチロと舐められ、長い舌を絡めてしごかれて、快感が腰に広がった。「はぁ」とため息を吐いた俺の腰を、後ろから太刀が抱きとめる。太い指がいきなり閉じたままの後孔に触れた。グィグィと押されるが、さすがに潤滑油もなしに挿入できる状態にはならない。と、横から打刀が俺の右足を持ち上げて、不安定なまますべてをさらす格好になった。
 短刀が心得たように、俺の性器から会陰、そして後孔へ舌を伸ばす。太刀の指が後孔を浅く押しひらいて、表面でうごめいていた短刀の舌を迎え入れるような格好となった。
 グチャグチャと、後孔を犯す短刀の舌と太刀の指が派手な水音を上げる。その水音に、またジクリと身体が疼く。半端に愛撫されたまま放っておかれた性器が、とろとろと蜜を垂らしていた。打刀がそれをつかんで、ゆっくりとしごきだす。
 俺は間近にいるそいつの首根っこを引き寄せて、口と思しき部分に唇を触れさせた。と、そいつの方からも舌を伸ばしてくる。互いに舌を絡めあわせた。ぬるぬると舌を舐める打刀の舌に、じわじわと性感をあおられる。
 たまらなくなって、俺は打刀にしがみついて太刀へ向けて腰を突きだした。太刀はそれを両手でつかむ。すでに勃起していたたくましい性器を後孔にあてがって、グググと腰を進めてきた。
「あっ……! はぁ……」
 一瞬、圧迫感と苦痛に息が詰まる。快感が見える手前の苦しさ。俺は目の前の打刀にしがみついた。肩に歯を立てながら、好き勝手に腰を使われて揺さぶられる苦しさに耐える。しかし、行為を拒絶しようとは思わなかった。俺が魂を削って、俺が顕現した、俺だけの刀たち。彼らは俺を裏切ることはない。愛しいと思いこそすれ、嫌悪なんか感じるはずもなかった。
 後ろから貫かれて、感じるのは痛みだけではなくなりはじめていた。ごつごつと奥の奥を突かれて、閉じた目蓋の裏に火花が散るほどの快感が生じる。
「や……あ、あ、あ……!」
 俺は女のように喘いだ。ここには、だからといって笑う者はない。思うさまに嬌声を上げながら、自らも腰を揺らす。短刀が勃ちあがった俺の性器に舌を絡めて、ふたたび刺激しだした。前と後ろを同時に攻められて、限界が近づく。
「やだ……。も、イくから……あああ……!」
 俺は身を強ばらせて、絶頂に達した。収縮した体内に絞られるように、太刀も達する。腹の中にぶちまけられたドロリと熱いものが、ジリジリと内蔵を灼いていくかのようだ。精液と共に太刀から受け取った穢れが、俺の中にしみこんでいくのを感じる。俺はその熱さをうっとりと感じていた。
 こうして化け物と交合を続ければ、いずれ、内蔵がただれて腐るのだと言われている。だが、俺たち歴史修正主義者は誰もそんなことを気にしない。化け物との交合ではらわたが腐るまで、生きていられる可能性が低いからだ。大半は、そこに至るまでに狂って自らも化け物となるか、あるいは死ぬ。
 それでもいいと思うほどの憎悪や後悔がなければ、そもそも歴史修正主義者にはならないだろう。
 太刀が俺から離れると、打刀が俺を横たえた。脱力した両足を押しひらいて、昴りを俺に挿入してくる。化け物たちに貪られながら、俺は我を忘れて快感に身を任せた。



2.

 翌日。いつもの荒れ果てた戦場に俺は立っていた。ここは戦国時代、無数に存在したはずの合戦場。はるか遠くで兵士たちが戦う声や物音が聞こえてくる。
 今回の俺の役目は、その合戦に参加しているある兵士を殺害することだった。その兵士は合戦を生き延びて、未来に子孫を残すことになっている。その彼を殺して、未来を変えるのだ。
 合戦場に向かおうとした、そのときだった。俺はかすかにある気配を感じて、立ち止まった。どこぞの審神者が差し向けた刀剣男士たちの部隊だろう。俺は穢れにまみれているから、清浄な彼らの気配はすぐに分かった。迷いなく近づいてくる様子からして、彼らは俺たちを捕捉しているようだ。刀剣男士たちを振り切って、歴史改変を果たすことは難しそうだった。
 俺は方針を変えて、穢れた刀たちに刀剣男士を襲撃するよう命じた。相手の練度は不明だが、不意を突いた方がこちらに有利に持ち込めるだろう。荒野の茂みの中に身を潜めて待つこと、四半刻。予想に反して、いつまで経っても刀剣男士の部隊は現れない。
 ――俺の読み間違いか?
 そう思ったときだった。ガザッと間近で茂みが揺れた。
「僕の刃を受け止めてよ……!」
 そんな言葉とともに、青い髪をした小柄な少年が飛び出してくる。その容姿には見覚えがあった。小夜左文字だ。審神者であった頃、俺が壊した刀のうちのひと振。脳裏に、穢れた刀たちの刃を受けて、青い髪を血に染めた彼の苦痛の表情を思い出す。
 その一瞬のフラッシュバックを切りさくようにして、小夜が俺の刀たちの間を駆け抜けた。すり抜け様、穢れた刀一体に斬りつけるのも忘れない。俺はびっくりした。その動揺が、穢れた刀たちに伝わってしまう。
 穢れた刀たちは、にわかに隊列を乱しはじめた。
 そこへ。
「突きだ……!」
「でりゃあ……!」
 骨喰と薬研が飛び出してきた。二人で列から外れた刀を斬りすてていく。
 まずい。このままでは、こちらが戦力不足におちいってしまう。俺は茂みの中で、親指にカリリと歯を立てた。流れる血を地面に垂らす。呪をとなえて、なおも穢れた刀を呼ぼうとした。
 途端、ズキンと頭痛がやってくる。その痛みに気を取られて、一瞬、集中が切れた。その間にも、俺の顕現した穢れた刀たちが次々に破壊されていく。俺は怒りを覚えながらもどうすることもできない。近づいてくる薬研や小夜から逃れるため、転がるようにして茂みから出た。
 と。
「もう逃げられないぞ」
 鼻先に突きつけられた白銀の切っ先。俺は息を呑んで動きを止めた。相手は「そう、それでいい」と言葉を掛けてくる。
 俺はゆっくりと視線を切っ先から上へ移動させた。間もなく、金の瞳と視線がぶつかる。緑を基調とした戦装束に緑の髪、落ち着いた面差し。
「――うぐいす……まる……」俺は思わず呟いた。
「俺を知ってるのか」
 金の目をわずかに見開いて、少し意外そうに鶯丸が言う。知ってるなんてものじゃない。
〈鶯丸〉という刀は、審神者であった時代の俺の最初の刀だった。普通、新任の審神者には打刀五振の中からひと振、初期刀が与えられる。しかし、俺は通常の手順で審神者になったわけではなかった。だから、最初に手にしたのが鶯丸だったのだ。もっとも、その〈鶯丸〉も俺が破壊に追いやったため、もはや現世には存在していないのだが。
 俺は目の前の鶯丸をじっと見つめた。目が離せない。〈鶯丸〉という刀剣との因縁以上に、目の前にいる『この』鶯丸に何か特別なものを感じていた。懐かしいような、どこかで見たことがあるような、ひどく惹かれるような。しかし、次の瞬間には、ふたたび頭痛の波に襲われた。
「く……う、ぅ……!」
 俺は頭を抱えて、身をくの字に折り曲げる。身体を支えていることができず、地面に倒れ込んで七転八倒した。
「……魂の穢れが肉体を蝕みはじめているのか……。どうして、生命を大事にしない……?」鶯丸の呟きが聞こえる。
 そんなの決まってる。生命なんてどうでもいいからだ。そう思ったけれど、口から出るのは呻き声ばかり。とても反論している余裕はない。
 苦痛の中で、俺は刀剣男士の部隊がいつしか俺を取り囲んでいるのに気づいた。けれど、立ち上がって逃げることはできそうもない。
「このひと、どうするの……? 殺す?」小夜が口を開いた。
「おいおい、そりゃマズいんじゃねぇのか? こいつは穢れた刀の化け物じゃなくて、いちおう人間なんぜ?」和泉守が反対した。
「ならば、どうするつもりだ……?」骨喰が言う。

「――捕虜として、連れてかえろうと思う」

 鶯丸の声が響いた。隊員たちはハッと息を呑んで鶯丸へ目を向けたようだった。彼らの視線を受けて、鶯丸は続ける。
「この男は敵だが、人間だ。俺たち刀剣男士が戦うべき相手は、穢れた刀の化け物だけだ。人間のことは人間が決めなくてはならない」
 刀剣たちは鶯丸の言葉に納得したようだった。「隊長が言うなら」などと口々に言う。間もなく、鶯丸が俺の前にひざまずいた。俺を横抱きに抱き上げて、立ち上がる。もうろうとしたまま、俺は鶯丸に抱かれて三年ぶりに転移ゲートをくぐった。



3.

〈白銀〉本丸の鶯丸は、審神者に好かれていない。
 練度上げこそ十分にしてもらって、今では九十九の上限に達している。とはいえ、彼が鶯丸に対してしてくれるのは、審神者として最低限のことだけだ。審神者〈白銀〉が自分から鶯丸に話しかけてくることは、ほとんどない。彼は鶯丸のそばに近づかないようにしている節があった。今回の出陣のように、部隊長を務めた鶯丸が出陣報告をするときも、常に傍らに近侍の山姥切国広を置いている。
 もちろん、鶯丸は自分が審神者に好かれていないことに気づいていた。けれど、さして気に留めていない。まぁ、そういうこともあるさ、くらいのものだ。そもそも、審神者は自分たち刀剣よりもよほど年若い幼子である。怒ったり憤慨したりする気にもなれない。むしろ、審神者に何か用事を言いつけられる可能性が少ないので、出陣や遠征、内番のとき以外は好きにできてありがたかった。
 しかし、ここへ来て鶯丸は主〈白銀〉のことをよく知らないのを、少し悔やんだ。というのも、戦場で歴史修正主義者を捕虜にしたと報告した後の反応が、どうも妙だったのだ。
 鶯丸は当初、主はすぐに政府に捕虜を引き渡すだろうと予想していた。ところが、主は捕虜の特徴を聞いた後、「その捕虜の様子を見たい」と言い出した。捕虜は蔵に閉じこめてある。鶯丸は先に立って、主を案内した。
 主は山姥切と共に蔵にやって来た。色の白い容貌から血の気が引いて、〈白銀〉の顔は青白く引きつってみえた。近侍で恋仲の山姥切に腕を絡めて歩くのが、仲睦まじいというより、恋人を己が支えにしているように見えた。
 やがて、蔵の戸口で捕虜と対面した〈白銀〉はハッと息を呑んだ。呆然として、目の前の捕虜を見つめている。縛られて、蔵の床に座り込んだ捕虜は逆に、主を見て謎の笑みを浮かべた。
「……お久しぶりですね、〈白銀〉師匠」
「――〈柚葉〉……。生きていたのか」
「えぇ」
「っつ……! 〈柚葉〉、お前の本丸が襲撃で壊滅したと聞いて、僕がどんな気持ちでいたか分かってるのか!?」
 不意に主は逆上した。身を乗り出し、捕虜につかみかからんばかりの勢いで叫ぶ。蔵の中に主の声が反響するのを、鶯丸は呆然と聞いていた。しかも、主は叫ぶだけでは収まらないようだった。とうとう、主は捕虜に殴りっかろうとした。山姥切が後ろから主を抱きしめるようにして、制止しようとする。
「離せ、国広! こいつは、僕からぜんぶ奪ったんだ……! 刀剣男士をぜんぶ奪って、それなのに、あいつらをぜんぶ折っただなんて……!」
「やめろ、主! 主が強い憎悪を抱けば、闇に引きずりこまれる可能性が高まる。そんなのは相手の思うつぼだろう!?」
「それでもいい! 闇が近づいてこようがどうでもいい! 僕から奪ったものを簡単に捨てたこいつに、復讐してやれるなら僕は……!」
 そのときだった。クククと微かな声が聞こえる。鶯丸と山姥切、それに〈白銀〉はハッとして黙った。三人とも、床に座り込んでいる捕虜――〈柚葉〉に目を向ける。こんな状況で、彼は肩を震わせて笑っているのだった。
「……何がおかしい?」鶯丸は尋ねた。
「ははは、そりゃあ、おかしいさ。〈白銀〉師匠、俺は確かにあんたの刀剣男士を奪った。あいつらを折ったのが許せないだって? むしろ、感謝すべきだね。主君を裏切るような刀剣男士を、俺が引き受けてやったんだから」
「〈柚葉〉……!!」
 今度こそ、主は山姥切の腕から抜け出そうともがいた。〈柚葉〉を射る眼差しの烈しさから、自由になれば彼を殴り殺しさえしそうだ。鶯丸は山姥切と共に主を取り押さえた。山姥切は素晴らしい刀だが、腕力に関していえばどうしても打刀より太刀の方が勝っている。二人で主を押さえて、蔵の外に出た。
 蔵の外でも、主はまだ興奮したままだった。
「主、あの捕虜を早く政府に引き渡してしまおう」
 そう提案した山姥切に、主は激しく首を横に振った。
「嫌だ、あいつを政府には渡さない」
「どうするつもりだ? 逃がすのか?」
「逃がすわけないだろう!?」山姥切にそう答えた主は、キッと鶯丸に目を向けた。「鶯丸、〈柚葉〉の魂と肉体は穢れに蝕まれて、崩壊寸前だと言ったな?」
「ああ、……確かに言った」鶯丸は主の勢いに気圧されながらも頷く。
「――それは好都合だ。〈柚葉〉はこの本丸に監禁しておく。楽には死なせてやらない。現世の裁きも、あいつには与えてやらない。この本丸の蔵の中で、魂と肉体が崩壊していく様子を見て笑ってやるんだ」
 低く、地を這うような声音だった。「主!」と山姥切が声を上げるのも聞かず、〈白銀〉は踵を返して駆け去っていく。山姥切はしばらくその背中を見守っていたが、ハァとため息を吐いた。
「……こんなことでは、主の魂が穢れてしまう。主が過去の恨みを忘れてくれればいいんだが……」
「そう思い悩むな、近侍どの」鶯丸は山姥切の肩を叩いた。「強い感情は人の子に与えられた恩恵だ。憎悪が人を傷つけもするが、愛情が人を護りもする。主も普段は立派な審神者だし、この上なくお前を愛しているだろう?」
 それを聞いて、山姥切は頬に血をのぼらせた。赤くなった顔を布で隠すように、視線を伏せる。
「……と、とにかくだ。この状態では主が心配だ」
「ああ、それには同意する。それにしても、主と〈柚葉〉とやらは知己のようだが、どういう知り合いなんだ? 近侍どのは何か聞いているか?」
 鶯丸の問いに、山姥切は一瞬、押しだまったようだった。何か知っているようだが、話しはしないかもしれない。鶯丸がそう諦めかけたときだ。ポツリと山姥切は呟いた。
 ――主はかつて、本丸を乗っ取られたことがあるそうだ。


 その日から、捕虜の世話は鶯丸の役目となった。主が命じたわけではない。鶯丸が自ら望んだのだ。主に希望を伝えたとき、そばにいた山姥切は心配そうな顔をした。
「本当にいいのか?」
 と、部屋を出た鶯丸を追ってきて尋ねた。
「ああ、いいぞ」と鶯丸は答える。「俺が拾ってきた捕虜だ。俺が世話をするのは何もおかしくない」
「俺はあんたが主に気を遣ってるんじゃないかと……」
「主が俺を好いていないから、か?」
 そう言うと、山姥切ははっとして気まずそうな表情になった。
「それは……」
「本当のことだ。そして、俺は気にしていない。これだけ刀剣男士の数が多いんだ。審神者にだって、気性の合う、合わないはあるだろうさ」
 鶯丸は笑った。性格や存在してきた年数の差もあるのだろうが、目の前の打刀には己の心境は分からないのかもしれない、と思う。
 刀剣男士は審神者がいなくては人型に顕現できないが、逆に顕現されればもう、独自の思考と意思を持つ存在だ。霊力供給さえされていれば、刀剣男士の精神は審神者に関係なく在ることができる。審神者を絶対の心の拠り所とする必要はないのだ。それでも、刀剣は人間に振るわれてこその存在であるから、主君たる審神者を慕う傾向が強い。
 ただ、鶯丸に関していえば、審神者を主君と認識しているが、だからといって彼に依存してはいなかった。
 捕虜を世話したいと考えたのも、純粋に興味があるからだ。なぜ主の刀剣を奪ったのか。なぜ奪った刀を折ったのか。なぜ歴史修正主義者になったのか。そういう意味では、鶯丸の興味は人間の子どもが虫かごに捕らえた虫を観察するときのそれに近いと言える。別に山姥切が心配するような精神的な鬱屈やら何やらが理由ではなかった。
 この日も早速、朝餉を終えた鶯丸は捕虜の朝食を持って蔵へ向かった。蔵の中はひんやりとして、少し空気が湿っている。中へ入ると、捕虜は蔵の壁の隅で眠っていた。
 鶯丸が近づいていくと、彼はそっと目を開けた。それから、億劫そうにまた目蓋を降ろしてしまう。
「朝だが」と鶯丸は声を掛けた。
「――放っておいてくれ……。うぅ……頭がいたい……」捕虜は呻いた。
「頭が痛い? ならば、薬をもらってこよう」
「……ばぁか。〈白銀〉が俺のために薬を渡すわけないだろ……? それに、この頭痛はいつものだから、いいんだ……」
「いつもの頭痛? いつも頭が痛いのか?」
「副作用さ……。あんたも分かってるはずだ。俺が取り込んだ穢れが、俺を蝕みはじめてる。……頭痛はもう、三ヶ月になる」
「分かっていて、それでも穢れを取り込み続けたのか?」
「……俺は力を得るために、穢れた刀たちと交わった。俺たちは一度そうしたら、もう止めることができないんだ……。生命が断たれるまで、あるいは身体が腐るまで、穢れを取り込むしかない」
 身体が腐るまでに死ねるだろうと思ってたけど、俺は意外に生き延びたみたいだ。そう言って、捕虜は目を閉じたまま微かに笑った。
 鶯丸は、何気なく彼に手を伸ばした。掌を額にあてがう。少し発熱しているだろうか。高めの体温が伝わってきた。これが生きた人間の体温。生命の温度。鶯丸は自分が顕現して初めて、人の肌に触れたことに気づいた。かつて、柄を握られて振るわれていたときとは、また異なる不思議な感覚だった。
 捕虜は薄く目を開いて、鶯丸を見つめた。
「やめとけよ。……政府に引き渡す前に捕虜に構ったと知れたら、〈白銀〉は怒るだろう。あいつは、俺が嫌いだからな」
「俺も主には好かれていないらしい」
 鶯丸は言った。捕虜はじっと鶯丸を見つめてから、やがて「……そうか」と微かに頷く。
「それに、お前は政府に引き渡されない」
「え?」
「主はお前をこの本丸の蔵に閉じこめておくつもりだ」
「〈白銀〉が……? あの優等生の〈白銀〉が……?」
 不意に捕虜は鶯丸の手を払いのけて、起きあがった。クスクスと笑い出したその声が、次第に大きくなっていく。とうとう彼は腹を抱えて、身を折り曲げて笑いだした。
「あはははは! あいつ、俺を飼い殺すって!? 傑作だな! あははははは……!」
 ひとしきり笑い転げた捕虜は、やがて笑いを収めた。「もう行けよ。いくら主に好かれてないからって、俺の世話係なんかにさせられちゃ、かわいそうだ。俺は朝は食べないんだ。持って帰ってくれ」
「だめだ。俺は俺の意思でお前を世話すると申し出た。お前の状態に注意する必要がある。……食事も、餓死されるわけにはいかない。食べてもらうぞ」
 鶯丸は脇に置いた朝食の盆から箸を取った。野菜の煮物を箸でつまんで、捕虜へ差し出す。彼はフィと横を向いた。
「食べない」
「そうか。だが、構わん。俺は出陣や遠征、内番のとき以外は暇を持て余しているからな。お前が食べるまでここにいるぞ」
「暇かよ」
「暇だと言っている」
 捕虜はしばらくの間、鶯丸と箸を交互ににらんでいた。が、やがて諦めたようにため息を吐く。
「……頭、痛いから……。味のするのは食べられない。――……ご飯だけなら……」
 そこで、鶯丸は捕虜に茶碗と箸を渡してやった。捕虜はもそもそと茶碗の飯を食べきって、鶯丸に返す。今度は茶を渡してやりながら、鶯丸はこうして落ち着いて誰かと二人でいるのは珍しいことだと気づいた。その相手が捕虜だというのが、また数奇な話ではあったが。
 蔵を出るとき、鶯丸は捕虜を振り返った。薄暗い蔵の中にポツンと取り残される彼を見て、思わず言葉が口から滑り出る。
「――何か主に伝えてほしいことはあるか?」
「いや……」首を横に振りかけた捕虜は、そこでふと思いついたように動きを止めた。急に瞳を爛々と輝かせて、言葉を発する。「……やっぱり、こう伝えてくれ。『俺がお前の中に痕跡を残せたことを、嬉しく思う』と」
「それはどういう意味だ?」
「言葉どおりさ。俺はあの優等生の〈白銀〉から刀剣を奪った。その出来事はあいつの心を歪めた……おそらく、永久に。そのことが嬉しいんだ」
 あまりに壮絶な言葉に、鶯丸は息を呑む。主と捕虜の間に、いったいなにがあったのか――。それを知りたいと思った。







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