同じ夜を分かつ4
1.審神者 本丸の運営は驚くほどに順調だ。 元ブラック本丸を受け継いだにしては、刀剣たちは素直すぎるほどに僕を受け入れてくれた。後で聞いた話では、薬研が何か言ったらしい。何を話したのかと薬研――には何だか聞けなくて、三日月に尋ねてみた。すると、彼は「それを俺に聞くのか」と苦笑して、はぐらかしてしまった。刀剣同士の秘密の話らしい。 うちの本丸の前任は刀剣酷使系プラス暴力なブラック審神者だったようで、残った刀剣も練度がそこそこに高かった。さすがに練度上限までは至っていないが。 皆、手入れと休息さえ充分に与えられるならば、すぐに出陣してもいいと言う。そこで、僕は薬研と青江、他に四振の太刀で第一部隊を編成して、戦国時代の椿寺に送った。皆の練度ならば攻略の容易な戦場である。分かってはいたが、様子見のためだ。 結果は良好。 間もなく、僕らは歴史修正主義者との戦線の一端に加わった。あまりにスムーズに事が運んだので、政府は僕が以前のように“華々しい”戦績を上げることを期待していたらしい。幾度となくもっと多く鍛刀して、積極的に戦力を増強してはどうかとせっつかれた。必要ならば鍛刀師――つまり、“六条の君”を派遣する、とも。 しかし、僕はのらりくらりと理由を付けて、それを断った。 戦をしているのだから、のんびりしていられないのは承知している。けれども、一度は本丸の刀剣を皆、失っている以上、同じ過ちを二度と犯すわけにはいかなかった。本丸を適切に運営することで、刀剣たちを守りたかった。充分に目を掛けて、彼らの望む通りに振るってやりたかった。それには、この手に余るほどの刀剣を降ろすわけにはいかない。 前の本丸を去って以降、霊力の変質があったようで、幸いにも僕は鍛刀運がゼロになっていた。ノルマ分の鍛刀をしても、出来上がるのは神を宿す器を持たぬただの刀剣ばかり。代わりに戦場でのドロップが前よりかなり多い。ただ、ドロップした刀剣は顕現させることなく、政府に送っていた。 しかし、そこまでしても、刀剣はジリジリと増えていった。引き継ぎ要請があったからだ。 時折、ブラック本丸や襲撃を受けて壊滅状態の本丸の、生き残りの刀剣を引き継ぎしてほしいと要請が来る。この要請だけは、決して断ることはなかった。鍛刀では神降ろしをできず、ドロップは政府に渡し――通常の刀剣を増やす方法をすべて封じているのに、それでも僕の元へ来る刀剣。それは必然ではないかと思うから。 そうやってマイペースに進軍しながら、気が付けば四年が過ぎていた。そんなある日の夜こと。うちの本丸に警告音が鳴り響いた。門が外部から開かれようとしているというのだ。部隊が出陣するとき以外はほとんど開かない正門である。例外は政府のゲート経由か、別の本丸からの来訪者だ。ただし、そうした場合は最初に相手からのコンタクトがあってこちらが開門操作をするから、警告音が響く事態にはなりえない。 残る可能性は不法侵入――歴史修正主義者の襲撃か。 僕は布団から脱け出した。たまたま一緒に寝ていた薬研は、すでに自らの本体を手にしている。僕も部屋にあった守り刀を手に取った。刀剣男士の宿らない無銘の短刀である。 審神者に復帰してからというもの、僕は刀剣たちに頼んで戦い方を学んでいた。最善の采配をするためには、実際の戦いがどんな風か知っておかねばならないからだ。毎回ではないが、出陣について行くこともある。『武家の記憶』あたりならば余裕だし、『池田屋の記憶』にも幾度か同行したことがあった。いざとなれば、戦うことはできる。ただ、何かが妙だった。 本丸は、基本的に審神者の霊力で満たされている。人間の平均的な霊力量であっても、本丸という場はそれを増幅してくれるような構造なのだ。ゆえに、審神者が正しく本丸を運営していれば、そこで起こる出来事はある程度、肌で感じとれるものだ。今回の警告音は敵襲の前触れのようだが、そのわりには瘴気は微量にしか感じられなかった。 「大将、敵襲かもしれん。あんたはここに」 薬研が言うのに、僕は首を振った。 「いや……。何か妙だ。外へ出てこの目で状況を見たい」 「分かった。が、気をつけてくれよ」 僕は薬研と共に真夜中の庭へ降りた。庭を突っ切って、正門へと駆ける。そこには早くも青江や宗三、小夜などが駆けつけていた。夜戦を苦手とする太刀以上はまだのようだ。しかし、彼らが合流しないままにギギギと音を立てて、僕らの目の前で扉が開いていく。 開いた扉の合間から、ヌッとひとつの黒いシルエットが飛び込んできた。闇の中に歴史修正主義者側の打刀特有姿が浮かび上がる。と、同時にツンと血の臭いが鼻についた。 『――キィィィィ』 敵の打刀が金属が軋むように咆哮する。まるで悲嘆に暮れるみたいな声音。ソイツの腕の中に、血塗れの人間の姿が見えた。 ――救ッテ。ダレカ……。 咆哮の中に微かな声が重なる。 「――大将、下がれ」 僕の前に立った薬研が、本体を構える。青江や宗三、小夜たちも、今にも斬りかかりそうだ。 「待って、皆」 「敵に情けは無用だよ」青江が言う。 「違う、敵じゃない」 「あなたは何を言っているのです?これが敵でなければ、いったい何だと――」 宗三の言葉を遮って、僕は霊力を込めた柏手を打った。パァンと鋭い音をひとつ。と、敵の打刀を包んでいた瘴気が吹き飛んで、へし切長谷部の姿が表れた。ボロボロで重傷の一歩手前くらいだが、闇落ちしてはいないらしい。 瘴気のもやが消えると同時に、長谷部が抱いている人物の姿もはっきり見えるようになった。血にまみれ、ひどい有り様だが、僕はその人に見覚えがあった。というか、面識があるなんてものじゃない。僕が前に審神者だった頃の担当さんだ。 「大丈夫ですか……!? 長谷部さま、ともかくその方を母屋へ――」 僕は駆け寄って言った。が、長谷部は凍りついたように動かない。その目は担当さんを凝視している。「長谷部さま」僕はもう一度、名を呼んだ。と、傍らに来た薬研が僕の肩を掴む。 「無駄だ、大将」 「そんなこと分からないだろ」 「分かるんだよ。――担当どのは、魂と肉体の繋がりが切れてる。担当どのは、もう保たない……」 と、薬研の声に混じるように微かな声が聞こえてきた。 「――ごめ……。はせべ……いき、て……」 「主!」 主、と長谷部が狂ったように叫ぶ。その腕の中で、担当さんはもはや動かなかった。事切れたことは、誰の目にも明らかだった。 やがて、他の刀剣たちも集まりだした。長谷部はずっと担当さんを抱いたまま、動かなかった。弔いをしなければ、と僕が説得しても聞かない。ついには薬研が粉状の眠り薬を吹き掛けて眠らせた。長谷部が倒れると、同田貫が来て担当さんの遺体を抱き上げて運んでくれた。神にとっては、死は穢れにあたるのに申し訳ない。そう謝ると、同田貫は言った。 「事情は分からねぇが、こいつは戦って死んだんだろ。もののふが己の意思を貫いて死んだなら、それは誉だ。この本丸の刀剣、一振たりとも、こいつの死を穢れとは思っちゃいねぇよ」 母屋の一室に、担当さんの遺体を安置するときのことである。同田貫に言われて振り返れば、本丸の刀剣がすべて座敷に集まり、神妙な顔をしていた。 僕はこんのすけに頼んで、政府に担当さんの死を連絡してもらった。それから、政府の役人を待つ間にまだ時間があったので、薬研が担当さんの遺体を清めてくれた。僕も手伝う気でいたけれど、それは薬研に断られた。担当さんの身に呪術でも施されていたら、人間である僕はひとたまりもないからだという。眠り薬から目覚めた長谷部は部屋の片隅で、呆然としていた。 「いったい、君とあの人間に何があったんだ?」 そう尋ねたのは、今にも自刃しそうな長谷部を見張っていた鶴丸だった。 「……」 「言いたくないなら、言わなくてもいいがな。ここへ飛び込んできたときの様子からして、君たちは何かから逃れてきたのだろう?」 長谷部は静かに語りだした。七年前――僕が担当さんは異動したと聞かされたときから、彼と長谷部は歴史修正主義者の側に潜入していたのだという。 そもそも、政府側は歴史修正主義者に遅れを取りがちだった。 歴史修正主義者は、その名の通り歴史の改変を望む人々の集団。政府のように明確なトップがあるわけでもないし、決まった組織の形式もない。過去で刀剣に穢れを付けて強制的に荒御霊にする――つまり、審神者と刀剣男士たちと戦う敵をつくる――ノウハウを持つ集団は、もちろんあるのだろう。だが、それが歴史修正主義者の本体だとも言い切れない。非常につかみ所のない組織だった。おまけに、刀剣を穢れによって荒御霊化する方法ならば、審神者のように付喪神を降ろす力は必要ない。己を供物として生命を削る覚悟さえすれば、刀剣の荒御霊を喚ぶことはたやすいのだ。つまり、一般人は審神者にはなれなくとも、歴史修正主義者になることは簡単にできる。政府の中にさえ、内通者がいるという噂もあるくらいだ。こんな状態では、確かに政府が歴史修正主義者に対して先手を打つことは難しいだろう。 現に、今までにも二度、政府は歴史修正主義者が大規模な攻勢に出ることを許してしまっている。本丸襲撃事件のことだ。一度目は五十年ほど前、二度目は三十年ほど前だという。一度目――第一次本丸襲撃事件では、政府と審神者は完全に後手にまわってしまい、多くの主要な審神者の本丸が破壊された。第二次の頃には第一次の教訓を生かして早めに対策が取られたため、被害は第一次本丸襲撃事件よりもかなり少なかった。だが、それでも審神者が死んで、本丸が幾つか失われたことは事実だ。 この状況を打開するために、政府は密かにある決定をした。――すなわち、政府内に内通者がいるというのなら、こちらも歴史修正主義者側にスパイを送り込めばよい、と。 「主は……恋仲であった女性を、歴史改変によって喪ったそうです。喪ったというより、その女性の存在か消えてしまったと言うべきか……」 「歴史改変――しかし、そうであれば担当どのとて、恋人の存在が記憶から失われてしまうのではないか?」 じっと話に聞き入っていた三日月が尋ねる。いえ、と長谷部は首を横に振った。 「主には、ごくわずかながら審神者としての資質がありました。数多の刀剣男士を顕現して従えられるほど強くはありませんが……。それでも、私ひとりを顕現させつづけることは十分に可能な力が。それゆえ、恋人の存在が消滅しても記憶が消えることはなかった」 「――それじゃ、担当さんは敵方に潜入するつもりであなたの主に……?」 僕は尋ねた。声が思わず震えてしまう。 聞かされた話どおりならば、担当さんは七年前に僕が審神者を辞めるときから長谷部を連れていた。つまり、あのときには既に敵方に潜入する覚悟で準備を進めていたことになる。僕が戦いから逃げようとしていた、あのときに。 果たして、長谷部は頷いた。 「私は……普通の審神者が初めて顕現する五振の初期刀には入っておりません。ただ、主の場合は特別でした。お役目がお役目ということで、彼の力で顕現可能な刀剣――つまり、すべての短刀・脇差・打刀の中から一振、選ぶことが許されたそうです」 担当さんはその中から長谷部を選び、顕現させたそうだ。そうして、長谷部を降ろした直後に言ったという。自分は刀剣男士の姿や性格は、仕事を通じて知っているけれど、初期刀を選ぶときには刀剣男士の人となりで選んだわけではない、と。 ――私はただ、共に死地に赴いてくれる者はいないかと念じながら、刀を見てまわった。そうしたら、長谷部に呼ばれた気がしたんだ。 もし嫌なら刀に戻って眠ってもいい、と言われて、長谷部は首を横に振ったという。 「主の言葉を聞いた瞬間に、私は思いました。主の刀になれるのはたった一振――ならば、その一振は私でなくては嫌だ、と。以来、私はずっと主のお傍にお仕えてして参りました。先日……歴史修正主義者共が、主の正体に気づくまで」 話はいよいよ核心に入ったようだった。 スパイとして敵方に侵入した担当さんと長谷部は、歴史修正主義者のふりをしながら、政府に情報を流し続けてきた。幾度となく敵があちこちの本丸を襲って来たこともあったが、さほど被害が出なかったのも担当さんの事前情報のおかげらしい。しかし、そうするうちに担当さんの正体がバレてしまった。彼は長谷部から引き離され、拷問を受けたらしい。 「……私が何とか主を助けに行ったとき……主はひどい有様でした。血塗れで……魂も肉体から剥がれかかっていた。そんな状態で、あの方は私を見て笑ったのです」 ――長谷部。私は敵に何も吐かなかった。あいつらは私から恋人を奪ったが、今度は何も持っていけなかった。私の意地も誇りも……それに、私の愛刀お前も。 ――ざまぁみろ、歴史修正主義者どもめ。これが私の復讐だ。 長谷部は担当さんを助けだし、緊急用の転移装置を使ったのだという。しかし、政府へのコードは分からず、覚えのある霊力を辿って転移先を設定した。それが僕の本丸だったらしい。 やがて、薬研が担当さんの遺体を清め終わる頃に、政府から職員が派遣されてきた。彼らは担当さんの遺体を見るなり、僕らに厳しい視線を向けてきた。検死も行っていないのに、遺体の状態を変えてしまうなんて、と言いたいのだろう。と、不意に薬研が僕の前に立った。政府の職員に向かって、口を開く。 「刺し傷十二ヶ所、頭部と腹部に打撲痕、それから――」 淀みなく、薬研は検死の結果を告げていく。明らかになるのは、胸が悪くなるような拷問の痕跡。政府の職員はどんどん顔色が青くなる。が、長谷部やうちの刀剣たちは静かに、薬研の言葉を一言も漏らすまいというように、耳を傾けていた。僕もまた、喉元にこみ上げる吐き気を堪えて、薬研の所見に聞き入る。 興味でも怖いもの見たさでもない。聞くべきだと思った。僕ら審神者を守って逝った人の死に様から、目を逸らすべきではないと思った。 やがて、言葉を切った薬研が「以上が」と呟く。 「……以上が検死の所見だ。勝手に遺体を清めたことは謝罪する。だがな、お役人、味方のために戦って死んだお人の遺体をそのままにしておくなんてぇのは、もののふのすることじゃねぇんだ」 政府職員たちは押し黙った。そこから、彼らは黙々と必要な作業を済ませて、担当さんの遺体と長谷部と共に現代へ戻っていった。 その数日後。僕は担当さんの葬儀への参列を許されて、現世へ戻った。護身刀は薬研。ただし、本体を常に身に帯びて、顕現することは許されない。さらに僕は葬儀に出ることを希望した担当さんの長谷部の本体を、携帯していくことになった。 葬儀の会場は政府の関連施設の一角だった。担当さんが政府の所属だったためか、政府職員が多い。あとは審神者と思しき霊力の持ち主が数名。担当さんの家族らしき人々はいなかった。会場で参列者の会話を立ち聞きしたところによると、担当さんは現世の家族と絶縁してから、敵地へ赴いたらしい。担当さんは政府の高官の息子だったようで、彼の選択を知ったご両親は激怒。二度と息子とは認めないと言ったのだとか。 それにもう一つ、分かったことがあった。担当さんは自分が敵地に潜入することを取引条件として、僕の審神者辞任を掛け合ってくれたらしい。政府職員たちの噂話によると、“歴史修正主義者との戦いの旗手”――つまり、僕の辞任はそうでもしなければ認められなかっただろう、ということだった。 《――そうなのですか?》 僕は胸に抱いた長谷部に尋ねた。僕ら審神者には、モノに生命を吹き込む力がある。ましてや長谷部ほどの力ある付喪神ならば、顕現しない状態でも会話することは難しくない。 《……事実です》長谷部は答えた。《ただし、主はあなたをお救いするために死地に赴いたわけではありません。もともと、主の目的は復讐でした。ただ……その目的に条件をつければ、あのときのあなたを救うことができたから、主はそうしたのです。どうかお気に病まれることなきよう》 《分かりました。ありがとう》 そのときだった。ポンと僕の肩に手を置いた人があった。和装ではない黒のスーツ姿は何だか違和感があって、一瞬、誰だか分からなかったが。彼の中に揺らめく炎の明るさと、それを覆う加護が見えて思い至る。“六条の君”だった。彼の近侍の鶴丸国永も、刀姿で帯同している。 「“六条の君”……」 「君も来たのか」 「はい。……担当さんが歴史修正主義者から逃れて転移してきたのが、偶然、うちの本丸だったんです。ですから、うちの本丸であの人の最期を看取りました」 「そうか……。辛かったな」 “六条の君”は子どもにするように、僕の頭を撫でた。そこへ別の審神者がやって来る。二十代半ばに見える男審神者だった。色素の薄めの髪に、真面目にしていてもわずかに笑みの気配の残るように見える顔立ち。まるで薄く鋭い金属片が風の中で踊るかのような、キラキラした霊力をまとっている。身に帯びているのは三日月宗近の太刀だが、三日月ともう一振、別の誰かの加護が風のように彼を取り巻いているのが感じ取れた。というより、二振の刀剣からの加護が彼の周囲で渦巻いて、見えない・感じ取れない神気の風を生み出しているらしい。 男審神者に対して、“六条の君”は“空蝉”と呼びかけた。彼もまた、号を持つ審神者の一人のようだった。 「――“六条の君”、時間です。そろそろ行かなくては」 「あぁ……そうか。――すまない、君。また今度、ゆっくり話そう」 “六条の君”は男審神者――“空蝉”と共に去っていった。僕もそろそろ帰ろうかと思っていると、政府役人に呼び止められる。五十歳前後のその男は、担当さんの上司だったと名乗った。彼に伴われて、僕は政府施設の一角へ入っていく。人気のない談話室のような場所で、担当さんの上司は話し出した。 「君を呼び止めたのは、他でもない。今回、死んだうちの職員がついていた役目についての話だ」 「敵地への潜入……。それが、どうかなさいましたか?」 「部下の死に様を見て、君も知っているだろうが、敵地への潜入は非常に危険だ。だが……なくてはならない役目でもある。政府側は常に歴史修正主義者の後手にまわっている」 「幾度となく本丸が襲撃されるのも――」 「政府側に歴史修正主義者のスパイがいて、情報が漏れている。本丸襲撃を止められないのは、そのせいだよ。こちらの力を底上げして、敵に対抗するには……どうしても敵方へ潜入する者が必要だ。死んだ彼の穴を埋めなくてはならない。――君がその候補に上がっている」 「僕が?」 僕はびっくりして、政府役人の顔をまじまじと見た。彼の説明によれば、敵地潜入組には何からの形で闇に触れたことがある者を選ぶのだという。たとえば、元ブラック本丸引継の審神者、家族を歴改変のために喪った者など。一度、闇に触れて立ち上がってきた者は、穢れや闇への誘惑に負けにくいからだそうだ。それで言うならば、一度、本丸を失って、復帰してきた僕は条件に当てはまるということになる。 しばらく考えさせてほしい、と返事して僕はその場を後にした。 2.薬研藤四郎 本丸に戻った大将は、普段と変わらぬ様子だった。いつもの調子で皆に「ただいま」と笑いかけ、お土産を渡す。今回は政府施設の近くにある洋菓子店のシュークリームだ。皮がパリッと固めで、中のクリームが上品な甘さなのが皆、気に入っている。 うちはいち兄や大将、それに俺が主に料理をするが、菓子の類を作ることは滅多になかった。忙しいのだ。刀剣がやっと四部隊を作れるほどしかいないので、ノルマをこなしているとけっこう時間がない。菓子類は市販品を通販することになる。もちろん、市販の菓子もそれはそれで大人気なのだが、シュークリームやケーキは別格だった。短刀はもちろん、大人の姿形の太刀や大太刀も喜んで食べている。 俺はにこにこしながら、短刀たちの間でシュークリームを食べる大将を見ていた。大将は、敵地に潜入してほしいという政府役人の話を、どう思っているのだろう。俺が役人の話に抱いた感想は、「うちを巻き込まないでほしい」だった。大将は一度は心を折りながらも、立ち直ってこの場にいるのだ。復帰が元ブラック本丸引き継ぎというのも、正直、ヒヤヒヤしていた。三日月たちが受け入れてくれて、上手くやっていけたが。どうかこのまま、大将の幸せを脅かさないでほしい。ずっとこのままでいたいと願っている。 俺は大将を見た。彼は刀剣たちの間で笑っている。普段と何も変わらぬように。 数日経ったある日。夕食と入浴を済ませた俺は、大将の私室へ向かった。旧本丸、それに現世での習慣から俺たちは同じ部屋で眠ることが多い。もちろん、仕事が立て込んでいるときは別だが、それでも寝室は隣にある。いつも俺が大将のそば近くにいるので、この本丸には不寝番というものがなかった。皆、交代で夜の見回りをするくらいだ。それを、俺は大将のそばにいなければならないということで、免除されている。 部屋をのぞくと、夜着姿の大将は文机の上で端末を開いていた。 「大将、まだ仕事か?」 「いや……。もう終わるから、一緒に寝よう」 「ああ」 俺は部屋に入って、布団の上に腰を下ろした。端末を片付ける大将の背中を、何となく見守る。大将は端末を閉じると、布団へやって来た。俺の正面に正座する。 「薬研、話があるんだ」 「何の話だい?……まぁ、だいたい想像はつくが」 「たぶん、お前なら察してくれると思っていたけれど――先日の敵地への潜入役の話だ」 ――僕は、潜入役を引き受けようと思う。 大将は微笑さえ浮かべながら、そう告げる。予想通り――というより、恐れていた事態だった。俺はカッとなって、思わず大将の腕を掴んだ。 「駄目だ、大将!それだけは認められねぇ!」けれど、俺が怒鳴っても大将は動じない。穏やかな表情で、こちらを見るばかりだ。だが、どうしたって考えを変えてもらわなくてはならない。俺はズルズルとすがるように大将の肩口に額を押し付けた。「どうして大将は、そうやって危険に飛びこもうとするんだよ?この本丸での暮らしが不満か?」 「まさか。幸せすぎるくらいだよ」 「だったら、ずっとこの本丸で審神者をやればいいじゃないか」 「そうだね。それができたら、理想だね。でも――」優しげな大将の声に、不意に強い意思の力が宿る。「僕がここに留まっても、誰かが行かなくちゃならない。戦局を、せめて五歩に持ちこむために」 「他の誰かにできるなら、何も大将がやらなくてもいいだろっ?」 「端末でやり取りして、僕以外の候補者の情報をもらった。それによると……僕が辞退すれば、次の候補は“六条の君”だ」 「え……?」 あの人が敵地に潜入する?俺はびっくりして、目を丸くした。だって、あの人は――。 俺の考えを読んだみたいに、大将は頷いた。 「そう。あの人はすでに鍛刀師としての役目がある。思いのままに鍛刀できるというあの人の力は、味方の戦力バランスのために必要だ。加えて――」 「――加えて」このときばかりは、大将の思考を理解したくなかった。が、してしまうものは仕方ない。俺は大将の言葉の続きを奪って、先を口にした。「“六条の君”はお役目上、さまざまな本丸を行き来する。そのことから、ブラック本丸や寝返り発見にも一役買っている、だろ?」 「そう。号持ちの審神者は、皆それぞれに役目を持っている。対して、僕は審神者以外の役目は負っていない」 僕が適任だと思う、と大将は言った。まるで部隊の面子を割り振りするような調子だ。俺は思わず天を仰いだ。 「そりゃぁ、理屈はそうだがな。大将、その決断はあんたの生命につながってるんだぞ?」 「分かってるよ」 「いや、分かってない。潜入が敵に知られれば、担当どののように殺されるんだぞ。俺は検死したから知ってるが、あれはひどい拷問だった。大将はそんな目に遭ってもいいのか」 「よくないよ。本当は敵地に潜入なんて怖い」 「だったら」 「怖いけど、僕らは戦をしてるんだよ、薬研」大将は言った。強い視線が、真っ直ぐに俺を射る。「歴史改変を阻止するために、僕らは戦っている。僕らの後ろには普通に暮らしてるたくさんの人がいる」 「審神者として、大将は多くの人を守ってるだろ。そればかりか、心に傷を負った刀剣も引き受けてる」 「それでも、僕は潜入のお役目を受けたい。僕のできることをやらなかったら、きっと僕の魂は曇ってしまうだろう。……もう、自分を守るために誰かに犠牲になってもらうのは、たくさんだよ」 泣き笑いの大将の表情に、俺は前の本丸の刀剣たちが彼に残した影響の強さを思いしる。 冷静に、自身さえも駒だというように、審神者の戦力を分析してみせた大将のものの見方――戦国を制した太閤の刀であるいち兄の正統派の戦略。太閤の軍師、黒田官兵衛の元で磨かれた長谷部の戦術思考。長年、為政者の元を転々としてきた三日月や鶴丸の大局観。それに……たぶん、前の俺も多少は信長公の奇策を仕込んでいる。他にも――心ね柔らかな十代半ばから刀剣たちと過ごしてきた大将には、さまざまな刀剣たちの影響が及んでいる。それは戦に対する思考のみならず、ちょっとした嗜好や仕草の場合もあるだろう。 俺も三日月たちに戦の仕方を仕込まれはした。けれど、大将のように人格の形成にまで影響を受けたわけではない。俺は基本的に本神“薬研藤四郎”の型に沿って生みだされた。神の末席であるからには、人のように大きく変化することはない。 対して、大将はいわばあの本丸にいた付喪神たちの申し子だった。多くの異なる刀剣たちの影響を、しかし、矛盾させることなく自然に身に宿した。その上で、すべてを抱いたまま変化していく。 俺は、あの本丸の仲間たちが、大将を愛した理由を、やっと理解した気がした。自分たち刀剣は、もはや過ぎ去った時代の存在だ。役目が終われば、ある者は美術品としてしまいこまれる。また、別の者は現世に残る寄代なく、闇に還る運命だ。もはや昔のように、所有者と共に未来を切り開くことはない。けれど、人である大将は違う。刀剣たちからの影響を――魂の欠片ともいうべきそれを抱いたまま、未来へと進んでいく。刀剣たちは、だから、大将に希望を抱いたのだろう。 大将は、そのことを頭では理解していないだろう。けれども、おそらく、大将は無意識に刀剣たちの理想の振るい手として在ろうとしている。刀剣たちが主に忠誠を捧げるのと同じひたむきさで。たぶん、大将は前の本丸の刀剣たちのものなのだ。彼らは主を優先して刀解されることで、意図的ではなかったにせよ、大将をそういう風にした。 あぁ、でも、それじゃあ悔しいじゃないか。ずっと大将と一緒にいたのは俺なのに、大将は前の本丸の刀剣たちのものだなんて。たとえ大将の決意を翻させることができないにしても、俺だって顕現してここにいる。大将の隣にいるのだ。心と感情を得たからには、欲も望みも祈りもある。 だから。 「なぁ、大将」俺は囁くような声で呼びかけた。風呂上がりで、手袋をしていない素手で大将の頬に触れる。その指先が震えていたのは、自分があまりに大それたことを言おうとしていると承知していたからだ。それでも、俺は言葉を続けた。「敵地に潜入するというなら、俺も一緒にいく」 「いいの? 僕も薬研についてきてくれるか尋ねようとしていたところだけど……でも、本当に後悔しないか?」 「俺は大将の守り刀だからな。たとえ死地にだってついていくぜ。……だが、今回ばかりは俺にも条件がある」 「条件?」 「あぁ。――大将を俺にくれ。慕ってるんだ、どうしようもなく」 それは俺にしてみれば、大それた要求だった。主の所有物である刀剣が、主自身を要求するのだから。大将はその言葉を、目を丸くして聞いていた。が、やがてふと表情を緩めた。 「薬研が僕をそういう意味で好いてくれてるなんて、びっくりしたよ。……でも、とても嬉しい」 「うれしい……? 俺の言葉の意味が分かってて、言ってんのかい? 大将、付喪神は末席とはいえ神だ。現在、降ろされている刀剣男士は神隠しこそできないが、交合えば確実に人の理から外れる。その覚悟はあるのかい?」 そう尋ねると、大将は俺の目を真っ直ぐに見て、ニヤリと不敵に笑った。 「薬研こそ、覚悟はあるのか?」 「覚悟?」 「そうだ。僕をよこせというなら、条件がある。――僕の生命をお前に繋げて。万が一、お前が折れることがあれば、その瞬間にこの生命が絶えるように」 「大将、それは――」 いやだ、と断ろうとしたが、先回りして大将が頭を振る。もう薬研が折れるのを見送るなんて、耐えられない。そう言われたら、俺は大将の願いを拒むことなんて、できなかった。 「分かった」 そう答えると、大将は安堵したような顔をした。何か――おそらくは「ありがとう」と言おうとしたらしい唇を、俺は自分のそれで塞いだ。礼を言われることではない。むしろ、俺の破壊が大将の死につながる――主を決して傷つけない“薬研藤四郎”ならば、あってはならない約束である。けれど、俺は本神の本質に反しても、大将がほしかったのだ。 柔らかな唇をついばんで、初めてその奥に舌を滑り込ませた。温かな大将の口内を舌でまさぐっていると、おずおずと大将の舌が触れてくる。互いの舌をすり合わせ、絡めあっていると、腹の底に熱が生まれてきた。口づけなんて何度もしてきたけれど、これまで一度も欲を伴わなかったのが、信じられない。今はただ、夢中になって息まで奪うように口づけに溺れる。 やがて、くたりと力の抜けた大将の身体を、俺はそっと布団の上に押し倒した。彼の上に覆いかぶさって、尋ねる。 「……なぁ、大将、あんたを抱きたい。その……いいか?」 すると、大将はふわりと笑った。 「薬研が、そうしたいなら」 「俺はあんたの嫌がることはしたくない。抱く方がいいなら、俺が……」 「僕は、薬研を甘やかしたい」 「え?」 意外な返事に、俺は思わず目を丸くした。と、大将の腕が伸びてきて、俺の首に回る。その腕に促されるように、俺は大将に身を寄せて――コツリと額を合わせた。 「ずっとずっと傍にいて、支えてくれて、敵地にまでついてきてくれる僕の優しい守り刀。僕は、薬研に報いたいし、甘やかしたい。……つまり、何だっていいんだよ。お前が喜んでくれるなら、どんな形だっていいから、お前をちょうだい」 砂糖菓子みたいに甘い言葉がほろりと脳裏で解けていく。俺は縋りつくみたいに大将をかき抱いた。 3.審神者 目が覚めたとき、僕の目に飛び込んできたのは、穏やかな表情でこちらを見ている若い男だった。僕は思わず瞬きをして、自分の見間違いでないことを確かめた。それから、相手に声をかける。 「……薬研?なんで二人きりなのに、姿を変えてるの」 目の前の男――普段の薬研より四、五歳ほど年長に見える彼は苦笑してみせた。僕も審神者として過ごした影響で、外見の変化が止まっている。時の流れの止まった本丸にいるせいだ。そのため、二十代後半に入った僕も、外見はせいぜい二十歳になるかならないかというところ。今の薬研もそのくらいの年代に見えた。 「どうやら、大将の望み通りに生命を俺に繋げたら、こっちに影響が出たらしいんだ。今は、この姿が素の姿だよ」 「えっ?それって、落ち着いてていいのか?」 「まぁ、大丈夫だろ。前の姿にもなろうと思えばなれるしな」 「でも、一期や他の粟田口の子がびっくりするだろ?」 「や、たぶん気にしないだろ。人と違って俺たちは魂で相手を見るからな。……それより、大将」薬研はひどく嬉しそうに笑った。無邪気なその笑顔に、以前より大人びた面差しが一気にあどけなくなる。薬研は楽しげに言葉を続けた。「この姿なら、たぶん背は俺の方が高いぜ」 言われて、僕は目を丸くした。十五、六くらいの姿をしていてさえ太刀連中より大人びていた薬研が、まさか身長を気にしていたなんて。僕は込み上げる笑いを隠すために、薬研の胸に顔を押し付けた。彼の腰に腕を回して、ギュッと抱きつく。 「かわいいな、薬研は」 思わずそうこぼすと、抱きしめた身体がカチンと強ばる。不思議に思って顔を上げると、薬研は真っ赤な顔をしていた。 僕が敵地に潜入することが正式に決定して、身辺は急に慌ただしくなった。僕は基本的には薬研と二人で行くつもりでいた。が、本丸の刀剣たちに決意を告げると、皆が行動を共にしたいと言った。 とはいえ、あまり大人数になっては、お役目に支障を来す。また、行く先は穢れに満ちた場所であろうから、元々の神気量が少ない短刀には向かない。何度か話し合いをした結果、僕に同行するのは僕が本丸を引き継ぎをしたときにいた刀剣たちと決まった。他の刀剣は、“六条の君”に紹介してもらった本丸へ引き継ぐことになる。手続きや政府との連絡、それに実家への最後の帰省などで、数日が過ぎていった。 そんなときだ。亡くなった担当さんの刀剣だったへし切長谷部の噂が、聞こえてきたのは。担当さんの葬儀の後、政府の預かりになった長谷部が出陣して戦場で折れたいと言っているのだという。政府施設で偶然に聞いたその話では、まさか折るために戦場には出せず、かといって希望されないので刀解もできず、困っているのだとか。それを知った直後、僕は政府の刀剣引き継ぎ部門に連絡を取っていた。 長谷部に会わせてもらうためだ。 僕の願いは叶って、政府施設の一角で長谷部との面談が許された。小さな会議室に通されて、しばらく待たされる。五分ほどで政府職員に連れられて、彼がやってきた。 「お久しぶりです」そう言って頭を下げた長谷部は、どことなくやつれて見える。彼は淡々とした調子で言葉を続けた。「今日は俺にご用だそうですね」 「はい。長谷部さまにお願いがあって参りました」僕は答えた。 「願いとは」 「担当さん……長谷部さんの主の後任として、今度は僕が敵地に潜入することになりました」 「あなたが」 長谷部はここで初めて、表情を動かした。わずかに驚いたような顔で僕を見る。彼の注意をこちらに引きつけることができた――いい兆候だ。そう思いながら、僕は会話を続けた。 「潜入に同行するのは、ここにいる僕の守り刀の薬研藤四郎。それに、本丸にいる一部の刀剣たちです。ここで、長谷部さまへのお願いなのですが……どうか、僕と共にもう一度、敵地へ行ってもらえませんか」 「私が」長谷部はハッとした表情になったが、すぐにうつむいてしまった。「……申し訳ありません。俺は、先日、亡くなった主を最後の所有者と定めておりました。もはや、別の主にお仕えすることはできません。――本当は、自らを折ってしまいたいくらいだ」 「でも、担当さんはあなたに生きよ、と」 「そうです。……ですから、俺は折れることはできません。刀解されて本神の元に逃げ帰ることも。俺は――どのように身を振れば、あの方のご遺志に叶うのかわからない」 長谷部は頭を抱えた。今にも泣きそうなほど苦しげなのに、涙ひとつ流さないのは、彼がそれを忘れてしまったからなのか。痛々しい。僕は何と言葉をかけようかと迷った。と、十五、六の短刀の姿で僕の護衛に来ていた薬研が、ツィと僕の袖を引く。任せてくれと視線で言われて、僕は黙って頷いた。 薬研はそれを見てから、長谷部に向きなおる。 「なぁ、長谷部の旦那。うちの大将について来ちゃあくれないか? なに、大将はあんたに自分のものになれなんて言わねぇ。ただ、あんたは素晴らしい刀だからもう一度、戦ってほしいってだけだ。あんたの主だって、それを望んだから生きろって言ったんだろ」 「だが――」 「あんたにとっては、主ほどじゃないかもしれないが、うちの大将だってなかなかの器なんだ。俺たち刀剣は、己を振るうのに足る意思を持つ者に惹かれる。あんたの主がそうだったように、うちの大将も俺たちを使うのにふさわしい意思を持ってる」 ――だから、どうか、共に戦ってくれないか。 それを聞いていた長谷部の瞳から、ツゥと涙が伝う。彼は震える声で、前の主を慕っていてもいいなら、と答えた。 本丸で過ごす最後の日に、“六条の君”が知人二人と共にやって来た。いずれも審神者だ。本丸の刀剣たちを引き継いでくれることになっている。 一人は、担当さんの葬儀で見かけた“空蝉”という男だった。あのとき帯刀していた三日月と、今日は加州清光も連れている。僕はふと“空蝉”の加州に違和感を覚えた。加州から感じる神気が、僕の知るものと少しだけ違うのだ。おまけに、美しい紅の瞳には三日月と同じ金の月が浮かんでいる。“空蝉”を取りまく加護はこの二振のもののようだった。“空蝉”は僕の視線に気付くと、困ったように笑った。「ちょっと訳ありでね」と言いたげな態度で。 もう一人の審神者は、僕と同年代のようだった。“夕霧”と号を名乗った彼は、山姥切国広を連れていた。“夕霧”の霊力は、まるで若木のように伸びやかで心地よかった。それを、山姥切の加護が霧のように包みこんでいる。 いずれも刀剣男士に認められ、慕われているのがよく分かる。彼らならば、うちの刀剣たちを大事にしてくれるだろう。僕は密かにホッと胸を撫で下ろした。けれど、薬研は別の感想を抱いたようで、ちょっと苦笑していた。 「審神者ってのは、皆、なかなか大変そうだな」 すると、瞳に月を宿す加州が呆れ顔をしてみせた。 「他人のこと言えるの?そっちだって大概だと思うけど」 「そう突っかかるものではないぞ。――確かにうちも大概だからな。まぁ、神の愛情とはそんなものさ」 三日月は清光を制して、その言葉の端から開き直ってみせた。それを聞いた“空蝉”が「二人とも大人しくしてて」と項垂れる。 そんな一幕があったものの、刀剣の引き継ぎはつつがなく行われた。左文字三兄弟は“空蝉”の本丸へ。粟田口の弟たちや他の刀剣は“夕霧”の元へ。一期一振に関しては、他の弟たちと共に“夕霧”の本丸に行ってはどうかと勧めたのだが、彼はどうしてもと同行を希望した。そこで“夕霧”がこれ以上は霊力の問題で刀剣を顕現させることができないから、新たな一期を喚ぶことはない――いつか弟たちに会いにおいで、と提案してくれた。 “空蝉”と“夕霧”は刀剣たちを大切にすると誓いの言葉をくれた。その場に立ち合った“六条の君”は、敵地へおもむくことになる僕をずっと案じていた。だから、笑って彼に告げる。 「僕はこれまで、ずっと守ってもらってきました。刀剣たちに、あなたに、担当さんに……それから、薬研にも」傍らを振りかえれば、本性――前より少し長じた姿の薬研が笑い返してくれる。僕はその笑みを受け取って、再び前を向いた。「もう、僕もひとりで立てるようにならなくては。今度は僕が守る側になりたい」 「なぁ、主」“六条の君”の鶴丸が宥めるように自らの主の肩を撫でた。「彼もまた、刀剣を惚れさせるほどの器の持ち主だ。そうそう決めたことを翻しはしないさ」 君と同じようにな、と鶴丸が言う。それを聞いて“六条の君”は泣いているかのような笑みを浮かべた。第一印象からは分からないが、彼は情に篤い人だ。傷ついても、なお豊かな感情を持ったまま、その身に宿す火で仲間たちを導く人だ。彼はやはり、光の当たる場所にいなければならない。 敵地への潜入を志願した僕の選択は、きっと間違いじゃなかった――改めてそう思った。 翌日、僕は本丸を出て、過去の時代へと跳んだ。そこで、すでに歴史修正主義者側に潜入している仲間と落ち合う手筈になっているのだ。戦国時代の深い森の中である。三日月、鶴丸、同田貫、一期、石切丸、青江、それに長谷部と薬研が僕につき従っていた。 「……それにしても、待ち人が現れねぇな」薬研が言った。 「そう焦るものではないさ。のんびり待とう」三日月が答える。 と、そのときだった。 周囲に瘴気が立ち込める。気付けば無数の黒い影に取り囲まれていた。歴史修正主義者か――と思ったが、それにしては見たこともない姿だった。審神者の刀剣が戦う敵とは異なっている。キィィィと甲高い声を上げながら、そいつらは襲いかかってきた。皆、さっと刀を抜き放つ。三日月が舞うように剣を振るい、最初の影を斬り伏せた。途端、そいつは跡形もなく消えていく。 皆はそれぞれに黒い影と戦いを始めた。一体、また一体と影を斬り伏せていく。しかし、影はあとからあとから湧いてくるかのようだった。 「――この敵はいったいどこからやって来るのでしょうな」一期が疑問を口にする。 と。 「あんたら、この影とやり合うとったらキリがないで!」 不意に現れた眼鏡の男が叫んだ。神気を感じることから、どうやら刀剣男士のようだ。彼は太刀を振るって影を一体、斬り伏せると、「ついて来ぃ」と叫んだ。当然ながら、刀剣たちは戸惑う。その中で、即座に動いた者があった。 長谷部だ。 「あれは明石国行――刀剣男士だ。敵じゃない」 言うが早いか、長谷部は僕を抱えて眼鏡の刀剣男士――明石国行を追って走り出した。皆もそれについて来る。森の中をどう走ったものか、やがて僕らは小さな神社の境内に出た。 神社の境内には、一人の男が立っていた。和装で腰に刀を帯びている。年齢は二十代後半というところだろうか。どっしりした大地のように安定した霊力を感じるが、普通の人間のようだった。明石はその男に近づいていった。 「言われたとおり、新人を連れてきたで、“踊仏”」 「おどりぼとけ……?」 名前にしては奇妙な響きのそれに、僕は目を丸くした。と、長谷部が僕を降ろしながら答える。 「“踊仏”というのは、彼の号だ。彼は歴史修正主義者に潜入している者たちの取りまとめ役です。敵ではないから、安心してください。」 「そうそう」と明石はにこにこ頷いた。「政府側からお役目をもらう審神者連中は、『源氏物語』にちなんだ号をもらうやろ? 潜入組は刀の切れ味を号にするんや」 「“踊仏”……仏(死者)に衣を羽織らせても、踊り出せばスッと落ちてしまう。それほど簡単に首が落ちる刀という意味だね、本来は」青江が言った。 「そうだ」ここで初めて、待っていた男――“踊仏”が声を発した。 「担当さんにも号が?」 僕が尋ねると、長谷部は頷いた。 「前の主の号は“棚橋”――欄干のない橋のように簡単に落ちるという意味です」 「“棚橋”の後任……よく来てくれた。君の号は“笹ノ露”だ」 「ささのつゆ……」 “踊仏”に告げられた号を呟いてみる。と、その様子を見ていた明石がヘラリと笑った。 「坊や。なんで潜入組が刀の切れ味を号にするか分かるか? ここは歴史修正主義者との戦の最前線や。政府の元におれば、多少、失敗してもそうそう堕ちることはない。けど、ここでは些細なことで、簡単に闇に堕ちるか敵の手に落ちるか……笹の葉にのった露のようにスッと堕ちてしまう。せいぜい、覚悟しときや」 と、それを聞いていた薬研が僕の前に立った。明石を真っ直ぐに見て言う。 「俺たちが――大将の刀がそんなことさせやしねぇ。それにな、どんなときだって、うちの大将は闇に囚われたりしねぇよ。そんなに弱い人間じゃねぇ。俺はずっと傍で見て来たから、知ってんだ」 「――明石が、突っかかってすまない」“踊仏”はそう謝ってから、言葉を続けた。「ついて来てくれ。しばらく、俺が君の世話をする」 「気をつけや。ここから先は、地獄の淵や。足を滑らせたら、真っ逆さまに闇やで」 「望むところです。僕の刀たちが共にいるからには、地獄の淵でも持ちこたえてみせる」 僕がそう答えると、“踊仏”と明石は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。 pixiv投下2015/05/22〜06/27 |