※※『鍛刀師』の鶴主がくっついた後の、格好のつかない初夜の話です。 ※※刀剣男士の三大欲求は後天的という独自解釈を元に話を進めています。 当初は主優性な関係が、最後には鶴丸優性に逆転するという個人的萌えポイントを表現したかった。 おそらく約八十年越しになるであろう想い人と両想いになった鶴丸国永は、浮かれるあまり、ひとつ失念をしていた。重大な見過ごしである。 しかし、刀剣男士たる国永がそれに気づかなかったのは、無理からぬことでもあった。つまり、長く想ってきた自身の主――鍛刀師〈六条の君〉との初夜をすっかり忘れていたのである。 刀剣男士は、顕現されただけでは、三大欲求を持たない。人間である主と過ごすうちに、食欲を知り、眠りを覚えていく。 ただし、性欲に関しては話が別だった。何しろ、人間と違って刀剣男士は己の子孫を残す必要がない。子を残さずとも、本霊の意思ひとつで同位体はいくらでも生み出せる。ゆえに性衝動にかぎっては、審神者と、あるいは刀剣同士で恋仲になった者だけが覚醒する仕組みになっていた。 むろん、国永は晴れて主と恋仲になったわけなので、性衝動を覚えるようになっても不思議はない。にもかかわらず、そういう流れにならなかったのは、ひとえにこれまで長く二人でいすぎたせいだろう。恋仲ではなくとも、六十年以上を、国永は主と二人で過ごしてきた。金婚式以上の年月である。主は自分の本丸や刀剣男士を持つことを政府から許されていないから、これは、まぁ、不可抗力としか言えない。ただ、現世の熟年夫婦にも等しい年月を共に過ごしてきたせいで、恋仲になった後も国永と主の生活に変化はなかった。 それが悪かった。仕事が忙しいのと、今までと同じ生活なのとで、初夜はすっかり忘れ去られてしまっていた。 国永がそれに気づいたのは、主と恋仲になってから三ヶ月目のことだった。主が鍛刀して、後輩に引き継がれていった三日月宗近が、あるとき国永に怪訝そうな顔で言ったのだ。 「そなた、〈六条の君〉とは睦まじくしておるのか? ユイノウカッコカリとやらをしたと聞いたが、もうじき離縁されるのではあるまいな?」 「妙なことを言うな。主とは別に喧嘩もしちゃいない。これまで通り普通に――」 「――これまで通り?」 宗近は目を見開いた。その傍らで、後輩の本丸の鶴丸国永も「こいつは驚いた」と呟いている。国永は二振の反応が腑に落ちなかった。喧嘩もせず、これまで通りに過ごしている。それのどこが悪いのか。 そう言うと、宗近はため息を吐いた。 「これまで通りということは、そなたら、初夜を済ませておらぬのか? どおりで、目合したにしては〈六条の君〉から感じるそなたの気が薄いはずだ」 「初、夜……」国永は呆然と呟いた。 「よもや、忘れていたとは言うまいな?」 宗近に念を押される。国永はおもむろに顔を上げて――それから、口を開いた。 「忘れていた」 それを聞いた宗近は、ポカンと口を開く。天下五剣のうちもっとも美しいと言われる美貌も台無しの、間抜けな顔だった。その傍で、後輩の鶴丸が腹を抱えて笑いだす。 「ははは、あれだけ恋しい愛しいとさえずって、ようやく得たつがいとの初夜を忘れるとはなぁ! こんなにおかしな話は、久しぶりに聞いたぜ」 しかし、国永にとっては笑うどころの話ではなかった。 その夜、国永はつらつらと考えてみた。むろん、主とは別の自分の寝室で、である。 初夜を忘れていたのは、己の非ではあろう。しかし、そうしたことはひとりで為すものではない。なぜ、主は今まで一度も、初夜を求めなかったのか。 刀剣男士である己はともかく、人の子たる主にはきちんと性欲も備わっているはずなのだ。実際、国永は過去にちょっとした事故で、主が発情する場面に居合わせたことがある。不能ということは、ないはずだった。 「いや、待てよ。しかし、アレはかなり昔のことだ。今の主は勃たなくなっている可能性もある……」 国永は呟いた。主は恋仲であった清光を失ってから、人間の恋人を作ったことがない。というか、恋愛に興味はなさそうだった。 何しろ、休みがあれば外出したくない、という程度には内向きの人間である。しかも、ひとりでいる方が気楽だという。これでは恋人のできようがない。国永としては、好都合な話であったが。 しかし、このような状況になってみると、主が新たな恋人を作ろうとしなかったのは、性的な欲求を失っているからだとも考えられる。それならば、無理強いはできない。できないが――。 「……しかし、抱きたいよなぁ」 恋仲になったからには、主が他人には見せない顔も、声も、すべて知りたいと思ってしまう。そこで、国永はふと、ある可能性に気づいて目を見開いた。 「もしかして……単に主は俺と目合をしたくないだけなのか……? だから、言わなかった?」 仮にそうだとすれば、なぜ恋仲になったのかという話になる。下手をすれば、それこそ宗近の言葉どおり離縁だろう。初夜の話題は、そう簡単につつけるものではなかった。 国永は主と初夜の話をできないまま、数日を過ごした。そんなある日の夜のことである。いつものように別々の寝室に別れた国永は、寝る前にしばらく端末で遊んでいた。主はいい顔をしないのだが、審神者専用の掲示板『さにわちゃんねる』を閲覧していたのだ。端末を消して、キッチンに水を飲みにいくために、主の部屋の前を通りかかったとき。 「っ……あ、ぁ……」 部屋の中から細くあえかな声が漏れてきた。 おそらく、普通の人間ならば聞こえなかっただろうくらいの、小さな小さな声。しかし、刀剣男士の聴力ならば、きちんと拾えてしまう。 一度だけ聞こえたその声は、嬌声のように思えた。それきり部屋が静かになったので、単なる調子っぱずれの寝言だったのかもしれないが。そう、寝言だという可能性だって高い。それなのに、胸がドキドキする。急にのどの乾きが強くなったような気がした。 今すぐ、己と主を隔てるドアを開けて、彼の傍へ行きたい。主の肌に触れて、その温もりを感じたい。思うさま愛して、こぼれ落ちるあえかな喘ぎを聴いてみたい。 けれど、と不安になる。 もしも勘違いだったら? あるいは、本当に主が己と肌を重ねたくないのだとしたら? そうだったら、どうすればいい……? ドアの取っ手へと伸びかけた手は、中途半端な位置で力なく落ちた。ともかく、と国永は思いなおす。今、勢いに任せて行動するのはよくない。明日、それとなく主に初夜のことをどう考えているのか、尋ねてみるべきだ。 そうしよう――。 国永は焦る己を何とか宥めて、部屋に戻った。ベッドに横たわり、無理矢理に目を閉じる。それでも、昴った意識では簡単に寝付けそうもない。何度も寝返りを打ちながら、国永はようやく浅い眠りに落ちていった。 その夢の中でのことだ。 主が出てきた。強い力で縋りついて、口づけをしてくる。密着した身体と、深く絡んだ脚。太股に寝間着ごしに硬いものを擦りつけられて、主が発情していることを悟る。 これは過去に一度だけ、起きた『事故』だ。あのとき、主は正気ではなかった。おまけに、国永のことを失った清光と勘違いしてもいた。けれど、夢の中の主が呼ぶのは清光ではなくて、国永の名だ。興奮に背筋がゾクゾクする。衝動のままに、国永は主の肩をつかんだ。体勢を変えて、彼の上に覆いかぶさる。 ――主、主、愛している。俺の雛鳥、最愛の君。 熱っぽく囁きながら、国永は夢中で主の肌に触れた。鉄とは違う、血潮の通う人の子の身体は温かくて、強い酒よりもなお強烈で。どんな宝よりも丁重に慈しみたい反面、引き裂いてしまいたいくらいの凶暴な気分も湧いてくる。 もっと、もっと、深く。 いっそ君の魂にまで、触れられたら――。 衝動が極まった刹那。国永はハッと目を醒ました。下肢に生温く湿った違和感がある。それが何なのか一瞬、分からなかったけれど――やがて、思いいたった。 「こいつは……夢精ってやつか……」 驚いた。 しかし、こんな驚きは不要だ。 まだ夜の暗い部屋の中、国永はため息を吐いた。後始末をして、下着を替えなければ。だが、精に濡れた下着をそのまま洗濯に出していては、何があったか主にばれてしまうだろう。簡単にでも洗っておかなくては――。 「――はー……最悪、だ」 いったい、何が悲しくてこんなくだらないことに煩らわされなくてはならないのか。ただの刀の身であれば、男の厄介な生理現象とやらから自由であったはずなのに。 やがて、国永は気を取り直した。後始末はさっさと済ますに限る。替えの下着を手にして、部屋を出た。目指すは風呂場。こんな時間ならば、主に気づかれることもあるまい。 ところが、国永の読みは甘かった。 主が目をこすりながら、寝室から出てきたのだ。水でも飲みたくなったのだろう。ふらふらとキッチンへ向かおうとした彼は、国永に気づいて首を傾げたようだった。 「……国永? どうしたんだ?」やや眠気にぼやけた口調で、尋ねてくる。 「いや、ちょっとな」 「どこへ行くんだ? トイレはそっちじゃないけど?」 「いや、少し風呂場に……」 「風呂場? なんで?」 「なんでって……そりゃあ、顔でも洗おうと……」 「まだ午前二時だ。起きるには早くないか?」 「た、たまには早起きもいいかと思ってだな……!」 間の悪いことに、こんなときに限って、主は国永の行動にいちいち疑問を抱くようだった。精に湿った下肢は次第に冷たくなってきて、不快感が増している。さっさと後始末を終わらせてしまいたいのだが……。 と、主が近づいてくる。 国永はギクリとして、身を強ばらせた。何がどうでもいいから、主はさっさと部屋へ帰ってくれないだろうか。心の底からそう願う。しかし、傍まで来た主は、スンと小さく鼻を鳴らして首を傾げた。 「国永、勘違いだったら悪いんだけど、もしかして――夢精とか、した?」 オフ本へつづく 戻る |